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2024年11月29日

まだ行ったことのない「鳥取の旅」妄想計画


ブログで度々書いていますが、今年の宿泊を伴う遠出の旅は5月の北陸新幹線「福井」の旅が最後でそれ以降、単発、日帰りの撮影へにしか出かけていない大きな理由は今年の夏の猛暑・熱暑に加え、私の右ひざ内ももの不調と、カミさんの室内転倒による、足の小指骨折が大きな原因です。加えて、今年の夏から秋にかけての季節外れの台風による天候不良で、わざわざ出かける気にもならず、年末となってきています。

「ゼロで死ねるか」でもないのですが、今年の旅行予算は遠出二泊三日二回分の予算は十分に残っているのですが、絶対に行きたいと思う場所がないのです。
以前、「日本全都道府県県庁所在地47都市」全て行きたい、泊まりたいと考えて、行ったこと、下車したことはあるけど、未だ実現していない県庁所在地としては岩手県の「盛岡市」と鳥取県の「鳥取市」と佐賀県の「佐賀市」の三都市をあげたことがあります。

このうち、「盛岡市」と「佐賀市」は一番、ハードルは低く都市です。
「盛岡」は過去何とも通過したり、この駅で乗り換えしていますので、知っている駅ですが、改札から出て盛岡市内を歩いたり、宿泊はしていませんが、その気になればいつでも、行ける都市で行くとしたら市内から見える「岩手山」に雪が残っており、桜がまだ咲いている春、4月中頃かなと思っています。
「佐賀市」への交通のハードルも結構低く、羽田から福岡の「航空機・ホテル出張パック」を利用すとるかなり安くなり、佐賀へのアクセスも博多からの各駅でも1.5時間1,150円と近いので、これもその気になればいつでも条件はクリアできる場所です。
見どころは吉野ヶ里遺跡と有田焼・唐津城ぐらい・・・いずれもカミさんは全く興味がない街です。

最大のハードルの高い都市が鳥取です。
「スタバはなくても砂場がある鳥取」と云う自虐的キャッチフレーズの鳥取
「鳥取と島根のいち関係が分からない東日本の住民」・・・確かに、日本海に面していて、右なのか左なのか?
この歳になるまで鳥取県には行ってない思っていた・・・けど、行ってるではないか

改めて、マップで鳥取県をみると、県全体を3地区に分け、東の県庁のある鳥取、真ん中の第三の都市の倉吉、そして西、
島根県と接している、知名度の高い「米子」と日本海への「境港」と分かれているようです。
以前2016年、阪急の激安3泊4日島根の旅398の旅で松江から足を伸ばして、米子・境港へ行っているのです。
あまりにも、松江から近くて、鳥取県へ足を伸ばしたという感覚が残っていないだけです。
その当時旅の様子はユーチューブにUPしています。
私の旅の動画として、閲覧回数が数万を超えるヒットです。



この動画のナレーションでも、確かに鳥取県と島根県と云っているのですが、鳥取県に足を踏み入れたたという印象は残っていません。
やはり、ここは一度、鳥取に足跡を残さねば・・・しかし、ハードルは高いのです。
特に、近年、残された人生、せっかく遠くの未知の場所に旅するのですかに、お天気の良いシーズン、多少高くても、絶体の晴れた3日間であって欲しいと思っています。
特に、今年の福井もそうですが、日本海にめんした都市・地方を旅するに、気象前線に影響されやすい日本海側の都市で、関東から一番遠い地域に高い金を費やして、3日間、大荒れの天気は避けなくてはならず、当然団体パック旅行はどんなに安くてもつかえず、ここは「ゼロ死ねるか」の教訓どおり、人生の残された旅の記憶として、完全個人旅行で行こうと
思うのですが、自宅・関東湘南から、鳥取市への交通費は半端な金額では有りません。

交通費の試算 来年の春3月下旬と設定して最寄り駅始発で検索すると
電車・新幹線・特急乗り継ぎで6時間48分 金額20,440円


羽田から飛行機を使うと4時間08分 金額46,518円



ホテルは鳥取駅から200m
ニューオータニ鳥取イン ツイン25平米 食事なし二泊二人 23,000円

ここでトラベルコサイト経由 JRプランの合計金額は一人44,600円となります。
まともに、完全自分自身手配、旅の三日前、天気の良い日に行くとしたら、大凡二人合計、65,000となります。
個人パックとの差は20,000円、昔、以前なら問題なく、宿・JRビジネスパックを使うでしょうが、そろそろ、自分の晩年が微かに見え初めている
今、きっとプラス2万でも、個人自由選択を選ぶことになると思います。
航空機プランはこのブログ時点では確定しませんでしたが、どちらにしろ航空機をつかうのでしたら余っているマイルを使うことになるでしょう。

鳥取県の観光、何処で何を見る、何を体験する

とりあえず、鳥取西部はクリアしていると考え先ずは、何と言っても鳥取砂丘となりますが
4年前、城崎温泉に2泊して一日、吉永小百合の夢千代日記の舞台となった湯村温泉に行った時、バスセンターで鳥取砂丘行の路線バスを見て、鳥取が近いことを知りました。
その後テレ東路線バス乗り継ぎの旅、何度もこの湯村温泉の全但バスターミナルが登場するたびに、あの時、こんなに鳥取が近いのだったら行っておくべきだった、と今、後悔しています。



鳥取砂丘ってどんなもん

砂丘には期待していません。
これまで、世界各地の砂漠、荒涼とした風景を沢山見てきています。南米でも、中国知るクロードでも、アフリカでも、中央アジアでもみてきていますが、唯一この風景写真のような青い海と砂の丘陵は見たことがありませんが、実際に現地でこのようなアングルの風景をみ、撮影できるか場所があるかは分かりません。
それ以前に、あの砂の丘を、膝に故障を抱えている、団塊世代おじさんが登っていけるかどうかの自信もありません。

鳥取市内・駅前をGoogleマップで歩いてみた

 

私達、70代半ばシニア夫婦の自由旅行では宿は駅近くのホテル、ツインベッドルームの出来るだけ広い部屋と決めています。
そんなに、若い頃と違って朝から晩まで動き廻りませんし、時に午後ホテルに戻り午睡することもあります。
今回の妄想計画でとりあえずとろうとしている、ニューオータニ鳥取も調べてみました。
スタンダートツイン22〜25m2、公式サイトでは1名1名様24,200円ですが、早割二人二泊で22,000円です。
キヤンセルチャージは3日前で無料ですから、使えそうです。4星のニューオータニと名前はついていますが、直営ではなくきっと委託なのでしょう。
ほぼ駅前の位置ですし、鳥取県初めてのスタバも徒歩圏にありました。
私達は特別スタバにこだわりはなく、セブンやマックのコーヒーで十分ですが、話題になったニューオータニ鳥取りの県の「スタバ」行ってみたいじゃないですか。
正直、鳥取市で撮影したいのは、鳥取砂丘とこの「砂場のスタバ」だけです。

他に見どころ鳥取中部に何があるか

倉吉への距離感は
鳥取から倉吉へはJR線各駅、56分 680円 特急30分、1,440円
特別節約、ケチではなく、50分程度てしたら、ゆっくり山陰のローカル線車内・風景を楽しみたい「乗り鉄派」ですから。
でも、倉吉って何があるの? 検索しても「倉吉白壁土蔵群」しか出てきません。他にないのとさがしても次は「市営温水プール」ですから、朝の電車で行って
お昼すぎには再び鳥取にも戻ってくるような日程になるでしょう。

ということi二泊三日の鳥取旅計画は
一日目 大船を05:10出て鳥取に12;00到着 午後 鳥取砂丘 半日観光
二日目 さて、どうしましょう。湯村温泉にでも行くか
三日目 午前 倉吉観光、鳥取12時戻り 鳥取13:54岡山経由東海道新幹線経由 大船19:41分

ここまで、妄想旅計画ですが、果たして行くか行かないか?
このプランだと、鳥取は砂場しかないのかな。

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2024年11月27日

人はゼロで死ねるか  Die with Zero

家庭内新聞購読率低迷が続く
兵庫県知事選でSNSの情報が、大手新聞・テレビ・メディアの影響力、情報伝達パワーよりも大きかっと伝えていた。
確かに、新聞を自宅で定期購読している人の割合は下がり続けている。年齢統計では2008年度の88.6%から2022年度の58.3%へと30.3%ポイントの減である。
中でも、全国紙をとっている人は、同期間に55.1%から27.0%へと減小幅が地方紙と比べて大きく、年齢別に見ると、60代は同期間に93.6%から73.3%へとそれほどは減っていないが、30代では79.9%から30.3%へと半減以下と減少幅が大きい。
近年、新聞の広告に健康食品や補聴器などの治療器具が多くなっているのは、高齢者が読むことを前提してだろう。
さらに紙面の内容についても、左派的な色彩が濃かったり、年金や健康・医療などの記事が多いのは、高齢者のノスタルジーや現今の関心事に訴えるからであろう。
と、想定されている。確かにまわりの知り合いを見回すと、自宅で新聞をとっていない家庭は多く、外部の情報をテレビやインターネット、特に個人が発信するSNSから取り入れているシニアも増えていると伝え聞く。

朝の朝食時に先に起きて食事を済ませているカミさんは、私がリビングに云っても目もくれずにが、新聞を読んでいる。何を見ているのかと思うと経済欄の特集記事
「ゼロで死ねるか」93歳、使い切れなかった20億円という見出しが見える確かに、カミさんの大好きな話題、今日のカーブスのおしゃべり、ランチ会の話題を仕込んでいる様子。

記事1
タイトル「93歳使い切れなかった20億円」
都内のマンションて一人暮らしの男性が倒れているのを、訪れた証券会社担当者が発見した記事、その後死亡した男性の戸籍を調べ、親・兄弟などの相続人は他界し、遺体を引き受ける人は誰もいなく、結果、財産は全て国庫に入ることになった。
記事2
タイトル「老後資金しっかり試算、やりたいこと恐れず」に
医師「和田秀樹」さんはこれまでの臨床経験で、死期を悟った高齢の患者が後悔する声をたくさん聞いた。
もっとも多いのは「もっとお金を使ってやりたいことをすべきだった」
記事3
タイトル「認知症80歳のケース契機 始めたゼロ活」
ファイナンシャルプランナーの女性(66歳)は3億円の金融資産を持ちながら身寄りがないまま、認知症を発症した80歳の男性のケースを扱ってから「ゼロ活」を始めた。経済白書によると、高齢者の資産に関する考え方でもっとも多かった回答は「使い切りたい」で34%だった。

初めて聞く、ゼロ活とは

「ため込むばかりなく、元気なうちにお金を効率よくどう使うか、絶えずシミレーションしておく必要がある」
夫婦の場合、夫と妻の寿命をまず想定する。
健康寿命と死亡数最多年齢。
日本人男性の健康年齢は72.68歳、死亡数最多年齢は88歳
女性の場合はそれぞれが75.38歳、93歳。
公的年金と夫婦二人の月々の生活費の収支、ほかに一年間に必要な税金・保険・ゆとり経費を算出
し、これから先10年単位で発生するだろう、家・家電製品を維持する経費などを想定し書き出し数字を具体化する。
女性のほうが寿命が長いので夫と死別した後、一人で10年生きると想定する。
老後を「夫と暮らす前期」「一人になる後期」分けてかかる費用を想定する。
ここで、問題となるのが、近年の物価上昇、インフレ傾向。
2003年に早期退職してから21年、団塊退職世代として幸いなことに「失われた日本経済30年」が続き、デフレ傾向にあったこと。
退職資金プラン上では、日本経済の想定インフレ率は、大手生保会社の一時払い生保の利率2%を参考に計算しててたものが、ここ20年、大きな物価変化がなかったが、コロナ禍以降の円安、原油高、アシア諸国・発展途上国の急速な経済発展で、実際に家計費は確実に上昇しつづけている。

ゼロ活は夫と妻二人でやらなくてはいけない。
男ひとり、独身者なら、自分の収入と想定出来る支出で計算は可能かもしれない。
本当にゼロで逝っても構わないが、夫婦二人、子供なしの場合は、残された妻・あるいは夫のことを考慮しなければならない。
幾ら、残された年月がある程度計算出来たとしても・・・
幾ら、医療費が高額医療制度で計算出来るとしても・・・
幾ら、介護費用、施設に入居した時の費用が想定出来たとしても・・・
今、住んでいる家の処分、売却出来ない、日本人は、老人はいつか帰る家を確保したいという本能がある。
子供のいない夫婦にしても、二人して逝った後の後後始末は、姪っ子にお願いするにしても・・・
姪っ子に現在の鎌倉のマンションを相続人と指定しても・・・
ある程度の現金は残してあげなくては・・・
今の価値感覚というと、最低500万は残しておいてあげなくては・・・・

現在の二人の年金と現在のインフレ率を考慮すると・・・
一年間に二人の公的年金の他に毎年預貯金から100〜120万を出費するのは確実
私が逝った後、当然カミさんに入る年金収入は減るので預貯金から引き落とす金額一人暮らしでも変わらず年に150万円
老後を「夫と妻暮らす前期」は後10年 公的年金+150X10=1,500万
カミさん「一人で生活する後期」後10年、公的年金+150X10=1,500万
つまり、現在2024年、この計算では3,000万+姪っ子へ500万に、+現在の20年後の自宅マンションか。
まあ、予定、計算通りではあるが・・・
人生、そう簡単、計算どおりとは行かないのはこれまでの人生で解ってはいるが・・

ではベストセラーとなっているアメリカ人の「Die with Zero」はどうだ

Die with Zeroこの本の要約は
要点1
喜びを先送りにしてはいけない。限られた時間の中で幸福を最大化するためには、人生の早いうちに良質な経験をすることが大切である。
要点2
どんな金持ちも、あの世にお金は持っていけない。だからこそ死を意識し、「ゼロで死ぬ」を実践すべきだ。
要点3
人生をよりよいものにするには、お金、健康、時間という人生の3大要素のバランスを、いかに取るかが重要になる。
要点4
物事には賞味期限がある。そのチャンスを逃さないためにも、大胆に行動すべきだ。リスクを取らないリスクを過小評価してはならない。

この本の著者はビル・パーキンス (Bill Perkins)
1969年、アメリカテキサス州ヒューストン生まれ。
アメリカ領ヴァージン諸島を拠点とするコンサルティング会社BrisaMaxホールディングスCEO。
アイオワ大学を卒業後、ウォールストリートで働いたのち、エネルギー分野のトレーダーとして成功を収める。
現在は、1億2000万ドル超の資産を抱えるヘッジファンドのマネージャーでありながら、ハリウッド映画プロデューサー、ポーカープレーヤーなど、さまざまな分野に活躍の場を広げている。本書が初めての著書となる


日ごろから、自らの死を意識して生活している人は少ない。
人は人生が永遠に続くかのように日々を生きている。だからこそ未来に希望を抱き、老後に備えて貯金をするのだ。
これは一見すると合理的な行動である。だがその結果、喜びを先送りにし、やりたいことを我慢してはいないだろうか。
何人たりとも時間には抗えない。
だからこそ、限られた時間の中で幸福を最大化するために行動すべきだ。そしてそのタイミングは「今」である。
お金を無駄にするのを恐れ、チャンスを逃しては本末転倒だ。
大切なのは、どうすれば幸せになれるかを考え、そのために惜しまずお金を使うことである。そして適切なタイミングで、ふさわしい経験をすることで、人生は豊かになる。老後のために貯金するのも決して悪いことではない。だがそれに固執していては、貴重な時間を浪費しかねない。

結論は「ゼロで死ぬ」
お金はライフエネルギーだ。
ライフエネルギーとは、何かをするために費やすエネルギーのことを指す。たとえば仕事は、「ライフエネルギーを消費する代わりに、お金を手にする活動」と言い換えられる。
収入と時間、カロリーと運動などは、トレードオフの関係にある。
このライフエネルギーを意識すると、衝動買いや悪い生活習慣を見直すことができる。
「30万円の時計は何時間分の労働に値するのか」、
「目の前のクッキーのカロリーを消費するために、どれくらい走らなければいけないのか」など、ライフエネルギーとして計算できるようになるからだ。
とはいえ、節約ばかりしているのも考えものだ。
その時しかできない経験の機会を失ってしまうと、世界が必要以上に小さな場所になってしまう。
そうならないためにも著者が提唱するのは、本書のタイトルでもある「ゼロで死ぬ」ということだ。必要以上にため込むのではなく、今しか味わえない経験に時間と金を費やす。これを突き詰めると「ゼロで死ぬ」というところに行きつく。

思い出はあなたに配当を与える
著者が20代の頃、ルームメイトが旅行資金を工面するために多額の借金をした。
当時の著者には、その行動がはなはだ理解できなかった。そのルームメイトはこれといった予定を決めず、単身ヨーロッパへ旅立った。
数カ月後、戻ってきたその彼は、体験談を聞かせたり、写真を見せたりして、旅によって人生がいかに豊かになったかを著者に説き、「返済は大変だったが、旅で得た経験に比べれば安いものだ。だれもあの経験を僕からは奪えない」と語った。
このエピソードからわかるのは、「経験がいかに大切か」ということだ。人生は経験の総量によって決まる。
私たちは小さい頃から、「いざという時のためにお金を貯めよう」と聞かされて育つ。
しかし勤勉に働き、喜びを先送りすることだけが美徳ではない。人生に最後に残るのは思い出だけだ。だからこそ、早いうちに様々な経験をすることが重要なのだ。思い出は金融投資と同様、私たちに配当を与えてくれる。
その瞬間の喜びだけでなく、あとから振り返ることで、当時の風景や感情を追体験できる。これはかけがえのない宝物だ。
そして人生の早い段階で最良の経験を積めば、思い出の配当をより多く得られるのである。

行動の自動化をやめる
出社前にコーヒーショップに立ち寄り、決して安くないコーヒーを毎日買う習慣を持つ人は少なくない。
だがコーヒーに支払うお金を貯めれば、旅行にだって行けるはずだ。
習慣によって行動する、いわゆる自動運転のような生き方は、考えることも少ないので楽である。
だが人生を楽しむためには、無意識的にとっている行動を止め、自らの意思で進むべき道を歩むべきではないか。
言い換えれば、お金と時間の使い方をよく考えて日々の選択をすべきなのだ

人が実際に「ゼロで死ぬ」ことは難しいと云う
でも、その目標から逆算して、人生をより充実させていくことが大事と説いている。
人がお金を使いれない理由は
1,自分がいつ死ぬか分からない
2,老後の生活は意外にお金がかからない
3,お金はステータスになる
4,子供にのこしたい
 の4つ、アメリカのシニアにも似た傾向にあり、65歳で退職した時にある資産の減少率は20年後で1割強に過ぎないという。
年を取ると想像よりもお金を使わないので、子供に早めに財産を引き継ぐことを勧めている。
その理由は「お金を使う能力は年齢によって変わり、同じ金額でも60代よりも、30〜40代のほうが価値を高められコスパが良い」と説いている。

これを踏まえて、私達夫婦は考えています。
本当にゼロで逝くことは、妻、夫、家族がいる限り難しい、無理がある
若い頃30代半ばから、退職資金計画を考え、行動に移してきた私達の場合、資産の減少率は想定グラフどうり減り続けているし、月々の生活費もインフレ、物価高とともに少しづづ増えていくが、その分、一年間のゆとり費用を削っていくことになっている。
年間100万を予定していた、旅行や趣味の費用は年々減っていってます。
今年は宿泊を伴う旅行は6月の福井新幹線の旅以降ありません。
一つには、夏の猛暑、秋から台風不順がありますが、それ以上に私の下半身体力不足と、カミさんの家庭内転倒による足小指の骨折です。
その余ったお金は、私が元気なうちに、20年経過した給湯器・ユニットバス・家の小さな修繕・リフォームと消えていくでしょう。
私が、逝った後、カミさんに余計な負担をかけたくないと思いからです。
新聞の「ゼロで死ねるか」特集記事のラスト締めくくりにはお金がないなどの理由でやりたいことを先延ばしせずに、元気なうちにやり「悔いのない人生を送れるよう、しっかりと考えてほしい」と結んでいました。

なんか変な締めくくり・・・
お金がなくて出来ないことのほうが、圧倒的に多いのが人生だけどな。

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2024年11月25日

フレイルなんてづっと先の年寄りの話だと思っていた

後期高齢者二年目、来年は喜寿七十七歳になります。

喜寿の色というと「紫」で昔はむらさき色の頭巾を被らされてようですが、今、この時代「紫の頭巾」を被らされる団塊世代のおじさんは皆無でしょう。
「俺の誕生祝で遊ぶんじゃない」「俺はまだまだ元気だ」と怒鳴るのではないでしょうか。
「喜寿」の祝いははるか昔、実家の母の77歳を田舎の姉が、普段めったに行けないよう善光寺の料亭にセットして夫婦二人でお祝いの席に参加したことがあります。
兄弟四人で卓上時計をプレゼントし、母はこの歳まで生きて、子供たちからお祝いしてもらうなんて、ゆめにではないかと、泣いていたを思い出します。
あれから、何年たったのでしょう。母は85歳でなくなり、長男は72歳でなくなっており、現在三人、姉は80歳、次兄は79歳となりました。

そして、退職予算計画の私の余命78歳まで後、一年になります
流石に、予定どおりの78歳(計画時の団塊世代の平均寿命でした)は少々、無理、早いでしょが、2024年の76歳男性の平均余命は11.47年、女性の場合はほぼ15年とありますが、
団塊の世代(1947〜1949年生まれ)の平均寿命は、男性で80.98歳ですから、それ近く81歳近くと思っていたほうが良いでしょう。
昨年は・谷村新司・西郷 輝彦が、今年は、西田敏行が逝った。

カミさんには、私の余命は後5年と云ってます。
でも、恥ずかしいから世間・ネットでそんな事云わないで、書かないででいってますが・・・
しかし、今年の夏の猛暑・熱暑を経験した今年、今、全く自分の健康、特に体力・脚力に自身が持てなくなってなってきています。
今年、春5月の北陸の旅から帰ってきてから極端に体力の不調を感じてきました。
3日間の北陸の旅は新幹線を使っての夫婦二人の自由旅行でそんなに強行軍でもなく、一日の移動、歩く距離もさほどではありませんでした。
一日目21,000歩、二日目25,000歩、三日目14,000歩、3日間合計60,000歩
七十代夫婦としては、まあまあと思ってはいましたが、やはり、この3日間の歩きが響いていたののてしょうか?
私は毎日、朝一番に体重・血圧を測り記録し、一行日記をつけています。

帰ってきてからの翌々日の日記には
5月24日 夜間頻尿トイレ7回、体がだるく重い、食欲全くなし風邪のような症状、
5月25日 何年ぶりかの体重65キロ台、筋力の低下、一日だるい生活、食欲もなし、
     朝の体重計  で足がどんどん細くなっていくのを感じる、早く元に戻らねば
5月25日 銀行への予定だったが安静に過ごす、唯一世間とつながっているネットを優先せざる
     を得ない、すこしづづ回復気味、食欲もでてきたが万全ではない
5月26日 体重が一気に下がり65.2、体調徐々に回復気味なれどカミさんが風邪気味、
     視野検査の予約だけすませる
と、不調が続いていました。そこに今年の猛暑です。
体重だけは、そんなに良くないのに何を食べても増えて、5月の北陸旅行から半年、今朝の体重は67.6キロと2.5キロも太ってしまいました。

団塊世代の後期高齢者、体重は痩せるよりは「いい」と云われますが・・

ともかく、足腰が弱くなっているのは実感しています。
今年の夏までは、全く考えもしなかった最寄り駅から帰路、駅から我が家マンション玄関前のバス停まで、ワンストップ、2分の距離でも、バスターミナルに停まっているバスがあるか、目で追っている自分がいます。

以前はバス停ひとつでバス代210円は勿体ないというよりも、この距離でバスに乗る自分が情けないやら、許せないという気持ちでしたが、今は許せる気持ちです。
どんなに気持ちは若くても、人の体は老いていくものなのでしょう。
特に、昨年の暮れから、体育館室内でやっていたラケットテニスと呼ばれる、レジャーテニスを止めてから、定期的なスポーツはしていません。
辞めた、一番の理由は膝、内側の違和感によるものでした。
普段の生活ではなんともないものが、スポーツで一気に踏ん張ると炎症を感じるようになったのです。これ以上やると、悪化すると判断しやめました。
週一の定期的な運動を辞め、メインだったNPOボラを止め、webサイトサポートボランティアが2団体だけになった今年の夏、今までに経験したことのない異常な暑さ、猛暑・熱暑で極端に外出が減るようになりました。

老化の原因で前々から使われている用語「フレイル」
が現実的になってきているのを認識した今年の暑さでした。コロナ禍において長い間外出を控えていた影響で、特に高齢者の体力や気力が低下し急速にフレイルが進んでいるといわれています。
フレイルとは?
フレイルとは、簡単にいうと加齢により体力や気力が弱まっている状態のこと。
以前は「虚弱」や「衰弱」などとよばれていましたが、フレイルは、身体的問題、認知機能の問題、精神的・心理的問題、経済的困窮などの社会的問題など、さまざまな面からなる概念です。
「虚弱」や「衰弱」という言葉の「加齢により不可逆的に老い衰えた状態」というイメージを払拭すべく、2014年に日本老年医学会が、英単語の「Frailty」がもつ「しかるべき介入により再び健常な状態に戻るという可逆性が包含されている」とのイメージから、「フレイル」という言葉の使用を提唱しました。
フレイルは要介護状態の前段階と考えられていますが、適切な介入により再び健康な状態に戻ることが期待できます。
一方で、フレイルを放置すると、心身の機能が徐々に低下し生活の質の低下につながるほか、転倒や骨折、認知症などのリスクが高まります。
また、糖尿病などの生活習慣病の発症にも関連することがわかっています1。早めのフレイル予防と対策が重要です。
いつかは、自分の周辺、身近に「フレイル」という単語、用語がまとわりつく時間・環境が起こり得るのは、漠然と解ってはいましたが、77歳の喜寿を前にしてもう、フレイル対策をしなくてはいけないのか?

フレイルはどのように進行するか
フレイルは、主に加齢による心身の能力低下によって進行します。
剛健は、いわゆる健康な状態を指し、生活機能に支障のない段階です。
プレ・フレイルはフレイルの前の状態のことで、生活機能の低下が始まっています。
プレ・フレイルの時点で予防・対策をせず放置するとフレイル、そして要介護へと進んでいきます。要介護は、身体機能障害などによる寝たきりや認知症などで常に介護を必要とする状態のことをいいます。
要介護認定では、要支援1から要介護2前後までをフレイル、要介護3から要介護5を身体機能障害と考えるのが1つの目安です。

さしずめ今年の私は「プレ・フレイル」状態なのか

フレイルになりやすい年齢は?
何歳からフレイルに注意が必要なのか、その年齢は明確ではありません。その人の身体状況によって差があります。
ただ、65歳以上の日本人を対象とした調査では、75歳未満でフレイルの方は5%以下ですが80代前半では20%を超え、85歳以上になると約35%の方がフレイルであったと報告されています。高齢になればなるほどフレイルに注意が必要といえるでしょう

フレイルの判定基準
フレイルと考えられる状態は、次の5つの項目のうち、3つ以上該当する場合です。

 項目     評価基準
・体重の減少   半年で2s以上の意図しない体重減少
・筋力の低下   握力:男性<28kg、女性<18kg
・疲労感     ここ2週間理由もなく疲れたような感じがする
・歩行速度の低下 歩く速さが1秒あたり1mを下回る
・身体活動
 @軽い運動・体操
 A定期的な運動・スポーツ 左記2ついずれも週1回未満の場合
 
1つか2つ該当する場合は、フレイルの前段階である「プレ・フレイル(前虚弱)」
1つも該当しない場合は「剛健(健康)」と判断します。

もしかしてフレイルかも?フレイルチェックで確認
フレイルを簡易的にチェックする方法の1つとして、厚生労働省が作成した「基本チェックリスト」があります。
本来は、介護が必要となる可能性が高いかどうかを調べるためのチェックリストなので、フレイル診断のための基準は明確ではありませんが、25点満点中、8点以上になるとフレイルである可能性が高いと考えられます。

基本チェックリスト(厚生労働省)
No. 質問項目 回答  (いずれかに〇をお付け下さい)
1 バスや電車で1人で外出していますか 0.はい 1.いいえ
2 日用品の買物をしていますか 0.はい 1.いいえ
3 預貯金の出し入れをしていますか 0.はい 1.いいえ
4 友人の家を訪ねていますか 0.はい 1.いいえ
5 家族や友人の相談にのっていますか 0.はい 1.いいえ
6 階段を手すりや壁をつたわらずに昇っていますか 0.はい 1.いいえ
7 椅子に座った状態から何もつかまらずに立ち上がっていますか 0.はい 1.いいえ
8 15分位続けて歩いていますか 0.はい 1.いいえ
9 この1年間に転んだことがありますか 1.はい 0.いいえ
10 転倒に対する不安は大きいですか 1.はい 0.いいえ
11 6ヵ月間で2〜3kg以上の体重減少がありましたか 1.はい 0.いいえ
12 身長  cm 体重  kg(BMI=   )(注)
13 半年前に比べて固いものが食べにくくなりましたか 1.はい 0.いいえ
14 お茶や汁物等でむせることがありますか 1.はい 0.いいえ
15 口の渇きが気になりますか 1.はい 0.いいえ
16 週に1回以上は外出していますか 0.はい 1.いいえ
17 昨年と比べて外出の回数が減っていますか 1.はい 0.いいえ
18 周りの人から「いつも同じ事を聞く」などのがあると言われますか 1.はい 0.いいえ
19 自分で電話番号を調べて、電話をかけることをしていますか 0.はい 1.いいえ
20 今日が何月何日かわからない時がありますか 1.はい 0.いいえ
21 (ここ2週間)毎日の生活に充実感がない 1.はい 0.いいえ
22 (ここ2週間)これまで楽しんでやれていたことが楽しめなくなった 1.はい 0.いいえ
23 (ここ2週間)以前は楽にできていたことが今ではおっくうに感じられる 1.はい 0.いいえ
24 (ここ2週間)自分が役に立つ人間だと思えない 1.はい 0.いいえ
25 (ここ2週間)わけもなく疲れたような感じがする 1.はい 0.いいえ
     BMI(=体重(kg)÷身長(m)÷身長(m))が18.5未満の場合に該当とする。

フレイルになる3つの原因とは?
フレイルは身体的問題や精神的問題などさまざまな要素を持つため、原因も多岐にわたります。
ただ、それらの原因は大きく分けると栄養不足・運動不足・社会参加の不足の3つとなります。
栄養不足
加齢や薬剤の副作用による食欲の低下や、食べ物を噛み砕く力や飲み込む力の衰えによる食事量の減少は栄養不足につながります。
栄養不足になると、筋肉量が減少して、筋力やからだの機能が低下するため、フレイルの悪化を招きます。
高齢者の呪文 「さあにぎやかにいただく」 フレイル予防 ともかくバランス良く食べることが大切。

運動不足
高齢になっても自立した生活を送るためには、少しでも多くからだを動かすことが大切です。
運動習慣や身体活動量が減ると筋肉は減ってしまいます。
高齢期にみられる筋肉量と筋力の低下は、サルコペニアとよばれ、フレイルの原因の一つとなっています。
社会参加の不足
就労や余暇活動、ボランティアなどで社会との関わり持っている人は、フレイルに対するリスクが低いと報告されています。
社会参加の機会が減ると、運動量や、人との交流が減ってしまいます。
そうなると、からだや心の健康が損なわれてしまい、フレイル状態につながります。

フレイルの予防は社会参加、何にでも興味を持ち世間に出かけること。

55歳で早期退職し、同じ世代のこれからの老後の過ごし方、生き方についてネット上のプラットホームを作る為に、全く今まで知らなかった、「世間」という業界に入り込み知りました。
「日本人の定年まで働き続けた会社人間だった男性の不器用な老後の生き方」を。
皆さん、ほとんどのご家庭では、奥さんから、「一日中家のなかにいないで、外出してくれ、私の時間、スペースを侵さないで」と、最初は闇に、次に面と向かって言われるようになるなるのです。趣味とスポーツとか、ボランティアとか、仲間づくりとか・・・
しかし、戦後の日本男性はこの分野での仲間造りは苦手なのです。
どうしても、出身地、所属していた社会階層、学歴、仕事、会社分野、そして徐々に趣味の世界の話になっても、素直に仲間の才能、技術,感性につていけなくなるのです。
趣味のクラブ、ボランティアNPOでも、歴然と現役時代の履歴がつきまとってきます。
それが嫌、苦手なひとは、一人で完結する社会、趣味、家庭に没入するだけ、自然に外出は少なくなり、自室、パソコンの社会だけになり、運動不足、着るもののも、食べるものも
そんなに気にならなくなっていく・・・
これは、私自身のことでもあるのです。
ともかく、後期高齢者となり、体力・気力・好奇心が衰えていき、フレイルの身はいつしか、人の手をお借りするようになる。これは、確実にそうなります。

今は、そんな介護が必要になる時間を如何に遅らせるか・・その前に決定的な病いで逝くかだと、思っている、76歳、団塊世代の年の瀬です。

今年の秋は、まだ何処にも出かけない。

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2024年11月23日

時代、世代間格差を感じる 定年退職後の過ごし方

先週、東京都会の夜の撮影に出かけました。

昔から有名なスポットとしての東京六本木けやき坂イルミと、10年前から始めた「目黒川イルミネーション」の二箇所撮影を目指してでかけました。
六本木は、私が21年前に退職した、建設ENG会社に入社した頃(40数年前)から「森ビル」主導で再開発がはじまった地点で、色々な思い出がある場所ですが、「飲めない、下戸」の私としては、仕事以外では全く縁のない地域ですが、近年イルミネーションと東京タワーの撮影スポットして人気の地です。
ちょうどバブル真っ盛り頃でした、中途入社の新参者はまだ30代のはじめで傘下の下請のけ職人会社の世話で精一杯の毎日でした。
そして、毎週のように、現場では名前を替えた会議と称した全て現場経費で落とす「飲み会」の連続でした。
あの頃のニュース映像で、一万円札を手わひらひらさせて、タクシーを捕まえる風景がありますが、アレは本当でした。
六本木どおりには帰りのタクシーを捕まえて、この日の接待客のお客さんを無事におくり届ける若手社員が必要な時期でした。
いまでは信じられない風景、「パワハラ」がまかり通っていた時代であり、建設業界、私達の世代では何ら疑問にも思いませんでした。
あの再開発ば始まる前、あの周辺には、木造の住宅街が続いていたのを覚えています。
あの六本木の街は今や、おしゃれな街、AT成功者が住まいを構える高層ビルの街、そして夜にはタワーとイルミネーションを求めて、若い女性が集まる街となっていました。
現役最後20年前に携わった、私達の建設業者の間「六々計画」と呼ばれた「六本木ヒルズ」には煌々と明かりが灯っていました

六本木の撮影を終えて、次に向かったのは、中目黒です。

目黒川は桜の名所ですが、桜の季節以外は普段はそんなに人が集まる場所でもないので、地元商店街が人集めの為に、桜並木にピンクのLEDイルミネーションを施し「SDGS」とてして、商店桜街の飲食店が使われている食用油の廃油を原料とした発電機による、ライトアップを企画して10年目になります。
イルミネーションは、ピンク一色で、六本木とはまた違った雰囲気の良い、映像が撮れ帰路につこうとした時、山手通りで何処かみたことのある姿・形を発見して近づいて見ると元会社の部下「A君」てす。
もう、元会社の年賀の挨拶に行かなくなって10年になります。
彼は確か私と同じ「ねずみ年」ですから今、64歳のはず・・・
彼が中目黒のイルミネーションに・・・そんな理由はすぐに分かりました。
ここには元大切な客先だった大手保険会社の拠点ビルがあり、メンテの社員が数名常駐している大切なお客様だったのは承知しています。まだ、今でも繋がりがあったのか?
「A君」は自宅が八王子、私は鎌倉で、二人共「飲めるほう」ではないのですが、まだそんなに遅い時間でもないので、駅近くの「スタバ」でちょっと近況を聞きたくて誘いました。
「A君」は来年の誕生日で「役員定年」になるそうで、今日、中目黒に来たのは65歳以後の仕事に関する、相談・面接?のようです。
ちょうど、一回り下、昭和35年(1960)生まれ、私が部長の頃の直属の課長でした、そうそう、「ねずみ年」と云えばふた周り下のねずみ年の係長だった「S君」はどうしてる?と聞くと
「B子ちゃん、覚えています?CADの子、あの子、地元の田舎に引っ込んだのを彼は追いかけて辞めていきました」
私達、同じ「ねずみ年」、世代がちょうど二廻り違うのですから「S君」は今52歳ですよね、
「すると部長(私のこと)が会社を辞めた年齢に近いということですか?」

ここから、話が「A君」の退職と今後の話になりました。
2003年、今から21年前、私は55歳で早期退職しました。
「A君」はその時43歳、バリバリの課長だったし「S君」は31歳の超若手、現場要員だった。
「A君」は私が辞めた後、ダイレクト受注部門の役員となり5年前、定年を迎え、5年間の役員待遇の再雇用契約で今日まできたそうです。
退職金について聞くと、私が55歳でやめた時の金額にブラス1,000万程度と意外に少なく、八王子でも新築戸建てが買えない金額のようです。
65歳からの年金を聞くと。手続きをはじめたばかりでまだ正確に分からないけど、「知っての通り、業界の厚生年金基金が解散したので、年金は普通とさして変わりないでしょう」
A君の奥さんは社内結婚で結婚後は退社しているし、結婚後、奥さんの子宮頸がんが分かり子供はおらず、働いていないので、ほぼ給与所得者の全国平均程度と同じぐらい、彼も中途入社組なので奥さんの分をいれても、月に23万、年間275万だろうと、云うと、食べてはいける程度ですね・・と云います。
「A君」は子供なし、家は奥さんの実家を引き継いでいるようですから、退職金は丸々残るので、夫婦ふたり年金を月々のベース経費として、ゆとりある生活、あるいは将来への蓄えはの原資はあるだろうと、話すと、「先輩がこれまで20年してきたのような老後、定年ライフは、たった一世代下の私達は出来ないのが日本経済なんです」と云います。

私が退職した頃と今は全く違う経済環境

「A君」は会社の定年を迎えた5年前から、私達団塊世代の発信する情報・ブログなどに目を通すようになったと云います。
私が早期退職した21年前、2003年平成15年と、今2024年令和6年では、退職者年齢世帯が置かれている社会・経済状況は全く違うというのです。
「A君」は直属の上司であった私が、退職後、かなり自由に世界中を飛び回っているのを知っています。
彼は私と同じ会社、同じ部署、子供なしの夫婦同じ環境なれど、かなり違っているの指摘します。
私が、退職後、年に二回以上、ハワイ・ワイキキで9日間過ごしてきたのを彼は知っていました。
そして、今、それと同じことをしようとすると、幾らかかるか計算しようとして、止めたといいます。
あまりにも違い、世代間格差と云うよりも、時代に翻弄されているのを数字で知る怖さが、嫌だと云います。
確かに、自分でも半分、ラッキー、時代が良かった、バブル勝ち逃げ世代であること理解していますが・・・

今、ハワイは高くてそお簡単に、頻繁には行けない

 
新聞のJTB全面広告でハワイ6日間を見て、「A君」の云う世代・時代の格差は確かに感じました。
ハワイ・ワイキキのまあまあビギナー夫婦ふたり標準的なホテル、プランです。
ハワイは意外2月、3月が高いことを日本人はしりません。理由はアメリカ本土西海岸からの旅行者・避寒客が多いのでホテルの値段はあがるのです。
このリフレに掲載されてい金額は、燃油サーチャージ35,000〜45,000の他に、空港諸税、観光税、ESTA登録諸税がかかります。
3月に夫婦二人でワイキキ、ホテルはすタンタセードなワイキキビーチホテル、4泊、朝食付きですと、諸税・燃油込で30万弱かかります。
現地滞在費・食事代・移動交通費は賞味4日間、1ドル155円計算で二人で800ドル15万(特別お土産なし)、日本国内の移動費を含めるとほぼ50万円かかります。
私達が早期退職した2003年ころから10年のハワイステイ生活の様子は以下でご覧いたたけます。
ハワイミドルステイライフ

2003年から10年間、通っていたワイキキは格安航空券・慣れたパジェットホテルは7泊9日で旅行代理店への支払いは最安時二人で20万以下、最高値で25万程度でした。
後はワイキキでの二人の滞在経費、1ドル80円から100円時代が長く続きました。
ハワイでは特別なことせず、いつものような朝からゆっくりと、公園でABCストアーのコーヒーと、サンドイッチの朝食で過ごような生活ですかと、一滞在の二人のワイキキの旅の
予算は原則30万円でした。
今、現在4泊6日にしても二人で最低でも50万ちかく必要になるのは、全て、現在の日本経済・世界経済・インフレのせいで、決して個人のライフスタイルのせいではないのです。
団塊世代、も人よりも5年早く退職した、ラッキー、時代だっただけです。

次に同じ日の阪急旅行社の新聞広告にびっくり

 
マチュピチュとナスカの地上絵で65万から99万円?
私達夫婦二人がマチュピチュを訪れたのは平成元年(1989)の暮れお正月休みでした。
まだ現役時代私41歳。カミさん38歳、35年前です。
南米13日間の12名団体パックツァー、リマ・クスコ・マチュピチュ・ナスカ・チチカカ湖・ラパス・リオデジャネイロの旅でした。
費用は私の暮れのボーナス手取り一回分に収まる程度で、この頃から二人のお正月の旅行費用はこの時の旅行費用がベースとなりました。
旅行社への支払いは、この阪急の企画手配旅行の最高値一人分程度でした。
31年前の値段と比べて、旅行日程・場所も違いますが、明らかに日本経済は「失われた30年」を今、体験しているのでしょう。
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昔は良かった、今の若者は・・・という言葉は
昔、現役時代、お年寄り、先輩、先人たちがよく口にしていた言葉を思い出しています。
まさか、今、会社の後輩やら、自分たち甥っ子たちの生活、今後の退職後、リタイヤライフを目にしてこんな言葉を自分で口にするとは思いもしません出した。
世の中、確実に格差社会は進んでいくのは目に見えている、2024年の暮れの風景でした。


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2024年11月21日

be Ranking 好きな戦後の横綱は



69連勝で有名な大横綱、双葉山が引退を表明したのは、今から79年前(昭和20)1945年、終戦の年の11月でした。
私達、団塊世代はまだ生まれていない、初冬の頃で当時の大ニュース、駅頭の号外が取り合いになりました。
それから多くの横綱が誕生し活躍してきました。
今回の朝日新聞「be Rankig 」は、読者購買層、はたまた現在行われている大相撲九州場所千秋楽間近を意識してか、大相撲横綱ランキングでした。

一位 千代の富士
北海道松前郡福島町出身1955年生まれ
1981年26歳で横綱に昇進「ウルフ」の愛称で人気に、 1988年夏場所から53連勝を記録し、89年には角界初の国民栄誉賞に輝いた。
今回の読者によるランキング投票では、二位の大鵬への投票3桁を大きく上回り、唯一4桁の投票を獲得して、ダントツの一位の人気でした。
【読者コメント】
脱臼に苦しみながら筋肉を鍛え、大関昇進後はあっというまに横綱に上り詰めた。その後の活躍に容姿の良さを加え、無双の横綱でしょう。「78歳男性」
体が大きくて思いアンコ型じゃなくても横綱になれねんだと思った。筋肉がすごく力があるんだなと思った 「60歳女性」
連勝を重ねていた頃、会社の従業員出入り口の傍らにあった管理事務所の管理員さんに、今日は千代の富士は勝った?とと聞いて勝ったと解るとうれしく、明日も頑張っていこう
と活力になった。「74歳女性」

二位 大鵬
北海道川上郡弟子屈町出身出生地は樺太。1940年(昭和15年)生まれ
1961年に横綱に昇進、「巨人、大鵬、卵焼き」が流行語になり、柏戸とならんで当時の大相撲人気を牽引した。
【読者コメント】
大相撲の観戦など縁のなかった小学生時代の頃、相撲観戦といえば白黒テレビだった。
チャンネル権を握る祖父と一緒にテレビの前で観戦していたことかなつかしい。
兄たちは横綱柏戸を応援していたが、私は横綱大鵬を応援していた。圧倒的強さはもちろんのこと、堂々たる取り口が好きだった。
大鵬がけたぐりで敗れた時は、卑怯な技だと憤慨したことを覚えている。
本当に素晴らしい横綱らしい横綱だったと思う。北海道の川湯温泉の大鵬相撲記念館も大人になってから訪れた「77歳男性」

三位 初代若乃花
1928年、青森県弘前市出身 1958に横綱に
豪快に投げ技は仏壇がえしの異名も、「栃若時代」を築く
【読者コメント】
関脇で望んだ昭和30年9月場所で横綱千代の山との一番は水入り後の取り直し、さらに水入れリの末、「引分け」となる今では想像もつかないような激闘だった。
小学校から帰る道すがら、街の電気屋さんのテレビで一回目の水が入ったのを見て帰ってところ、今度は二度目水入り両者とも疲労困憊。とうとう引分となったのだが
ランドセルを下ろすのを忘れて見入っていたのを思いだす。
それら引き換え最近の相撲は水入りはおろか、この時の相撲のように、がっぷり四つに組むこと自体が少なくなってきている。見ている方も肩に力が入るような熱戦を滅多に目にする
ことが少なくなってしまった。長年の相撲ファンとして残念至極である。「81歳男性」

四位 貴乃花
父親は元大関、叔父は大横綱の家系、兄ともに兄弟横綱「若貴ブーム」のを
作り、平成の一大相撲人気を支えた。怪我をおしていのの優勝で当時の小泉首相から「痛みに耐えてよくがんばった。感動した」と表彰され。
【読者コメント】
不器用な大横綱、流れに素直に従えば、順風満帆な生活が得られたと思われましたが、やはり正義感が先に立ちましたね。しかし、大横綱としての素晴らしい人生。流されず、素直に
正しいことを率直に表現出来た大横綱だと思います。悪しき慣習に飲み込まれない、ガチンコ勝負を見習いたいものです。「75歳男性」
貴乃花の鬼の形相は忘れられない。膝の怪我で横綱の寿命は短くなってしまったが、あの形相はわすれられない。「73歳男性」
現役時代、相撲の世界以外の芸能界で騒がれたり、女優、タレント、芸能人との付き合いが、古い体質の相撲協会のなかでは生きて行けなかったのであろう「76歳男性」

五位 柏戸
山形県鶴岡市出身、生涯のライバル大鵬と同時横綱昇進「柔の大鵬、剛の柏戸」と云われた。
【読者コメント】
柏戸・大鵬世代と云われて、テレビがないのて近くの炭屋さんに見に行った、父はラジオであぐらをかいて応援した。父親も私も柏戸びいき、大鵬が負けると、拍手喝采だった「69歳男性」
相撲好きな父と大鵬柏戸の頃から一緒にテレビに見入り、一度大阪場所にも。父がなくなり相撲を見ることは無くなりましたが、5年後に生まれた息子が、何故か相撲好きに。
息子の就職が決まり、彼の奢りで人生二度目の大阪場所で観戦したのは良い思い出です。「68歳女性」

六位から二十位のランキングは
06 北の海        13 曙
07 輪島         14 照ノ富士
08 北の富士       15 玉の海
09 稀勢の里       16 朝潮
10 栃錦         17 千代の山
11 白鵬         18 双葉山
12 若乃花三代目     19 武蔵丸
              20 大乃国


団塊世代の相撲の思い出は
私たち、昭和22〜24年(1947〜49)生まれの世代にとって、大相撲はテレビの発展と結びついています。
小学校の頃の帰り道は信州一の花街を通っての帰宅で途中に大きな料亭の裏を通ると、外からでもテレビの相撲中継が垣間見えました。
まだ大関、横綱の出番ではないので、帰宅しいそいで、町中の神社の境内にかけて行きました。
そこにはNHKの街頭テレビがあったのです。この街頭テレビり数年後、商店街のデパートに電気屋がはいり、神社のテレビよりも大きく、近くで見ることができるようになりました。
その頃の大相撲のヒーローは、「栃若時代」若乃花と栃錦でした。

引用栃若時代とは
大相撲の横綱栃錦と若乃花の対戦が繰り広げられた時代を指します。両者の激しい攻防はファンを魅了し、一時代を画しました。
栃若時代の主な対戦と出来事は次のとおりです。
昭和28年(1953年)春場所:栃錦と若乃花が6度目の対戦を行い、栃錦の左外掛けで決着する。この対戦が栃若時代の幕開けとなりました。
昭和29年秋場所、30年春場所:若乃花は栃錦に大関昇進を懸けて対戦しますが敗れます。
昭和33年初場所:若乃花は取り直しの末に栃錦を破り、2度目の優勝と横綱の地位を手繰り寄せます。
昭和34年夏場所:全勝の栃錦を1差で追う若乃花が、本割で栃錦の全勝を阻み、決定戦で寄り切って逆転優勝を果たします。
昭和35年春場所:史上初めて横綱同士の千秋楽全勝対決を若乃花が制します。
昭和35年夏場所3日目:栃錦が引退し、栃若時代の幕が閉じます


昭和33年から35年がピーク、今、あの時の自分を思い出しています。
昭和33年と云えば東京タワーが建設された年、昭和35年、小学6年生でした。
あの頃、映画「若乃花物語」を記憶があります。

両国国技館を見るたびに思い出すのは

今回のBeランキングの上位20人をみると、時代の早い順に双葉山から千代の富士の12人は蔵前国技館で横綱として土俵を務めており、私達団塊世代の思い出として、両国よりも相撲は蔵前の印象が強いのですが、大乃国より後の8人が綱を張ったのは、両国に復活した新しい国技館です。
この新しい、両国国技館は私の人生の節目として強く記憶に残っています。
現在の国技館は1984年(昭和59年)竣工、翌年1月場所より使用されてます。
私が55歳で退職した会社は、日本を代表するような大型物件の空気(温度・湿度・空気圧)を制御する外資系のエンジニアリング会社でした。
青春時代を謳歌した南米から帰国し、再度専門家学校に入学・卒業、結婚したのちに、日本の経済の主流・産業界に復帰し入社して、一応大型物件を担当するまでに成長した時に担当予定していた、現場でした。
しかし、受注にいろいろのでしょう、乗り込み直前で失注した苦い思い出のある物件で、あれから40年も経つのに今でも相撲中継であの緑の大屋根をみるとおもいだされます。建築屋の宿命でしょう。
あれから、若貴人気にハワイ勢の活躍、やがて相撲は国際化してきて、モンゴル勢の時代となり、ようやく日本力士は高校・大学からの大相撲力士へのレールが敷かれ、新しい力士の誕生で新たなる時代になろうとしています。
後期高齢者となるまでは、大相撲中継は千秋楽の数番しかみなかったのが、ここ一二年は外出する機会もすくなり、夕方4時台の幕の内土俵入りから結びの一番までみるようになっています。
昔、父親が肺結核で郊外の国立療養所に6年も入院していた時、夕方になると自分で作った星取表をまえに、ラジオを聞いていた姿を思いだします。
あの時父親は44歳、子供心に母親は子供四人と貧しい生活をしているのに、父親は夕方の時間ラジオから流れる相撲中継を楽しんでいる、可哀想な母親と思つたものてした。

大相撲の思い出・・・今年最後の九州場所が終わると、師走がやってくる。

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2024年11月19日

人はどう老いるか スーパー元気高齢者に疑問

ひさしぶりの外出は、近所の徒歩15分程度のショッピングモール

カミさんの足の指の骨折も完治し、私が買い出しに行かなくても済むようになると、途端に外出しなくてもすむようになり、以前なら一日置きに、
何かしら外出し、歩く用事があったものが、今年の夏の異常な猛暑と熱射と老化による筋力の低下で週に二回程度の外出に留まり、家のなかで過ごす日々が増えてきました。
それに連れて、体重は昨年の今頃よりも1キロは太り、血圧も若干高めで推移してきていますので、カミサンに急かせられるまでもなく、外出し歩こうとおもうのですが、今、出かける先、時間をつぶす場所が無くなっているのです。

数年前でしたら、まだ退職後のライフワークの一つ、NPOセンターの広報業務、付帯webサイト、傘下団体への支援もあり、特別なにも予定のない日は、センターの事務所にいけば何かしら用事はありました。
そして、昨年は高齢者となり辞めたスポーツクラブや趣味の映像関係のクラブもあったのですが、現在は、月に数度のサポート団体、昔からお付き合いある企業のサイト更新程度があるだけです。

予定のない日、余白カレンダーが増えてきました。

以前は毎月のカレンダーへの書き込み予定は幾らかはあったのですが、来月の書き込むのは、眼科・歯科・かかりつけ医、そして泌尿器の検診日の書き込みが優先し、余った日にサポート団体との打ち合わせ日が入る程度です。

毎年、10月、11月、12月と云えば旅行シーズンで、カレンダーには真っ先に予定を書きこんでいたのに、今年は11月も12月ままだ真っ白です。
退職直後、60歳で退職した男性が、日中、過ごす所がなく、図書館も近所の公園もすぐに飽きてしまい行く所がないと話をよく聞きました。
まだ若いのに、もっといろいろと自分の行動範囲を開発すればいいのに、なんて思いましたが、今、あの頃の事を思い出しています。
後期高齢者76歳、団塊世代のおじさん、おじいさんの居場所がないのです。
あることはあるのです。
それは自宅の自分の部屋、机の前、手をのばせば全てが揃っていますし、パソコンの前に全世界がつながっているのに、わざわざ出かける必要はないし、自分は孤独でも何でもないのですが、たった一つの問題は老化による衰えです。

今、後期高齢者に読まれている本「人はどう老いるか」について

メデイアによると、高齢者を読者とする「老い本」の刊行が盛んでいると云われています。
健康面や経済面の不安に向き合う本、終活お相続の指南書。
そして昭和の流行作家(五木?)や評論家が、80・90代になって自身のおいライフを書いたエッセーも次々にヒットいる。
今回、朝日の紙面で紹介しているのもまた「老い本」の一種でした。
読者層は60〜70代が中心で、50代と80代にも売れているという、50代は女性が、80代には男性が多いという

本のキャッチコピーは「老い」と「死」は誰にとっても初体験。
われわれは例外なく「初心者」である。
慌てふためかないためには、老いの現実を予習することだ。
多くの死を看取ってきた医師で小説家の医師が、楽に老いるコツを本音で語る。
安易な老い方本ではわからないアドバイスが満載。

「まえがき」より
老いればさまざまな面で、肉体的および機能的な劣化が進みます。
目が見えにくくなり、耳が遠くなり、もの忘れがひどくなり、人の名前が出てこなくなり、指示代名詞ばかり口にするようになり、動きがノロくなって、鈍くさくなり、力がなくなり、
ヨタヨタするようになります。(中略)
イヤなことばかり書きましたが、これが老いるということ、すなわち長生きということです。
にもかかわらず、長生きを求める人が多いのはなぜなのか。それは生物としての人間の本能であり、長生きをすればいいこともいっぱいあるからでしょう。
世の中にはそれを肯定する言説つや情報があふれています。
曰く、
「八十歳からの幸福論」
「すばらしき九十歳」
「人生百年!」
「いつまでも元気で自分らしく」
「介護いらず医者いらず」
等々。
そのことに私は危惧を深めます。そんな絵空事で安心していてよいのかと。
思い浮かぶのが、パスカルの言葉です。

我々は絶壁が見えないようにするため、何か目を遮るものを前方に置いた後、安心して絶壁のほうに走っているのである。
下手に老いて苦しんでいる人は、だいたい油断している人です。
浮かれた情報に乗せられ、現実を見ずに明るく気楽で前向きな言葉を信じた人たちです。

上手に老いて穏やかにすごしている人は、ある種の達観を抱いています。
決していつまでも元気を目指して頑張っている人ではありません。いつまでも元気にこだわると、いずれ敗北の憂き目を見るのは明らかです。
老いれば機能が劣化する分、あくせくすることが減ります。あくせくしても仕方がないし、それで得られることもたいしたものではないとわかりますから。そういう智恵が達観に通じるように思います。

多くの高齢者に接してきて、上手に楽に老いている人、下手に苦しく老いている人を見ていると、初体験の「老い」を失敗しない方法はあるような気がします。
それをみなさんといっしょに見ていきたいと思います。
第一章 老いの不思議世界
第二章 手強い認知症高齢者たち
第三章 認知症にだけはなりたくない人へ
第四章 医療幻想は不幸のもと
第五章 新しいがんの対処法
第六章 「死」を先取りして考える
第七章 甘い誘惑の罠
第八章 これからどう老いればいいのか 
 
著者は高齢者医療クリニックで診察経験を持つ医師であり作家
老い本の一種ですが、老い本に対して疑問を呈する書にもなっています。
老い本で称賛されがちな「スーパー元気高齢者」は特殊な事例であり、一般の人が真似したら危険と、著者は説いています。
老いに抗おうとすると、結果的に抗いきれず、高齢者の生活は不平不満だらけになってしまう。
快適な老いを迎えるためには「現状の肯定」が大切とと述べています。
いつ世にまでも元気で若々しくあろうとするよりも、老いとともにあるくこと、できる限り死を遠ざけようとするむよりも、適当な時期に死を受け入れる。
医療の発達により、その気になればどんどん長生き出来る時代だからこそ、著者の提言は重く響く。
そんな著者の思いに同意する人が多いのか、本は売れているようです。
戦前の日本は命を粗末にする国だったのに対して、現在の医療は「命を大事にしすぎる国」になったと本書で述べている。

確かに、今月の私のブログ    
安楽死問題に感心ありますか?で、考えてみましたが、本書は、多くの人が思いながら表に出しづらい事実を書くことで世の中に大きな問題を提起する本だと思いました。

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2024年11月17日

今年評判の映画 侍タイムスリッパーを見に行く


暇人、年金シニアリタイヤーは、原則、月に一回は街の賑やかなシネコンにでかけ、映画を見ることにしています。
映画は何でも良いという訳にはいきません。
最近の大型ショピングモール内にある大手シネコンで上映する映画作品と云えば、
・子供、ファミリー向けアニメ
・都会の若者向け青春・恋愛もの
・ハリウッド製の荒唐無稽CGもの
なかなか大人特に時間を持て余していいるシニア世代が見たいと思う映画は多くはありません。
先月見に行ったのは、今回アメリカ大統領選の結果を予言するような「近未来のアメリカ 映画 シビル・ウォール」でした。先月のブログ参照

そして今月はと云うと、前々から狙っていた映画、独立系映画「侍タイムスリッパー」です。
数年前の自主制作映画「カメラを止めるな」が超意外な大ヒットしたのに続いて、じわじわと評判になってきた映画なのですが、大手制作・配給ではないのでなかなか、上映する映画館が少なく、独立系も評判の映画を積極的に取り上げる、川崎の「シネチッタ」まで見にいった後、数ヶ月がメディアで取り上げられ大ヒットしました。
この映画も独立系映画で、幕末の侍が現代にタイムトリップすると云う、何処にでもあるようなコンセプト・ストリーの映画なのですが、じわじわと人気が出てきて評判になり今年の流行語大賞ノミネートにタイトルがノミネートされて、上映館が一気に全国展開し始めた、話題作品なのです。
何処でやっているのかと、調べてみると、私の最寄り映画館、辻堂駅前、お洒落な湘南テラスモール内の行きつけのシネコン「109シネマ湘南」で演るというのです。ということは・・・?

上映打ち切りになる前に、早速行ってみました

以前、同じような経過で大ヒットした「カメラを止めるな」と全く違った客層でした。
「カメラを止めるな」の上映館は、川崎の名画座的の小屋、映画好きは誰でも知っている「シネチッタ」でしたが、「109シネマ湘南」は若者向け、ファミリー向け、確実に集客出来る映画しか演らない映画館です。
メデイアで評判の映画でも、内容よりも収益を重視する経営方針の湘南ど真ん中の典型的なおしゃれなショッピングモールに入っている109でやるというのですから。
前日の予約状況ではシアター1、全265席のうち、真ん中のエグゼクティブシート20がほぼ満席だったのです。
この席が前日で満席?滅多にないことです。
私はいつも通路から一番近い、トイレに近い席を確保して、場内を見回すと、独立系、侍もの、タイムスリップとベタな内容なのに意外と入っており80人ぐらいでしょうか!
客年齢層は高く、高齢者、女性も多い、映画好き?と見て取れました。
もう一つの大き気な理由は、109シルマは1スクリーンに一日、数回同じフィルムの上映が常ですが、この日は、11:20分上映の一本、一回だけというのが理由なのでしょう、
11:20というのは、暇人シニアには時間的に早くもなく、遅くもなく、お昼を食べて帰ってくるのにちょうど良い時間帯なのでしょう。
映画館の営業マネージャーからすると、恐る恐る、お試し上映だったのでしょうが、一応ペイしているのではないでしょうか?

あらすじを紹介する前にこの映画の評判解説を引用紹介

自主制作(インディーズ)映画「侍タイムスリッパー」が躍進を遂げている。2024年8月にたった1館での上映からはじまり、
来場者の口コミを追い風に全国230館まで広がった。同じく自主制作で興行収入30億円を超えた「カメラを止めるな!」
(18年公開)の再来との呼び声も高い。限られた予算と人員から生まれた異例のヒット。
幕末の侍があろうことか時代劇撮影所にタイムスリップ、「斬られ役」として第二の人生に奮闘する姿を描く。
コメディでありながら人間ドラマ、そして手に汗握るチャンバラ活劇でもある。
「自主映画で時代劇を撮る」と言う無謀。
コロナ下、資金集めもままならず諦めかけた監督に、「脚本がオモロいから、なんとかしてやりたい」と救いの手を差し伸べたのは他ならぬ東映京都撮影所だった。
10名たらずの自主映画のロケ隊が時代劇の本家、東映京都で撮影を敢行する前代未聞の事態。
半年に及ぶすったもんだの製作期間を経てなんとか映画は完成。
2023年10月京都国際映画祭で初披露された際、客席からの大きな笑い声、
エンドロールでの自然発生的な万雷の拍手に関係者は胸を撫でおろしたのであった。
初号完成時の監督の銀行預貯金は7000円と少し。「地獄を見た」と語った。


興行収入30億円を超えると、その映画は大ヒットしている映画といわれています。
大ヒットと呼ぶ基準を15億円や20億円にするメディアもありますが、いずれにしても興行収入30億円なら大ヒットといえるでしょう。
実際、年間興行収入で上位にランクインする映画は、興行収入が30億円を超えています



異色の時代劇がヒットしている。「侍タイムスリッパー」だ。
都内1館で公開されたのが8月17日。それが10月末にはなんと、283館にまで拡大された。興収は5億円を超えている。
SNSなどの口コミによる人気の広がりから動員を伸ばし、上映館の数が増えていったのである。
インディーズ映画として大ヒットした「カメラを止めるな!」(2018年)現象の再来だとするメディアも多くなっている。
確かに最小館数(「カメ止め」は当初2館)から300館クラスにまで拡大公開され、興収を伸ばしていったのは同じである。どちらも公開後に実績のある配給会社が関わり、拡大の道を切り開いていった。
ただ、作品の作られ方には大きな違いがある。「カメ止め」は製作費が約300万円。俳優などのワークショップを行う会社が製作を担った。
一方の「侍タイ」は、その10倍近くの製作費がかかっているとみられる(それでも低予算だが)。しかも、監督の自費で多くが賄われたという(監督のインタビュー記事などから)。
「侍タイ」の監督は、製作や公開に関しても、自身で映画関係者をはじめとする各方面に働きかけをしたと聞いた。まさに、徒手空拳である。
加えて、当たり前だが、中身がまるで違う。「カメ止め」は卓抜な劇構成に特徴がある。前半部分(ゾンビ映画)と後半部分(その製作の裏側)を絶妙に組み合わせ、しだいにコミカルさや感動的な要素を作り上げていった。
一方の「侍タイ」は、幕末の侍が現代に赴く、見事なタイムスリップものだった。
このジャンルは様々な局面で辻褄合わせが非常に難しいのだが、そこを巧みな物語展開と描写力で乗り越えていく。秀逸な職人技の趣さえあった。
最も大きな違いは、その興行の推移であろう。「カメ止め」は30億円を超えた。「侍タイ」は10億円超えがひとつの目安と言われている(もっと伸びるかもしれない)。
どちらも凄いが、なぜヒットの程度に違いがあるのか。
一見、何気ないような人間関係や描写の数々(伏線)が、後半あたりで説得力を持つことを、話が「回収」されるという。いわゆる「伏線回収」だ。
「カメ止め」はこの「回収」の仕方が全くユニークにして、とんでもない爆発力があった。しかも、予想もしえなかった家族や仲間の結びつきに、見事に着地させた。
ここに若い層を大きく集客した理由があり、それが破格の興行につながったのではないか。
それに対し、タイムスリップものという変化球とはいえ、「侍タイ」は時代劇の王道を踏み、時代劇への愛を高らかに奏でたところに、大きな魅力があったと思う。
こちらも話の「回収」は巧妙だが、大団円の切れ味抜群な殺陣のシーンを含め、笑って泣ける、堂々たるエンタメ作品としての風格が圧倒的であった。
その作風からすると、客層の年齢は比較的、上がってくる。
つまり、作品の面白さをめぐって、関心の度合いにちょっとした開きがあったと推察されるのだ。そこを踏まえれば、客層もその広がり方も、相違が出て当然だろう。
今回、2作品を一緒くたにしている風潮があるので、少し整理してみた。もちろん、どちらも映画界に多大な刺激を与え、映画志望の若い人たちに希望の灯をともしたのは間違いない。
重要なのは誰が、どこが、あとに続くかであるとアサ芸プラスは報じている



侍タイムスリッパーあらすじ紹介

幕末の京都。密命を受けた会津藩士・高坂新左衛門が長州藩士と刃を交えたその時、雷が落ちる。
気を失った新左衛門が目を覚ますと、そこは現代の時代劇撮影所だった。
江戸幕府が140年前に終わったことを知り愕然とする新左衛門。
やがて身を立てるために撮影所の門を叩き、磨き上げた剣の腕を頼りに斬られ役として生きていくことを決意する。
撮影所助監督の若い女に幾らか心寄せる、主人公・・ここでこの二人が結ばれる結末・・・
では、この映画はヒットはしなかったでしょう。
この映画の凄さ、面白さ、ストリーの展開は、後半の30分がメインです。

かなり感激して、ジーンとくる結末の映画
・・のハズでしたが、今回もトイレが近く、途中二回トイレに立ち、最後のエンドロールも、
いの一番で立ってトイレに駆け込むという情けない結果になりました。
特に、暗い座席のゆったりとして映画館だけの問題ではなさそうです。

最近、日中午後、NHKBSで13:00から、過去の名画を演っています。
先日は高倉健の「海峡」をやってました。
1982年公開(自分は34歳、そんな古い映画だったのか)
本州と北海道を結ぶべく着工した青函トンネル開通工事に従事する技術調査員を中心に、長年に渡って難航を極めた大プロジェクトに取り組む人々の人間模様を描いたドラマ吉永小百合が若かった、42年前の映画・・私達が新幹線でいった時(2013)はまだ新函館北斗は建設中駅は建設中だった。こんな時でも安心してか、トイレは1時間に3回の時もトホホホ、ホ。


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2024年11月15日

Beランキング 行ってみたい美術館・博物館

2024年、夏の猛暑・熱暑から秋の気配はいきなり初冬の風になり、稲村ヶ崎からみる富士山の頂きの冠雪がないとと思って見ていたら、ようやく11月9日に史上一番遅い冠雪を確認
できたようです。

これから、鎌倉・稲村ヶ崎のお天気の良い夕方は、カメラマンラッシュの季節となります。
そんな季節なのに、鹿児島・与論島には季節外れの大雨、確実に世界の温暖化は進み、いくら暇なリタイヤシニアとは言え、そう簡単に「秋の旅行」へ行く意欲が湧いてきません。


メディアは、盛んに旅行特集を組んで宣伝してきますが、退職20数年の幾らかはゆとりのある夫婦とはいえ、もう日程の決まったパック旅行は、体力面・費用面でもなく、お天気の悪い日には
旅はしたくなく、多少の経費はかかっても直前、天気予報を見てから行くことにしています。
そんな時、カミさんの友人の一人、お金持ち鎌倉婦人はカミさんに話したそうです。
国内も海外も行く場所・都市の「美術館」「博物館」を事前にチェックしていくそうです。雨の日対策として、なるほど・・流石余裕のある鎌倉婦人と受け取れました。
そんななか、朝日新聞の土曜版は読者アンケート「Be Rankig」で行ってみたい美術館・博物館をやってました。
首都圏に住んでいますので、都内・神奈川県の美術館は、仕事柄、建設にも関わった物件やらも多いので全て、行ってはいますが・・・・・
ランキング20位のなかの次の4箇所は
大阪の大阪中之島美術館とあべのハルカス美術館、
京都の京都国立博物館
石川の金沢21世紀美術館 は入ったことはありません。
長野の無言館は長野県上田市古安曽にある、先の大戦で亡くなられた画学生の作品が展示されている美術館として、TV番組で知りました、がほぼ生まれ故郷に近いのですが、まだ足をむけていません。

東京国立博物館(東京)

これまで何度かプログ上が書いていますが、私達夫婦が最初に一緒に住まうことになったアパートは、上野公園へまで徒歩5分の生活圏のなかでした。
そして私の生まれ故郷は信州なので、東京イコール上野でしたから、上野駅公園口からすぐの東京国立博物館はとても身近な存在でした。

でも実際に中に入ったことは40歳を過ぎた頃でした。それも仕事として・・・
日本の建設業界、特に空調、温湿度の制御コントロール必須の博物館・美術館の空調コントロール技術のリーディングカンパニーの、現場施工管理の責任者して、竣工後のちのちのまで関わっていたこともあり、何度も、改装とか、新規展示開催でこのハックヤードに出向いていました。
実際に、入場料をはらって正面から入場したことは一度もありません。
原則、入館料は必要ないようですが、特別展示・催事の観覧料金はかかるようです。
ちなみに、現在行われています、「平成館 特別展示室 はにわ展〜 2024年12月8日(日)」70歳以上は無料のようです。
この朝日のランキングアンケートに、「一日中、他のどこにも行かずに過ごせる、東京の人がうらやましい」とか、「大きな公園、桜、美術館、グランド、噴水、こんな文化的な環境の街の近くに退職後は住みたい」というコメントがあったようです。
・・・私達夫婦の本籍は二年前まで、ここ、上野池之端でした。
しかし私が逝った後の手続き、煩わしさを考えて本籍、現在の住まいの鎌倉に移しました。

足立美術館(島根県)

島根の旅は
10数年前、羽田発3泊4日、玉造温泉旅館三泊朝夕食事付き、羽田・出雲空港間ANA、空港・玉造間送迎付き、夫婦二人75,000円という、阪急の格安パックをみつけて、初めての島根県
それも、ビジネスホテルではなく、玉造温泉ど真ん中の宿三泊です。
初日、羽田発午後便で出雲空港、玉造温泉街に到着し、夜の食事を最終にしてもらい、宍道湖の夕日の撮影に行きました。
翌日二日目、玉造温泉バス停から、この足立美術館に向かいました。
この阪急格安パックを申し込んでから、初めて、「足立美術館」を知りました。
解説では・・横山大観らの日本画を展示、日本庭園が米国誌ランキング21年連続日本一の評判の、日本画よりも庭園の美しさを知られる美術館のようでした。
元々、私達夫婦は日本画の大家、横山大観記念館、近くのアパートで新婚生活を過ごしていたので、名前も業績・評価も知っていましたが、「富士山」の横山大観という程度でした。
それ故に、足立美術館に入っても、日本画よりも、庭園人気のようです。
じっくりと眺める庭園・・・と云うよりも、私達二人にとっては、お隣の安来節劇場のほうが気になっていました。
足立美術館からバスを乗り継いで「米子」、そして電車で水木しげるの「境港」へ、中海を通って「松江」松江城をみて、玉造へ。

三日目はこのフリーパックの目玉「出雲大社」へそのまま、山陰本線日本海側をこの年に世界文化遺産に登録された「石見銀山」へまわる旅でした。
それ故に、あまり芸術・文化に疎い私達にとって、日本第二位の美術館の印象は薄い、足立美術館でした。

国立西洋美術館(東京)

JR上野駅公園口から一番近い場所です。
この入口から、ここの美術館の目玉のひとつ、ロダンの「考える人」と「地獄門」の彫刻が見えます。
この屋外展示をみるだけなら、入場料はいりませんので、上野公園に足を踏み入れたら絶対に寄ることをお勧めします。
ここの展示の目玉はフランスから寄贈返還された「松方コレクション」が核となってます。
※松方コレクションとは
松方コレクションは、神戸の実業家・松方幸次郎(1865〜1950)が、1910年代半ばから1920年代半ばにかけて収集した西洋美術のコレクション。
日本の美術、そして人々のために公共美術館をつくるという目的のために収集された作品群が、現在の国立西洋美術館開館へとつながっていった。
ここ数年、展示物以外に建物が世界遺産の一つとして注目を浴びています。
2016年7月にこの本館を設計したル・コルビュジェは、パリを拠点に活躍した建築家で、近代建築三大巨匠のひとり と呼ばれている。今回登録された17作品建造物は、フランス、スイス、ベルギー、ドイツ、アルゼンチン、インド、日本の7カ国が共同で推薦され世界遺産として登録されている。

大原美術館(岡山県)

倉敷の美観地区の中心にあるこの美術館は、
倉敷の実業家・大原孫三郎が設立、西洋名画や日本近代絵画の名品を展示している。
大原美術館で一番有名な作品は何ですか?
徹底解説】大原美術館の魅力とは!
大原美術館には、世界的に知られる絵画が数多く展示されています。
そのなかでも一番人気はエル・グレコの「受胎告知」とのこと
彼の作品は日本では2点しか存在しません。 他にもモネが描いた「睡蓮」が展示されており、日本にいながらヨーロッパの美術館にいるような空間に酔いしれます。
朝日新聞の読者コメントでは「数々の棟方志功作品を見て歩くうちに、気がつくと涙が溢れてきた。後にも先も美術作品を見て泣いたのは、初めてだった」とありました。

大塚国際美術館(徳島)

大塚グループが創立75周年記念事業として徳島県鳴門市に設立した日本最大級の常設展示スペース(延床面積29412平米)を有する「陶板名画美術館」
ここの特徴は、西洋の名だたる名画を登攀で再現展示している点です。
「どんな作品でも本物となるとものすごい人だかりで背の低い私は人の後ろ頭しか見られない、その点、本物そっくりに精巧に出来た絵画の陶板を展示するこの美術館は、世界の名画をゆったりと静かにみられ、といも気に入った」との女性のコメントがありました。
ここでの特徴は全て、陶板に印刷された精巧なプリント作品故に、触れます、写真撮影、フラッシュ撮影も0Kです。
本物の所有者からの許可・了承・承諾を得ての展示となっています。
ここの入場料3,300と、ちょっと高めの設定です。
※大塚グループとは、大塚製薬や大塚食品(ボンカレーの)、大鵬薬品などの徳島県発祥の企業グループ。

Beランキングでの20位までの人気美術館は以下のとうりです。

6 サントリー美術館(東京都)    14 大阪中之島美術館(大阪府)   
7 金沢21世紀美術館(石川県)    15 あべのハルカス美術館(大阪府)
8 京都国立博物館(京都府)     16 山種美術館(東京都)
9 東京国立近代美術館(東京都)   17 根津美術館(東京都)
10 国立新美術館(東京都)      18 東京都美術館(東京都)
11 奈良国立博物館(奈良県)     19 MOA美術館(静岡県)
12 彫刻の森美術館(神奈川県)    20 東京都庭園美術館(東京都)
13 無言館(長野県)


【世界五大美術館】とは? 順不同

・メトロポリタン美術館 (アメリカ・ニューヨーク)
アメリカ東海岸は一度だけ行ったことがあります。
それも、ニューヨークだけです。
南米へ向かうフライトでの乗り継ぎの合間、たった1.5日の間で一番行きたかったのが、自由の女神だったのですが、天候不順で諦め、確実に空港から往復都心中央まで行ける交通環境のあるメトロポリタン美術館だったのです。

・ルーブル美術館(フランス・パリ)
日本のお正月休みに、パリ・マドリード・バルセロナ
8日間ホテル・エアーパックの駆け足の旅でした。パリは1月1日の祭日で、ルーブル美術館は無料でした。
お正月休みの割には、館内はそんなに混んでなく、有名なモナリザ前には、模写する学生一人だけでした。
ルーブルからオルセーまでセーヌ沿いをゆっくり歩いていきました。
日本人には、どちらかというオルセーのほうが人気があるのでしょう。

・エルミタージュ美術館 (ロシア・サンクトペテルブルク)
1998年8月、ソビエト崩壊の後のロシア・エリチェン政府のゴタゴタ最中のサンクトペテルベルグとモスクワ8日間、少人数8名のパックツアーに参加した時に、サンクトでエルミタージュ美術館
へ案内してもらいました。
とても大きな美術館で、一人歩きには注意が必要といわれましたが、そんなに興味もないエリアをパスしているうちにこの日本人グループと離れてしまい、途方にくれたことを鮮明に覚えています。
すべての展示品を見るには10年かかると言われており、ここではその多くの作品の中から、絶対に知っておくべき作品10点をメモしていったのですが、ほとんど見つからずに、帰路の集合場所探しで精一杯でした。

・大英博物館(イギリス・ロンドン)
残念ながら、イギリスは一度も行ったことは有りません。
一番の理由は食事がおいしくなく、単調、「フィッシュアンドチップス」しかないと云われているのを信じてはいないのですが
見る所は大英博物館しかないのは解ったいました。
アシア・中東の博物館で目にするの多くにはレプリカと表示され、本物は大英博物館と表示されておりいつかは行こうが、ついにこの年齢になってしまいました。

・プラド美術館(スペイン・マドリード)
1990年パリ・マドリード・バルセロナ、お正月8日間のパックツァー
でマドリードの初日、大晦日の日に行く予定だったのが、休館日でした。
特別プラド美術館の目玉のゴヤ作「裸婦マーヤ」を見たかったのでもなく、カミさんは全く興味なしで、その余った時間で買物が出来るのを喜んでいました、


人として生まれ、行くべき所を付け加えるとすれば 

・エジプト考古学博物館(エジプト・カイロ) 

ここの絶対に見るべきものといえば、定番の「ツタンカーメンの黄金のマスク」です。
日本の美術館・博物館と違って、眼の前、数センチの近さ、ガラス越し一枚の近さでじっくりと見られることでした。
その他に大量のパピルスの巻物やら、エジプト象形文字のヒエログリフの書き物が沢山見られました。まさに教科書の世界でした。

・メキシコ国立人類学博物館 (メキシコ・メキシコシティ) 

中米メキシコへは何度も、夫婦ふたりで旅しています。
全くの個人自由旅行では積極的に博物館やら美術館に行くケースはほんどなく、やはり街歩きがメインでした。結婚しして二人で初めての海外旅行はメキシコでした。
やはり、日本のお正月休み、それも今では考えられないJALパックです。
1984年、横浜の購入したマンション初期頭金借り入れを全返済完了した年の記念としてのメキシコ旅行でした。
この時に、我が家のカミさんはこういった美術品や歴史ものに全く興味なく、お土産品だけが目的という事を初めて悟ったのが、この旅、この博物館でした。

この先、美術館へ行く機会はあるのでしょうか?
折角の都会、東京・横浜・鎌倉に住んでいてるのにもったいないと、信州に住む姉はいうのですが・・・まず長蛇の行列と入場料の高さで二の足をふんでいます。
現在国立博物館で開催されている「はにわ展」はちょっと興味はあるのですが・・、

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2024年11月13日

海外旅行トラブルの3 交通・タクシー・時差・夏時間

個人手配、自由旅行では、団体パックツアーでは決してあり得ないような、不都合、想定外のトラブルに見舞われます。
一番多く遭遇するのが、移動手段によるトラブルでしょう。
前二回は、航空機によるこれまで経験してきたトラブルについてでしたが、今回はタクシー・バスについてです。

空港から市内への移動
一番簡単なのはタクシーでの移動ですが、大昔、独身時代アジアをバックパックで旅していた頃、私たち貧乏旅行者の間での「不分律」は移動手段として飛行機・タクシー利用は、私達、若者・貧乏旅行の旅のポリシーに反する乗り物でした。
「金をかけずに、如何に旅するか」を競うよな雰囲気があり、バックパッカー宿で「如何に安く、ヤバい乗り物であったか」を自慢話をする時代をでした。
タクシーと飛行機は、言葉や知識がなくても、金さえ出せば誰でもが使える交通手段ですから、アジアを旅する貧乏若者の間では利用してはならないものでした。
その習慣は、結婚して、夫婦二人で旅するようになってもなかなか抜けきらず、ついつい、料金・お金のことが優先して、タクシーに乗れませんでした。

その前に話題は脱線「オーバーブッキン」の話

バンコク、ドンムアン空港から市内へ
現在のバンコクのスワンナプーム国際空港から市内でしたら、エアポートリンク「バンコク市内を結ぶ高速鉄道」があり、電車でいけます。
スワンナプーム国際空港駅は空港の地下1階に位置し、終点のパヤタイ駅までの所要時間は約30分です。
しかし、以前はドンムアン空港で、タクシーかバスでした。
タクシーはそれでもクーポンタクシーですから、ある程度安心感がありましたが、それでもバスの数倍以上のも値段がしていました。

アジアを旅するバックパッカーでは先ずバンコクを目指します。
昔の一番安いチケットはNWの最終便夕方発で、ドンムアンに23:00頃到着便でした。
この最終便は成田空港で出発間際いつも名物のアナウンスのあることで有名でした。(※バックパッカーの間では)NWによるオーバーブッキングです。
「お客様のなかで、今晩のフライトを譲っていただける方、フロントにお申し出下さい」と流れるのです。
特に急いでいない、貧乏旅行者は成田での快適なホテルと食事、そして100ドル現金がいただけるのです。
私は、二回このアナウンスを聞いたことがあります。
すると必ず、誰かしら譲ってくれる方が現れるのです。
しかし、私達はバンコク市内のホテルも予約していますし、カミさんとの二人旅ですから、拒否してこのフライトに乗り込みました。

実はこんなケースは前にも経験しているのです。
これは、一人旅でアシアナ航空でウズべキスタンからインチョンに戻り、乗り換えて成田へ戻るフライト予定でした。
インチョンのカウンターに行くと、オーバーブッキングで振替便をお願いされました。
成田ではなく、富山に降りて、羽田へアシアナではなく絶日空の振り替えを提案されました。
横浜に住む私にとって、羽田は近いし、報酬はその場で100ドルでした。
成田経由とさして変わら時間に帰宅できおまけに100ドル、クーポンではなくキャッシュでした。

ドンムアン空港から市内へ最終バス便

料金は50バーツ程度でこのバスは混むのが有名でした。
ですから、私達は手荷物は機内持ち込みとして、空港についたら入管から一直線にバス乗り場に走りました。
バスは一応しっかりとした座席のリムジンに近いバス仕様で立ち席禁止なのですぐに満席となってしまうからです。
昔のバンコク、ドンムアンの場合、一步空港の外に出て大きな道路にでれば、一般の路線バスあるのですが、初めての人には無理でした。

空港から市内へのタクシーは各国様々です。
バンコクのような国際都市の空港はクーポンタクシーが一番オーソドックスで安全です。
料金はタクシー運転手に払うのではなく、手配窓口で払うやり方ですから、ボラれるとか、遠回りとか心配はなく、女性一人でも安心して乗車できます。
その分、高いのは仕方ありません。
問題は帰路、市内から空港に向かう場合です。
この頃の成田・バンコク超格安チケットの場合、成田・bKKは深夜着、BKK・成田は早朝の6時台ですから、市内から空港へのリムジンバスもなく自前でタクシーでいくことになります。

この早朝のタクシーで、日本人女性の被害の話が沢山ありました。強盗とか、遠回りとか不当に高い料金とか、最悪死亡事故もありました。
この時間帯、市内を流しているタクシーの選択は賢明ではありません。
安全に市内でタクシーを捕まえるには、原則流しのタクシーはよしたほうがいいです。
これはバンコクだけの話ではなく、全て大都市に共通する話です。
私達が南米を頻繁に旅している時、エクアドル・キトで新婚旅行夫婦がタクシー強盗に合い、抵抗して殺された事件がありました。
この二人、ホテル前待ちのタクシーは高いと敬遠して、ホテルから1ブロック離れた大通りで流しを捕まえ、事故にあってます。
南米に限らず、外国を旅行しタクシーに乗るは、自分が泊まっていない、高級ホテルヘ向かい、玄関のドアマンに、どこそこへ行きたいのでタクシーを呼んでと、ホテル前で待機しているタクシーに乗るのが鉄則です、ここでチップ1ドル払っても、それは安全代なのです。
バンコクの場合、早朝の場合私達はかならずホテルのドアマンを通していました。

空港から市内へのタクシーは、通常の常識から云うとかなり危険です。
先ず、初めての国、言葉も物価も方向も分からないのですから、100%タクシー運転手を信頼するしかないのです。国際空港の場合、ほぼ、空港にはインフォーメーションで安全なクーポンタクシーがあるはずです。

コスタリカ・サンホセかに、パナマシティへ飛んだ時
パナマシティは、南アフリカのヨハネスブルグと並んで、世界二大犯罪都市と云われていましたので、事前にパナマ国内のホテルとツァーを申し込んでおり、空港の送迎も込みにしました・・・が空港にはそれらしき人間はいませんでした。
すると空港の観光インフから人が来て、事情を聞いて来れ、手配した旅行代理店に電話してくれました。
どうやら失念していたようで、タクシーで旅行会社まで来てくれと云います、そこで感心したのは、空港待ちしていたタクシーを電話口まで呼んできてくれ、直接話すというのです。
これには感心しました。とかくトラブルが多い中米らしく、旅行会社とタクシー運転手の間で全て、話はついたようで、私達も安心して乗ることができました。
これも、ひとえに英語以上にスペイン語が通じたおかげだと思いました。

ベトナム・ハノイのタクシーは百倍注意

ハノイのタクシーの悪評は、聞いていました。
ともかく、まともなタクシー会社は〇〇と、▲▲二社しかないので気をつけろと云われていました。遠回りはする、タクシーメーターは細工してあって運転手が自由にコントロール出来るというのです。
北部中国国境の少数民族の村トレッキングに帰り寝台列車で、ハノイ駅に早朝到着しました。事前に早朝にハノイ駅到着は解っていましたので、とりあえずハノイ駅に近い、ニッコーホテルで朝ごはんを食べて、ゆっくりと自分たちの泊まっていたホテルに戻る予定でした。
しかし、到着したのはハノイ北駅で、出発した時と全く違う雰囲気で、それも早朝のまだ暗いなか、右も左も検討付きません。
するとタクシーが寄ってきて、どこまで帰るといいますから、ホテル名を云うと、乗って、といいます。
ハノイのタクシーの悪評を聞いていたので、事前に値段交渉をしようとすると、メーターで行くから心配ない、と云います。
ここでうっかり乗ってしまいました。

ともかく、知っているハノイ駅とどうやら違う場所について、少し不安だったのでしょう。
乗って走り出して、少し街が明るくなりつつある時、ほぼ走っている方向に見覚えがあるので安心していると、泊まっているホテルのワンブロック前で停車して、ここから先はいけない
と云います。どうしてと?と聞いても答えません。そしてメーターを指差します。
数実前ホテルからハノイ駅に乗車した時の5倍くらいの値段表示なのです、私は払えないと強気にでて、タクシーから下ろそうとすると、スーツケースは車の後ろに積み込まれており、人質状態にになっていたのです。
これは私の負けと悟り、要求通り払いました。10ドルくらかな、癪に障るのこれ見よがしにカメラを出して、バツクナンバーを撮影しましたが、運転手しは平気な顔で去っていきました。後から聞くと、タクシーはその日毎のレンタルで彼のものでも、会社のものでもないのだそうです。

空港タクシーには注意が必要2
アルゼンチン、ブエノスアイレスには空港が2つあります。
成田と羽田のような関係で両方とも国際線・国内線が離発着します。
パタゴニアから空路ブエノスにもどり、国内線の空港から友人の家に戻るためにタクシーに乗りました。
この国内線空港のタクシーの悪評はアルゼンチン国民の間では知られています。
つまり、田舎から大都市ブエノスアイレスにくる同じアルゼチン田舎者を食い物にしている連中です。
私は知っていましたし、スペイン語は流暢でし、ブエノスの地理に明るいので友人の家までのルートを指定しました。
運転手は機嫌よく、私のスペイン語を褒め、指示したとおりの道を走り、友人の家のワンブロック前で停車しました。あれもうワンブロック先と云うと、その先右折したいので
ここのほうが便利と云います。そしてメーターを見ると過去に何度も使ったタクシーメーターよりも日本円で2,000も高いのです。
その時、気が付きました、私達のスーツケースを車の後ろでなく、運転手の籍の横、私達から見るとメーターの前に置かれており、私達は走行中気が付かなかったのです。
つまり、運転者は先に乗った客のメーターをリセットせずに、私達二人を乗せて走っていたのです。
それで、友人の家の前までいかず、手前でおろしたのです。
友人の家について、この話をすると「ゲームに負けたんだから仕方ない」と云います。
「大都市のタクシー運転手は、外国人や田舎者をこうやつてカモにしているんだよ、負けるほうが悪い」それでお終いでした。

最後にキューバーのタクシーのお話
キューバ・ハバナでタクシーに乗るのは100%外国人観光客です。
タクシー料金そは全てドル払いですから、一般市民は乗れません。
私達は何回か市内でタクシーにのりました。メーターはなく全て交渉です。相手はもちろん英語は話せます。
キューバ・ハバナでは、英語イコールドルなのですから、ドルとペソの価値は10〜30倍以上違います。
私の知っている内科医ドクターの一月の給料は15ドルでした。
工場に務める電気主任技術者は7ドルでした。
そこでタクシーの値段ですが・・半日10ドルでした。
タクシーを契約すると、その場10ドルはらいます、なぜかというとそのまま、ガソリンスタンドに直行して給油するのが、キューバのタクシー業界の常識なのでした。
キューバ旅行の最終日、長期滞在しているコスタリカ・サンホセに戻る朝、滞在中よく使ったタクシーを待っていると、約束した時間にやってはません。
ラテン時間はわかりますが、サンホセへのフライト時間が迫ってきています。
フライト1時間を切ってやっとやってきました。
どうして遅れたの、フライト間に合うか?とたずねると、十分間に合いますよ、と時計を見せます。
彼の時計と私の時計、30分狂っています。あれと訪ねると、キューバは今朝から「夏時間・サマータイム」適用する日だったのです。

日本にはない制度夏時間・サマータイム

夏時間[summer time・サマータイム)または日光節約時間1年のうち日中の時間が長くなる夏を中心とする時期に、日中の明るい時間を有効利用するため、時計を通常よりも進めることで、日が暮れる時刻を遅らせる時間制度
一般的な工場や商店とちがって、屋外で働く農業・農場では日の昇る時間から日の沈む時間まで働くことが多いので利用されている国は多い。
労働時間が夏時間になると、いままでもよりも1時間余計に働くことになり、労働者から弊害も多く聞かれることも多い。

時差との問題
日本のように、国境は海で囲まれているため、隣国に行くときは往々にして時差があり、時計を進めたり遅らせたりする。たいていは空港で時差を確認することになるが大陸、北米、中南米の移動の時、ついうっかりと時差があることを忘れてしまうことか多い。
ヨーロッパではどうなのだろう。
ドイツとフランスは時差はないのは知っていた。では空路で移動するドイツとスペインも時差はない。
しかし、海を越えてのイギリスとフランスの間で時差はあるのか、1時間、イギリスは遅れている。
こうやって空路の移動は時差を意識するが、陸路の移動ではどうしも忘れてしまう。
アルゼンチンのミシオネスからブラジルのイグアスシティは時差はないのですが、両国のサマータイムの設定日が誓うと1時間の差が生まれ、私達はサンパウロ空港でこの1時間差に気が付かず、帰路のフライトに乗り遅れるそうになりました。
空港ないアナウンスで盛んに私の名前が連呼されているのに気がついてゲートに行ったことが、今や、苦い思い出と残されています。

個人・手配自由旅行ですから、いろいろなトラブルは付き物です。
でも、若い体力や好奇心がある時は何ても乗り越えられます。
しかし、70歳を越えてからの海外のトラブルは乗り越えられるかどうか、全く自信がないのが、今の本音でしょう。
イスラムの教えのなかに、「年老いてから旅はするな」とあるのを今更なが噛み締めています


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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2024年11月11日

定年後の人生を過ごす場所としての条件は

久しぶりに元鎌倉の写真クラブの先輩のお宅にお邪魔しました。

退職して一番最初に地元の趣味のクラブに参加したのが、写真クラブでした。
当初入会した時はまだフィルムカメラの時代でした。
やがて、デジ一眼の時代になり、私はミノルタ派だったため、ニコン・キャノン派より大幅に出遅れました。
デジになるとやはりパソコンが必須の時代の到来です。
鎌倉の写真クラブのメンバーはこの時、退職直後や数年で年齢は60〜65歳、私は早期55歳退職、メンバーの皆さんとはちょうど10歳違っていました。
何とか、新しい土地に溶け込もうと、デジ時代まパソコンの支援を申し出るようなりました。
あれから21年が過ぎ、メンバーのお宅にお邪魔すると、他に何人かいらして、皆さん全員85・6歳でした。
私が76歳なのですから、そうなんでしょう。いろいろと昔の話しになり、思い出すこともあり、今回、ブログに残すことにしました。

2003年に退職した一年間は、
終の住処探しと、気軽に安く、滞在できる海外ロングステイの地探しに明け暮れ、翌年2004年の3月に、現在の住まいに引っ越してきました。
現役時代の家は、仕事優先で決め購入した大型・大規模マンションでした。

朝早く、夜遅い建設関連の仕事ですし、大型現場担当でも二三年で場所も変わり、本社へは月に一二度の出社、事務処理程度でしたので、住まいは特別、都内でなくても構わなくとにかく駅から徒歩圏、できれば10分以内の大型マンション、近所付き合いとか、子供のいない二人暮らしなので自治会とかiかかわらずに住む新興住宅が理想でした。
どちらにしろ、退職後は、海外か或るいは国内の、便利であるけど静かな環境の地と決めていました。
そして30代半ばで、神奈川県横須賀線新駅駅前開発の大型マンションを購入しました。
ちょうど、日本経済はバブル、不動産好景気の頂点に向かおうとしている時期でした。
ラッキーとしか言いようのない状況で、40代前半でローンを返済し、夫婦ふたりで早期退職、海外ロングステイの夢の実現の為にまっしぐらに走っていました。
退職後の終の棲家探しは、日本国内に二人の人生の最後過ごす家、場所を確保するが先決、と同時に定年後の10年から15年、二人の健康や体力に少しでも陰りがでてきたら、
日本に戻る計画の元、その間の極楽、天国のような場所、国、都市を自分たちの目と足で探し出す一年と仮定していました。

日本の終の棲家を鎌倉市大船と決めた理由は

勿論いろいろな理由や偶然が重なっています。大きくはロレーションと資金面でした
これまで住んでいた駅前マンション築20年、84平米、10階建ての3階、両面バルコニー、縦方向専用ELV、駅から距離徒歩5分、のこれを売ってもあらたな購入するマンションの
との差額、持ち出し資金は上限1,000万とする。と決めていており、この現在の住まいの値段次第でした。
20年前の購入値段が3,450万円、その後のマンションバブル最盛期つけられた価格は8,000万でしたが、バブルは弾け、古い20年前のマンションは幾ら値段をさげても希望売却価格の半値にもならない時代でした、2003年、バブルは弾けのす。
そして、尚悪いことに、私の住むマンションは投棄対象となっていた時期もあり、私の住む棟でも競売物件が現れ、価格はそれに引きづられ、まさに底値の時でした。
新しく買う、鎌倉の新築マンションのとの差額1,000万の目論見はかなり難しい状況でした。

ひとつの光が・・・

新たに購入する予定の鎌倉のマンションは52戸、小さいマンション、住所表記は鎌倉市、最寄り駅は大船、駅から徒歩9分、眼の前が市の児童公園、ほぼ坂道なし、建設前の元の地は某大手企業の社宅アパート跡地、中層建造物指定地域、文教・自然保護地域指定。と理想的な立地でした。
ここ見つけたのは、大船駅東口から徒歩10分にマンション十数棟の超大型開発中現場があり、そこを見に行った時に、駅近くでチラシを配っていました。
この東口の超大型マンションの価格は私の予算+1,000万の差額から大きくはずれていたのと、超大型マンション群と云えば現在すんでいる所と同じで、定年後の暇にな長い時間を過ごす、「終の棲家」としては相応しくないのと、共用部が広すぎてそこの体育館や応接室、訪問客用の客室などの費用が全体の管理費に永久的にかかるのと、決めては住居表示でした。
このマンションは立地は横浜市栄区笠間という地名であったことが一番でした。
湘南でも、鎌倉でもない、栄区笠間という北関東を思い起こすうな田舎のイメージしか湧いてこない地名だったのです。
これは、不動産屋さんもよーくご存知で、私が購入しようとしたマンションの価格が神奈川県標準よりもかなり高いのを指摘すると「場所・地域」です。と即答されました。
この現在のマンションに落ち着いたのは、52戸のうち3戸つまだ売れ残っていた時でした。
3戸とも、売れ残りの理由は明白でした。
購入予定者のキャンセル、ローンが通らないとか、買い替え目的なれど、前のマンションが熟れないなどの理由でのキャンセルでした。
私の場合、現在住んでいる自宅売れなくても現金、キャシュで買えるだけの資金がありました。
ここで、販売会社・建て主とのネゴの結果、ほぼ私の予算計画に近い価格になりました。
勿論、条件はあります。キャシュで販売会社の決算の前日までの支払い。私の持つ現在の現在のマンションをこの販売会社が買い取る価格まで決めました。
この会社は、私の現在住むマンション、でこの価格なら24時間で売れますと、云いきりました。
横須賀線駅前のあの大規模マンション群の一号棟のX階なら、内覧しなくても価格はとなりました。
日本国内の終の棲家はこれで決定し、次は本来の早期サリタイヤ計画である、海外ロング+ミドル+リピートステイ探し、行脚の旅が始まりました

三十代後半から思い描いていた、定年後の人生を過ごす場所としての条件


・温かく寒くない 温暖な気候 台風など災害の少ない国 
・物価の安い   年金だけで生活出来るレベル物価、為替が安定してる国
・日本から近い  直行便がとんでいる国・都市
・言葉文字表示  アルファベット又は漢字表記の国
・安全な     少なくとも銃が規制されている国 

これらの消去法から選んで、実際に何度も最低一週間以上の滞在を繰り返してみました。

先ず消えたのは、オーストラリアでした
直行便で時差もなく、比較的近いと感じましたが、2000年のシドニー五輪以降の不動産価格の高騰で高値止まりしていて、とても私達の予算、懐勘定では
ロングステイは出来ず、単発の観光の場所と判断しました。

次に消えたのは、ハワイ・ホノルルでした
何度も通っているうちに、定宿も決まり、リピート・ミドルステイ、せいぜい一滞在二週間程度を年に2、3回過ごすには絶好の地ですが、ここも年々の
物価、ホテル代の高騰、何よりも「テルミークラブ」の破綻で格安航空券の道が途絶えのが、消えた大きな原因でした。
本格的な、数週間のロングステイは諦めましたが、7泊9日ていどでしたら、日本人なとって最適な場所と思っていましたが、ここ数年のワイキキのホテル代と物価の高騰
と行き過ぎた円安では、とても70代のシニア夫婦で過ごす場所ではなくなっています。
私達が一番ひんぱんにワイキキに通っていた頃はドル最安値の78〜90円前半の時代でした。

タイのチェンマイとバンコク
現役時代にタイ語教室に通っていたころから、薄々とタイ語の発音の難しさと、タイ文字の複雑さに、とてもかなりのサポート体制がないとタイでの長期滞在は出来ないにと
悟りました。そして、今は大勢のタイの人々が日本の秋・冬を楽しみに大勢押し寄せて来る時代です。
以前のように、バンコク市内の大型ショッピングモールのフードコートで二人で100バーツで食事が出来る時代ではなくなりました。

マレーシアのクアラルンプールとペナン
ここはかなりはじめから消去、対象外でした。
一番は気候です。ペナンの海岸は決して日本人が描くような美しい、済んだエメラルドグリーンの海岸ではなく、どちらかと云うと湘南の海岸に近く、天候も湿度が高く
からっととしていません。当時の物価はそれほど気にもなりませんでしたが、やはり基本は宗教、イスラム圏にはいるので、やや、仏教国の日本人としてちょっと違うと
いう感じを持ちましたし、食事面でも観光滞在でしたらさほど気にならい程度でしたが、決定的だったのが、ペナンのリゾート地、バトゥー・フンギリに連泊した時、街にでで、
美味しいパン屋さんを探しのですが、普通の甘い菓子パン程度のものしかなかったのです。
私たちの食事、食べ物の基準は一般的な街かどに、普通のパン屋さんがあるか、ないかだったのです。
そして、もう一つ、残念ながらマレーシアでは未だに、熱帯性の風土病があり、日本人もある一定割合で感染していることを知りました。

残ったのが、台湾とバリ島でした。
退職後一番長く滞在した日数や回数が大きかったのがバリ島でした。
温かい・物価が安く・日本から直行便がとんでる、独特の文化は、映像クリエーターを目指す私にちょうどいい、言葉もなんとかなりそう・・・
問題は、私達が何度も滞在を繰り返していた、バリ島ウブドにはまだ一軒もスーパー・コンビニがなく、食事面で苦労しました。
短期・観光客なら毎日もナシゴレン的な食事で構わないでしょうが、長期滞在でキッチン付きの部屋をレンタルとなると、ある程度の食品が揃う店が身近に必要となりますが、
私達が滞在していた2004,5,6年頃はまだウブドに欧米・中華・日本の食品を扱う、スーパー・コンビニは有りませんでした。

パリ島も随分変わったことでしょうね
いつも滞在していた「ファミリーゲストハウス」はどうなっているでしょう。




最後に残ったのは、台湾・台中でした。
ここは私達夫婦が考える条件が全て整っていました。特に日本から一ヶ月単位で受け入れてくれる組織・団体があり、ここを定宿とする日本人リピーターとも
ネットで連絡が取れ合う環境になり、最後はここかなと思っていました。がいつの間にか年齢を重ね、パスポートは失効し、来年は喜寿、もう十分、世界は行き尽くしたかな
というのが、現在の心境でしょう。

私達団塊世代もいつしか、この鎌倉の写真クラブの先輩と同じ80代になります、いつかではなく、もうすぐそこでしょう。
今年の秋、何時もなら旅行計画シートが沢山あり、予算を組んでいるのに、このお天気と変化と体調を考えると、計画は前に進めません。
今、同じシニアの皆さんに伝えたいのは、自由に行きたい所に、行けるのは、70代半ばまでなのかな。ということですしょう。
体力とか資金力の違いはあるでしょうが少なくととも海外のフリー長期滞在は75歳までだろうということを、定年後海外移住を目指す後輩の皆さんにお伝えします。


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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ