
NATOと旧ソ連軍等の武器の違い ー似て見えても別の兵器ー[2022年05月17日(Tue)]
第二次大戦中にドイツが開発した「アサットライフル」が戦後はソ連に奪われソ連規格の弾丸用に修正され「カラシニコフ銃」となって大量生産された説や、同じくドイツ軍の機関銃が戦後も修正されるなどして長く使われた話は以前にも書いたはず。ウクライナ危機で盛んに旧東西陣営の武器の違いや細かい大砲の口径の違いが語られるようになったが、理解していないTV屋も多いようだ。
銃や大砲は口径が1_違っても全く別の兵器で同じ弾丸は使えない。155_砲と150_砲は全く違うから米軍は155_榴弾砲用の砲弾も送らねばならない。NATO諸国の兵器と旧ソ連軍系の兵器も違うし、単純な弾丸などでもNATO規格と旧ソ連系規格では異なるから単純な銃でも共通にできない。最近はTVで旧ソ連系のウクライナ軍の武器と支援するNATO側の兵器の違いが取り上げられるようになったが、最前の「口径が1_違えば別の武器」等になると分からないTV屋も多いだろう、単なる専門家への質問の「振りの文句」で知らぬフリかも知れないが。
それに、思想や用途の違いで同じ口径の大砲でも全く内容が異なったりする。T34対策もあって強化されたドイツ軍の主力戦車の75_砲は、口径は同じでも砲身の長さが2倍ほどにもなり、弾丸の発射速度が上がって対戦車戦向きとなった。更にドイツに対抗する形でソ連軍がT34の砲を強化し76_砲を長砲身の85_砲に換えたが、最高の対戦車砲と言われたドイツの88_砲に口径が近いのに砲弾の重量が全く小さく、速射向けではあっても威力はハルカに劣った。この同じ88_口径の対戦車砲もタイガーTからタイガーUでは砲身が長くなって強化された。これに匹敵するソ連の戦車砲は榴弾砲から砲弾ごと転用した砲弾の大きいJS重戦車の122_砲くらいだったろうか。これらは、各国の生産技術や兵の練度の違い、考え方の違いによる大きな差だ。
この「弾丸が違えば別の銃」とは以前にも取り上げた記憶がある。旧ドイツ軍の機関銃が敗戦後に東西両陣営に奪われたり採用されたりして、弾丸の規格変更等で別の銃となって長く使われた話だ。
代表例が「カラシニコフ銃」と呼ばれたモノだろう。元はドイツ軍が大戦後半に開発投入した「突撃銃」、一般には「アサットライフル」とか呼ばれるもので、第二次大戦期には先進的な高性能銃だったようだ。ドイツ軍は主に分隊長の下士官にMP・マシーネピストルという小さなサブマシンガン・短機関銃を持たせ、機関銃(MG)の銃身交換などの隙間を埋め、接近戦や市街戦で使ったり。小脇に抱えて使える軽量コンパクトな高性能銃だったが、自動拳銃の名の通りピストルの連発版、強化版のようなもので、弾丸の重量も威力も小さく、固定銃床もなく銃の一部を肩に当てて狙いを定める場合は折りたたみスタンドを引き出した。遠くの目標を正確に狙うための銃ではなかった。
一方でドイツ軍はスタンドに置いて使う重機関銃と、地面に置いて銃手が銃床を肩に付けて撃つ軽機関銃を別の銃とせずに共通化、汎用化しMG(マシーネゲブェーア)とした。軽機関銃は重機関銃と分けて小型軽量にする国が多いのに統一されたドイツ軍では軽機関銃が極めて強力となり、ドイツ軍の攻撃力を支えた。が、やはりMGは軽機関銃としてはヤヤ大きく重く、更にMP的に手に持って目前に迫る敵を撃つには向かない。大戦初期の主力のMG34を改良して量産性を高めコストダウンを図ったタイプが大戦後半の1942年に量産開始したMG42。弾丸発射数が当初は毎分1200発だったのが改良で毎分1500発(毎秒25発)になり、一部の型では毎分1800発に達したと。反動が大きくなり射撃精度がヤヤ落ちたが発射数がそれを補った。大きな射撃音は布を切り裂くようで銃手は難聴になったとか。これは世界最高度の性能だったが、手に持って陣地戦や接近戦や市街戦等で小回り良く使うには別の全自動銃が必要だった。
MPは小さすぎMGは大きすぎる面があった。狙撃の出来る単発のライフル銃と全自動連射が出来るMPの中間的な銃も求められ、開発されたのが突撃銃・StG44。量産までにはMP43とかMP44とか呼ばれた事もあるように、MPに近い軽量コンパクトな全自動銃(連発銃)だが弾丸はMPより大きく威力は増した。弾丸の大型化で弾倉は湾曲したバナナ型、固定式銃床も備え遠くを正確に狙うのも楽になった。発射ガスによる連発装置のため銃身の上に別の筒がある複雑だが洗練された構造だった。終戦間際に戦場に登場したが、敗色濃いドイツ軍では活躍の場も少なく、アマリ有名にならずに終わったのも、コレがドイツの銃だと知らない者が多い理由か。
ドイツ敗戦後にドイツを占領したソ連軍は、ロケット開発者らと同様、突撃銃の専門家を連行し、優秀なドイツの突撃銃をソ連規格の弾丸に合うよう設計を小規模に修正し簡素化させたとの説を15年ほど前に始めて聞いた。カラシニコフはドイツのStG44や米軍の銃を参考にして有名なカラシニコフ銃を開発とされているが、実際には小規模な修正作業をやらせただけで開発者と宣伝されたらしいと。中国がパクリ新幹線車輌について「先進諸国(日独など)の車輌を参考に中国が独自開発」とウソをつくのと同じかと思ったものだ。それが戦後の共産圏の軍や支援用に極めて多数が使われ、「小さな大量破壊兵器」とまで言われたカラシニコフ銃だが、決して真の開発者の名ではないとの説も知っておくべきだ、知る者は少ないが。
一方、これまた優秀なドイツのMG42機関銃は西側となった西ドイツに残り、修正されたり、様々な派生型や模倣品が様々な国で戦後も長く使われたと。
このように規格の差で弾丸の直径が0.1_違うだけで別の兵器となる。その元の名前や開発国など知らず、盗まれて修正された後しか知らない者も多い。ドイツの技術を盗まざるを得なかった遅れた旧ソ連の兵器が共産圏で長く使われ、北朝鮮軍の一部武器が未だにソ連系でなく第二次大戦期のドイツの武器の雰囲気を残していたりするが、意味が分からぬ者が大半だろう、ソレを伝えるTV屋でも。
銃や大砲は口径が1_違っても全く別の兵器で同じ弾丸は使えない。155_砲と150_砲は全く違うから米軍は155_榴弾砲用の砲弾も送らねばならない。NATO諸国の兵器と旧ソ連軍系の兵器も違うし、単純な弾丸などでもNATO規格と旧ソ連系規格では異なるから単純な銃でも共通にできない。最近はTVで旧ソ連系のウクライナ軍の武器と支援するNATO側の兵器の違いが取り上げられるようになったが、最前の「口径が1_違えば別の武器」等になると分からないTV屋も多いだろう、単なる専門家への質問の「振りの文句」で知らぬフリかも知れないが。
それに、思想や用途の違いで同じ口径の大砲でも全く内容が異なったりする。T34対策もあって強化されたドイツ軍の主力戦車の75_砲は、口径は同じでも砲身の長さが2倍ほどにもなり、弾丸の発射速度が上がって対戦車戦向きとなった。更にドイツに対抗する形でソ連軍がT34の砲を強化し76_砲を長砲身の85_砲に換えたが、最高の対戦車砲と言われたドイツの88_砲に口径が近いのに砲弾の重量が全く小さく、速射向けではあっても威力はハルカに劣った。この同じ88_口径の対戦車砲もタイガーTからタイガーUでは砲身が長くなって強化された。これに匹敵するソ連の戦車砲は榴弾砲から砲弾ごと転用した砲弾の大きいJS重戦車の122_砲くらいだったろうか。これらは、各国の生産技術や兵の練度の違い、考え方の違いによる大きな差だ。
この「弾丸が違えば別の銃」とは以前にも取り上げた記憶がある。旧ドイツ軍の機関銃が敗戦後に東西両陣営に奪われたり採用されたりして、弾丸の規格変更等で別の銃となって長く使われた話だ。
代表例が「カラシニコフ銃」と呼ばれたモノだろう。元はドイツ軍が大戦後半に開発投入した「突撃銃」、一般には「アサットライフル」とか呼ばれるもので、第二次大戦期には先進的な高性能銃だったようだ。ドイツ軍は主に分隊長の下士官にMP・マシーネピストルという小さなサブマシンガン・短機関銃を持たせ、機関銃(MG)の銃身交換などの隙間を埋め、接近戦や市街戦で使ったり。小脇に抱えて使える軽量コンパクトな高性能銃だったが、自動拳銃の名の通りピストルの連発版、強化版のようなもので、弾丸の重量も威力も小さく、固定銃床もなく銃の一部を肩に当てて狙いを定める場合は折りたたみスタンドを引き出した。遠くの目標を正確に狙うための銃ではなかった。
一方でドイツ軍はスタンドに置いて使う重機関銃と、地面に置いて銃手が銃床を肩に付けて撃つ軽機関銃を別の銃とせずに共通化、汎用化しMG(マシーネゲブェーア)とした。軽機関銃は重機関銃と分けて小型軽量にする国が多いのに統一されたドイツ軍では軽機関銃が極めて強力となり、ドイツ軍の攻撃力を支えた。が、やはりMGは軽機関銃としてはヤヤ大きく重く、更にMP的に手に持って目前に迫る敵を撃つには向かない。大戦初期の主力のMG34を改良して量産性を高めコストダウンを図ったタイプが大戦後半の1942年に量産開始したMG42。弾丸発射数が当初は毎分1200発だったのが改良で毎分1500発(毎秒25発)になり、一部の型では毎分1800発に達したと。反動が大きくなり射撃精度がヤヤ落ちたが発射数がそれを補った。大きな射撃音は布を切り裂くようで銃手は難聴になったとか。これは世界最高度の性能だったが、手に持って陣地戦や接近戦や市街戦等で小回り良く使うには別の全自動銃が必要だった。
MPは小さすぎMGは大きすぎる面があった。狙撃の出来る単発のライフル銃と全自動連射が出来るMPの中間的な銃も求められ、開発されたのが突撃銃・StG44。量産までにはMP43とかMP44とか呼ばれた事もあるように、MPに近い軽量コンパクトな全自動銃(連発銃)だが弾丸はMPより大きく威力は増した。弾丸の大型化で弾倉は湾曲したバナナ型、固定式銃床も備え遠くを正確に狙うのも楽になった。発射ガスによる連発装置のため銃身の上に別の筒がある複雑だが洗練された構造だった。終戦間際に戦場に登場したが、敗色濃いドイツ軍では活躍の場も少なく、アマリ有名にならずに終わったのも、コレがドイツの銃だと知らない者が多い理由か。
ドイツ敗戦後にドイツを占領したソ連軍は、ロケット開発者らと同様、突撃銃の専門家を連行し、優秀なドイツの突撃銃をソ連規格の弾丸に合うよう設計を小規模に修正し簡素化させたとの説を15年ほど前に始めて聞いた。カラシニコフはドイツのStG44や米軍の銃を参考にして有名なカラシニコフ銃を開発とされているが、実際には小規模な修正作業をやらせただけで開発者と宣伝されたらしいと。中国がパクリ新幹線車輌について「先進諸国(日独など)の車輌を参考に中国が独自開発」とウソをつくのと同じかと思ったものだ。それが戦後の共産圏の軍や支援用に極めて多数が使われ、「小さな大量破壊兵器」とまで言われたカラシニコフ銃だが、決して真の開発者の名ではないとの説も知っておくべきだ、知る者は少ないが。
一方、これまた優秀なドイツのMG42機関銃は西側となった西ドイツに残り、修正されたり、様々な派生型や模倣品が様々な国で戦後も長く使われたと。
このように規格の差で弾丸の直径が0.1_違うだけで別の兵器となる。その元の名前や開発国など知らず、盗まれて修正された後しか知らない者も多い。ドイツの技術を盗まざるを得なかった遅れた旧ソ連の兵器が共産圏で長く使われ、北朝鮮軍の一部武器が未だにソ連系でなく第二次大戦期のドイツの武器の雰囲気を残していたりするが、意味が分からぬ者が大半だろう、ソレを伝えるTV屋でも。