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2022年07月31日

鏡に映る自分の姿は亡き父・兄に似てきた

往年の端正な顔立ちの、欧米と日系のハーフの俳優・タレントは男女問わず、年齢を重ねていくと欧米系の血が濃いのか、どんどんと外国人の顔になっていく姿をよく見かけます。
ハーフ、混血でもない純血日本人の家系でも、年老いていくと父親・祖父の顔、姿に近づいていくのは実感しています。

二卵生双子の兄も年齢と共に似てきました

私の兄は二卵性の双子で、家族以外の人からは、一卵性ほどでもないけどよく似ていると云われますが、同じ家庭で育った弟の私からみれば、双子なのに全然似ていないと思って育ったきました。

その双子の兄のうち一人は、四年前ガンでなくなりました。72歳でした。
高校を卒業し、都会に出て、労働組合活動にのめり込み、四十代で帰郷しアパートに住み、生涯独身でした。
職を転々とし、母の晩年には母の通帳を頼って生活していたとも聞いています。
兄の晩年は、地元に残っていた、夫を若くしてなくした姉と、実家を継いだもう一人の双子の兄の二人で面倒をみ、最後の二週間はカトリック系のホスピスで過ごしてなくなりました。

見送った双子の兄は今も健在です
昭和20年終戦の年生まれ、団塊世代よりも3才上、兄の子供達は私達団塊世代の子供とほぼ一緒で、今までなら高卒のまま、地元で小さいながら堅実な会社に就職し、普通の生活を過ごしていたのに、誰でもが大学へ行くのが当たり前といわれる社会の風潮のなか、二浪までして関東の田舎のその当時、私も初めて目にする三流大学に入り、大学のカリキュラムであるかのような、提携先のアメリカの大学に短期留学までしました。
卒業時は就職氷河期です。
結果、就職先は、誰でも採用する「商品取引の会社の営業マン」長続きする訳もなく、一年で退社し実家に戻り、現在まで実家に住み、短期派遣の仕事の繰り返しです。
そんな兄と兄嫁二人の苦労、悩みは手にとるように分かります。

兄は今年、喜寿77才を迎えました。
昔、母の喜寿の祝いを地元・善光寺の高台にある、有名な高級感あふれる料亭でもおこなったことがあります。
母は77才、私が49才の時でした。
母は年老い、涙ぐみながら、私達四人兄弟からのプレゼントを喜んでいました。
兄も姉も今は、あの母親の齢を超えているのです。
私は後3年であの頃、喜寿の祝いの母と同じ年齢になります。

どんどんと亡き父、兄の容姿に似てくる

私は毎朝、洗面所の三面鏡の前で体重計に乗り、歯磨きをし、正面の鏡に映る自分の姿を見ます。
毛髪はどんどんと後退し、目の下のくぼみは大きくなり、頬は垂れ下がり気味、口の廻りのシワが増えてきています。

でも、自分は童顔故に、74才という年齢よりは若く見えるはずと勝手に思っています。
TV画面に登場するシニア男性の年齢に敏感になり、いつも自分と較べてみています。
特に、地方・田舎で暮らす同じ年齢の人を見るたびに、74才・75才の団塊世代はもっと若々しい、あんな年寄ではないと思って見ています。

しかし、最近、自宅以外の鏡、ウィンドウに映る姿に愕然とします。

千円カット床屋の待合室から見る、鏡に映る自分ショッピングモールのウィンドウガラスに映る自分の姿や温泉の脱衣場に映る姿が、亡き父親、亡き兄にそっくりなのです。
特に横顔や立ち振舞がそっくり。

兄がなくなった前年、思い出造りの旅行として兄・姉四人で小学生の修学旅行の地、新潟をまわった時の温泉旅館の大浴場で、体力が衰えてきていた兄と一緒に入った時、兄はよろけて浴槽に転倒し、手と顔をつけました。
一緒に入っていた他の宿泊客の方が手をかして下さり、なんともなかったのですが、「お宅のおじいさん、大丈夫」と云ったのを鮮明に覚えています。
普段、子供ころから見慣れている顔・姿ですが、他人から見ると、2つ半年上の兄は「おじいさん」なのです。

今回の旅行あたりから、体力や自分の年齢を気にしだしている
今回、3日間新幹線に乗り、大阪難波の繁華街を自由に二人で歩き回り、パンダ特急に乗り白浜海岸線を路線バスで自由にあるき回り、自分が後期高齢者一歩手前の世間から見ると「立派なお年寄り」であることは全く意識せずに、昔、一日のスケジュールは昔に比べると、大幅に軽くするように組んでいます。
朝の早いのは、今までどおりですが、観光拠点の市内のホテルに出来るだけ早め、明るいうちに戻るようにこころがけています。
初日チェックインを早めに済ませ、一度お昼寝をしてから街にでかけました。
二日目も帰りは早めにし、感染症のことも心して、混んだ繁華街の食堂では食べす、デパ地下で地元で有名なお弁当にしてます。

帰りの新幹線は、敢えて「こだまの自由席」として、帰りの電車は、その日のスケジュール・疲れ・体調しだいで、自宅には18~19時台に戻るようにしています。
大昔、何も怖くなかった40~50台の頃
成田着のフライトは、総武・横須賀線最終電車22:10逗子行きに間に合うのが鉄則でした。
南米・ディープアジアから戻り、この最終逗子行に乗ると、その当時自宅最寄り駅東戸塚に24:16に付きます。
自宅は駅前ですから、その当時の重い・大きな2つのスーツケースをゴロゴロ転がして自宅に戻り、翌朝は5時台に起床し、何語もなかったように、出勤していました。
若かった・・・

自分の家の洗面所の三面鏡は、ライトが3つあります。

上・中・下、いつもは中だけつけて、洗面・歯磨き・ひげそりをしています。
じっと正面から自分の顔・姿を見つめると普段と変わりなく、実年齢よりは若い、頭髪はともかく、肌は年齢相当、決して「お年寄り」ではないと思えますが、上の灯り、下の灯りも点灯し、三面鏡の左右を開いて、改めて自分の横顔をみると、あの時の亡くなった兄の面影、亡くなった父よりも薄い頭髪が浮かび上がってきます。

子供も孫いない夫婦は、あまり自分の年齢を意識しないものです・・・
今日も横浜のデパートにいそいそと出かけていく、カミサンは71才、たしかにとても70代に見えぬ容姿、お出かけ姿です。
私とて、この日差しなかの外出は、ある程度のプランドTシャツ・ショートパンツにサンダルと、74才団塊世代の格好だけは、湘南のダンディーシニアなのでが確実に日本社会のなかでは、「お年寄りのご夫婦」であることは忘れていけないと、三面鏡に映る自分の姿を見て肝に命じています。


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2022年07月29日

パンダくろしおエキスプレスでアドベンチャーワールドへ



#パンダくろしおエキスプレス
本日、宿泊しているJR難波駅近くのホテルをかなり早めに出で、今回の旅のメイン、アドベンチャーワールドのパンダをみに南紀白浜に向かう為に大阪環状線・天王寺に向かいました。
ホテルからJR難波駅ホームまで徒歩5分
jr難波07:23⇒大和路線天王寺07:29 天王寺駅乗換余裕20分
天王寺駅15番線ホーム<JR特急くろしお1号>天王寺駅乗車07:59⇒10:12白浜駅

今日はこれに乗って、白浜アドベンチャーワールドへ

JR西日本が2017年で発足30周年、和歌山・アドベンチャーワールドが2018年で開園40周年を迎えたことをきっかけに、パークのさまざまなシーンをデザインしたラッピング列車「パンダくろしお『Smileアドベンチャートレイン』」が運行中です。
ラッピングコンセプトを「旅に『ときめき』を」とし、車体前頭部をパンダフェイス、車体にはパークで躍動する動物たちのさまざまなシーンをデザインしています。
見る人、乗る人全てが旅することに「ときめき」を感じ、スマイル広がるラッピング列車を運行しています。

お天気は昨日まで怪しげでしたが、今日は一日中快晴のよそう、帰りましたら再びブログ上で
たっぷりと、パンダの様子をご紹介致します。


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2022年07月27日

今日泊まるホテルをグーグルマップで下見する

学校の夏休みが始まったのと同時に、戻り梅雨があけたようで、本格的な暑さがやって来そうです。本日、小田原発08:07ひかり0633号で大阪に向かいます。
今回の旅の大目的は先週のブログで書きました、アドベンチャーワールドのパンダですが宿は大阪です。JR東海の新幹線・宿パックを早割で利用すると、かなり安くなるので、首都圏から西方面の列車の旅では重宝しています。
空路・飛行機よりも鉄路が好きなの乗り鉄、鉄分多めの旅人を自負しています。

ホテルは繁華街「なんば」周辺にしよう
今回メインは和歌山・白浜・アドベンチャーワールド・パンダですがホテルは二泊は大阪です。
これまで大阪に泊まることはそれほど多くはなく、いつも関西・近畿は、京都、奈良などが多のと、大阪を通り越して、神戸・岡山・広島となることが多く、本格的に大阪市内を観光目的で滞在することはほとんどありませんでした。
今回、大阪の何処に泊まろうかと考えました。
過去、三回カミサンと二人の自由・個人旅行で泊まったのは都心の中の島界隈、北エリア梅田、ミナミに近い上本町などのホテルでした。
今回、朝早い和歌山方面への列車に乗る都合で環状線の天王寺近辺を探してみました。

大阪には土地勘がない
地域・駅名を聞いてもどんな雰囲気の街並みなのか見当が付きません。
今回、天王寺駅周辺のホテルを探して分かつたのは、あべのハルカス、新世界、通天閣、星の大阪OMO7というキーワードでした。
探してあてたのは、25平米のツインルーム、一泊一部屋12,000円前後程度、駅から5分以内、バス・トイレ別、新装5年程度、出来れば大浴場という条件でさがしたのですが、「帯に短し襷に長し」で最終的には以前から土地勘があった「みなみ」「難波」にしました。

行き着いたのは、藤田観光系列の「グレススリー」ブランドホテルです。

以前からある「ワシントン」ブランドがビジネスユーズであったものを、女性にもご夫婦にも優しい、部屋は少し広め、格上のブランドが「グレススリー」のようです。
ロケーションはいずれもターミナル駅に近い、繁華街とビジネス街の中間あたりのようです。
今回、ここに二泊します。小田原・大阪の新幹線(行きはひかり・帰りはこだま自由席)とホテル二泊、二人で57,000円です。


今回のブログのメインテーマ グーグルマップで歩いてみる。
JR東海への支払いを済ませてから、下車駅JR難波から目的のホテル「グレススリー大阪なんば」をグーグルマップで歩いてみることにしました。
私達二人は常に個人自由旅行ですから、何でも自分で調べ、自分の目と足で動かなけくてはなりません。
昔から、バックパッカーの間で云われていました「飛行機とタクシーは禁句」がもう古希を迎えた身にも染み付いています。
飛行機とタクシーは禁句」とは
移動手段として、お金さえだせば連れていってくれる安易な移動手段、金持ちの移動手段という意味合いが濃い言葉なのです。
新幹線で新大阪に着いて、ホテルのある難波に向かうには地下鉄が一番はやく、近いのは解っていますが、新幹線チケットのなかには、環状線内のJR駅まで乗車料金が含まれているのですから、わざわざ私鉄にのるのは私の流儀から外れているので、新大阪からJR難波までJRで行くのは当然です。
ちなみに新大阪からJR難波まで地下鉄を使い、歩くと所要時間24分390円です。二人で780円
しかし、新大阪からJR難波までJR線のみでいくと、所要時間45分0円、です。
年金シニア夫婦は当然ですが、後者、「速いよりも安いほう」を選択します。

ここで問題発生しました。
グーグルマップをひらいて、宿泊するホテル「グレススリー大阪なんば」は簡単に見つかり、外観もチェック確認してOK、後はJR難波駅からのルート沿いをマップ上で実際に歩いて確認することですが・・・ここで大問題発生、JR難波駅の出口がないのです。
どうしてと思い、グーグルアースで確認しても、駅舎がないのです。
なんとJR難波駅は全地下駅なのです。知らなかった!。

では一体どの出口から地上にでればいいのか?
以前、難波から南海線で高野山に行った時、案内図は全て地下駅構内図であったことを思い出していました。
しかし、JR難波駅の構内図を探しだしましたが、各出口は書いてあるのですが、そこに書かれている地名・方面・ビル名は関東に住む私達には全く分かりません。
そこで宿泊する「グレススリー大阪なんば」のホーム・ページを調べてみるとありました。
よく見かけるアクセスベージ、電車からにはにはなんと以下の説明がありました。

四つ橋線「なんば」駅 南改札口 32番出口から徒歩約1分
  →南改札口からホテルまでのご案内
  →北改札口からホテルまでのご案内
 JR「難波」駅 北出口から徒歩約3分
  →北出口からホテルまでのご案内
  →OCAT南出口からホテルまでのご案内
 南海電鉄「なんば」駅 西出入口から徒歩約6分
  →南海なんば駅 3F北改札口からホテルまでのご案内
 御堂筋線「なんば」駅 南南改札口 7番出口から徒歩約3分
  →南南改札口からホテルまでのご案内
 千日前線「なんば」駅 西改札口 30番出口から徒歩約5分


各々の→出口からホテルまでは駅構内改札から目的の出口への案内の複数の画像と、道路からホテルまでの画像がありました。・・・ということは、かなり大阪・難波の駅に旅慣れていないと、難しいということなのでしょう。
第一、OCAT南出口?OCATって何だ・・・横浜市民でしたら、「YCAT」があるのですぐにわかるのですが・・・
「YCAT」横浜・シティー・エアー・ターミナルですから、OCATのOは大阪のOです。
これでは、方向音痴のカミサンでは絶対に無理・・・

「難波八阪神社」へのルート
ここまではグーグルマップで調べて、次はホテルに入ったあとの観光目的地へのあるき方調べです。
ホテルから徒歩圏の外国人観光客に大人気の神社「難波八阪神社」までのルートを地図上で歩いての確認です。
地図上では大通りを北に下り徒歩10分程度のハズです。
一本道ですから、簡単にわかりました。途中の交差点のコンビニ・曲がり角手前の「東横IN」さえ覚えておけば、わざわざ印刷しなくても到着出来るはずです。

問題は、ここから「グリコ看板」の名所「戎橋」までのルート・歩き方
ここから北方面に歩いていけば簡単だと思うのですが・・・それは東京や横浜の人間の感覚です。
このグーグル・マップ上に示されているのは高速道路高架・地下鉄・JR線、難波の街は大きな道路、真っ直ぐな道路は少なく、小さな路地やらアーケード街が続きwebのストリートービュー上を歩いても、左右・南北がわからず、スマホ上で実際に歩いてみないと現在自分のいる場所が解らないのです。
googlemap上ではなかなか、「難波八阪神社」から「戎橋」にたどり着けず、現在のいる場所がわからなくなってしまうのです。
もっとも確実な方法は、難波周辺の観光案内所で印刷された観光・街歩きマップを手に入れて、歩く方法なのでしょうが・・・

74歳と71歳の旅慣れた高齢者ご夫婦・・・あまりお上りさん的にキョロキョロ歩き、超有名な観光場所「すいません、グリコの看板へは行ったらいいのでしょう」と地元の人に聞くのはプライドが許さない団塊おじさん・・もしかするとお爺さん?なのです。

しかし、カミサンはこんな時、すぐに人に聞くことに何の抵抗もなく、かえって聞かずにまわりをうろつく私を「ばかじゃない」と思っているようです。

若い頃から世界中を歩いてきた元バックパッカーが、年老いたとは云え、日本国内、天下の大阪の中心・心斎橋周辺で「グリコの看板」の場所を聞くのはプライドが許さないのだぁー。
天才バカボンボン・・・


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2022年07月25日

カミサンの初めてのお使い 一人で銀行へ


シニア二人暮らしのマンションの場合は
テレビは二人の共用の場であるリビングにひとつ、やや大きめテレビ(と云ってもいろいろなメディアの情報や映像、よそのご家庭のリビングのTVの大きさからみるとかなり小さめですが、二人だけですからこの大きさで十分。4Kなんて必要ありませんし、)
その他には、各々寝室にひとつづつ19インチのPCモニター並の大きさ、個人用があります。
基本的に結婚して40年以上経っている子供のいない、どちらかと云うと「仲良し・お友達夫婦」ですから、夕食後から寝るまでの3時間は、同じリビンクで過ごすことが多いです。

私達二人共通して見る番組は

見るTV番組の傾向も、40年も一緒に暮らしているとほぼ同じになります。
ニュースを中心に、旅番組がメイン、民放のドラマはほぼ見ません。
芸人が中心の楽屋落ち、おふざけ番組も見ません。
基本的には、テレビから何かしらの情報が得られるような番組を好んでみています。
ほぼ、二人で見るチャンネルは「テレ東」がダントツで一番多いです。
テレ東のお金をかけない、脚本のない行き当たりばったり、旅番組や、一般人を対象としたインタビュー・訪問番組、そして何よりも私の感性・好みに合うのが「路線バス乗り継ぎの旅」で、再放送の「BSテレ東」まで見ています。
この番組にででくる、観光案内所、駅チカの食堂、私達が降りた山奥のバス停・・・まさに私達夫婦、運転免許証を早々手放し、どんなところでもバスでいく方法を模索している、私達にはぴったりの番組なのです。

そして、水曜日は「BSテレ東」の"外国人、私が日本に住む理由"と「テレ東地上波」の「家、付いてっていっていいですか」を二人で楽しみに見ています。
"外国人、私が日本に住む理由"は特に、カミサンに見てもらいたかったので大きな理由です。
外国人が異国に住む・・・ということはどういうことなのか?
退職後の海外ロングステイをも含めて、知るにはとても参考になる番組です。

私は青春時代の6年間を海外に暮らした経験があります。

その間、多くの人が新たに、私の住む街に転勤だったり、結婚だったり、移住だったりして異国の地にやってきます。
1970年代の当初、特に南米の端、大都会とは云え日本人は隣のブラジルや昔から移住者の多かったペルーと違う、ブエノスアイレスは、超白人社会の国でしたから全く何の手助けもなく、新しく住むという環境は、北米・欧州・ブラジルと比べるとほとんどありませんでした。

そんなことを思い出しながら、この番組"外国人、私が日本に住む理由"を見ながら、隣で見ているカミサンに向かって、ロングステイにしろ、会社や組織に守られている異国に住むのと、自分だけの力、知識・経験だけで住むの如何に大変なのか、説明するのですが、カミサンには説教に聞こえているようで、「私は一人で行かないから、あなたと一緒だから何も心配も不安もないわ」と云います。

カミサンのお気に入りは「初めてのお使い」
いつも一緒のTV番組を見るのですが、先週の土曜日の夜、私は何時もの「テレ東」の出川の電動バイクを見ます。
カミサンはこの日、「私は日テレの”初めてのお使い”を自分の部屋で見る」と云って自分の部屋に引き上げていきました。
なるほど・・・これは絶好のチャンス到来、来週カミサンの嫌いな、銀行へのお使いを頼もう、もうそろそろ、カミサンは私の逝った後の処理を学んで貰わないとと前々から考えていました。
TV画面では、5歳ぐらいの子供が近所のスーパーとお店二箇所ぐらいで買い物をする設定。

71歳の我が家のカミサンの初めてのお使いは
銀行の貸金庫に行って、実印と印鑑証明を持ってきてもらうのと、カミサン自身の口座から旅のお小遣い2万円をおろし、記帳し、再び、貸金庫にしまう、といった「超簡単・誰とも会話しなくても完了するタスク」と説明しました。
先ずカミサンは「タスク」って何?と聞きます。
これまでの私でしたら、テスクとは・・・と説明していたのですが、今回は冷たく、「スマホに向かって”タスクとは”って聞け」と突き放しました。
「タスクとは課された仕事、課題」との回答にカミサンは、なんで私が仕事・課題をやらなくてはならないのと、ふくれましたが、最近の私は常々、来年75歳、後期高齢者、予定寿命まで
後3年を、念仏のようにカミサンの頭に浸透するように語りかけているので、今回のタスクの背景を理解しているようです。

銀行の貸金庫へお使いに行ってきて

駅向こうの商店街の先にある「地元リテール銀行」に行って貸金庫から書類と通帳をだして、お金と下ろす、それだけです。
カミサンは当初、絶對嫌だと、あの「初めてのおつかいの子供」以上に抵抗します。
「だって昔一度行って、知っているから何で今回わざわざ私一人で行くのよ」
「貸金庫のシステムが変わったから、一度なれておいて欲しい」
「いつかは、一人でやらなくちゃならない日が来るのだから」
「ここは、日本、日本語が通じるところ、5歳の子供でも、日本語が解らない外国人でもないのだから」
「じぁ行って、銀行の人にお手伝いしてもらうわ」とかミサンはいいます。
「今の時代、銀行の経営は厳しく、人を減らしているので、事前予約をしないと対応してくれない世の中なんだよ」

カミサンが行きたくない理由は知っています。
大の大人、見た目は一見小綺麗な「鎌倉マダム」の外見なのに、テンキー入力もできない、これまでの人生でCDコーナーからキャッシュを引き出したこともないのを、他人に見られるのを恥ずかしいと思っているのです。
銀行の金庫に入るには、何箇所ものチェック機能があり、たどり着いてもまたまた、2つのキーがないと空けられないのをカミサンは知っています。
ましてや、今回のタスクは、以前一緒に利用していた貸金庫システムとほんのひと手順違うのです。

どうしても行きたくない・・・と初めてのお使いの子供のように駄々をこねます。
それではと、「初めてのお使い」の親のように提案します。
一緒に商店街の角まで付いていく、カミサンのお友達に、一緒にいることを悟られないように、本屋さんで本を探して時間を潰しているから、もし解らないこと、できないこと、があったらラインのビデオ通話で連絡して・・・
スマホに、解らない操作の場面や・金庫のなかの書類とかを向けて喋ってくれれば、その場で教えるからと宥め、ようやく送りだしました。
デジタル音痴のカミサンですが、ラインのビデオ通話は出来るのです。

結果は・・・30分後、
ヘルプの連絡もなく、カミサンはプンプン怒りながら私の待つ本屋さんに戻ってきました。

ハイ、これで良いんでしょと、実印・印鑑証明と旅行用のお小遣い現金を差し出しました。
「大恥を書いたわよ」と云います。
「どうしたの」と私
「貸金庫の入り口でわからなくて、スマホでラインのビデオ通話がわからくてロビーでウロウロしていたら、行員さんが不審者あるいは、振込詐欺かと間違えて
声をかけてきたの、失礼しちぁう、そんな年寄にみえたのかしら、
貸金庫に必要な書類を取り出しにきたのだけど、前に一度しかきてなくて、今回貸金庫改修後
初めてでよくわからなかっただけなのに・・・」
「そしてたら、若い行員が、前とちょっと手順とキーが違うので、皆さん御困りのようで申し訳ございません」といって中まで一緒に入ってくれたわ」

若いのにえらい!沢山こんな御婦人を相手にしているのだろうね。
鎌倉マダムの自尊心を気遣ったのでしょうね。きっと。

私はこれで、もうしばらくは、元気でいなくていけないようです。

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2022年07月23日

夏の京都プラン 保津川下り観光船

来週半ばから、大阪を拠点とした二泊三日の旅にでます。
この旅の大目的は「アドベンチャーワールド」のパンダを観に行くことです。
もちろん、東京上野動物園でもパンダは見れますが、抽選の上、二列の行列になり前列は写真を撮ってはいけませんし、停止することも禁止です。
写真を撮る人はやや高い後列からの撮影となりますが、前列の人や、ガラスの反射に注意しなくてはなりません。
それでも昔のパンダ舎に比べるとかなり良くなった聞いています。
何処の誰から、どんな話を聞いて・・・

昔、現役時代、初めてのパンダを受け入れる時、パンダ舎の設計のお手伝いをしたことがあります。
私たちの分野は、空調の自動制御という、一般の方には馴染みの薄い特殊分野で、主に工場や病院、大型オフィスビルの空調、恒温恒湿・クリーンルームのコントロールをメインにしていました。

日本初のパンダの受け入れに、当時の最高・最先端の技術を要求されたからです。
パンダは中国から預かっているもの、そして日本全国の目が見つめているものですから、怪我はおろか、風邪もひかせることは出来ない、ほぼ無菌室のような環境で受け入れたのです。いまでも完全ではありませんが、上野動物園のパンダ舎環境は、昔とさほど変わりはないのです。

しかし、TV映像を見る限り和歌山県・白浜のアドベンチャーワールドのパンダは、日光の元、のびのびと遊んでいます。
子供たちからの距離も近く、ガラスの壁もありません。

カミサンは先月
「私達、和歌山県には一度も行ったことがないわね」
「パンダを見に行こう」
と云い出して、おなじみのJR東海ツアーで新幹線と大阪市内・難波の宿と、大阪発・特急とアドベンチャーワールド入場券つき日帰りセットパックを申し込みました。
詳しい、旅とパンダの様子は、帰ってきてからご報告します。

今日のテーマは8月の旅の予定についてです。

まだ、次の白浜・アドベンチャーワールドへも行っていないのに、次の旅の予定ですか・・・
8月の暑いのに、何処へ行くの・・・
カミサンは、朝日新聞のコラム「天声人語」の切り抜きをだしてきました。
「保津川下り」です。

あの嵐山のトロッコ列車の先、亀岡から保津川を下って嵐山に戻る船旅です。
何度も、京都・嵐山へは行っており、「乗り鉄」派のわたしですが、あのようなおもちゃ・観光用の乗り物は全く興味はありません。
本物の「乗り鉄」は現役の公共交通機関でなくては、興味がないのです。
川下りもさして興味がないのですが・・・

カミサンになんで暑い8月の京都、なんで川下りって質問すると

京都に何度も行ってるけど、嵐山の先「保津川」まで行ったことはないし、今年、今ならまだ観光客もすくなく、あのうるさい、無神経な外国人観光客もまだいないでしょうから、それにまだ京都ってこの季節安いでしょと云います。
「来年、後期高齢者となって体力的に、自由・自分手配旅行も難しくなるかもしれないから」
という訳で、旅本来よりも、ネット上で旅プランを考え、造るのが楽しみの私は、見積もりをしてみました。

8月29、30、31日三日間、京都滞在、保津川下りの旅プラン
先ずは、新幹線と宿の手配はJR東海ツァーズから
新幹線は小田原からこだまで十分です。
大船⇒小田原 東海道線 @682
一日目 小田原07:35 ⇒京都10:34
午後 未定 京都市内
ホテルは河原町・三条 の藤田系ホテル ツイン24平米 食事なし

二日目 保津川へ
京都・亀岡 @420円 31分
保津川下り 料金 @4,100
阪急嵐山・河原町 @230円
二日目の費用 @10,000円
ホテルは河原町・三条 の藤田系ホテル連泊 食事なし

三日目 未定
午前 市内観光 未定
午後14~15時台のこだま・自由席
小田原着 夕方6~7時ごろ 自宅

費用二人分
JR東海支払い    47,800円 ※早割21
三日目 保津川下り 20,000円
交通移動費      6,000円
3日間食事・喫茶   18,000円
その他雑費      9,000円
合計二人予算    100,000円

何とか、私達高齢者・年金シニアの旅の予算、2泊3日で10万円で収まりそうです。
※来週のアドベンチャーワールドの旅は、同じくJR東海の早割を使いますが、大阪発のアドベンチャーワールド入場券つき日帰りセットパックが良いお値段で予算オーバーします・・が、先々月のマイルを使った、北海道夕張と幾春別の費用の残りで補填できそうです。

さて、何時までこのレベルの予算、このレベルのホテル、このレベルの日程で動けるか、来年にならないと解らないでしょう。

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2022年07月21日

退職後の自由な時間は幻想だった 親の介護とペットの存在

あるご夫婦二人の会話・・・

定年退職したら、子供たちは大きくなって独立しているだろうし、こんなに大きな何室もある一軒家は必要ないだろうし、もっと駅や商店街に近い、2LDKくらいの新しい設備のマンションに住もう、出来れば近くに朝夕散歩できる大きな公園がある所が良いね。
退職したら、海外旅行には年に2回は行きたいし、国内旅行も日帰り、近場を含めて二ヶ月に一度は行きたいから、JRの駅まで徒歩圏がいいね。

夫は大手町に本社がある大手メーカーを60歳で退職し、系列子会社の社長を65歳まで勤めて退職した団塊世代です。
私がNPOボランティアを卒業した3年ほど前までは、時たま、ゆっくり出来る町中の喫茶店でお会いして近況を伺っていました。
私は下戸で飲めないし、カラオケも苦手な付き合いにくい、面白くない人間なのです・・・但し「うつ・かう」は元の職業柄お付き合いはします。

かのご家庭の退職後はどうなったか?
奥様との会話通りの「理想とする定年後のライフをおくられているだろうか」団塊世代向けのwebサイト管理人としては、とても興味がありました。
私と違って、東京六大学の有名私立に入り学生運動には全く携わず卒業し、大手財閥系メーカーに入り、
全て順調な人生を歩んできた同じ世代のモデルケースのような人なのです。
転勤が大きく、50代で東海道沿線の大規模開発された、南向きひな壇の戸建てを購入し、この地で定年退職を迎えました。
私と違った、日本経済社会の本流・王道を歩んできた彼の老後の生活に興味があり、差し支えない範囲で、どんな老後ライフ設計をしてきたか、お聞きしたのが冒頭のお話です。
住まいは・・・現役時代の戸建てです。
奥様との退職前の計画では、退職後に町中に近い、マンションの予定でしたが、それが出来なくなったと云うのです。
地方出身の三人兄弟の長男の彼、一人の弟と一人の妹ともに地方の実家を離れ首都圏と北海道で暮らしていると言います。

実家の母親との同居生活がスタート

彼が最初の定年60歳の時、父親がなくなり、実家は母親一人暮らしとなり、自然の成り行きで、長男である彼の家で一緒に暮らすことになったそうです。
既に、彼の子供二人は独立して家を出ており、大きな家に母親を受け入れるに十分な部屋はありました。
年老いた母親と奥様と、退職後子会社の社長となった彼の三人暮らしが始まりました。
今まで、自分の家族だけで生活してきた奥様、夫の両親・親戚とは一年に数度のお付き合いしかなかったのに、夫が勤めにでている日中、姑との二人暮らしで、かなりストレスがあったと推察していました。
奥様も、夫は一流大学、一流会社、子会社とは云え社長まで上り詰めており、人生の階段を順調に上り詰めて、これからの二人だけの老後の生活をかなり夢見ていたようですが、叶いませんでした。

そして5年後、子会社社長を退職して完全フリーとなった65歳、母親を夫の兄弟に短期間預かってもらい、「飛鳥」で世界一周の旅にでる計画があったのですが、その頃から母親に認知症の症状がて初めて、夫の二人の兄弟は拒否したそうです。
一日中、夫と認知の姑との三人での生活、彼は比較的温和な性格で、家庭・家族を大切にする人物なのですが、それでも夫婦の間に溝が出来、段々と深くなっていったと言います。

出戻り、子連れ長女との同居

その母親は二年前、なくなりました。彼が73歳、奥様は71歳でした。
73歳にして、やっと昔夫婦二人で話していた、老後の生活がスタートしたのか・・・
奥様は、現在、嫁いで外に出た娘さんと一緒に暮らしています。
嫁に行き離婚して、二人の子供を抱えて働かねばならない娘さんに変わり、お孫さんの食事の世話から全て奥様が面倒みているようです。
彼に云わせると、却っていきいきとしている。と話します。
以前は、ほぼ家庭内別居のような状態だったのだから、と彼は云います。
少なくとも、今社会で問題となっている、シングルマザーの経済的な問題だけは、彼の財力で補っているようてす。

後期高齢者となった現在
それで、現在75歳、「シングルと同じで自由に動けるね。」というと
「そうでもない、家を空けられないんだ」
「どうして?」
「犬がいるんだ、ペットの大型犬」
「これがかわいいだ、子供よりもづっと可愛い」
「こいつを一人にして俺は出かけられない」
「それにもう、このコロナもあって、何処かに旅行に行こうという気も起こらない」
 私「まだ75歳、老けるのは早すぎる」
 彼は「お前はいいな、50代半ばでリタイヤして、夫婦二人でもう20年も好き勝手に生きて
 きてるんだから」
 私「好き勝手でもないけど」
 「健康的・体力的にも問題はあるし」
 「財政的には皆さんよりはかなり低レベルの生活を強いられているし」
 「一番の問題は、俺が逝った後、カミサン一人でやってけるのかな」
 「来年後期高齢者に達したら、本格的に店じまいを始める予定だけどね」

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年07月19日

おしっこの悩み だまされたと思ってノウハウ本をアマゾンでポチ


関根勤も夜4回トイレに
テレ東の人気番組、出川の電動バイクの旅のゲストに、関根勤が登場し、夜の宿探し、部屋割で「トイレは夜中4回は起きる」と云ってるのを聞いて「関根勤」って何歳だ、私よりも相当若いはず、私の夜中3~5回のトイレはそう異常でもないのか、とググってみました。1953年8月21日、来月69歳?テレビにでるタレントだから若作りしているのだろうけど、それでも若い、わたしより5歳下69歳でトイレは夜中4回は、異常なのか、普通なのかは解らないが、顔見知りのテレビタレントがそうなのだから・・・ちょぴり安心する。

騙かされたかもと思いアマゾンをポチ

そんな翌日、カミサンは朝刊の書籍広告欄を指さして、「夜間頻尿の症状、あなたにぴったりの本がでているわ」と云ってきました。
週刊誌でのおなじみのスタイルでの広告ですが、これはノウハウ本の出版社「文響社」の本で、最近団塊世代をターゲットとした健康問題や子供向けの「うんこドリル」を出版している会社で、最近とみに高齢者を対象とした「ノウハウ健康本」をだしています。
定価税込1,518円とこの手の本としては高いのですが、あてにならないだろうけど、泌尿器科の受診代あるいは、薬代と考えれば、「まあいいか」とAmazonをポチしました。

最近、本はほとんどAmazonです。送料無料ですし、以前買った時のポイントの割引もつきます。
しかも、本でしたら宅配ボックスではなく、郵便受けで受け取れるので在宅時間を気にしなくても助かります。

タイトルは尿トラブルの改善法の決定版

私の最近の尿トラブルは
■夜間頻尿
 ひどい時は10時就寝し、6時起床まで5~6回起きることがあります。
 1時間半がいいところで、結構の量のおしっこがでます。
 60代でも夜間頻尿はありましたが、最近は頻繁で朝起きた時、既に疲れていることも
 しばしばです。
 不思議なのは、一晩に2回で済まされることもあります。
■昼間の尿意
 映画館で2時間の映画を見る時、最後の15分から20分ほどのミステリー映画の謎解きとか、
 エンディング手前の重要なシーンで居ても立ってもいられず、トイレに立ち、席に戻って
 くると、ストリーは進んでいて、私がトイレに立っている間に、重要な謎解きや、会話・
 シーンがあったようなのです。
 先週の「ベイビーブローカー」でも追ってくる女性刑事と赤ちゃんポストに置いた女性
 の間で、この映画のエンデイングに必要な、何らかの会話・取引があったハズで、それを
 トイレの間に見逃して、エンディングシーンを迎えてしまいました。
 こんな経験は度々あり、最後の15~25分のシーンの為に、もう一度観に行ったことも
 あります。
■突然の我慢しきれない尿意
 分かっているなら、映画のエンデイング前15~20の前にトイレに立てばいいじゃないかと、
 お思いでしょうが、尿意は突然に、しかも強烈にくるのです、
 下手とたら、失禁するほどの尿意なので、予測不能なのです。
■長距離バスではどうしてるの?
 北海道などの長距離路線バスはトイレが付いているバスはほとんどありませんが、1時間半
 以上の移動の路線バス・長距離バスは途中にトイレ休憩があります。
 これまで、団体旅行のバス移動でトイレに苦しめられたことはありませんが、友人の車での
 移動で尿意を催して、一番近くのコンビニに立ち寄ってもらった経験は何度もあります。

尿トラブルの原因は
なにも、改めてこのようなノウハウ本を買って読まなくても、病名・原因は分かっています。
 ・過活動膀胱炎 
 ・前立腺肥大
 ・加齢による膀胱の硬直
 ・運動不足


解決・治療法は

■前立腺の手術
 内視鏡や低侵襲式レーザー手術が行われるようになって、高齢者への体力的負担も和らい
 でいますが、それても入院は一週間は必要で、後遺症はゼロとは言えません。
 生命・命に別状がなく、一般的な不便程度の症状なら・・・しかも後期高齢者なら手術は
 しないのが常識です。

■薬による、夜間頻尿・過活動膀胱・前立腺肥大の緩和
 このノウハウ本にも色々な薬は紹介されていますが、個人差、副作用もいろいろあり、
 私も経験しています。
 自分のホーム・ページ掲示板にも、同じ悩みのご同輩からアドバイスや、服用している薬
 の情報を頂き、担当泌尿器科のドクターに処方されて服用した
 ことも何度かありますが、私の場合、薬による副反応は100%でました。
 一般的に日本で一番使われているネット友人から紹介の「夜間頻尿」改善薬は服用して二日
 目には、排尿障害が起き、おしっこが2日間全くでなくなり、脂汗ががでました。
 まだ別の友人が服用して調子良いという薬もドクターから処方されで使用すると、この処方
 箋の副作用にかかれていた男性器機能に影響に障害が出て辞めました。またある友人が服用
 して絶対的な効果があると云う薬を紹介され、担当泌尿器ドクターに相談すると、前立腺
 がん腫瘍マーカーPSAの値を低下させる為、わたしの場合は使用してはいけない、
 と言われました。

自力で克服 最新体操・生活習慣
泌尿器のドクターに云わせると、「QOL」が大切といます。
「QOL」とはクオリティ・オブ・ライフ(Quality of Life)の略称で、「生活の質」や「人生の質」という意味です。
QOLは、とくに医療や福祉の分野で使われる用語です。
病気にかかったり、加齢による身体能力の低下でそれまでと同じ生活が送れなくなったりしてしまうということは多々あります。
そのときに、いかに生活の質を保ち、あるいは向上を目指していくか考える中で、QOLは非常に大切な概念です。
今すぐ、命にかかわる病・症状でなく、普段生活環境、自分の行き方に合わせた治療が必要であると云い、この本でも自力、簡単な日常生活習慣の見直しで改善出来るといってます。

そして始めたのが@骨盤スクワットです。
 
下半身の血流不足や筋力の低下は、前立腺肥大による症状を悪化させる可能性があり、肥大による頻尿を改善させるために、下半身の血流と筋力をアップする運動をしましょう。と呼びかけています。
スクワットはキツイけど
元々、中高年は年々下半身の筋力が衰えていくので、スクワットを勧める本は多いのですが、スクワットって意外に難しく、キツイのです。
所謂「空気椅子」の状態を創り出しキープするのが基本ですが、どうしても体が前に傾き、膝頭がつま先よりも前に出てしまいます。
ですから、ヒンズースクワットのように手を前に出したり、頭の上で組むようなハードなやり方ではなく、中高年は図のように、片手を椅子に手をついて、
呼吸の吸い・吐くをキチンと合わせれば、十分効果が上がるようです。

夜間頻尿対策A仰向け足上げ

以前からNHKの情報番組や、当サイト掲示板よりの情報で、夜間頻尿の元となる水分は、下半身ヒザ下太ももに貯まる水分・浮腫みが原因というのは分かったいました。
通常若い頃でしたら、通勤やら仕事で動いているので普通に食生活で摂った水分は、運動や自然発汗するのですが、退職して自宅にいる時間が多いシニア男性、私のように半日以上机に向かい、パソコンでプログラムを書くような高齢者は体内に水分がたまり続けるようです。
夜間頻尿の原因は、夜、横になると心臓と足の高さが同じになります。
すると、日中に下半身に貯まった血液は心臓に戻ります。すると心臓にある身体の水分量に感知するセンターが働き、余分な水分を排出する「利尿ペプチド」というホルモンを分泌し、腎臓にはたらきかけて排尿をそくす働きかけする為、就寝中にトイレに行きたくなると仕組みです。
「足上げにより却って心臓に血液が戻ったら尿量が増えるのでは?」
その通りで、就寝前の3時間ほど前に行い、就寝前に余分な水分を排出し、下半身に血液が溜まっていない状態にして、夜間頻尿を改善しようという試みです。

対策そのB膝の浮腫みの軽減させる弾性圧力ストッキング

下半身ヒザ下の浮腫みが、夜間頻尿に影響しているのは、前々から知っていました。
とくに、夏の季節、水分を多く摂り、汗もかいているはずなのですが、昔の若い頃のような汗のかきかたがない上、運動不足でますます夜間頻尿の度合いをましていきます。一晩に3回か4回までで限度で、それ以上、1時間半に一度起きる無ペースになると、翌朝、かなりの疲労感が残っています。
色々試していますが、なかなか改善しません。
一晩に2~3回は許容範囲とすることにしました。
毎日の水分量は測ることは出来ません。そうでなくとも高齢者の熱中症などが懸念されるので、水分は多く取っています。
そして出来るだけ下半身に水分を溜め込まないようにするには、弾性圧力ストッキングが有効であること、確認されており、今回のこの「自力で克服」本の購入の機会に以前に使っていた、「ストッキング」やら、「竹踏み」やら総動員して、次の旅行「大阪を拠点にして白浜でパンダ見る」までには、ある程度成果・結果をあげようと、後一週間頑張っております。

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年07月17日

オーラルフレイルとは、老化は口・歯から始まる

老化の進行は男性の場合「メ・ハ・マラ」といいます。
メは目、ハは歯、マラは男性に限っては下半身の機能を云います。

目の老化の始まりは今でもはっきりと覚えています。

イースター島へ行くためにタヒチの空港で降りて、入国書類を暗い空港の机に向かって書いている時、あまりの書類に書かれている字の小さに、そして英語でなくフランス語であったためと、周囲の暗さの為、とイラつき、自分の目の悪さに毒つき、空港職員についに「Do you have reading glasses?」と云ったのを覚えています。
ついでにスペイン語でもいいました「tiene antiojo para viejo」文字通り、老人むけメガネという言い方です。
この時私は47歳でした、ついに老眼鏡が必要になったのか・・・
と今でもはっきり覚えています。

次の歯ですが・・・

昭和の時代、家が商売をやっていた、貧しい家庭の子供と育ったせいにしていますが、あの頃の子供は今の子のように、朝晩ちゃんと歯磨きをするような習慣はなかったと思います。
中学の修学旅行先でもみんなが一緒に旅館の洗面所で歯ブラシを使っていた記憶映像はありません。
そして、20歳に日本を離れ、南米で暮らすようになってからも、毎朝、歯を磨く習慣はなく、当然、自然に虫歯になり、ブエノスの歯医者さんに飛び込むと、有無もなく、抜歯されておしまい・・・そんな生活でした。

毎朝夕、しっかりと歯を磨く習慣は、日本に帰り、カミサンと暮らすようになった28歳の頃からですが、大が物件の現場監督仕事柄、お昼も、夜も不規則な食事で、家の外で歯磨きいるような習慣は、ありませんでした。
歯を大切にしなくはいけない、と真面目に、本気で考えるようになったのは、退職の数年前に定期的に通いはじめた横浜の歯医者さんからでした。
私より一回り下の年代、診察台3つだけのこぢんまりした診療所、割りと馬の合うドクターで、退職後鎌倉に越してきてからも、電車で二駅交通費をかけて、通ってきており、私のボロボロの歯を全て、このドクターに全面的にお預けしておりす。

最後の「マ」の下半身機能については・・・
色々差し障りあるやも知れませんので、次回ブログ「おしっこ」のページで書きます。
ひとつ、言えることは、比較的現役時代の仕事(接待したり、されたり)の性格と、退職後のホーム・ページ支援の客先として風俗関係とのお付き合いが長く、深いのでコロナ前まで、二年前までは、それまでの生活と一緒だったということです。

最近、ここ二ヶ月、毎週一度、歯医者さんに通っています。
前歯がもう限界にきているからです。
左奥歯、右奥歯ともに、歯槽膿漏と虫歯で限界に達し、抜歯して、ブリッジになっているところに来て、前歯も怪しくなって来ている所、ある日前歯でお気に入りのフライドチキンの軟骨部分を何時ものように噛み砕くと、前歯がかけました。
もう、全面降伏、お手上げでドクターに泣きついている状態が続いています。
こんな時、フレイルと云う言葉をネットで聞きました。

先ずフレイルとは
高齢になって心身の活力(筋力、認知機能、社会とのつながりなど)が低下した状態をいいます。
筋力などの身体機能の低下より先に、社会参加など他者との交流が減ったり、口の機能が衰えたりすることから始まります。
しかし、早めに発見しに適切な対応を行うことにより改善できる状態をまだ病気ではなくフレイルといいます。


そして今回のテーマオーラルフレイルとは、
噛んだり、飲み込んだり、話したりするための口腔機能が衰えることを指し、早期の重要な老化のサインとされています。
噛む力や舌の動きの悪化が食生活に支障を及ぼしたり、滑舌が悪くなることで人や社会との関わりの減少を招いたりすることから、全体的なフレイル進行の前兆となり、深い関係性が指摘されています。

私はこのチェック項目のほとんど全てがあてはまります。
・固いもの・・・これは義歯のせいと諦めかけています。
・薬が飲み込みにくくなった。確かに喉の筋力が衰えているのでしょう。
 コップ一杯の水を一気に飲み込めません。
・口臭は歯槽膿漏の悪化で気になっており、朝一番のリステリンウォッュがかかけません
・今までカミサンと一緒に終えていたのが、10分以上長く食卓に座っています。
・薄味がわかりにくくなってきている・・・このチェックシートで改めて実感しました。
・食べこぼし、情けない、年寄りだから仕方ない、自分自身でも哀れと思っています。
 これは口が十分に大きく開かれていないのでしょう。
・口の中に食べ物が残りやすい・・・歯茎が痩せてきているからなのは分ています。
 食事の後、口をゆすぐと大量の食べかすが洗面所に残るようになりました。

将来の何処かの施設で介護士に食事介助をされている自分の姿を浮かんでくるようです。
そうなってはいけない、絶対いやだ、今から積極的に予防しなければいけない
フレイル予防は3つの柱を底上げして、健康な日々を送ろう


1,栄養 食・口腔機能
 ・食事、(タンパク質とバランス)
 ・歯科口腔の定期的な管理
2,身体活動 運動・社会活動
 ・たっぷり歩こう
 ・ちょっと気張って筋トレ
3,社会参加 就労・余暇活動・ボランティア
 ・友人と一緒に食事する
 ・前向きに社会参加

別にこれらの1,2,3は、オーラルフレイルに限ったことではなく、退職した55歳の時から心がけてやってきています。今更、人様やネットから云われなくても十分に分かっててる、シニアライフ20年の現役経験者の私です。
足腰のトレーニングの大切さは分ていましたが、これほど口の中、歯が大切、歯が命とは思ってもみませんでした。
ボケなければいい。自分の足であるければいい。
そう思っていましたが、口元が緩んでき、食べ物をこぼし、時にはよだれを吹くティシュが必需品となっていく自分を自覚すると5年前、プログラム講座に参加していた80代の生徒さんの言葉わ思い出しています。
「自分自身が情けなくなることがあります、先生」と云った言葉を思い出しています。
あの言葉を聞いた一年後、あの83歳の生徒さんは、子供のいない、寝たきりに近い奥様一人を大きなお屋敷に残して逝きました。
まるで、自分の将来をみているようです。

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年07月15日

韓流ではない韓国映画、ベビーブローカーを観に行く


先々週、話題の映画「Plan75」を観に行ったカミサン鎌倉マダム三人クループは、月曜日、二週連続でやはり話題の韓国映画「ベイビーブローカー」を見に行きました。
二駅先の辻堂の109シネマ11時半上映なのに、10時に大船駅に集合して行き、帰って来たのは夕方6時少し前、電話があり
「夕飯、ルミネのお弁当でいい?、お茶してたらこんな時間になっちゃった」
「もちろん、OK、適当に食べるから、海鮮弁当以外ならOK」
帰って来て、「どうだった?」と聞くと
「エンディングロールまで座って見たわよ、BGMのピアノが素敵、ぜったいお勧めの映画」
「観客もほぼ満員、確かに女性向けって云えば女性、特に子供を生むと言う意味でもね」
という訳で、勧めた私も見にいってきました。

この映画は韓国映画で全て韓国語 日本語字幕
でもいわゆる、日本のおば様方がハマっている韓流ドラマではありません。
監督は日本の是枝裕和、主演は「パラサイト半地下の家族」のソン・ガンホ
この作品は6年前の映画祭で顔を合わせた是枝監督と韓国の国民的俳優、二人の会話から始まっていたと聞いています。
この作品の構想中に、是枝は「万引き家族」でカンヌ国際映画祭のパルムドールという最高峰の栄誉に輝き、ソン・ガンホはアカデミー賞作品賞を受賞した『パラサイト 半地下の家族』
で全世界を瞠目させ、NYタイムズが選ぶ「21世紀の偉大な俳優25人」にも選出されていました。
是枝監督と韓国最高峰の才能の出会いが、今回の作品のもとなっています。

是枝作品には共通テーマがあります。

2004年『誰も知らない』
柳楽優弥が第57回カンヌ国際映画祭において史上最年少・日本人初にして最優秀男優賞を受賞する作品は日本国内でも大きなニュースとなり、是枝の名前が知られるようになりました。
この作品は巣鴨子供置き去り事件を題材した、まだネグレクトという言葉が知られていない時代に育児放棄された子どもたちが生きる姿を映したものです。

2013年『そして父になる』
第66回カンヌ国際映画祭 審査員賞を受賞 主演福山雅治 作品は出産時の赤ん坊取り違い事件から先、二人の子供と双方の父親の葛藤を描いたものです。

2015年『海街diary』
鎌倉を舞台した物語の中心となる“四姉妹”を綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すずが演じる。
第68回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品作品。キャッチフレーズは「家族を捨てた父が、のこしてくれた家族。」
第39回日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞作品。三姉妹の父親は母と離婚し、地方で亡くなる、三姉妹は異母姉妹の四女を鎌倉に迎えて一緒に暮らしていく物語

2018年『万引き家族』
高齢者所在不明問題や万引きで生計を立てる家族など、実際に日本で起きた事件から着想を得て『万引き家族』を制作。
この作品で第71回カンヌ国際映画祭で最高賞となるパルム・ドールを受賞した

今回ともに共通しているのは「家族」と「血縁」です。

是枝監督は公開前に先立ち、ステーツメントを公開しています
この『ベイビー・ブローカー』の準備をしている日々で話を聞くことが出来た子どもたち。
彼らは何らかの理由で親が養育を放棄し施設で育ったのだが、その中の何人もが、果たして自分は生まれて来て良かったのか?という
生に対する根源的な問いに明確な答えを持つことが出来なかった。
そのことを知って僕は言葉を失った。
この世に生まれなければ良かった命など存在しないと自分は彼らに言い切れるのか?
お前なんか自分なんか生まれなければ良かったという内外の声に立ち向かって強く生きようとしている
あの子どもたちに向けて、自分はどんな映画を提示することが出来るだろう。
作品作りの中心にあったのは常にこの問いだった。
『ベイビー・ブローカー』はまっすぐに命と向き合い、登場人物の姿を借りて、自分の声をまっすぐに届けようと思った作品である。
祈りのような、願いのような、そんな作品である。

さて本番のストーリーは

古びたクリーニング店を営みながらも借金に追われるサンヒョン(ソン・ガンホ)と、赤ちゃんポストがあるキリスト教系施設で働く児童養護施設出身のドンス(カン・ドンウォン)。

ある土砂降りの雨の晩、彼らは若い女ソヨン(イ・ジウン)が赤ちゃんポストに預けた赤ん坊をこっそりと連れ去る。
彼らの裏稼業は、ベイビー・ブローカーだ。

しかし、翌日思い直して戻ってきた母親ソヨンが、赤ん坊が居ないことに気づき警察に通報しようとしたため、2人は仕方なく白状する。
「赤ちゃんを大切に育ててくれる家族を見つけようとした」という言い訳にあきれるソヨンだが、成り行きから彼らと共に養父母探しの旅に出ることに。
一方、彼らを検挙するためずっと尾行していた刑事スジン(ぺ・ドゥナ)と後輩のイ刑事は、是が非でも現行犯で逮捕しようと、静かに後を追っていくが…

全編、舞台は韓国南部の釜山で撮影されています。
いわゆる、韓流ドラマのようなソウルの大都市、近代建物ではなく、地方都市の古い町並みの映像のなかに、現代の韓国社会がかかえている諸問題、地域格差、経済格差、教育格差、兵役の問題まで随所に登場します。
主人公のクリーニング店(ソン・ガンホ)が兵役に行かなかつた理由は明かされます「刑務所に入っていたから行けなかった」
児童養護施設出身のドンスは、「僕も行ってない、養護施設出身は五輪メダリストと同じ扱いで、行かなくていいのだ」
そんな二人は、自分の生んだ子供を「赤ちゃんポスト」に預けた若い女ソヨンと一緒に、より良い養子先を探しに、韓国国内を古びたバンで旅します。
その車を二人の女性刑事が人身売買の現行犯逮捕のために、車を追い続けていく物語です。
結末は如何に?
いい映画でした。さすがアートテーマとエンターテーメントを併せ持つ是枝作品です。

映画っていいな
最近、いい映画が連続してやっているので、月に二回のペースで映画館に足を運んでいます。
NPOボラも、web講座も、夜の街のお店のサポートも止め、海外旅行も卒業し、時間もそして自分の使えるお小遣いも余ってきている現在、映画館へ足を運んで、大きな劇場の大きなスクリーンで
別世界に浸り、普段あまりすれ違わない若い世代の女性と接し、映画館までの交通費往復は400円
、入場料は1,200円、お昼は1,000円、合計2,600円、月に二回で5,000円。
もうすぐ、厄介者・社会弱者的イメージの強い「後期高齢者」の仲間入りする、団塊世代のオジサンとしては、いい「きょうよう」「きょういく」だと思います。


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2022年07月13日

週の始まりは何曜日なのか、手帳が月曜日始まりの理由は

令和4年も早くも半年が過ぎ、部屋のカレンダーを捲った時、ふと気がついた。
私の部屋のカレンダーは日曜日始まりなのだが、なぜかもう、必要はないのに、新しい年の為に購入し、手書きで予定を埋めている手帳は月曜日始まりです。
何故か・・・暇ですからネットサーフィンしながら考えてみました。

一週間は何曜日から始まるのか?
目についたのは、日本では「月月火水木金金だったはず」の意見とか
月水地火木土天海冥」と的違いの回答とか
英語では「サンデー、マンデー、チューズデー」と習ったとか楽しい、投稿を拝見しました。

世界のカレンダーは
どちらかをはっきりさせたいと調べていくと、どうやら宗教的要素が強く、カレンダー・月・曜日という概念を持ち込んだ、ヨーロッパ・ユダヤ教、キリスト教文化圏では、神は6日かけて天地を創生し、7日目に安息したとされ、その最初の日を日曜日としたからと云う説が西欧社会では一般的で、明治以降に日本にはいってきた暦から日曜日という概念が。東洋仏教世界にひろがったと云います。

しかし、ユダヤ教では金曜日の夕方から土曜日の夕方までが"シャバド"、西語の"サーバド"、英語の"サタデー"で安息日、日曜日は仕事始まりの曜日とされており、イスラエルでは、週末は金・土、一週間の始まりは日曜日です。
同じ一神教のイスラムの国のカレンダーは土曜日始まりです。

日本の手帳が月曜日始まりの訳は
手帳メーカーの「能率手帳」開発者によると、ウィークリータイプの手帳では日曜日始まりが普通でした。
転機は1990年、週休2日制度の定着です。
土日を休息日にし、旅行や家族との団らん日や、自分の予定をセット記入したいと云うビジネスマンのアンケート結果から一週間の始まりを月曜日にしました。
国際取引の規格「ISO」でも一週間は月曜日始まりとなっています。
現在、月曜日始まりと日曜日始まりの手帳をつくり続けてきており、85%は月曜日始まり、日曜日は15%だそうです。
但し、マンスリータイプは85%が日曜始まり、月曜始まりは15%で、男性はウィークリータイプを女性はマンスリータイプを好む傾向があるようです。
つまり、自分個人のそれも仕事に直結する用途には月曜日始まりのウィクリータイプのもの、その他、一ヶ月、一年間のロングスパンの予定、計画ではマンスリータイプ、日曜日はじまりのカレンダータイプを選んでいるようです。

私の場合は卓上カレンダー、日曜日タイプです。

団塊世代、昭和の時代のモーレツサラリーマンの典型的タイプは日曜日始まりです。

確かに、仕事優先で考えれば月曜日始まりが理にかなっているのでしょうが、前述の「能率手帳」開発者のコメントを見るまで、月曜日始まり・日曜日始まりの違いなんて考えてもみませんでした。
ずっと世界中同じ、違う暦を使うのは、アジア奥地の少数民族か北朝鮮ぐらいだろうと思っていました。

2002年、韓国・日本共同開催のサッカーワールトカップが開催されていた頃、韓国の北、平壌では対抗して「アリラン祭り」を開催しており、辺境の地好きの旅行会社社員と一緒に新潟からウラジオストック経由で平壌のホテルに入りました。
その部屋に飾ってあったカレンダーを覚えています。
月曜日始まりかどうかは忘れましたが、年だけ違うのに気が付きました、当時2002年ですが、恐らく北朝鮮の暦、年号で金日成の生誕か、建国元年からなのか、あるいは遥か昔の高句麗のころからなのか、分かりませんが、西暦とは違う数字ん゛書かれていました。
これは、明治期に来日した西洋人も同じように感じていたことでしょう。
暦と云うものは、その土地に根ざした歴史によって存在しているもので、何も、一年が12月、一週間が7日でなくてはならない必要生はなのでしょう。

世界のカレンダー事情


カレンダーは其の国々の生活に必要な情報が掲載されているケースを多く見かけました。
メキシコにはマヤ暦マヤ文字が現代のカレンダーと並んで書かれているのを目にしました。
何に使うのか聞いてみると、農業に役立つと云ってましたし、イラン、イラクを旅したした時に見たカレンダーは必ず、月の満ち欠けが掲載されていました。
これは、我が家の私の部屋のカレンダー、アジアの貧しい国々を支援する団体が資金援助の為に日本国内向けに作り、援助するアジアの団体にも一緒に届けている大型カレンダーと同じ意味を持ちます。
月の満ち欠けカレンダー
太陽暦ではなく、月の満ち欠けは、今でも農業を行うのに大切な情報なのだからです。
特に農業をやらなくても、月の満ち欠けの情報は、田舎、海、山岳地帯の電気通ってのない場所に暮らすには必須なのです。
若いバックパッカーで南米を旅していた頃、現地の若者に教えられました。
今日は満月だから、灯りがなくても歩いて行けると云われて、郊外のお店方向に歩きました。
今まで街で暮らしで、街灯がたよりの生活をして月の灯りの明るさを感じ取れませんいましたが、この時初めて月の明るさを身にしみてかんじました。
そして、昭和時代の流行歌の本当の意味を悟りました。
「月がとっても 青いから遠廻りして 帰ろ、あのすずかけの 並木路は想い出の 小径よ・・・」

人生、夜空の月や、星を見上げる時間が必要なんだ・・・と


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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ