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追悼 元台湾総統 李登輝博士 [2020年07月30日(Thu)]
生きていて欲しい命は死ぬ。惜しい者は死に、惜しくない者は生き延びる。台湾元総統の李登輝博士が病死した。97歳。誤って牛乳が肺に入った誤嚥(ごえん)性肺炎とはコロナの疑いも消せないが、とにかく、私には先年のタイ王国9代王の崩御に近い感覚だ。
 TVでは盛んに「台湾民主化・対中独立派の旗頭」「初の民選総統(大統領)」「大の親日家」などの話が報じられる。最近NHKで台湾新幹線事業を日本人が指導したドラマ「路」が放送され、バカでズサンなフランス人がいったんは受注しスタートした事業を親日家の李登輝が途中から日本式に改めようとし、後から入った日本人が大変な苦労をした話が描かれていたはずだ、シロウト向けに改変されてはいるだろうが。

 再三述べてきたが、李登輝博士は表面的にも私と同じ農業経済系の研究職、一般に言う学者の形式を持っている。欧米型社会では高等専門教育とは大学院教育で、修士くらい持つのは当たり前、高位者は博士号を持つのは一種のステータスシンボルでもある。その基準から言うと日本の大人数手抜き教育の文系学部レベルしか経験しない者は高等教育を受けていないのと同じなのだが。博士号取得は戦後の米国コーネル大学だが、日本統治時代に京都大学の農業経済学科に留学し日本で軍に入隊。終戦での帰国後は中国国民党の腐敗圧政、反日統治の中で研究系として生き延びていた?所を政界に転じた形だそうだ、それが本来の目的かも知れないが。東大と京大の違いはあっても私の同窓生の東大農業経済学科の大学院の台湾人留学生達にとっては誇りの大先輩だった。
 この点をやや深く述べれば、数では大半を占める純粋の台湾人「内省人」の中に親日家が多い台湾でも、特に日本統治を高く評価し日本を尊敬する領域の人間だ。戦後の台湾人は表向きには中国から侵入した国民党の中国化政策で半中国人に成り下がったが、台湾の日本人英雄・八田与一等の功績が影で強く語り継がれ、対中独立の機運の上昇も重なって再びスポットライトを浴び、朝鮮スパイ(日本人に連れられ台湾に入った後に戦後は日本人の財産を奪ったりした朝鮮人)の憎悪の対象ともなったのは既述の通り。八田与一の巨大利水事業のオカゲで水の足りない荒野から沃野に変わった台湾南部平原などの話に文系的な領域で最も近いのが農業経済学で、内省人には日本の有名国立大学の農業経済学科に留学するのが最エリートコースという状況の象徴でもあるのが李登輝博士だった。
 更に私との関係を述べれば、八田与一が東大工学部(当時の東京帝国大学、工科大学時代だろうか)の土木工学科で河川工学を学んだ技師だった点だ。台湾政府(大日本帝国台湾総督府)の内務省に当たる民生部門の技術官僚だった八田は、官僚こそ武士の後を受ける最高の出世コースで内務省が最強の官庁、「土木と警察(共に内務省系)は国家統治の二本柱」と言われた戦前の日本の超エリートだった訳だが、全てを投げうって台湾建設のために身を投じ、世界最大規模の大用水事業の指導者となって工事を成功に導いた。台湾総督に後の日露戦争時の陸軍大陸派遣軍総参謀長の児玉源太郎、民生部門の長に鉄道院総裁や東京市長や内務大臣等を歴任し関東大震災後には復興院の長を兼ねた後藤新平が居た時代だろうか、八田与一が活躍した時代は。
 その東大土木の河川工学の教授の息子だから台湾の留学生は農業経済学科の教官なんぞより私を重視さえしたのだと思っていた。朝鮮人に「生きる価値のないウジ虫」と洗脳され字の読み書きにも不自由し人生に希望も何も無かった当時の私は、これは自身の意味のオカゲではなくて朝鮮系スパイの自称・父親のオカゲと勘違いさせられていたが。留学生達は台湾を今日の繁栄に導く基礎を造った日本統治時代の大英雄で半ば神格化された八田与一の母校の東大の最有力講座の専門の教授ポストが実は朝鮮系スパイに明け渡されていた事実を理解していたのかは不明だが。

 その上に東大土木は公共事業官庁的側面が強かった鉄道省(今の全JRグループが一体化していたもの)や戦後の国鉄にも多数の最高幹部を常に送り込み続けていた関係で、私自身も子供の頃から鉄道に強い関心を持った。親しかった東大農業経済学科大学院の同窓生(修士号取得)に「卒業し帰国したら台湾で新幹線を造る会社に入る」とか述べていた者がいたのは、既にストーリーが出来ていたのか。台湾新幹線の日本式導入に舵を切ったのが日本留学組の農業経済学博士の李登輝総統で、その組織の幹部になったのが東大卒の農業経済学の修士と・・・。
 そんな話が私には目白押しだった。東大の教養課程から経済学部への同級生で親しい知人の父親が運輸省の事務次官になって成田空港公団総裁になり、その折に私の農村改良思想を模した21世紀型実験村構想で地元反対派農民が用地提供に合意して出来たのが今の成田の第2滑走路と言った話と同様に。その運輸省が合意して建設省と合体したのが国土交通省だが、私はここでも上手く安く使われていただけのようだな、私をイケニエにした連中のために。


 死因の誤嚥性肺炎とは私の自称・叔母とも同じで、その意味でも不思議ではあるが、今は、この程度にしておく。李登輝博士に関する話を書き始めれば一晩でも二晩でも書き続けねばならないが、極度の睡眠相障害で頭も目も少々苦しい。それに、コロナ渦で私の立場に私自身も自覚しなければならなくなった。神の使わした元首の元首となれば、英雄の大総統とて家臣だが、タイ王国9代王や李登輝博士は別格とし「極めて大切な友人」だったとしておく。大切な友人の死去に際して追悼した。
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