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はじめまして、カンパン効果です。 [2005年09月19日(Mon)]
はじめまして、寺内昇です。

日本財団で、財団情報システム・日本財団図書館・Canpan(カンパン)のとりまとめ役、競艇業界・関連団体との連携、採用・人事・研修、役員会の事務局などのとりまとめ役をしています。

公益活動は、事件や事故のように頻繁に新聞やテレビを飾るわけではありません。
しかし、お役に立ちたい心がこもった活動のニュースは、これから人のお役に立ちたい、と思っている人々の背中をそっと押してくれる、心暖まる記事だと思います。
カンパンには、そんな記事がいつも掲載されることを願っています。
そして、カンパンブログには、そんな思いをもった人が集まることを祈っています。

世の中のお役に立ちたい、そんな思いがぎゅっと詰まった公益コミュニティサイト・Canpan(カンパン)を皆さんに紹介して、そして皆さんに使っていただくこと、こういったカンパン営業活動は、今の私の大切な仕事のひとつです。

カンパンは、2005年4月にテスト運用がスタート、6月にグランドオープンしました。

カンパン運営事務局の承認なしで記事をアップしていただける方「カンパンエディター」のお願いを開始したのが5月でした。
カンパンエディター候補の方をはじめ、カンパンを是非ご紹介させていただきたい方、30名以上の方にお会いすることができました。

今思えばあっという間の5か月です。
これほど、人に会って感激したことがあったでしょうか。
今までで、初めての経験でした。素晴らしくて尊敬せずにはいられない方々ばかり。
暖かい心、一所懸命さ、与える心、既成概念へ立ち向かう勇気などなど。
カンパンが私に出会わせてくれた、そうとしかいいようがありません。
出会いに感謝し、教えていただいたことに感謝せずにはいられません。

では、今まで素晴らしい方々にお会いしてこなかったのでしょうか?
いいえ、それは違います。
残念なことに、私の方に皆さんの素晴らしさを感じることができる力がなかったのでしょう。
でも、それをカンパンは私に気がつかせてくれたような気がします。
私は、このカンパンの力を、「カンパン効果」と呼ぶことにしました。

カンパンと歩き始めてから、私が感激したこと、感じたこと、そんなことをお伝えできれば、そして一人でも多くの方がカンパンを通じて感激して人生を豊かにしていただけたら最高に素敵です。

昨年2004年9月にブログを知ってから、幾度となくブログを始めようと試み、挫折してきましたが、今日!始めました。
始めたからには、続けてこそブログの意味が深まります。
がんばります。

■てら
ヒルトップカシータ(Hilltop Csita)、ありがとう!星さん [2005年09月20日(Tue)]
リゾートレストラン、ヒルトップカシータ(Hilltop Csita)の星さんからメールをいただきました。

8月6日、妻のご両親とお姉さんをカシータにご招待したときに、皆で見た思い出映像(DVD)のバックミュージックの曲名を教えていただいたのです。

 ★ If we hold on together (ダイアナ・ロス)

ところで、カシータって?思われる方もいらっしゃることでしょう。
カシータは、「食べ物屋ではないレストランを作ってみたい。胃袋だけでなく、心も満たしてくれるレストランを作ってみたいと。普通じゃないレストランを作ってみようと。」高橋滋オーナーが2001年9月に東京・六本木にオープンしたレストランです。
現在は、青山にカシータ、麻布十番にヒルトップカシータが開店しています。
近いうちに、どうして知ることができたか、お話させていただきます。

8月6日は、素晴らしい時間を過ごさせていただきました。
笑顔、言葉遣い、態度、気配り、そこまでするか!の連続には心打たれます。
当日、妻がご両親へ感謝を込めた手紙と感謝状をお渡ししました。そして、ヒルトップカシータからは、私たちが送った画像を編集していただいた動画をPCで上映してもらったのです。
テーマは、義父と義母が好きなことば「ありがとう」でした。

妻は足が悪く健常者のような歩行はできません。そんな妻を心から心配していたご両親に、妻は感謝の気持ちをいつか心から伝えたいと思っていました。
8月は足の手術について悩んでいた時期でもあり、手術前に感謝したい気持ちが強かったと思います。

そんな感謝の心がこもったDVD。後日、カシータの星さんがDVDで送ってくださいました。
見るたびによみがえる当日の様子。そして心にしみる音楽。
妻のご両親も、その曲がとても知りたかったようです。

そして、星さんから曲名を教えていただきました。
本当にありがとうございます!

今もその曲を聴きながらブログを書いています。
そして、妻が「この曲の歌詞を知っていてBGMにしてくれたのかしら? 読んでいて涙がでそうだった」と興奮して言っていたその歌詞を、今読んでいます。

カシータで感動し、DVDで幾度となく心が熱くなり、そして、今そのバックミュージックとして流れていた歌詞で心揺さぶられています。

ご縁で幾度となく感動させていただいています。
星さん、未明まで接客されていらっしゃるとのこと。
お忙しいところ曲名を調べていただきお知らせいただきありがとうございました!
星さんが、(きっと眠い目をこすりながら)書いていただいたメールで心暖まっています。
そしてカシータ、ありがとうございました!

私がブログをついに始めたのは、曲名を知り、妻が歌詞を読んで感激した、そんなご縁を星さんのメールからいただいたからです。私もありがとう、を伝えたくなりました。
星さん、ありがとうございました!

・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

If we hold on together
( James Horner & Will Jennings)

日々の移ろいに心くじけそうになっても
どうか自分を見失わないで
遥かな道をここまで生きてきたのだから
決してあきらめないで
信じて生きていれば
夢はきっと叶えられる
素晴らしい未来がきっと待っているわ
思いのままに生きて
信頼、希望、栄光
あなたの信ずるものをどうか見失わないで

力を合わせて困難に立ち向かえば
夢はきっと行き続けるわ
全てを超えていつか永遠の高みへといざなってくれる
そこではきっと輝く雲が遥かにたなびいているわ
二人のために

人の心も吹き渡る風も
時には行く手をさえぎられ折れることを学ぶでしょう
それでも信ずる星を目ざして
最後まであきらめないで
人生には山もあれば谷もある
いつか救いの泉が流した涙をすべてそそいでくれるわ
言葉があまりに脆いけれど
人は敬虔な祈りを捧げる
安息の地を求めて

たとえ闇に閉ざされても
私たちは輝く太陽を想うことができる
漆黒の闇の中にあってさえ
心を暖かく照らす陽の光を感じられる
それは全ての人に等しく与えられた恵み

心を合わせて困難に立ち向かえば
決して絶えることのない夢が
遥かな永遠へといざなってくれる
それは魂が到達しうる最高の高み
輝く雲の波が果てしなく広がり
二人を迎えてくれるわ

■てら
Canpanって何? [2005年09月21日(Wed)]
カンパンブログを読んでいると、カンパンのことも紹介したくなりました。

2005年8月上旬に、大阪大学大学院の山内直人教授、石田祐さんに、日本NPO学会のメーリングリストでご紹介していただいたときの文章を引用させていただきます。

----<ここから>------------------------

公益活動情報のハブを目指すコミュニティサイトでCanpan(カンパン)

http://canpan.info/

人々のお役に立ちたい、そんな思いがこめられた皆さまの活動は、これから同じような活動をしたいと思っている方々がとても知りたい情報だと思います。

皆さまの活動について、準備が大変だったところ、工夫したところ、そして苦労されたところの情報は、同じ公益活動をしている人々にとってなかなか知ることのできない貴重な情報です。

また、「ありがとう」と言ってくれたおじいちゃん、おばあちゃん、笑顔をくれた方々の感謝の気持ちを表した文章は、読者の心を暖かく元気にすることでしょう。
その感謝の言葉は、きっと日本を明るく元気にするニュースになると思います。

どうぞ、皆さまの活動内容をカンパンに書き込んだり、写真を掲載してみてください。

皆さまの書いた文章や写真が翌日にはカンパンに掲載されて、日本中の人々が読んだり見たりすることができるようになります。

このカンパンを使うためには、ホームページを作る難しい言葉を覚える必要がありません。
メールが打てる方なら、どなたでも簡単に書き込むことができます。


このカンパンが、公益法人、NPO、NGO、ボランティア、そして企業といった法人の垣根を超えて、国・地方自治体を横断して、公益活動に関係する多くの皆さまのお役に立つ広場になれるよう、スタッフ一同心を込めて運営いたしております。

カンパンは稼動し始めたばかりで、まだまだこれからの広場です。是非、一度お立ち寄りいただき、ご利用いただければ幸いです。

なお、登録方法や記事を書くことなどについて、どんなご質問でもお答えする窓口を設置しています。ご遠慮なくお問合せください。

◆カンパンお問合せ専用窓口

電話 03-6229-5551 (平日09:00〜17:00 祝祭日を除く)
メール contact@canpan.info


※注

このCanpan(カンパン)は、Can(できる)とPanacea(万能薬)から作った造語で、困ったときにお役に立つことができるようにとの願いが込められています。
本当にカンパンは良く効くようで、開発メンバーは、賞味期限間近の非常食「カンパン」を食べては元気を復活させています。


== カンパン 機能の概要 ==============

◆1.国、地方自治体を含む全国の助成制度検索ができます

全国の助成制度を横断的に検索して探すことができる機能です。
8月11日現在で、地方自治体を含め600件ほどの助成制度が公開されています。

◆2.ボランティアをお願することができます

「たのサポ」とは、「頼もう」と「サポートしたい」を合体させた造語で、支援をお願いする側「頼もう」と、支援したい人「サポートしたい」が情報交換できる機能です。ボランティアスタッフを募集したり、ボランティアをしたい学生が応募したりすることができます。

◆3.ニュースやコラムを書くことができます

カンパンの登録ユーザ自らが、コラムやニュースを書くことができます。この記事はカンパン運営事務局の承認後に公開されます。近い将来、読者のアクセス数に応じてコラムニストを表彰する予定です。

◆4.団体や活動内容を紹介できます

公益活を行っている方や、企業など支援者に日ごろの活動をアピールできます。

◆5.その他

ユーザー登録をすると商業広告の入らない無料のウェブメール(上限50MB)、フォーラム(掲示板)、さらにメールマガジンを発行できる機能が使えます。

さらに9月から、無料で使えるブログサービス「Canpan(カンパン)ブログ」がスタートします。

============================

◆日本財団カンパン運営事務局

〒107-8404
東京都港区赤坂1-2-2 日本財団ビル
コールセンター 03-6229-5111
   (平日09:00〜18:00 祝祭日を除く)

◆カンパンお問合せ専用窓口

電話 03-6229-5551 (平日09:00〜17:00 祝祭日を除く)
メール contact@canpan.info

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★ Canpan(カンパン)をご紹介していただいたブログなど

◇ネットは新聞を殺すのかblog湯川鶴章さま
 日本に合った参加型ジャーナリズムの形とは(2005/07/21)

◇Postcard from England Takahashi,Shintaroさま
 公益コミュニティサイト CANPAN(2005/07/16)

◇CWSコモンズ 佐藤修さま
 みんなのコミュニティサイトcanpan(2005/07/15)

◇アイディア&インプレッション マイケル東山さま
 お金を配分するのは大変(2005/07/08)

◇経営からの地域再生・都市再生(2005/06/28)木下斉さま
 CANPAN-日本財団による公益団体ポータルサイトサービス(2005/06/28)

◇日経ベンチャー「経営よもやま話」久米信行さま
 日本財団の公益情報コミュニティサイトCanpanオープン(2005/06/02)

■てら
三好正也さま・角田識之さま・強い思いを持つことの大切さ [2005年09月22日(Thu)]
ブログは継続するのが大変だろうな、忙しい人ほど情報発信をしているけど、睡眠を削って書いているんだろうか?私にはとてもできそうもない・・・。
始める前には、確信にも近い気持ちでした。

でも不思議なことが始まりました。
今こうしてブログを書いているのです。
今日の感動を書き記したい、ありがとうございます、の気持ちをネットを通じて伝えたい。
そうです、書きたくなってきたのです。

今日もいくつもの感動に出会えました。本当にありがたくて感謝の一言です。

午後、日本財団常務理事の前田晃さんと一緒に、財団の評議員をしていただいている三好正也さまにお会いしてきました。株式会社J-WAVEの会長でいらっしゃる三好さまのお部屋は、六本木ヒルズ森タワー33F。こじんまりしたお部屋の全面ガラスからは青山墓地の緑が鮮やかでした。
老若男女のスタッフが朗らかにスピーディに行き交い、事務所は活気があふれていました。
白いル・コルビジェのソファ(間違っていたらすみません)がおしゃれにおいてある一角では、熱心に会話しているスタッフの姿が今でも目に浮かんできます。

三好さまは、とても気さくな方で、様々なお話を聞かせてくださいました。
その中で、ご紹介したいお話はオフィス移転のお話です。
六本木ヒルズ、いまやここにオフィスを持つのがベンチャー企業家にとって夢だと聞きます。
J-WAVEが移転するとき、様々なハードルがあったと三好さんから伺いました。
「不況だからこそ、今だからこそ、発展するためには六本木ヒルズに移転することが必要だ。私が全責任をとるから移転する。」
そう宣言されて、六本木ヒルズへの移転が決定されたとのことです。
活力あふれている社員の皆さんを拝見し、三好さんの決断の凄さを感じぜずにはいられませんでした。実現するのは強い思いであることを実感させていただきました。
ありがとうございました。

J-WAVEのお仕事とは別にベンチャー企業の育成もされている三好さん。
きっと、情熱あふれる若者たちに、三好さまの「強い思いを持つことの大切さ」が伝わるに違いないと思います。


夕刻は、角田識之先生、奥様と青山カシータで夕食をご一緒させていただきました。
角田先生がメルマガでのろけられた奥様は、想像以上に(失礼!)チャーミングでした。素敵な会話、ありがとうございました。
お伝えしたいお話が3つほどあるのですが、今日はそのうちの一つを書きます。

カシータを知ることができたのは、角田先生が講師をされたセミナー・第6回縁奏会(7月4日)のときでした。会場は青山カシータ。
公益コミュニティサイト・Canpan(カンパン)を多くの方に使っていただくためには、どのようなサービスが必要だろうか? サービス業の心構えはどんなものだろう? 接客業にヒントはないだろうか? そう考えているときに出会ったセミナーでした。

あくなき品質向上、価格低下の戦いに現在の企業は疲れてきている。どこまでやればいいのか、と。一方では、価格が高くても、お客さまがそこでしか、買わない、行かない、そんな経営をしている企業がある。それは、お客さまに感動を与えることができる企業。大阪リッツカールトン、TDL、益田ドライビングスクール(島根県)、そしてカシータ。

仕事で感動できることを、そしてお客様に感動していただけることの素晴らしさを角田先生は教えてくださいました。このセミナーに出会わなければ、感動経営を知ることはなかったでしょう。先生、感謝申し上げます。

セミナーの模様は、角田先生がメルマガでご紹介してくださったメールをよろしければご覧ください

食後オープンデッキでコーヒーを飲んでいるとき、創業ほやほやの株式会社ビッグフィールドの大田修作社長、井上崇ディレクターさまを角田先生からご紹介いただきました。角田先生は、お二人の創業を祝して、ご自身の講演会のエンディングで使われているスライドをノートPCで上映されました。

深く心に残っていた言葉があります。三好さまから教えていただいたこととも重なりました。ご紹介させていただきます。角田先生、本日は本当にありがとうございました。


★ひとりごと(田中つとむ著)

 「できる」は人間の言葉
 「できない」は神様の言葉
 私は「できる」ことを もっと実行してみたい
 だって「できない」は、
 すべての可能性を実行し
 初めて言えるすごい言葉だから

■てら
 
明日は台風 [2005年09月24日(Sat)]
台風17号が近づいています。
明日は、多摩川競艇場で、開設51周年G1ウェイキーカップが開催されます。
日本財団は、周年競走にも賞金を出しています。
そこで、明日は監事に随行して出席する予定ですが、開催されるでしょうか?
開催が危ぶまれます。

ところで、実はお恥ずかしいことに私は今競艇を勉強中です。

私は1992年に中途採用で日本財団に就職しました。最初は福祉課で全室個室のモデル施設・「特別養護老人ホームケアポートみまきプロジェクトの担当や助成事業の審査などををさせていただいたり、新しい財団法人の新設プロジェクトに参画させていただりしました(残念ながら新設はかないませんでした・・・)。

その後、1996年4月にホームページの開設を拝命してから、財団情報系システム・基幹系情報システムの構築を始め、気がつくと今年でウェブを含めたIT関連に携わること10目を迎えることになりました。助成財団でITを通じて社会のお役に立ちたい、そんな思いで業務に携わってきたところです。

何が公益活動に必要なのかIT動向を追い続けている中、今年の8月1日に競艇業界との連携のために昨年6月に新設されたグループのとりまとめ役も兼務で仰せつかりました。
本当に恥ずかしいことですが、競艇については競艇業界の仕組み的な知識を除き、全くの素人。これから勉強です。

全国の競艇場は、24か所。目をつぶってもそこで働いている人々、選手、景色と音と風が目に浮かんでくるように体感したいと思っています。
まだ、競艇をしたことが無い方、私と一緒に覗いてみませんか
私が思ったことをひとつひとつご紹介しますので。

★多摩川競艇
アクセス:JR中央線「武蔵境駅」乗り換え、西武多摩川線12分で「競艇場前駅」下車

小・中学校と府中市の学校を卒業した私ですが、多摩川競艇場には行ったことがありません。
中学校時代、しごいてくださった生涯の恩師A先生は「競艇は第一コーナーで勝負が決まるからわかり易い」と言っていたことを思い出します。先生はギャンブラーか?なんて思っていましたが。
でも、この前の桐生競艇場での周年レースは3週目のゴールで、1・2着の判定には写真判定が必要でした。今は当時と随分違うようです。

ところで、私が驚いたのは、男女が一緒にレースをすること。
明日予定されている開設51周年G1ウェイキーカップにも、参加選手6名の中に女性レーサーが1人居ます。濱村美鹿子選手です。ウェブを見ると男性と勝負をする方にはとても見えない優しそうな女性です。なんだか、凄い世界です。それにしても、男性選手もイケメンで格好の良い選手のいること。私としては、ごつい迫力のある選手にも魅力を感じますが・・・。


台風と言えば、アメリカではヒューストンに大型ハリケーン「リタ」が上陸したようです。

私が20代前半で船乗りのときに、カリブ海でハリケーンに遭遇した2日間を思い出します。8万トンD/Wのタンカー(約長さ200m、船幅50m)だったのですが、ローリング(横揺れ)は30度、ピッチング(縦揺れ)する度におもて(船首)が海の壁に突込んで船は潜水艦のようでした・・・。
ワッチ(航海当直)中は、ブリッジでハンドレールを握りしめていたのを覚えています。
逆説的ですが、生きていることを実感しました。

揚げ地のカナダ・ハリファックスに近づき、デッキ(甲板)を確認すると、舷側にボルトで固縛されていた舷梯(船に乗り降りする階段・長さ15mくらい)が青波でデッキ側に捻じ曲げられていました。フォアマストは一辺が1mくらいの四角い鉄塔ですが、甲板から7〜8mくらいの高さのところに設置されたいたサーチライトの鉄製の台もひしゃげていました。

私は、ハリケーンの海でその凄まじさの前にただ目を開け、体を硬直させているのみでした。そのときの私は、自然に生かされている自然のほんの一部でした。

ヒューストンの皆さまのご無事を心より祈っています。

■てら
多摩川競艇行ってきました [2005年09月25日(Sun)]
多摩川開設51周年記念G1ウェイキーカップ、開催されました!
台風で中止にならず良かったです。

08:00ごろ競艇場に電話して確認したところ、GOとのこと。
どうやら、100本ほど電話があったそうです。
09:00ごろホームページを見たところ、開催決定のお知らせが掲載されていました。
ファンの皆さん、良かったですね。

日本財団の築山監事に随行して、競艇そのものを開催している施行者である青梅市、そして東京都モーターボート競走会の皆様にご挨拶させていただきました。
優勝戦の表彰式に立会わせていただき、本日の業務終了。

それまで何をしていたかって?
ええ、競艇の売り上げに貢献させていただきました。
施行者、競走会の方々は、舟券を買うことができません(違法)が、日本財団職員は買うことができるのです。ですから、売り上げに貢献することができるのです。

それにしても、万舟(まんしゅう)といって、100円が、なんと10,000円になることもあります。
今日も2〜3回あったようです。
6艇で走るのですから、競馬や競輪に比べて当たる確立が高そうですが、それがなかなかどうして・・・当たりません。

それでも、やっと競艇専門紙の読み方がなんとなくわかるようになってきました。
これからは、選手のドラマを知りたいと思っています。

濱村美鹿子選手のお父様がオートレースの試験に受かったものの、ご両親の反対で断念されたこと。濱村選手は、バレーボール、陸上とスポーツは万能で、お父様の思いを受けて、競艇選手になったと伺いました。

濱村選手は競艇の広報活動にも積極的に協力されるとのことです。
同行されたN課長が「忙しいところを、いやな顔ひとつせずいつも明るい笑顔でお仕事をされていた濱村さんは素敵です。私は、すっかりとりこになってしまいました。もう大ファンです。」
とお話になっているのを伺い、なんだか急に濱村さんを身近に感じました。

競艇は、選手のドラマに共感し、風、波といった自然の影響を加味して、選手の心理状態を推測し、そして全体を総合的に推理する。
決断と自己責任意識を鍛えるギャンブルだと思えてきました。
当たれば、もっと楽しいのでしょうが・・・。

優勝戦(12レース)は、山崎智也選手(31歳)が1着。
本命と押され、それを堂々と勝つ山崎選手は格好よかったなあ。

日本財団からの賞金100万円を含め、優勝賞金は1,000万円でした。
ちなみに、2位以下は450万円、320万円、250万円、210万円、180万円でした。

山崎選手おめでとうございます。
競艇関係者の皆様お疲れ様でした。

そして、ファンの皆様ありがとうございました!

■てら
こども未来会議しながわは元気一杯 [2005年09月26日(Mon)]
19:45から始まった「こども未来会議しながわ」の第10回ミーティングに出席しました。

「こども未来会議しながわ」と言ってもご存知の方の方が少ないでしょう。
ブログから抜粋します。


・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・
「こども未来会議しながわ」は、異質な主体が連携するモデルです。

具体的には産(企業)・官(行政)・学(学校)・住(NPO・住民)・財(財団)が集い、同じ土俵の上で、次世代の子育て支援について話し合う場を創り出すモデルです。
そして、対話の中から「イノベーション」を産みだし、複雑に絡み合う諸問題に挑みます。「こども未来会議しながわ」は、単なる協議会ではありません。イノベーションを生み出す孵卵器なのです。
行政のみに次世代の運命を委ねるのではなく、私たち自らが動き、こどもたちの未来を切り開いていきたいと思っています。
・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・


カンパンエディターのお願いをしに、駒崎さんにお会いしたのが今年の6月30日でした。
若干、25歳の若さで病児保育のNPO「フローレンス」を開設された駒崎さん、その情熱に触れこちらまで熱くなってしまいました。
駒崎さんは、カンパンの本質をすぐに見抜かれました。
カンパンを「こども未来会議しながわ」のPC上のプラットフォームとして使っていただくことで意気投合。

フローレンスの熱き思いを転載します。


・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・
アイデンティティ 〜私たちは何か〜

私たちは「社会的問題を事業によって解決する」という「ソーシャル・ベンチャー」である。日本ではまだ生まれたばかりのこの概念は、まさにフロンティアであり、私たちはそのパイオニアたらんと志している。社会を変えるのは政治家や官僚だけの仕事では既になくなったのだ。「気づいた人間」が事業を起こし、既存の仕組みにはなかった発想を形にし、社会的イノベーションを起こすのだ。
そんなことは絵空事と思うだろうか?
私たちはそれが本当のことであり未来への潮流であることを、自らの事業によって証明しよう。
・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・


活き活きと人生を生きる、そんな方々との出会いをカンパンが提供できたら、どんなに素晴らしいことでょう。
カンパンは日本を元気にすることにお役に立つサイトに育てたいと思います。

■てら
財団で「忙しい」というのは禁句 [2005年09月27日(Tue)]
今日は、笹川会長主催の「語り場」が08:00〜10:00、16:00〜18:00の2回ありました。
私は、午前の部に事務局の立場で参加しました。

概要を記します。


・子育てへの会長の思い。
 「子供が小さいころに親子で一緒に何かをしたことが大切l。潮干狩り、山登り・・・」
 「母親が一所懸命、弁当を作ってくれていることは、本人が期待に応えようとする可能性をはぐくむ」

・私たちは、民の心をもって公の仕事をする。

・財団の若手職員が社風を「自由度が高い」と言っている。自由闊達で良いことだが、自由の裏には「責任」と「規律」が伴うことを忘れてはならない。

・私たちは、プロ。何事にも好奇心をもて。

・富士山に登ることを戦略とすると、どのルートで登るのかは戦術。
どの山に登っているかを意識しているのと、しないのでは、一所懸命登っていることには変わりはない。だが、どこに登っているか意識しないと、富士山以外の山に登っていることもあり得る。
日々の仕事に忙殺されるだけではなく、大極的に全体を見ることが大切。

・知恵と便は「うんうん」うならないと出ない。
額に汗して、やっと知恵は出てくるものだ。

・一所懸命と成果は別。

・忙しい、忙しい、の言葉は禁句とする。
忙しいのは当たり前だから。

・日本財団は、世の中を変えるきっかけ作りをしていこう。


100足らずの組織。
トップの方針がじかに、職員一人一人に投げかけられ、職員が自分の考えをトップと交じあわせる。

なんという、幸せな組織だろう。この組織で働けることに心から感謝です。

■てら
メディアの近未来像・EPIC2014 [2005年09月28日(Wed)]
少々前のことですが、7月26日、尊敬する時事通信社の湯川鶴章さまが、東京財団主催の講演会・虎ノ門DOJOに登場されました。

そのとき、EPIC2014という、メディアの近未来を語る映像をお見せいただきました。
まさに今この瞬間、膨大な情報が私たちのすぐそばを行きかっていることを実感させられました。

そのときは、「今、まだまだと思っているということは、きっと実現することに違いない」と、半信半疑だからこそ、実現を確信するといった不思議な感覚に襲われたものです。

私がメール・ブログの師匠と仰がせていただいている、久米信行さんもすごい話を聴いたと感激されていました。

9月に入ってから、EPIC2014の日本語字幕版が発表されていることを教えていただきました。再度見てみますと、日本語字幕のお陰で驚きも一段とアップしました。

お時間のある方は一度ご覧になってはいかがでしょう。

http://www.probe.jp/EPIC2014/
白抜きの四角いところをクリックするとフラッシュが始まります。

■てら
特殊法人改革と公営競技 [2005年09月29日(Thu)]
2005年9月28日、国会は衆院本会議で小泉首相の所信表明に対する各党の代表質問が行われました。中央競馬、自転車振興会、私たち日本船舶振興会などの公営競技法人については、「組織の在り方や助成金交付事業の透明化などについて議論し、本年度中に結論を得る」とのことです。

実は、特殊法人改革で大多数の組織は独立行政法人などになったのですが、公営競技については、2005年度中に結論がだされることになっています。
審議は、特殊法人等改革推進本部参与会議で進められています。

そこで、日本財団における現状の考え方をご紹介します。

ところで、日本財団という名称は通称です。正式名称は財団法人日本船舶振興会です。


1.日本財団は既に財団法人です。

モーターボート競走法第22条の2第2項「日本船舶振興会は、民法第34条の規定により設立される財団法人とする。」

 ※ 民法第45条により、財団法人として東京法務局港出張所に登記


2.何故、日本財団が特殊法人として扱われるのか。

昭和55年(1980年)に行政管理庁設置法が改正された折、財団法人でありながら行政監察の対象となる特殊法人として取り扱われるようになり、以後、財団法人でありながらも特殊法人としての規制を受けています。

なお、いわゆる特殊法人として法律上で取り扱われたのは「特殊法人等改革基本法(平成13年(2001年)6月21日法律第58号)」が初めてです。


3.日本財団は特殊法人の中でも特殊な存在です。

通常、特殊法人及び独立行政法人では、主務大臣が法人の長を任命し、任命された法人の長が役員を任命する「任命制」です。

日本財団は、大多数の民間人で構成する評議員会で理事が選任され、選任された理事により会長、理事長、常務理事が互選されます。そして、理事の選任は全て国土交通大臣の認可を得る「認可制」となっております。

役員の選任方法が「任命制」でなく「認可制」であるところが、特殊な存在なのです。


4.日本財団は他の公営競技4法人と登記方法及び組織形態が異なります。

「一括横並び改革論」は適用されるべきではありません。

日本財団が民法第45条により登記された財団法人であることに対して、他の4法人は独立行政法人等登記令により登記された特殊法人です。

また、日本自転車振興会(競輪)、日本小型自動車振興会(オートレース)など他の公営競技4法人では、「競技運営事業」と「振興事業」が同一組織で実施されていますが、競艇では競技運営事業(全国モーターボート競走会連合会)と振興事業(日本財団)が分離され、それぞれ独立した運営がなされています。

日本財団を除く他の4法人は、独立行政法人化に異論が無いものと推測します。

その理由は、役員の選任が現在でも「任命制」となっており、4法人の長(会長又は理事長)全てが監督官庁OBで占められ、独立行政法人化されたところで、業務運営の実態が現状と何ら変わらないからです。

繰り返しになりますが、日本財団は他の4法人と登記方法及び組織形態が全く異ります。従って、「一括横並び改革論」は適用されるべきではない、と考えます。


5.国からの資金はゼロ

日本財団は、競艇を施行する地方自治体からの交付金を財源に運営しており、国から受ける資金は全くありません。


6.監督官庁である国土交通省の見解

国土交通省は、「日本財団は特殊法人としての規制と、財団法人としての規制の二重規制を受けているが、政府(国土交通大臣)による管理・監督はモーターボート競走法において十分に担保されており、特殊法人としての規制を外しても何ら問題ない。」としています。

平成13年(2001年)12月10日、扇千景国土交通大臣(当時)が政府の特殊法人改革推進本部・副本部長会議において同発言を行っております。(国土交通省担当課からの説明)


7.結論

今次の小泉内閣が推進する「特殊法人改革の大方針」に則れば、日本財団の改革は、国土交通省の見解のとおり「モーターボート競走法による政府(国土交通大臣)の監督は受けるが、特殊法人としての取扱いをやめて、純粋な財団法人として取扱う」ことが最善の策と考えます。

(1) 日本財団は特殊法人として取り扱われているにも拘らず、実態は「財団法人」として民間的運営を行っています。この事実は、すなわち、何ら改革の手を加えることなく、既に特殊法人改革の趣旨を実現しているのです。

(2) 日本財団を独立行政法人に移行することは、役員選任方法を「認可制」から「任命制」とし、役員の多数が天下りとなる危険性があります。それは、任命権者である大臣に人事案を示すのが官僚であるためです。

(3) 役員の多数が天下りとなることにより、日本財団の財団法人ならではの柔軟できめ細かな業務運営がより官僚的となり、国や他の公営競技法人には無い特長が失われることを危惧します。

(4) 財団法人を独立行政法人に移行することは「特殊法人改革の大方針に逆行」することになる、と考えます。

以 上


■参考資料■
日本財団の業務運営

日本財団は既に財団法人という組織形態で、40年以上に亘り業務運営を続けております。その財団法人としての業務運営の特長は、特殊法人の中では特殊で例外的なことであります。

1.財団法人としての組織形態と業務運営

(1) 理事会及び執行理事会

日本財団の意思決定機関は理事会です。定例理事会は年4回開催されますが、業務の円滑な遂行を確保するため、会長、理事長、常務理事による執行理事会が毎週開催され、理事会の委任の範囲内での業務執行の審議が行われます。

(2)評議員会及び監事会

日本財団での自立的なチェック機能を充実させるため、評議員会及び監事会が設置されています。これは他の特殊法人に先行して設置した機能であり、特殊法人の中にあって特殊(独自)な機能です。

(3)理事会、評議員会及び監事会による相互牽制と補完

モーターボート競走法及び寄附行為に基づき、事業計画の作成は、先ず評議員会において原案を審議し、了承された内容を理事会で議決します。その後国土交通大臣の認可を得て成立します。

また、事業報告の作成では、法人文書の作成状況、意思決定及び執行、並びに会計処理全てに亘り、先ず監事会が監査します。その後評議員会で承認されたものが理事会で議決され、国土交通大臣に報告されます。

(4) 理事、評議員及び監事の選任

理事及び監事は評議員会で選出され国土交通大臣の認可を得ます。
他方、評議員は理事会で選出され国土交通大臣の承認を得ます。
なお、会長、理事長、常勤理事は理事会で互選された後、再度評議員会で審議され、その後国土交通大臣の認可を得ます。同じく常勤監事も監事会で互選された後、同様の手続きを経ます。

なお、他の特殊法人や独立行政法人では、主務大臣が法人の長を任命し、任命された法人の長が他の理事を任命する、という一方的な「任命制」となっており、官僚の天下りを助長するような選出方法となっております。

(5) 会長職は無給

寄附行為第24条により、会長職は無給であります。

2.積極的な情報公開

日本船舶振興会(日本財団)は、どの特殊法人、財団法人よりも積極的に情報公開を行っております。
1996年にホームページを開設しました。その後、一般新聞での決算報告、日本財団図書館(電子図書館)の開設による事業内容の公開を行ってきました。

日本財団図書館(電子図書館)には、A4版換算で約90万ページ、約22,000事業の事業成果が収蔵されております。また、設立以来の支援実績も全て(約39,000件)公開されています。
参考までに2005年8月、1ヶ月間の訪問者数は33万人、読まれたページ数は267万ページとなっています。

なお、日本財団は1998年7月に「情報公開要領(内規)」を制定、施行しております。つまり、2002年10月の「独立行政法人等情報公開法」施行の遥か以前から情報公開の重要性を認識し、独自の取り組みを行っているのです。

3.第三者機関による事業評価

日本財団が助成する事業を厳正中立な立場から客観的に評価するため、1995年より第三者機関(民間評価会社)による事業評価を行っています。これに伴い「経理・会計監査」と「事業評価」が両立するようになり、交付金の有効適切な活用が図られています。

この事業評価も、他の特殊法人に先行して実施しているものであり、民間の財団法人であるが故に実施できたものであります。

以 上

■てら
松本道明さん、今後のますますのご活躍をお祈りします [2005年09月30日(Fri)]
今日、総務グループ情報チームの松本道明さんが日本財団を退職されました。

2年7か月のお付き合いありがとうございました。
松本さんは、日本財団図書館(電子図書館)・「私はこう考える」のコーナーで記事選定をご担当していただいていた方です。

日本財団にご縁がある前は、某雑誌の編集長を長くされていらっしゃいました。

「私はこう考える」は、編集長をされていた曽野前会長の方針「どの意見もありのままを掲載して、あらゆる角度から日本の将来を考える資料を提供する」ことを目的としています。

そこで、求められ記事選定の視点は、一つの社会テーマに関して、一般的に言われる、右、左、そして真ん中、様々な意見をバランス良く収集することです。
その記事選定をしていただいていた、松本さん、本当にありがとうございました。

記事を選定するには、場合によっては専門家の方に歴史的トピックをお聞きし、そのトピックが発生した前後の記事に当たっていらっしゃいましたね。
各界の専門家や有識者の皆さまをご存知の松本さんだからこそできたことでしょう。

また、デジタルデータになっていない時代の新聞記事や、雑誌については、国会図書館にいかれ、1回のコピー依頼に枚数に限りがある手続きを1日に複数回重ねられていました。

デジタルデータのある記事については、テーマによっては10,000件ほどの記事題名から絞込みを開始され、予算上の都合から制限数まで記事を絞り込む。

ルーペで不鮮明な記事を読み、私と二人で目がぼやけるまで何時間も文字起こしたり、ホームページに記載する期日を守るために、二人で電子化前作業で徹夜したことも10回近くありました。
また、松本さんは、コンテンツ全ての文字校正をされました。
今まで一件も誤植を指摘されていません。プロの凄さを実感します。

新聞各社との著作権上必要な許諾のための手続き、著者の方々とのコンタクト、転載料の支払い、など何気ない公開にも様々なステップが必要です。
テーマ設定、記事選択、電子化にいたる様々な工程、許諾手続き、転載料支払い手続き、財団内稟議などなど。いいコンビネーションでお仕事させていただきました。


松本さんは、出版社時代パソコンを触ったことはなかったとのことでした。
「パソコンなんて「おたく」がするものと思ってました・・・」と。

それを、自ら学習したいとのことで、キーボードマスターというソフトに果敢に立ち向かってブライドタッチを完璧にマスターし、パソコン講習会にいかれワード、エクセルも取得され、さらにインターネットも自由に使われるようになられたのは、お見事でした。
ネットを使わない出版社は遅れてるよ、最近はそうおっしゃっていました。


社会に対する鋭い洞察力、緻密なお仕事ぶり、明るいお人柄、いろいろ教えていただきました。ありがとうございました。

日本財団図書館(電子図書館)は、「私はこう考える」のグッドコンテンツのお陰もあり、9月1ヶ月間のアクセス状況は、訪問者数 31万、見られたページ数 242万ページでした。

今後は、編集者として出版社でお仕事されるとのこと。
ご健康に留意されて、今後ますますご活躍されることをお祈りしています。
ご一緒させていただいたご縁を大切にさせていただきます。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

■てら
白酒(パイチュウ)は効きます [2005年09月30日(Fri)]
今日は、中華料理で白酒(パイチュウ)に初挑戦しました。

ご存知ない方のために フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用します。

白酒(バイチュウ・パイチュウ)とは、穀物から造られた中国産の蒸留酒であり、白乾(パイカン)または主原料から高梁酒(コウリャンシュ)ともいう。

主な製法は、まず麦や豆などを砕いたものに水を入れて混ぜ、レンガの形に整えたら暖かい部屋に放置して、クモノスカビや酵母、乳酸菌)などを繁殖させ、キョク(漢字で麦にょう+曲)と呼ばれる餅麹(もちこうじ)を製造する。

さらに蒸したコウリャンにキョクを混ぜ、地面に掘った穴の中に入れたあと土をかぶせ、土の中で発酵させ仕込みを行う。キョクのような餅麹は日本酒の製造に用いるコウジカビが純粋培養されたによる撒麹(ばらこうじ)と異なり、糖化のみならずアルコール発酵を行う微生物も含んでいる。このためこのままの固体の状体のままでアルコールを含んだもろみとなる。

数週間後に仕込んだ材料を堀り出し、風味用のコウリャンを混ぜて蒸留する。蒸留し終えた原料は、再び曲を混ぜ込まれて仕込みを数度繰り返していく。そして蒸留により集められた液体は瓶に入れられて長期間熟成される。

こうして造られた白酒はアルコール度数が50%以上と強いが、まろやかな味と特徴ある香りがする。

白酒は産地によって地名など特別な名前が付けられており、 特に発祥地である貴州省茅台鎮の茅台酒(マオタイチュウ)は白酒の代名詞となったいる。


小さいグラスについでくいっと飲んだのですが、いやー、香りの良いこと。
また、のど越しも良くて、中華料理に合いますねぇー。
酒は地のものに限ります。

その後、中国式の歓待の仕方、ということで10名ほどの皆さんから乾杯をしていただきました。
一人一人と、白酒を飲み干すのです。
2巡ほどしたでしょうか。

旨かった白酒も、52度もあると、後で突然効きます。

中国は、歓待上手、交渉上手と聞きますが、白酒も重要なキャストと認識しました。
こうも日本酒とは違うのか、こんなところにも文化を感じます。

皆さん、白酒(パイチュウ)は、味わって適量をどうぞ。

■てら