• もっと見る

2022年09月29日

旅の目的地はアニメ「竜とそばかすの姫」の世界

秋の旅行計画は念願の高知・徳島

先週金曜日の日テレ金曜ロードショーで念願の「竜とそばかすの姫」の再放送を見ました。
本来なら2週間前の放送だったのが、エリザベス女王の亡くなったニュースで、23日に延期されていたのです。
昨年、この細田守監督のアニメを映画館でみていらい、一度はあきらめていた、高知旅行を再び計画していたのです。

関東から、一番行き辛いのが、四国の高知なのです。

理由は
1,交通の便、突き詰めると飛行機しかない選択しがないこと
2,年間降水量が日本で二番目と、多く、台風、お天気に不安が多いこと
3,四国内の鉄道網も少なく、高いこと

それでも、関東からの足の便は確保しています。
長年の海外旅行で貯めた「ユナイテッドのマイル」をこの高知旅行の為に温存しておいたのです。
実は、数年前の春の桜季節にマイルを使って行くことにして、ANAの予約をし、ホテルを抑えていたのですが、直前に調べた天気は3日間ともに雨で、止むなくあきらめ、ホテルはキャンセルチャージ無料期間でゼロ、しかしUA経由のマイルを使ってのANAのキャンセルチャージは二人で300ドルということで、そのままにしてマイルを放棄したことがあります。

春の高知はなかなか難しい、夏・秋はもっと難しい台風の季節、データを調べると11月半ばなら、天気は安定し、雨も少なくそうです。
そこで、後期高齢者となる前に、かつての海外旅行で貯めたマイルを全て、UAの国内二人一回分と、デルタの国内一回分を、来年3月の後期高齢者となる誕生日前に使い切ろうと云う、一種の断捨離・終活旅行です。


一日目の予定は 高知市内観光
11月20日(日)
大船06:21⇒06:37横浜06:46⇒07:14羽田空港 JR・京急  @672
ANA561便  07:55⇒09:20KCZ
高知空港・はりまや橋 バス @740
ホテルに荷物預け 市内周遊バス一日券 @1,000
桂浜・高知城・日曜市 等 高知城入場料 @420
一日目交通費 @2,832 二人 5,670円
昼食、夕食、喫茶 7,000円
宿泊 高知パシフックホテル 
一日目 費用 交通費5,670円 食事他 7,000円 ホテル2泊分 30,000円 計42,670円

 


二日目の予定は 徳島県へ 奥祖谷かかしの里 
JR 岡山行き南風6号 高知08:01発 →大歩危 08:49着  @2,500円
四国バス 大歩危駅前 08:58⇒久保10:06  @1,290円
三好市民バス 久保10:08⇒名頃10:33  @230円
奥祖谷 カカシ村 滞在1時間
名頃11:25⇒久保11:50 @230円

四国バス 久保12:24⇒かずら橋前13:10 @900円
滞在2時間 か ずら橋 入場料 @550円
かずら橋前15:10⇒大歩危駅前15:34 @670円
JR 高知行き南風13号 大歩危15:41発 →高知 16:39着 @2,500円 
二日目交通費 @8,870 二人17,740 
朝食、昼食、夕食、喫茶等 概算25,000

 


三日目 アニメ「竜とそばかすの姫」舞台、いの町へ
JR高知 08:24⇒08:50 JR伊野  @200
名越屋沈下橋へ
JR伊野駅より高知県交通バスで15分、西の谷第二下車
伊野09:02⇒09:19西の谷第二   @550
観光滞在30分

にこ淵へ
西の谷第二09:50⇒10:25土居 @1.100
土居下車 徒歩俣野入り口から 徒歩20分 にこ淵 
滞在20分、土居へ徒歩30分
土居12:56⇒JR伊野13:49  @1.600
買い物・滞在50分
JR伊野14:36⇒高知14:55 @200

 


ホテルの荷物引き上げ・買い物 帰路 高知空港へ
高知16:50⇒空港17:10 @740  
ANA570 18:05⇒HND19:30
羽田⇒横浜⇒大船自宅 予定 20:40 @672
三日目交通費
交通費@5,000 二人10,000円
食事・喫茶 8,000円

この旅費用合計 86,000に+アルファお土産、雑費 8,000=95,000円
目標 二泊三日、二人で10万円以内・・・何とかなるでしょう。
後はお天気です。次第と考えていたのですが・・・

新たに發生してきたのが、「全国旅行割」「全国旅行支援」です。

今計画中のフライトとホテルを旅行代理店に依頼すると、二人で70,000円になります。(参考楽天トラベルの値段)
しかし、楽天トラベルがネット経由のプイべートオーダーで、全国割を適応出来るとしたらと計算してみました。

70,000円から一泊8,000円人✗2泊=16,000 二人分32,000円が割引になり、支払いは38,000円
新た地域クーポン一人、3,000円2日分=6,000円の二人分=12,000円が付いてきます。
この12,000円は食事代と、二日目の高知からの特2,000は急列車に充当できるはずです。
ここは、自分のマイルを使わずに、「全国旅行割」を使ったほうが、お得ではないかと計算しています。
旅行代理店を利用した場合
旅行費用支払い38,000+(個人予定予算86,000-ホテル代30,000-徳島往復特急料金分-10,000)=84,000わずかですが、2,000円ほどお得になりそう・・・もう一度計算すると、自宅・空港間の電車代がちょうど2,000円なので差し引き、ゼロです。

問題はお天気ですが、何れにしても飛行機のため早めの予約が必要となりそうです。
ここは、楽天トラベルが全国旅行割になった場合は使ったほうが、国内旅行マイル一回分がお得ということになりそうです。
まずは、今月半ばまで静観して待ってから決めましょう。

ブログ管理人のホームページ団塊世代の海外ロングステイ 関連情報がメイン
  
ブログ管理人のwebサイト2011から2019年過去のブログ・アーカイブ

定年後の過ごし方サイト読者からの投稿・体験記事ページ

ブログ管理人の動画サイトユーチューブページ

ブログ管理人のつぶやきツイッター
posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年09月27日

明治・大正・昭和・平成の4つの時代を体験できる 大都市川越へ



巾着田から川越へ

9月21日、お彼岸の中日に彼岸花・曼珠沙華の日本一の群生地、日高市の巾着田を訪ねた後、八高線高麗川駅からJR川越線に乗換、川越に向かいました。

巾着田前バス停からの乗車の路線バスは、3年ぶり巾着田公園の開放と前日までの台風14号の雨が上がり、大勢の観光客で車で押し寄せた影響で、駐車場は満員入れなかった車の車列が国道まではみ出し、大渋滞が発生し、バスは大幅に遅れ、予定していた一時間に2本のJR川越線の電車に間に合わず、高麗川駅で30分待たされました。

やはり、埼玉県の奥深く、電車の本数も少ないと・・・嘆いていのに、川越駅に到着してびっくりです。

川越は大都会、駅が4つもある

東京首都圏、特に関東南部、西部方面、東海道沿線・湘南に住む人間からすると、埼玉・千葉とは縁遠いといっても、埼玉なら、浦和・大宮・所沢。
千葉なら、船橋・津田沼・千葉市などは、割りと身近な場所で仕事を通じて馴染みがあり、そう遠い、知らない土地というイメージは以前よりはありませんが川越となると、神奈川・湘南に住む人間の半数以上は、川越の正確な場所、電車での行き方を知らないと思います。

小江戸・蔵の街というメージで、行楽、観光地としてのイメージがあり、東京都内ないから、はるばる観光モードで行く遠い場所、駅前に観光案内所があって、タクシー、バスターミナルがある、地方都市というイメージがあるかと思いますが、全く違います。
大都市です、私の住む鎌倉・大船からみたら大都会です。
そして、以前よりおぼろげに知っていましたが、この埼玉の奥の川越の中心には、何と4つの駅があるのです。

JR東日本の大宮と八高線の高麗川を結ぶ川越線の駅「JR川越」
西武新宿・所沢・川越を結ぶ西武新宿線の「本川越」
池袋・寄居を結ぶ東武東上線に「川越」と「川越市」の二駅 があります。
JRの場合、大宮・川越間は23分 330円 東京からだと1時間10分 858円です。
西武の場合、西武新宿・本川越 各駅66分 503円
東武の場合、池袋・川越 急行33分 556円です。


これをJRしか走っていない、私の住む大船と比べると 東京・大船 46分 814円
つまり、川越は馴染みがないけど、湘南、横浜よりも便利で、安く、大都会だということかのです。

小江戸・川越の観光

川越が「小江戸」と呼ばれるのは、江戸時代に徳川将軍家や江戸と関わりが深かったからです。
初代将軍・徳川家康と2代・秀忠は鷹狩りで川越に出遊した記録があります。

また、川越藩は初代藩主を酒井重忠が務めたほか、松平信綱や柳沢吉保など大老や老中など幕政を担う重臣が藩主を務めています。
遡れば1457(長禄元)年、太田道灌(資長)と父の道真(資清)が古河公方への備えとして築いたのが、河越城(中世では河越城と表記)。
河越城は川越街道で江戸とを結んで防衛線を形成しており、中世の川越は江戸を凌ぐ大都市でした。
現代で都心から30分で、江戸の情緒を今に残し、明治・大正・昭和・平成の4つの時代を体験できるまちとしてインパウド人気もあり、賑わっています。

 


川越にはおよそ18年前に来た苦い思い出があります。
退職して鎌倉に越し、地元の写真倶楽部に入りました。
私の一眼レフはミノルタで、当然ながらレンズも全てミノルタ。しかしこの頃から一眼レフはデジタル化が進み始めており、ニコン・キャノンの高級デジ一眼が発売されていくなか、少数派のミノルタは、ひたすら発売を心待ちしていました。
やがて、ミノルタアルファデジ一眼が発売され、当時本体価格23万円でした。今ならかなり熟考したでしょうが、念願の一眼デジとして飛びつき、始めてのテスト撮影は、大船フラワーセンターで試し、次にここ、川越観光に持って来たのですが・・・
慣れない、レンズ交換の際に、30センチほど下のコンクリート道路に落としてしまったのです。
シャッターが切れなくなり、かなり凹んだ気持ちで、コンバクトデジカメで撮影した、思い出の地なのです。

川越観光のメインは菓子屋横丁

古い町並み、蔵の街などの日本の観光のモデルとなっている川越の街並みですが、蔵造りの街並み通りは、交通量が多いのが最大の難点です。
出来れば歩行者専用にしたいのでしょうが、この県道川越・栗橋線は市内を南北に結ぶメイン通りのため、難しいようです。

しかし、観光客の多くはこの道路を走る車との接触の危険を感じているでしょう。
最近の観光地は同じですが、若い観客の食べ歩きがひとつのトレンドになっており、川越では
「さつまいもスイーツ」です。
川越にサツマイモのイメージが定着したのは、寛政時代(18世紀末)のことで、このころの江戸では焼き芋が大ブームとなっていました。
理由は、サツマイモが庶民の食べ物では、数少ない甘い食べ物であったこと、そして、とても安く手に入ったからです。
このブームの中、川越産のサツマイモは「本場物」として江戸では大人気でした。
江戸まで約30キロメートルという地理的条件や新河岸川の舟運を利用できたことも大きな理由です。かさばる上に重たいサツマイモの運搬には舟運が非常に便利でした。当時の焼き芋屋は、
「栗(九里)より(四里)うまい十三里」のキャッチコピーが作られるほど大人気でした。

今回巾着田から川越に寄った最大の理由は
私達が巾着田から川越に寄ったのも、お土産のさつもいもスイーツを買うためです。
カミさんは7月末の和歌山アドベンチャーワールドから、一ヶ月以上行楽の旅にでていない間、お友達の優雅な鎌倉婦人たちは、頻繁に出かけており、その都度何かしらのお土産を買ってくるののです。
カミさんはその都度、手作り手芸小物のお返しをしたり、或いはルミネスイーツで珍しいお菓子等をお返しにしているようです。
カミさんたち女性の間では、このような関係で成り立っており、私が巾着田に行こうと話すと、巾着田のお土産物を検索し、なにもないと分かると、川越に寄っていこう、と云い出したのです。
そして、今回は、和歌山アドベンチャーワールドの予算が8,000円あまり残っていたので、「うなぎ」を食べよう、と云うことにもなり、川越となった次第です。
川越の町の中心部の「鰻屋さん」は混んでいるのと、私の感覚したら「ものすごく高い」「観光客用値段」なのははっきりしています。
そこで、事前にネットで調べた、蔵造り通りから離れた、駅に近いお店で、「うな重2,500円」をいただいて帰路に付きました。
少し小ぶりですが、2年ぶりのうなぎ、美味しくいただいて帰路につきました


ブログ管理人のホームページ団塊世代の海外ロングステイ 関連情報がメイン
  
ブログ管理人のwebサイト2011から2019年過去のブログ・アーカイブ

定年後の過ごし方サイト読者からの投稿・体験記事ページ

ブログ管理人の動画サイトユーチューブページ

ブログ管理人のつぶやきツイッター
posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年09月25日

行きたい所リストの曼珠沙華の里「巾着田」へ



秋の彼岸のイメージ、曼珠沙華

秋のお彼岸の花のイメージというと、彼岸花、赤い曼珠沙華のイメージがあるがありますが、漢字の字面からでてくるイメージは何か暗いものがあります。
彼岸花の花言葉「情熱」は、「悲しき思い出」「情熱」「諦め」「独立」です。
不吉で悲しいイメージのある彼岸花ですが、実際には「情熱」や「独立」などのいい意味もあります。
「悲しき思い出」という花言葉は、彼岸花が墓地の近くに植えられることが多く、故人を亡くしたときの悲しみの感情から由来してつけられています。
「情熱」という花言葉は燃えるような赤色の花姿に由来したといわれています。
「諦め」「独立」という花言葉は、彼岸花がお彼岸前後に開花し「花の咲く時期には葉がなく、葉のある時期に花がない」という特徴が、死者と生者(あの世とこの世)の隔たりを連想させることに由来するといわれています。
鎌倉では、鶴岡八幡宮の外塀に添って自生しているのは、地元の写真愛好家の間で知られていますが、やはり八幡宮の内側ではなく、外側の日の差し込まない場所にひっそりというイメージが強いです。

巾着田は湘南からは遠いイメージがありますが


現役時代、四季折々の花便りには全く無縁の生活を送っていました。
春の桜、秋の紅葉は特に写真愛好家でなくとも、自然に触れ、見る風景ですが、退職して地元の写真倶楽部、ビデオクラブに入ると、季節毎、毎月の撮影素材、対象を探すようになり、9月の題材となると、自然に彼岸花「曼珠沙華」にたどり着き、曼珠沙華となると、関東ではいの一番に名前が上がるのが、「巾着田」です。
退職して写真倶楽部にはいるまで、その名は知りませんでした。
今年初めて、巾着田の詳しい場所をグーグルマップで知りました。
湘南からは結構遠いではありませんか?
飯能と川越の中間のあたり、住所は埼玉県日高市・・・?
埼玉県にお住まいの方、ゴメンナサイ。日高市ってはじめて耳にする名前の市です。
つい最近の市町村大合併で出来た新しい行政かとおもいましたら、平成3年からのようで、旧高麗村と旧高麗川が合併して誕生したようです。

巾着田ってどんなところ

まずは、湘南大船からの最短・最安・ルートを模索しました。
巾着田に最も近い駅は、西武秩父線の「高麗」でここから徒歩15分です。
プランを練っている時期は8月下旬、暑いさかりです。
早朝7時の大船発、なるべく歩くのをやめて、バスを使う。
出発地は大船、目的地は巾着田までバスがでているJR高麗川、大船を朝の7時と設定しました。

地図上のイメージとして、大船から茅ヶ崎へ出て・橋本・八王子・高麗川が距離的に最短ルートと思えました。
大船07:00・茅ヶ崎乗換から相模線、橋本横浜線乗換・八王子八高線乗換・高麗川着09:41 2時間41分 1,580円
次に、本数的に沢山でている、横浜・八王子・ルートを検索しました。
全く同じく高麗川着09:41 2時間41分 1,580円 相模線を使おうが、最終的には本数の少ない八高線の同じ電車になるのです。
そして、高麗川駅から、巾着田の1時間に一本のバスも変わり無く、どんなルートで行っても、同じ時間に着くのです。

最終的に、全てJR線はやめて、私鉄併用で高麗から歩くこと。

1時間に一本のバスに合わせると、どんなルート・手段にしても同じになります。
そこで、目的地をJR高麗川から西武秩父線高麗にしました。
07:06大船⇒08:04池袋乗換 西武池袋線急行飯能行き08:17⇒09:10飯能
乗換 西武秩父線09:17⇒高麗09:23 1,469円
目的どおり、最短・最安のコースなりました。
高麗駅より巾着田徒歩15分 巾着田ゲート到着 10時
巾着田入園料 500円  季節限定
地図上のルートでは、車なら湘南から茅ヶ崎・厚木方面を北上していくルートの正解なのでしょうが、電車・バスで行くには、如何に簡単乗換が出来て、本数が多く、待ち時間が少ないルートのほうが早く、そして安くなるのを実感しました。
但し、人口密集地、民間各社交通機関が入り組んでいる大都会ならてしょうが

巾着田まわりは、大渋滞発生中

2022年9月16日より、3年ぶりに開催した巾着田曼珠沙華祭りです。
ここ数日の台風の影響で人出は少なかったのが、お彼岸の中日、平年通りの開花と、台風14号が昨夜通過した翌日とあって、待ちに待っていた観光客が一気にここに押し寄せてきたようです。
巾着田前の国道川越・日高線の川越方面は、駐車場入口一通の為ものすごい渋滞が、高麗川駅付近までつながっておりました。
私達はこの巾着田の次に、川越を目指していたので、飯能方面からくるバスも5分おくれ、川越へ乗り継ぐバスも10分遅れとなり、結局JR高麗川駅で次の電車1時間に2本、で行くことになりました。

巾着田は何処を撮っても綺麗です。
 


今や、コンバクトデジカメもスマホもカメラの精度があがり、自動処理も進んで、同じ日、同じ天候、同じ場所でとれば、みんな美しい写真に仕上がります。
大きなレンズの一眼レフを持ってきたシニア男性も多いですが、下手すると、今のアイフォンのハイスペックには敵いません。
唯一、昔は印刷で大きな差がでたものが、いまや誰も印刷しません。
スマホに残し、SNSにあげて自己満足に浸るのですから。
巾着田の曼珠沙華を個性的に撮るには、森の中に差し込む光を如何にうまく取り込むかが、他のカメラマンの作品と差がつくことになると思います。

やっと念願の曼珠沙華の聖地、巾着田にやってこれました。
これで、私の行きたいところリストの一つはクリアしました。
だんだん、旅たち近づいてきています。

次回のブログはこの後行きました、川越の報告です。

ブログ管理人のホームページ団塊世代の海外ロングステイ 関連情報がメイン
  
ブログ管理人のwebサイト2011から2019年過去のブログ・アーカイブ

定年後の過ごし方サイト読者からの投稿・体験記事ページ

ブログ管理人の動画サイトユーチューブページ

ブログ管理人のつぶやきツイッター
posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年09月23日

泌尿器科の セカンドオピニオン

歯をもっと大切にしておけばよかったのに

最近、電車で二駅先の現役時代に住んでいた町の歯医者さんに毎週通っています。
今月は、定期的な歯垢除去の他に、歯槽膿漏の悪化にともなう左上歯茎の治療と、昔の被せ物が寿命となり、欠けてきているものの治療です。
前にブログで書いたことがありますが、雑誌「プレジデント」の特集で定年退職したシニアの皆さんに、現役時代にもっとやっておけば良かったのに、という後悔することアンケートを実施した時のトップに、「歯をもっと大切にしておけばよかった」が挙げられていました。
私も全く同感です。

忙しさにかまけて、歯の治療は痛くなってから、現場近くの歯医者さんに駆け込む生活でした。
仕事柄、早朝深夜は当たり前、そして大型建設現場担当者として、歯医者さんは、自宅や会社周辺ではなく、担当している現場周辺の医院となり、メインとなる歯医者さんはいませんでした。
辛うじて退職する7年前、新築現場担当からリニュウアル現場担当に変わり、休日は平日の水曜日となり、自宅周辺の歯医者さんに通うようになり、退職後も、この先生にのもとに通っています。
この医院のあるビルの1階に数年前から泌尿器科の医院が開業していたのですが、さほど気にしていませんでした。
先日前を通ると年配の女性が入って行くときに、チラッとなかの待合室が見え、数人の患者さんの姿が見えました。かなり繁盛しているように見受けられました。

歯医者さんで下の泌尿器の評判を聞いてみた
上の階の歯科医院へあがり、親しい受付のスタッフに、下の泌尿器の医院について聞いてみました。私が、気がつくはるか前から下で開業しているようで、聞くと50代の先生のようです。
歯医者さんのスタッフでは、評判はわからないようですが、かなり年配の女性患者が多いようです。スタッフは私に、「御用があるなら、聞いておいてみますよ」云います。

私は・・・
「いいえ、特に今すぐという訳ではなく、現在私が通っている泌尿器科は、大病院の湘南鎌倉総合病院で、主に前立腺がんマーカーの検査がメインなんですが、そちらのほうはいいんです。
気になるのは、最近とくに夜間頻尿がひどくて・・・・
ひどい時は1時間に一度、夜10時に就寝して、朝の8時に起きるまで6回という日が続いたり、2回
だけでOKの日もあったりして、原因が良くわからないんですが、如何せん、大病院の泌尿器科はシニア男性のガンに怯える患者の群れで、忙しくて、夜間頻尿・睡眠不足といった、生命に直接危険が及ぶような問題は、どうも後回しといった雰囲気が漂っていて、じっくり問診・相談はできなのが現状なんです。
私の前立腺ガン腫瘍マーカー検査(PSA)はここ10年、ずっと高値安定、この二年、四ヶ月毎の検査結果は、毎回17と同じままで、診察室に呼ばれて、30秒、「様子を見ましょう」で終わりなんです。」

カミさんは「じっくりと先生に話せないの?夜間頻尿で、朝寝不足で、疲れが残り、一時間経過しないと体調が元に戻らない・・・って、」
「湘南鎌倉の泌尿器では無理だな、外の待合室には何十人というシニアのおじさんたちが、朝7時半の採血から始まって、9時半のPSA結果を待って、10時半のドクター問診までずつと待合室で待っているのに、わたしの場合、づっと同じPSA17、高値安定、30秒でおしまい、外で待っている患者さんのことを考えると、これしきのことでドクターの時間を費やすのに、ちょっと悪い気がして、ドクターとももう十数年のお付き合いがあるし・・・」

現在の泌尿器の担当お医者さんは
自分の健康に多少どころか、かなり生活の質に問題を及ぼしている、夜間頻尿・昼間の切迫緊急尿意の問題と、前立腺肥大・ガンの問題を一人の大病院の若い先生(15年近くのお付き合いで彼もそろそろ若手ではなく、中堅クラスなのか)に2つの問題、両方を預けるのではなく、大病院・地域中核病院には前立腺がんの問題たけをお願いして、比較的、命に直接危険を及ぼさない、
しかし、QOL(Quality of Life)には大きな要素である頻尿の問題は、かかりつけ医の先生にお願いするのが、大きく云えば「世のため、社会のため、日本の医療のため」と考えるようになってきています。

実際に現在のホームドクター・かかりつけ医は湘南鎌倉出身の消化器内科(老人医療・血圧系)の女医さんで泌尿器のドクターとは元同僚で、親しい間柄ですし、このかかりつけ医で、問題がおおきかったり、高度な検査・治療が必要と思われる時、電話一本で本部大病院と連絡がとれる状態になっています。

かかりつけ医の女医さんは「泌尿器」の専門家ではありません
湘南鎌倉の元同僚の推薦する薬を処方するだけが役目のような状態になっています。
これまで、何度も、色々な薬を試しに服用してきました。
私のホームページ上の掲示板には、私と同じ団塊世代が多く集まり、同じような悩みを持ち、語り合っています。
団塊世代の仲間の何でも掲示板
ここで紹介された頻尿・過活動膀胱炎の薬を大病院の前立腺ガンがメインのドクターに聞くと、
「日本で一番服用されているお薬です、ホームドクターから処方してもらって下さい」
「次回、結果を聞かせてください。」(次回とは四ヶ月後になります)
ホームドクターに伝えると同じ言葉でした。
しかし、二回服用して、ストップし、私は薬を捨てました。

男性泌尿器には副反応がつきもの

いきなり排尿障害、おしっこが出なくなり、脂汗を流したのです。
またある時は、違う薬を推薦され、処方されました。
その薬は、ユリーフ 前立腺肥大症に伴う排尿障害改善で、これも日本国内では薬効があると評判の薬ですが、一ヶ月でこれもやめました。
副作用の「男性機能障害」が発生したのです。
この頃、まだ還暦を過ぎたばかり、どちらを取るかとなれば・・・私は「男性機能」をとりました。
しかし、72才の年齢、長い間webサポートしてきた横浜歓楽街の「赤い灯・青い灯」のお仲間のお店とは「プリンセス・ダイヤモンド号」の寄港を境に縁遠くなり、効き目があること解っているので、現在は服用しています。

手遅れかも知れないけどセカンドオピニオンを考えても
そこで、次回へ歯医者行くときに、この歯医者さんと同じビルに入っている50代の泌尿器の先生に、これまでの経過をお話して、ご意見を伺おうかと考えました。
まず、団塊世代の真面目なおじさんの典型の私は、先ずはこれまでの病歴資料作りを始めました。

病歴年表作り
私は、同じ年代の男性と較べて、子供の頃から現在に到るまで、かなりの病気・入院・手術を経験してきています。
一ヶ月以上の入院は3回、外科的手術は2回、経験していおり、輸血によるC型ウイルス感染による肝炎患者でもあり、アジア地域を旅してA型感染も経験している保菌者なのです。
他に、何回も胆石発作に近い症状で救急搬送されたりしています。

これらの病歴年表は今回の泌尿器には関係ないでしょうが、二人暮らしのこれから先を考えて、数年に一度はこれらの病歴を更新しています。
もちろん、今服用している薬についても詳細に記録をとっています。
・毎年年に一度の肺レントゲン、腹部エコーデータ(前立腺の大きさまで記録したもの)
・毎日の体重、血圧、トイレに起きた回数
・四ヶ月おきのPSA検査データー10年分
・六ヶ月ごとの血液・尿・生化学検査10年分
・胃カメラ、大腸カメラのデータ など等

全てをファイリングしてあります。

セカンドオピニオンとは

セカンドオピニオンとは、参照「東京都福祉保健局」
患者さんが納得のいく治療法を選択することができるように、治療の進行状況、次の段階の治療選択などについて、現在診療を受けている担当医とは別に、違う医療機関の医師に「第2の意見」を求めることです。
セカンドオピニオンは、担当医を替えたり、転院したり、治療を受けたりすることだと思っている方もいらっしゃいますが、そうではありません。
まず、ほかの医師に意見を聞くことがセカンドオピニオンです。
担当医から説明された診断や治療方針について、納得のいかないこともあるかもしれません。「別の治療法はないのか」と思う場合もあるでしょう。
セカンドオピニオンを受けることで、担当医の意見を別の角度からも検討することができ、もし同じ診断や治療方針が説明された場合でも、病気に対する理解が深まることもあります。
また、別の治療法が提案された場合には選択の幅が広がることで、より納得して治療に臨むことができます。
病状や進行度によっては時間的な余裕がなく、なるべく早期に治療を開始した方がよい場合もあるので、セカンドオピニオンの準備は現在の担当医に現在の病状と治療の必要性について確認するところから始まります。

まず、はじめの意見(ファーストオピニオン)を大切に
複数の医師の意見を聞き、どれを選んでよいかわからなくなってしまうことのないように、最初に求めた担当医の意見(ファーストオピニオン)を十分に理解しておくことが大切です。
ファーストオピニオンで、「自分の病状、進行度、なぜその治療法を勧めるのか」などについて理解しないまま、セカンドオピニオンを受けてもかえって混乱してしまいます。
これまでの検査結果と説明を振り返ってみましょう。
セカンドオピニオンを受けるためには、現在の担当医に、セカンドオピニオンを受けたいと考えていることを伝え、紹介状(診療情報提供書)や、血液検査や病理検査・病理診断などの記録、CTやMRIなどの画像検査結果やフィルムを準備してもらう必要があります。
現在かかっている医療機関からの資料は、セカンドオピニオンを求められる側の医師にとって、患者さんの状態を客観的に評価し、適切な助言を伝えるために非常に重要な情報です。

セカンドオピニオンを受ける医師や病院の選び方
近年、がん医療を行っている病院では「セカンドオピニオン外来」を設置しているところが増えています。
セカンドオピニオンをどこで受けるか迷う場合には、がん診療連携拠点病院の「がん相談支援センター」に問い合わせると、その地域のセカンドオピニオン外来を行っている病院や、専門領域などの情報を得ることができます。
そのようなところを積極的に活用するのもよいでしょう。このほか、例えば「手術を勧められているけれども、放射線治療を検討したい」といった、具体的な治療方法に関する希望がある場合には、がんの放射線治療を専門とする医師にセカンドオピニオンを受けるという方法もあります。
どの医療機関でセカンドオピニオンを受けるのか決まったら、その医療機関の窓口に連絡して、セカンドオピニオンを受けるために必要な手続き(受診方法、予約、費用、診察時間、必要な書類など)を確認しましょう。セカンドオピニオン外来は、基本的に公的医療保険が適用されない自費診療で、病院によって費用が異なっています。
また、セカンドオピニオンを受けるときに伝えたいこと、聞きたいことを整理し、自分の病気の経過と質問事項をメモしてから行くと、限られた時間を有効に使えます。
できるだけひとりではなく信頼できる人に同行してもらうとよいでしょう。
その際に、セカンドオピニオンの目的やこれまでの担当医の説明内容について、もう一度確認しておきましょう。

セカンドオピニオンを受けた後
セカンドオピニオンを受けたら、別の医師の意見を聞くことによって、あなたの病気や治療方針についての考えが変化したかどうか、もう一度現在の担当医に報告した上で、これからの治療法について再度相談しましょう。
セカンドオピニオンに対する担当医の意見を聞くことで、治療への理解がより深まり、納得する治療を選択することができるようになります。
 また、セカンドオピニオンの結果、セカンドオピニオン先の病院で治療を受けることになった場合には、あらためてこれまでの治療内容や経過などを紹介状などで引き継ぐのが一般的です。
治療はセカンドオピニオン先の病院で行い、紹介元医療機関では治療後の経過観察を行う場合もあります。そのため、紹介元の担当医はあなたの治療を支援してくれる、
身近な医療者の1人であることに変わりありません。
セカンドオピニオンは自分らしく納得できる選択をするために大変有用な仕組みです。



さて、連休明け、歯医者に寄った時、この泌尿器の先生の評判を聞いてみようかな。

ブログ管理人のホームページ団塊世代の海外ロングステイ 関連情報がメイン
  
ブログ管理人のwebサイト2011から2019年過去のブログ・アーカイブ

定年後の過ごし方サイト読者からの投稿・体験記事ページ

ブログ管理人の動画サイトユーチューブページ

ブログ管理人のつぶやきツイッター
posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年09月21日

通勤電車内でスマホで「ニーサ」の記事を読む若い女性

令和の通勤電車内は現役時代とは様変わり

現役を退職してほぼ20年になります。
住まいは、東海道線・横須賀線・根岸線・湘南新宿・上野東京ラインのターミナル駅ですから、用事で出かける時は、週に一度は首都圏と繋がっている電車に乗っています。
と、云っても首都圏のターミナル駅、東京・渋谷・新宿の都心に行くことはめっきりと減り、横浜でさえ、「出かけるか!」とい気分です。
普段週一、月一に乗車するのは、歯医者通いの為の横須賀線上り二駅の東戸塚と、映画館通いの為の東海線下り二駅の辻堂です。
退職し、地元にコミュニティの生活になれると、なかなか世間の乗り物、電車になる機会は減っていきます。
私のように、自動車運転免許ほ早々と手放した人は、他に移動手段がないので、頻繁に電車という世間・社会と触れ合い・接触がありますが、主に移動手段は自宅からの自家用車(古い言い方かな)に頼る地方で生活する人は、なかなか、電車という世間にふれることは、年に数回かもしれません。
実際に、実家の兄(77才)に聞くと、もう何年も電車に乗ったことはないと云います。
電車に乗るとすれば、長野新幹線で地元倶楽部の親睦旅行で行くときぐらい、他の在来線や、私鉄長野電鉄といったらもう何十年も乗ったことがないと云います。
このブログ記事を書くために、「昭和の通勤電車」と検索してでてきたのが、ここで使っている写真ですが、「昭和の」とタグをつけなくても、平成・令和の東海道の朝の通販時間帯・・・地方の方は驚くかも知れませんが、大船駅では通勤ラッシュは6時半から、この「昭和の」うたった写真に似たりよったりなのです。

小田原から新幹線のこだまに乗る最大の理由は

私が、関西方面に旅する時、小田原から新幹線に乗るのは、このラッシュの混雑を避けるた為です。
普通に考えれば、大船から関西方面・京都、大阪でしたら、新横浜からのぞみでいけば、時間はほぼ半分になるのですが、旅する日の朝、二人でスーツケースを持って、7時台の上りの通勤電車に乗り、横浜・東神奈川で乗り換え、横浜線で「新横浜」までいかねばなりません。
帰りにしても新横浜から大船は、帰宅時間帯のラッシュになります。
私は、現役時代横須賀線しか停車しない駅前でしたから、成田空港行きの通勤電車に大きなスーツケースを幾つも抱えて乗り込んでくる海外へ向かう家族の姿に顔をしかめていました。
こんな時間帯にのるなよ!、大きなスーツケースを持つなら、「成田エキスプレス」にしろよ、と心のなかで毒ついていました。
てすから、私達は、西に向かう新幹線は、いつも通勤ラッシュと反対方向の小田原から乗ることにしています。
それも、安い各駅停車の「こだま」です。
私達、貧乏、年金シニアにとって、「早い」と「安い」の選択は、勿論決まっています。「安い」です・・・
が、最近、72才を過ぎて、しかもコロナ禍を経験し、後何年と考えるようになると、その信念もやや揺らいできています。
目的地が名古屋から先なら、「ひかり」にしようかと。
鼻から「のぞみ」は考えていませんが・・・

私の通勤時代の電車のなかは、図書館だった。

私の場合、大型建設現場の現場監督ですから、朝の職員・作業員のラジオ体操と朝礼と安全に関する指示は必須です。
退職最後まで担当していた内幸町の30数階建ての中高層ビル現場の8時の朝礼に間に合うためには、自宅を6時15分に出なくてなりませんでした。
地方に住む方でしたら、その時間なら、電車の空席がありゆっくりと通勤出来たのでは、と思う方が多いとおもいますが、とんでもない・・・私の定位置、進行方向、左側(ドアの開閉が少ない)のよりかかって、新聞を折りたたみながら読めるスペースを確保出来るか、どうかギリギリの時間でした。
通勤時間は駅から・東京駅まで40分、本当は新橋が現場に一番近い下車駅なのを、東京駅まで定期を買い、東京駅から日比谷野音前の現場まで、20数分、朝のウォーキングでダイエットと、退職後の筋力アップを兼ねて皇居前から日比谷公園を突っ切って、毎日歩いていました。
読む本は、旅の本ばかりでした。
昔はよく読んでいたたいのは、「地球の歩き方」でしたが、この退職間際に読んでいていたのは、同じ世代の旅行作家「下川裕治」のアジアもの、『アジアの安宿ー 僕はこんな宿に泊まってきた』とか『アジアほどほど旅行』・『アジア迷走紀行』など片っ端から読んで、はやく、リタイヤの来る日を待ち望んでいました。

ここ10数年の通勤電車車内は様変わりです。

私の知り合いの高齢女性はこの車内の風景をこう表現しました。
「みんな、電車車内で一斉にお経を呼んでいる。」
たしかに云われてみれば、通勤車内では会話する人はなく、手にかざしたものに目をそそいで、じっと静かにしています。
空いている時間帯の車内に座っている人の8割は、先ず間違いなくスマホをかざしています。
時々、失礼を承知で何をみているかとチラ見すると、多いのは「ニュース」「ゲーム」「ファションサイト」そして最近一番多いのは「縦スクロール漫画」でした。
もう誰も、雑誌の「ビックコミック」も「ジャンプ」も広げて見ていません。
そんな時、ドア横の若い女性が見ているスマホの図面が目に入りました。
若い女性、多分25〜7,8才でといった雰囲気の昔の言葉で云うと「OL風」・・・今なんて呼ぶのが正解なのか?
ネット上では
総合職として一所懸命に働いているのに、OLと呼ばれると、「女であるが故に難しい仕事をしていない」と思われている気がします。
もちろん、私を「OL」と呼ぶ人は、そんなこと深く考えていない、差別しているわけではない、と思っています。
それでは、何と呼べばいいのか、「キャリアウーマン」はもっと嫌、「女性社員」は女性をわざわざつける必要ないし、私として、そのまま「〇〇さん」でいいのではと・・・

彼女見ていたスマホ画面はNISAについてでした。

私達が彼女と同じ年齢の頃、電車車内では新聞の野球結果や、「ビックコミックのゴルゴ13」なのに、あの年齢、そして女性で将来の為に「NISA」を見ている。
もう一度彼女のスマホを覗き見すると、彼女はスマホ画面をピンチアウトして読んでいます。
内容は・・・
「NISAのロールオーバーとは、わかりやすく言うと「非課税期間が終わる商品を、引き続き非課税で保有し続けること」です。 ロールオーバーすることで、投資で得た利益を引き続き非課税で運用し続けることが可能です。」

どうやら本気で、将来の自分人生に備えて投資を考えているようです。
確かに、彼女の年頃では、現在の日本の年金制度では宛に出来ないと考えていても何ら不思議ではありません。
私達の世代では当たり前だった、今、給与はそこそこだけど、勤務年数、役職に応じて、自動的に給与は上がっていく・・・はもう幻のようです。
私達の現役の頃、一般的な日本の一流企業社員の年収は年齢の20倍が常識でした。
退職直前の年収1,000〜1,200万、退職金は2,000〜3,000万が一流企業のボーダーだった頃の話しです。
勿論、一流企業といっても格差は激しく、私が退職した2003年頃、上位からメデイア・金融・商社など、どちらかという製造・機械・電機は下のほうでしたが、この年収イコール年齢×20万は当てはまっていたと思います。

しかし、今の若い世代はどうなんでしょう。

現在の公的年金制度のもとでは、政府が運営する年金は最低限のものであるから、持てるものは自分の責任で上積みして備えなさい、と云っているようです。
それでは一体、日本の平均的な40代の給与水準はどのくらいなのか?
私達には子供もいないし、甥っ子の上もう50代ですが、いったいどのくらい稼いでいるのか全くしらないので、ネットで検索してみました。
おそらく、この数字は当たっていると思います。
日本の主要企業の上位の企業は、私達の時代と同じく年齢×20万なのでしょう。
でも、データを見ると、運送・サービス、生活関連となると、企業規模も小さくなりかなり上位よりも少なくなってます。
この差は昔も今も変わっていないと思いますが、ベースとなる賃金が私がリタイヤした20年前と同じ・・・と云うことは、日本の失われた10年以上ののハンデイ、安倍政権以来の経済低迷、近隣各国との差がどんどんと広がってきているのでしょう。
通勤電車内で若い女性が、将来の自分の老後の年金を心配しながら、スマホの投資術を読む姿は決して美しくはありません。
あの20代後半の女性には、ファッション誌、旅行雑誌を読んでいて欲しいものです。

NHK特集 “中流危機”を越えて 「第1回 企業依存を抜け出せるか」


この電車内で「NISA記事」を読んでいる女性の姿をみた翌週、衝撃的というか、ある程度予想はされていた、現代のサラリーマンの置かれている経済状況を知ることになりました。

9月18日 NHKスペシャル 引用
かつて一億総中流と呼ばれた日本で、豊かさを体現した所得中間層がいま、危機に立たされている。世帯所得の中央値は、この25年で約130万円減少。その大きな要因が“企業依存システム”、社員の生涯を企業が丸抱えする雇用慣行の限界だった。
技術革新が進む世界の潮流に遅れ、稼げない企業・下がる所得・消費の減少、という悪循環から脱却できずにいる。厳しさを増す中流の実態に迫り、解決策を模索する2回シリーズ。


中流中間層の所得、平均値ではなく実質的なセンター値(超高額所得者や低所得者を除外した値)1994年、バブル景気が崩壊した3年後と、四半世紀25年後の中央値は26%(1/4)も下がっているのです。この25年間の欧米・アジアの国の所得の上昇を比べるもなく、日本だけが全く賃金は上昇せず、日本のサラリーマン中間層の所得下がり続けており、あの電車内で「NISA」をみている女性のように、企業の給与だけを宛にしていては、自分たちの豊かな生活は望めない時代となっているのです。

この通勤時間帯私はプライオリティシートには近づかない

この通勤時間帯に電車に乗る機会は少ないのですが、どうしても混雑した上り電車に乗る時は、あえて、「優先席」付近には乗車しません。
まだ、私は若い、年寄りと思われたくないという意識は同然あります。
それよりも、これらの優先席近くに立ち、座っている人と目を合わせたくないのです。
「別に、俺は席を譲って欲しいと言ってるわけではない」
「僕は君たちが思うほどの年寄ではない、却って元気かもしれない」
つまり、人に余計な心配、お節介をかけたくないので、この付近には近寄らないことにしています。そして、来年75才(後期高齢者)になったら、堂々とこの席に足を組んで座ろうと考えています。


ブログ管理人のホームページ団塊世代の海外ロングステイ 関連情報がメイン
  
ブログ管理人のwebサイト2011から2019年過去のブログ・アーカイブ

定年後の過ごし方サイト読者からの投稿・体験記事ページ
posted by 西沢 at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年09月19日

敬老の日 デジタル弱者への配慮も必要

シルバーウィークも退職世代には関係なし

本日、2022年の敬老の日は9月19日(月)ですが、以前は9月15日でした。
2001年の法改正によりハッピーマンデー制度が導入され、2003年から9月の第3月曜日に変更されたためです。

元々は、兵庫県の小さな村の提案が発祥のようでさだかではありません、日本の祝祭日の多くのような、中国や日本の歴史に由来するものではありません。
ゴールデンウィークの秋バージョンとされ「シルバーウィーク」とも呼ばれる、9月の連休ですが、現役時代は、12月に会社に届けられる、翌年のカレンダーの連休日を確かめ、海外旅行先を検討するのが常でしたが、退職後は、文字通り「毎日サンデー」ですから、却って連休の多いカレンダーは敬遠気味です。

カミさんはまた何か応募したいよう
日曜の朝、カミさんが朝刊の新聞を持ってきて、このキューピーの新聞広告に応募したいのだけど、私にスマホを渡しました。
「血圧高めの方へ、機能性表示食品のお試しキャンペーン」のようです。
カミさんは、けっこう、この手の応募が好きで常に10枚ぐらいの官製はがきを常備しているくらいです。
不思議に、子供の頃から姉妹三人はこれらの懸賞応募に当選している家系のようで、我が家のカミさんも無料旅行券送られてきたことがあります。
どれどれと手渡された新聞記事をみると、アクセス先はQRコードのみで、カミさん5年近くスマホを使っていますが、QRコードは初めてのようです。

カミさんのスマホでQRコード撮影し、タップしてもURLは開きません。

60才以上向けの「かんたんスマホ」では、QRコードアプリはインストールされていないのです。
私のスマホもカミさんと同じ機種・型番ですが、わたしの場合は事前に「かんたんスマホ」というものを講座の生徒さんから聞いていました。
web講座参加の生徒さんは、
「先生のようなパソコンハードユーザーは”カンタンスマホ”はやめたほうが良いです」
「ちょっとした簡単な設定も出来ないようになっており、いちいちショツプに持ち込まないと、使い物になりません」
「パソコンのディレクトリー構造が分かっているレベルの人からみると、アンドロイドは底なし沼のよで、なかなか目的にたどり着けません」
でもと私、
「カミさんと同じ機種、設定レベルのものでないと、これから先大変だから、仕方なしら使うよ」と諦めた経験があります。

私のスマホでQRコードを読み込み、URLを開いてみると、
キューピーの製品CMのページが延々と続き、応募のページにたどりつくまで、何回もタップしました。やはり・・・応募要項は全て、CGIプロクラムによるフォームでした。
カミさんにこの画面を見せて、「これら全てにスマホで入力して送ればいいんだけど、出来る?」と聞くまでもなく、こんなんじゃ応募しないと云います。
確かに、「血圧高め」「機能性表示食品」に興味のある高齢者シニアにとってハードルが高いのは分かります。
いったい、キューピーの営業・広告戦略は、どんな人、年齢層、性別をターゲットとしてこんな、広告を出したのでしょうか?
唯一の連絡先は「お客様相談室」のフリーダイヤルのみが、広告欄に表示されていました。
これらの広告を代理店に発注し、承認した担当者は少なくとも還暦前のスマホで何でも出来ると信じている世代の男性でしょう。



私の身近にも同様の問題・課題があります。
サポートしている自然環境保護団体NPOのホームページ作成会議で、ボランティア募集の記事を常設で掲載しようとの提案がありました。
現在、サイトでは「お問い合わせ」アイコンから入ると、パソコンでもスマホでも、ご自身のメールソフトが立ち上がるようになっています。
結局はバソコンでも、スマホもで宛先以外の項目は自分で入力しなくていけません。

そこをなるべく入力の手間を省けるように、リンク表示はQRコード画像にして、誘導するボランティア参加申し込みフォーム上で、入力する手間を省く為にラシオボタン式、チェックボタン式にしようという案が浮かびあがりました。
その会議の席で、休日の森林ボランティアに応募するのはどんな人、年齢・性別はどうなんだろう、子供づれがいるかもしれない。
など対象となるターゲット層についての話しがでました。
この会議に参加していた、30代の女性に聞くと、やはり、常用しているのはスマホであり、QRコードに何の違和感もないけど、フオームにいちいちスマホの画面に入力するのは大変だと云います。

では、ハガキや電話による問い合わせ、応募について尋ねると、ひとつの大きなイベントの参加者募集では、紙レベルの申込みの処理は大変だけど、私達の規模、・方向性の団体では、デジタルだけ一本に絞るのは不味い、電話・FAX・メール・ネットフォーム、或いは直接事務所に来る人、どんなにでも対応する組織・システムでなくてはならないので、特にボランティア参加募集は、全ての申込み方法を列記するのが、私達NPO団体としてやるべきだ、例え、スタッフの手間が増えても・・・さすが、鎌倉の古くから市民活動団体です。

朝日新聞の投稿ページ
こんな話しをカミさんとしていると、カミさんは前日の朝日新聞の「声 オピニオン」を持ってきて、「これ読んだ?あなたみたいに、色々な団体にたいしてプログラム・パソコンのサポートをしている人は読んでおいた良いわよ」

この記事は8月28日に投稿された「時代についていく努力も必要」にたいする、読者の意見・反論です。

元々の投稿記事は高齢者の男性が中華飲食店(おそらく日高屋と推測されますが)でのタブレット注文の仕方がわからず、外国人店員(おそらくベトナムからの実習生)と口論になったという記事が元で、投稿者はシニアと云っても”時代についていく努力も必要”と述べていたものです。

投稿記事の一部を転載紹介します。

投稿者A 女性64才
この投稿を読みながら「私のことだ」と思いました。パソコンやタブレットなど機会に疎く、学ぼうとする努力もしていません。
客の立場で、店側に強い態度にでることは嫌悪感を覚えますが、店側もタブレットを使用しない場合の対応をすることが必要ではないでしょうか

投稿者B 女性72才
時代についていく努力も確かに必要なのでしょうが、思うようにできなくなるのが高齢者だと思います。
今は亡き父が80代の頃、私にいったむ言葉が思い出されます。それは「あんたもこの年になればわかる」でした。

投稿者C 女性49才
高齢の男性客が外国人店員に怒りをぶつけた話、弱い立場の人への八つ当たりはいけません。
でも、タブレットでしか注文出来ないお店は、視覚障害者にも不便かもしれません。老眼も白内障も努力だけでは治せない病気です。

投稿者D 男性42才
”時代についていく努力も必要”というが、”時代に流されない努力も必要”ではないかと思う。
近頃は「教育の電子化」が当然であるかのようであるが、電子化をうたう人たちの利便性ばかりにを強調している。
私自身、勉強するする時は、何度も同じことをノートに書いてそれでやっと少しわかった気になった。タブレットで勉強したら理解度が増すとは、到底思えない。自分の体験をもとに時代に逆行する努力を続けたい



高齢者の「理解し、実行する力」の衰え

これらの投稿を読んで、思いおこすことが多々あります。
私が60代後半の頃、Webプログラム講座に82才の男性が参加されました。
目的は、自分がこれまで培ったきた、英語力とフラッシュアニメーションの作品を融合させて、ホームページを造り、同時にユーチューブにも掲載したい、との申し出で、NPOセンター講座ではなく、自分高齢者で参加している他の団体の皆さんに迷惑がかかるといけないので、個人授業としてお願いしたいとの申し出で、普段は絶対にしない、夜間2時間教室として、教えてた経験があります。

この方が造った「フラッシュアニメーション」はこんな高齢の男性が造ったとは思えない、繊細な色使いときめ細かい動きで関心しました。
しかし、二三ヶ月後頃になると、夜の一対一の授業についていく体力以前の問題、その場では理解出来るのですが、30分もすると、今、理解して実行できたプログラムを書けないどころか、どの部分をコピーし、何処に貼り付ければいいのか分からないというのです。
それをこの男性は、「先生、本当に自分自身が情けなくなります」といいながら、時に涙するのです。
この男性は82才、理系の大学を出ており、英語を生業として仕事をしていたそうです。
私も、いつかこの男性や、投稿者投稿者Bさんのように、「あんたもこの年になればわかる」がやってくるかも知れません。この方は、自分でも情けないと云った言葉を残した後、半年でおなくなりになりました。
私達夫婦と同じ、子供のいないご夫妻でした。

ブログ管理人のホームページ団塊世代の海外ロングステイ 関連情報がメイン
  
ブログ管理人のwebサイト2011から2019年過去のブログ・アーカイブ

定年後の過ごし方サイト読者からの投稿・体験記事ページ

ブログ管理人の動画サイトユーチューブページ

ブログ管理人のつぶやきツイッター
posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年09月17日

電通鬼の十則、コンサルという都合のよい裏金、袖の下

コンサルという都合の良い言葉

東京五輪2020に関する、電通元社員による収賄、汚職捜査が連日報道されており、そして頻繁にでてくる単語が「コンサルタント」。
英語「consultant」は日本語訳は「顧問」ですが、私達現役時代の現業、建設業の世界で「コンサルタント」といえば、イコール実態のない「アドバイス」「口利き」「手数料」「謝礼金」「裏金」なかなか大っぴらに表にでないものに対しての体裁的言葉なのは、みんな知って使っていました。
私達、建設業やモノづくりの製造業では、実態のあるものを作り、その価値にたいして、利益を上げていましたが、商社・金融・不動産・広告代理店などの業界では実体のないものを扱い、手数料・口利き料で上前をハネる、私達のような物造りの実業にからは虚業と見られているフシもありました。
昔は、証券屋は典型的な虚業、ブローカー的存在で、私が高校生の頃でさえも、世間では、不動産屋と証券屋には嫁にやるなと云われていました。

昔、「広告屋」は典型的な虚業と思われていました。
その中の大手「電通」には、昔から社内に営業の鉄則といわれるものがあったとメデイアは報じています。
これらがメディアに取り挙げられるようになったのは数年前の大手広告会社、電通の新入社員の高橋まつりさん=当時(24)=が過労自殺し、過労体質の元凶と非難された「鬼十則」が批判を浴びたことからです。その内容とは

電通鬼の十則
1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきではない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けて行くことで、受け身でやるものでない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは・・・
6. 周囲を引きずり回せ引きずると引きずられるのとでは、永い間に天地 のひらきができる。
7. 計画を持て長期の計画を持っていれば忍耐と工夫とそして正しい 努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚みすらない。
9. 頭は常に全回転八方に気を配って一分の隙もあってはならぬサービスはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

全く無理難題とはいいませんが・・・
しかし、私達団塊世代、高度成長期の「モーレツ社員」・「24時間戦えますか?」でさえ、この電通の社是・社訓をみると「人生、生きるということは仕事だ!」と云っているようなものです。
外に出て、仕事をし、金を稼いでこない人間は、社会の落伍者、失格者、家庭さえ維持出来ない、とでも云っているようです。
電通の新入社員が過労死で自殺するまで、この社是は社内に飾られていたそうです。
まさか、Z世代の若者は、こんな社是を掲げていた事を知っていたら、こんな会社、幾ら給与、待遇が良くても入社希望しないとおもうのですが。

退職後、鎌倉に住み、NPOセンターで広報業務の担当をするようになってから、多くの元電通マンと知り合うようになりました。
こんな、小さな組織なのに、何と多くの元電通マンやら、アドマンが多くこの湘南・鎌倉の地域に住むのか?一つには、湘南・鎌倉というある種のステイタスが、アドマンを惹きつけているのかもしれません。
こんな小さなNPO組織なのに、何と元電通マンの割合の多いことか?
鎌倉と云う地のステイタスと、退職後のNPO組織の理事という名誉職肩書が欲しいかったのでは、今は推測しています。
落選した政治家、退職した元企業人が、実体のない大学名誉教授の肩書を欲しがるのと同じです。

これらの元電通マンに共通しているのが
高学歴、全て全員が都内の有名私大卒です。が国立大卒はいません。
そして、各々個人の性格といえば・・・よく喋る、自分のことばかり、押し付けがましい・・・
全ての電通マンが同じとは思えませんが、今、検察から取り調べてを受けている「T容疑者」の顔を拝見すると、これぞ電通マンというふてぶてしさがお顔にあらわれています。
全員が駅から離れた、大手デベロッパー開発した戸建てにお住まいです。
あれだけ、会社から尻を叩かれ、部下を罵倒し、取引先協力業者を食い物し、裏リベート、コンサル料を懐にして、最後の人生の城が、鎌倉のこんな不便な戸建てなのかと、呆れています。

2020東京五輪は電通が仕切っていた。

開閉会式演出の総合統括に就任が決まったのは狂言師の野村萬斎氏だった。
「機知に富んだ式典にするため尽力していく」と意欲を口にしていたが、新型コロナウイルスの影響で大会の1年延期が決定。
野村氏や歌手の椎名林檎氏ら7人のチームは昨年12月に解散した。
大会組織委員会は「コロナ禍に伴う式典の簡素化を短期間で進めるため権限を一本化する」と解散理由を説明したが関係者によると、チーム内の意思疎通がうまくいかないこともあったという。
漏れ聞こえてくるのは、理事を中心とした電通グループ主導のやり方にあったと漏れ聞こえてくる。再編成されたメンバーも次々にやめていき、残ったのは電通の仲良しグループのみとなったようと、メデイアは報じています。

実際に容疑者の電通元役員で組織委員会の理事「T氏」はおそらくは今でも、賄賂とか、裏金とか思ってはいないでしょう。
広告業界では当然通用するコンサル費、仕切っている俺たちに払うのは当然と思っていることでしょう。

改めて、この電通の電通鬼の十則を読んでみると・・・
私達、団塊世代でも、ちょっと仕事オンリーな人生を会社が押し付けているなと感じるほどですから、今のZ世代にはかなりの抵抗があるでしょう。
そして、我が世代も振り返って考えると、これら似た考えを自分たちの子供「団塊ジュニア世代」に暗に押し付けてきたのではないか思っています。


ブログ管理人のホームページ団塊世代の海外ロングステイ 関連情報がメイン
  
ブログ管理人のwebサイト2011から2019年過去のブログ・アーカイブ

定年後の過ごし方サイト読者からの投稿・体験記事ページ

ブログ管理人の動画サイトユーチューブページ

ブログ管理人のつぶやきツイッター


posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年09月15日

日本の階層社会 本当のお金持ちとは

爺ちゃんの代からの貧乏家系と語る兼近

先週の日テレ「24時間テレビ45」のチャリティランナーを務めたお笑い芸人コンビ「EXIT兼近」のインタビューのなかで語っていた話が印象に残っていました。
「生まれ育った家庭は、爺ちゃんの代から、両親、そして自分の子供時代を通して、貧乏・底辺の家系だった」
「子供心に、社会には金持ちと普通の人と、貧乏人の階層が存在するものだと思った」
「そして、その階層にはその階層なりの生き方、暮らし方があり、無理に抜け出し、這い上がろうとすると、軋轢・トラブルが起きることを知った」
兼近は、お笑い芸人としてデビューする前に、いろいろとヤンチャをして警察のお世話になっていた。
デビューして、テレビ出演する機会が増えて、過去の経歴が取り沙汰されるようになっても、持ち前の明るさ、トーク、と素直に自分のヤンチャな経歴を認める態度で、おおごとにはならずに、現在に至っている。
現在はタワマンに住み、後輩芸人二人と同居し、十数人の後輩芸人たちが最小限のアルバイトで生活でき、芸に精進できるような環境づくりを応援しているととの番組内の報道であった。

貧乏な社会の底辺で育った子供たちは分かっている

これは、昭和の始めの時代の話ではなく、現代の平成・令和の子供たちも十分に感じている話だろう。
もしかすると、私たちが育った昭和30年代よりも、この社会階層格差は拡大し、どうしようもない厭世感があるかもしれない。

「親の経済格差⇒子の教育格差⇒連鎖する貧困」子供心にも、我が家はよその家と違った貧乏な家庭であるという事を理解していました。
昭和30年のはじめ頃、小学校の教師に云われた言葉を60年以上経った今でも覚えており、忘れられません。

小学生低学年の私は、ひざが破れたズボンの履いて登校していました。
担任の教師は「学校にくるのに、そんな破れたズボンでくるな、家でちゃんと縫ってもらえ」と云いました。
私だって小学三年生ですから、そんなひざが破れたズボンを履く、恥ずかしさは解っています。
でも、母は父親が結核療養所に長期入院し、四人の小学生を育て、家業の八百屋をやり、食べさせるたけで精一杯で、子供のズボンの繕いまで手がまわらないのは、子供心に解っていました。
私は、この時の教師を忘れません。教師として当然の注意だったのでしょう。が、あの当時、学校の教師は、担当するクラスの生徒の家庭環境、背景などを熟慮・観察するような教師教育などは受けていなかったのでしょうから。

それでも、我が四人兄弟は育ちました。
姉は何故か、小学生〜中学の六年間、成績は学年トップで生徒のリーダーとして育ち、こんな貧乏な家の子なのに、県下最高の県立女子校に進みました
姉は当初、家庭が貧乏なのを一番知っており、一日でも早く外に働きにで、家、母の手助けを考えていたと思います。
近くに住む親戚も、まだ父親が結核療養所に入っており、下には三人の小学生もいる家庭では一刻も早く、社会に出て働くべきと考えているのは、4つしたの末っ子の私にもわかりました。
学校・教師側は、この優秀な姉を断固、進学スべきと反対し、辛うじて奨学金の手続きをして、高校にすすみました。
母はその当時、親戚や当時の福祉事務所から非難されたと後から語っています。
成長したあとから、姉に話を聞くと、勿論、すぐに働きたかった。
自分はよその子供とは違うことは解っていたから・・・
そして、奨学金は無償ではなく、高校卒業から結婚するまで返済しつづけたと云います。
双子の兄は、姉ほどの成績ではなく、一人は定時制工業高、一人は県下で有名な製造企業の企業内学校に入学・就職となりました。
私が、高校を卒業する頃は、父親の長い結核療養所病棟から退院して、幾らか危機的なな貧困状態から抜け出していました。

子供ごころに貧困の格差を感じていた
それでも、中学・高校時代に、同級生の家に遊びに行くと、私の家・家族との違い、格差について思い知らされました。
商売をやっている我が家と違って玄関のある家、綺麗な畳の部屋、小さいながら庭のある家、何よりも部屋の中が綺麗に片付いていました。
普通のサラリーマンの家庭と、社会の底辺、県下一の繁華街、花柳界の裏通りの小さな八百屋との違いを感じました。

私が中学三年の時、姉は高校三年で市内での就職に挑んでいました。
これまでの成績を考えると、姉本人も望む会社、企業どこでも就職出来ると思っていたようですが、現実は違いました。
県下一の銀行がダメ、市内の信用金庫がダメ、農協県連がダメ、大手保険会社の長野支店がダメ、と連続して四社の就職試験に落ちました。
原因は想像できます。
当時の金融とか大手企業は、家庭内申書調査は当たり前でした。
我が家の場合、住んでいるのが、借家・店舗、場所は県下一の花柳街、父親は病弱の上、パチンコ通い、ろくな財産・資産もなく、生活保護寸前までいった過去歴が
あるのですから、当時とすれば、就職希望本人よりも、先ずは育った背景が重要です・・・
これは当時というよりも、現在の結婚話では取り沙汰されていることでしょう。
結局最後は、県下一才女の女子校のエリートながら、市内から電車で通う郊外の工業団地の大手メーカーの下請け会社に就職しました。
この経過を私はづっと見ており誓ったことはこの底辺の環境から、自分ひとりだけで抜け出すことでした。
早く、高校を卒業して、この生まれ育った土地から離れて、東京へ向かう。
上級教育機関は、早く海外に出るために語学系へ進む。
海外にでてしまえば、日本の親・家庭環境、財産などの詮索はないだろうから。
と15才の少年の私は決意したのです。

この決意、なぜ若干二十歳を前にして、なぜあの時代に、そう思ったのか

これまで、実の両親にも、きっかけとなった姉にも一言も話したことはありません。
話せませんでした。
そして、もう一つの理由の底辺には、団塊世代の「大きな塊」「競争社会」の人生から逃げたかったのです。
このまま、大学を卒業するときには、否応なく姉が経験した試練と同じ世代間の競争があり、それが一生ついてまわる日本社会が見越せました。
海外に出て、一人、自由に生きていこうと決めたのです。

六年後戻ってきた日本は高度成長の頂点
海外の生活から戻り専門学校で学び直し、就職したのは日本経済が高度成長へと進む建設業界でした。
大手エンジニアリング企業の現場工事部門の子会社です。
この時にはもう、なんら、生まれ育った家庭環境も関係なく、過去の職歴も問わず、今、すぐに貢献できる資格、技能、能力、そして何よりも若さを求められていたのです。
自分のこれまでの人生で一番充実した時期でした。
バブルへと進む、建設業界、担当するのは東京都内の超有名建築物件、仕事にも、報酬にも恵まれた25年間でした。
この25年間、社会格差、階層格差、教育格差は全く感じませんでした。
働く仲間は、現場の職人さんから、大手設計事務所のエリート、ゼネコン担当者、メーカー技術者など、学歴も千差万別ですが、共通しているのは、技術力といいものを作ろうと云う意識たけでした。

日本社会の階級社会構造にはじめて接するのはリタイヤ後

やがて、55才で予定していた老後資金に達した早期退職して鎌倉に移り住みました。
海外ロングステイをメインに据えて、その他の日本いる間は、地元コミュニティ、ボランティア、市民活動、NPOなどに携わるようになり、55才で初めて日本社会の持つ多様な社会階層を知りました。

NPOで知り合う多くの退職者の人々・・・
そのほとんどは、勤めていた元企業は、日本を代表するような超一流大企業、聞かずとも自然に漏れてくる大学名は、東京・一橋・慶応・早稲田・・・
年金の話で出てくる金額は、私達の年金の常識の二ヶ月に一度の金額ではなく、一ヶ月の金額と知り、びっくりです。

そして、NPO事務所にスタッフとして勤める女性にしても、高齢の女性から、働き盛りの女性に到るまで、全て大卒、それも超有名、お嬢様学校が多く生まれて初めて、白百合・フェリス・聖心卒業者にお会いしました。
ある年、スタッフ女性が三年間、夫の都合で転勤するの休職するというので転勤先を聞くと「ワシントン」と云います。
ご主人の勤務先「防衛省」で駐在武官としていかれるようで、これで三度目の駐在だそうです。
私がサポートしていた、NPOの会計担当者は「公認会計士」で、一橋で石原慎太郎と同級生だったと云います。
私のこれまでの人生では全く無縁な人々が、鎌倉という土地がらお住まいになっているです。

でも本当のお金持ちは、日本の各地の私達の側にいるのです。

カミさんは一週間に5日、女性だけのスポーツ倶楽部「カーブス」に行ってます。
大した運動をする訳でもなく、30分間マシンを使うだけです。
更衣室もシャワー室もなく、下駄箱的ロッカーだけの施設ですが、なぜか、高齢者女性の間で人気です。
その大きな理由は「きよういく」「きょうよう」です。
退職男性と同じく、子育てが終わり、亭主が退職して家にいる時間が長くなると、何か理由・目的をみつけて外出したくなるのです。
毎日、一日に一度、カーブスに行くと、話し相手、おしゃべり相手がいるのです。
そんな、仲間は自然に自分と同じ社会階層を敏感に嗅ぎ取っているようで、グループ化していくようです。

カミさんは現在2つのグループに所属しているようです。
一つは、モノづくり、手芸や手先の仕事の大好きなグループ。
もう一つは、旅行好きなグループです。
この旅行好きグループか今回のテーマの「本当のお金持ち」です。
カミさんの話に登場するのは「〇〇のママ」、「◇◇婦人」、「元バツバツ婦人」、「△△オーナー夫人」です。
私達夫婦も他人からみれば、頻繁に旅行に行っているようにみえますが、貧乏個人節約旅行ですが、ここに登場するのは皆さん、「エーそんな金額の大名旅行」というようなものを毎月行くような人々です。
そして共通しているのが、関東周辺に別荘をお持ちです。
「軽井沢」「河口湖」「那須塩原」「箱根」などなど・・・
これら御婦人に共通しているのが、ご主人が有名レストランのオーナー、ご主人が開業医、ご主人が商店街のビル持ち、自宅の敷地に駐車場10ケ持ち、全員のご主人が勤め人、サラリーマンではなく、町中の土地持ち、経営者なのです。

如何に前述の大企業のサラリーマン、会社員、勤め人であろうが、この町中の経営者おじさんの収入には敵わないのです。
一つには、経費の使い方にもあるのは確かで、ご婦人方のカーブスの月謝も、先週カミさんも誘われて参加して、北鎌倉に新規オープンした「鰻屋さん」の4,000ランチも、ほぼ経費として処理しているに間違いありません。
カミさんには、私達は夫婦は元大企業の年金に恵まれた世帯でもなく、土地持ちでも、家賃、駐車場収入がある訳でもなく、蓄えを削って細々と、寿命を生きているのを忘れないでね、と釘をさしています。


ブログ管理人のホームページ団塊世代の海外ロングステイ 関連情報がメイン
  
ブログ管理人のwebサイト2011から2019年過去のブログ・アーカイブ

定年後の過ごし方サイト読者からの投稿・体験記事ページ

ブログ管理人の動画サイトユーチューブページ

ブログ管理人のつぶやきツイッター
posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年09月13日

自分の、この先の、介護に関する問題を真剣に考えはじめた

55才で早期退職し、65才までの10年間は何も深く考えず、現役時代に夢見ていた「悠々自適」「お金の為だけには働かず」海外の「住みやすい所」に暮らすように旅することを心がけた生活を送ってきました。
とは、云っても生活の基本は日本国内・湘南鎌倉です。
60才で運転免許を更新せず、66才でパスポートの更新をやめ国内旅行に切り替え、地元鎌倉での生活、活動(NPO市民活動ボランティア)に軸足を置く生活を72才まで続けてきました。

NPOセンター広報を正式に引退してからは、以前から支援していた団体との関わり合いは全くゼロになった訳でもなく、月一程度のサポートは続いていおり、今年からは「社会福祉協議会」(略称・社協)からの紹介で、介護系団体のお手伝い(広報・IT)をするようになっています。

私たち夫婦(私74才・妻71才)の場合、既に二人の両親はなくなっており、それ以前もお互いの長男・長女が同居し介護・病院通い・葬儀まで行っていましたので、世間一般で云う「介護の苦労、心労」というものはほぼゼロの状態でした。
私自身は、NPOセンター広報担当者として、所属してする市民活動団体のなかの介護系の団体とのサポートで若干は情報・知識を得ていたものの自分自身が60代半ばで、特に真剣に分かろう、知ろうという姿勢はなかった、と今になって悔やんでいます。

現在、お手伝い・サポートしている団体は「認知症グルーブホーム」です。
以前にもNPO現役時代に「グループホーム」を運営している団体にたいして、webやポスター作成などでお付き合いしたことがありますが、「グループホーム」って老後一人暮らしでは寂しいので、親しい、仲良し組が一緒に生活する・・そんな所だと思っていました。
そうではなく、高齢者施設のひとつとして知的障害者や精神障害者、認知症高齢者などが専門スタッフの支援のもと集団で暮らす民間の介護系施設なのです。

介護系施設とは何かを知るようになった
現在、メディアに沢山いろいろな形の、高齢者施設が登場してていますが、大きく区分すると

■介護型
■住宅型 に分けられます。
もうひとつの分け方として運営母体
●公的施設
●民間施設 に分けられます。

介護型の施設に三種類あります。
1,特別養護老人ホーム (公的施設)
2,介護付き有料老人ホーム (民間施設)
3,グループホーム (民間施設)

住宅型の施設は二種類あります
1,住宅型有料老人ホーム  (民間施設)
2,サービス付高齢者向け住宅  (民間施設)

介護型と住宅型の違いは
大きな違いは、介護型施設は、施設に対して介護保険がフルに対応していることです。
対して、住宅型は簡単な表現で云うと、高齢者向けの食事付下宿のようなもの考えてください。
入居者に介護が必要となった時は、施設が契約している介護業者と個人で、介護保険の限度額までの介護が受けられますが、限度以上は
自費で介護サービスを受けることになります。

介護型施設の詳しい入居条件は
1,特別養護老人ホーム
特別養護老人ホームは、在宅での生活が困難になった要介護の高齢者が入居できる公的な「介護保険施設」の1つで、「特養」との呼称が一般的です。
民間運営の有料老人ホーム等に比べ低料金であることが魅力ですが、要介護3以上の方しか入居できないなど、条件が厳しく設定されています。
費用 入居一時金 なし 月額 5~15万

2,介護付き有料老人ホーム(民間施設)
入所対象者は「要介護者」であること
施設によって費用やサービスの内容が異なる
看取り可能な施設が多い
都道府県から「特定施設入所者生活介護」の指定を受けた介護施設を「特定施設」と呼びます。
特定施設の指定を受けているため、介護保険サービスを毎月定額で利用できます。
そのため、月々の予算が立てやすいので安心です
費用 入居一時金 0~数千万 月額 20~40万

3,グループホーム (民間施設)
認知症の高齢者向けの施設
24時間体制の介護体制
介護保険の適用上、住民票のある自治体でないと入居出来ない
費用 入居一時金 0~数十万 月額 15万
   介護料本人負担分 30,000円程度
   その他 介護用品、医療費など個人にかかわるもの

住宅型高齢者施設とは   
住宅型施設の入居条件に介護度はありません。
かなり自由度がある、比較的自立した、昔で云うやや高級養老院といったイメージです、

住宅型有料老人ホーム
住宅型有料老人ホームでは、 入居者が必要とする生活援助、外部の介護サービスを自由に組み合わせることができるので、
一人ひとりに合ったペースで生活できる環境です。
有料老人ホーム全体の約3割が「住宅型」となっています
介護サービスは外部の事業者を利用することになります。
費用 入居一時金 0~数千万 月額 20~40万 +介護費自己負担分

現在テレビ・メディアで紹介している、施設のほとんどはこのような、住宅型有料老人ホームです。ほとんどの経営状況は、地主さんが土地・建物を建てて、住宅型有料老人ホーム管理会社に運営委託しているケースがほとんどです。

サービス付高齢者高齢者向け住宅

サービス付き高齢者向け住宅の入居条件は、「高齢者住まい法」によって定められています。
同法によると、入居対象者本人は、以下のどちらかでなければなりません。
60歳以上の高齢者or要介護認定を受けた60歳未満の方
またほとんどの施設では、連帯保証人・身元引受人が必要になります。
認知症でない、感染症にかかっていない、自立的に身の回りのことができる人
費用 入居一時金 0~数十万 月額 8~20万 +介護費自己負担分

サ高住のメリット一覧
・バリアフリー構造なので高齢者にとって生活しやすい
・介護度が低い高齢者でも入居できる
・有料老人ホームなどに比べて初期費用が安い
・生活の自由度が高く、それまでの生活とのギャップを感じにくい
・入居・退去のハードルが比較的低い
サ高住のデメリット一覧
・看護師や医師は常駐していない施設もある
・夜間のサポートは有料老人ホームの方が充実していることが多い
・介助やリハビリなどのサービスを「オールインワン」で利用することはできない(一部を除く)
・自立・支援タイプの場合、要介護度が高くなると退去しなければならないこともある

住宅型施設の場合、自由度が高く、費用も抑えられる反面、元気なウチいいのですが、体調を崩したり、病気になったり、介護度が上がると、月々の費用が膨れ上がるのと、
認知症が進むと、施設からの退去を求められます。


介護の現場から聞いた「高齢者・老人施設の選び方」
介護施設をネット検索すると、最初に介護施設検索サイトの「みんなの介護」とか「べネッセ」とか「学研」とかのサイトが上位にきます。
そして、不動産屋さながら、見学・仲介を無料でご案内してくれます。
私の知ってる、介護施設のプロ、施設長は、このブログを書くに当たって、くれぐれもこれだけは伝えたいと言います。
介護施設仲介・案内業者の推薦・案内するのは、上から仲介手数料・マージンの多い順に紹介するので信じてはいけない。
では、素人はどうやって調べたら良いの?と聞きました。
数年前から、各老人介護施設は第三者評価機関から評価と、自己評価、アンケートの結果をネットで公表することを義務付けられてと言います。
そのページで注目して欲しいの、スタッフの人員体制だと云います。
介護職員の勤続年数、一年間に退職した人数などを調べることでよく分かる
建物や施設がどんなに立派であっても、運営するスタッフの質・量・資質が一番の問題であると云います。
サイトを見て、その施設の従業員情報をみれば、入れ替わりの多い施設よりも少なく、働きやすい環境の施設を選ぶこと、だそうです。

これらの介護施設の調べる時、私は厚生労働省から調べましたが、ありませんでした。
介護のプロにこの話をすると、介護施設は介護保険の対象となっているから、国管轄ではなく、県、地方自治体単位だと云うのです。
そんなことも知らなかった。
例えば神奈川県の場合 
「介護かながわ」で検索し介護事業所検索に施設名をいれると、全て、知りたい情報が出てくるそうです。
試しに、私が関わっている「花物語かまくら」を調べて見てください。
愛知県下の介護施設を調べたい場合は愛知県介護施設検索で調べられます。
ネット上の民間介護施設検索サイトと同時にお試し下さい。
そして、実際には自分自身の足と目で探すことと、できれはこの業界のスタッフからお話をお聞きするのが最良でしょう。  

すこしづづですが、この介護施設から学んだことをお伝えしていきます、

ブログ管理人のホームページ団塊世代の海外ロングステイ 関連情報がメイン
  
ブログ管理人のwebサイト2011から2019年過去のブログ・アーカイブ

定年後の過ごし方サイト読者からの投稿・体験記事ページ
posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年09月11日

話題の映画「百花」を観てきた。

母が記憶を失うたびに、僕は思い出を取り戻していく

2年前、NPO広報を卒業後、あまり市民団体との縁も薄くなってきているがそれでも自然環境系団体と、介護福祉系団体との新しいつながりが、できており、月一のペースでの会議でお会いし、情報・技術をやりとりしています。
特に、今までほとんど無知に等しかった、老人介護系の諸々の問題、課題、情報、知識の習得は「認知症グループホーム」と接することにより自然と、自ら学ぶこととしており、今回、民放TVなどで盛んに取り上げられている映画「百花」を封切り日の金曜日、朝一番で観にいきました。

映画館は二駅先、大型ショッピングモールのシネコン「109シネマ湘南」
封切り金曜日の朝イチ9:05よりの上映です。
火曜日から前売りネット販売がされるので、ネットにアクセスすると、100席あまりのスクリーンは、一つも売れていません。
前日、木曜日の夜に見ても、売れている席は私が摂った席の他、3つだけです。
私が、ネットで席を確保する最大の理由は、途中でトイレに立つ可能性が90%〜99%なので、階段通路側、出来れば壁際三人席の一番通路側を早めに抑えておくと、後のふたつはよほどの混雑でないと、埋まらないからなんですが・・・

シニアの介護系、シニアの終末系がテーマの映画は人気がないのか?
今年の話題作「プラン75」倍賞千恵子主演の近未来映画、75才になったら死の選択が出来るという内容の映画・・・とても大きな話題にはなりました。
上映館は少なくいなか、かなりの話題性で最初の一週間は、満席近く埋まったのですが、あまりにもシリアスな内容で、シニア女性の間で不人気になり興行的にウケなかったようです。
今回のこの映画は、「若年性認知症」の母親(原田三枝子)と息子(菅田将暉)の話です。
封切り初日、第一回目の上映、9時5分開演のわりには、30%程度の入り(30〜40人)程度ですから、まあまあでしょう。

見終わって、自宅に戻ると、カミさんの質問です。
「どお、お友達と一緒に観にいっても大丈夫な内容」と聞きます。
私は
「おそらく、今年の日本映画祭ではなんらかの賞を必ず取れる映画だと思う」
「アニメ、ハリウッドCG、若者向け青春映画が全盛の今の時代に、大人のそして女性として見れる日本の映画」
「音楽も良く、必ず泣ける、特にシニア女性にとって、認知症を理解するには格好の映画」
「ぜひ、絶対にオススメする映画であることは保証する」

するとカミさんは監督は誰なのと聞きます。
私は監督は「川村元気」と答えると、妻は
「知らない、誰、何者?」
実は私も知らなかったので、このブログ原稿を書く前に調べました。

監督「川村元気」って何者
映画プロデューサー、映画監督、小説家でもある、1979年、横浜生まれ43才
優れた映画製作者に贈られる「藤木賞」を史上最年少で受賞。
12年には初小説「世界から猫が消えたなら」を出版してベストセラー、その後も、細田守監督の「バケモノの子」「竜とそばかす」や新海誠監督の「君の名は」「天気の子」といった長編アニメーション映画をプロデュース。



そうなんだ、元々映画プロデューサーであり、後に自らメガホンを握り、映画人のながれの典型コース、自分で脚本を書き、ついには原作の小説まで書く、才人なのだ
43才、スゲー、自分は43才の時なにをしていただろう・・・
私の43才は1991年、後にバブルが弾けた年とされているけど、実際にその年1991年、平成3年に日本経済の風船が破裂したとは知らなかった。
あの年のお正月、私達夫婦はカンボジアのアンコールワットにいた。
戦後初の自衛隊がPKOという名で海外に派遣されたカンボジアにいた。
プノンペンの街中には「UN」という名が書かれた白い国連軍の車で溢れていた。
カンボジアにはじめての外国人観光客として、マシンガンの兵士の護衛でアンコールワット遺跡を歩いた。
自分の国の経済的反映それを十分に謳歌している自分自身に酔っていたかもしれない。
43才、その頃、老後の生活やら病気やら全く何も考えていなかった。
数年前から高騰していた給与がずっとそのまま続いていくことに何ら疑問も持っていなかった。
認知症と云う言葉も存在していなかった。

監督川村元気は43にして、七年前に自身の祖母が認知症になった川村監督は「祖母が見えているのはどういう世界なのか、興味が湧いた」という。

ストーリーは

レコード会社に勤める主人公の泉(菅田将暉)は、妊娠中の妻・香織(長沢まさみ)と忙しいながらも幸せな日々を送っていた。
そんな中、ピアノ教室を営む母の百合子(原田美枝子)が不可解な言動を始める。
二人で暮らしてきた泉と百合子は、泉が幼い頃に起きたある事件が原因で心の溝を埋められないまま過ごしてきた。
ある日、泉が見つけた母の日記に事件の真相が記されており、泉は封印していた過去と向き合うことになる。

映画の中では、認知症初期症状の母百合子の過去の思い出と現在の葛藤・焦りが交互に画像化されていく。
父親を知らない主人公と母百合子と関係が、明かされていく、そして主人公の泉と妻・香織の間に子供が生まれる。
初めての妊娠を知った香織は、子供が生まれた後、初めて告白する
「妊娠と知って、私は正直とまどった、仕事が出来なくなる、酒も飲めにくなる」
「母親は大変だと」
「あなただって、本当は嬉しくなかったんじゃないの?」

主人公の泉は、自分の出生について、詳しくは母親から聞いていなかった。
母親の認知症は徐々に進行していき、ある日警察から母親が万引きしたと云う知らせを受ける。
帰宅して、冷蔵庫を開けると大量の卵・ケチャップ・マヨネーズが現れる・・・
息子・泉が子供の頃の好物で、母がいつも造ってくれた「オムライス」のためだ・・・
やがて、一人の生活は成り立たなくなり、海の見える「認知症グループホーム」のお世話になる
何度がそのホームに訪ねていくと、母は「半分の花火」を見たいという。
息子・泉には、「半分の花火」の意味がわからない、母百合子は、昔一緒に見た「半分の花火」のするが分からない
妻・香織はインターネットで「半分の花火」を検索して探しだす。
泉と百合子は二人でその花火を見に行く・・・しかし、どうやら母の云う「半分の花火」ではなさそう・・・
母・百合子の思いださうとする葛藤と息子との間の大きな溝は益々深くなっていく

「半分の花火」が何であるか知る。
ラストシーンで、息子・泉は初めて、母・百合子の云う「半分の花火」が何であるか知る。
小さい頃から百合子と過ごした実家を1人で片づけていると、どこかで爆発音が聞こえた。それは花火の音だった。
その時ふと泉の記憶がよみがえった。泉と百合子がこの家に引っ越してきた日の夜、家から花火が見えた。
しかし家の前には大きな団地が建っており、花火は半分しか見ることができなかった。
百合子はその花火を、今までで見た花火の中で一番きれいだと言った。
小さい泉は、一瞬で消えて忘れてしまう花火を悲しいと言ったが、百合子は「色や形は忘れても、誰と一緒に見て、どんな気持ちだったかは思い出として残る」と言った。
泉は一人で半分の花火を見上げた。
自分が忘れていたことを、百合子はずっと覚えていたのだった。
母が最期に見たかった花火を見せてあげることができなかった。
その後悔と半分の花火が、百合子との思い出を次々に蘇らせた。
百合子が自分にしてくれたこと、その時の嬉しかった自分の気持ちがあふれ出て来て、
泉は言葉にならず、うずくまり涙を流し続けた。

図らずもラストシーンで、暗い映画館のなかで密かに涙していました。
そしてこの映画全編に流れる、ピアノ教師だった母百合子が弾くシューマンの「トロイメライ」がエンデイングロールまで流れていました。



ブログ管理人のホームページ団塊世代の海外ロングステイ 関連情報がメイン
  
ブログ管理人のwebサイト2011から2019年過去のブログ・アーカイブ

定年後の過ごし方サイト読者からの投稿・体験記事ページ
posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ