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2024年05月31日

北陸二日目 越前大野城下町と一乗谷朝倉復元町並み


予定を変更してJR九頭竜・越美北線方面へ
当初の旅程プランは、最終日は帰りの新幹線の時間もあるので(その理由とは、どうしても「かがやき」に乗らないと金沢乗り継ぎで時間がかかり、私達の旅のポリシー夕方ゆっくり自宅で夕飯を食べるだけての余裕が欲しく、少なくとも7時台に自宅に着いていたいという理由)比較的、福井駅から近い場所として、三日目は一乗谷に設定していました。
という訳で、二日目は、えちぜん鉄道勝山永平寺線の恐竜博物館をメインに考えており、二日目の朝、えちぜん鉄道の窓口で福井・勝山フリー切符を購入しようとしたら
何と、恐竜博物館は休館日だというのです。後から知ったのですが第2・4水曜日は定休日、メンテナンスで休館なのでした。
そこで、急遽計画を変更し、二日目は越前大野と一乗谷に変更しました。

ハピラインふくい線+越美北線普通 九頭竜湖行越前大野へ

これから行こうとする「越前大野」も「一乗谷」も交通系ICカードは使えないのは、行く前から調べてわかっていました。
そこで、券売機で切符を買おうと思っても、見当たりません。
仕方なしに窓口で聞くと、駅員さんがでてきて、買い方を教えてくれました。
JR福井駅から、JR西日本の越美北線の駅の切符を買うのに、新幹線が出来たせいで、再来線が第三セクターなった為、一度、新しい経営となった路線「ハピラインふくい線」を経由しないと行けない、何とも不思議なことになっていたのです。
新幹線が開通すると、並行する在来線は第三セクターになりJRから切り離しになるのでこんな現象が発生するのですが、長野新幹線の場合、開通と同時にIC切符化されましたので
こんな面倒な手間なしで簡単にかえたのですが、新幹線開通は、その都市にとっては大きな魅力なのでしょうが、本当に地元とっての手放しに歓迎すべきどうかは疑問です福井駅からの電車はハピラインふくい線の制服を着た運転手が次のJR越美北線の分岐駅「越前花堂駅」で降りて、次にJR西日本の社員が二人乗り込んて交代しました。
ハピライン福井線は駅も交通系ICカードになっているのですが、越美北線は無人駅も多くすべて車内での精算となり二人乗車勤務体制なのです。
この路線で一番乗降客が多い思われる「一乗谷」でさえ無人駅なのでした。
さすが、最初に行く「越前大野」は
戦国時代に築かれた越前大野城とそのふもとに広がる碁盤目状の町並み、歴史と文化を受け継ぐ町なのです

北陸の小京都と云われる城下町越前大野

そんな大きな町ですが、福井から列車は朝9時21分、次は12時48分の2本しかないのです。今、人気となっている一乗谷朝倉復元町並みへも、この電車してないのです。※後から路線バスで行けることが判明しました
同じく、越前大野へ路線バスも毎時1本出ており、福井の人は列車ではなく、どうやらバスを使っているようです。
時間的も料金的にも電車のほうが若干安く早い上に、なんと一両編成の列車でもちゃんとトイレがついているのです。
越前大野駅で下車したのは私達を含めた3組のシニア夫婦のみでした。
駅構内や駅前に観光案内所があると思ったのに、観光案内所は町の中心地、お城近くのようです。
つまり、福井県民は越前大野へは列車でなく、路線バスでくるのが一般的なようでした。
全くの勉強不足でした。
さて、駅構内の観光マップを広げてどうやってお城に行こうかと考えている時に市内循環バスが来たので聞いてみると、このバスもお城方面にいくとけど市民循環バスだから大きく遠回りしていくので、歩いたほうが早いですよ、10分程度というので、80代のシニア御夫婦と一緒に歩き出しました。

日本三大「天空の城」越前大野城

と云われているくらいの山城で、どう見ても次の一乗谷方面の列車は1時間40分後
には間に合いませんし、そんな体力もないので、古い武家屋敷や町並み散策のみとすることにしました。
山間の城下町ですが、町並みは美しく道路は整備され、駅から城下町へ電線は地下化されており、私の住む鎌倉よりもずっと進んでいるように見えました。
一軒目の武家屋敷「旧内山家」の離れに座るとすだれ格子から大野城の二重天守閣が見えました。冬には鮮やかな絵柄が描かれた絵障子に変わるようです。

二軒目の武家屋敷 旧田村家

風車棚のお屋敷として人気。
ここ、越前大野の武家屋敷はたんに、古い歴史あるお屋敷を資料として公開するだけでなく、建物・レイアウトは昔のまま保存しながら、現代風にデザインして観光客に楽しんでいただける工夫をしていいます。
実際には賛美両論あったようですが、平成・令和の現代、若い女性向け、インスタ映えするモダンな武家屋敷を演出しています。
この田村家の入口垣根から正面にいたるまで、カラフルなくるくるまわる数百の風車で構成されていました。
今回、この福井県のかなり山奥にある越前大野の観光時間は1時間40分と仕切ったのを後悔しました。
駅からの歩く距離と、そして自分の体力の過信していました。
もっと、JR以外の移動方法やら、越前大野市内の歩き方、コミュニテイバスを調べておけば良かったと後悔しています。

一乗谷朝倉復町並み地区保存へ

JR一乗谷駅はたんぼのなかの無人駅だった
事前にGoogleマップで調べて、最寄駅から今、人気となっている戦国大名越前朝倉氏の築いた城下の町並みを再現した地域は駅前からかなり離れた場所にあることは事前に知っていました。それでも、これだけ北陸新幹線が福井まで延伸して人気なのだから、観光案内所ぐらいはあるだろうと予想していたのですか、全く何もなし空振りです。わずかに周辺の地図だけの掲示でした。
福井から朝一番の電車が9時21分、次が12時過ぎという信じられない本数の少なさで、この駅でかなり観光客が下車しそして、戸惑っているのです。
とりあえず、印刷してきた地図とGoogleマップで方向を定め歩きだし、田んぼで働いて人に、どのくらいの時間かと聞くと「40分ぐらい」との返事、「えーそんなに」
と思い、歩きだし、次に家庭の主婦らしき50代の女性に聞くと、「10分ぐらい」・・なんてこんなに差がでるの?
やがて、前方から帰りの観光客らしき人にもう一度聞くと、「おおよそ30分」との回答、これが一番正確な数字なのでしよう。
実際に帰ってからパソコンの距離測定アプリで測ると2.5km 徒歩28分と表示されました。

一乗谷朝倉遺跡は名の通り細長い谷間の美しい遺跡です

一乗谷朝倉氏遺跡は、九頭竜川の支流一乗谷川に沿って形成された谷間に出来た城下町です。
戦国時代に朝倉氏五代が約100年間にわたって越前の国を支配した城下町跡。
武家屋敷・寺院・町屋・職人屋敷や道路に至るまで町並がほぼ完全な姿で発掘され、遺跡は、国の特別史跡・特別名勝、出土品は重要文化財に指定されています。
若い時期の「明智光秀」もこの城下で暮らしていました。
城下町と云うと、石垣造りの天守閣があり五番目のような大きな通りや人々の暮らし、市場などを思い浮かべますが、そんなイメージは織田信長行以降の時代で、朝倉氏は下剋上の戦国大名ではなく、室町幕府が任命した守護大名でもあったのです。
一乗谷は、戦国の戦い、守るための城と云うよりも領民を治めるためのシンボル的な存在だったようです。
甲斐の武田も守護大名でした、ですから、威厳のある城壁や天守を持たない、館的存在で、この朝倉一乗谷の雰囲気と全く同じでした。

朝倉氏町並み復元保存地区へ

ここでは、塀に囲まれた重臣の屋敷が山際に並び、計画的に造られた道路をはさんで、武家屋敷や庶民の町屋が成形されていた様子がリアルに再現されています。
戦国大名・朝倉孝景から5代103年にわたり越前を支配した朝倉氏。
5代目当主の義景は浅井氏と同盟を組み織田・徳川軍と激突。1573(天正元)年の刀根坂の戦いで大敗後、義景は自害。朝倉家繁栄もここで幕を閉じました。
其の後に入ってきたのが、織田の家臣「柴田勝家」ですが、織田信長跡目争いに敗れ、信長の妹「市」とともにここで自害して果てました。
残されたのが、市の娘三姉妹、後に秀吉の側室となる「茶々」、二代徳川将軍秀忠の正室になる三女「お江」次女の「お初」は京極家に嫁ぎました。
この復原町並は、秀吉が攻め込んだ一乗谷以前の朝倉氏時代のもので、どこか穏やかな空気に満ち溢れていました。

一乗谷朝倉遺跡は美しい田園風景

団体観光ツアーは観光バスでまっすぐ朝倉氏遺跡復元町並みにきますが、谷間の戦国大名の城郭・町並み遺跡は広く、細長く、私が行った5月下旬は新緑に溢れていました、良く整備された遺跡には桜が目たちました。
唐門に映える薄墨桜、一帯に植えられた糸桜(しだれ桜)、ソメイヨシノなどが遺跡内に代わる代わる咲くため比較的長い期間桜を楽しめまるようです。開花期間中はライトアップもされます。今年2024の見頃4月中旬だったそうです。
私たち訪れた5月下旬は新緑の様々な緑のグラデーションが綺麗でした。
そして、これは福井の観光の特色なのでしょうか、越前大野の武家屋敷もそうでしたが、元々存在したものでなく、美しく見せる、あるいはスマホ・ネット時代を意識した演出が数多く見受けました。この朝倉氏遺跡復元町並みのなかにでも、風鈴と傘によるオブジェがありました。
古い、戦国時代の遺跡と、関係は全くないのですが、それは越前大野武家屋敷の風車も同じなのですが・・・
賛否両論あるでしょうが、確かにSNS上の拡散・宣伝力は確実にあるでしょう。

このJR駅から30分歩いてきた道を、帰りは福井駅直通の路線バスで戻りました。
駅のまで25分、640円、電車だと18分 260円なのですが・・・

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2024年05月29日

北里新幹線延伸福井の旅一日目



北陸新幹線は1998の冬季オリンピクに合わせて1997年に東京 - 長野間が「長野新幹線」として部分開業しました。
私の生まれ育ったのは、子供の頃から遊び場だった信州善光寺のお膝元、長野市です。
18歳で東京に出てきており、その後海外に出てからも、帰郷の度に信越線特急「あさま」を使っていました。
「あさま」が走る前のSL時代を鮮明に覚えています。
中学校の修学旅行先が東京と今、現在住んでいる「鎌倉」でした。
あの当時1962年ごろ、まだ東京への汽車はSLで、難所の碓氷峠はもう一台SLが牽引し、二台でアブト式の急勾配の峠を下っていき、碓氷峠にのトンネルにはいると
一斉に汽車の窓を閉めた思い出が残っています。
新幹線が長野まで開通し、故郷のまちは大きく変貌しました。
おの面影があった旧長野駅舎はモダンに生まれ変わりました。
道路は拡張され、元の町並みはどんどんと失われ、空き地だらけの、駐車場のまちと変わり果てました。
郷愁からでしょうが、五輪前の長野市のほうが。づっと魅力的でした。
あれから、金沢まで新幹線が伸び、いつの間にか長野新幹線という呼び方は変わりました。
そして、今年、関東首都圏から一番遠い、無縁の地と思われていた、北陸、福井、敦賀まで新幹線が伸びたので、行ってみることにしました。


福井の旅のプラン
関東、太平洋側、湘南に住む私達から見る「北陸」のイメージは、いつも曇り・雨、何よりも交通費の高い場所地域です。
自宅鎌倉から本州最北端の青森へは18,330円ですが、今回の福井も負けず劣らず、16,360円と、高いのです。
それなら、JR東日本のジパング倶楽部などにはいり、割引価格でチケットがとれるのだhtすから、会員年会費なんて一回で元をとれる、と勧める人もいますが、ジパング倶楽部
は、事前予約か必要で、今日、北陸は晴れているからといって、チケットは取れないのです。
ホテルにしても大手旅行会社のホテル・トレインセットパックが安くなるのては重々承知ですが、恐らく、70代半ばを越えた夫婦二人が北陸を旅することは、次の機会はまず
ないでしょうから、絶体に晴れている時、毎日天気予報を眺めていました。
そして決定したのは三日前にホテルを予約し、一日前に駅の券売機でチケットを買いました。
3日間の福井市滞在で何処に行こうかと、プランを立てました。
1,絶対にお天気優先、海の東尋坊とちょうど北陸三大祭が開かれている、「三国」&「東尋坊」地域
2,恐竜博物館と越前大仏のある勝山はお天気に左右されないだろう
3,JRの列車本数の少ない、越前大野と一乗谷朝倉遺跡は、歩くかもしれないので、お天気優先と列車の時間優先
と決めました。

一日目は東尋坊と三国のまちへ

三国というまちは
えちぜん鉄道三国芦原線の終着駅「三国」は福井県北西部の坂井市の湊町
漁港で獲れる新鮮な海の幸はもちろん、1000年前の文書にも残る歴史ある港町としても名を馳せていますし、江戸期の北前船の寄港地として栄えた
ノスタルジックな街並みには趣のある町家が並び、ちょうどこの時期、5月19日、20日、21日と北陸三大祭が開催されていました。
前日の20日の天気予報は午前中、雨の予報の為、一日ずらして、この日にしてました。
と云うよりも、三国から東尋坊へり路線バスが20は交通規制で、事前のルートが分からす。もしかすると、三国から東尋坊まで3.5km歩く羽目になることを避けて
大例祭の翌日にすることにしました。

三国のまち歩き

趣きのある町家の風景
このお祭りは各町内会毎に大きな山車をつくり、一年に一度三国の町中を練り歩くというものてす。
丁度、この5月19日、20日、21日は全国でも同じように春の祭典で行われる時期で、東京の神田祭も行われていましたし、京都の祇園祭も規模はちがいますが、各地区
町内会が一年間準備して、この3日間を楽しみにしているようでした。

各町内会の山車、人形を見物

昨日市内を巡回した各地区の山車人形は、各地区の収納庫に収められており、
全て、外部から見えるようになっていました。
壱番山車から六番山車まで20日に巡航したようで、雨の天気予報にもかかわらず、朝から快晴だったそうです。
山車のテーマはほとんどんは歌舞伎の世界や歴史からからで、今年は「那須 与一」「石川 五右衛門」「柴田 勝家」「狐 忠信」「武田 信玄」「雑賀 孫市」とあり
なにがメインテーマなのか、わからない人物像となっていました。

街歩きの最後三国神社へ


「三國神社」の名は延喜式神名帳にはじめて登場するが、途中途絶えており、直近で登場かるのはするのは天文9年(1540年)から、
明治維新後、徳川家康の三男、結城秀康を祖とする越前松平家は、朝廷派のつながりからそのまま、現在の福井県の知事となり、福井県県庁は当時の福井
松平家の石垣に囲まれた場所に立っている。
三国へはえちぜん鉄道三国芦原線でおよそ1時間
スイカ交通系ICカードは使えず、一両編成の電車には珍しく、若い女性の車掌さんがフルに乗車していました。
理由は駅のほとんど無人駅の為です。
びっくりしたのは、福井駅の券売機で買った切符は駅員さんがひとつづつ鋏をいれていたことです。
こんな風景も、えちぜん鉄道、福井鉄道がイコカやSuica導入 交通系ICカードでキャッシュレス決済へ、2025年春開始予定なので、こんな風景がみられるのも
来年春まででしょう。

三度目の東尋坊へ

天気予報はぴったり午後13時から、北陸の海は青空に変わったきました。
私は旅行先の天気予報で一番信頼しているのは東進スクール天気予報です。
一般的な天気予報は曇り後雨と雲と傘マークで表示されますが、東進の場合、1時間単位で表示され、雨の量も数値で表されています。
当日ほど、精度が高くなります。
友人の気象情報専門会社の役員に聞くと、1時間単位の天気予報・数値の情報は今のコンピューターの精度なら十分可能、でもその情報提供
料金は当然、加速度的に高くなると言ってました。利用者には負担にならないので、如何に信頼できるwebサイトを自分のものにするかとだと言っています。
東尋坊は過去に、会社絡みで三回きていますが、かみさんは初めてです。
ともかく、北陸の海のイメージは暗い、波の荒い日本海と、切り立った岩壁ですが、絶体に晴れた青空のしたの観光をかみさんと楽しみたいと、天気にこだわりました。
この日は「三国祭り」の最終日で混んでいるかなと思いましたが、意外にもそれほどでもありませんでした。
私達の世代では「自殺の名所」と知られている東尋坊ですが、おみやげ物のご主人に聞くと、もう十年以上も投身自殺の話を聞いたことはない、といいます。
テレビドラマの追い詰められた、最後の場面というイメージを持っているのは、私達の世代ぐらいなのでしょうか

大誤算、遊覧船の欠航

空は晴れてきたのに、波高し
過去に二回きていますが、その時も云われたのは、東尋坊は陸地、岩場から下を眺めるより、海面からそそり立つ岩場を見上げるほうが正解とう言葉、複数の人から
聞いていましたので、今回は30分の遊覧船で一人1,800円を奮発して乗船を予定していました。
船が苦手のカミさんを説得して、しかも海上の風や気温を考慮して、乗船時に羽織るものまで持参してきたのですが、三国から乗ったバスがバスターミナルに着く車窓かせ
大きく、「本日欠航」の看板が目に入りました。
天気予報には十分気を使って、東尋坊への日程ら調整していたのに、波・風については全く考量していませんでした。
上空は青空、風も穏やかなのに、船がでない・・・念の為、クルース船運行会社の窓口で聞いてみました。
「これだけの天候が良いのにでないいんですか?」
「クルーズ運行会社、二社での協定て、本日は欠航、朝の1便だけ出たのですが」
聞くところによると、一昨年の知床クルー船の事故いらい規制も厳しく、お客さんも極端に減っているとのお話でした。

岩場を歩くのが怖い
前回、東尋坊にきた時は、30代後半と40代てした。
まだ、東尋坊は自殺の名所であった時代、岸壁から下の荒海を見下ろす風景とはと、飛び跳ねるように岩場の先端まで行ったものですが、
クルーズ船の欠航で下から上を見上げる画像が撮影できなかったので、それでは上から見下ろす、東尋坊の風景の撮影と岩場に足を運んだのですが、
ゴツゴツして岩場に足を踏ん張り、よろけずに歩いていくのがかなり難しい状況になっている自分の体の状態を改めて、自己判断しました。
カメラを片手に、この岩場それも先端まで行くのは危険過ぎる・・・
76歳、後期高齢者男性、であることを周囲を見渡して改めて意識しました。
今、この日本の有名観光地の岩場に立っている観光客のなかで、もしかしたら自分が一番の年長者かもしれない
見渡すと、昔は観光バスでる団体客でいっぱいだったのが、今、車で来るフォミリー層だけです。
来るとのバスの車内もガラガラで観光客らしきは、私達だけでした。

早めに今晩の宿、福井城壁を見渡す「ホテルフジタ」への帰路沿線風景

帰路の福井市と三国・東尋坊を結ぶえちぜん鉄道三国芦原線はこの時期、もっとも美しい、黄色の平野を走ります。
線路の両側は、黄色に色づいた麦畑が続いています。
当日の地方紙のサイト記事を引用します。
全国有数の生産量を誇る福井県内の六条大麦が収穫期を迎え、坂井、あわら両市にまたがる坂井平野では田んぼで黄金色の穂が揺れる「麦秋」の風景が広がった。
朝から薄曇りの天気となった21日には、心地よい風に波打つ麦の上空で小鳥がさえずっていた。
時折、黄金色のじゅうたんを思わせる麦の間を白と青に塗り分けられたえちぜん鉄道の電車が行き来し、色彩のコントラストを見せていた。
二十六日には収穫が始まる。
一度は見ておきたい、北陸の美しい風景にめぐり逢いました。

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2024年05月27日

 いつかこんな日が来るととは思ってはいましたが


いつか行きたかった、北陸の旅から戻ってきたのは23日、木曜日でした。
片道ジャスト4時間の列車の旅です。

ただ 座っているだけですから、そんなに疲れないハズなのに。
最終日は、越前勝山線で一時間の勝山の越前大仏と、恐竜博物館のみ、かなり早めにホテルに戻りゆっくりしてから新幹線に乗ったのですが、最近は、そのただ乗っているだけで疲れるようです。
福井・東京間3時間少々、東京から東海道線で45〜50分、昔はこんな旅程は楽勝でした。
しかし、今回、帰りの東海道線が踏切点検で15分停車、このせいで次の川崎・横浜からは夕方のラッシュとなり、自分の位置を確保するのも大変ほど筋肉痛で大船まで戻りました。

落ちる体力・落ちない体重

ツィターXで高齢者の定義というトレンドがありました。
まさにその通りで、今回の二泊三日の北陸旅行で、そんなに土地の名物、美味しいものを食べてもいないのに、体重は1.2K太り、それに反比例するように、体力は、歴然と落ちているのが自分でも分かりました。

今回の旅行では、いつものように起点となる大都市の駅前に近い、いわゆる「シティホテル」をとりました。
カミさんの希望なのか、はたまた「見栄」なのか、ビジネスホテルは嫌だというのです。
町の中心にある、大きなロビー・結婚式場・レセプションルーム・会議室のあるタイプのホテルです。
「鎌倉からお越しの70代半ばの御夫婦」がそんなビジネスホテルに泊るの?と思われるのが嫌な様子なのですが・・・
最近の経験から、いわゆる「シティホテル」はどんどん衰退し、全てビジネスホテルモードになってきています。
今や、トレンドは「大浴場」「露天風呂」のある朝食が美味しいビジネスホテルとカミさんに説明はしているのですが、先年の高知の有名シテイホテルは、オリックスのキャンプ地として宿舎となっていましたが、ホテル内の仕様・レベルはビジネス以下でした。

ホテル代の高騰
今回宿泊した元福井城内の所謂「老舗高級ホテル」よりも、駅近く、今最先端の設備のホテルのほうが高かったです。
私の場合、予約をヤフートラベルですると、スマホがヤフーであったり、電気代もヤフー引落しなどの契約があり、ヤフートラベル経由の予約は正規料金のほぼ20%減で、21平米、12階お城に面したお部屋は、二泊27,500でした。(実際の予約ルートはホテル.com)
旅先で知り合った80代の御夫婦は駅前のビジネスホテル、大浴場・朝食付き、17平米のお部屋、二泊で35.000といってました。
確実にホテル代は高騰しています。
ではシテイホテルの出番はないのか?
それが意外や意外、ホテルの部屋の設備は確かに、今建設されるビジネスホテルよりも格段にレベルが落ちるものの、この大型シティホテルの強みは、客室の多さなのです。
私たちが宿泊した2日間でも国内の阪急やクラツーの団体が何組が泊まっていましたし、アジア方面からの団体客もみかけました。
アシア方面のインバウンド団体客?は福井に何を求めてくるのだろう。

ともかく疲れました毎日歩きぱなし 一日2万歩、3日間6万歩


実はこんなに歩く予定ではなかったのです・・・
例えば一乗谷朝倉遺跡
私の事前のルートチェツク・バス時刻表の見落とし、駅前に降りたら、観光協会案内所どころか、まわりは田んぼたけ、近所の農家の方に訪ねると、お一人は徒歩40分、お一人10分、目的地の方向から歩いてきた観光客の方が一番正解のようでしたがが、それでも徒歩30分でした。

またある大きな町「越前大野」で駅前に観光案内所がなく、コミュニテイバスの運転手さんに聞く、このバスは目的地の越前大野城下までいくけど、大回りルートになるから、歩いたほうが早いと云われ歩き出したら20分かりました。
結構マメに調べてつもりなのですが、見落としがあったようです。

私達の旅は「テレ東路線バス乗り継きの旅」とほぼ同じです。
そんな旅が好きで選んでやっているのですが・・・
流石に、今回は疲れました。
蛭子さんは1947年生まれ、体力の限界の認知症予備軍としてギブップしたのは2019年。
72歳の時でした。
番組のなかでもしばしばコメントしているように、唯一のテレビ出演レギュラー番組を降りたくなかったのでしょうが

私も今回の旅の疲労で、いつか、二日に一度のブログ記事更新を辞める時が近づいてきているなと感じています。

このブログ原稿を書いてから、2日間ヨレヨレのベッド生活が続きました。
体重はなんと、帰ってきた夜からマイナス1.5kg、過労と風邪のようなのですが・・

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2024年05月25日

現役世代に知って欲しい! 人生の先輩がやって良かったBEST10

TVバラエティ番組「林修の知りたいでシヨー」でやっていました
お金と生活に関わる、今、現役世代に知ってほしい
『人生の先輩たち』が教える今やっておくべき事とは

円安に物価高…お金の心配が尽きないのに年金の納付期間が65歳まで延長される可能性と報じられますます老後が不安になる中、現在年金を受け取っている『人生の先輩たち』にアンケート調査していた。
「やってて良かった」&「やっときゃ良かった」ことをランキングで大発表!!
● この資格や特技のおかげで、今、大活躍!
● あれをやっていなかったことの後悔、反省


10番目は健康が一番

これは、現在70代、それも後期高齢者といわれる70代に入るシニアが、若い現役世代からの質問で、
「今から振り返ると、あの時からやっておけば良かった事はなんですか?」
で真っ先に思い浮かべ、そして後悔していることの第一ではないかと思います。
特に、健康面での反省は「歯」に関してが一番多いと思われます。
掛かり付けの街の歯医者が云っていました。
今や、町中全国ではコンビニよりも開業医歯医者のほうが多い時代、歯医者の過当競争の時代で、昔のように子どもたちの虫歯が断然減ってきており、開業した当時の半分以下と云います。1970年代には、中高生で 60%以上、幼児小学生では、80〜90%もいました。 その後は減少して、現在は 20%前後の数字となっています。
私達シニアの子供頃、そんなに親も学校も歯磨きについてうるさく云いませんでしたし、成長してからも職場で歯磨きをする人はほぼいませんでした。
私もその口で、実際に頻繁に歯医者さん通うようになったのは55歳で退職してからです。
原因は虫歯と歯周病です。
以前経済情報誌「プレシデント」のシニア世代への質問で、今一番後悔していることは質問で、回答の第一位が「もっと歯を大切にしておけば良かった」でした。
歯だけでなく、喫煙・飲酒・暴飲暴食、そして何よりも糖尿病にたいする、姿勢、食事の反省から、現役世代へのアドバイスで、「健康」をあげている方がおおいのでしょう。

9番目は「家庭・夫婦・子供の円満、安定」
老後の夫婦ふたりだけの年金生活に入り、この家庭・夫婦・子供との円満が9番目に入るとは、子供のいない、お友達・団塊・ニューファミリー世代夫婦の私には思いもつかない回答でした。私達は最初から、いままでづつと二人だけのでしたから。
今、退職し年金世代の恐らく男性?は現在、奥さん・子供との会話、付き合いに問題を抱えているのでしょう。

8番目は「保険で備えておく」
この回答には、何の保険なのか分からないが恐らくは「病気、大病、入院、手術、そしてガンに備えて」なのであろう。
それとも「死に備えて、家族の為の保険」なのか解らないが?
まだ考えられるのは、自分のまわりでは起きないだろうと思われる、災害・地震・火災そして車むによる事故であったり、これまでの自分の人生設計を根本から覆すような
事変に備えて、収入の範囲内で保険に入っておくということなのか。

7番目には「真面目に仕事する」が入っていた。
シニア・年金生活高齢者が、現役世代の働き盛りの人々に対して、「やってて良かった」&「やっときゃ良かった」という反省・悔い・あるいはアドバイスにこんなものが入るとは思ってもこなかった
「やっときゃ良かった」と思う方は、これまでの人生で、自身では制御出来なかった「紆余曲折」があったのだろうか。
それとも、もっと真面目に仕事・会社・家庭に取り組んでくれば良かったという後悔の念からでてきた、アドバイスなのだろうか

6番目は,「資格を取っておく」



これは、退職してから私もとても実感したことです。
日本の社会は、実際の経験値や技能よりも資格を優先する社会なの退職してからを改めて知りました。
退職してから入ったNPOボランティアで、市民団体に何か教えたり、アドバイスを行う時でさえも、何か証明できる資格、できれば国家資格、あるいは認定団体・組織の資格を要求されました。パソコンの使い方ひとつにしても、いろいろな業界資格・国家資格があのるのもここで知りました。
個人とて、お友達や仲間ら対してならなんら問題はありませんが、ある程度の会場や自治体の場所を借りて教室・講座で教師を務める何かしらの証明できる資格証が必要でした。この番組では退職した世代向けの「日本語講師資格」について解説していました。
今、人気の資格のひとつです。人不足で多くのアジアを中心として国々から日本の各分野に若い外国人が来日し、働いています。
これらの人々に日本語を教えるのに正式に国家資格が必要となっているのです。
他にも、数々の資格があり、私の過去の仕事分野でいえば、各種電気に関する資格は何歳になっても更新すれば有効で、実際にはその現場にするだけで報酬が発生しますか、反面責任も発性します。
現役時代、いつ、何処で役に立つかもしれませんから、出来るだけ多くの資格を持っていれば、もしかすると老後年金生活に大いに役立つかもしれません。

5番目は,「投資の勉強をする」
私達の世代では、大手金銭信託銀行の5年もの定期投信金利は8%でした。
下手に、株式投資とか、証券会社がいうままの信託投資に手を出すよりも確実でした。
当時の住宅公団のローン借り入れ金利は5.5%で一時期逆金利が発生していた時代でした。
そして、大手生命保険会社の扱う一時払い保険も、金銭信託銀行の上をいく「お宝金利」の時代、バブル時代でした。
その頃、80年後半からバブル崩壊の日本、私達団塊世代は40歳前後、働きざかり、特に私がいた「建設業界」は如何に仕事を断るか、如何に効率の良さそうな現場を協力会社・職人会社に振り分けるが、出来る社員・監督と云われて時代で、同じ社員でも「株をやる」同僚は、毎日株価だけを見て、数百万数千万単位のお金を動かしている姿みかけました。
しかしやがてバブル崩壊です。この時代を過ごしてきた団塊世代は、「株屋は真っ当な仕事ではない」が身にしみています。
コツコツと、地道に貯金するという生活が、まっとうな生き方と思っている人が多いのですが、今は違うかも知れません

4番目は,「趣味を持つ」現役時代から趣味をみつけておく
これは、多少社会や経済の状況が変化しても変わりません。
今の時代、65歳までどんな形にせよ、再雇用が義務付けられている社会では一般サラリーマンの定年・老後生活は65歳からスタートします。
昔の童謡にある「今年60のおじいさんも齢をとってお船を漕ぐ時は・・・」とは違い65歳は体力的にはピークを迎えていますが,心は壮年・青年・少年で、今年65歳の男性の平均余命は19.97歳でほほど20年あります。
この20年を仕事もせずにどうやって一日を過ごすか、かなり大きな問題なのです。
時間的な余裕は現役時代の何十倍もあるのですがが、やがて金銭面・体力面の衰え、減少が必ずやってきます。
如何に、退職後、老後の長い時間を伴侶や家族に頼らず生きていくか
一つは趣味を持つこと、もう一つは友人を持つこと、全ての退職シニアはこう答えるでしょう。

3番目,「公的年金に頼らず個人年金で備える」
テレビ番組に登場する街角インタビューに登場する、東京・下町の退職シニアの皆さんはほほど全員が云います。
年金だけで暮らしていけない・・とまずそうだうとは思いますが・・・現在令和6年の平均的なサラリーマン・妻第三号年金世帯の一年間の公的年金は250万というのがほぼ本音のところだと思います。もっと沢山もらっている方々が沢山いらっしゃりますが、一応日本政府のデータでは250万、月にして20万円。
これは、食べていけます、美容院にも病院にもいけます。時に映画館にもいけます。死にやしません。時に格安一日バスツァーにも行けるかも知れません。
その程度の生活ですが、もしかすると「固定資産税」「介護保険」「国民健康保険」「住民税」「車にかんする税金」などはかなり負担・苦労しているかもしれません。
つまり、年間250万円の公的年金では、「ゆとりある老後ライフ」は出来ないのは明白です
後、最低、100~150万ないと、元気な夫婦ふたりの「ゆとりある老後ライフ」は厳しいのです。
その100~150万は、老後の蓄えから削るか、あるいは個人で備えてきた「こじん年金」に頼るしかないのてす。
テレビ報道に登場する、東京都内下町の老人の云う感想は、本当ですが、全ての日本国民とは限りません。皆さん、そんなことはお見通しで、現役時代から備えているのです。

2番目,「老後最後に頼りになるのはお金、貯金する」
1番目,「住宅ローンを返済しておく」


アンケート、インビューの結果は明白
老後の生活に何が必要か、伴侶、家族の大切さ、生きがいとしての趣味も必要、社会・コミュニティとの人間関係の大切と自分自身の健康の大切さ、それいじょうに全員が思うのは、生きていくためのお金が何よりも必要だということです。
若い時は今お金がないけど、苦しいけど、辛いけど、働けばなんとかなる・・・てしたが、後期高齢者以上となると、その体も頭の中もついて来ません。
家族は勿論大切ですが、それには代替え出来ませんが、補えるのはやはりお金です。
特に年老いた時の借金・ローンは禁物です。
自分の家があれば・・・どんなにボロ屋であっても、生きていけます。
65歳を過ぎてからまだ月々の ローンは避けなくてはいけません。
そして、令和の時代に問題となっているのが、マンション住まいに発生する、月々の管理費と修繕積立の負担です。
ローン、借金ではありませんが、昭和の時代にはあまり顕著ではなかった問題がこれから起ころうとしています。
マンションを売り払っても次に自分たち老人に貸してくれるアパートがない現実、
となると後は頼れるのは、お金だけという、現実が待っている令和の時代でしょう。


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2024年05月23日

孤独死・孤立死を考えたことありますか

我が家は子供のいない70代シニア年金二人暮らし。
恐らく統計はわかりませんが、全国ではかなり多いのではないかと思われます。
ネットで「子供のいない70代シニア年金二人暮らし」と検索すると、出て来るのは「老後資金はいくら必要か」がほとんどです。
ご心配ありがとう、でも、今のところその心配は無用、カミさんの知りたいのは、孤独死・孤立死のようです。

我が家の朝の日課と朝食メニューは

カミさんが朝起きるのは、私よりも1時間早く、5時半に一人で起きて365日同じメニューの朝食の準備を「ドリップコーヒー・卵(日替わりで目玉、ゆで卵、オムレツ)・チキン野菜サラダ・果物入ヨーグルトとパン超熟5枚切り」です。
カミさんは私が起きる6時半まで、一人、じっくりと新聞を読みながら、朝日の差し込む、公園側のリビングで朝食をするのが日課であり、それが楽しみのようです。
私が起床するのは6時半、起きてリビングに行くと、食卓の上にはグラスなみなみとつがれた水と血圧計が置いてあり、深呼吸二回してから、血圧を測りノートに記録してから、冷蔵庫から朝食プレートを自分で食卓に準備をして食べます。
これは、結婚して46年、ほぼ同じ朝で、同じ朝食メニューです。
他人は、何十年間全く同じメニューで飽きない?と聞かれますが、では皆さん、朝何を食べているのでしようか?
和食?、ご飯に、味噌汁、卵に焼き魚は、我が家では夕食メニューですし、カミさんに「たまには、別のメニュー」なんて、言えるハズもありません。
カミさんの答えは解っています。「じぁ自分で造ったら、ついでに買い物をして、洗い物もしてね」に決まっています。

今朝のTVのモーニングショーでは孤独死について


こんな朝の風景、カミさんは「今日、出かける予定ある?」と聞きます。
「昨日6,000歩歩いたら、今日は出かけないかも知れない、でも何で?」と聞き返すと
「9時からモーニングショーで”孤独死特集”をやるから、一緒に見よう」と云うのです。
私は76歳、カミさんは73歳、子供のいない二人暮らし、統計的には後数年の余命の私、必然的にカミさんは、退職後移り住んだ鎌倉のマンションの地で一人暮らしになり、そして一人で逝くのは間違いないのです。
それが後何年後かはわかりませんが、必ずやってくる最後です。

孤独死と孤立死は違う
孤立死や孤独死に明確な定義はありません。ただ、「誰にもみとられずに一人で死ぬこと」は共通ですが、孤独死より孤立死の方が「家族や地域住民との関係が希薄で社会から孤立した状態での死亡」の意味を含んでいます。
孤独死は誰にでも起こり得ることで防ぎようもありませんが、孤立死は防ぐことができます。
サービスを利用する方法もありますが・・・
孤立死を防ぐには? さまざまな「見守りサービス」
 
自分自身が孤立死する前に発見されて生還する、最悪の場合でも死後数日内に発見されるためにはどうすれば良いか。
自治体のサービスを利用する
 ・ご近所福祉スタッフなどボランティアによる見守り
 ・近隣住民と協力しながら地域で相互に支え合う
 ・事業者(新聞、ガス、電気、水道、生協等)との連携
 ・機器(人感センサー、福祉電話、タブレット端末等)による安否確認

企業等の訪問サービスを利用する
 ・宅食サービスでの安否確認
 ・牛乳配達時の安否確認
 ・ヤクルト配布時の安否確認
 ・ホームヘルパーによる生活状況の確認

企業の見守りサービスを利用する
 ・ホームセキュリティー会社の安否確認サービス
 ・郵便局のみまもりサービス

見守り家電製品を利用する
 ・象印マホービンの「見守りポット」(みまもりほっとライン)
 ・見守り電球「ハローライト」
 ・見守り冷蔵庫
 ・生活家電に取り付ける専用センサー
 ・見守りカメラ
 ・会話ロボット
 ・スマホの見守りアプリ

一番の対策は「多様なコミュニティーやネットワークづくり」と「社会参加する意思」と行動でしょうが、もうそのレベルを越している方のほうが多いのが孤独死・孤立死の問題なのですが。
誰にも迷惑をかけない生き方も良いのですが、人生100年時代を生き抜くためには、お互いもっと人に頼って生きても良いのではないでしょうか。
ただ、「誰にもみとられずに一人で死ぬこと」は共通ですが、孤独死より孤立死の方が「家族や地域住民との関係が希薄で社会から孤立した状態での死亡」
の意味を含んでいます。
孤独死は誰にでも起こり得ることで防ぎようもありませんが、孤立死は防ぐことができます。

カミさんは云います、私は確実に一人で逝くことになる


男性・女性という生物的寿命の違い、戦後昭和23年生まれの夫と26年生まれの妻、二人共生まれ育った故郷を離れ、都会で結婚し、子供はいない。
二人共に兄弟・姉妹はいるが、ほぼ同じ世代、年齢層でとても、都会で自由気ままに暮らしてきた、若干経済的に余裕がある、妹・弟の晩年の看取りは出来ない
自分たちだけでせい一杯だろう。
二人の兄弟・姉妹には甥っ子・姪っ子はいるが、両方の甥っ子6人のうち5人は独身、一人はヨーロッパ赴任行きっぱなし、唯一頼れそうなのは、カミさんり姪っ子一人ぐらいでしょう。
人は生まれてくる時は、母親の力で生まれてくるが、逝く時は一人、出来れるだけダレの手も借りずに、でも苦痛のないように一人で逝くもの、とカミさん元、医療従事者らしい
ことを云います。
カミさんは、私の逝き方についても、逝った後についてもとてもドライな考えを持っているようで、常々語っています。
「遺影」も「仏壇」も「位牌」もいらない
「お墓」もいらない、「遺灰」は海洋散骨する。
だって「君がなくなったら、私一人、私がになくなっら誰もいないのよ」
そんな、後に面倒なもの残したくないのよ。
ずっとカミさんはこう云うのを聞いていますので、そのとおりやるでしょう。

これまでも身近な人の死に立ち会ってきています。
今でも思い出すのは、父親の死でした。
子供の頃から、病弱で仕事嫌い、パチンコ三昧の父親に代わり、肝っ玉母さんとてお店を切り盛りして母親は、末っ子の私が学校を卒業したら、父親と別れて小料理屋をやると、常々云ってました。
私が、両親知らないの元から離れて、海外・都会で暮らしてきた20年後、父親は急逝しました、71歳でした。
父親がなくなって、私は、信州の実家で行われた葬儀に立ち会うために、実家へいきました。
そして、納棺の時、私の知らない母親の姿をみました。
あれほど、私が幼い頃から、喧嘩が耐えない夫婦だったのに、母は納棺された父親の遺骸に涙ながして大声でしがみついたのでした。
母親というよりも、夫婦、男と女を初めて、自分の父親・母親に感じました。

次に長兄の死
兄は盲腸癌て72歳でなくなりました。
最後は信州のキリスト教系のホスピスで、三週間の入院でなくなりました。
死に立ち会いませんでした。
ホスピスでのお別れには、姉が立会ました。
信州のエリート女子校卒で、社会的団体活動などを率先してやっている姉が、云ってました、あれほど感動したお葬式、お別れのセレモニーは初めてだった。と
72歳、独身、一人暮らし、孤独死・孤立死にもっととも近い存在だった兄の最後は、最後にお世話になったホスピスの皆さんと、実家の姉・兄に見守られて旅立ちました。
姉は私も最後はここでと、ドイツに住む一人息子にラインしていました。

私の場合・・・
二人両方の兄弟には、なくなって全て終わった後に連絡することになっており、私の郷里の兄・姉にはそう伝えました。
すると、4つ上の姉、3つ上の兄は、自分たちのほうが先いくから、ご心配なく、そっちで勝手にやっていて。第一田舎から鎌倉まで遠くていかないよと云ってます。
さて、このブログ、何時また読み返すことが出来るか

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2024年05月21日

内館牧子が“老後”を描いた小説のドラマ化第3「老害の人 」


NHKプレミアムで内館牧子のドラマが始まった。
初回の第一話は
ボードゲーム製作販売会社の社長・戸山福太郎(伊東四朗)は、妻の通夜の席で娘・明代(夏川結衣)の夫・純市(勝村政信)に社長の座を譲る。
しばらくは一人旅などしていたが、突然会社に顔を出し、社員を捕まえてはかつての武勇伝を繰り返す。
週に二度会社に現れるようになる頃、世間はコロナ禍に。
そして福太郎82歳の誕生会が開かれる。集まった同年代の4人は、病気自慢や趣味自慢、それぞれ自慢老害をまき散らすのだった。

団塊世代生まれは75歳後期高齢者から、77歳「喜寿」を迎えています。

私自身は72歳(四年前)を迎えた年に、早期退職後の生活の海外ミドルリピートステイと国内のメインワークであった地元鎌倉市の市民活動センターを運営するNPO団体の広報部署の役職・リーダーを退き、会員であることも辞めて普通の退職老後生活に入りました。
そしてこれまで十数年続けてきました、市民活動団体向け支援のwebプログラム講座も閉鎖しました。
そのアフターを兼ねた支援もただ一つの団体をのこして、全て、私の手から離れました。
これを機会に、趣味のサークルであった「ビデオクラブ」も辞めました。
NPOや「ビデオクラブ」に入った時、私は56歳、若手として迎えられました。
パソコンの知識も、デザインに関する感性・技術も、当時のリーダーからみれば新鮮で、新戦力、組織の活性化として歓迎されました。

あれから20年近くなりました。
パソコン関係技術・デザイン感性・ビデオ作成技術とくにネット関係の技術、方向性は大きく変わりました。
パソコンからスマホになり、ネットとは常に接続されている環境が当たり前になり、データの大きさ、伝送スピードも、私達が学んできた頃とは数百倍の違いで
もう、手書きプロクラム、htmlの基本など必要ない時代へとなってきているのですから。

完全にNP0ボラを辞めても、年に数回、NPOボランティアセンターの広報が送られてきて、役員・理事の名簿を見ると、何と、私の時の同僚やら先輩の名前があり、現在でも理事長だったり、部会のリーダーをの役職にあるのです。
年齢はもうじき80歳です。
そんな、知り合いと商店街で見かけて、ちょっと雑談の機会がありました。
二人で仲通り商店街にある以前よくいっていた喫茶店にはいりました。
ここは、外のベランダで喫煙できるのでよく行ってた場所ですが、二人共もう長らくタバコから遠ざかっており、最初の会話は「たばこまだやっている」てしたたが
お互いに長いーー「休煙」状態で、自分では買っては吸わない、勧められたらお付き合い程度となっています。

話は「どおー、今のスタッフや理事会は」
彼の話だと「NPOセンターのスタッフといっても、勤め人、アルバイト感覚が強く、時間外のボランティア業務をしたがらないし、残業代要求する人もあらわれる」
確かに、20年前と違って、市民活動やNPOセンターの仕事は、無給、交通費さえもでないのは当たり前と考えていた時代と様変わりしており、日曜日主催の各種イベントは勿論、有給、交通費、お弁当が当たり前となりつつあります。

彼と話していて、「老害の人」という内館牧子の小説を思い出した。

「老害」とは、「老齢による弊害」のこと。 歳をとることで周りが見えなくなり、迷惑をかけてしまう年配者のことを指す。
「老害」とはどういう人か?
年齢や経験、地位を利用して実権を握ったり、周りの話を聞かずに自分の意見を押し通そうとしたりするため、これに該当するシニア世代を指して「老害」と言うことが多い傾向です。 老害とは、自分よりも若い世代に迷惑をかける人のことを指して呼ぶことが多い。
「老害」と言われる人が使う決まり文句
「俺の時代にはね」――で始まる話し方が、いわゆる「老害」と称される人々の代表的な話法として定着した。
今回のNPO時代の友人との会話を、もし現スタッフ・理事が聞いたら、「まるっきし、120%、団塊オヤジの愚痴」に聞こえ、こんなものを今の組織に持ち込んで話でもしたら
「また始まった、バブル崩壊前の銀行金利の話」
「東京都都庁建設時の深夜・早朝残業の話」
「あの頃のボーナスは振込以外に、当人に手渡し現金だったって話」
「Windows98の使い勝手の良さの話」
「さっさ55歳で退職届けをだして、バリ島で暮らして話」
実際に、このNPOの友人とのお茶の席でも、彼は都内の有名私大を卒業した春、銀座にお店を構えていた父親からハワイ三週間の航空券とホテル予約をプレゼントされたという話は3回ぐらい聞きました。
1970年、「東大安田講堂」の翌年です。
「老害の人」と呼ばれる所以はここらへんにもあります。
いつも、過去の話から始まり、あの時は・・・と比べて話だがりますし、それも自然に本人の自慢話となっていくのです。

団塊世代はいくらかマシかもしれない

自分のことながら、77歳古希を目の前にした私達世代は、「もしかして老害かも」という意識がありますが、少し上の80歳に手が届く世代は、全くといっていいほど「自分たち老害を撒き散らしている」とは思っていないのでは。
自分たちがこの戦後の高度経済成長の歯車、原動力だったと自負している世代です。
特にこの意識の現れが政治家に多いのは日本国民、みんな知っています。
二階俊博元幹事長(84)麻生太郎副総裁(83)森喜朗元首相(86)
自民党は内規で「衆議院の73歳定年制」「参議院の70歳定年制」を設けているが、あくまで比例区に限ったものであるが、贔屓目にみてもこの73歳定年制は、実際に自分が後期高齢者二年生になってしみじみ、感じています。

先ずは、記憶・体力面が一番
昔、Webプログラム言語を教えていた80歳越えの生徒さんが、しみじみと「先生、年をとるとはこんなに情けないことなのか、しみじみ感じます、キーボードのミスタッチが歴然とおおくなり、PCのモニターの文字が見にくくなり、10分前に教えていただいたTAGを忘れてしまったり、教室て出来たことが、家に帰るとできなくなったり、帰り道の登り階段、途中で必ず一回休まないとあがれなくなったりしています。
次に、妻に同じ話をしていると良く云われるようになりました。
それも、いつも自分が一番輝いていた時代、アメリカ駐在時代の話、齢をとるってこんなことなのかと、80歳を過ぎて理解するようになりました。という話を今でもはっきりと
覚えています。

個人的なブロク(blog web-log)「ネット上の航海日誌」でこんなことを書くのもひとつの「老害」なのかも知れません。
でも、自分が輝いていた時代を人に話したいのは人間としての「性」なのか
はたして、自分が一番輝いていた時代・時期とはいつか。
もしかすると55歳で退職し、カミさんと二人、気の向くまま「海外ミドルリピートステイ」し、パスポート更新を辞めた65歳までなのかも知れません。

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2024年05月19日

葬儀順番待ち 火葬場不足待ったなし 


新聞の湘南版の記事をカミさんが持ってきて、そろそろ、私達世代も考えて置かないと・・いいいます。記事は朝日の記者が直面した内容の記事でした。
昨年の春、記者の祖父(98)がなくなった時、市内の火葬場が混んており、予約がとれず、最短で1週間後にと云うレポート記事でした。
葬儀会場の遺体安置所が二回移動し、毎日ドライアイスの入れ替えなどの思ってもみなかった費用が別に発生したと述べています。
火葬場の雰囲気も違っていた。
祖母の時は参列した一人ひとりが棺桶り窓からお顔を見て「最後のお別れ」合掌をしてから遺体は火葬炉に入り、遺族家族は別室で待機して、他の火葬場利用者とは、トイレでの鉢合わせ程度だった。一方、今度の祖父の時は、火葬場に霊柩車や家族を乗せたマイクロバスはひっきりなしにしに到着し、自分たちの順番がくると車から降りて、火葬場に直行「最後のお別れ」をする余裕もなく、手を合わせて遺体を見送った。

こういった話は、都会でもある、神奈川県鎌倉でもよく耳にする。
しかし、鎌倉・逗子・葉山の場合、もっと悲惨な思いをしている。
それは、自治体による公営の火葬場がないからです。
一般的にこの3市の住民は大変なのです。

鎌倉市には市営の斎場・火葬場はひとつもありません。
鎌倉は人口17万という比較的小さな行政都市なのですが、火葬場に適した土地がないのてす。
森林・公園・お寺、リゾート別荘地があるのに、火葬場がない!
日本一と云われている大病院があるのに、生まれてくる所があるのに、死んでいく場所がない。
なくなった時は近隣の市町村の斎場・火葬場にお願いすることになります。
場所はお隣の逗子市の「逗子市小坪斎場」です。
鎌倉・逗子・葉山エリアにお住まいの方の多くは「小坪火葬場」で火葬をします。
「小坪火葬場」は鎌倉・逗子・葉山エリアで唯一の火葬場で、民間企業が運営しています。
日本の火葬場はほとんどが公営で、民営は全国的にもかなり珍しいとされています。
公営の火葬場には、単一の自治体が運営しているものと複数の自治体が共同で運営しているものがあり、いずれの場合も故人や喪主様が火葬場のある市町村に在住していれば、低料金で利用することができますが、市区町村外に在住の場合は比較的高額になるので注意が必要です。
費用に関しては若干割高になるようです。

民営の火葬場は公営に比べ料金が割高ですが、事前に申請することで、火葬料の一部を補助してもらえる場合もあります。
神奈川県の全21ヶ所の火葬場のうち、横浜市の「西寺尾火葬場」と鎌倉市の「小坪火葬場」の2ヶ所が民営です
「小坪火葬場」の料金は?
鎌倉市、逗子市、葉山町住民の場合、利用料金は50,000円です。それ以外の市町住民は70,000円です。
火葬中、遺族は休憩室を利用することができます。
6つの休憩室があり、利用料金は1室11,000円〜19,800円となっています。
火葬までの間、故人を安置することも可能です。1日11,000円で利用することができます。

「小坪火葬場」を利用する際の3つの注意点

1.対象地域の住民のみ割安で利用できる。
故人または喪主が鎌倉市、逗子市、葉山町民として住民登録されている場合、割安で利用することができます。他市町の方でも利用することができますが、料金が高くなってしまうので注意が必要です。
2.個人で予約することができない
公営の斎場は個人で予約をすることもできますが、「小坪火葬場」では葬儀社を通しての予約が必要になります。
利用の際はまず、鎌倉、逗子、葉山エリアに対応している葬儀社に相談しましょう。

最近なくなったカミさんのお友達のご主人(83)のお葬式、火葬の話を聞くと、世間で云われているほど混んでなく、病院でなくなり、お葬式を2日間ですませ三日目には「骨上げ」できた、と話しているそうです。
これは特別な例ではないかと、話しています。
なくなったご主人の元々の実家はお寺さんで、かの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公「義時」の菩提寺の住職の家柄でしたが、父親の住職がなくなった後、そこの息子さんだったご主人がお寺を継がなかったので宗派の本部から人がはいり継いでいたようですが、カミさんのお友達は「簡単・身内だけ・小さなお葬式」を考えていましたようですが、なくなったのを伝えると、その実家だったお寺さんからの要望で、かなりしっかりした法要を行ったようで、この火葬場不足の時節柄、よく3日目で済んだのも、お寺さん関係の口利きがあったのではないか、との話でした。

これから先の火葬場の新設する需要はあるか

年間死亡者が過去最多 平成元年の2倍になるというデータある
厚生労働省の人口動態統計にすと、2022年の1年間に国内で死亡した日本人の数は、概数で、156万8961人と、前の年より12万9105人、率にして8.9%増え、1899年に統計を取り始めて以降、最も多くなりました。
死亡する人の数は平成元年と比べるとおよそ2倍、この20年でも1.5倍に増えています。
国立社会保障・人口問題研究所がまとめた将来推計人口によりますと、1年間に死亡する人の数は今後も増え続け、2040年には約167万人に達する見込み。
2040年、16年後、団塊世代男性はのほとんどはいなくなるハズですが・・・もしかするとカミさんまだ行きているかもしれません。

火葬場・斎場は必ず不足する、現実的に対策は取られているのか
しかし、先ず用地・場所の問題がある。
場所があっても、必要性は解っていてもいざとなると自宅周辺に、葬儀斎場・ましてや火葬場の建設に地元コミュニティは反対する。
昔のような大きな煙突から煙は勿論、匂いも出な行けないものと解っていても、毎日、自宅周辺の道路に霊柩車が通るまち、自分の家の不動産価格を心配する人もいる。
そして何よりも、行政自治体が積極的に動かない、これから先人口が減っていくのが目に見えているのに、のちのちまての設備管理費負担が生じる施設をつくりたくない。
市長選、市議会選の投票数に結びつくどころか、反対に減るというのが、本音の所でしょう。
せいぜい、出来るとと云えばソフト面のみ、友引」も受け入れる・・これまで「縁起がよくない」として行われていなかった「友引」の日にも受け入れる火葬場の稼働率数をあげるしかない・・・地方公務員の見解でした。

雑学今どきの火葬時いれてはいけないもの

数年前、実兄の火葬に立ち会った時、最新設備の火葬装置なので炉の保全と大気環境汚染に関していれてはいけないものだらけでした。
棺に入れてはいけないものリスト
1. 革製品・金属類のもの
2,爆発の恐れがあるもの
3,お金 お金も副葬品として棺に入れることが禁止されています。 ...
4,プラスチック製品
5. 水分が多いもの 水分が多いものは、燃やした際の不完全燃焼の原因になりかねません。 ...
6. 分厚い本 ...
7. 生きている人が写っている写真

なんでこんなものが駄目なのか、ひとつづ係員に聞いたほうが無難です。
映画やテレビドラマのなかで、棺桶によくいれるようなものは、私の兄の場合、ほぼ全て駄目でした。

反対に副葬品として入れたほうがいいものは?
副葬品として入れてはいけないものがあるのなら、入れたほうがいいものもあります。
特に、処分や管理に困るもの、あとで処分する際に供養が必要となるものなどです。
趣味で集めていたコレクションの一部、小さなぬいぐるみ、人形、写経本などが該当します。
また、故人の手作りの品、思い出の品で残しておくことが辛いものなどは、燃えるのであれば棺に入れて一緒に火葬したほうがいいです。
その際は、燃え残らない大きさであることを確認しておくことを忘れてはいけません。
そして、故人への手紙を書いて入れるのもおすすめです。
手紙を書くことで、自分の気持ちを落ち着かせてお別れをすることができますし、火葬すれば手紙は燃えてしまうので、恥ずかしがらずに素直な思いを綴ることができます。生前は伝えられなかったことを伝えることができて、故人も喜ぶことでしょう。

団塊世代の余命は後5年
現実問題として2030年、6年後団塊世代の82・83歳頃かピークで火葬場の平均待ち日数は一週間ほどにな予想しています。
すでに葬儀社の会員登録している、カミさんは、大丈夫そのくらいの余裕は折込み済みと明るい返事でした。
「大丈夫、心配しないで、いつでもOK」


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2024年05月17日

外出の用事は一日一件に、家でラジオ体操第三まで

■ 後期高齢者となったこと
■ これまでの、NPOボラを卒業したこと
■ 体力・筋力の衰えを自覚し始めたこと
■ 右ひざが不調気味であること

後期高齢者二年目になり、これらがいち時にやってきて、次第に外出が億劫になってきました。

歩かなくていけないと云う強迫観念

たいした用事でもないのに、外に、半強制的に歩いて出かけ、筋力の衰えをカバーしなくていけない、という脅迫観念が湧いてきます。
それと云うのも、次第に町中で、近所の昔のNP0ボラや、スポーツ・趣味のクラブの友人・知人をみかけることもなくなり、無理して歩いているようなお年寄りの姿をみかけます。
歩く一歩の幅は小さく、よちよち歩き、体は前傾のつんのめり歩き、を見て、いつか自分もあんな老人になるのではという恐怖。
ともかく、原則として一日一回は自宅の桃源郷のような自宅の書斎から、多少お天気は悪くても、外出し、最低4,000歩、3km、それは絶対条件。
本当はスマホの設定は7,000歩なのですが、自宅からターミナル駅を超えて、商店街をすこし多めに歩き、スーパーでお昼を買って自宅に戻るとこんなもんなのです。

要件は一日一件とする

この日、駅向こうのスーパーの先にかかりつけの眼科医院があり、5月の「視野検査」の定期検診の予約を取らなくていけないのですが、あえていきませんでした。
そもそも、昨年までは年に二度の眼科検診の予約は、電話で済ませていたのですが、今年からわさわざ、外出する用事を造って医院の受け付けまで行くことにしています。
一日一件の用事、外出しなくてはいけない、用事を作らないと、居心地の良い桃源郷の自分部屋に居座ることになっていまうのです。

思い出すのは、全東京都知事「石原慎太郎」の晩年の姿です。
80代半ば頃だったでしょうか、自宅から出で息子長男の伸晃氏にかかえられて、車に乗り込む姿をみて、あの反中若手タカ派「青嵐会」をリードした石原慎太郎の足元は一人で立っていられないのてす。お顔にはまだ反骨の意気がいくらか感じられましたが、ひとりで歩けない、哀れな老人になっていました。
この姿をみて、歩けなくなったら、人の手を借りての生活は絶対に避けなくてはならない。と思うようになり、足腰の筋肉を鍛えなくてはと思うようになりました。
一回の外出で用件はひとつ、また明日やればいい用件は明日にする。
明日、たったひとつ、銀行に行くだけの用件だけでいい。まっすぐ行って返ってくると4,000歩にも満たないことがあるかもしれないが、自分の足で歩くこと。
別に長生きをしたいのてなく、自分の足で用をたせないような老後にしたくない、だけ。

一番良い外出は、自宅に帰ってきての処理・宿題があるような用事
今までは、特にそんなことを意識しなくても、必要にかられての外出でした、サポート団体との打ち合わせとか・・
あれだけ多くあったWebサポートの団体は今は2団体だけです。
外出してから自宅に戻ってすることは。映像の処理と、ブログ掲載記事の準備です。
今の76歳の日々のワークは、日課となっているwebサイト関連です。

先週の外出はご近所のお寺の庭の花がテーマ

カミさんのお友達から電話がいつも、春にたけのこの季節の早朝、このお寺「龍峰寺」さんの境内竹林のなかで早摘みされたちょうどよい大きさの「筍」の数本、本堂の階段下に並べにれます。
ご近所の皆様へと云うわけで、このお寺さんのご近所のカミさんお友達「鎌倉婦人」は季節になると見に行って、「今なら何本残っているわよ」とスマホに電話が入り、私も何度かいただきに行ったことがある、近くのお寺さんです。
「筍」の季節が過ぎて、今回のラインの連絡は、「お寺のお庭、今が見頃よ」というものでした。

このお寺は、小田原北条氏系の玉縄北条氏の菩提寺

鎌倉市の現在は大きく二つに分かれており、旧鎌倉幕府のあった地域と、後に小田原北条氏が収めた頃、交通の要所としての相模の国鎌倉に分かれています。
私が住む地域は名は北条氏ですが、後の世の小田原北条氏の出先の砦的お城があったところで、秀吉の小田原攻めのさい、徳川方が陣を敷き,降伏を求めた地です。
私の家の裏手の高台がその城趾で、現在大手進学中高一貫校と、キリスト系女子校となっています。以下と近所、近くなのですが、旧鎌倉時代のお寺と違ってあまり有名ではありませんが、地元のお寺ですから、拝観料は必要ありませんし、お寺境内は広く、一年中お花で溢れている、散歩コースの帰りにトイレにお借りして、境内にある幼稚園の子供の姿を見ながら休憩しています。

それでも外出したくない時はラジオ体操第三まで



毎日女性だけのスポーツクラブ「カーブス」に通っているカミさんからは、スクワットを勧められていましたが、せいぜい10回で辛くてやめていました。
その頃から、雨で外出したくない時は、自宅内リビングで、外の公園の緑をみながらネット上のラジオ体操を二人でやっていました。
ラジオ体操は現役時代、建設業界の現場施工管理の監督業でしたから、否がおうでもやってましたから、普通のホワイトカラーサラリーマンよりは抵抗なく出来ます。

和室が苦手な体系・体質に
それをやってきていても、日常生活が椅子に座ってばかり、おまけに10年前に、鼠径ヘルニアの手術をしてからというものの、極端にかがむ動作が苦手となりました。
テレビ路線バスの旅で、蛭子さんが旅館の和室が苦手というのは良くわかります。
そしてまだまだ一回り若い「出川哲朗」が先日、カーリングに挑戦した時やはり氷のレーンに屈むことが出来ませんでした。
お腹がてでいるのと、足腰の筋力不足でストーンを投げる姿勢が出来ないのでした。
これは「ヤバい」。出川よりひと回り上だけど、今カミさんからこれでは思いやられる。するとカミさんは、おともだちから聞いたと「ラジオ体操第三」を持ち出しました。
初めて聞くラジオ体操第三、ともかくテンポが早くてついていけません。
もうYouTubeの画面どおりでなくても良いから、最後までカミさんの後ろ姿に食いついています。

果たして、後5年、自分の足で旅しているだろうか

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2024年05月15日

団塊世代 マンションで進む「二つの老い」と2040年問題



メディアでは盛んに人生100年時代と云います

平均寿命も伸び、それに伴う人口構成も変わっていき、私が早期リタイヤした今世紀初頭2003年頃とはかなり変わってきていると云う。
2024年の今でも、話題になるのは2040年問題と云われるが、77歳、74歳の老夫婦二人暮らしにとって、16年後、男性の私は絶対にこの世にいないがカミさんはもギリギリ、怪しい、もしかすると生きているかもしれない。
カミさんにとって2024年問題よりも、12年後にやってくるこのマンションの理事会メンバー義務のよう。

4月に二回目のマンション理事のお役目が終了し、12年後、次は絶対にないと100%確信している。人生何が100年時代なもんか
確かに、社会福祉・医療は100年時代に備えているかも知れないが、人類の体の構造・中身はそんなに科学と連動している訳もなく、一番信頼できる数値は平均寿命ではなくその人の年齢に応じた平均余命であることは団塊世代の男性はみんな知っている、常識だろう。
1948年生まれの平均寿命はほぼ80歳だから、ブラス3歳程度が平均余命というところだろうと思う。
そんなことを考えている時に、朝日新聞の朝刊マンションに

進む「二つの老い」という記事を掲載した。


52戸のマンション住民、区分所有者全員がこのマンション管理組合の会員であり、その責務をはたさなくてはいけない。
建物はちゃんと管理・メンテナンス・定期的に交換、修理する必要がある、これまで造ってきた立場からよーく解っている。
私達団塊世代の住宅事情・環境・築年数・木造戸建て・コンクリート集合住宅などの違いはあるが、平均的には40年を経過している。
ほとんどの団塊世代の方々は35歳から40歳前後で住宅を取得しているであろうと思われる前提の話ですが・・・
私が初めて取得した、横浜の大規模集合マンションは今年で42になります。
電車からみると外観はきれいな大きなマンション群ですが、内情は40数年経っており、相当のほころびがでているのは、元住んでいた住民としての私と、住み替えて
22年目の現在のマンションと比べると如何に、設備面で老化しているか、想像できます。しかし、今回の朝日新聞の「惹起」は、建物だけではなく、住民の老化も同時に起きてきているのです。


今回の町内会担当理事を経験して


52世帯の住民にたいして、回覧板をくばります。
この鎌倉の住宅地地域の回覧板の中身、折込ポスター、チラシのほとんどは、市の福祉協議会からお知らせと町内会のイベント、警察から注意喚起です。
町内会は各戸建て住戸が何軒かのグルーブ化されて、回覧板を回してしり、少なくともお隣、向こう三軒両隣の顔見知りなのでしょうが、鎌倉の52戸の住んで20年のマンションでは、お隣のご主人の姿は朝の通勤時に見かけはするものの、もう大きくなったでしょうお子さんの姿は滅多に見ませんし、奥様の姿も見かけたことがありません。
私はこのマンションのなかでは、圧倒的に高齢者の部類です。
築22年のマンションの住民は入居時、30から40代の方々ばかりでした。
今回の理事会の席で、住民の高齢化による何らかのサポート体制について、議題にあげたところ、この組織はマンション管理組合、住民の財産を管理する組織なので、それらの問題を扱う余裕も権利・義務もない、ごくアナログ的な町内会互助組織的なものを提案し、賛同者だけの
お金を扱わない前提の仲良し組織としなくてはならない。
すくなくとも、マンション管理組合の扱う「ワーク」ではない。と、ご尤もです。


身寄りなき最後と向き合う


マンションの老化とともに、益々住民の老化も進みます。
私の住む部屋のリビンクの先に公園が見えます。
毎日もおなじような時間にカミさんとお茶をしながら遊ぶ子供たちの先のベンチには犬を抱えたお年寄りのおはあちゃんの姿がみえます。
このおぱあちゃんごこのマンションに引っ越し夫妻は引っ越ししてきた日が一緒の日でした。
ご主人の車はベンツで、数少ないマンショ立体駐車場の一番良い場所、平場においていました。
年齢は私達夫婦が50代前半のところ60代半ばかなとみえました。
毎日、夕方には御夫婦二人と小型犬一緒散歩されている風景を拝見していました。
しかし、ここ5年ほどでご主人の姿をみることがなく、カミさんの話では朝、施設の車が迎えにきて、夕方また送ってる姿を難治もみているそうです。

52戸の世帯のうち、80歳以上のお年寄りは三名いることは解っています。夫婦
今年、町内会担当理事をやってことで、敬老の日のお祝いお菓子の名簿を任意で記入していただき、判明しましたが、実際にお顔で御本人と解っているのは、このおばあちゃんところだけで、後のお二方の拝見したことはありません、きっと寝たきりかなんかでしょう。
ご家族と一緒の高齢者はよいのですが、これから先、団塊世代男性が80代に入っていくと、残された80代女性一人暮らしの家庭がどんどんと増えて行く、ハズです。


それは、カミさんのお友達をみるとはっきり分かります


カミさんと同様の子どものいない家庭・配偶者なくなった一人暮らしの家庭が急速に増えています。
戸建てでしたら、隣・近所の目がおるでしょうが、マンションの場合難しいのです。
今回の管理組合理事を担当して、いつかはこういった問題が・・・5年後あたりからこの私の住むマンションでも必ず起きるハズですが・・・
今のところ、組織的、行政的な対応は出来ておらず、あくまでも善意での対応となるかありません。
我が家の対応は・・・
今のところ、カミさんのお友達関係に頼るしかありません。
今、二週に一度くらいのペースでお食事会やらお茶会があるようです。
そして互い通話かけ放題のスマホて一日数時間のおしゃべりするお友達と、カーブスの仲間がいるようです。
都会で暮らす、地方からでてきた子供いない夫婦が便れるのはこのお友達だけなのでしょう。

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2024年05月13日

青春18×2 君へと続く道 気持ちよく泣ける一人で行くべき映画

リタイヤライフも後期高齢者となってから、「老害の人」を意識して、ほぼ全てのボラ・サポート・コミュニティ活動の第一線から退き、スポーツに関しても
自分は大丈夫だと思っていたのに、右膝の違和感・不調でしばらく室内テニスを休んでいるうちに、「もう、そろそろ引退か」と考えるようなりました。
ありあまる時間が増えてきています。
前々から、退職後の時間は出来るただけ、映画館に行って映画をみようと思っていました。
半日、あるいは一日映画館に行く・・・
外出着は近所の散歩や商店街のお買い物ではなく、一応電車に乗るのでそれなりの格好を。
Gパンにジャンパー、スニーカーではなく、カジュアルなジャケット(例えユニクロにしても)にパンツ、靴は外出用の革靴に。

退職して横浜から鎌倉に越してきて行く映画館は

1,辻堂駅前開発でできた「テラスモールショッピングセンター」内のシネコン「109シネマ湘南」
2,横浜、桜木町駅前の複合ビル内のシネコン「ブルグ13」
3,同じく横浜みなとみらい地区にある「TSUTAYAカフェ」内にある「kino cinéma横浜みなとみらい」
4,最近良く行くようになった平塚のショッピングモール「OSC湘南シテイ」内にある「シネプレックス平塚」
5,年に一二度行く名画座系小劇場、横浜日の出町の「ジャックアンドベティー」

一番近いのは二駅の辻堂の109シネマなのですが、ここはスクリーンが10面ありますが、場所柄、子供・若者向け、今流行りの売れそうな映画が主流で、みたいと思う映画が少ないのが欠点で、ここでやっていない映画は「桜木町」や「平塚」へ、そしてあまり商業映画でない作品は、「キノシネマ」や「ジャックアンドベティー」となります。
今回見に行った「青春18×2 君へと続く道」はメデイアでも大きく宣伝している、一般向けな内容の映画なので、109シネマでも上映していました。

「新聞記者」「余命10年」の藤井道人が監督・脚本を手がけた日台合作のラブストーリー
18年前の台湾と現在の日本を舞台に、国境と時を超えてつながる初恋の記憶をエモーショナルに描き出す。


ストーリーは

始まりは18年前の台湾ー。高校生・ジミーのバイト先に現れた日本から来た4つ年上のバックパッカー・アミ。
ひと夏を同じ店で働き過ごすことになった2人だったが、次第にジミーはアミに淡い恋心を抱いていく。
夜道をバイクで2人乗りしたり、映画を観に行ったり、2人の距離は縮まっていったが、突然、アミが日本に帰ることに。
気持ちの整理がつかないジミーに、アミは“ひとつの約束”を提案する。
時が経ち18年後、ジミーは大学時代に立ち上げたゲーム制作会社は中堅会社として成長したが、経営に人生につまずいて久々に帰郷した36歳のジミーは、かつてアミから届いたハガキを再び手に取り、あの日の約束を果たすべく日本へ向けて旅立つ。
東京から鎌倉・長野・新潟、そしてアミの故郷・福島へと向かう道中で、彼女と過ごした日々の記憶がジミーの心によみがえる。
アミは日本側の女優「清原果耶」が演じる
ジミーは台湾側の俳優シュー・グアンハ

久しぶり泣ける映画、最初から泣かそうと作った映画か
見に行ったの平日水曜日、レデイースデーで女性は通常料金1,800円が1,300円になる日
上映するシアター4は、109湘南ではやや大きめの167席、時間は13:25から2時間、シニア女性が一番来やすい時間帯です。
おおよそ、4割程度の入、ほとんどが女性、一人、年齢層は若干若そうで、40〜60台前半。
いつものシニア女性(60〜70)のグループはあまりみかけませんでした。
理由は、この手の若い頃の恋物語を思い出し、浸る気分になるのは一人のほうが良い、我がカミさんもそう云ってました。
映画タイトルの「青春18×2」18歳の二人という意味かと思っていましたが、違いました。
出会った時18歳と22歳の二人の18年後、約束の「再開」という意味が含まれていることをラストシーンで知ることになります。

この映画、青春恋愛映画でありロードムービーでもあるのです。

映画は、人生につまずいた36歳のジミーが、18年前に出会ったアミとの“忘れられない初恋の記憶”と“果たせなかった約束”を胸に日本を訪れ、一人旅の途中で出会うさまざまな人々との交流をきっかけに、止まっていた時間が少しずつ動き出していくというストーリー。

ロケ地は、
ジミーが高校でバスケ選手で、そこにアニメに嵌っていたことから、神奈川:鎌倉高校前・神奈川:由比ヶ浜・長野と進み松本なわて通り商店街・長野:松本城、アミの生まれ育った故郷への鉄路、長野〜新潟:JR飯山線・長野:上境駅〜上桑名川駅・長野:森宮野原駅・新潟:長岡駅前へ進み、長岡の駅前のネットカアフェで、ジミーが造ったゲームを発見し、この地新潟:ニュー・グリーンピア津南で行われている「ランタン飛ばし」のポスターを見て、アミーと二人でいった台湾十分のランタンの思い出すと、店員(黒木華)が車をだしてくれる。そしてラストは
長岡駅から上越線に乗り小出駅で只見線に乗り換え只見駅へ。アミの故郷にたどり着いたジミー。中里(松重豊)に案内され、アミの実家に向かう。ジミーはアミの母親(黒木瞳)から18年前のアミの本当の想いを知ることになる。

彼氏と一緒にブラジルに行く?
つまり、ジミーの手が届かないところへ
彼ってだれ、そこって、何処なのか!

ここから先は、ネタバレになるので、先は劇場でどうぞ
静かな館内はすすき泣きの声でいっぱいになります。
私も、男ひとりですし、暗い館内ですから、誰は憚ることなく泣けました。
・日本の雪の風景の鉄道映画
・日本女性と台湾男性のすれ違い
・最後がハッピエンドでなく泣ける映画
・アニメ、ゲームが関係する映画

きっと台湾でもヒットすることでしよう。
もう一度みてもいいな、気持ちよく泣けるから
でも、行く時はカミさんには内緒でいきます。
いい歳した、団塊世代のおじさんが・・・思われるのが嫌ですから。

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