
ドキュメント72時間「南国タイ ニッポンの中古品 海を渡る
私たち夫婦、共通のお気に入りのTV番組のNO,1は
日曜昼の2時からの「ザ・ノンフクション」とNHKの「ドキュメント72時間」です。
フジテレビの「ザ・ノンフィクション」は、1995年から放送されている長寿ドキュメンタリー番組。
さまざまな事情を抱えて生きる一般の人々や、社会の片隅で懸命に生きる人々の姿に長期間密着し、人間ドラマや現代社会が抱える問題を深く掘り下げています。
番組の特徴と魅力は長期密着によるリアルな人間描写: 家族問題、貧困、特定の職業、夢を追う若者など、テーマは多岐にわたります。
数ヶ月から数年にわたる長期の密着取材を通して、被写体の葛藤やありのままの姿を映し出します。
NHK金曜日夜の「72時間」はファミレス、空港、居酒屋…。毎回、ひとつの現場にカメラを据え、そこで起きる様々な人間模様を72時間にわたって定点観測するドキュメンタリー番組。
偶然出会った人たちの話に耳を傾け、“今”という時代を切り取りとってます。
今回注目した72時間の舞台はバンコクの日本古着屋さん

大都市古着バンコクの中心からやや外れた郊外の街なかに、日本の家具や食器などあらゆる中古品が並ぶリユース店エリアがあり、現地の多様な人間模様が描かれました。
世界的な古着の集積地であるタイでは、ビンテージTシャツなどの買い付けも非常に盛んです。
日本で手放された衣類(防寒着など)や日用品がタイへ渡り、どのような思いで現地の人々に手に取られているのか、3日間密着した映像でした。
かつての東京よりも変化するスピードが早い都市。
タイ・バンコクは定年後の海外ロングステイ・・暮らすように旅する拠点の街として退職前から、何度も訪れていた街でした。
私たちが本格的に老後の住まい・生活を考えたのは、40代後半48歳と45歳の時でした。私が当時担当していた大型ホテル建設物件で現場のゼネコン担当とソリが合わず、このままこんな仕事を続けているのが嫌になり、一時的に日本の建設業界社会から去ることにしました。
カミさんは一切反対せず、私も辞めるはともに辞表をだして、三ヶ月、中米コスタリカ・キューバ・パナマなどで、将来の日本人バックパッカー向けゲストハウス
建設・経営の夢を追いかけていました。
そして、帰国し退職金をもらいに出社すると私の退職届は受理されておらず、(理由は対外的な問題・評判のよう)、そのまま元の会社の同じ部署という訳にもいかず、私の「大喧嘩」の理由を知った別のスーパーゼネコンが出向という形で引き取ってくれ、その後正式退職までの七年間お世話になりました。
仕事内容は同じですか、純粋な現場管理・監督の立場、元会社での人事面や年間受注高・利益額などから解放された七年間でした。
この頃から、真剣に55歳退職後の「終の住まい」について検討・調査・見聞を始めていました。
昔、シルバーコロンビア計画という官製の退職老人の移住計画があった
1986年に旧通商産業省(現・経済産業省)が提唱した、日本の退職・リタイア層の高齢者が物価の安い海外で第二の人生(ロングステイ)を送ることを支援するプログラムです。計画の背景と目的は
1980年代後半、日本は深刻な高齢化社会の到来を控えており、また当時のバブル経済による円高と国内の物価高騰が問題になっていました。
政府は、経済的なゆとりがある日本の高齢者が海外で生活することで、国内の住宅や介護などの社会的負担を軽減させることと、
滞在先の国々との国際親善や経済協力を両立させることを目的としてこの構想を打ち出しました。
「シルバーコロンビア計画“92”(1992年の実現を目指す)」と名付けられ、
「2千万円の退職金と月額20万円程度の年金があれば、海外でのんびりセカンドライフを送れる」というコンセプトが掲げられました。
当時のマスメディアや世間からは「高齢者の輸出」「姥捨て山」といった批判的な意見が強く寄せられ、また文化や言葉の壁、現地の治安や医療体制への不安などの課題も大きく、本格的な実行には至りませんでした。
計画自体は失敗に終わったと評価されていますが、のちの日本の富裕層による海外移住や、一般的な「海外ロングステイ」というライフスタイルの先駆けとなった出来事として知られています。
そして1992年の通産省の旗振りで海外ロングステイ財団が設立され、国民年金でも夫婦二人豊かな老後生活ができるとこの頃から、アジアを中心に多くの退職者がタイ・マレーシア・インドネシア・ハワイ・オーストラリアの各地に日本人シニアが老後をクラス、コミュニテイーが続々と誕生しました。
しかし、2026年3月その旗振り役となった通産省OBによるロングステイ財団も解散しました。
一番の大きな理由は・・・日本の通貨「円」の価値減少です。
私たち団塊世代が一番多く海外でロングステイをしていた頃、一番円高ドル安だった時ハワイに通っていました。
1ドル80円台の頃・・その後も長らく1ドル100円時代が続いていましが・・・
数年前から、海外ロングステイしていた人々は先ずは「健康上の都合」をあげ、次に日本からの年金に円安で今までの現地の生活が成り立たないと続々と帰国してきてます。
2003年正式に円満退職し55歳で向かったのはタイでした。
成田からノースアウストのバンコク最終便、日本への帰国は早朝便が最も安く、往復で5万もしない時代、空港は現在のスワンナプーム国際空港まだ完成しておらずドンムアン空港でした。
タイの予定していたロングステイ候補地は「バンコク」と「チェンマイ」でした。
バンコクはその当時かから日系企業が多く進出し、日本人駐在家族も多く都心から少し離れた交通の便の良いところに多くの日本人が形成されていました。
バンコク市内はBTS・MRTがありタイ語が分からなくとも動きやすい街で、行く度に街は変貌していきました。
タイの通貨バーツは私たち夫婦が頻繁に行っているころ簡単に1バーツ3円弱という感覚で、お昼のランチは大きなショピングセンターのフードコート、二人で1バーツ程度、勿論屋台でなら半分以下で食べれる時代でした。
そんな記憶が残るタイ・バンコクですが・・

今や、大勢の普通のタイ・バンコク市民が冬の0北海道に雪をみるためにくる時代となったのです。
現在2025年のバンコクの平均月収は、職種や雇用形態によって大きく異なりますが、タイ人労働者で約30,000〜45,000バーツ(約12万〜18万円)前後が一般的な目安です。
タイ人の現地相場:一般ワーカーや事務職:約15,000〜25,000バーツ(約6万〜10万円)
IT・専門職や管理職層:約30,000〜60,000バーツ(約12万〜24万円)
日本から新卒できて、バンコクの日系企業に就職する新卒学生も増えており、15万円ぐらいが相場のようです。
もちろん、最終的には「あの難しいタイ語」と「英語」は必須となるりますが・・・
もうとても、夫婦二人の年金だけで優雅に暮らせる国・都市ではなくなっているのです。
番組は売り手と買い手の両者を取材していました。
売り手側は・・・毎月日本から届くコンテナの中身の仕訳から始まっています。
・ここ、タイ国内で売れるもの
・タイでは売れないが、近隣諸国、アフリカに向けて再仕訳輸出するもの
・ゴミとして処分するものに。
それでも、日本からのコンテナは世界一綺麗で儲かると話しています。
買う側の取材は・・・
バンコクで厳選して仕入れして、タイの地方のお店に下ろすそうです。
衣類は扱わず、主に日本製の家具を扱っていました。
日本の中古家具はタイや中国のものに比べ、しっかり作られているので、少し手をいれれば、タイ製の新品よりも売れるそうです。
家具だけではなく、日本の中古の電化製品や、陶器・食器も人気だそうです。
もう何年、タイ・バンコクに行ってないでしょうか!
旅の記録を紐解くと・・・私たち夫婦の最初のバンコクは昭和63年私40歳・妻37歳の時、住宅ローン返済を記念して、将来の終の棲家探しのアジア二週間旅行でタイのバンコクとチェンマイそして、インドルシア・バリ島の旅でした。
そして、最後のタイ旅行は2011年、バンコクが水浸しになった時でした。
この時、兼ねてから見たかったチエンマイのランタン挙げを見に行き、帰りにバンコクに寄ったら街中水に浸かっていました。
これが、私たち二人の最後のタイです。
もうあれから15年も経ったのですね。
日本は失われた30年、あの夜の女性で溢れていた街から、今や、雪を見るために観光でこれるうになったタイの人々が日本に観光来れるようになったとは。
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最後のタイ旅行、チェンマイのロイカートン動画
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現在の65歳はどうか、
インスタントラーメンには、添加物や塩分が多く含まれている。
ひざに負担を感じる年頃になると、登り階段を拒否してエレベーター・エスカレターを使うが、足腰の鍛錬として、下りは階段を使って降りるシニアは多いが、65歳以降は階段を降る時のひざへの衝撃が関節の寿命を短くするので、足腰の鍛錬は登りにして下りはエレベーター・エスカレターを推奨。
日々体が衰えてることを理解し、血圧と体重を毎日同じパターンで測定したい。
この頃、私たちより少し上の世代、豊富な退職金と企業年金を受け取っている世代の方々は、ブームにも乗って次々に、マレーシア・タイ・オーストラリア・ハワイに進出していきました。
退職金の多くを株式投資で個別銘柄に突っ込むというリスクの高い投資はしない。「大きく儲けるより小さく負ける」。
住宅ローンを定年退職後も払い続けるの老後・年金生活に大きな負担となるので、出来るだけ早めに退職前ら返済を終えて置くのが人生設計だが、

電源コンセントに加えて、テレビ端子、インターネット(LAN)用端子、電話・FAX用モジュラージャックなどを一つのプレートにまとめた多機能な壁付けコンセントのことで、現代のマンションでは全く当たり前の設備となっています。


ラピッドスタート形(FLR管)即時に点灯するように設計されています。
本当にこの照明器具を外す時は、まだ10年先になるでしょう。
そんな狭間の期間が70代とおもう。


家事やトイレにたつ際の歩数も含めて、一日7000歩を目指すと足の衰え予防になる
積水ハウスの最先端・賃貸マンションのようです。

持ち家(戸建て)の売却と賃貸への住み替えは、固定資産税や修繕費などの維持費から解放され、まとまった老後資金を確保できるメリットがあります。
孤独死や家賃滞納への懸念から一般物件の審査が厳しくなる傾向があります。
旧住宅公団「UR」が一番でしょうが、テレビでアレだけ宣伝していても、関東首都圏にはほとんど空き物件はありません。







基準値を上回っていたので、その当時フォミリードクターは至急専門医に紹介状を書くと云い、自分の出身大学病院に行けと云います。場所は横浜のかなり辺鄙な場所、私は自宅近く徒歩圏にある湘南鎌倉病院に行くと云うと、かのエリートドクターは、徳洲会の病院に自分の患者を紹介出来ない・・・と云うのでこの医者とは縁をきり、自宅から歩いていける範囲の湘南鎌倉病院が、係りつけとなりました。
これまでの20年間で5回「生体検査」をやってきて、今回も







お寺なのに手や口を洗う場所「手水舎(ちょうずや)」には、色鮮やかな西洋紫陽花の花々が柄杓を囲んで置かれていましたのであまりの美しさに一枚撮りました。
今回開催からなんと参加国は昔の16から24そして32カ国と年月を経て48カ国になり、開催地も三ケ国と共闘開催となった。
私が実際にスタジアムでW杯をみたのはアルゼンチン・オランダ戦。
私はこの決勝戦を軽井沢の星野高原教会の宿でみていました。
Jリーグの誕生は1993年です。
早期退職を翌年に控えていたあの頃。
第二の故郷の英雄はマラドーナからメッシになっていた。
果たして、日本人シニアの平均寿命年齢に達したいるが・・・