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花押(かおう)の望月鶴川(もちづき かくせん)先生にお会いしました [2009年03月17日(Tue)]
花押(かおう)の大家、望月鶴川(もちづき かくせん)先生にお会いしました。望月先生とは、先日開催された「本気塾」で、主催者の小林良正さんからご紹介いただきました。望月先生にお会いして、力をいただきました。人生、生涯現役でいたい、と思いました。ご紹介させていただきます。

望月先生は、60歳を過ぎたばかりの笑顔の優しい方です。とはいえ、少年ラグビーのコーチと事務局を20年以上ほど続けられていて、平日は毎日水泳に汗をかいていらしゃるスポーツマンです。
今でも手彫りで印鑑を作られるプロの職人さんですが、10数年ほど前に花押に出会い、独学で学びを深められました。学び始めのころは、花押の印鑑を作っていたとのことですが、お客様から印鑑ではない本物の花押を頼まれてから、花押の虜になったそうです。本物の花押とは、文字そのものを創ることです。

花押とは、漢字をベースに図案化したサインのようなもの(下記に引用を記します)ですが、望月先生は、花押には、次の3つの要素が必要だとおっしゃいました。

 (1)書道ができること(筆を使うことができること)
 (2)パーツを組み合わせて絵柄にする創造力があること
 (3)苗字の歴史的背景や依頼者の人生から、デザインに
   意義を持たせられること

これらは、それぞれを単独で習得することでさえ大変です。それを組み合わせてデザインするのですから、作品が素晴らしいのも当然でしょうか。




さらに、驚きがあります。
鶴川流花押(東京都葛飾区 宗主 望月鶴川)のホームページは、望月先生が50歳から独学でホームページ作りを学び、自分で作られているのです。もう、びっくりです。技術といい、デザインセンスといい、素晴らしいの一言です。好奇心、探究心、継続する忍耐力に感服です。

ホームページから引用して、花押の素晴らしさをご紹介させていただきます。

花押とは

文書の末尾などに書き込み自書(印、サイン)の証とし 姓名の一部、又は特定の文字を草書体にくずしたり、図案化して書いたものが花の形を表していることから 花押と呼ばれています。
 
花押は華押・押字・書き判・判形・判・花書・花字・押名とも呼ばれていました。

花押は公家・武将・僧侶等に多く使用され、身分・地位・そして野望・夢を表していました。自己表現として署名に使われ歴史を作ってきた陰の立役者でありました。

人の一生を現してきた 漢字文化の持つ日本人が考え出した格調高い自己啓発ツールです。

花押の発生は、中国の唐(8世紀頃)の時代と考えられ、日本で「花押」が使用されるようになったのは、平安時代中期(933年の坂上経行の花押が初見)と言われています。

それまでは、文書に「自らの名 」を 自署していただけでしたが、署名者本人を他者と区別するために、 その人の好きな文字や名前の一部を 草書体に崩したり、図案化したものを自署するようになりました。その形が花の形にみえることから「花押」と呼ばれるようになりました。

「花押」は、貴族社会から誕生しました。

鎌倉時代(中世)以降は、武士の文書発給が急増したことで、武士が「花押」を使うようになりました。戦国時代には、さらに自由な発想が生まれ、動物の形などを図案化した「花押」が多数登場し、必ずしも実名を元に「花押」が作られなくなりました。

また、「花押」の模倣を防ぐために、複数の「花押」を用途によって使い分けるといったこともされるようになりました。織田信長は、生涯に10回も「花押」を変えたと言われています。

江戸時代には、「花押」を版刻したものを墨で押印する花押型(かおうがた)が普及し、「花押」が印章と同じように使用されるようになりました。印章の利用が普及したことで、「花押」が使われる機会(実際に書く)が減っていきました。

平成20年9月1日  望月鶴川 記


素晴らしい出会いに感謝いたします。

■てら