
事業仕分け2[2009年11月13日(Fri)]
役所仕事には呆れる点が多いが、今回の事業仕分けも何ともあわてたものだ。私が触れたいのは、例えば、農道事業、耕作放棄地対策、下水道事業、公共事業の調整費、等か。仕分け委員やマスコミは本当に意味が分かっているのか不明だが・・・。
最初に言っておきたい。意味のある事業もある。しかし、それでも削らねばならない時もある。税収が極端に減る今は非常時だ。意味を理解した上で削る。それが理想で、なかなかそこまでできないから困るのだ。そんな裏を知っているから、私は賛成か反対かわからないような場合もあろうが、単純な素人ではないので、このような複雑な記述になるのだ。
「縦割り緩和の予備的予算」
役所の大きな問題点が、縦割り組織の弊害や、計画外の事態への柔軟な対応が出来ない点だ。農道や調整費はこれへの対策の面も持っており、即廃止には、当初少々戸惑った。
農道は、単純な農業用の道路というだけでなく、どうやら、農政側が使える予算の道路、という意味も持つ。大面積の農地整備と連動して整備すればうまく行く農村部の道路建設が、建設当局側の一般道整備の順番を待っては時間がかかる場合等に、農政関係者の世界の中で建設が決められる長所を持つ。農道という機能上の区分より、最近は、この意味の方が大きいか。
農水省と建設省、県の農林部と土木部は別の国だ。その間の異部門間調整を経ずに済むのが農道事業か、道路の機能上は「農道は必要ない」といわれる時代になっても。本来の形式上の用途とは違う所にも意味があるようだ。これでは仕分け側も、調整費用的側面のある予算なのか、単なる農業用道路という古い事業なのか、分かるまい。役人自身が詳しく説明できない種類の話なら、余計に。やはり、本筋から言えば、私が唱える統括調整組織等の道具立てを整える事が重要なのだが、農道予算は現状での「持ち駒」なのか。
似た事が公共事業の調整費にもいえようか。予備費の大げさな手続きは大変だが、このような調整費を自分の役所の中に抱えておけば幾分は楽に済む。以前は、同じ個所で行われるのに建設・農水両省系の事業が時間的にズレる時など、遅れる方の事業を国土庁の調整費等を使って早め、合わせたそうだ。一種の予算の先取りで、本来の事業の順番の時には本来の予算は付かない。
このような異部門間での調整の面倒さを緩和し、食い違いを是正する作業は大変だ。それをすり抜ける手段でもあるのが、このような事業、予算であろう。すぐに廃止してしまってよいのか、考えてほしい。だが、それこそ予備費を活用してやればよい、となれば、結論は同じか。
本当なら、公共事業関係の統括調整組織等を設け、常に建設・農水両部門(県では土木・農林両部門)の連携・調整を図る事が望ましい。調整予算は、そのような組織に充分に持たせれば良いし。私が主張してきた国土交通省の統括調整組織、地域部局での建設・農業土木両部門の合体、県レベルの公共事業本部的な組織等々も、この為だ。これらの設置、機構改革等の推進まで構想・考慮し、提唱した上での廃止勧告なら、まさに「我が意を得たり」だ。そのような議論があったかどうかは聞いていないが。
「博士論文の内容」
私の博士論文で扱ったのが、農村部での大面積の農地(水田)改良を契機とする農村改良で、農地整備等を行う農政当局と、一般道路等を整備する土木部門の縦割りの弊害が問題だった。農地改良には農家負担金があり、高齢化で農地(水田)を貸す側の農家は「借り手の為の負担」として嫌い、合意が取れない。そこで、水路を埋めた土地や農家が共同で出した土地を集めて道路やコメ乾燥処理場等の用地として売り、農家負担金を相殺・軽減すれば、合意形成は容易になる。コメ乾燥施設はそれほど沢山はいらないが、面積も買収価格も大きい道路用地なら、売る側としても望ましい。あぜ道に毛の生えた程度の道路しかなかった農村部ほど車社会で、道路整備自体への需要も高いし。
しかし、農地整備と一般道整備は別の部局の仕事。道路の着工順位は交通量等で決まる。農地整備の合意形成の為に、農村部の土地を道路用地として土木部門に急に買ってくれと頼んでも、通常は難しい。土木部門側にしても、広い面積の農地整備で一つの地域の道路用地がいっぺんに確保できれば、大変に楽。道路建設のみならず、公共事業の最大の関門は用地買収だから。しかし、同様の事例・前例が管轄内で積みあがらないと、この手の異部門間連携はなかなか上手くゆかない。両方に得になり、事業効果も上がり、予算の節約にもなるのに。
このような時、農政側に決定権のある農道名目の道路予算があれば、結構、役に立つだろう。いつもそのような上手な使い方をされているかは別としても。
水路を埋めた土地を農民側に返すのも大変だ。農民が土地を出しあって作ったタンボの水路も、書類上は旧建設省所管の立派な「国有地」で、その処分には、管理を委託される県の土木部用地管理課等の許可が必要だ。が、農地整備時に急に他部門である農業関係者側の事情を理解してくれるとは限らない、特に前例が県内に無い間は。その土地が土木部の道路建設に使われる場合でも。それが役人だ。知事が声をかければ違うが、例えば事務系出身の知事などがそのような問題に無知では、どうしようもないし。
国の農道予算の廃止には同意しても、上記のような事情を知るから、縦割り組織の弊害緩和策の必要性も分かる。廃止の予算がどれほど貢献していたかは正確には分からなくても、背景は見える。ただ予算を削るだけでなく、それを知った上で、弊害の克服策の積極的な提言まで行くことを祈る。
「耕作放棄地対策」
耕作放棄農地の対策事業も、その廃止が、私が提唱するような耕作放棄地での太陽光発電等を誘導する結果となれば、本当に良いのだが・・・。
農水省系の事業には「効果の薄いばらまき」との批判が付きまとう。全国の現場の担い手農家育成等の細かい仕事は、遠い霞が関から制御しやすいものではない。予算規模が小さかった時代には、農水省の農学部出身者等の専門的な知識を有する官僚達は、新規の事業の効果を非常に詳しく厳しく議論した上で事業化したそうだ。
昔は農水省自身が予算を切り過ぎていたかもしれない。正体不明の祖父と名乗る者は「日本園芸農業協同組合連合会」、通称・日園連の専務理事として実務の最高責任者だったと名乗っていた。かつては木箱に詰めていたミカンを「段ボール箱」に詰める機械を試験導入する予算を農水省に要求した所、予算は付かず、「大蔵の査定で切られた」とウソをつかれた。自民党政調を通じて主計局を突いたら真実が分かり直ぐに予算がついたという、冗談のような話があった。果実の段ボール箱輸送は現在では常識だが、当時の農林役人には流通や輸送の話はとても分からなかったのだろう。このように、重要な話まで切られることもあるが、当時は簡単には予算は付かなかったのだ。何やら事業仕分けのようでもあるが・・・。
しかし、高度成長期の予算規模の膨張で、そのようなよき習慣が押し流されてしまった、という元農水官僚(事務系)の回想があった。そして、とにかく事業を増やし獲得予算を他の部局より増やす予算拡大ゲーム的な傾向さえ生じた。「今年はウチは0・01ポイント勝った」「0・02ポイント負けた」とか。それを防ぐためにも予算比率の維持がなされたのか。今の中央官庁の組織や人員の大きさは高度成長の予算拡大の前に固まり、その後は官庁拡大の歯止めに「定員」の枠がはめられた。そこで問題なく扱える予算額は、高度成長の前の小さなものと考えるべきだろう。これは予算を切る側の財務省主計局にも言える。一局で二百数十人の定員は役所としては大きいが、これは河川局と同程度で、国の全予算を細かく見るには極端に人手不足だ。
農水省等の予算は、この機会に、地方移管やいったん縮減の検討を進めるのもイタしかたなかろう。それが太陽光発電普及等の新時代の政策につながる可能性があるのだから。短時間での事業仕分けでは、そこまで話が及ばないだろうが。この先は、本来は国家戦略室の領域だし・・・。
私は上記のような事例を見てきたから、事業内容の工夫による予算の節約も、縦割りの弊害緩和も唱えてきた。上記のような事業の廃止が、縦割り問題の改革を進める基盤・動機を与えるならよいが、問題が深刻化しては困る。環境対策等での耕作放棄地の真の活用法につながればよいが、放棄地問題を忘れても困る。真の意味での議論の深化を期待したいが、一事業一時間ではやはり無理か。事業仕分けには大賛成だからこそ、その辺のフォローも期待したい。
最初に言っておきたい。意味のある事業もある。しかし、それでも削らねばならない時もある。税収が極端に減る今は非常時だ。意味を理解した上で削る。それが理想で、なかなかそこまでできないから困るのだ。そんな裏を知っているから、私は賛成か反対かわからないような場合もあろうが、単純な素人ではないので、このような複雑な記述になるのだ。
「縦割り緩和の予備的予算」
役所の大きな問題点が、縦割り組織の弊害や、計画外の事態への柔軟な対応が出来ない点だ。農道や調整費はこれへの対策の面も持っており、即廃止には、当初少々戸惑った。
農道は、単純な農業用の道路というだけでなく、どうやら、農政側が使える予算の道路、という意味も持つ。大面積の農地整備と連動して整備すればうまく行く農村部の道路建設が、建設当局側の一般道整備の順番を待っては時間がかかる場合等に、農政関係者の世界の中で建設が決められる長所を持つ。農道という機能上の区分より、最近は、この意味の方が大きいか。
農水省と建設省、県の農林部と土木部は別の国だ。その間の異部門間調整を経ずに済むのが農道事業か、道路の機能上は「農道は必要ない」といわれる時代になっても。本来の形式上の用途とは違う所にも意味があるようだ。これでは仕分け側も、調整費用的側面のある予算なのか、単なる農業用道路という古い事業なのか、分かるまい。役人自身が詳しく説明できない種類の話なら、余計に。やはり、本筋から言えば、私が唱える統括調整組織等の道具立てを整える事が重要なのだが、農道予算は現状での「持ち駒」なのか。
似た事が公共事業の調整費にもいえようか。予備費の大げさな手続きは大変だが、このような調整費を自分の役所の中に抱えておけば幾分は楽に済む。以前は、同じ個所で行われるのに建設・農水両省系の事業が時間的にズレる時など、遅れる方の事業を国土庁の調整費等を使って早め、合わせたそうだ。一種の予算の先取りで、本来の事業の順番の時には本来の予算は付かない。
このような異部門間での調整の面倒さを緩和し、食い違いを是正する作業は大変だ。それをすり抜ける手段でもあるのが、このような事業、予算であろう。すぐに廃止してしまってよいのか、考えてほしい。だが、それこそ予備費を活用してやればよい、となれば、結論は同じか。
本当なら、公共事業関係の統括調整組織等を設け、常に建設・農水両部門(県では土木・農林両部門)の連携・調整を図る事が望ましい。調整予算は、そのような組織に充分に持たせれば良いし。私が主張してきた国土交通省の統括調整組織、地域部局での建設・農業土木両部門の合体、県レベルの公共事業本部的な組織等々も、この為だ。これらの設置、機構改革等の推進まで構想・考慮し、提唱した上での廃止勧告なら、まさに「我が意を得たり」だ。そのような議論があったかどうかは聞いていないが。
「博士論文の内容」
私の博士論文で扱ったのが、農村部での大面積の農地(水田)改良を契機とする農村改良で、農地整備等を行う農政当局と、一般道路等を整備する土木部門の縦割りの弊害が問題だった。農地改良には農家負担金があり、高齢化で農地(水田)を貸す側の農家は「借り手の為の負担」として嫌い、合意が取れない。そこで、水路を埋めた土地や農家が共同で出した土地を集めて道路やコメ乾燥処理場等の用地として売り、農家負担金を相殺・軽減すれば、合意形成は容易になる。コメ乾燥施設はそれほど沢山はいらないが、面積も買収価格も大きい道路用地なら、売る側としても望ましい。あぜ道に毛の生えた程度の道路しかなかった農村部ほど車社会で、道路整備自体への需要も高いし。
しかし、農地整備と一般道整備は別の部局の仕事。道路の着工順位は交通量等で決まる。農地整備の合意形成の為に、農村部の土地を道路用地として土木部門に急に買ってくれと頼んでも、通常は難しい。土木部門側にしても、広い面積の農地整備で一つの地域の道路用地がいっぺんに確保できれば、大変に楽。道路建設のみならず、公共事業の最大の関門は用地買収だから。しかし、同様の事例・前例が管轄内で積みあがらないと、この手の異部門間連携はなかなか上手くゆかない。両方に得になり、事業効果も上がり、予算の節約にもなるのに。
このような時、農政側に決定権のある農道名目の道路予算があれば、結構、役に立つだろう。いつもそのような上手な使い方をされているかは別としても。
水路を埋めた土地を農民側に返すのも大変だ。農民が土地を出しあって作ったタンボの水路も、書類上は旧建設省所管の立派な「国有地」で、その処分には、管理を委託される県の土木部用地管理課等の許可が必要だ。が、農地整備時に急に他部門である農業関係者側の事情を理解してくれるとは限らない、特に前例が県内に無い間は。その土地が土木部の道路建設に使われる場合でも。それが役人だ。知事が声をかければ違うが、例えば事務系出身の知事などがそのような問題に無知では、どうしようもないし。
国の農道予算の廃止には同意しても、上記のような事情を知るから、縦割り組織の弊害緩和策の必要性も分かる。廃止の予算がどれほど貢献していたかは正確には分からなくても、背景は見える。ただ予算を削るだけでなく、それを知った上で、弊害の克服策の積極的な提言まで行くことを祈る。
「耕作放棄地対策」
耕作放棄農地の対策事業も、その廃止が、私が提唱するような耕作放棄地での太陽光発電等を誘導する結果となれば、本当に良いのだが・・・。
農水省系の事業には「効果の薄いばらまき」との批判が付きまとう。全国の現場の担い手農家育成等の細かい仕事は、遠い霞が関から制御しやすいものではない。予算規模が小さかった時代には、農水省の農学部出身者等の専門的な知識を有する官僚達は、新規の事業の効果を非常に詳しく厳しく議論した上で事業化したそうだ。
昔は農水省自身が予算を切り過ぎていたかもしれない。正体不明の祖父と名乗る者は「日本園芸農業協同組合連合会」、通称・日園連の専務理事として実務の最高責任者だったと名乗っていた。かつては木箱に詰めていたミカンを「段ボール箱」に詰める機械を試験導入する予算を農水省に要求した所、予算は付かず、「大蔵の査定で切られた」とウソをつかれた。自民党政調を通じて主計局を突いたら真実が分かり直ぐに予算がついたという、冗談のような話があった。果実の段ボール箱輸送は現在では常識だが、当時の農林役人には流通や輸送の話はとても分からなかったのだろう。このように、重要な話まで切られることもあるが、当時は簡単には予算は付かなかったのだ。何やら事業仕分けのようでもあるが・・・。
しかし、高度成長期の予算規模の膨張で、そのようなよき習慣が押し流されてしまった、という元農水官僚(事務系)の回想があった。そして、とにかく事業を増やし獲得予算を他の部局より増やす予算拡大ゲーム的な傾向さえ生じた。「今年はウチは0・01ポイント勝った」「0・02ポイント負けた」とか。それを防ぐためにも予算比率の維持がなされたのか。今の中央官庁の組織や人員の大きさは高度成長の予算拡大の前に固まり、その後は官庁拡大の歯止めに「定員」の枠がはめられた。そこで問題なく扱える予算額は、高度成長の前の小さなものと考えるべきだろう。これは予算を切る側の財務省主計局にも言える。一局で二百数十人の定員は役所としては大きいが、これは河川局と同程度で、国の全予算を細かく見るには極端に人手不足だ。
農水省等の予算は、この機会に、地方移管やいったん縮減の検討を進めるのもイタしかたなかろう。それが太陽光発電普及等の新時代の政策につながる可能性があるのだから。短時間での事業仕分けでは、そこまで話が及ばないだろうが。この先は、本来は国家戦略室の領域だし・・・。
私は上記のような事例を見てきたから、事業内容の工夫による予算の節約も、縦割りの弊害緩和も唱えてきた。上記のような事業の廃止が、縦割り問題の改革を進める基盤・動機を与えるならよいが、問題が深刻化しては困る。環境対策等での耕作放棄地の真の活用法につながればよいが、放棄地問題を忘れても困る。真の意味での議論の深化を期待したいが、一事業一時間ではやはり無理か。事業仕分けには大賛成だからこそ、その辺のフォローも期待したい。