• もっと見る
世のため人のためにお役に立つCANPANブログ
名前寺内 昇
年齢55歳
性別
星座おひつじ座
血液型A型
都道府県北海道北竜町
家族構成妻、長男、長女
1956年:埼玉県浦和市生まれ。航空自衛官である父の転勤により、生後1か月で静岡県浜松市へ。今でも浜松の大凧祭りのことをかすかに覚えている(ような気がする)。

3歳のときに、愛知県小牧市へ転居。大規模な官舎で、年齢の上下関係なく小学生同士で遊ぶ。小牧山を遊び場として、野いちごやスカンポで喉を潤わせながら、山林を駆け回る。

小学校3年の夏に、東京都府中市へ引越し。今までの引越し回数は、市内での移動を含め合計7回。小学校時代は、少年野球、サッカーに夢中。きかん坊で、学級委員会では非難ごうごう。何故か学級委員長を歴任。

中学時代は、バレーボールに明け暮れる。キャプテン。中学2年のときに、現在の妻と同級生になる。アプローチするも実らず。

1975年:都立国立高校卒。高校時代もバレーボールに夢中になる。

1979年:東京商船大学卒。大学は全寮制。一部屋の構成が1年生から4年生までの男4人という生活を、4年間経験する。酒漬けになりつつ、ラグビー部に所属しアルコールを抜く。スキー同好会、海難研究会に所属。100時間漂流実験被験者。大型バイクで有明に行くことが息抜き。
卒業時の遠洋航海は、帆船日本丸でハワイ就航。ハワイ島ヒロで開催された第18回太平洋国際祭での日本丸祭委員長。みこしを作り、100名ほどでパレードする。

1979年:甲種船長合格。三光汽船に就職し、タンカーの航海士として世界15か国に就航、スエズ運河3往復、14ヶ月の乗船中、休日2日。ペルシャ湾の23万ストレージタンカー(原油タンクとして原油の積降を行う)に6か月乗船、一歩も陸を踏まない経験を積む。その後、陸上勤務となり、海務監督補佐を勤める。

1981年:中学生のときアプローチしてふられた同級生と26歳で結婚。同級生から「信じられない」を連発される。

1985年:三光汽船が戦後最大の負債で倒産。リクルート活動やご縁により転職し、外資系商社の営業などを経験。営業は天職ではないと思い、公益活動を希望。会員数2万人を超える(2007年の会員数は4万人超)学術団体の社団法人自動車技術会に転職。国内委員会、国際会議の事務局を経験。組織への情報システム導入、事務所移転を企画提案するも実らず。

1992年:日本財団に就職。老人福祉施設などへの支援を行う福祉課を経て、新財団設立準備室に配属される。

1996年:広報課長としてホームページを開設。以後、日本財団の情報システムを担当し続け、2010年の退職時まで15年間担当。

1998年:財団の業務改革を担当し、全ての情報システムの構築を開始。

2000年:会計・勤怠・給与・稟議・出張報告・助成金業務支援システム(申請〜審査〜決定〜管理〜監査)を稼動させる。
2000年:広報部長(その後、情報グループ長、経営企画グループ長を歴任)

2001年:財団の新ビル移転時に、ビルのIT化を担当。ICカード、社内電話のPHS化などを実施。

2003年:日本財団電子図書館を開設。

2005年:公益コミュニティサイトCANPANを開設。

2007年6月:経営企画グループ長 兼 CANPAN運営責任者としてCANPANの運営に従事。

2008年6月:システム統括グループ長を拝命。財団の情報システムとCANPANの運営を担当する。

2010年4月:日本財団を退職。