
ウクライナ軍ルハンシク州撤退 ー政治的には敗北 軍事的には常識ー[2022年07月05日(Tue)]
ウクライナ軍が東部のルハンシク州から撤退しロシア軍が占領と報じられるが、政治面と軍事面では評価が逆らしい。取り残される住民もあり政治的にはウクライナの敗北だが、軍事的には戦線整理にも防衛が難しい地域からの撤退は当然とされる。ロシア軍の中にウクライナ軍が突出する形の同地域はウクライナ軍には面倒な地で、包囲殲滅(せんめつ)される前にこだわらずに撤退が妥当だと。
突出部がヤッカイとは、何度も触れた第二次大戦の「クルクス戦」も同じだった。大戦後半、ウクライナの工業都市ハリコフを巡る戦闘から派生した戦いだ。クルクス等の地域にソ連(ロシア)軍が突出したのをドイツ軍が包囲殲滅(せんめつ)しようとして最新鋭戦車等を集めたが、西側連合軍の上陸が迫る中で意思決定も遅れる内にソ連軍が予想侵攻地域を要塞化して防備を固め130万の兵と数千のT34戦車と数万の大砲、更にソレを上まわる予備兵力を後方に集結して待ち構えた。そのためドイツ軍は大損害を出し、同時期の西側連合軍による西部戦線形成(イタリア・シチリア島上陸)等もあって攻勢は短期間で終わったと。突出部攻撃側のドイツ軍は優秀な戦車部隊などで善戦したがソ連軍を包囲もできずに大損害を受け機動予備兵力を使い果たし、陣地に籠もって迎え撃つ防衛側で有利なはずのソ連軍も更なる大損害を出すなど、クルクス戦の評価は難しいそうだが、結果としてソ連軍がウクライナのキエフを奪回するなど有利な形で終わった。
今回の東部ウクライナの戦闘もウクライナ・ロシア両軍の損害等が不明なので詳しい評価はできない。恐らく両軍共に消耗したろうし、それが将来に与える影響は現段階では不明だ。だが、重火器や戦車等の重装備の数で劣るウクライナ軍の突出部の整理縮小と戦線の再構築は軍事的には当然と思う、喜劇役者出身の現大統領が如何に考えるかは別だが。
特定の戦闘の政治的評価と軍事的評価が異なる事はある。プーチンのウクライナ非難に良く出る「ナチ」が支配した第二次大戦期のドイツでも、特にドイツが守勢に回った大戦後半期は戦闘に関してヒトラーの政治的主張とドイツ国防軍の軍事的主張が異なる場合が多くなったそうだ。政治屋ヒトラーの死守命令に反して軍事的常識に従い軍事専門家の国防軍が拠点や都市から撤退しても、ヒトラーに絶対服従で無茶な徹底抗戦をしたのが武装親衛隊(WSS)だったと。ナチ党という独裁政党の親衛隊(SS)の中の武装親衛隊はナチ党の要人や施設の警備からスタートし、軍人出身者はいても軍事組織ではなかったはずだったが、ヒトラーに軍事面でも信用され優遇(エコヒイキ)され巨大化した。大戦後半には精鋭と言われた戦車師団(SS装甲師団)を幾つも持つまでになり、その面では国防軍を上まわった。
この様な軍事組織にまで及ぶ極端な政治的優遇は独裁体制ならではでもあり、ヒトラーに次ぐナチNO2で空軍創始者のゲーリング元帥も自分の空軍に戦車を配備させ「ゲーリング降下戦車軍団」まで造る始末(原語では降下装甲軍団か)。降下とはパラシュート降下兵の事だがパラシュートで戦車を飛行機から落とす訳ではない。軍団とは戦車師団と機械化歩兵師団を合せた大部隊で、イタリアで戦った事でも有名だと。イタリア上陸で上記の「クルクス線」を終わらせ西部戦線を構築した西側連合軍(米陸軍)の野蛮で有名な指揮官のパットン将軍が「オレはドイツ軍最強のゲーリング軍団を破った」と自慢した精鋭のドイツ空軍戦車部隊だ。ドイツの空軍基地警備隊や落下傘部隊等の空軍地上戦闘部隊に戦車が必要だと言って空軍の戦車部隊を造ってしまったのは、武装親衛隊の優遇にも通じる異様な状況だ。元東京都知事候補の空幕長(航空自衛隊の地上勤務組)OBの田保神が空自の基地防衛用の地対空ミサイルやゲパルト(ドイツがウクライナに供与した自走対空機関砲)のような対空兵器でなく陸自用の高価な普通の戦車を多数要求して空自に配備させるのと同じ無理な話だ。
武装親衛隊の装備面の優遇等は既述だが、大戦後半には特にヒドくなり、本当の軍隊である国防軍より最新鋭戦車等は武装親衛隊のSS戦車師団等に優先配備されるから、プラモデルでも大戦末期登場の有名なドイツ戦車の所属部隊表記シール等には武装親衛隊のモノが多いという具合だった。
今回のウクライナ危機でも、常軌を逸脱したはずのプーチンがナチと非難するウクライナの現大統領も、実は本当にヒトラーのように軍事面での常識でなく政治的な主張の「東部ウクライナ2州絶対奪回」を振り回して軍事的常識を軽視しているのではとも感じる。政治的な演技なのか、本当にヒトラー的シロウトの危うさなのか。私は両方と思う。モウいい加減に停戦を本気で考えないとな、どうせ時間がかかるから。苦しみも神の罰だが。
突出部がヤッカイとは、何度も触れた第二次大戦の「クルクス戦」も同じだった。大戦後半、ウクライナの工業都市ハリコフを巡る戦闘から派生した戦いだ。クルクス等の地域にソ連(ロシア)軍が突出したのをドイツ軍が包囲殲滅(せんめつ)しようとして最新鋭戦車等を集めたが、西側連合軍の上陸が迫る中で意思決定も遅れる内にソ連軍が予想侵攻地域を要塞化して防備を固め130万の兵と数千のT34戦車と数万の大砲、更にソレを上まわる予備兵力を後方に集結して待ち構えた。そのためドイツ軍は大損害を出し、同時期の西側連合軍による西部戦線形成(イタリア・シチリア島上陸)等もあって攻勢は短期間で終わったと。突出部攻撃側のドイツ軍は優秀な戦車部隊などで善戦したがソ連軍を包囲もできずに大損害を受け機動予備兵力を使い果たし、陣地に籠もって迎え撃つ防衛側で有利なはずのソ連軍も更なる大損害を出すなど、クルクス戦の評価は難しいそうだが、結果としてソ連軍がウクライナのキエフを奪回するなど有利な形で終わった。
今回の東部ウクライナの戦闘もウクライナ・ロシア両軍の損害等が不明なので詳しい評価はできない。恐らく両軍共に消耗したろうし、それが将来に与える影響は現段階では不明だ。だが、重火器や戦車等の重装備の数で劣るウクライナ軍の突出部の整理縮小と戦線の再構築は軍事的には当然と思う、喜劇役者出身の現大統領が如何に考えるかは別だが。
特定の戦闘の政治的評価と軍事的評価が異なる事はある。プーチンのウクライナ非難に良く出る「ナチ」が支配した第二次大戦期のドイツでも、特にドイツが守勢に回った大戦後半期は戦闘に関してヒトラーの政治的主張とドイツ国防軍の軍事的主張が異なる場合が多くなったそうだ。政治屋ヒトラーの死守命令に反して軍事的常識に従い軍事専門家の国防軍が拠点や都市から撤退しても、ヒトラーに絶対服従で無茶な徹底抗戦をしたのが武装親衛隊(WSS)だったと。ナチ党という独裁政党の親衛隊(SS)の中の武装親衛隊はナチ党の要人や施設の警備からスタートし、軍人出身者はいても軍事組織ではなかったはずだったが、ヒトラーに軍事面でも信用され優遇(エコヒイキ)され巨大化した。大戦後半には精鋭と言われた戦車師団(SS装甲師団)を幾つも持つまでになり、その面では国防軍を上まわった。
この様な軍事組織にまで及ぶ極端な政治的優遇は独裁体制ならではでもあり、ヒトラーに次ぐナチNO2で空軍創始者のゲーリング元帥も自分の空軍に戦車を配備させ「ゲーリング降下戦車軍団」まで造る始末(原語では降下装甲軍団か)。降下とはパラシュート降下兵の事だがパラシュートで戦車を飛行機から落とす訳ではない。軍団とは戦車師団と機械化歩兵師団を合せた大部隊で、イタリアで戦った事でも有名だと。イタリア上陸で上記の「クルクス線」を終わらせ西部戦線を構築した西側連合軍(米陸軍)の野蛮で有名な指揮官のパットン将軍が「オレはドイツ軍最強のゲーリング軍団を破った」と自慢した精鋭のドイツ空軍戦車部隊だ。ドイツの空軍基地警備隊や落下傘部隊等の空軍地上戦闘部隊に戦車が必要だと言って空軍の戦車部隊を造ってしまったのは、武装親衛隊の優遇にも通じる異様な状況だ。元東京都知事候補の空幕長(航空自衛隊の地上勤務組)OBの田保神が空自の基地防衛用の地対空ミサイルやゲパルト(ドイツがウクライナに供与した自走対空機関砲)のような対空兵器でなく陸自用の高価な普通の戦車を多数要求して空自に配備させるのと同じ無理な話だ。
武装親衛隊の装備面の優遇等は既述だが、大戦後半には特にヒドくなり、本当の軍隊である国防軍より最新鋭戦車等は武装親衛隊のSS戦車師団等に優先配備されるから、プラモデルでも大戦末期登場の有名なドイツ戦車の所属部隊表記シール等には武装親衛隊のモノが多いという具合だった。
今回のウクライナ危機でも、常軌を逸脱したはずのプーチンがナチと非難するウクライナの現大統領も、実は本当にヒトラーのように軍事面での常識でなく政治的な主張の「東部ウクライナ2州絶対奪回」を振り回して軍事的常識を軽視しているのではとも感じる。政治的な演技なのか、本当にヒトラー的シロウトの危うさなのか。私は両方と思う。モウいい加減に停戦を本気で考えないとな、どうせ時間がかかるから。苦しみも神の罰だが。