
航空直播稲作の普及をー減反廃止問題での工夫ー[2013年10月29日(Tue)]
突然の減反廃止?の話で関係者は大騒ぎになっており、代わりに米価下落対策の保険等も検討中と報じられる。私はこの際、ヘリ等で直接に田んぼに種モミを直接に播く(まく)栽培法の普及に力を入れるべきと思う。これこそ新時代の省力型栽培法なのだが、日本では普及しておらず、採用しても不慣れな内は収量が相当に減る。それを逆手にとって減反の代わりにすると同時に、高齢化・国際化の新時代にふさわしい高能率な稲作を目指す準備とするのだ。
日本の稲作(コメ作り)では、タネモミからある程度まで人工的な環境で別の場所で育てた苗(なえ)を田んぼに持ってきて移植(田植え)する方式がほとんどで、全てのシステムがそれに対応して整備されてきた。農業用機械からコメの品種まで。タネもみ自体が直播に向かないものになっているのだ。
かつては人間の新生児(赤ちゃん)の生存率も高くて50%程度だったそうだが、それは稲でも似たようなもの。植物として最も弱い発芽直後の段階で稲が水の中でおぼれ死んだり、タネまき直後に鳥に食われるのを防ぐため、苗代(なわしろ)や育苗工場等で人工的に保護してある程度まで苗(なえ)を育ててしまい、それをワザワザ人間が田んぼに移植する(植えかえる)のが、日本の米作りだ。
長い間、日本の農家は経営規模が小さく(大陸諸国等と比較して)農地面積が小さいと同時に、日本の農村には過剰な労働力があふれていた。経営面積が小さくて分割相続がしにくく、長男以外は農家の後が継げない為に生じた「農家の二三男問題」などは、その表れだ。その上に日本人は完璧主義。人手はいくらでもあったから、労働節約的な工夫なんぞより、労力は惜しまないからとにかく限られた面積で収穫を高位で安定させられる方法をと、移植栽培が先祖代々引き継がれて来たのだ。
これは稲作に向かない寒い国なのに粗雑な直まき(バラマキ)が普通だった韓国なんぞとは大違いで、日本との国民性の違いまで反映する形になっている。やはり農村こそ国民性の基盤なのだろう。ここでも韓国人は日本統治時代に日本人から教えてもらった移植方式で米の収穫を大いに安定させながら、「あれは貧しい日帝が自国へのコメの供給の為に無理やりやらせた」とか大ウソをついて被害者ヅラしながら大いに利用しているそうだ、粗雑な韓国人だけでは到底無理だった移植栽培を。
この田植えによる「イネの移植栽培」はいかにも日本的で高い安定性を誇るが、手間がかかり省力的でない。日本の米作りの全ての労力の半分近くを、この田植えまでの春の作業で占めるとさえいわれる。この「タネまき、育苗、田植え用の田んぼの準備、移植」という一連の作業だけで。
田植え前に「代かき(しろかき)」といって、耕した田んぼに水を入れてドロドロになるよう掻きまわし、稲の苗(なえ)が農地の地面に刺さりやすくすると同時に、農地も平らにして水を張りやすくするのだが、その機械作業だけでも一苦労だ。国際的には狭いといっても、宅地なんぞに比べればケタ違いに広い面積の田んぼだから。
一方、他国の普通の稲作では飛行機や地上の噴射装置から水をはった田んぼに種をまいて終わりだから、比較にならない。
この手間のかかる移植栽培は、当然、農村高齢化や国際競争の時代の高能率な大規模稲作には向かないと言われてきた、ずっと。だが、日本では長い間、全てを移植栽培に適した方向で整えてきてしまったので、今更の方向転換には困難が伴う。
例えば、日本のコメは「移植栽培用で発芽力が低くても良いなら」という事でか、台風の多い秋の収穫後にも続く高温多湿の時期に勝手に芽を出して(発芽して)商品価値を損なわぬよう、ワザワザ発芽しにくい品種へと改良してきたそうだ。これでは自分でどんどん芽を出して田んぼでたくましく育たねばならない直播栽培には向かない。
更に戦後、日本の農業機械技術者は優秀すぎて人間の田植えの手の指の動きをまねる田植え機まで発明したものだから、移植栽培用のシステム(体系)が高度に出来上がってしまったのだ。それ自体は良い事だったはずだが、結果として、直播栽培はなかなか普及しなかったのだ。必要とされなかったのだ。
大規模にない手等には、なるべく移植栽培ではない直播栽培を普及させる必要がある。直播(じかまき、ちょくはん)にも各種の方法があるが、やはり省力的なのはヘリ等から水を入れた田んぼに直接タネをまく方法だろう。だが、今のままでは日本では、その直まきでは安定性が悪く、特に実行する農家が不慣れな内は収量が落ちた。最初の内は移植方式の3分の2も収穫できればよい方だとか、初年度は半分に落ちるとか・・・。
関係者は、これをもって減反の代わりにする事、減反削減と並行する事等も検討せよ。「大規模にない手」やその候補のいる村などで航空直播稲作に移行するなら、減反で田んぼを減らさなくてよい(減反に参加しなくてよい)とか。これなら新時代の為の大規模農業の担い手の育成やそのノウハウの取得もできるし、直まきの指導・補助を手厚くすれば一方的な減反補助廃止とは違うし、安定までの収量の低減で減反と似た効果があるし。直まき栽培の安定後は省力的な高能率稲作ができるので、米価が下落してもある程度は平気だろうよ。
減反補助金の一方的な急な廃止は、やはり様々な混乱を招くので、検討してみてほしい。少なくとも、言い訳程度にはなるだろうよ。しかも、意味のある言い訳だ。
まあ、無能な日本の政府と政権、なにも変える能力も考える能力もない日本人の政治や農業の関係者だから、難しいとは思うがな、言い出しっぺが私だから、軽視しない方がいいぞ。
ところで、主に畑の耕作放棄農地対策としても太陽光パネルの設置は急務のはずだが、それはどうなっている? なしのつぶてだぞ。私の直轄監視領域であるにもかかわらず・・・。
日本の稲作(コメ作り)では、タネモミからある程度まで人工的な環境で別の場所で育てた苗(なえ)を田んぼに持ってきて移植(田植え)する方式がほとんどで、全てのシステムがそれに対応して整備されてきた。農業用機械からコメの品種まで。タネもみ自体が直播に向かないものになっているのだ。
かつては人間の新生児(赤ちゃん)の生存率も高くて50%程度だったそうだが、それは稲でも似たようなもの。植物として最も弱い発芽直後の段階で稲が水の中でおぼれ死んだり、タネまき直後に鳥に食われるのを防ぐため、苗代(なわしろ)や育苗工場等で人工的に保護してある程度まで苗(なえ)を育ててしまい、それをワザワザ人間が田んぼに移植する(植えかえる)のが、日本の米作りだ。
長い間、日本の農家は経営規模が小さく(大陸諸国等と比較して)農地面積が小さいと同時に、日本の農村には過剰な労働力があふれていた。経営面積が小さくて分割相続がしにくく、長男以外は農家の後が継げない為に生じた「農家の二三男問題」などは、その表れだ。その上に日本人は完璧主義。人手はいくらでもあったから、労働節約的な工夫なんぞより、労力は惜しまないからとにかく限られた面積で収穫を高位で安定させられる方法をと、移植栽培が先祖代々引き継がれて来たのだ。
これは稲作に向かない寒い国なのに粗雑な直まき(バラマキ)が普通だった韓国なんぞとは大違いで、日本との国民性の違いまで反映する形になっている。やはり農村こそ国民性の基盤なのだろう。ここでも韓国人は日本統治時代に日本人から教えてもらった移植方式で米の収穫を大いに安定させながら、「あれは貧しい日帝が自国へのコメの供給の為に無理やりやらせた」とか大ウソをついて被害者ヅラしながら大いに利用しているそうだ、粗雑な韓国人だけでは到底無理だった移植栽培を。
この田植えによる「イネの移植栽培」はいかにも日本的で高い安定性を誇るが、手間がかかり省力的でない。日本の米作りの全ての労力の半分近くを、この田植えまでの春の作業で占めるとさえいわれる。この「タネまき、育苗、田植え用の田んぼの準備、移植」という一連の作業だけで。
田植え前に「代かき(しろかき)」といって、耕した田んぼに水を入れてドロドロになるよう掻きまわし、稲の苗(なえ)が農地の地面に刺さりやすくすると同時に、農地も平らにして水を張りやすくするのだが、その機械作業だけでも一苦労だ。国際的には狭いといっても、宅地なんぞに比べればケタ違いに広い面積の田んぼだから。
一方、他国の普通の稲作では飛行機や地上の噴射装置から水をはった田んぼに種をまいて終わりだから、比較にならない。
この手間のかかる移植栽培は、当然、農村高齢化や国際競争の時代の高能率な大規模稲作には向かないと言われてきた、ずっと。だが、日本では長い間、全てを移植栽培に適した方向で整えてきてしまったので、今更の方向転換には困難が伴う。
例えば、日本のコメは「移植栽培用で発芽力が低くても良いなら」という事でか、台風の多い秋の収穫後にも続く高温多湿の時期に勝手に芽を出して(発芽して)商品価値を損なわぬよう、ワザワザ発芽しにくい品種へと改良してきたそうだ。これでは自分でどんどん芽を出して田んぼでたくましく育たねばならない直播栽培には向かない。
更に戦後、日本の農業機械技術者は優秀すぎて人間の田植えの手の指の動きをまねる田植え機まで発明したものだから、移植栽培用のシステム(体系)が高度に出来上がってしまったのだ。それ自体は良い事だったはずだが、結果として、直播栽培はなかなか普及しなかったのだ。必要とされなかったのだ。
大規模にない手等には、なるべく移植栽培ではない直播栽培を普及させる必要がある。直播(じかまき、ちょくはん)にも各種の方法があるが、やはり省力的なのはヘリ等から水を入れた田んぼに直接タネをまく方法だろう。だが、今のままでは日本では、その直まきでは安定性が悪く、特に実行する農家が不慣れな内は収量が落ちた。最初の内は移植方式の3分の2も収穫できればよい方だとか、初年度は半分に落ちるとか・・・。
関係者は、これをもって減反の代わりにする事、減反削減と並行する事等も検討せよ。「大規模にない手」やその候補のいる村などで航空直播稲作に移行するなら、減反で田んぼを減らさなくてよい(減反に参加しなくてよい)とか。これなら新時代の為の大規模農業の担い手の育成やそのノウハウの取得もできるし、直まきの指導・補助を手厚くすれば一方的な減反補助廃止とは違うし、安定までの収量の低減で減反と似た効果があるし。直まき栽培の安定後は省力的な高能率稲作ができるので、米価が下落してもある程度は平気だろうよ。
減反補助金の一方的な急な廃止は、やはり様々な混乱を招くので、検討してみてほしい。少なくとも、言い訳程度にはなるだろうよ。しかも、意味のある言い訳だ。
まあ、無能な日本の政府と政権、なにも変える能力も考える能力もない日本人の政治や農業の関係者だから、難しいとは思うがな、言い出しっぺが私だから、軽視しない方がいいぞ。
ところで、主に畑の耕作放棄農地対策としても太陽光パネルの設置は急務のはずだが、それはどうなっている? なしのつぶてだぞ。私の直轄監視領域であるにもかかわらず・・・。