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2023年12月30日

2023年最後のプチ旅行先は、大河の舞台、駿府静岡


私達夫婦は、どちらかというと、旅行好きがきっかけで一緒になった夫婦ですし、早期退職したのもその延長で一回きり人生、行きたい所、見たい所はできるだけ行こうという、ワガママな「少子・高齢化の大きなガン細胞の要因」となっているような、身勝手な夫婦と自覚しています。
毎年、12月になると、今年行った場所などの整理をしていますが、最近の電子化で、撮影した写真の印刷とか、旅先の思い出のパフレットとか、地図とか昔は全てファイリングしていましたが、退職後はいっさいしていません。
ひとつは、現役時代と違って、旅が日常となり、過去の旅の思い出の整理に浸る暇と時間がないこと。もうひとつは、残された時間を考えると、何時、誰がそれらのものを見るの?という疑問です。

私達夫婦には、家族がおらず、超淡白な性格のカミさんは、私が逝った後、過去の旅の写真を見て、懐かしむ・・・?ことは300%ありえません。
第一、私達二人は旅先での記念写真というものは、ここ30年以上ないのです。
二人一緒おろか、単独の写真もありません。
ひとつは見せる相手がいない事。普通のお宅でしたら、子供とか孫とか、兄弟とかに、こんな国へ行ってきた、こんな風景、こんな食べ物とか、特にスマホ時代ですから、沢山撮って、紹介するでしょうが、カミさんは自分のスマホのカメラの使い方すら知らないくらい、何か撮影して記録を残すことが、面倒のようです。
私としても、旅の映像・静止画はあくまでも、自分のWebページ、ブログ、ユーチューブの素材の一つですから、そんな身内のプライバシーにつながる、「絵」は何もありません。

今年の日帰りを含む、二人の電車・バスの旅は
1月  初詣に鶴見総持寺  日帰り
2月  熱海の緋寒桜と梅園 日帰り
3月  広島(宮島・大久野島・竹原・岩国) 二泊三日
4月  羽田空港 新ターミナル 日帰り
5月  富山(八尾・高岡・砺波・氷見) 二泊三日
6月  猛暑で鎌倉・湘南にひき籠もり
7月  同 上
8月  奥日光 一泊二日
9月  三陸  一泊二日
10月  紅葉撮影 東京都内近郊 日帰り
11月  高知(桂浜・徳島大歩危・仁淀川) 二泊三日
12月  静岡市内プチトリップ 一泊二日

12月25日 クリスマス明け平日、月曜日、今年大河ドラマの舞台「駿府」へ、静岡へは新幹線か、各駅東海道線で行くか

自宅から、西日本に向かう際、京都・大阪まででしたら、東海道新幹線のこだまを利用していますが、これまで静岡で下車したことは一度もありませんでした。
静岡でしたら、自宅からキリギリ東海道線各駅でいける距離・時間・料金行ける範囲なのです。
勿論、現役時代でしたら、躊躇なく新幹線を選択するでしょうが、時間は十分にあり旅に使える資金は限られている、しかし、残されている時間は限られている後期高齢者夫婦は、多少迷いましたが、乗換の楽な各駅で向かいました。
自宅大船駅07:46東海道線⇒08:59熱海・乗換・09:06島田行⇒10:27静岡 @2,310円
静岡駅、思ったよりも駅舎と駅ビルはそんなに大きくはないと印象でした。

一日目は先ず、東海道の古い宿場町宇津の谷を目指します。

駅北口7番のりば静鉄バス中部国道線「藤枝駅」行き
静岡駅10:47→宇津の谷入口下車11:24 @470
静岡市の観光2日間と考えた時、意外と行くところは、見どころは少ないのです。
すでに、清水港も日本平も三保の松原も行ったことがありますし、2日目の日本平も三回目、ただ久能山東照宮と、静岡県立美術館ロダン館が見たかったのと、宿泊するホテルの評判を確かめたくて、一泊することにした旅で、「宿場町宇津の谷」は、トトロ汁「丁子屋」の近くになのが理由できただけです。

旧東海道宿場宇津の谷

25日、クリスマスの月曜日、流石に観光客はゼロ、誰も歩いていません。
静岡駅から37分、道の駅宇津の谷バス停に下車して、宿場・宇津の谷へのルートを道の駅の売店で聞くと、店員全員がこの周辺の人でなく、行ったことも、歩いて行く道も知らないと、云います。道の駅には置いてある周辺マップはいただきました。
この観光地図で分かりました。

タイトルは「宇津の谷峠〜岡部宿」
そっか、宿場町ではなく、手前の峠の難所の集落だったのです。
ガイドブックには、「今も江戸時代の面影が残る、古き良き街並み」と表現されていました。
一番、その印象を感じるものが残っていました。各街道筋の家庭は、新しく建て直されているものの、玄関には全てのお宅に小さな表札とは別に大きな看板に「屋号」が掲げられていました。
日当たりの良い縁側で日向ぼっこをしている、老人とおしゃべりすると、静かだが、日当たりが悪いのでこうやって一日、日の当たるところに移動しながら一日を過ごしていると話していました。
そっか、岡部宿手前の峠の難所だったんだ。
今は、自動車専用道路が走っているけど、この老人は免許返納したので、買い物は歩いて歩道橋の階段へ超えて、私達が下車した、道の駅が普段の買い物・生活の場となっていると話でした。

宇津の谷、30分観光後、鞠子宿の名物とろろ汁の「丁子屋」へ

もともと、今回の観光プランは、昨年の旅番組で、歌川広重の東海道五十三次鞠子宿の紹介を見て、前々から一度行ってみたい、とバスルートを調べてあった場所でした。今回の旅の第2メインがここで、歌川広重の浮世絵と現代のとろろ汁の「丁子屋」を見比べて、撮影するのが目的でした。
バス停「宇津の谷入口」12:45から「丸子橋入口」12:53へ@250円
バス停には15分前に到着して待つのですが、一向にバスはやって来ません。
年末最終週の月曜日、物・人が動く時期、週最初の日、現役から遠ざかると忘れていました。
1時間に2本のバスを、国道沿い吹きさらしで待ちました。
地方での車のない生活・・・関東首都圏、ターミナル駅から徒歩圏の人間には解らないだろうな。

丁子屋にて昼食 定食1,630円 1時間
ちょうどお昼時過ぎ、丁子屋の広大な駐車場には多くの車が停まっていました。
かなり待たされるかと思いましたが、店内は意外と広く、待つこともなく案内されました。
大きな一般客の居間・食堂の壁には、店主が集めた歌川広重の東海道五十三次の浮世絵本物が飾られていました。
定食は五種類
丁子屋 3,498円
丸子 1,630円
本陣 2,310円
府中 2,750円
百福 3,025円
地元名物、食べ物には全く興味のないカミさんと、少し太り気味の、そして安い・早い・旨いが食事の本分と信じている私は、躊躇せずに名物のとろろ汁定食、「丸子」です。一番安く、一番早くでてきます。
まわりを見渡すと、皆さん結構なお品をいるただいている様子でした。

食事後、路線バスで静岡へ戻ります。丸子橋入口13;23⇒13:55 @360

バスはここでも30分近く遅れましたが、ホテルのチェックインの時間にはまだ早いので、ホテル近くの神奈川県庁舎別館展望台に上がって、富士山と下に広がる、駿府城を21階から見ることができます。勿論無料
ここのフロアーに登って、改めて見ると、見ここ静岡でみる富士山の方向は、いつも見慣れた西ではなく、東の方向であること、そして何よりも関東首都圏から見る富士山の姿は、綺麗な台形なのに、西側、静岡からみる富士山頂は、やや尖った形で見えることに気が付きました。
富士山を堪能した後、今年の大河で話題の元、今川氏の城、後に家康が引退後の居城とした、駿府城の後と復元された、綺麗すぎる櫓をみて、ホテルに入る前にちょっと寄り道です。

静岡おでんの名店 おがわへ

  

静岡おでんは見た目は真っ黒ですが、それほど味は濃くなく、魚粉をかけて食べるスタイルです。
お店の種類は二通りあり、今回、行った「おがわ」のように駄菓子屋・甘味喫茶の延長のお店と、夜の居酒屋スタイルのお店に分かれます。
居酒屋スタイルのお店は、町の中心の小路に連なっています。
3時頃でお腹もすいておらず、お試しついでに甘味とお茶ということで、「おがわ」で休憩です。
お店は入りやすく、メニューは基本的におでん串一本100円、但し卵と何かが少し高かったようです。
店内には、芸能人、特にお笑い芸人のサインが壁一面に飾られていました。

一日目は早め、4時にはホテルに入りました。
かなり評判の良いホテルのようで、2日目の旅のブログに紹介します。

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2023年12月28日

日本へ行きたい人応援団 出稼ぎ日系二世再び故郷へ帰る


退職してから、夫婦二人してリビングで同じ番組を見ることが増えました。
現役時代、最後の七年間は超高層ビルのリニューアル工事を担当しており、土日・夜間の仕事が続いていました。
子供のいない共働き夫婦の在宅時間にはズレがあり、私は朝、6時台の電車での通勤であったり、週末・土日はリニューアル工事のピークで不在、カミさんも働き盛りで、手術室勤務の上、週イチの夜間勤務、緊急手術の際は、ポケベルでの呼び出しもあるような生活で、夜一緒にリビングでテレビを見ることは滅多にありませんでした。
他の人は、子供いなく、二人共にそんな専門職で働いていては、夫婦の会話もないのでは・・・と心配していただきましたが、他の御夫婦と違って、二人の趣味・目的が一致していて、在宅時間のすれ違いはありましたが、それ以上に濃厚な時間を、年に4回程度の世界の秘境、世界遺産の地の旅で共有していたのと、一刻も早く、体力・好奇心のある若いうちにリタイヤすると云う「Aim」(目的)が一致していたので、多分、他の御夫婦とは違った形、同士的な感覚の夫婦でした。

現役時代には滅多にみない「テレ東」をよく見るようになりました。
テレ東と云えば、日経系で経済ニュースとアニメが中心で、「ガイヤの夜明け」や「カンブリア宮殿」は時間的に遅かってので現役時代はよく見ていました。
そして、退職後は来日外国人を扱った番組や、私達の好きな、そして私達と同じような旅スタイルの「路線バス乗り継ぎの旅」を欠かさず見ていました。
今回、私達夫婦が新聞のテレビ欄にカラーペンで印をつけたほど、期待していた番組が放送されました。

蛇足・余談
我が家のテレビは、今や世間の常識のハードディスク録画機能はついていません。
仮りについていたとしても、録画して後から見たいと思うほどの番組はないと思うのですが。



かなり前からテレ東は、タレント・芸人を起用した「お笑い番組」から一線を画した情報番組を多用し、独特と視点り番組が多く、我が家ではほぼ「昭和のいい方チャンネルは固定"テレ東"」です。
その中で「ユーは何しに日本へ」はテレ東らしい、他局で考えられない、海外メデイアが「クレージーな番組」を楽しみにみていました。
それは、ちょうどタイミング的に私達夫婦がパスポートを更新せずに、海外旅行を卒業した時期でした。
インバウンド需要、円安、日本経済の低迷の時期で、私達が海外を目指していた頃の自分たちの旅と比較して見ていました。
まだまだ、一般の日本人の海外旅行が団体パック旅行が中心のなか、外国人旅行者は、スマホ片手のノープラン、数週間の日本国内旅行、そして宿・ホテルも私達が知らないような格安のゲストハウス的な宿が、こんなに都内にあることを知りました。
しかし、最近、やや食傷気味であることは否めませんが。

今回一番、注目、期待して見たのは、「日本へ行きたい人応援団」です。
海外に住む、外国人が日本の独特、固有の文化、芸術、にこれほど興味を抱き、精通している人がいたのか、改めて驚いたのと共に、これらの人々を探し出す、番組のスタッフの組織、制作会社の存在に感心しました。
そして、同じくこれらのスタッフが気がついてのでしょう、一番日本へ行きたいと思いが強い人、そして経済的・環境的にいけない人の存在を。
それは、日本の経済成長以前に、日本政府の移民政策で南米に渡った人たちの存在でした。
戦前には多くの日本人が、移民として海外にででいきました。
現在の米国ハワイにお住まいの日系人
今、大谷翔平が活躍する、アメリカ西海岸、LAに住む日系人社会
メキシコにも多くの日系人が住んでいます。
その多くは、パナマ運河の労働者として、中国人と共に渡った日本人です。
パナマ運河開発当時、アメリカでは奴隷開放令が発行され、それに代わって、多くの中国人が渡米し、そのなかに日本人もいたことは、日本ではあまり知られていません。
その頃の日本人の多くはその後、メキシコ・アメリカ本土へと流れ、現在でもキューバ・パナマ・ハイチ・ドミニカにも日系人社会は存在していることを、現在の日本ではあまり知られていません。

なんで私達夫婦がそんな事を知っているのかと云うと?
それは、私達夫婦が、現在の日本に長期ノープランで旅する外国人とおなじように、20数年前にこれら国々をフリープランで数ヶ月に渡って旅して知ったことです。
これらの中米ではすでに経済大国となった日本人旅行者でも、現地の人は「チーノ」と呼びます。
中国人という意味ではなく、白人以外のアジアにたいする「蔑称」としての呼び方です。
大手旅行社の団体パックでは絶対に経験しないことを私達経験してきました。

今回の「日本へ行きたい人応援団」のお客様は、南米、パラグアイに家族移住し、現地で生まれた日本人家族二世です。

お住まいの国はパラグアイ、かなりの旅好きの方でも世界地図から、パラグアイの国の位置を指させる人は少ないでしょう。
パラグアイは、南米大陸で海に面していない2つの国(ボリビアと共に)の一つです。
恐らく、現在の飛行ルートからすれば、地球上で一番行きにくい、遠い国でしょう。
ルートしては、成田・カタール・サンパウロと最低二回乗換えで片道42〜48時間、おおよそ税・燃油込で往復30万円が一般的です。
個人旅行のフライト検索はトラベル子
世界中の都市へのルート・時間・値段・扱っている旅行代理店が分かります。
このルートで行っても到着するのは、パラグアイの首都の空港まで、今回のお客様はコロニアイグアスです。
もし、個人旅行で公共交通機関で行くとしたら、20時間は必要でしょう。そんな場所です。
なんで、私が知っているのか?
ブエノス・アイレス時代の若い頃、実際に今回登場するパラグアイの日系二世の村、コロニアイグアスに行ったことがあるからです。

コロニアイグアス(イグアス居住地)とは

今の若い方々はほとんどしらないでしょうが・・・
今、日本にはベトナム・インドネシアを始めとする国々から、研修・技術習得という名目「実習生」と云う名で、若い外国人青年・女性が日本で働いています。
私たち、団塊世代が高校から社会人、大学に行く頃1960年代半ば、多く若者が「実習生」と名前で南米へ移民船に乗っていました。
当時の外務省外郭団体「海外移住事業団」が全国の県に事務所を構え、講演会を開き、海外移住を募集していたのです。ほぼ、日本経済が高度成長期にはいる寸前の頃でした。
その当時募集したいたのは、ブラジルのアマゾン開発移住地、第二トメアス、パラグアイのイグアス移住地、アルゼンチンのアンデスの麓のメンドサ移住地でした。
これらの居住地は原則、家族単位の居住地でした。
単身はの青年はどうしていたか?単身青年の場合は、実習生と言う名目ですでに開発途上にあった日系人の農園に入り最低二年間の奉公のち、独立を目指すような形体でした。
私の場合、当時の学生運動はノンポリで暇にあかしていた所、アルゼンチンで日米・ユダヤ資本三社によるメーカー工場立ち上げの為に、スペイン語堪能、若い、片道切符、現地社員待遇でもOKという人材募集に応じての、アルゼンチン行きでした。

その当時はアルゼンチンは、まだ第一次大戦、二次大戦後の余裕が残っており、当時の国民一人当たりの裕福度は当時の日本より上だったのです。
その、南米のパリと呼ばれる首都ブエノスアイレス・タンゴが流れる町、壮大なパンパ平原、白人90%の国、気候は温暖で、南部は雪が降る国、名作童話「母を訪ねて三千里」の舞台の国に単純にあかがれて行った国でした。
このブエノスアイレス近郊電車で40分圏内に多くの日本人花栽培農家がありました。
この花卉栽培農家に私と同年輩の日本からの実習生が働いており、毎日週土日は麻雀をしに出かけていました。
少し経った頃、この花卉農園の敷地内に作業小屋があり、そこで日本人らしい家族が住んでいるのを垣間見えました。
ここで初めて、パラグアイの開拓移住地を開拓を放棄してアルゼンチンへ入国してきたご家族と知りました。
そこから、ブエノスの近郊の日本人花卉農園には、パラグアイだけでなく、ボリビア、ブラジル、そして同じアルゼンチンでも、アンデス、ミシオネスの海外移住事業団の開拓移住地
を放棄、「逃げてきた」多くの家族を知るようになりました。
「外務省」「海外移住事業団」(現JAICA)は、すでに国民を捨てる「棄民」政策は必要ないのを解っていても、自分たちの居場所、地位、予算消化のために、とても耕作にて適さない
塩を吹くような土地に、多くの日本人家族を入植させていたのです。

私は多くのパラグアイから逃れてきた家族を知り、同じ年代の若者と友達になりました。
このように、本人の意志ではなく、家族として一緒にきた若者は皆さん、日本に帰りたいと話ます。
日本のスポーツ界でも有名な「アントニオ猪木」ブラジル奥地の開拓地で、プロ野球ヤクルトの投手「岡林洋一」氏は今回の舞台のコロニアイグアスの出身です。
日本はどんどん経済成長していき、その格差は何十倍と開いていきました。
やがて、日本バブルの頃になると、人で不足で日本ルーツを持つ人、例え外国籍でも二世、三世あるいはその伴侶、家族までに日本国内で働けるようになり、大勢の南米からの日系人
が、私の属する建設業界に入ってきました。
ペルー、ボリビア、パラグアイのスペイン語圏の二次、三次下請けさんのなかに多くのスペイン語しか解らない、日本人若者をみつけて、声をかけました。
日本の建設現場のおエライサンが、流暢なスペイン語を話すのにびっくりした様子でした。
お陰で現場の安全面の作業指示には役にたちました。

今回の日本行きたい人応援団の主人公は、このイグアス移住地で生まれ育った兄弟のお話です。

六人姉・妹、兄弟のなかで、現在までパラグアイに住んでいるのは、長女一人だけ
残す3人の弟は全員、日本に出稼ぎにいったまま帰って来ない、前回のこの番組では長女を日本に招待して、数十年ぶりの再開の物語でした。
今回は、この時に会った弟、タデオのお話、日本に出稼ぎに来て28年、定年退職して、パチンコだけが趣味の生活、パラグアイには、自分の長女とその家族孫がいる。
現在、埼玉で自分の子供の家に暮らしていて、何の不自由もない・・・けど、昨年血管系の手術・入院をして、無償にあの不便・暑い思いでのパラグアイのイグアスが恋しくなった。
68歳、残す余生を自分の生まれ故郷で、姉と自分の長女、孫と暮らしたい、帰っていくお話でした。

正直な話、内蔵血管系の病、手術の後・・・
あのパラグアイのコロニアイグアスにそんな大手術に対応できる病院かあるとは思えない。
恐らく、近くの病院から自宅まで救急車はきてくれなく、家族の車でいかなくてはならないだろう。
ましてや、大手術となると、もっと大きな町の病院、アスンシオン、あるいはエンカルナシオンと、車で半日となるのでは、そして、医療費にしても、本人は日本にいれば国民健康保険に加入していたし、高額医療費も使える、本人の長男は、パラグアイ大使館勤務で、財政的にも安定している。
それでも、彼は生まれ故郷へ戻っていった。
番組では、その岐路のルートも映像もなかった。
どんなに短くても、埼玉の住まいから、成田・ドバイ・サンパウロ経由では40時間は最低かかる長旅になるだろうに。と私は勝手に想像していますが。
もちろん、生まれた国、故郷ってそんなお金や時間の問題ではないのは、昔、日本を離れてくらしてきた身、ましてや、後期高齢者、余命何年の身、よーく分かりますが・・・
少なくとも私は、生まれ故郷でなく、ここで逝くでしょう。


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2023年12月26日

人生をよくする、やりたいことリスト100

50代から「私が主役」とうたう雑誌、カミさんたちの愛読書です。
930円の月刊誌です。
カミさんたちの「カーブス」のお仲間、鎌倉婦人の間では人気の雑誌で、毎月、鎌倉・大船では少なくなった大型本屋さんで買ってきてました。
そして、開口一番、本当は垣谷美雨の新刊「墓仕舞いラプソディ」が欲しかっけど、新刊・単行本で1,760円もするんで、手が届かなかったと云います。
「今年の暮の我が家の臨時ボーナスがあるじゃないの」と云うと
「いいの、お友達の裕福・お金持ちの鎌倉婦人が絶対に買うから」と云います。
本一冊1,760円が高いと感じる、その感覚、さすが我が家のカミさんです。

本の内容はタイトルそのまま、
49日の法要直前に、明かされた姑の遺言は「お父さんと同じ墓にはいりたくない」
そこから親類縁者を巻き込んだ騒動が始まるお話のようです。
これは、我が家でも、そしてカミさんのお友達の間でも、半分は冗談、半分は本気で語られる現実てす。
我が家の場合、すでにカミさんは、大船の「小さなお葬式」を予約しており、散骨と宣言しています。
お墓も仏壇も遺影もいらないといってます。
私も、私の信州の実家の兄に、私の父親の代で作った市営墓地のお墓にははいらない、と宣言しています。
第一、長野市市営墓地は山の中腹にあり、冬の間は雪で閉鎖されているし、第一車がないとアクセス出来ない場所ですから。

ゆうゆうの今月号でカミさんが惹かれた特集は
やりたいことリスト100です。
私達夫婦は子供のいない夫婦で、その上、なるべく早くリタイヤして海外にでかけ、できれば長期滞在して暮らしたいと結婚する前から話していた仲間みたいものですから夫婦間の会話は、他のご家庭よりも格段に多いと思います。
そこに、仕事がら、日本の巨大な建築物を数年かけて建設する現場の、総合的なコントロール・監視するシステムの担当ですから、長期計画を建てるのはお手の物。
この先、どんな問題が発生するのか予測し、書き出してプロシェクトを進めるのと、自分の人生の計画を組み立てるのとほぼ同じで、カミさんとは年に一度はリストアップしてここまできており、何かを具象化するのに、眼の前に書き出し、リスト化は慣れていました。

この雑誌では「やりたいことリスト100」ですが・・・
75歳、後期高齢者となると、先ずは「やりたいこと10」からとなるでしょう。
本書では自分のやりたいことをわがままにリスト化し書き出し、今直ぐできることから一つずつ実行していくもの、「一生に一度はあんこう鍋が食べたい」のような比較的叶いそうな希望から、叶うかどうか解らない将来の夢までどんどんリストに書き出していく方法です。
そうすることで、実際に茨城の大洗にいくルート・費用、何処のホテルで提供してくれるか、自分で調べるようになり、今は行けないけど、いつかは行けるという確信に変わると普段の日常の生活に張りができるというものです。
身近な夢を一つづつ実現していくことで、自然と行動力、企画力が養われ「私にもやりたいことが出来た→もっとやってみよう→ワクワクして毎日が楽しい→もっと大きな夢がかなうかも、人生の歯車が前向きに回りだすものです。

実際の書き出してみる
ステップ1 「やりたいこと」質問集から作る
■ 欲しいものに関する質問
■ 食べたいものに関する質問
■ 本や映画に関する質問
■ 趣味に関する質問
■ 住居に関する質問
■ 旅行に関する質問
■ 体に関する質問
■ 人間関係に関する質問
■ 仕事に関する質問

ステップ2
「今すぐにできる夢」と「いつかの夢」に仕分けする。

リストが出来たら、
・その気になれば今すくに実現できそうなものに◯をつける
次に◯がつかない項目、「いつかの夢」の項目に、その理由は書き込む
時間なのか、お金なのか、実現するには何が問題なのか、書き出しと何から手を付けていくか、問題点がはっきり分かる

ステップ3
「今すぐにできる夢」をどんどん実現していく。

これを繰り返していくと、「夢を叶えるのし楽しい」というモードを実感し、毎日の生活、人生のモチベーションがあがっていく。
そして、「いつかの夢」を実現するための行動力やエネルギーが湧いてくる・・・

ステップ4
一回作って終わりではなく、定期的にリストを更新する。

リストは月に一回のペースで新たに作成し「いま直ぐの夢」の実行を習慣化し、続けていく。
この時、古いリストは手を加えずそのまま残し、新しくリストアップする。
後から見直すといつの間にか消えている夢、毎回書き出している夢、新たに登場した夢など解り、自分の本当の夢がふるいにかけられる。
リストの作成として毎月同じ日にやっても良いが、推奨するのは「願い事が叶う」とい旧暦の新月の日、29日都周期だから、不規則なペースになり、かえって特別な日を意識することになる
参考2024年新月カレンダーは
1月11日(木) 2月10日(土) 3月10日(日) 4月9日(火)
5月8日(水) 6月6日(木) 7月6日(土) 8月4日(日)
9月3日(火) 10月3日(木) 11月1日(金) 12月1日(日) 12月31日(火)

団塊退職シニアにとってのやりたいことリスト

ここまでは、雑誌ゆうゆう向け50代にむけた記事の引用ですが、後期高齢者70代となると少し違ってきることでしよう。
何より、残された日にち、年数が限られてきます。
そして、健康・体力の問題お金に関する障壁は、ややこの読者層50代よりは下がると思いますが、それもひとそれぞれです。


ステップ1 「やりたいこと」質問集から考えると
■ 欲しいものに関する質問
  昔のように、あれが欲しいというものがなくなってきています。
  特に家電製品、カメラ、パソコン、新しい機器類、昔は大手量販店の特売チラシに
  ときめいたのに、いざリスト化すると品物が見当たりません。
■ 食べたいものに関する質問
  食べ物となると、同じく、そんな大金をはたいても多寡がしれているし、普通の食事で
  十分という意識、二人で旅にでても、土地の名物は、値段次第ですが
  特に食べいたとも思いませんし、普段の食べ慣れているもので十分満足しています。
■ 本や映画に関する質問
  話題の本、映画に関しては、特に夢とは思わなくても、好きなものは何時でも実現できる
  環境におり敢えてリストとして書き出す必要もないです。
■ 趣味に関する質問
  趣味にかんする夢って何かあるかな?
■ 住居に関する質問
  住居に関する夢? 今の現況で満足してるし?
■ 旅行に関する質問
  これに関する夢・・というより計画は昔からリスト化しています。
  今年は、東北新幹線の福井、まだ見たことのない鳥取砂丘と、通過するだけだった佐賀が
  とりあえずの今年の計画です
  昔は海外の世界遺産の絶景や文化でしたが、夢はほぼ実現しています
■ 体に関する質問
  夢というより欲しいのは、退職当時のパワー・体力・気力
■ 人間関係に関する質問
  実現したい夢? 小学校の時の同級会を一度やってみたいかな
  南米時代の友人、知り合いと今、会ってみたいな、今どうしているだろう
■ 仕事に関する質問
  退職して、5年間くらいは、年賀の挨拶に行っていたけど、あの会社今、どうなっているの
  だろう。
  ネット上では、部長だった当時の部下、ちょど一回り下のネズミ年だから63歳が社長を
  しているみたい、でももう会ったところでしょうがないし

 結局解っていましたが、高齢者になると前よりも後ろを振り返ることが多くなるのを
 しみじみ実感した、今回の「やりたいことリスト」でした。

そう、来年のやりたいことは、まだまた残っている、
■ 動画DVDのデジタル化、ユーチューブに残すこと
■ 全てのデジタル静止画を動画化しユーチューブに残すこと
昔、自分が病院のベッドの上で昔を懐かしながら、昔旅した世界各地、日本の旅動画を見ることを想像していたけど、今や、大病院の病室でもWifiが飛んでいるのだから全て、ネットに上げとけば、自由に見れるんだ、今年のやりたいことが、このブログを書くことでひとつ、見つけた。


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2023年12月24日

終活を加速しなくては、まずは来年は銀行口座の統廃合から 

12月18日(月)、そんなに混んでいないと、駅前の銀行にでかけました。
前の週の金曜日12月15日の年金支給日の大行列はテレビ報道をみるまでなく、混むのは解っていたので、週明けの月曜日にでかけました。
我が家の家計は毎月、現役の時と同じく月の25日ですから、わざわざ銀行に行く必要もないのですが、今月25日は、今年の旅行予算の消化で出かけるので、暇な日と思って出かけましたが、意外にも混んでいました。

二人の年金振込口座は同じMZ銀行です。
地元大船にはこのMZ銀行のATM設置している支店が昨年まで3支店あったのです。
銀行の統合が行われ、窓口は2行、ATM設置1行となり、今年は1行が閉鎖され、信託系1行とメインのMZが残りました。
残った1行のATMは12台もあり、そう並ばならず時間がかかりませんでした。
このMZの私の口座、カミさんの口座に年金がふり込まれており、カミさんの口座は記帳のみ、引き出すのは私の口座だけとしています。
カミさんの年金口座から降ろしたことこれまでいっさいありません。
それも、これも、夫婦二人の相続対策です。

私のMZの口座から、毎月の自動振替は
・マンション管理費
・国民健康保険
・NTT電話
・水道
・ガス
・新聞 


月60,000円、振替専用口座TM銀へ入金しなければなりません。
TM銀には、万が一いけない月があるといけないので、最低3ヶ月分だけは確保してはありますが、毎月の日課として、MZで降ろしてそのままTM銀へ行ってました。
しかし、TM銀は二年前に大船支店を閉鎖してしまいました。
閉鎖の理由は原則一都市、一支店とするようて、支店のあるのは2駅先の鎌倉駅前です。
私の口座は勝手に、一駅先、お隣の藤沢市になってしまいました。
ATMて用はたせますが、諸々の手続き、Webでできないことは、お隣の市の銀行窓口まで行かねばなりません、それも事前予約が必要です。

もうひとつ、毎月25日に行かねばならぬのが、地銀のY銀行です。
退職後、鎌倉に越してきて鎌倉市の指定管理事業のNPOセンターでボラバイトするようになって、僅かな金額ですが報酬をいただくことになり、給与扱い・源泉徴収で鎌倉市の指定銀行「Y銀行」に口座を開設しました。
その次いでに、公金の振込も「Y銀行」にしました。政府の低所得者にたいしての給付金は全てこの口座に振り込まれます。
今年、私のクレジットカード引き落としをこの「Y銀行」にしました。
今まではの引き落とし口座は、大昔住んでいた世田谷・北沢の別のMZ銀行支店の口座でした。
このクレジットカード精算口座から、毎月、夫婦二人のスマホ利用代金が引き落とされています。
他に、NHKもこの口座から引き落とされています。

なんで、そんな面倒なことになったのか?
他の公共料金の引き落としは、水道・電気・ガスなどのTM銀と一緒にしとくのが便利・簡単なのに理由は・・・
このクレジットカードが、ユナイテッドマイレージと連携しているからです。
現役時代、南米・北米に毎年出かけており、中南米に強いユナイテッドを多用し、マイルを貯めていました。
しかし、退職後は北米・中南米に行く機会が減り、近場のアジア一辺倒になり、その目的地に応じてアシア系の安い便を選んでいたので、UAを使う事が無くなりました。
気がつくと、今までUAで貯めていた20万マイルが消滅してしまっていたのです。
これに気が付き、慌ててUAに相談したところ、マイルの復活はできないけど、毎月生じる支払いの公共料金の一部をカード支払いにすることにより、マイルは消滅せず、継続できる
とのアドバイスで、今更ながらとネットで簡単に手続きできるNHK受信料をクレジットカード決済にしました。

その後、できるだけ万単位の出費は、カード決済にし何とか、今でも日本国内線(ANA)の地方への飛行機代2人往復一回分のマイルは残っています。
ですから、毎月25日には、最低限金額10,000円を入金しなくてはいけないのです。
昨年まで、この10,000円はATMでMZ銀行北沢支店の私の口座に入金していました。
しかし、75歳という、余命5年を意識すると、残されたカミさんの手間を考えると、わざわざ、東京・世田谷まで行って、口座閉鎖の手続きをしなくても済むように、クレジット精算
口座を地元の銀行に変更したのです。

もうひとつ、毎月25日に行く銀行があります。
地銀R銀行大船支店です。
カミさんの小遣い・クレジット口座があります。
この口座は我が家の資産からは除外された、カミさん専用の小遣い口座ですが、カミさんのスポーツクラブや、デパートの買い物の引き落としして使われており、家計には関係ありませんが、通帳を記帳して、毎月の残高をカミさんに報告しています。

つまる所、毎月25日にはMZ銀行、TM銀行、Y銀行、R銀行に行かねばならないのです。
我が家のカミさんは、一人で銀行へ行ってATMを操作して、入金・出金をしたことは有りません。
私が一人で全てやってしまっているのがいけない、と良く他人から云われます。
そのとおりなのですが、嫌がるカミさんを説得する手間よりも、さっさ私がやり、全てパソコン内で管理するほうが、お互いに楽なのは間違いありません。
しかし・・・そろそろ、これらをカミさんに移す時期がやって来たようです。

団塊世代75歳、後期高齢者となり、余命何年は現実的にやってきます。
カミさんのお友達の鎌倉婦人の間では、毎日のように伴侶の入院、介護、葬儀、遺産相続の話題がつきません。
カミさんのカーブスのお友達は、全てカミさんよりも年上でその配偶者のほとんどは70台後半から80台なかばです。
すでに、ステージ4とか、自宅看取りとかのご家庭が多く、数年後は私達です。
でも、ほとんどの方々はお子さんも孫もおり、ご主人は大企業サラリーマンだったり、個人事業主だったりして、お金の苦労はないのですが、いざとなった時の
諸々の手続きやらをしなくていけない環境にあることは間違いないのです。
ましてや、子供のいない夫婦ふたりだけの家庭、夫が逝っても金銭的にすぐ困らないものの、カミさんはこれまで避けてきた書類・ハンコ・役所手続きを、手伝ってくれる
親族のいない、鎌倉の地でやらなくてはならないのです。
そのために、私が動けるうちに、いくらかでも軽減する処置をとっておかなくては。

この4つの銀行口座を統合できないか?

本当はもうひとつ、郵貯銀行がありますが、私の残高はほぼゼロにしてあり、カミさんの分だけです。
これは、万が一、地方に行った時、旅した時にクレジットカードも使えない、都市銀行の支店かがない場合に備えての保険代わりの口座なのです。

今、現在公共料金の支払いとしているATMしかなく、混雑するTM銀の引き落とし口座を一つに統合するのを、来年に実行しなくては。

そこで、それとなくY銀行に相談しました。
すると、意外な答えが・・・
今、新たに銀行口座を開設するのは、昔と違って結構大変です。
金融庁からの指導で、全く新たに口座を開設するには、勿論、本人の身分証明書は必須であり、何のため口座を開設するのかの、説明・証明が必要だと云います。
口座振替が目的ではまず認可されません。
一番認可し易いのは、新規定期預金を作るのが一番ですが、その定期預金の出所を証明しなくてはいけません。
いずれにしても、今までの公共料金やクレジットの引き落としのためには、先ずと御本人みずからお越しになって、証明・手続きが必要て、口座ができてから初めて、公共料金やらの引落口座の変更手続きになる、と云います。

確かに仰るとおりです。
カミさんは前日、スマホのSIMカードエラーが頻繁にでるので、ワイモバイルの店舗に相談に行った時、身分証明書と、契約した時のバイワードを要求され、プンプンして帰ってきました。
何で?マイナンバーカードがあるでしょう?と聞くと
落とすのが怖いので、持ち歩かないと云います。
スマホ契約のパスワード、カードに書いて教えてあるよねと聞くと
忘れた、家の引き出しにあるかも?
普段、持ち歩いているバックの中に、健康保険証は?
病院に行くとき以外、持ち歩かない
認印、はんこは持っている、100均のでいいから?
ハンコなんて持っていない。
本籍を東京から鎌倉に移したのは覚えてる。?
そうだったけ。

先ずは手始めに、来年、1月から一緒に銀行へ行こうと考えています。
そして、ありとあらゆるパソコン内の必要なデータをプリントアウトしなくては。


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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2023年12月22日

社会とのつながり、もっとも実感できるのはツィターX

SNSとは、ソーシャルネットワーキングサービス(Social Networking Service)の略で、インターネット上のコミュニティサイトのことです。

ユーザーが情報発信できて、ユーザー同士でつながりを持つこともできます。
プロフィールや写真の公開、メッセージの送受信、友達検索などの機能があります。
個人だけではなく、企業も販売促進やマーケティングの手法として活用しています。
「LINE」「Facebook」「Instagram」は個人が自分自身の痕跡、記録をネット上にを残すことが出来ます。
しかし、これらは同じグループで共用するもので、なかなか、世間一般に拡散、広がるのは難しいツールです。
「ツィッターX」「YouTube」も一種のSNSで、拡散力・・・シニア個人が世間・社会と繋がり、関わりを持つには圧倒的にこの2つが有力です。

SNSとはちょっと趣旨が違いますがblog(プログ)について
ブログはWeblog、つまりネット上の航海日誌、つまり日記です。
ネット上にはいろいろ個人の日記が公開されています。
読者、閲覧者は誰か?
このBlog・日記は御本人の生活、内容に多少でも興味のある方が主な読者で、圧倒的に読まれているのは、有名人、タレント、芸能人のブログです。
一般的の方のブログは極端な内容でない限り、アクセス数は限られています。
今の社会、blogは読まれることよりも、自分自身の記録、日記としての性格が強いものです。
しかし、現代の傾向としては、日記と云うよりも「エッセイ・随筆」としての性格が強くなっています。
2000年代になり、団塊世代の退職後、団塊シニア男性の老後の生き方や、日々の暮らしについてかなり多くのご同輩のブログが多く見受けられます。

「団塊世代のプログ」で検索すると
・日本ブログ村  
・gooフログ
・楽天ブログ
・Ameboブログ 
など、多く団塊世代の方々のブログがヒットします。
ほぼ、毎日ブログを掲載されている方が多いのですが・・・エッセイではなく、日記の形が多く、アクセス数が外部から見れるサイトによると、いわゆる著名人・
芸能人などのと比べると、PV(ページビュー)は一番多いページでも1,000未満でした。
何より、ブログのサイト、ページ構成がシンプルで素人向けです。
投稿掲示板(BBS)の延長のような内容・構成となっていて、ある程度のweb言語を習得されている方のページに比べると、物足りなさと感じます。

それに引き替え、私のサイトに登場してくるhttps://tozan3190.sakura.ne.jp/さんのような、ホームページ作成簡易ソフト「WordPress」をつかったホームページ内にブログを作った場合、最初のとっかかりには、知識とサーバー契約が必要で有料となりますが、素人っぽさがなく、広告もなく、洗練された、見やすいページとなります。
これから、退職されて、サイト・ブログを作りたい方にはお勧めします。

無料で、しかも、基本web言語htmlやCSSの知識がある方へは

私が、現在使っています、日本財団提供の「Canpan」をお勧めします。
前回も紹介していますが、勿論無料で、広告もはいりませんし、何よりもweb言語知識があれば、カスタマイズ・デザイン設定は自由にできます。
ほぼ、本格的なホームページレベルのことができ、アクセス解析も、ハッシュタグもRSS設定もできます。
これらはを駆使すれば、内容・掲載頻度にもよりますが、年間150万アクセス程度にはなります。
但し、ひとつだけ条件があります。
これだけ、至れり、尽くせりの理由は、サイト運営者が社会貢献する組織として、日本財団に登録し、認可されなくてはならない条件があります。
こう云うと、かなりハードルが高いかも知れませんが、そうでもありません。
お住まいの地域の町内会のなかでのある活動をやる団体・個人としてでも申請ができます。
私の場合は「団塊世代の定年後ライフを支援する会」として登録しOKとなりました。
本来なら、毎年、決算書の提出があるようですが、20年近くなりますが、何もいってきません。

何が一番社会、世間と繋がりを実感できるツール何か
退職し、後期高齢者となり、徐々に社会との繋がりが薄れていくなかで、ネットツールによる繋がりに依存する傾向があります。
ホームページ・ブログ・掲示板・フェスブック・インスタ・ユーチューブなど、若い世代に混じって、高齢シニア、80代のおばーあちゃんなどが注目されたりしています。
特に静止画インスタや動画(Tikyok)による発信は、スマホの普及で高齢者でも、文字入力なしで発信できるだけに、意外とヒットしています。
それらのなかで、一番手軽で、簡単に社会との繋がりを実感できるのが「ツィターX」です。
今、世間でおきていること、関心をひきつけていること、人気なこと、政治・経済・社会・スポーツ・芸能あらゆる分野について、個人がコメントを発信しています。

無料のX(Twitter)で投稿できる文字数は?

無料アカウントだと投稿できるテキストは最大140字までです。コンパクトに云いたいこと、知らせたいことこの文字数にまとめるだけでも、衰えていくキーボード入力や文章制作力に良い刺激になります。
何より、瞬時に自分の発信した情報・コメントを見た人、反応した人、コメントした人の数(インプレッション数)が表示されます。
ツィターXは世界規模の為、その数数百万に達すること普通にあります。
それらの殆どは「動画」で、TVの特集で「世紀のびっくり映像」とか「ほっこり動物映像」の類です。

自分が興味を示し、コメントした際の(インプレッション数)が全く伸びないのに、全く期待していなかったのに驚く数字のアクセスがあることはしばしばです。
ある日のツィートは
#しおさいエキスプレス    1,344
#好きな女性政治家ランキング  203
#日曜・月曜はじまりカレンダー  73
#東京駅完成記念スイカ      16
またある日のツィートは
#解体キングダム     127
#偶数月15日       664
#日本一遅い鎌倉紅葉   475
#USJ逆さ吊り     22,340

自分の目にふれた社会現象、話題、今おきているニュースなどについて一日4つのツイートを心がけています。
ここで分かることは、団塊世代シニアと、外で働き、電車のなかでスマホでツィターXみている若者、社会人の間では、気になる対象は全く違うということと、このような情報に興味が共通しているな判断が(インプレッション数)となって現れ、一週間のうち3日か4日ちょっと家の外に出る以外、居心地の良い自宅の自分部屋のパソコンから世間を見ていると違いがよーく分かります。

今まで私のツィートでの最高インプレッション数は20万でした

そのツイートの内容とは、京急蒲田駅の看板イラストでした。
ツィターユーザーは、ゲームや漫画の世界に強く反応するのは間違いないことなのです。
退縮シニアとして特別、社会と迎合する必要はありませんが、今、自宅から外の社会と自宅内のテレビ・新聞・ネットの差を知っておく必要があるでしょう。

そんなことをカミさんに云うと、
我が家は子供も孫もいないし、外に働きもでないし、いろいろな趣味やスポーツ距離を置きつつある世代、日本社会からみれば隅っこのほんの一握りの家庭なのよ、そこと世間一般ましてや現役、働き盛りと比べられないわよ」
と、おっしゃりました。それはそうだよな


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2023年12月20日

後期高齢者となった団塊世代の社会とのつながりキープ

後期高齢者75歳となると、自分自身が高齢者と自覚することが多くなり、同じ年代の男性とのお付き合いが面倒になってきて、今までご一緒していたいろいろな組織・趣味のクラブ・スポーツからも徐々に遠ざかり、自然に自宅にいることが多くなります。
となると、とこの家庭でも同じこと思いますが、奥様から、外に出て陽射しを浴び、散歩して筋力をつけろと、尻を叩かれるでしょう。
でも・・・かなりアクティブな団塊オジサンでも一番落ち着くのは、自分の部屋、そしてパソコンの机の前なのではないでしょうか?

パソコンの前で何をしているのか?が問題です

55歳で退職し、シニア層の方々のサポートでご自宅に伺う機会が多かった頃、先輩諸氏がパソコンに向かってやっていたことは、
・オンライン囲碁
・オンライン将棋
 
が一番多かったのを目にしました。
確かに、麻雀一人ゲームではなく、web上に相手がいるのてすから、実際に対面して打つのと同じてすから、かなりリアリティがあるのでょう。
でも20年前当時、相手との会話は、文字入力でした。
今のようなリアル映像ではなかったのです。
しかし、奥様のほうからすると、大人しく家にはいるけど、このままでは心配だと云う声を多く聞きました。

囲碁・将棋の次に良く見かけたの・・・
パソコン通信のスピードについて、見てくれといったお宅でした。
大型モニターが三連で写っており、画面を見ると「Bloomberg」です。
通勤で東京駅をでて、日比谷方面に歩き出すと直ぐにBloombergJapan社があり、朝から電光掲示板で、世界の市場状況を流してました。
お伺いしたお宅のご主人は、専用幹線でBloombergの配信を受け取っているようです。
恐らく、退職する前は大手証券会社或いは、金融・投資関係にお勤めだったのでしょう。
うん、これでは奥様が心配するのも無理ない、きっと我々よりも、0が3つ以上違う額の金額を一日中扱っているのでしょうから。
ここ数年、このご家庭とのお付き合いは全くありませんが・・
デイトレードの生活って何時まで続いているのでしょう?

自費出版を目指すシニアのお宅

近くのお宅のNPO関係者のお宅にひんぱんに呼ばれて行きました。
この方のお宅は、森林に囲まれた森のなかのような、別荘のような立地で陽射しは朝夕しっかりと入るお部屋でした。
この方のサポートは定期的Uなパソコン全般によるものでした。
一日パソコンに向かって何をしているか・・?
私費出版の「評論」を書いているのです。
内容は哲学的であまり理解出来ないのですが・・
『日本は近代思想をやり直せ』を(株)図書新聞から出版。と一度だけ地元コミュニティ紙に紹介されていましたが。
メールサーバーを見ると、何社もの自費出版のお誘いがありました。

その他に、出版社と本に関する打ち合わせメール、PDFなど沢山ありました。
実際に自費出版社担当者とはどのくらい頻度で本になるのか聞くと、どの出版社も一回だけ、相手の会社ではなく向こうからやってくると云います。
それも一回だけ、後の打ち合わせは全て、メールだそううです。
今ならリアルオンラインなのでしょうが・・・・
この方の出版されたハードカバーの本は少なくとも5,6冊はありますが、書店店頭に並ぶことはないようです。
NPOセンターに無料寄贈されていましたが、一向になくなりませでした。
この方・・私よりも8つ上です。
最近目にかかっていませんが、以前お会いしてたい時は奥様から「緑内障でほとんど目が見えないのよ」とお聞きしたことがあります。
あれから一年、音沙汰はありません。

退職した当時のパソコン環境は

次に同じ世代の方々からのパソコンに関わる相談と、暮らしぶりは如何に?
ホームページを作り、自分史や、旅行記を掲載して、自分たち団塊世代が生きてきた証・足跡を残したいという大勢の団塊世代、同士の皆さんです。
当時、Windows PCは名機「XP」から評判最悪の「Vista」の時期で、「7」は2009年です。

団塊世代が定年を迎えたのは、2007年〜2009年頃
2007年なにがあったか
・安倍首相突然の辞任、福田内閣発足
・年金記録未統合5000万件が判明
・日本列島74年ぶり猛暑、熊谷・多治見で40.9度
2008年なにがあったか
・秋葉原通り魔殺人事件
・東証、バブル後最安値の7162円90銭
・北京オリンピック 北島康介、ソフト上野
・後期高齢者医療制度(長寿医療制度)スタート
・リーマンショック
・米大統領選でオバマ氏当選
2009年なにがあったか
・民主圧勝、政権交代。社民・国民新と連立
・概算要求「事業仕分け」を公開、八ツ場ダムなど国直轄ダムの建設工事見直しへ
・政府、月例報告でデフレを宣言
・サーズ流行
・GM、クライスラーが相次ぎ破綻
・マイケル・ジャクソン死去
・イスラエル軍ガザ侵攻
・イチロー9年連続200安打。松井はワールドシリーズMVP

想定もしていなかったスマホ時代の到来

団塊世代が定年退職した頃、まだ個人による情報発信、記録はホームページ、次にブログ、
やがて、ネット環境高速化、大容量化により少しづづ専門知識がなくても、個人でソーシャルメデイアを通じて繋がる社会になってきて、一番の大改革、変化は「スマートフォン」の進化、大容量化、スピードUPです。

アップルのiPhoneやグーグルのAndroid OSが搭載された端末をはじめ、私達がいつも持ち歩く「スマートフォン」はもはや、生活必需品といっても差し支えのない存在となって来た時代です。
タッチ操作のものがほとんどでしただが、高性能カメラを搭載したモデル、高齢者が操作しやすい「らくらくスマートフォン」などの登場てパソコン機器には縁遠かったシニア女性の生活には欠かせないツールとなりました。
今では当たり前のものとなったスマートフォンですが、現在の形に落ち着いたのは約10年前です。スマホになり、高齢者シニアの巣ごもりもかなり変ってきました。

一番、身近で手頃な個人レベルの情報発信ツールは何か?

今や、使いにくい、誰でも簡単に作成できるという無料ホームページソフトは衰退しています。
何も苦労して、デザインの変更やレイアウトの変更の出来ない、お仕着せのホームページソフトを使うなら、BlogとSNSでほぼ用が足りてしまいます
Blogとはウェイブログのこと、つまりネット上の航海日誌。
大手サイトで無料の領域を提供していますが、ほとんどは広告が入るのが欠点。
無料で広告が入らないサイトもあります。
現在私が使っている日本財団提供の「Canpan」利用するには、名目でも公共福祉に貢献する事業団体或いは個人であることで、申請が必要です。
その簡単なプログですが、スマホによる文字入力に慣れていないシニアにとっては、かなりハードルが高いのは否めません。
そこで登場するのが、画像も文字入力も簡単なSNSツールです。

これからの時代、団塊世代は75歳を過ぎ、冗談でなく余命何年と考えてもおかしくない時代
如何に、自宅の自分部屋のパソコンの前で時間を過ごしても、社会とつながっているという感覚を得るツール、SNSは何か?
次回のブログで、考えてみます。


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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2023年12月18日

退職後の趣味のクラブ、スポーツの変遷

55歳で早期退職し、住まいを鎌倉に移してから地元コミュニティとお付き合いと、暇な時間の使い方として、色々な趣味のサークル
クラブに入会したと当時に、現役時代には全く無縁だったスポーツをするようになりました。

趣味のサークルは
■ パソコンクラブ
■ 海外ロングステイクラブ
■ 写真クラブ
■ ビデオクラブ

スポーツ関係は
■ 硬式テニス
■ バドミントン
■ ラケットテニス
そして、ボランティアNPO組織の会員です。

あれから20年、55歳の若手シニアは75歳の後期高齢者となりました。
現在でも続いているのは・・・・
趣味のサークルは72歳で全て退会しました。
ボランティア関係も同じく退会しました。
残っていたスポーツ関係も先月までは、唯一ラケットテニスクラブだけでしたが、これも退会しました。

ボランティアNPOの退会については、これまでブログで事情を書いています。
一番大きな、そして重要な退会の理由は70歳以上の年齢の男性が中心となって、組織の中枢でリーダー、決定権のある組織は衰退するという、現実を目にしており退職シニアの暇潰し・居場所確保となることへの弊害を私自身が感じていたことです。
第一線のリーダーは、経験や歳の功を無視して、若手60〜70歳に委ね、裏方に回ることを推奨したのですが、誰も辞めません。
地域のボランティア活動と云っても、私達のNPOは、鎌倉市からの委託で成り立ち、市内全ての市民活動団体の支援を行っている団体です。
クラウドファンデングやら、web、ネット上の広報活動に全く知識のない80歳近い、決定権のある理事は辞めてもらいたいので、私が率先して72歳で引退しました。

次の趣味のクラブについて。

■ 海外ロングステイクラブ
退職した2003年、振り返りますと好景気時に退職した60歳シニアの間で一番人気だったサークルでした。
マスメディアも連日、海外ロングステイを取り上げ、退職後ライフの憧れとして取り上げていた時代でした。
ハワイでは、町中にロングステイヤーの為の、バケーションレンタル会員の勧誘で溢れかえっていました。
円高・ドル安の絶頂期でした。
鎌倉のロングステイクラブに入会してみてメンバーの知識・経験の無さにびっくりしました。
海外旅行の経験は豊富にあるようですが、話を聞くと全て団体パック旅行だけ、行き先もヨーロッパ、北米そしてアジアもタイ、台湾、シンガポールレベル。
クラブとしては、会員みんなでツァーを組んで、カナダにいきましょう、スペインに行きましょうという企画ばかり。
その会議に大手旅行会社社員が企画書をもって現れるのを見て、半年で、このクラブはやめました。

■ パソコンクラブ
WinXP時代です。
メンバーの多くは60歳定年後、私より5〜10歳の年上の方々
主な活動目的は、クラブとしてシニア向けのパソコン教室を運営することでした。
ワード・エクセル・メール・年賀状ができれば一人前の講師と通用していました。
なかには、ホームページ作成を教える方もいましたが、「ホームページビルダー」しか使えない。
画像加工は、パワーポイントでやる・・・
こんな状況は入会して初めて知り、半年でやめました。

■ 写真クラブ
入会当時、まだデジタル一眼は超高級機種でした。
CANONとNikonは発売していましたが、私はミノルタでデジ一眼は発売されていませんでした。
この写真クラフに入って、鎌倉の地元の方々との交流がようやく始まりました。
しかし、5年ほどで退会しました。
理由の一つが、毎月の例会に一人5点の作品を提出しなくてはけなかった事です。
皆さん、古くからの鎌倉在住の余裕のある方ばかり、その上暇もお金もあり、月に5点の「作品」を提出できるのですが、私はその頃、頻繁に海外にでかけいますし、カメラもレンズもかなり満足いくようなものではありませんでした。
そして、写真はともかくお金がかかる趣味です。
デジになり、自家プリントすると一ヶ月のインク代は軽く一万円を超えてしまいます。
そして何よりも退会する原因になったのは、この写真クラブのが講師先生が病気退職されたことです。
シニアの写真というと、どうしても風景写真や草花の写真になりがちですが、私はスナップ派、人物や普段の町の移ろいを撮っていました。
この講師先生は元々報道系のカメラマンで、人物・スナップに造詣があり、風景が中心のクラブのなかで、評価していただいていたのですが、お辞めになったのを機会に退会しました。

■ ビデオクラブ
ビデオクラブが一番長続きしました。
長続きの理由の第一は、このクラブを40年以上前に立ち上げた創始者(今、79歳のハズ)の技術力・知識、動画に対する感性・才能が私達から動画、パソコンビギナーからは
遠く及ばない方、私の師匠と仰ぐ人でした。この方は独身です。
動画に関するあらゆる技術、機械、道具、機器に関することを教えていただいた、「師匠」です。
彼は、数年前に湘南を離れ、生まれ故郷の東北の「サ高住」に引っ越ししました。
私と同じように50代で仕事を離れ、それまでの蓄えで一人暮らしていましたが、田舎の一人暮らしの姉の世話と自分自身の為に、75歳、後期高齢者となった時点で故郷に戻りました。
移り住んだ「サ高住」には勿論、wifi設備もなく、自前で全て環境を整え、鎌倉のビデオクラブとオンラインで会議をしています。
私の場合、ビデオクラブの方向がどんどんと、アニメション作成、特殊技術に向かっていき、私が目指す、映画のような世界からどんどんと遠ざかっていったので、元会長の引退と同時に
退会しました。

スポーツに関して
退職後の鎌倉で所属しました■硬式テニス、■バドミントン、■ラケットテニスなどのスポーツクラブを退会した理由は全て同じ理由です。
これらのスポーツは全て、経験なし、完全に素人として参加しました。
同じ世代の方々が週に一度揃う、仲良しクラブでした。
メンバーのなかに、一人、二人経験者がいる程度で、一週間に一度、2時間、郊外のコートや、市内の体育館に集合し、和気あいあいと試合結果に関係なく試合をし、おしゃべりし年に数度、食事会などをはする仲間でした。
これらの退職後のシニアスポーツクラブにはある傾向があります。
最初の頃は女性会員がメインですが、少しづづ、男性会員が増えてきます。
皆さん、ビギナーから始まっているのですが、経験者の男性や、もっと上手くなりたい女性や、やるからには市や県の大会に出たいと思う方も現れてきます。
すると、他のクラブでコーチをしていたような方を入会してきます。
すると、なにが始まるかと云うと、会則を作りましょう。定款を作りましょう。会費の明細書を作りましょう。となります。
次に、ゲームのルール解説、マナー解説、やってはいけない事、声にしてはいけないこと等など、教えたがります。
次、新しく入会した人をターゲットとして、教えたがります。
私がこれまでに経験してきた、
硬式テニス・バドミントン・ラケットテニス、全てこのパターンになります。

ある程度の年齢の女性(ほぼ80歳を前にして)がやめていきます。
彼女らが口にするのは言葉はほぼ同じです。
私達は、上手くなりたいとか、勝ちたいとか、大会に出たいとかは考えたこともない。
週に一度i時間、汗を流し、ヨロヨロと走って、ボールを追いかけ、皆んなとおしゃべりする為にに来ている。
あんな、コーチ面した人から、教えられるの御免と去っていきます。
私も、後期高齢者となってから、かなりボールやシャトルへの反応が鈍くなってきています。
私の所属するラケットテニスクラブはやっと2コートダブルスが組める程度のメンバーでしたが、代表の女性はどちらかと云うと、何でも真剣モードでやるタイプのでメンバーの70代後半の女性メンバーをもっと上手になり、地区大会にてるまでになって欲しいと、知り合いのコーチをビジターとして招き入れました。
すると、やはり、週一の楽しみできている女性メンバーに反発がおきます。
今まで、1ゲーム終了毎に5分の給水タイムを設定していましたが、この季節、必要なし、時間がもったいない・・・
もうそろそろと、私も引退しようと先月退会しました。
いつかは、止める時がくるものです。
75歳が節目かなと思います。

止めると、代表に告げて日、ロッカールームでバドミントン時代の同期、団塊世代の男性と出くわしました。
数年前にバドミントンを一緒にやっていて、やはり、私と同じ理由でやめた人です。
彼に、「今、ラケットテニスをやめて来た、またまた、同好会的シニアスポーツが、体育会系みたいなってさ、バドミントンの時と同じさ」
「じゃ、うちのクラブに来なよ、今とところ、うちは女性中心で、仲良しシニアスポーツクラブだから」と
「うん、ちょっと見学に行ってみるよ、お宅の代表の女性も知っているし」
この後日談、どうなったか、そのうちお知らせ致します。

定年後、退職後に始めた趣味やスポーツにも止める時がやってきます。
止める理由は様々です。スポーツでは、自分の身体が思うように動かなくなったと自覚する75歳から・・趣味のサークルの辞め時は・・・若い方の感性、技術、知識との格差を知った時がタイミングなのでしょう。
老醜をひきずってはいけない。

この記事は前回のブログ記事の続編です。
https://blog.canpan.info/teinengo/archive/1266


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2023年12月16日

益田ミリの旅のスタイル 47都道府県の旅

未だ足を踏み入れてなかった最後の県「高知の旅」を終えて
これで名目、日本全国47都道府県全てにとりあえず足を踏み入れたことになります。
私の国内旅行、一人旅の始まりは、高校二年の春休みの九州から始まって、高三の夏の北海道までと、ただ通過するだけならかなりの都道府県を10代で回っていました。
その後の日本国内旅行は、南米から帰国、専門学校卒業後の再就職した会社・仕事がらみの国内旅行・移動、物見遊山の観光旅行は55歳の早期退職後の夫婦二人の自由旅行から始め、65歳でパスポートを更新しなくなってからのこの10年間が本格的な国内旅行となっています。

一応、私達夫婦の国内旅行は全47都道府県クリアのルールとしては、最低限ひとつの県の駅・場所で下車し観光する、一泊はしなくても仕方なしということでした。
そして、一応今回の高知でクリアした国内47都道府県に新たな、自分たちのルールを決めました。その県の県庁所在都市・或いは準ずる都市の観光・一泊以上はする、という新しいルールを作りました。



改めて、日本地図を広げて県庁所在都市に降り立ったことのない県をリストアップしてみました。
■岩手県
 三陸リアス線の旅で太平洋側を旅して、宮古に宿泊し、久慈で下車し、そのまま盛岡から
 新幹線で帰ってきたことはありますが、内陸部はただ通過しただけです。
 一度、春の雪解けの季節、桜と岩木山の盛岡に降り立ってみたい。
■福井県
 関東から一番行きにくい、遠い福井県はこれまで、仕事がらみで東尋坊・永平寺へは行って
 ますが、福井市や敦賀・美浜・若狭はまだ行っていない。
 東北新幹線が来年、福井・敦賀まで伸びる、行かなくては。
■鳥取県
 京都から、島根から足を伸ばして、鳥取県内に足を踏み入れていますが、県内の都市に
 宿泊はしていないし、鳥取砂丘へも行ったことがない
■香川県
 何度も通過しているし、金毘羅さんも行っているが、高松に降りたこともないし、
 宿泊もしていない。
■佐賀県
 日本で一番印象が薄いと云われる佐賀県、高校二年の春に博多から長崎に向かう途中、
 綺麗な海岸線を車窓から眺めただけで、ただ通過しただけの県
 少なくとも吉野ヶ里移籍は歴史好きとしては一度、行かなくては

以上が高知から帰ってきて日本地図をみながら、二人で決めた、リストアップしたのが上記の5県でした。

そしてネットや観光ガイドを見る前に、参考としたのが
益田ミリの旅のエッセイ「47都道府県 女ひとりで行ってみよう」

今回の高知旅行へのフライトのなかで読んでみると、なんと、私達の旅と共感するものの多さに驚きました。
少し、紹介、引用します。
益田ミリ イラストレーター 1969年 現在54歳
この本を書いたのは33歳から37歳の間の4年間の旅模様です。
前文引用

日本には47都道府県もあるのに、全部行かないともったいないなぁ。
というわけで、ひとりで全部いってみることにした。
目標は月に一度の旅
青森に行ったついでに秋田にも、なんてことはしないで
毎月毎月、東京からブラっと行くことにしよう。
月に一度の旅でも47都道府県をまわると4年がかかるが別に急ぐ必要もない。
何かを学ぶ、などにはこだわらない「ただ行って見るだけ」の旅
無駄だったかとうかは、旅が終わってすらわかるだろう


私とカミさんはこの「幻冬舎文庫版」を買って読み、私達の旅と共通する多くのものを知り、来年の私達の旅にはずみがつきました。
あとがき抜粋引用

旅を始めたばかりの頃は、名物を食べなければいけない云う焦りとか、しゃべる相手がいない寂しさがのしかかっていたけれど、回数を重ねて行くうちに少しずつ気軽になった。
惣菜を買ってホテルでひっそり食べるのもいつの間にか抵抗がなくなっていた。
旅先での「人のふれあい」も、全くといっていいほどなかった。
ふれあおうとする努力もしていなかった。
~中略~
旅で得たものは何か?
地理や名物がわかるようになったとか、テレビの旅番組が面白くなったとか。
ちょっと大袈裟に云うなら「人生は一回しかない」ということをひしひしと感じた4年間だった
~後略~



この本の著者の一人旅の手配はほぼ全てネットでしています。
この旅の費用は全て企画した出版社持ちだろうが、彼女30代の金銭感性で一人でやっています。
ホテルも足も、ネットのビジネスパックが一番好きといいます。
安いし、今のビシネスホテルは、国際観光旅館認定よりもずっと清潔で足の便もよく、邪魔されず過ごしやすいと云う。
特に、名物の食事にこだわる訳でもなく、地元の居酒屋で知らない人と同席するのも嫌だし、苦手かもしれない地元料理を勧められるのを断るのも嫌だし、一番好きなのは、地元のデパ地下のお弁当を買って、ホテルの自分の部屋でテレビを見ながらゆっくりと一人で食べるのが好きだという。
ついでに、デパ地下では土地のスイーツも売っているしという。
デバ地下がない時は、コンビニで済ますことも多いが、なるべく、東京では売っていなとものを探すこともある、と書いている。
まるで、私たちの旅と全くぴったりの動き方をしているのです。
そして、各旅行先で使ったお金の明細をこと細かく掲載しているのも共感します。

例として石川県の旅二泊三日 
交通費 羽田・小松飛行機往復   23,500円
宿泊費 ビシネスホテル二泊    11,200円
現地交通費             2,740円
食費
サンドウッチ             800円
ハヤシライス             600円
ちらし寿司セット          2,000円
海鮮丼               1,200円
おやつ               1,500円
入場料等              3,740円
自分土産 九谷焼き皿二枚      3,400円
合計                50,970円
この明細は2003年7月の旅、まだ東北新幹線か金沢まで伸びていなかった頃でしょう。
私達夫婦二人の旅でもこれと似通ったような予算計画と、精算になります。
旅は普段の生活の延長線上にあり、何も特別なことではないという生活スタイルなのです。
これは、退職後目指していた、海外ロングステイと共通した考え方と同じなのです。
旅は特別のイベントではなく、夫婦二人の生活の延長線上にあるのと同じなのです。

残された5つの県、先ず何処から、何時行くか?

優先順位は先ず、一番行ってみたいのは福井県
東尋坊や永平寺よりも、福井駅にいってみたい。
駅前の恐竜広場に行ってみたい。
福井は来年春、東北新幹線が開通するのでアクセスは良いと思います、できれば敦賀まで足を伸ばしてみたい。
これで、2024年の旅行出費はやや嵩みますが、是非実現したいと考えています。

次は、鳥取県です。
鳥取への足が問題ですが、まだユナイテッドのマイルが一人分残っていますし、カミさんのマイルも片道程度でしたら余っているハズですから一気にここで消化する予定です。

そしてその次は、佐賀をターゲットとしています。
佐賀への足は、デルタの二人分のマイルを使って福岡へ飛び、あとは陸路で簡単にいけます。
行く時期は、佐賀名物のバルーンフェスティバルの時期が良いかと、これからゆっくりとプランを建てる予定です。

来年の春ひとつ歳をとって76歳のお年寄りとなります。
そろそろ、否、もう残された日数を逆算して動かねばならない年齢になってきています。

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2023年12月14日

退職後 老後住まいの立地条件とは

鎌倉の住宅街に台湾リス被害?というニュース

昼のテレビワイドショーで鎌倉の台湾リスについてやってました。
鎌倉市内で今年度、特定外来生物「タイワンリス」の捕獲数が、11月末時点で年間捕獲数が過去最多だった5年前に迫る勢いとなっているという報道がありました。
あまりの多さに、市は駆除のための関連補正予算案を急きょ提案し観光客らに注意を呼び掛けています。
確かに、我が家の近所では台湾スリが電線を伝わって、大通りを横断する姿は日常茶飯事、自宅のリビングに座っていて、ベランダの手すりを伝わって移動する姿を何度も見かけます。
特に、多く見かけるのは、近所の鎮守様の森。
道路から急な階段をあがった先は、こんもりとして森、近所の野良猫や、散歩の犬も近づかないような場所。

テーマは、タイワンリスではなく、退職後の住まいについてですが
私はできるなら、退職後の住まいは現役時代の住まいから、引っ越しして環境を変えるべきだと現役時代から思っていました。
現役時代の住まいの優先事項は

・職場、会社まで交通アクセスのよいこと。
・最寄りJR駅から徒歩10分から15分の距離
 深夜残業しても最終電車が夜中の1時台まであって欲しい
・買い物に便利なこと
・成田空港・羽田空港へのアクセスが良いこと
 成田着最終便でも自宅に帰れること
・将来の転売を考えて、大規模集合住宅


この時、日本人がかなり優先する日当たりはあまり重視しませんでした。

日本の特に高層四角形マンションでは、どうしても、北側、西側が立地的にできてしまい、南側、東側よりも安い値段で売り出されます。

私達が購入した横浜市横須賀線新駅駅前のマンション開発の一号棟の間取りは3LDKS
リビングの向きは南西、ということは寝室の向きは北東でした。
朝、寝室の窓から強烈な朝の陽射しが遮光カーテン越しに入ってきて、目が覚めます。
リビング・食堂は南西ですが、朝の陽が入ってくるのは、10時頃という間取りでした。
実際、二人共、朝から出勤し、カミさんは夜勤当直もありますし、私も今のように残業時間規制もなく、TVCMは「24時間戦えますか」の時代ですから自宅の陽射しの向きについては、深くは考えていませんでした。
駅近、便利、将来転売時有利、だけで選んでいました。

では、退職後のシニアの住宅環境は?
・JR駅からの自宅までの距離は
現役時代は徒歩5分、駅のアナウンスが風にのって聞こえるくらいでした・・・が退職後はゆっくり起きて、寝室の窓の下は駅へと向かう大通り交差点です。
道路は会社や職場へ向かう人で溢れています。
普段の休みの日、こんな風景は見慣れているものの、55歳で退職し、毎朝、眼下にこんな風景を見ると、数十年第一戦の現場で働いてきた男性は、自分の今置かれている位置と比べててしまい、半分以上の男性は「少し焦ります」。
寝室から見える外の町全体の風景は、このマンションを囲むように建設されていく、新しい街並み風景、駅へと急ぐサラリーマン、幼稚園児を迎えにくるスクールバスと見送る若いママたち、残された私達二人は、さて今日は何をしようか、何処へ行こうか考えるのです。

新しい、そしてこれから長い間住む、老後の家は?
■あまり駅チカだと、却ってプレッシャーになる可能性があります。
しかし、徒歩圏でありたい、できるだけ坂のない平坦な道で徒歩15分以内
退職する60歳から65歳ですと、坂道はほぼ意識しません。
急峻な手すりが必要な坂道・階段は別ですが。
わたしの場合、75歳後期高齢者保険カードが届いてから、駅から自宅までにある、ゆるやかな道が坂道であることを初めて認識しました。

■マンションにしても戸建てにしても、家の向きは大切です。
現役時代は、北西向きだろうが余り気にしません。
なぜなら、朝の日差しを感じ、意識するのは、会社に行かない祭日・日曜だけだからです。
しかし、退職し365連休となると、毎日の朝食は家のリビング食堂で食べることになります。
我が家のリビング・食堂は東南に向いています。
朝の朝食時、東南側、大船観音の森の先から太陽が上がってくるのが見えますし、晩ごはんには、大きなお月さまが森の向こうからゆっくりと、そして意外なスピートで上がって行くのが見えます。
現役時代、朝の太陽や夜の月が上っていくのを見たことが有りませんでした。

■家の周りの環境・風景は
現役時代のマンションは、寝室からもリビングからも見えるのは、周囲の同じ敷地のマンション、駅前のタワマン、大型ショッピングモール、そして駅でした。

確かに便利、近いのですが、退職ライフにはそんなに近い必要はありません。
今の我が家のリビングで、ロッキングチェアーに座ってみえるベランダ越しの先は、児童公園のその先の緑の森です。
家の周りの環境は、現役の頃には考えませんでしたが、とても重要です。

ひとつには、毎日でなくても、用事がなくても、自分の年老いて行く体力・筋力を感じる年頃になると、少しでも歩いて散歩しなくては、外出しなくてはと感じるようになるのものです。
現役時代は、こんなに外で働き、通勤の混雑電車で1時間半、休みの日に外にでなくてはなにぬのか!と思うのが普通でした。
老後の家を購入する時、将来の散歩道を考える男性はすくないでしょう。
一番理想なのは、自宅周辺に大きな公立の公園や、安全な河川敷き、海岸があることでしょう。
ターミナル駅から徒歩10〜15分でこの条件は結構厳しいでしょう。

我が家の場合、大きな植物園はあるものの、有料ですから、年間パスポート1,000を購入して利用していますが、やはり週一でも飽きてきます。
またまだ、花を愛でる心境に達していないからでしょう。

■周囲のコミュニティ関係は
72歳になるまで、地元町内会や老人クラブは全くの無縁でした。
どちらかというと、NPOセンターとして、それらの活動を支援する側にいたからです。
毎日、3時になると自宅前の自動公園に、黄色いキャップを年配者の方々6〜8名ほどが集まってきます、近くの小学校の下校の安全パトロールでしょう。
日曜日にの朝、公園にあつまり、花壇の手入れをしているシニアグループがいます。
近くの鎮守さまの階段横の作業小屋には、数人のシニア男性があつまり何やら雑談しながら、作業をしているのが見えます。
年齢的には、私もそろそろ、あの方々の仲間入りする年齢なのでしょうが、私は、マンションの新参者(と云ってももう20年を過ぎていますかが)何が何でも、無理して、古くから町内会、老人会とリンクする必要はないと思っています。
彼らが、私を必要としていれば、向こうから声がかかってきるでしょうと、放っています。

話はタイワンリスにもどります。
カミさんのカーブスの知り合いの女性が近くにお住まいです。
その奥様のお宅は、近くの神社の森の横、しょっちゅうタイワンリスが現れる場所の戸建て密集地の一番奥です。
いつも自宅から神社前を通って駅に向かう道から奥のその方の家は見えません。
神社の森の影と手前のお宅の裏にあるお宅です。
この通りを曲がると駅へ続く坂道になり、奥のお宅が手前のお墓越しに見えます。
カミさんが云うに、あのお宅、一日何時間か陽が入るのかしら、
洗濯物が乾かないじゃないかしら?
あのお宅の窓が開いているのを見たことないわ・・
開けてみたとしても墓石しかみえないだろうけど?
どんな事情であの、中古建売を買ったのかしら・・・
心の、身体の健康に絶対に良くないと思うけど・・・
ご主人は貴方と同じような年齢のハズだけど・・・
どうやって、あの全く陽射しの入らない家で過ごしているのでしょう・・・

タイワンリスは台湾などに生息している。
ペットとして輸入された後、野生化し県内では多くが三浦半島に生息。
体長は30〜50センチで背中は黒と黄土色が混ざり、腹部は灰褐色や赤褐色。愛くるしい姿を見せるが、生態系の破壊や農作物への被害が指摘され、外来生物法で輸入、飼育、譲渡などが禁止され駆除対象になっている。
鎌倉市では、捕獲がスタートした2000年度に69匹だったが、徐々に増加して18年度は1571匹と過去最多に。その後は年間1000匹前後で推移していたが、今年度は11月末時点で1553匹(速報値)となった。
三浦半島の近隣自治体では大きな変化が見られない一方、鎌倉市では担当者が「異常」と言うほどのハイペース。
市は被害の発生事例を記したポスターを各地の掲示板に張り出している。

特別我が家にも、近所にも申告な被害はないが・・・


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2023年12月12日

高齢者にやさしくない社会になってきてる

スマホ・クレカ・マイナカード・交通系ICカードが欠かせない社会
スマホの携帯が必須になる時代

年末の季節、何かと買い物が必要になります。
一番買い物に行く場所は、駅前のドラッグストアーとスーパー西友です。
徒歩およそ10分、駅構内の自由通路を抜けた東口駅前、湘南のアメ横と云われる、この近辺では物価の高い鎌倉のなかで一番リーズナブル庶民的な商店街です。

自宅周辺、徒歩3分以内にも地元スーパー、ドラッグストアーそしてコンビニがありますが、日々の買い物のほぼ全ては、駅前まで徒歩で出向いていています。
ひとつには、運動不足もあるのですが、往復4,500歩、3.2km程度さしたるプラスにはなりませんが・・・
駅前のドラッグストアーは、月に一度か二度、一点に限り15%オフキャンペーンをやっており、ちょっと高いものは、そのチラシのクーポンを切り取って買い物するのが、我が家のやり方です。
15%引き、クーポンが使えるのは買い物の1点だけ、という頭の良い、お店の商売といつも感心しています。

会員登録しないと15%クーボンがゲット出来ない。
今月、カミさんは化粧品を、私は年に二度買う、髭剃りカートリッジが必要になってきています。
いずれもかなり高額なもので、15%は大きい商品です。
しかし、最近、このドラッグストアーの折込チラシが入ってこなくなりました。
そこで先日、店員さんに「割引クーポンつきチラシ」について聞いてみました。

すると、「折込チラシ」は経費がかかるので、止めました。
ネットで会員登録して買い物の際に提示していただくことになりました。云われました。
またまた会員登録ですか?
パソコンなら簡単に登録できるのですが、なれないスマホの入力画面と、年寄の乾燥した指では、メールアドレス・暗証番号の設定やらは、間違えやすく時間がかかるのです。
店員さん、「つまり、パソコンではなく、スマホでなくてはならないのね」と尋ねると「その通り」ですと。
自宅でゆっくりと、指でなくタッチペンを使って入力を済ませ、登録したメルアドと暗証番号を名刺大のペーパーに書き写しバッグにいれました。
翌日、店頭で必要な買い物1点だけ買い、長いレジを待っている間に、スマホにドラックストアー会員登録済み画面を差し出し、「15%クーポンを使いたいけど、何処にあるのか解らないんだけど」というと、「ここをタップして下さい」と指差す先は・・・もなし
ずーとスクロールした一番下、よーく見ないと老眼の私にはよく解らない場所でした。
このページでサインは、わざと15%クーポンを使わせないようにしているのか!
しかも、このフッターは指で「ピンチアウト」しても拡大表示しないように設計されていました。

後期高齢者・団塊世代でも比較的この世界に精通していると自負している私でも、こんな状況ですから、私より3つ若いカミさんでもとても一人では無理。
でも、このドラッグストアーだけでなく、今までカードであった「ヨドバシ」も「ヤマダ」も全て廃止するようです。
もう、ポイントはネット・web上でしか使えなくなってなってきているのでいるようです。

交通系ICカードも必須なのですが・・・しかし大都市圏だけか

先月の四国高知旅行で苦労しました。
私達の旅は二人だけの自由旅行、そしてお金をかけない、路線バス優先の旅です。
事前、先ずJR四国で、JR東日本の「SUICA」が使えるかどうか、調べると、予想どおり使えません、というよりも、JR四国は現在ICカードは発行していないのです。
辛うじて四国の一部、瀬戸内海沿線では「ICOCA」が使える状況です。
高知市内の路面電車は土佐電の自社カード「てすか」が使えますが、自社の乗り物専用で買い物は出来ませんでした。
高知を3日間、毎日、バス・電車・路面電車に乗る際、いつも100円玉を沢山用意し、最低限千円札を二枚は持っていないと安心できませんでした。
そして、油断していました。
最終日、仁淀川に行く際に高知駅で荷物をコインロッカーに預けるさい、600円の支払いに100円玉が足りなくて、両替機もなし、仕方なく開いていたコンビニで買い物してました。
ちなみに、仁淀川の最寄りJR「いの町」駅にはロッカーがないのは、事前にチェックして解っていました。
数年前、四・五年前に中国のキャッシレス社会をTV報道で見ていて、こんな社会だと、実際に自分の財布から現金がでていかないので、浪費する社会になると思っていましたが、南国・四国・高知の人々からみると、都会人の生活も、あの時の中国社会を思い起こせるかも知れません。

高齢者と云えどもクレジットカードがないと何も契約出来ない

今や、クレジットカードは一種の身分証明書となってます。
特に、ネット・web上では本人証明となり、後述するマイナンバーカードともに必要になっています。
映画やホテルの予約・支払いに必要なだけでなく、これからのシニア生活には、必須のアイテムであることは、まだ知れ渡っていないようです。
それは、ネット上の買い物、別にアマゾンでの買い物だけでなく、これから急速に増えていくことが予想される、スーパーマーケットで買い物・配達にはクレジットカード決済が必須となるのです。
先日見たテレビ報道は衝撃でした
全国買い物難民マップです。
関東では東京・埼玉・千葉に赤い印が集中しているのです。
買い物難民は、都会から離れた山間部や、地方都市のことだと思っていましたが、地図の赤いマークは関東首都圏に集中しているのです。
実はこの位置、住宅公団の開発した団地でした。
住民の高齢化、若い住民は出でいき、バス便も少なくなり、今までやっていたスーパーは閉鎖されていったのです。
地方から見れば、それでも2kmもいけば大型スーパーがあるではないかと思われるでしょうが、高齢の一人暮らし、車もなく、エレベーターのない5階建て、とても2km、30分歩いてスーパーに行けなくなってきているのです。
そこで、番組では遠くの大型スーパーのネットての注文・配達サービスを推奨しています。
それには、クレジットカードが必須なのです。
今や、町中のファーストフードチェーンの中には、現金お断りのお店まで出来ています。
大船の駅前の昔から立ち食いで有名な「富士そば」の入り口に今では当たり前のように券売機がおいてあります。
しかし、ここで毎日起きているトラブルは、高齢者の男性が、お札を持って買おうとても、お札をいれる場所が見当たらず、店内の店員と争う姿です。
この店外の券売機は現金が使えないのです。
今、このようなファストフード・レストランはどんどんとキャシュレス化しています。
キャシュレスすることにより、かなりの人件費の削減になるのは目に見えているからです。
クレカを持たないお年寄り、シニアは外で飯も食えない世の中になってくるのです。

最後にマイナカード保険証について

私は原則賛成です。
特に75歳以上の後期高齢者にとってはプラス要因です。
それは、あの大きな「後期高齢者健康保険証」を持たずに済むからです。
75歳になって届いた保険証をみてびっくりしました。
なんでこんな大きな保険証に、いままでの保険証のようにカード型の、財布やカード入れに入る大きさで出来なかったのか。
そして、今月、ようやく私が行くクリニック、かかりつけ医療機関全てに、マイナカード保険証リーダーが設置されました。
このまち中の診療所への普及が遅れたのは、データ通信幹専用線の請負がNTT一社で工事が間に合わないのと、工事費が一般回線に比べて異常に高いせいで、小さなお医者さんが嫌がっていたからでしょう。
そして、最後になるかも知れないと思っていました掛かり付けの「皮膚科」の先生はご自身の高齢化もあり、廃業されました。
次に行こうと思う皮膚科は自宅目の前にある女医の「皮膚科」です。ここは若く、鎌倉医師会にも入っているのでも当然マイナ保険証には対応しているてしょう。

いつも、社会の最先端とともに生きてきたと自負していましたが・・・
髪の毛は別として、着るものも、興味を示すものも、お歳とは思えない、若いと云われてきていますが・・・
だんだん、付いていけないものが増えていくように感じ始めています。


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