毎日、一日に一度はテレビでアクセル・ブレーキ踏み間違い事故が或いは、高速道路反対車線走行のニュースが流れきて、どうせ高齢者によるものだろうと予測するとほぼ確実に後期高齢者80台のお年寄りの事故です。
ニュースでは、事故を起こした高齢者家族の困惑ぶりが伝わってくることはなく、被害者のご家族の様子が中心となりますが、年齢を重ねるうちに、事故を起こした家族の間での修羅場が想像されます。
とりわけ加害者が高齢者だった場合、本人はもちろん、運転を止められなかった家族が、本人以上に重い罪の意識を抱えてしまうケースが非常に多いです。
交通事故は、たいてい賠償金が保険でカバーできてしまううえ、刑にも執行猶予がつく場合もある。
そのため、かえって被害者側の『許せない』という気持ちが募りやすく、加害者側が謝罪をする機会すら与えてもらえない場合も少なくない。
2019年4月、東京 池袋で車が暴走し、松永真菜さん(31)と、長女の莉子ちゃん(3)が死亡したほか、9人が重軽傷を負った事故では、車を運転していた飯塚幸三受刑者(92)が過失運転致死傷の罪で禁錮5年の実刑が確定しまだ収監中ですが、その後の報道はありません。
「おとうさん、もうそろそろ、車辞めたら、」の声こういった事故を起こすまで、家族の間では、何回も「おとうさん、もうそろそろ、車辞めたら、事故を起こしてからじゃ遅いから、お願いだから免許返納して」のような会話は繰り返されてきたと思います。
私の周辺でも、カミさんのお友達枕婦人御夫婦でもそうだったと聞かされています。
細い道から表通りに出る時、一旦停止・左右の確認を誤って、右からきたオートバイが激突し、運転していた同じ70台の男性が死亡しました。
不注意の事故でも、死亡事故ですから裁判では有罪で執行猶予5年となり、収監はまぬがれましたが、これがきっかけとなったのでしょうか、認知症を発症し、今年亡くなりました。
このご家族の間でも、嫁いだ長女から何度も、車をやめるような話が、何度もあったようですが、
「俺の移動の自由、イコール生活の自由を奪うのか」と猛反対されたそうです。
お住まいは、鎌倉市JR大船駅からバスで18分、周りはゴルフ場や大規模開発された坂の多い住宅街、鎌倉郊外の典型的大手デベロッパーが手掛けた〇〇台といわれる場所です。
今、70台後半から80台半ばの日本経済を牽引してきた大企業のどちらかというとエリートサラリーマンの終の棲家の地です。
現役当時は、毎朝、奥さんが鎌倉・北鎌倉・大船駅まで車で送り、帰路は深夜、タクシーでご帰還のサラリーマン人生だったでしょう。
退職するころ、子供たちは独立してこの家から出ていきました。
静かで住まう為の環境は良いのですが、なんせ駅までバス便しかなく、引っ越してきた頃あった小さな商店は徐々になくなり、コンビニももちろんありません。
今、鎌倉市のなかで一番地価が下がっている地域の一つなのです。
足の便を奪われる男性の辛さは解ります。家の周りの住環境は、森から小鳥のささえずりが聞こえてきます。
散歩コースの池には水辺の宝石「カワセミ」もやってきます。
生活環境、退職後の
「林住期」そのものの生活。
一日の自然と自宅にいることが多くなり、退職した頃ようやく、この郊外の住宅地にも「高速ネット回線」やらがケーブルテレビ経由でくるようになり、自然に自宅で過ごす時間が増えていきます。
でも、ちょっと昔の仲間と飲み会に新橋にいくのに、いちいちバスの便を調べる煩わしさ。
切らした「乾電池」を町中まで買いに行くわずわしさ。
読んでみたい本を本屋にいく自由ぐらいほしい。
自分の足を奪われれたくない、その気持は良く解ります。
免許返納は、しない、体力か低下して、歩く力が衰えてきた時こそ、車が必要だ・・・との論理でしょう。
私は、最後にハンドルを握ったのは確か、38才だった記憶があります。私が最初に運転免許を取得したのは、アルゼンチン・ブエノスアイレスに住んだ21才の時でした。運転免許は地元の警察署に出向き、筆記試験と持ち込んだ自分の車で、公園プラザをぐるっとまわり、最後に警察署の前で縦列駐車して合格です。
私が筆記試験に望んだ時、日本からきた駐在員の方と一緒になったのですが、スペイン語は買い物程度しか出来ないので、係員が私に通訳しやってくれと云ってきたのですが、その方はスペイン語以前に、この国の交通標識もよく分からない程度でした。終わった後、担当の警察官は、「スペイン語だけでなく回答も教えていただろう」と苦笑いでした。
アルゼンチンではその程度て免許証が一日で取得できる簡単なものでした。帰国し、専門学校卒業後に入社した会社は運転免許必須でした。
一応アルゼンチンの国際免許証で乗れますが、あまりにもいい加減な南米の車社会で育ってきたことを認識してたいましたので、東北の免許合宿に入って一発でとりました。
やはり、ちゃんと日本の交通ルールを学んで良かったと思いました。
南米の国では、多少こすったり、バンパーにあたったりは事故でありません。「お互い様」なのです。
交通人身事故でも原則、「逃げるが勝ち」でした。
ある日、アルゼンチン人の友人と郊外を走っていた時、前の車がオートバイと接触し跳ね、オートバイ男性は血を流していましたが、当事者の車と一旦とまりましたが、走り去りました。
私は車を止めて、救助しようとすると友人は「やめとけ、早くここを離れるのだ」と云います。
普段冗談をよくいう友人ですが、真剣です。
私は、彼がいうままその場をはなれました。
隣町まできてから、「なんで助けてあげないの」と聞くと、あの場でお前が助けて、この車に乗せて病院に運んだと途端、あの男は「この車に跳ねられた」と100%云う。
彼は、ブエノスの白人社会のメンバーでなく、田舎からブエノスにでてきた人種だ。
生きて行く為には、この程度は平気でやる、豊かな日本に生れ、儒教・仏教社会で育ったお前は
「あまちゃん日本人だ」彼は、ヨーロッパから逃れてきたユダヤ人家族として、ここで成長してきたのです。
私の現役時代はほとんど車には乗りませんでした。現場の施工管理ですから、現場事務所のみが守備範囲で、資材・機器などの力仕事などは全て他の部署、会社が担当してました。
実際に私は
「オートマ車」を運転したことはありません。
たった一度だけ現場駐車場で職人さんの車の移動で「監督さんすいません、その車をもう少し寄せて下さい」と頼まれ乗り込んだもの動かし方さえわからず、職人さんから呆れられ、「もう、絶対に車に触らないほうがいいですよ」と言われたが52才のころです。
そして、55才退職してもまだ日本の運転免許証は持ってはいました。
どこの国のどんな所に老後安住の地を求めるのか分からなかったのですから、一応キープはしていましたが、60才還暦を迎えて、今更、海外で車を運転することは100%なし
と判断し、更新するのを辞めました。
そして65才でパスポートの更新も辞めました。おかげで、身分を証明する公的書類はマイナンバーカードが誕生するまで、顔写真付きの身分証明書がなく、多少不便でした。
そんな私達夫婦は、「車は軽くい虫、特に都会だと駐車場・ガソリン・保険・税金と使わなくてもいったい幾らかかるのだ、絶対不要」と公言していました。
しかし、その公言をやや悔むことになるとは。
その悔やむ、原因は先週やってきました。
原因はカミさんの怪我と猛暑と米不足年々、猛暑・熱暑が厳しくなり、日傘を手放せない日々が続く中、想定外の事件がおこりました。
カミさんが部屋の中で滑って左足の小指・薬指を骨折し、ギブス状態になり、日々の買い物にいけなくなりました。
その分、ほぼ毎日カミさんの買い出しメモをもって歩いて数分の近所のコンビニ、地元スーパー、生協に。でもこのインフレ・物の価高のなか、少しでも安く買い物となると駅向こうの大型スーパー「セイユー」となります。
これまで、もちろん何度もカミさんの代わりに、セイユーへ買い物に行ってますが、今年は別格の暑さです。76才となり、駅までのやや勾配のある坂は、以前は坂とは感じなかったのが、今年は坂と認識します。
駅の階段も右ひざの違和感で、庇いながらのぼりは諦めて、マンション内のエレベーターを使うようになっし、駅やショップのエスカレーターは当然使うようになりました。
毎日の老夫婦の買い物にしても、沢山買うと重くなるので、毎日少しつづ使う分、食べる分だけの買い物でも、結構重くなります。
昨年あたりは全く重いと感じなかった量でも、今年の暑さ、日傘をもって冷凍食品は結構な重さとなります。
そこにきて米不足、品切れが拍車をかけました。半月ほどは「佐藤のご飯」と冷凍の麺類・チャーハン・おにぎりでつないできました、そうこうするうちにスーパーに新米が並び始めましたが、全て5キロ袋だけです。
私達夫婦に必要な2Kはなしです。
我が家はこれまで、お米は2Kしか買いませんでした。その一番の理由は、重いからです。
行きも帰りも、ターミナル駅構内自由通路を横切って、やや坂とかんじる道をスーパーから自宅玄関まで早足で15分はかかるようになったのです。
昨年までなんともなかったこの距離そして買い物袋の重さをしみじみ感じるようにようになりました。そして、こんな時期、車の便利さをつくづく感じました。
車があればこんな暑さも重さも感じずにすんだのに。
自宅から駅まで徒歩9分バス停一つ距離この連日の猛暑とお米5キロをきっかけに、食料買い出しにバスを使うことにしました。片道210円、バス停ひとつの距離です。
自宅前徒歩0分にはバス停があります。ほぼ西口に向かうバスは我が家の前を通るので、バスの本数はご覧のとおりで、都会・郊外ターミナル駅につながる路線の本数は多いので時計を気にする必要はないと、思っていました。
買い物に行く9時、10時台は一時間に7本あるので、特に時間を気にせずにバス停にいけば良いと思っていました。
しかし我が家の前のバス停はターミナル駅の一つ手前、色々な路線の最終バス停なのです。
「テレ東路線バスの旅」でみる地方のバス停からみれば、天国のような本数ですが、意外に時間どおりには絶対バスはやってきません。
ほぼ5分から10分送れてきます。8時台は本数は倍ありますがね時間通りには来ず、来る時は3台4台連続してやってくるのです。
こんなに、地方からみれば交通に恵まれた場所でも、今年の暑さと買い物の重さを考えると、確かに車は便利だような、自由だよ。
多少、維持にお金がかかってもこの自由さは手放せない、と解るようになりました。
それでも、行政は高齢者の事故を減らすように奨励策を考えているようです。
高齢者ドライバーが免許を返納するとどんな特典がありますか?の検索に高齢者の自主返納の場合、多くの特典を受けることができます。とありました。
例えば、タクシーやバスの運賃割引、商品券、美術館や飲食店の割引などがその一例です。
特徴的なのは、どの自治体もマイカーを手放しても交通手段に困らないよう、公共交通機関の割引をしていることです。
また、シニアカーの割引をしている自治体もあります。
神奈川県高齢者運転免許自主返納サポート制度協賛事業所例 生活協同組合パルシステム神奈川
株式会社ポートエモーション 有料老人ホーム紹介事業
横浜葬儀社はばたきグループ
かおり葬祭
お仏壇のはせがわ
メガネスーパー
墓石販売石長鎌倉本店
シニアカー販売 トヨタ
ふざけんなよ、何が返納サポートだよ、高齢者食い物とする業者だけじゃないか移動手段の補助としては横浜市はシニアパスは65歳以上の方であればどなたでも購入できる市営バスの全線定期券です。
敬老特別乗車証は横浜市在住の70歳以上の方のみを対象とする乗車証で、市営バス・市営地下鉄のほか、市内の民間事業者が運行するバスでもご利用できます
料金は当年度の市民税が世帯全員非課税の方生活保護受給者は年3,200円、何だ無料ではないのだ
鎌倉市は全国でも数少ない交付税不交付自治体なのに運転免許証を自主返納した方への割引助成券は令和2年11月から高齢者ドライバーを対象に、運転免許証自主返納の促進による安全確保、自主返納後の外出支援のため、市内のバスやタクシー利用に使える割引助成券を交付しています。令和3年4月から、運転免許証を失効した場合も助成券の交付対象になりました。
対象者満65歳以上で自主返納・失効した方(満64歳の人で、満65歳になる誕生日1ヶ月前から前日までに返納した方も含む)
免許証を自主返納した日または、失効した日の6ヶ月後の月末営業日までに申請した方
助成券500円券を4枚交付します。発行年度の3月末まで有効です。
(申請年度と翌年度の2年間が交付対象です。)
利用方法バス…事業者が販売する高齢者向けバス乗車証を購入する際に利用(1度に4枚まで利用可)
タクシー…料金の支払いの際に利用(乗車1回につき1枚)
こんなもので、率先して運転免許証を返納する高齢者がいるもんか*************************************************************
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