
四ヶ月に一度の前立腺PSA検査で、近所の地域総合大病院を訪れる度に、「自分の最後はこの病院で過ごすことになるのだろうか」といつも思います。
私は中学3年生の時の怪我で2ヶ月、体調不良でブエノスのオスピタルで1ヶ月、そして50代はじめ、A型肝炎・C型炎で国際親善病院で3ケ月入院したことがあり、平均的な日本人男性と比べて、病弱で長期入院経験が他人より多く、入院生活慣れしているかもしれません。
75才を過ぎ、今年の春先、そして北陸の旅からもどってから急激に体力・筋力の衰えを感じ、自分に残された「余命」を思い、最後に過ごす場所に思いを起こすことが増えました。
今の夫婦二人の環境では、先ず99%、近くの地域包括旗艦病院になるでしょうが・・・
今回のテーマ「人生の最後の場所」
読者の回答はほぼ予想どおり、やや「はい」が少ないのは仕方ないかなと思います。私、個人としては、住み慣れた自分の家、自分の部屋、手を伸ばせば全てが揃っている部屋が最後の場所でありたいと思っています。
パソコンも、テレビも、スマホも、Wi-Fiも、お気に入りの過去の写真スライドショー&BGMセットも、トイレは隣にあるし、リビングからは、鎌倉の緑、お月さまが上がってくるのが見える、普段の生活のまま、訪問看護による緩和治療のまま、この自分のベットで眠るように逝きたい。
私のブエノスの友人は、訪問看護、訪問緩和治療下の生活を半年で過ごし、ある日セニョーラがちょっと目を離した時、眠るように逝ったと聞きました。
彼は、大腸がん末期、幸い、アルゼンチン特有の医療体勢、私立大病院の有料登録会員であった為、すべての費用、手術・投薬・訪問介護・終末医療も負担は会費たけですまされ
穏やかに逝ったと聞いています。私の理想も自分の部屋でカミサンに気づかれず、眠るように亡くなっていくのが理想ですが。
いいえと答えた人、その理由は
我が家のカミさんは私がこの自分の部屋で逝くことを望んでいるいるのを知っていますが、本気にとらえていません。元高度医療関係者のカミサンは「短時間でころっと逝ってくれればいいけど、終末医療專門ベッドだって、3〜4週はかかるのよ」
「家族がそんな患者、24時間付きっきりで診られる訳がないじゃない」
「幸い、我が家はあなたの広い部屋があるからいいけど、家族が多い家は不可能よ」
「第一、マンションだと近所迷惑、ここに20年以上住んでいるけど、いつの間にか、知らないうちに、お隣のご主人が亡くなっているじゃない」
「私は無条件で119番し、入院先で延命治療行為は不必要と言うわ」
「大丈夫よ、市内の葬儀屋さんに会員に登録してあるから、心配しないで」
夫婦二人、50年近く暮らしていると、こんなもんです。
何処で迎えたいですか
2018年、私の長兄は72才、盲腸癌ステージ4で亡くなりました。なくなった場所はホスピスです。
双子の兄は若い頃から労働組合活動を中心に動いており、障害独身でした。
そんな兄の都会での老後の生活を心配した老いた母親は、信州に連れ戻し40代後半の兄の仕事捜しアパートに住まわせましたが、なかなか仕事が定着しなかったりしし、影で
資金的な援助をしていたようです。
現在、都会で暮らす戦後昭和20年生まれの、地方から出てきて単身男性の年金生活の様子がワイドショーなどで取り上げられていますが、あのまま、亡くなった母が、強引に信州に引き取らなかったら、同じような状況であったろうと今では思います。
そんな兄は、65才、年金をもらえる年になって「アパート代で年金が消えていく」と実家の姉に嘆いていたそうです。
その兄は71才で盲腸癌ステージ4、残された期間は半年と告げられ、訪問看護による緩和治療になりました。
その間、一度だけ兄のアパートにお見舞いに行き、次兄の発案で兄弟四人で思い出造り一泊温泉旅行にでかけました。
その温泉で判明したのは、兄は軽い認知症を発症しており、大浴場の湯船のなかで、弟の私を認識できませんでした。
ドクターの云った余命数ヶ月の通り、兄はホスピスに入って、三週間が亡くなりました。
ホスピスの個室に入った知らせで、信州に出向きましたが、既に会話がなりたつ状況ではありませんでした。
しかし、ドクターは云います。「聴覚は最後まで残っているので、話しかけて言葉を聞き取っているかもしれませんから、なるたけ話し続けて下さい」と。
ホスピスでのお別れ会は、市内に住む姉だけが参加しました。
姉の話しでは、カトリック系のホスピスで、兄のお別れ会は、院内の空いている看護師、医療従事者全員が教会にあつまり、賛美歌とともに厳かに行われたそうで、姉はこれまで、いろいろんお葬式に出席したけど、こんなに厳かな、涙が止まらなかった通夜は初めてと大感激し、
兄の残したわずかに預貯金のほとんどをこのホスピスに寄付したそうです。
「では僕の時もここで」というと、あんたは出来ないといいます。
理由はここのホスピスの評判が良すぎて、全国から集まってくるので、現在は長野県内からの紹介者のみしか出来ないそうです。
延命など家族と話し合っていますか
これから多死社会にはいる団塊世代子供なし夫婦ですから、延命についてはいつも、半分冗談・本気で「救急車をよぶか呼ばないか」について話しています。救急車は呼ばないで、自宅内で亡くなると、医師がいない場合不審死となり、警察の介入となりいろいろ面倒になるしね・・・
血管・心臓・脳関係で倒れて場合、やはり救急救命センターとなるけど、延命処置に関しては、やはり、口頭ではなく書類としておかないとね。
特に、二人だけの家庭では。
ネットで「延命に関する処置応拒について」「終末期医療に関する意思確認書」など参考にプリントアウト、署名、捺印しています。
事前指示書は書いてますか
横浜市立脳卒中・神経脊椎センター 例文参照1.食事が摂れなくなった時の 水分・ 栄養補給 の 対応 について
@末梢 血管 からの点滴
□希望する □希望しない
A鼻 チューブの使用
□希望する □希望しない
B中心静脈 の使用
□希望する □希望しない
C胃瘻 の 造 設
□希望する □希望しない
2.血圧が下がったとき 、 昇圧剤( 血圧を維持する 薬剤 )の使用
□希望する □希望しない
3.呼吸状態が悪化した時 、 人工呼吸器の装着( 後に 気管切開 が必要になる可能性があります
□希望する □希望しない
4.腎臓の 機能が低下した 時 、 人工透析の実施
□希望する □希望しない
5.呼吸 が 苦 しくなったり 、病気に対する耐え難い不安が 生じた 時 、
麻薬(呼吸を楽にする薬)、 鎮静剤 気持ちが楽になる薬) の使用
□希望する □希望しない
6.呼吸器 、尿路など に 感染症 が生じた 時 の 徹底的な治療の希望
□希望する □希望しない
7.想定外の 心肺停止時 (窒息など に 胸骨圧迫 (心臓マッサージ 、 除細動器
挿管 (気管にチューブ挿入して換気すること、
後に 気管切開が必要になる可能性があ ります を用いた心肺蘇生術 の施行
□希望する □希望しない
人生の最後に重視するのは?
さいごのユーモアというのがよくわからない。残された時間を宣告された時、何かユーモア、冗談を云える余裕があると思えない。
欲しいのはゆっくりと過ごせる空間が欲しい。
よく聞く話だが、病院での豪華な個室を望む男性が多いと言う話。
今、そろそろ、順番が回ってきそうな年齢が近いてくると、決してわがままではないのかも知れないと思うようになってきた。
確かに、四人部屋とかではなく、自由な空間で最後はカミサンとしんみり話して逝きたいものだ
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何歳なのか、死因は何かが気になると云っていた。
「
石川好氏は高校卒業のよく年、東京オリンピックの翌年1965年19歳、単身兄を頼って、横浜から南米へ行く貨客船に乗った思われます。
今、日本で盛んにおこなわれて、ベトナム実習生やら、ミャンマーからの介護実習生,期間5年の実習生という名ばかりの短期出稼ぎ労働制と同じことが日本から米国に向けて行われていたのです。
ラインのトーク画面を手入力、トルグかフリックかで迷い、ついに音声入力でいれる方法にたどり着いた話を、ブログで紹介してから、数日経って私のスマホに中学時代の同級生から初めてライントークがきました。
数年前の同級会がはけ、二次会の話が出た時、T君は「一緒に行きたいけど、これから母親の介護施設に用事でいくので、ごめん」と云います。
二人の息子のうち、長男はやはり二浪して東京の・・・というより校舎は埼玉の田舎にある、スポーツだけは有名だけど、偏差値45〜48の誰でも入れるレベルと自嘲気味に話ます。
みんな同じ団塊世代、特に女子生徒は男子生徒よりも数年早く結婚し、子供を育てているので早く経験しているのです。
毎日の同じ繰り返しの作業が出来なくなりつつあるようです。
認知症の進行をいくらかでも緩和させるかもしれませんが、完治は目指していません。
台風7号が関東首都圏に接近してる日、リビングのロッキングチェアで寛いで、読んでいた本を落とし、拾おうと立ち上がった時にスリッパの上で足が滑って転倒し、左足の小指・薬指を変に床にぶつけたようです。
それでも、駅の向こう側の整形外科にいくのですから、ラフな格好ではいけないと、ファッションショーしており、靴はダメなのでサンダルをパンツに合うものを物色していました。
暑いのですが、カミさんの性格として、毎日の食事材料は毎日、街中にでかけて、その日使うものだけ買ってくるという生活が何十年も続いています。
ここ二ヶ月、体重はこれまでの標準体重65.5プラマイ0,5を大幅に上回って、ずっと66K台前半だったのが、この一ヶ月半、以前ならとんでも体重増の67k台になり、危機感をもって少なくとも66K台前半までセイブしていたのが、この暑さ、水太りと、そして何よりも運動不足で体重は67k台前半から全く体重が落ちません。
小谷 みどり シニア生活文化研究所所長。
かつて、熟年離婚のきっかけは夫の定年退職による「家庭内の妻の不満」が大きな要素と云われていたが、近年は定年よりも早い段階で「夫婦の危機」を迎えるケースが目立つという。
子育てが一段落したことも離婚を決意する要因となる、退職金や年金のなどの財産分与を考える場合、「夫の定年の2~3年前から妻は準備に動き出す」とという。
このブログで何度も書いていますが、私達はある理由から38才の時から、子供のいない生活、老後の一定期間を海外で過ごすというイメージにたどり着きゴールとして共有して生活をスタートし、私55才、カミさん52才で完全にリタイヤしました。
私の現在の鎌倉の色々なスポーツ・NPO・趣味のクラブのなかで目にするのは「老後別居」です。
最初の太川・蛭子コンビの放送は7年前に終わっていますが、今年8月まで変則ですが、BSテレ東で再放送、再々放送されていました。
今回のルートは福島県会津若松市〜秋田県由利本荘市!太平洋側を進むのか?日本海側を進むのか?ルート選びが運命を分ける!? 
私のスマホにも最初から「line」が入っていますが、使ったことはありません。
団塊世代のオジサンたちは、パソコンが普及し始めたときから、メールやホームページ制作に関わってきました。
アルゼンチンに住む、団塊世代の旧友「N君」と連絡を取るためです。
ラインのテキスト入力画面から入ると、以前使っていた「トグル入力」画面になり、右上のマイクをタップすると、音声入力画面になり。
N君の話しでは、アルゼンチン国内では「whatsapp 」というラインと同じような機能のアプリが主流でラインを使うのは、メインは海外との連絡が必要な人たけのようです。
やはり、想像どおり日本のラインでは海外の電話番号での登録は出来ないようですが、相手から友達設定では出来るようです。
ある例、カミさんの友人女性(73)は、「人に頼らず生きてきた」と話す。
高齢者の身元保証などを行うサポート事業について、現在、所管する省庁がないことから、政府は今年度内にもガイドラインを策定するなどして、適正な事業者の育成を進めるほか、身寄りのない高齢者をめぐる問題に横断的に対応していくことにしています。
真ん中の昭和23年早生まれの私は来年春、節目の喜寿77才になります。
このブログの原稿を書いていた翌日、新聞紙面広告欄に同じ問題についての新書文庫の宣伝広告がありました。
上永谷駅は私の住む鎌倉からはすぐ隣の、横浜市市営地下鉄ブルーラインの駅でJRで一駅、戸塚で地下鉄に乗り換え3駅目と近いのです。
グーグル・マップでもはっきりと写っている場所なので、全くも迷わずというより、遠目からみても大勢のシニアカメラマンや、スマホ片手の叔母様が龍舌蘭を見上げてカメラを構えてるのが見えました。
どんなカメラアングルでも、全体を描写出来ないのは解ったいたので、ビデオ撮影のみとし、次の東戸塚の歯医者の予約時間があるので、現場撮影は15分で切り上げました。
バスは環状2号を外れて、高台のほうには入っていきます。

田舎や地元と違って、ここ鎌倉でも、葬儀は近親者のみで行われ、ご主人の兄弟・近い親戚程度での葬儀、奥さんのお友達への連絡、通知はまったくありません。
東京の原稿を書く仕事から、農業を始めて、時間の感覚は大きく変わった。
私達、似た者夫婦か最初のマンションのローン返済を終えた38才・35才の時、