CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 「みまひな」も生け贄 ー世界大会で審判不正ー | Main | 悠仁様テロ犯人逮捕 ー犯人の出自等は未発表ー »
<< 2020年04月 >>
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
まいける東山
中国の腐敗と天罰 (05/21)
最新トラックバック
中国キリスト教拡大 ー一億人超え弾圧激化ー[2019年04月29日(Mon)]
中国のキリスト教徒が推定一億人を超え中国共産党の党員数を上まわり、共産独裁政府による弾圧が激化と報じられる。赤魔と呼ばれる腐敗の強烈な独裁中国では弱者救済(権力批判)や清貧(反腐敗)を教える宗教は危険なのだ。
 中国各地でキリスト教会組織の解体が図られ、聖職者は逮捕され、教徒は暴行され同じ教会の教徒と二度と関わらないよう脅されるそうだ。職も失うが、弾圧を受けた側には「職を失っても怖くない」と大昔の日本でも聞いたような弾圧下のキリスト教徒らしい発言もある。

 どうやら、単に教徒数が党員数を超えただけではなく、共産党を上まわり脅かす勢力となりつつあるのを共産党に警戒されているとも感じる。一口にキリスト教といっても大分類だけで新教や旧教など様々なグループがあるし、教会ごとに別々の聖職者に付くから社会に対する考え方も統一されないはず。なのに、これだけ独裁政府から警戒されるのは、「反腐敗」を当然のように教え広がる宗教が共産党独裁国家には怖いのだ。
 なぜなら、かつで中国共産党自身がやったことだから。古い中国社会の古代帝国から進歩せぬ封建制度や腐敗の極みの資本主義での資本家や中国国民党を批判して革命闘争?を起こして権力を獲得したからだ。同じ事をキリスト教徒がやりかねないと感じて強く警戒しているのだ。革命を起こした張本人が腐敗して革命を起こされるのを警戒しているのだ。自分がやったことだから良く分かるのだ。鏡を見て怯えているのだ。

 中国のキリスト教徒も決してマジメな動機だけでなく、単に金持ちに見える西洋的アクセサリーとか、欧米移民時の教養教育程度のつもりで始めた者も多かったようだ、最初は。腐敗によって不正蓄財した共産党幹部一族が不正資金を使って移民してカネも送って隠して相手国(キリスト教国)に潜み溶け込んで贅沢な生活を送る上で必要な英会話程度に考えてキリスト教を子弟に学ばせたら、自分らの不正を嫌う考えを吹き込まれてしまった、といった話も多いのでは。最初の動機は褒めたものではなかったようだな、中国人らしく。
 しかし、一度キリスト教に触れると共産党の腐敗に嫌気が差して党から離れてしまう党員もいると言うから、少し驚いている、あの中国人がと。腐敗を抜いたら何も残らない中国人が。最初の動機が悪くても後から意外な成果を生んだのかもしれないし、当局側が警戒するのも単なる被害妄想もといいきれないらしいから、深刻なのだ。



 さて、ここまでが一般的解釈だが、これからは私の意見だ。

 中国のキリスト教徒に言っておく。信仰とは何だ? 教会に集まって聖書を読んで聖職者の説教を聞くだけが信仰か? もちろん、それは一般的な形だろうが、形にこだわる限りは信仰の入り口に過ぎない。
 聖職者や聖書が無いとダメなのか? そうではあるまい。信仰とは何か。神とつながることだろう? 聖職者とか聖書とか教会とかキリスト教組織とか、全ては手段であって目的ではない。目的は神だ。それを忘れるな。神が大切なのだ。神を信じる心が大切なのだ。それが目的なのだ。
 だから、無理に教会に集まる必要は無い。無理に聖職者に頼る必要もない。一人で静かに神を信じろ。そこでは聖書すら必要ないはずだ。

 「万象に神意を見る者は幸なり」
 この古い言葉か全てだ。世界の大災害だけ見ても,実に良く神の意思が表れている。それを読め。古い聖書よりハルカに勉強になる生きた教材だ。生きた聖書だ。外国の災害のニュースなら中国内でも検閲なしで知ることが出来るはずだ。「外国は災害ばかり。中国共産党の統治する中国だけは安心」とか言いたいだろうからな、中共も。
 私の言葉で言う。
 「万象を聖書となせる者は幸なり」

 それに、聖書は欧米人のローカルなモノであって決して全世界人類的な普遍的なモノではない。大昔の原始キリスト教やユダヤ教当時の布教の範囲内で現地人を納得させ得る内容にしてあるから、それ以外の地域や時代では別の聖書,少なくとも追加が必要だったはずなのに、それが無かった。だから、古い聖書にこだわると反捕鯨テロ問題のようなキリスト教の理想と逆な野蛮な行為、信仰の普遍性を冒涜する蛮行を聖書のせいにして正当化する野蛮が横行するのだ。
 弾圧回避の必要のある機会を捕らえて、聖書からも卒業した真に普遍的な信仰を目指せ。聖書も教会も聖職者も無いと信仰が維持できないというなら、それは真の信仰ではない。それに適応できるか否か。それがオマエ達に課せられた真の試練だ。耐え抜け。さもなくば辞めろ、ニセ信徒は。

 この「教会も聖書も必須ではない」といった言葉は弾圧者側にも都合良く解釈される可能性はある。「真の信仰には組織も教会も必要ないから当局の指示に従って今の活動はやめろ」とな。しかし、これこそが信仰の真の姿だ。かつて世俗化しすぎたカソリック教会組織に対抗してプロテスタントが起って「教会組織ではなく聖書により所を求める」としたように、今度は教会という場も聖書という教科書も離れて神を信じてみろ。そこに新しいモノが見えてくる。弾圧でムダ死にしないで済むし、砂漠地帯の習慣等に基づく聖書の表面的な記述は他地域・他文明地域では参考にならないものも多いのだし。

 今、抵抗しても無駄死を招く。やめろ。知らぬ顔で普通に生きろ。キリスト教の表面的な形にこだわるな。心に神を持て。普段は知らぬ顔でいろ。真の信仰はスタイルではなく心の中で成すモノだ。殉教は名誉と考えるキリスト教徒もいるが、自殺はキリスト教が禁じるモノであって、結果が自殺と同じでは意味が無い。自重して時を待て。自身を温存して神の国の到来を迎えよ。貴様らが真に神に仕えたいなら、神の帝国に仕えるまで待て、赤い帝国の赤魔独裁の牢獄なんぞに仕えるのではなく。それまで政治は腐敗嫌いの習近平に任せておけ。赤魔の崩壊は必ず来るが、それは神の成せる技であって、個々の教徒の力ではない。自身の限界を自覚し、自己満足の自殺やフライングは避けよ。


●追記
 この文章にも変調が出ていた。表題が「中国のキリ」と欠けて表示されることがあった、原稿に不備は無いのに。またハッキング妨害かね。だからアクセス数の増加が遅れて卓球騒動の文章にばかり注目が集まるのか。中国系の仕業か、ソンタククサレ小役人か・・・。
この記事のURL
https://blog.canpan.info/thaikingdom/archive/2264
トラックバック
※トラックバックの受付は終了しました
 
プロフィール

高橋洋一さんの画像
リンク集
https://blog.canpan.info/thaikingdom/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/thaikingdom/index2_0.xml