タイ元首相一族引退? ータイ政治騒乱で新展開ー[2014年04月23日(Wed)]
親中政権反対の巨大デモのタイで、クーデター以来国外逃亡中のタクシン元首相が「混乱終結のためタクシン一族の政界引退を容認」との発言をした。実現するとすれば、タイの政治上、極めて大きな転機となろう。
最近の日本はちょっとしたタイブーム。ココナッツミルクも使ったカップ麺「トムヤムクン味」が大人気で製造が追いつかず、いったん販売中止とか。タイでは元から強い日本ブームが続いていたのだがな、日本人が知らないだけで。
人気といえば、かつてのタクシンの農村重視政策が強い人気を得たタイでは、タクシンは与党側にとって英雄だ。与党支持者と言わずに「タクシン派」、反政府派といわないで「反タクシン派」だから。タクシンこそが最近のタイの政治の動きの中心だった、良くも悪くも。
タクシンの追放後も、それにあやかろうとする与党がシロウトの妹インラックを党首・首相に担ぎ出したは良いが、政治新人の若い女性首相では部下の監視監督もままならぬ有様。無理な政策が単なる人気取りとなって破たんしたり、与党・政府内に王室の敵であるはずの中国や手先の韓国がらみの巨大な腐敗を多発させたり。ついには反政府巨大デモで国内が混乱に陥り、首相の辞職後に暫定政権となっても政府批判は収まらず、今日の膠着状態に至っている。
それが、タイの正月「ソンクラン」の終了後、ついに外国にいるタクシン自身が事態の収束に向けて動き出したようだ、自分の一族の政界引退という犠牲を払ってでも。
私は「インラックは辞めたくても辞められない状態に陥っているだろうから、まじめにタクシンに感謝している者ならば、インラック暫定首相をやめさせてやれ」とか書いてきたが、タクシン派支持者内ではなかなかむずかしく、ついに兄のタクシン自身が、そう言い出したのだ、私の言に従うような形で。
さて、どう動くかね。タクシンが自分を犠牲にしてでも混乱を終わらせたいと言い出したのだから、これにうまく乗るべきと思うが。次の統治構造を構想するにも、政治抗争の中心であったタクシン一族の引退は、そのステップになるはずだ。
次の統治形態だが、選挙をすれば混乱が続くだけかもしれない。議会の状況は別として、王室の権威のもとに統治を担う最高行政院とかを設置して見解を政党が重視するとかが必要か。また、問題になった治水や高速鉄道などの大型公共事業を王室組織の直轄として政治から距離を取らせ、中国・韓国やその手先の腐敗政治屋の食い物にさせない方法も考えられる。鉄道などは私が直轄で監視すべき領域だろうな、何らかの意味で。コメの買い取り制度なども、王室の大型コメ事業体(公共商社)を設けて扱わせるとか。
いずれにせよ、まず私自身がどうなるかさえ分からないので、確かなことは言えないのだが、タイ人も私の言う事なら聞くようだから。ならば、私をちゃんと呼ぶことも考えろよ、タイ人。
ところで、今年の私の誕生日月である5月、東京の代々木公園ではタイ関係のフェスティバルが目白押し。元祖の「タイ フェスティバル2014」が5月17日(土)18日(日)と今年はやや遅いと思ったら、普段のタイフェスの時期の5月10日(土)11日(日)には「ソンクラン(タイ正月)フェスティバル」。更に5月31日(土)6月1日(日)にはタイを含むメコン川流域諸国の「メコン ダンス フェスティバル」。4週にわたってタイ尽くしとなる。日本でのソンクランフェスは以前は本物に近い3月下旬だったようだが、なぜか5月に移動してきた。
やはり、私の誕生日月だけのことはある、か。本来タイ人には、お釈迦様の誕生日の4月が正月だが、日本ではこれが5月にずれるわけだ、私の誕生月の。大いに結構だが、単純に桜の花見と重なると人出が減るので避けただけかもしれない。が、昨年のタイフェスでの関係者の私のシンボルカラー(誕生曜日の色)のオレンジ色の衣装と同じで。だが、もう、とぼける必要もないか、2014年早々、皇女まで誕生した以上・・・。私の誕生日月だ。関係者はこぞって祝うべし。
最近の日本はちょっとしたタイブーム。ココナッツミルクも使ったカップ麺「トムヤムクン味」が大人気で製造が追いつかず、いったん販売中止とか。タイでは元から強い日本ブームが続いていたのだがな、日本人が知らないだけで。
人気といえば、かつてのタクシンの農村重視政策が強い人気を得たタイでは、タクシンは与党側にとって英雄だ。与党支持者と言わずに「タクシン派」、反政府派といわないで「反タクシン派」だから。タクシンこそが最近のタイの政治の動きの中心だった、良くも悪くも。
タクシンの追放後も、それにあやかろうとする与党がシロウトの妹インラックを党首・首相に担ぎ出したは良いが、政治新人の若い女性首相では部下の監視監督もままならぬ有様。無理な政策が単なる人気取りとなって破たんしたり、与党・政府内に王室の敵であるはずの中国や手先の韓国がらみの巨大な腐敗を多発させたり。ついには反政府巨大デモで国内が混乱に陥り、首相の辞職後に暫定政権となっても政府批判は収まらず、今日の膠着状態に至っている。
それが、タイの正月「ソンクラン」の終了後、ついに外国にいるタクシン自身が事態の収束に向けて動き出したようだ、自分の一族の政界引退という犠牲を払ってでも。
私は「インラックは辞めたくても辞められない状態に陥っているだろうから、まじめにタクシンに感謝している者ならば、インラック暫定首相をやめさせてやれ」とか書いてきたが、タクシン派支持者内ではなかなかむずかしく、ついに兄のタクシン自身が、そう言い出したのだ、私の言に従うような形で。
さて、どう動くかね。タクシンが自分を犠牲にしてでも混乱を終わらせたいと言い出したのだから、これにうまく乗るべきと思うが。次の統治構造を構想するにも、政治抗争の中心であったタクシン一族の引退は、そのステップになるはずだ。
次の統治形態だが、選挙をすれば混乱が続くだけかもしれない。議会の状況は別として、王室の権威のもとに統治を担う最高行政院とかを設置して見解を政党が重視するとかが必要か。また、問題になった治水や高速鉄道などの大型公共事業を王室組織の直轄として政治から距離を取らせ、中国・韓国やその手先の腐敗政治屋の食い物にさせない方法も考えられる。鉄道などは私が直轄で監視すべき領域だろうな、何らかの意味で。コメの買い取り制度なども、王室の大型コメ事業体(公共商社)を設けて扱わせるとか。
いずれにせよ、まず私自身がどうなるかさえ分からないので、確かなことは言えないのだが、タイ人も私の言う事なら聞くようだから。ならば、私をちゃんと呼ぶことも考えろよ、タイ人。
ところで、今年の私の誕生日月である5月、東京の代々木公園ではタイ関係のフェスティバルが目白押し。元祖の「タイ フェスティバル2014」が5月17日(土)18日(日)と今年はやや遅いと思ったら、普段のタイフェスの時期の5月10日(土)11日(日)には「ソンクラン(タイ正月)フェスティバル」。更に5月31日(土)6月1日(日)にはタイを含むメコン川流域諸国の「メコン ダンス フェスティバル」。4週にわたってタイ尽くしとなる。日本でのソンクランフェスは以前は本物に近い3月下旬だったようだが、なぜか5月に移動してきた。
やはり、私の誕生日月だけのことはある、か。本来タイ人には、お釈迦様の誕生日の4月が正月だが、日本ではこれが5月にずれるわけだ、私の誕生月の。大いに結構だが、単純に桜の花見と重なると人出が減るので避けただけかもしれない。が、昨年のタイフェスでの関係者の私のシンボルカラー(誕生曜日の色)のオレンジ色の衣装と同じで。だが、もう、とぼける必要もないか、2014年早々、皇女まで誕生した以上・・・。私の誕生日月だ。関係者はこぞって祝うべし。