
テレ朝のクイズ番組「Qさま」では旅に関するテーマ、ランキング番組はコンスタントに視聴率を稼いでいるようで、今回は二番煎じかも知れないが、世界遺産についで「一生に一度は見たい世界の凄い絶景ランキング」をやっていた。
若い頃から海外に出られた今の若者と違って、私達団塊世代にとって海外旅行は「夢のまた夢」で青春時代でした。
あの頃の海外とは「兼高かおる世界の旅」が唯一であった。
日本のテレビ史上に燦然と輝く、紀行番組の金字塔「兼高かおる世界の旅」。1959年、当時の日本人にあまり馴染みがなかった世界各地を駆けめぐり、その風俗・文化・歴史などを紹介する本格的海外取材番組としてスタート。
日曜の午前中はこの番組を見なければ1日が始まらないとまで言われるほど、多くの視聴者に親しまれ、31年もの長寿番組となった。訪れた国の数は150カ国あまり、地球を180周した計算になる。
兼高かおるは、ナレーター、ディレクター、プロデューサーを全て一人でこなし、当時の国家元首から秘境の地に住む村人まで様々な人々と接し、幾多の冒険にも果敢に挑戦した。民間人の海外渡航が自由にできなかった時代。
彼女の「世界をお茶の間に運ぶのが私の仕事」という言葉通り、実際に自らの目で見てきた、手で触れてきた世界の旅。
でもこの頃はまだ自分がこの映像の世界に行けるとは思っては日本のテレビ史上に燦然と輝く、紀行番組の金字塔「兼高かおる世界の旅」。
1959年、当時の日本人にあまり馴染みがなかった世界各地を駆けめぐり、その風俗・文化・歴史などを紹介する本格的海外取材番組としてスタート。
兼高かおるは、ナレーター、ディレクター、プロデューサーを全て一人でこなし、当時の国家元首から秘境の地に住む村人まで様々な人々と接し、幾多の冒険にも果敢に挑戦した。民間人の海外渡航が自由にできなかった時代。
彼女の「世界をお茶の間に運ぶのが私の仕事」という言葉通り、実際に自らの目で見てきた、手で触れてきた世界の旅。
やがて、日本も豊かになり、カラーテレビ化され世界中の絶景映像がお茶の間にに流れてくるようになった。
そして刺激されたのは同じく「TBSの世界ふしぎ発見!」
TBS系列で1986年4月19日から2024年3月30日まで放送され、以降はスペシャル番組として放送されているクイズ番組。この放送されている時代、私は青春時代を海外で過ごし、日本に戻り、結婚し、ちょうど日本は不動産・建設業界はバブル時代でこの番組を見ていた。
同じ頃のNHKでも世界の秘境やらを取り上げていましたがこの時代、以前の兼高かおる時代と違って、このTBSで取り上げる海外は、TBSの取材チームが行けるのだから、自分も行けるという感覚で、クイズ番組ではなく,情報番組として見ていました。
そして、この頃発売された「地球の歩き方」を翌日の月曜日に買いにいきました、
1979年に「ヨーロッパ」編と「アメリカ」編の2冊により創刊された。
それまでの旅行ガイドブックは現地の観光スポットの紹介を中心に構成されていたのに対して、個人旅行者の利用を念頭に、現地での移動や滞在など「手段」のガイドを中心に据えた構成であった。
1981年に「インド」編を刊行、以降、主に若年の個人旅行者(特にバックパッカー)をターゲットとし、バックパッカーを中心とした読者からの生の声を、そのまま掲載するコーナーなどに特徴があった。
一方で真偽不明の怪情報も少なからず記載されていたことから、かつては「地球の迷い方」と揶揄されていたという。
NHKの取材先と違ってTBSがいけるのなら、パック団体旅行ではなく、個人でも行けるはずと、建設現場監督して休暇のとれる範囲で、年に2から3回程度出かけることとなりました。カミさんはその都度転職しており、現代云われている「トラベルナース」の先駆けでした。
私も、一時期、地球の歩き方編集部から次に行く国、場所の取材、原稿を頼まれるような間柄になっていた。
今回番組でのトップ11から20位は
20位 トルコ カッパドキア19位 オーストラリア グレートバリアリーフ
18位 マルタ コミノ島 ブルーラグーン※
17位 カンボジア アンコールワット
16位 ギリシャ サントリーニ島※
15位 カナダ・米国 ナイヤガラの滝 14位 ノルウェー フィヨルド
プレーケストーレン
13位 ニュージーランド テカポ湖※
12位 アイスランド ヴマトナヨクルト氷河※
11位 アメリカ アンテロープキャニオン
※はいまだ行ったことのない絶景地です
トツプ20から11は、思ったよりも・・意外とメジャーな場所であったり、私たち夫婦の守備範囲以外の海浜リゾートやらヨーロッパの地域が多いのに少し抵抗感を感じる。
私達夫婦の旅の行き先は、どちらかと云うと、開発途上国・非白人・非キリスト教文化圏が多く一番得意としていたのは、青春時代に過ごしたスペイン語圏の中南米がどうしてもおおくなります。
ついで、いまだ多くは知られていない、西・中央アジアとなるので、このような番組の守備範囲ではないのでしょう。
今回番組でのトップ10は
10位 スイス アルプス ユングフラウ-アレッチ
ここは行ったことはありません。そして、こうして現在、世界の絶景としてノミネートされても、行きたい、見たいとは思っていません。
実はヨーロッパの絶景、世界遺産は私達夫婦の一番苦手とするところなのです。
■遠く、交通費、滞在費が高くつく。
■私達夫婦がヨーロッパ文化に全く興味がないがない。
からなんです。
普通退職後の夫婦・御婦人が行きたがるのは、世界一周クルーズ船とか、ヨーロッパとか、美しい地中海リゾートとかなのでしょうが、我が家の奥様は全く興味を
示さず、同じお金、・時間をかけていくのなら、全く違った文化圏の国々に行くのを好みます。
例えば、同じビーチリゾートでしたら、これまでは南太平洋の「タヒチ」、インド洋の「モルディブ」、カリブ海の「アルチピエラゴ・デ・サン・ブラス」を選択してきました。
もちろん、時間と費用と旅の経験値が必要となりますが、それでも、テレビやマスコミに滅多に紹介されていない地域・場所に二人だけで足を踏み入れ、体験してきたことを
夫婦二人の問の共通の話題、自慢として今のところは思っています、
09位 アメリカ キラウェア火山
アメリカ・ハワイ州・ハワイ島のハワイ島のキラウエア火山は、2025年12月以降も活発な噴火活動が続く、世界最若・最高レベルの活火山です。ハワイ火山国立公園として世界遺産に登録されています。ハワイは退職後のリピート・ミドルステイの地として、55歳で退職後、年に二回11年ホノルルに通い続けています。
この絶景としてノミネートされたハワイ島・キラウェア活火山は、数十年前20代の頃から何度も訪れでいます。
このキラウェア火山の赤い噴火の模様は、オアフ島からの日帰り観光では無理で、最低、ハワイ島に二泊しないと、この火山のダイナミックさは味わえないでしょう。
そして、夜空の美しさも。
ここの観光のポイントは、移動も観光も現地のプロのガイドをお願いすることです。
先ずは安全第一を心がけるべきで、オアフ島のワイキキ観光・滞在とは別に考え、ワイキキは日本からの帰りのフライトの宿として一泊で良いでしょう。
その分の時間・お金はハワイ島にかけるのが、絶景を味わう王道だと思います。
08位 フランス モンサンミッシェル
私達の旅をのスタイル・好みをよく知る友人は、私がモンサンミッシェルに行ったことがあると知ると、「ヘェー・驚いた、よく行ったね」と云います。フランスのキリスト教の教会・修道院、それもパリしないならともかく、ノルマンディの田舎までと。
モンサンミッシェルは、フランス北西部のノルマンディー地方にある、海に浮かぶ修道院と街。
1979年に世界遺産(文化遺産)に登録された「西洋の驚異」と称される名所 で、潮の満ち引きで表情を変える神秘的な景色が特徴 です。
ここへは、興味を持って行ったのではなくブエノスアイレス時代、知り合いのユダヤ系、第二次世界大戦中、ナチスの迫害を逃れてパリから南米アルゼンチンに逃れてきたお金持ちのおばあちゃんの、介護、サポートとして二週間付き添ったパリ滞在の一日、この御婦人と一緒に車で行っただけです。
まだ、世界遺産に登録される、海岸には牧草地が残って羊の群れがいた頃です。
あれから52年、時々テレビで紹介されているのを見ると、もう別世界に変わっています。
07位 ナミビア ナミブ砂漠
この絶景を知ることになったのは、旅先で知り合った旅の友人ご夫妻からの絵葉書でした。一時期、私達夫婦が本格的に世界遺産や世界の絶景を個人・手配旅行や自由旅行をする前の一時期、特に年末年始の繁忙期には、「ユーラシア旅行社」のセットパックを利用する機会があり、ここで、年齢も家庭環境(奥様の年齢・仕事・子供なし)も同じ御夫婦と知り合いになり、その後お互い年に二回は世界の秘境・世界遺産の地からポストカードが届くようになりました。
ある年、このナミビア/ナミブ砂漠のこの画像の絵葉書が届き、初めてこの地を知りました。
今の私としては、もう絶対に行けるような場所ではないので、ネットAI解説で紹介します。
ナミブ砂漠は、ナミビアの大西洋沿岸に広がる約8,000万年前に形成された世界最古の砂漠(2013年世界遺産登録)。
現地のの言葉で「何もない」を意味するこの砂漠は、鉄分を含む赤い砂丘(ソススフレイ)が特徴で、高さ300mを超える砂丘や死の沼地「デッドフレイ」が絶景として知られます。
特徴と見どころ
「赤い砂」の海: ドラケンスバーグ山脈からオレンジ川へ運ばれた砂が、海風で運ばれ酸化して赤く変色した美しいアプリコット色の砂丘群。
デッドフレイ(Dead Vlei): 干上がった白い沼地に約900年前の枯れ木が残る、コントラストが強烈な「死の沼地」。
デューン45(Dune 45): 登頂可能な非常に美しい形状の砂丘。
生命の宝庫: 海霧のおかげで、霧を吸って生きる「奇想天外(ウェルウィッチア)」やオリックスなど、特異な動植物が生息。
星空保護区: 周辺に人工の光が全くないため、世界有数の満天の星空が楽しめる。
アクセス: 首都ウィントフックからレンタカーまたはツアーで約5〜6時間。
ベストシーズン: 4月〜6月頃(夏は非常に暑く、冬の夜は冷え込む)。
注意点: 国立公園内のため、ゲートの開閉時間(日の出〜日没)がある
06位 スイス マッターホルン
ここは行ったことはありません。前述の10位 スイス・アルプス ユングフラウと同じ理由です。
そして、こうして現在、世界の絶景としてノミネートされても、行きたい、見たいとは思っていません。
実はヨーロッパの絶景、世界遺産は私達夫婦の一番苦手とするところなのです。
あまりにも、典型的に綺麗すぎる。あの中学生の時に見た名画「サウンド・オブ・ミュージック」の世界、あれで十分だと思ってしまうのてす。
そして、55歳で早期退職して23年、今の日本円と外貨の関係、そしてオイル問題にプラスして自分の体力を考えると、例え10日程度の旅でも考えてしまいます。
ましてや、ミーハーのおばちゃんグループと一緒の団体旅行は絶対無理、マッターホルンの形状はネパールの「フッシュテール」で十分満足しています。
05位 ザンビア ビクトリアの滝
この地もかのナミビア ナミブ砂漠の絵葉書を送ってきた友人夫妻に先を越されました。世界三大瀑布は北米のナイアガラの滝、南米のイグアスの滝、そしてアフリカのビクトリアの滝として知られています。
あの旅のご夫妻にポストカードによると、二人共にこのアフリカの地を訪れる為に仕事を辞め、スーツケースではなく折りたたみテントをいれたバックパックでこの地にたどり着いたというではありませんか。
時は1999年、私は早期退職前の52歳、世界中パソコン2000年問題で大騒ぎしていた年のお正月、私達夫婦はまだまだ本格的ではなかったベトナムの旅にでており12月31日、ホテルの年越しディナーパーティーを終えて自分の部屋に戻り、ドアーを開けよとすると開きませんでした。なんと、ベトナムのダナンのホテルでパソコンのプレミアム問題に直面し、かえってラッキー、持ちネタの話題が増えてと喜んでいた時でした。
そして帰国して一ヶ月、かのライバルである友人夫妻からのポストカードは「ビクトリアの滝」完全に先を越されてしまった。
いまではかなり日本からのアクセスはよくなったようです。
ザンビアのビクトリアの滝(モシ・オ・トゥニャ)へは、日本から主にヨハネスブルグ経由でリビングストン空港(LVI)へ飛び、タクシーやシャトルバスで約20〜30分でアクセスできます。
2〜8月の水量が豊富な時期がベストシーズンで、特にザンビア側は滝壺に近い迫力が魅力。
あの1999年、スーパーハイインフレのザンビア、そして治安最悪たったヨハネスブルグを私達夫婦と同じ年齢の夫婦は、バックパックにテントを詰め込んで行ったビクトリアの滝・・・
まあ、いいや、私達は翌年、旅先条件としてはもっと厳しい、南米・ベネズエラ・キアナ高地の世界一の落差の滝「エンジェルフォール」をクリアしたのだから。
04位 アメリカ グランドキャニオン
グランドキャニオンは何回もきています。夫婦二人での旅行というよりは、大型建築現場の竣工お祝い旅行では定番のラスベガスに来る機会が多いので自然と、ラスベガス滞在中のオプションとしてグランドキャニオンをいれるケースが多いのですが、夫婦二人の旅の時は、このグランドキャニオンは前述11位 アメリカ アンテロープキャニオンとともにもっとも、日本人、アメリカ人に人気の高い、「モニュメント・バレー」に行く時にセットとなっているのが、この定番のグランドキャニオンです。
もし、本当にアメリカ西部の大自然の絶景を目にしたいのなら、ラスベガスを拠点とした時に、グランドキャニオンにプラス、モニュメント・バレーを組み込むことをおすすめてまします。
空路、中型セスナ機からの車窓一杯にグランドキャニオンらの絶景がご覧いただけます。
参考サイトラスベガス・モニュメント・バレーの行き方
03位 ボリビア ウユニ塩湖
南米の国々のなかで一番好きなのはボリビアです。アルゼンチン・ブエノスアイレス滞在時代、少しの休暇がとれると、白人社会のアルゼンチンから、インディヘナの文化が色濃く残る、ボリビア・ペルーを旅することが多かったです。
1970年代、私は20代前半、あの当時アルゼンチン首都ブエノスアイレスから北部に向かうには、今のようなエアーはほぼなく、高速長距離バスもなく全て列車でした。
ブエノスアイレスのレティーロ駅から、週に一か二便ボリビア国境に向かう夜行列車が出ていました。
それは、日本の戦後の上野駅から東北へ向かうような出稼ぎ帰省列車のようでした。
ほぼ20時間以上ちかくかかって、アルゼンチン北部の街「フフイ」に到着しそこからバスで国境の観光拠点の街「ラ・キアカ」まではバスがでています。
この頃1973年、この地域を旅する外国人観光客は少なく、その上流暢なスペイン語を話す日本人として珍しがられました。
この時はボリビア国境の街のみでしたが、この時は初めて、「ウユニ塩湖」を知りました。
何もない、塩の湖、勿論「塩のホテル」もない時代です。
国境の街からボリビアの首都、「ラパス」へ行くには鉄路はなく「バス」だけでルートもスクレ経由の山ルートと、距離が短いオルロルートがあり、このオルロルートがこの頃まだ世界にはあまり知られて「ウユニ」を通りました。
私の知っているのは「絶景のウユニ」ではなく、バス旅で疲れて寄ったウユニのトイレだけでした。
結局、アルゼンチンの国境の街キアカからラパスまで丸2日の長旅、バスの旅でした。
ウユニ塩湖が世界的な観光地として知られるようになったのは、2000年代以降、特にインターネットやSNSの普及が大きなきっかけです。
その鏡のような絶景(天空の鏡)が「死ぬまでに見たい絶景」として話題になり、日本人旅行者の間でも人気のスポットとなりました
02位 ペルー マチュピチュ
私がマチュピチュとう名前を知ったのは1975年、アルゼンチンから日本に一時帰国する際のペルーの空港トランジットの時でした。空港でリマ発、タヒチ・羽田経由パリ便というその当時一番長い航空路線といわれていました空路を待つため、リマ市内観光をしている時、観光案内所でこの天空の都市「マチュピチュ」を知りました。
そしていつか日本に帰ってから、時間とお金が出来たら、見に来てもいいかなと思ったのでした。
それが漸く実現したのは、14年後1989年平成元年のお正月休みでした。
前年に住宅ローンの返済が終わり、これからの人生、好きな世界遺産の旅の第一弾として、ペルー・ボリビア・ブラジルの旅15日を選びました。
当然ながら、当時の団体パック、催行していたのは、「ブラジル旅行社」バリグ航空の代理店で当時南米に一番強いと云われて旅行社でした。
当時のツァー代金は一人65万円だったと覚えています。二人で130万円。
当時はバブル経済の真っ盛り、共働き夫婦にとっては一人のボーナスでお釣りが来る程度の金額でした。
まだ、ペルーのクスコからのアクセスルートが確定しておらずバス・鉄路の後の乗り換えやらも複雑でした。
そして、マチュピチューの起点の街「アグア・カリエンテ」はまだまだ小さなお土産屋と小さなホテル数件の小さな村でした。
あれから37年、マチュピチュ遺跡そのものは変わってはいないでしょうが、ペルー・クスコからのアクセスやら、宿泊状況、そして遺跡入山料など大きく変わっているでしょう。
私のマチュピチュー遺跡での一番の思い出は、毒虫に刺されたのか右手の甲が大きく膨れ上がったことです。
日本から持参した薬は全く効かず、翌日高原列車で向かった、チチカカ湖のフアルマシアで買った市販薬で一発で治ったことでした。
01位 アルゼンチン・ブラジル イグアスの滝
この世界一と誰でもが認める絶景の滝へは、元々若い頃から青春時代を過ごしたアルゼンチンに縁がありますので、日本から南米に行く旅の帰路、イグアスに寄って帰っていましたので都合三回この大瀑布に滞在しています。この滝を堪能するには、イグアスに最低二泊は必要です。
日本からのツァーでひどいのは、サンパウロからの日帰りなんてのがありますが、出来れば是非二泊はして下さい。
この滝はアルゼチンとブラジルの国境にある為、両国の側から違ったスケールで眺められますし、アクテビテイペリコプターからの空路、滝壺真下からに水路、悪魔の喉笛と云われる滝のの真上からの展望や、ブラジル側の滝の真横から展望など、様々角度からこの世界一の大瀑布を堪能出来ます。
今回のテレ朝の企画「一生に一度は見たい世界の凄い絶景ランキング」で、一生に一つだけという限定があれば、文句なく、このNo,1のイグアスの滝をお勧めてします。
イグアスの滝のベストシーズンは、水量が多く大迫力の景色を楽しめる10月〜3月(雨季)です。
特に12月〜2月は水量最大ですが非常に暑く混雑するため、快適さを求めるなら9月〜10月も適しています。
私達の旅も三回共にこの季節でした。
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都内から、東海道線・横須賀線・湘南新宿ラインできて、鎌倉市内最初の駅(鎌倉にはJRの駅は3つ)大船で下車します。
大船観音様から下って次は、鎌倉幕府時代は郊外の農村地帯でした玉縄(たまなわ)という地域の農業用水池、「谷戸池」まわりに地元市民が植えて保全してきた美しい風景があります。
神奈川県立フラワーセンター・現日比谷花壇へは、谷戸池から先程右折して、交番とコンビニの交差点に戻り、バス通りを南に向かうと正面に湘南鎌倉病院大病院が見え隠れします。
JR大船駅から横須賀線下りに乗って一駅で北鎌倉駅です。
今回の鎌倉の染井吉野の大メインは、鎌倉駅から八幡宮に続く「段葛」の桜アーチです。
段葛の桜のアーチを十分に楽しみながら鎌倉駅方面に向かい、駅への入口を通過して郵便局の角を左折すると、本覚寺に到着します。JR鎌倉駅からもっとも近い、桜の名所のお寺です。
この日の最後は本覚寺から江ノ電鎌倉駅へ行き露座の大仏で有名な、高徳院へ行き、大仏様と桜のマッチアップ画像の撮影に向かいます。
答 新しい体験をすれば幾つになっても脳の成長につながる
答え 握力低下は全身の筋力低下のサイン
答え 聴力が衰えると認知症リスクは上昇する。
答え 音読は認知症予防につながる
答え 思い出の曲は昔の記憶を引き起こし認知症予防のにつながる可能性がある
この程度の初期段階でしたら、全面張替えではなく、部分補修でこのよう剥がれ、隙間を補修でき、素人でも出来る修理キッドをホームセンターでも、アマゾンでもいくらでも売っています。
大型現場の監督、安全管理責任者を20年以上やってきたので、安全面に関する知識は他の人の何十倍も持っており、危険性は十分理解しています。
最近、私は併設されているスロープを利用しています。
夕方のニュース特集番組のなかで、一人暮らしの高齢者サポートとして度々登場する
早期退職55歳で鎌倉に超してきていらい、色々なスポーツをやってきました。
原因は右膝半月板の損傷と云われていますが・・・
つい昨年まで我が家の前の公園に夕方定時に散歩するNPO時代の理事の姿が最近全く見えません。
1歩の目安: 約60cm〜75cm(身長や歩く速さに依存)
山口はアメリカのニューヨーク・タイムズ紙が発表した「2024年に行くべき52カ所」で、
何度か、足利の街を訪れています。
明治維新の志士たちを育んだ長州藩の城下町。
南九州は高校一年16歳の春休み、一人当時の均一周遊券九州圏内二週間、
東京首都圏から一番行きにくい、山陰島根へは、退職後2016年、海外旅行を卒業した翌年です。
弘前城を中心に発展した城下町です。
清流・吉田川が町中を流れ、水路が生活に息づく水の町。
坂の町として知られ、尾道三部作などの映画の舞台としても有名な尾道。
白壁の土塀と石州瓦の屋根、そして掘割を優雅に泳ぐ錦鯉が有名。
「みちのくの小京都」として名高い角館は、佐竹北家の城下町。
ここ一週間、づっと現役時代から考えていた、
現役時代からずっと何十年も持っている、私の生命保険に関する件です。
ちょうどよいタイミングでこの書類の電話番号に電話しました。
担当者生保レディは30代の女性。
これはカミさんとの話し合いで想定内でした。
2月下旬になると早咲きの河津桜の映像がニュースで取り上げられてくるようになってきます。
桜まつり会場にもっと近いのは「萩園橋」です。
まるで絵に書いたような菜の花と濃いピンクの河津桜。

この様子をみていた小さな子供は、「ママ小鳥が桜を食べに来ているよ」
一応、茅ヶ崎市のホームページでここを紹介していますが、ここの桜まつりの主催者はあくまでもここ周辺の家庭菜園をやっている個人ランティアの皆さんのようです。
私の住む町内会の方々が中心となり、「玉縄桜を育てる会」を結成し接ぎ木して増やしてきました。
番組では、旅する旅人タレント風間俊介が日本国内をただ、飛行機に乗るだけが目的で、羽田から山口、そして沖縄と渡り歩き羽田に、翌日はイスタンブールに飛んでいました。
最後の海外旅行(2014年)、ハワイのマウイ島ホエール・ウォッチングを終えてから国内旅行に専念してきました。
そして全く同じですが、佐賀県は通過するだけで、宿泊したこともないので、今年は是非、佐賀を予定しています。
NQ便名は、ANAグループの新しい国際線ブランド「AirJapan(エアージャパン)」のフライトに使用されるIATA航空会社コードです。
番組のなかで、旅する風間俊介と局アナ水卜が降り立ってインタンブール空港の姿にびっくりしました。
貧乏バックパッカーあがりの私にとって、日本から西、欧州方面に向かう空路として一番利用していたのは、パキスタン航空でした。
ちょうど40年前、38歳の時、はじめて夫婦ふたりで購入した新築マンションのローン返済の目安がたった。
退職した時、私は55歳、カミさんは52歳でした。
鎌倉にもありますが、日本各地の自治体、公民館などに歩け歩け協会なる団体があると思います。
75歳、後期高齢者となるまで、体力維持、健康のために、何の用もないのに外出することは全くありませんでした。
自宅から少なくとも往復で5〜6km程度は歩かなくては・・・となると駅向こうのショピングエリアとなります。
ブックオフの上の階にダイソーがあります。
70代半ばとなりますと、衣類に無頓着というかほとんどお出かけに着ていくようなお洒落なもの、ほとんど買いません。
私が一番恐れ、嫌っていずっとたシニア男性の風景は・・・