友人が新聞に載ったのでここでご紹介!
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どん
※ ※ ※以下新聞記事※ ※ ※
両親を亡くし、施設や里親の元で育った男性が、同じ境遇の後輩を支える「下宿」を東京都内に開設する準備を進めている。虐待などの理由で親元で暮らすことができない子の多くは、十八歳で里親の家庭や施設から離れており「社会に出た後も見守る場所が必要」と訴える。 (奥野斐)
男性は江東区の建設会社社員、中山健太さん(26)。幼いころに火事などで両親を相次いで亡くし、小学校入学前に児童養護施設に入った。しかしすぐに飛び出し、中学生になるまで里親の家庭や施設に入ったり出たりを繰り返した。「どこに行ってもなじめず、大人が信用できなかった」
中三のころ、生活指導が必要な子を対象とする施設に入った。マラソンや英検など課題を与えられ、頑張ると成果が出ることを知った。それまで、けんかや万引などで行き場のない不満をぶつけていたが「エネルギーの使い方が間違っていた」と気づいた。
小学校高学年の時に里親となり、いったん家を去った後も手紙をくれるなど見守り続けた同区の青葉紘宇(こうう)さん(69)夫妻の存在も大きかった。素直になれず、悪さばかりしていた中山さんは「『親』と呼べる人ができたから、自分は変わることができた」と感謝する。
施設を出て再び青葉さんの元に戻り、高校卒業後は働き始めた。里親としての委託関係は終わったが、親子同様の付き合いは現在まで続く。
児童福祉法などは、児童養護施設や里親の元で暮らす期限を原則十八歳未満と定める一方、十九歳までの延長を認めている。実際には、高校を卒業する十八歳を機に施設などを離れる例が多いという。
社会人となった中山さんは、自分と同様の境遇で育った後輩が、社会に出て居場所を失いつまずく姿を見てきた。「いつでも戻ることができるところが必要」と痛感し、下宿開設へ動きだした。
三階建ての家を借り、自身は三階に住んで二階を三人分の部屋に、一階を共有スペースにする。将来は食事も提供したいという。
「育ってきた環境などから、物事を悲観的に考える子が少なくないと思う。『まず、やってみなよ』と背中を押せる場所にしたい」と語る中山さん。今月結婚したばかりで「将来は青葉さんのような里親になりたい」とはにかむ。
NPO法人「東京養育家庭の会」理事長でもある青葉さんは、実の息子のような中山さんの奮闘を「元当事者が自立支援のために下宿までつくるのは珍しい」と評価している。