
電気代どうしてこんなに高くなったの?

毎月、カード会社から、翌月の引き落とし詳細がメールに入ってくるのを、一応チェックしています。
今月の通知をみると、電気料金が7,200円あまり、となっています。
「ウソー、夏場のエアコン時期でも、シニア二人暮らしの5,000円を越さないのに、なんで」
「カミサン、なんか使った、電子レンジを使い放しにすることなんかないし、冷蔵庫開けっ放しでもないし、4月にエアコンも使わないし」
やはり世の中で云う、油、燃料の高騰のせいとしか考えられません。
カミサンのカーブスのお友達鎌倉婦人のお宅では、電気代は20,000円と云っているそうですが、私達夫婦は結婚して45年以上になりますが、電気代が7,000円オーバーというのは初めてです。
リタイヤ年金生活者が一番恐れる「インフレ」が始まってきているのでしようか?
インフレと早期退職者の老後生活
55歳と52歳の子供なしの夫婦は、はやく退職し、この先死ぬまで一生働かずに、二人の年金と、これまでの蓄えで生きていこうと、30代の後半、住宅ローンは完済した翌年から、早期リタイヤプランを策定してきました。
プランのなかで重要な要素は、自分の寿命とインフレ率です。
自分が亡くなるのは、日本人の平均的な寿命に夫は+5年、妻は+10年で作りました。
この計画プランで一番のネックとなったのが、日本経済のインフレ率を何%に設定するかでした。日本経済は戦後の混乱期のなか、インフレらしいインフレ、悪性のインフレは経験してきませんでした。
良性のインフレというか、経済社会全体の発展の為の賃金引き上げに伴うインフレは、バブル期の信託銀行の5年固定金利年、8%程度ぐらいだと私は感じていました。
働いている時は、物価の上昇よりも、企業に勤める社員の賃金の上昇のほうが多かったのです。
それに引替え、悪性のハイパーインフレとは

私がブエノス・アイレスで社会人と働き始めた頃、日本円の対ドル相場は360円、アルゼンチン・ペソは330ペソで、若干良く、私の初任給も日本の新卒の倍近くありました。
しかし、日本経済はこの頃から高度成長期に入り、ニュースで見る日本の給与はどんどんと上昇していき、当時の働いていたブエノスのユダヤ外資企業の給与をあっという間に抜いていきました。
そして、アルゼンチン経済は「労働者階級に媚びする政権」の誕生であれよ、あれよとあれよという間に、インフレ状態に陥りました。
労働者階級に人気のあったペロン大統領がなくなり、その妻と取り巻きによる政権になると、インフレは加速していき、ハイパーインフレとなりました。
私は、その頃、日本に帰国していたので、その凄まじいインフレは経験していませんが、お札の印刷に間に合わなくて、旧札にハンコで上書きしたものが流通していたそうです。
そして近年2001年のアルゼンチン政府のデフォルトです。
2003年私達夫婦が早期退職してから、何度も昔の友人を訪ねて、アルゼンチンに行っており、あの当時の混乱ぶりはよく聞いています。
海外に住む日本人、特に南米など政府が安定していない国に住む日本人は、本質的に自国通過を信用していません。
ペソは出来るだけ持たず、最小限にし、せっせとドルを買い、自宅に置いておくのは危ないので、ドル預金として銀行に預けるのが当たり前の生活をしていたも、政府対外債務のデフォルトは初めての経験のようでした。
ある日、突然、ドル預金の引き出しができなくなったそうです。
ドルを引き出すのに必要な書類は、「新車を買う」か「不動産を現金で買う」かの2つの選択しかなかったというのです。
そして、一般民間企業はほとんど開店休業、雇用の打ち切り、失業者の増大、年金生活者の支払いは当然自国通貨のペソですが、そんな年金では、牛肉数キロしか買えない金額だったようです。失業者が町に溢れ、ガードマン一人の募集に、街の1区画(100m)をオーバーする若い応募者の行列が沢山見かけたそうです。
ソ連崩壊後、エリツィン時代のモスクワでも、このような光景が

モスクア市内のキエフ駅裏に、大きな庶民向け市場ありました。※その当時1998年当時欧米・日本のような大型スーパーはみかけませんでした。
市場の裏通りには、何百メートルに及ぶ長さに、老婦人が各々、靴や衣類を目の前に持って並び、売っているのです。
そう、昔、敗戦後の焼け跡、闇市のように。
混乱期、インフレ期に一番の弱者は、年金生活者なのです。
2003年、アジアの各地を旅して、終の棲家を探して歩きました。
バンコク・チェンマイ・バリ島ウブド・マレーシアペナン、台北、色々現地で生活する日本人の方々と知り合いになりました。
この方々と退職生活資金のお話をする時、必ず話題になるのは、自分の寿命とインフレに関する問題です。
特に、私たち夫婦のように50代前半で早期リタイヤとなる、皆さん、興味津々で聞いてきます。
今でも、明確に覚えているのは、ミャンマーのインレー湖のほとりの宿に一週間滞在していた時に、地元の日本語ガイドさんから一年以上も、このミャンマーの田舎の地で暮らしている日本人男性がいると、紹介されお会いしたことがあります。
お会いして、お歳を聞くと私と同じ団塊世代です。
元々ODAの仕事でミャンマーに来て、気に入りこの地に住めるだけ長く住んでみようと、この国政府のお偉いさんを通して、長期滞在ビザで住んでいるそうです。
生活費は全て、ドルを闇市で現地通貨チャットに交換するので、月に50ドルもあればホテル代から飯代はかるく浮く、と言います。
そして、質問。貴方の計画ではインフレ率は何%と予測してます?
「貴方の早期リタイヤプランでの日本のインフレ率を何%に設定してエクセルに入力してるのですか」と聞かれました。
このような質問は、実は初めてではなく、ロングステイ、海外で暮らすことを考えている日本人は皆さん同じです。
私のインフレ率は「大手生命保険会社の一時払い保険の受け取り予測から弾き出しています」
2000年10月、私の定年後資産の一番の大口であった千代田生命が破綻しました。
私は正式破綻前の6月に、全保険資産を解約していました。
さて、この解約して戻って来た4桁のお金をどうしようかと、悩んでいた時、昔からお付き合いのあるMS生命が、見積もらせて下さい。云ってきました。
この時の確定利回りが、私のインフレ率の目安となっています。
2,000年この時、MS生命が確定利回りは2.7%でした。
バブル時に、投信・株をやっていた人たちから見ると、取るに足らない低利かもしれませんが、私は、これをOKしました。
しかし、二人で4桁の資産を全て3桁を一口にし、解約時税金がかからないように、数十口の契約し、私達は、自分のペースで引き出すと云う方法を
提案しました。
出来上がったのは、満期が来ても、据え置けるタイプの3桁一口が数十口という、大書類、証書になりました。

ラッキーだったのは、2003年に退職し、年金リタイヤ生活に入ってから、日本経済はゆるやかなデフレーションが20年近く続いていることです。
恐れていた、インフレではなく、デフレの世の中、ランチがワンコイン、500円以下で食べれる時代が20も続いているのです。
退職直後、アジアのフードコートで二人で5ドルで食べていたのが、現在のバンコクのフードコートでは恐らく一人10ドル近くはするでしょうし、ワイキキにいたっては、「丸亀製麺」でさえ、10ドルでは食べれない状況でしよう。
はたして、今回の原油高、ウクライナ問題、SDBsを発端とした、インフレは本物になり、私達団塊世代の生活をどの程度圧迫するのでしようか?
答えは、私達団塊世代が後期高齢者となり、高齢者介護施設にお世話になる頃に分かるかもしれません。
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