• もっと見る

2022年04月30日

知床海難事故で過去の色々な教訓を思い出しています。


一昨年の秋、私達夫婦は知床・ウトロ港にいました。
知床半島二度目のリベンジの旅でした。
昔、50数年前の高校二年生の時、二週間の当時の国鉄北海道内均一周遊券のバックパック旅行斜里までたどり着いたのですが、知床の観光拠点であるウトロへは列車の運行はなく、バスで行かなくてはならないのですが、高2の貧乏旅行、そのバス代が惜しかったのと、斜里で聞いた知床の天気が芳しくないので泣く泣く、網走まで引き返した思い出があります。
2019年は、阪急の北海道東側、3泊4日Gotoトラベルキャンペーン団体旅行のなかに知床観光の拠点、ウトロに宿泊して、観光船で知床岬を廻り、オホーツク海に流れ落ちる滝とヒグマを見れるとあって、50数年ぶりのリベンジと即座にカミサンと二人で申し込みました。

しかし、普段の行いが悪いのか、前日の知床五湖は雨のなかでした。
翌日朝からの知床観光船の運行状況はかなり怪しい状況でした。
ホテルを出るバスのなかで添乗員から、本日の知床遊覧船はウトロ港の全船舶出港中止という連絡があり、皆さんには、現金でこの場返金します。
と確か5,000円ほどキャッシュバックがありました。
バスは、ウトロ港には向かわず、世界遺産センターで自由行動、お買い物となりました。
カミサンは、雨は降っていなくても、こんな曇天のオホーツク海にでるよりも、5,000の返金でお買い物のほうが良いわ、と言いますが、私は50数年ぶりにやってきた
知床半島で再びシャットアウトとは・・・残念と、世界遺産センターから歩いて、ウトロ港を散策することにしました。

港には乗船予定のウトロ港最大の「オーロラ号」が停泊していました。

定員200名ほどの大型船です。港内の海は穏やかですが、空は曇天です。
港内には、漁船の他に中・小型の遊覧船の姿もありました。
私の本音は、「オーロラ号」のような大型船ではなく、出来れば小回りの効く小型遊覧船で出来るだけ、岸、滝に近く、ヒグマの姿が肉眼で見られるような、小型船を望んでいたのですが、阪急の団体パックではそうも行かいないのでしょう。

今回の海難事故の運営管理者の言葉
「折角、地の果ての知床までやって来たお客さんに、ギリギリまで船をだしてやりたい」という言葉は良く理解出来ます。
しかし、今だから言えるのは「安全を確保した上で」という条件最低限、必須だったのです。
個人旅行者は、現地にある数社の安全性を事前に確かめるには、ホームページしかありません。
ウトロの観光遊覧船は四社ほどありますが、ホームページ上で各社の安全運行基準を確認しようにも、一般的なもの以上の情報は得られないのです。
ちみなに今回海難事故をおこした「知床遊覧船」のホームページを紹介します。
https://www.shiretoko-kazu.com/
安全運行基準については、一行だけ記述がありました。

私達素人にはこれ以上の安全運行に関わる情報はなにもないのです。

私達が乗る予定だった大型船「オーロラ号」ではどうか?
41ページに亘る安全管理規程がPDFとして公開されています。
参考資料 https://www.ms-aurora.com/shiretoko/safety/safety_rules.pdf
第1章 総 則・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2
第2章 経営トップの責務・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4
第3章 安全管理の組織・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5
第4章 安全統括管理者及び運航管理者等の選解任並びに代行の指名・・・・・5
第5章 安全統括管理者及び運航管理者等の勤務体制・・・・・・・・・・・・6
第6章 安全統括管理者及び運航管理者等の職務及び権限・・・・・・・・・・6
第7章 安全管理規程の変更・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7
第8章 運航計画、配船計画及び配乗計画・・・・・・・・・・・・・・・・・7
第9章 運航の可否判断・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8
第 10 章 運航に必要な情報の収集及び伝達 ・・・・・・・・・・・・・・・・9
第 11 章 輸送に伴う作業の安全の確保 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・9
第 12 章 輸送施設の点検整備・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10
第 13 章 海難その他の事故の処理・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11
第 14 章 安全に関する教育、訓練及び内部監査等・・・・・・・・・・・・・12
第 15 章 雑 則・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 13

全ての国内の海の遊覧船を営業する会社は、国土交通省にる安全管理規程を義務つけられています。でもそれを一般のユーザーに公開する義務があるかどうかは、私にはわかりません。
ちなみにその他三社 知床クルーザー観光船 ドルフイン、知床世界遺産クルーズFOX 、ゴジラ岩観光のホームページにはいずれも掲載されていませんでした。
国内のみならず海外においても、私のホームページ、ブログを訪れる方々は、何度もこのようなような観光遊覧船に乗船していると思います。・・・が

乗船前に、安全であるかをチェックしたことはあるでしょうか?
私の場合これまでに・・・・
■ 松島湾クルーズ
■ 浄土ヶ浜クルーズ
■ 伊根湾クルーズ
■ 沖縄慶良間 ホエールウォッチング
● オアフ島 ホエールウォッチング
● マウイ島 ホエールウォッチング
● パタゴニア 氷河湖クルージング
● イグアスの滝下 遊覧船
● ナイヤガラの滝下 遊覧船
● カリブ・サンブラス諸島 クルージング
等など多数、いずれも全て個人旅行ですから、一度もそのような安全に関わる点を質問した記憶はありません。

海だけではなく空についても同様です。
● ラスベガスの夜景ヘリコプター遊覧飛行
● イグアスの滝ヘリコプター遊覧飛行
● ギアナ高地 テーブルマウンテンヘリコプター遊覧飛行
● ペルー ナスカ地上絵 セスナ遊覧飛行

観光遊覧飛行・乗船だけでなく、移動手段として利用してきた、タクシーその・バス・航空機にしても、噂程度では気をつけたほうが良いという話は聞きますが、其の時点他に選択の余地がない時には、利用せざる得ないケースは山ほどあり、「ひやり」とした経験は沢山ありました。

「ヒヤリ・ハット」の経験は
ラオスでは、
外務省の安全に関わる情報ページで、出来るだけ避けたほうが良いと書かれている、飛行機機種に乗ったことがあります。
首都ビエンチャンから南部のコーンの滝にむかう時に乗った小型飛行機は、離陸すると機内は真っ白な霧に包まれ、前も隣も見えない状態が5分以上続いたことがあります。
この時も一時、ここで散るのかと思ったことを覚えています。

パナマ・サンブラスへは
サンブラスへの定期便小型機では、登場する前に体重計に乗り、座る席を指定されました。
飛行機は中米と南米を結ぶジャングル地帯をかなりの低空で飛んでいきました。
この時はカミサンの手芸の趣味「モラ刺繍」の島に向かった時でした。このフライト以外に選択肢はなかったのです。
このサンブラスの小さな島から首都パナマシティに戻ってきて、「モラ刺繍」の専門店に行ってきたことを報告すると、「あなた達本当に行ってきたの!、私はここで専門店は何十年もやっているけど、一度も行ったことはないわ」
「あの飛行機、数年に一度の割合でジャングルに落ちているのよ」
知らないとというの、強い・・・

インドでは、乗った長距離バスが軽い正面衝突を起こしました。
インドを旅したことがある方ならご存知でしょうが、インドのバス・車は郊外の一本道で「チキンレース」を仕掛けるのは当たり前なのです。警笛をならしぱなしで、追い越しをかけて、対向車が迫っても、相手が避けるまでそのままのスピードで走り続けるのです。
この時は、お互いに譲らず、側面同士にぶつかり窓が損傷しました。
その時の運転手は乗客の私に向かって、相手が悪いという証明書にサインをしてくれ、自分は悪くなかったと会社に云ってくれと言う始末です。

ブエノスに住む友人は絶対に流しのタクシーは使いません。
Remis(レミース)という日本でいうとハイヤーを使います。
自宅から、電話をかけて呼ぶもので、料金はややタクシーよりも高めですが、何よりも安全です。タクシーを使う場合、絶対に路上ではなく、大きなホテルの前で乗ると云ってます。

サンパウロでは、タクシーで空港に向かう時、覚悟したことが
ここで私達二人の人生は終わるかと半分、本気で思ったことがあります。
イグアスから日本の帰路の飛行機に乗るため、サンパウロ空港に降り立ったのですが、帰路の航空機まで4時間ほど時間があるので、日本人街まで遊びに行き、そろそろ空港に戻ろうとタクシーに乗りました。
タクシーが高速道路を走りはじめると、南米特有の大豪雨で、ほぼ前方が見えない状態で走っているほぼと全ての車が路肩に止まり、雨が止むのを待っているのに、このタクシーは猛スピードで走り続けるのです。
カミサンは恐怖に怯え、運転手の頭を叩いて、「stop」「alto」と英語、スペイン語で云うのですが、運転士は私に、お前のカミサンうるさいから飴でも舐めさせておけ、とキャンデーを放り投げるのです。
これは、ヤバい、二人してサンパウロの高速道路に散るのかと覚悟した頃、タクシーは空港に到着しました。
辛うじて、出発の1時間前でしたが、出発ロビーに入る、空港アナウンスが私の名前を読んでいます、耳を傾けると出発時間が迫っているので至急ゲートに行くようとのアナウンスです。
まだ、1時間もあるのにと、空港内の時計を見て、悟りました。
乗ったイグアスとここサンパウロの間に時差1時間あったのを忘れていたのです。
後から考えると、あのタクシー運転手は、フライトに間に合うように、あの豪雨のなかを走ったのかもしれません。

いずれにしても、旅は非日常てす。
何処に、危険、罠が潜んでいるかも分かりません。
今回の知床遊覧船事故を個人レベルで防ぐのは無理かもしれませんが、何かしらの危険が潜んでいることだけは忘れてはいけない、という教訓を個人旅行者に伝えているのかもしれません。

ブログ管理人のホームページ団塊世代の海外ロングステイ 関連情報がメイン
  
ブログ管理人のwebサイト2011から2019年過去のブログ・アーカイブ

定年後の過ごし方サイト読者からの投稿・体験記事ページ
posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年04月28日

東京ブラックホールII 破壊と創造の1964年


4月の日曜日、午後暇で見るものがなく、新聞のTV欄をみると、再放送のようながら、見たことのない「NHKスペシャル」をやっているようです。
タイトルは「NHKスペシャルブラックホール 1964の日本・東京 歴史映像の中にタイムスリップ」当初、ブラックホールという名前から、科学番組なのかなと思っていましたら、どうやら違う、昔にタイムスリップし、当時の世相・文化を掘り下げるような内容のようです。

NHK新聞欄の解説によると
俳優・山田孝之が最新デジタル技術で「歴史映像」の中にタイムスリップ!過去を追体験する新感覚ドキュメンタリー。
1964年。それは東京五輪に向け、東京大改造や農村からの人口流入など“ブラックホール”のようなカオスが生まれた年。
銀座の地下でツルハシを振るう男たち、通勤地獄や交通戦争、過酷な現実に向き合う若者たち…。
当時の貴重な「未公開映像」を発掘し、知られざる熱狂の首都の姿を浮かび上がらせていく。



高校2年の秋、開会式をカラーで見た

この番組は二回目の東京オリンピックが開催される2020年の前年2019年に制作・放送されたようで、私は見ていませんでした。
戦後ベビーブーマー世代、大きな塊の団塊世代の私にとって、1964年、東京オリンピックの年はよく覚えています。
当時1948年(昭和23)生まれの私は17歳でした。
東京オリンピックの開会式は、近所の美容院のカラーテレビでみました。
今思えば、日本人選手団の赤いジャケットは不自然ながらの「赤」でしたが、初めてみるカラーテレビの前は、ご近所の人がいっぱいで、子供の私は、人々の後ろから覗き込んで見ておりました。
この番組のなかで今まで私が知らなかったことが沢山ありました。

ニチボー貝塚の女子バレーボールチームは解散予定だった。

1964年10月23日、
日本中の視線は駒沢のバレーボールコートに集まった。
東京オリンピックバレーボール女子決勝・日本対ソビエトは、日本のスポーツ中継史上最高視聴率66.8%を記録。 「東洋の魔女」と呼ばれたバレーボール女子日本代表は3-0でソビエトを下し、悲願の金メダルを獲得した。



女子バレーボールはこの東京大会までは競技種目に含まれておらず、1964年、開削国権限で新たに競技種目に登録されたのです。
それと云うのも、当時の女子バレーは企業スポーツ、当時全盛期にあった繊維産業が女性工員のためのリクレーションスポーツとして推奨され、全国・地方からの人集めに多いに役立ち、東京オリンピックが決定される頃には、ニチボー貝塚チームは、当時世界一だった、ソビエトを破り
世界一になり、一躍日本女子の栄光、国威掲揚と、ももてはやされたのです。
この時の大松監督は、世界一を機会にチーム解散の予定だったと、のちに話しています。
このNHKスペシャルでは、選手全員が既に引退を決めており、参加大反対だったのですが、世論の圧力で仕方なしに参加したと語っていました。

知らなかった女子バレーの裏側
この時の女子バレー参加国は5ケ国のみで、開催前前日、北朝鮮チームが参加取りやめして帰国し、オリンピック委員会の規定でトーナメントは成立出来ず、急遽、韓国の選手団が当日参加してなんとか成立したと報じていました。
あの当時、そんな事情は全くしりませんでした。

東京ブラックホール番組のなかで、会場建設、新幹線、首都高速などが次々に建設されていく裏側の東京を紹介していました。
近年の北京オリンピックで、北京の下町の木造建築は表通りから隠されるように塀ができ、壊されて行く様子、劣悪な公衆トイレ、溢れ出すゴミの山、スモッグで見えない青空、つばを路上で吐く人への罰則、寝巻き姿で歩く人など、先進国を目指す中国政府として隠したいもの多くを、中央集権政府の力で抑え込む姿が、日本の報道番組でも紹介されていましたが、1964の当時の東京でも全く同じことが行われていたのを、今回の東京ブラックホール番組で知りました。

汲取式トイレ・ゴミの垂れ流し・売血
東京にはまだ、汲取式トイレが多く残され、バキュームカーが吸い上げた汚物を東京湾沖に捨てていたこと、隅田川は汚物、ゴミで溢れ、異臭を放っていたこと、人々は平気でゴミを路上に捨てていたこと、町には生活に苦しい人々が売血所で、牛乳瓶2本分を1,000円で売ってしのいでいたこと、その結果、ウィルスが蔓延した輸血が2割にも達してたこと、海外からオリンピックにくる選手団が、日本での輸血を拒否していたこと。

余談ですが・・・
私は中学3年のときの怪我で3ヶ月入院し、その時の手術のときに輸血をうけていたようで、成人してウズへキスタス旅行中にA型肝炎に感染し、帰国後の体調が悪化し、カミサンの友人がいる国際医療病院に緊急搬送され、そのまま入院。翌日主治医から、A型肝炎は3週間のベッド安静で問題はないが、C型肝炎がある、輸血された経験はあるかと、問われました。
その後、そのまま、当時の唯一の治療法インターフェロン療法で三ヶ月入院し、現在では完治しています。

東京の空はスモッグで汚れ、来日する外国人は当時からマスクをしていたことなど・・・
北京五輪の開催中、中国政府は北京、河北省の全工場の操業を停止させ、青空を取り戻したというニュースがあり、日本では考えられないと思ったこと。

修学旅行で京浜工業地帯の赤い煙を見た

今、思い出しますと、二年前の1962年、中学の修学旅行で東京・鎌倉・江ノ島を旅しました。
鎌倉の次は羽田空港へバスで向かった先に川崎の京浜工業地帯をとおりました。
時刻は夕暮れ時、もくもく煙をあげる何本の煙突、赤く濁った空・・・バスガイドはこの風景を自慢げに、現在の日本の工業力の強さ的な説明をしていました。
まるで現代の私達が、北京のオリンピック準備を見る時に感じていた、ある種の軽蔑感、優越感は、1964年当時の欧米外国人と一緒だったのです。

東京から遠く離れた信州に育った私は、華やかな東京五輪の裏でこんなことが起きていたとは、全くしりませんでした。
しかし、高校を卒業して上京した翌年、ある知人から「東京五輪は、留置所でみていた」と聞かされました。
日本政府はじめ警察組織は、来日する外国人に見てもらいたくない風景のみならず、人間も隔離していたのです。
彼は私と同い年くらいの青年でした、ちょっとグレていて、町中のチンピラ風でした。
東京五輪の始まる二日前に、警察に囲まれ、捜査令状も理由もなく留置所に入れられたそうです。
そこで警察から、オリンピックが終わるまでここに留置する、そのかわりテレビは見放題、3食弁当を官費で支給する、五輪が終わったら、処分保留で釈放する、協力せよ、おかみの方針だと告げられたそうです。

今、あの当時を振り返ると、みんな若かった無知だった
日本人はみんな貧乏だった、と云われますが、とうの私達本人は、全くそうは思っていなかった。自分は無知でも、貧乏でもなく、自分の人生の前途には明るく輝く世界であると思っていました。
他の国、他の人の生活を知らなかっただけなのでしょう。
今回、改めて「東京ブラックホールII 破壊と創造の1964年」を見て、初めて知ったことが如何におおいことか!
NHKを全て、受け入れる訳ではありませんが、このような番組を作り続ける限り、少なくとも「地上波受信料」は払い続けます。

ブログ管理人のホームページ団塊世代の海外ロングステイ 関連情報がメイン
  
ブログ管理人のwebサイト2011から2019年過去のブログ・アーカイブ

定年後の過ごし方サイト読者からの投稿・体験記事ページ
posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年04月26日

同期、同級生、同じ団塊世代は全てライバル・competitor 


70歳を過ぎてから同級会のお誘いはない
ここ二三年に一度、中学校時代の同級会が、生まれ育った町で開催されてきましたが、70歳古希を過ぎてから一度も同級会開催のお知らせがありません。
地元に残ったり、都会での仕事を終えて故郷に帰ったりした中学校時代の同級生は、退職直後の60代前半の頃は、よく集まっていたと聞きますが、私が最後に中学時代の同級会に参加したのは、ちょうど4年前、古希を迎えた年でした。

その時の幹事T君は
中学時代一番仲がよく卒業してからも付き合いのある友人です。
私達の中学校は県庁所在市のなかでも、市立ながら県で最高レベルの県立進学高に進む生徒が多い中学校で、かなり多くの学区外からの転居・転校生が入っくる中学として有名で、クラスのなかで上位10名近くは、東大進学で有名な県立高校に進み、そのまま、ほとんどが東京・京都・仙台など大都市の国立大学一期校(当時の国立大学は一期校・二期校と分かれていた)か、東京六大学の私立校へ進むような環境、雰囲気の中学校でした。

確かに、私の中学校時代の同級生男子から東大・京大・東北大・北大など国立一期校や首都圏の有名私学に10数名が進学しており、当時の大学進学率をからみると、かなり教育県信州のなかでも抜きん出ていたような中学校でした。
そんな環境のクラスのなかでT君は、中学三年間づっとクラストップの成績で当然、県下一の進学校に進むかと思っていましたら、当時新設された国立5年制の高専に進みました。
彼の家は、小さなモーターの修理を扱う工場で、将来この家業を継ぐことに何の迷いもなかったと、後から聞きました。

T君の車は高級車レクサス
私が南米から戻った時、いの一番に再会したのが、高校でも、大学でもない中学の同級生のT君でした。
そのT君は、小さなモーター修理の工場を、地元自治体や国の施設の保守・点検を請け負う比較的大きな会社に成長させていました。
四年前開かれてた中学の同級会でも、県外に住み、同級会に帰ってくる仲間の送迎を、高級車「レクサス」でしていました。

「レクサス」を見て、私は「すげーな、さすが社長」というと彼は、「独身の俺はこのくらいの贅沢ぐらいしても良いだろう」と云います。
かれは、私と同い年ですからこの時70歳、人柄もよく、容貌も普通、結婚の障害となるような家庭環境でもないのに、どうして?と思い、
やはり同じクラスの独身同級生女性に聞いたことがあります。
今思えば、考えれば「セクハラ」発言でしょうが・・・
「どうして独身なの、同じ独身同士でT君なんてどう」
彼女の答えは「いい人だと分かつているけど、恋愛は別よ、あの人真面目過ぎて、面白くないもの」とのこと、ふーんそうなんだ女性の目には

信州の県条例とは
T君の実家と私の兄が住む実家が近いせいもあり、帰郷した時に数年に一度くらい会っていたり、T君が仕事として上京する際に、東京で会っていました。
一時期、頻繁に上京するので、「会社の仕事忙しいの?」と聞くと
「お前だけに云うが、お前も知っているだろうけど、信州は県条例で風俗営業が出来ないので、わざわざ仕事にかこつけて、新幹線で、県境を超える男性が多いんだよ、俺は独身だから別に隠す訳でも、わざわざ言う必要もないけどね」
私も独身のようなものですから、こんな話しが出来るのでしょう。

今年になって、彼が上京した際に会い、「ここ4年も同級会が開かれていないけど、どうしたの?」と聞きました。
彼は、少し間をあいて話しはじめました。
「実は地元ではここ数年、年に2度くらい同級会が開かれているだ」
「俺には何の連絡もないよ」と私。
「いろいろあってね。齢をとっても、妬みやら、地元に住む自分達と置かれている環境・生活に大きな隔たりがある同級生とはあまり会いたくないという、心理があるようで、お前には連絡してないんだよ」

「なによ、それ
「お前は、50代そうそうでさっさと退職し、好きなように海外で暮らし、俺たち中学校の修学旅行で憧れた鎌倉という土地に住み、ボランティアかもしれないけどNPOやら地元地域に貢献するような充実した老後を送っていると聞くと、年老いた両親の介護やら、自立しない独身の息子や、出戻り子連れの娘をかかえて生活しているような家庭を抱えている同じ年代にとっては、あまり会くない相手なんだよ」
「俺は、別に自慢話をしているとは思わなかった。定年後、老後をいきいきと暮らして欲しいと思って話していただけど、そう思う人もいるんだ」

そして「小学校や高校、大学の同級会、同窓会に行ってるの?」と聞かれました。
小学校は町の真ん中、県下一の商店街やら歓楽街がある町で生まれ育ち、小学校を卒業すると、2つの中学校に分かれて進学しました。
出入りの多い、商店街の子供と大きな駅周辺が学区のせいか、小学校の同級生の卒業後は散り散りになれ、あるいは、私が18歳で故郷を後にし、その後海外に出たり、生まれ育った実家はお店だけ残して、郊外の新興住宅に引っ越したせいか、一度も同級会の案内はありませんでした。

高校の同級会はどうかと云うと・・・
現役・現業時代に一度だけ、故郷で開かれた同級会に参加しました。
1990年代、バブル真っ盛りの頃でした。
この同級会も地元に就職した、一部の昔からの仲良し・飲み仲間的グループと、東京の一部上場企業に身を置く、特に金融・商社関係者が多く、会話の大半は、給料・ボーナスの話しと、仕事の話しばかりでした。
当時、東京都庁の建設や、赤坂・六本木の再開発の現場に携わっており、同じ世代でも業種によってはこんなに仕事に向き合う姿勢が違うのかという感覚に陥りその後は
全く高校の同級会には参加していません。

55歳で退職し、住まいを鎌倉に移した時に、当時の幹事役に、住所の変更と現在のリタイヤ後の状況をハガキでしらせましたが、それ以降全く連絡はありません。
この幹事役は実兄の勤めている会社の部下ですから、兄から私の現況を知っているハズです。

この話しを先程の中学校の同級生のT君に話すと
「幸せな人、成功している人の話しは聞きたくないんだよ」
「男は何歳になっても、同期・同級生はライバル・competitor何だよ」
「特に、俺たち団塊世代は、小学校に入った時覚えている?、教室の一番後ろまで机・椅子があった一クラス60名だったの」
「俺たちの中学校だって一学年16組まであったのを覚えているだろう」
「子供の頃から、進学・就職・結婚・住宅まで全て競争さ、これから病院・老人ホーム・葬儀場・火葬場まで競合・競争・抽選さ」

大学は中退、専門学校は夜間で、卒業後の連絡は一切なし

元勤務先はどうかと云うと、退職後10年までは、年賀状と年始のご挨拶にいきましたが、お世話になった上司がなくなってからは、全て途絶えました。
私の実家との盆・暮のご挨拶代わりのお歳暮・お中元は、先方より、虚礼廃止とのお手紙で中止しています。

子供のいない夫婦は、現在の住まいでは町内会とも関係はなく、唯一、カミサンのスポーツ仲間の御婦人・友人だけが繋がっている状況です。
年齢を重ねるうちに、お付き合いは年々に狭くなり、兄弟とも縁遠くなり、最後は家庭・家族、我が家のように子供もましてや孫もいない家の場合は伴侶だけとなるのを、実感する黄昏の時間を感じています。


ブログ管理人のホームページ団塊世代の海外ロングステイ 関連情報がメイン
  
ブログ管理人のwebサイト2011から2019年過去のブログ・アーカイブ

定年後の過ごし方サイト読者からの投稿・体験記事ページ
posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年04月24日

ひたち海浜公園のネモフィラを見に行く日帰りプラン


ゴールデンウィーク近くになる桜が終わったあとは、家の廻りの花々が一斉に咲き始めます。
道路にきわに植えられている、つつじが一斉に咲き、廻りの丘には自生の藤がたわわに咲いているのが見えます。近くの年間パスポートを持っている県立フラワーセンターが一番綺麗、賑わう時期を迎えます。

今年こそは行ってみたいと、思っていた「ひたち海浜公園」へ
この時期になると、各所の花の名所の様子を各TV局で報道します。
そのニュースを見て、暇だけは十分にある年金シニアは、出かけたくなります。
ましてや、動画・写真好き、フログ・SNSのネタ探しにとっては格好の題材になります。
今年は、予てから気になって、行きたいと考えていました「青い絨毯の丘」「国営ひたち海浜公園のネモフィラ」を見に行く計画を考えていました。
先ず、場所を調べて見ると、常磐線・水戸駅のひとつ先「勝田」が最寄り駅です。
自宅最寄り駅から勝田まで、普通電車で大船・品川・勝田まで最短で3時間6分、3,080円です。
数年前に水戸偕楽園の梅を撮りに行った時に、このルート・乗車時間は経験してますが、今回はカミサンも行くというのです。

カミサンの言い分は。
■ 今年2022年は一泊を含む旅行はしていないのだから、旅の予算は余っているハズ。
■ 70代の夫婦が、3時間オーバーもかけて目的地に行くの、疲れるし、体裁も悪い。
■ 今年も来年もとうなるか解らないのだから、少なくとも特急列車にして。
 とお願いされました。

大船06:33 東海道線⇒東京07:17 東京常磐線 07:23(特急ときわ51号)勝田08:54 
確かに所要時間は2時間20分で@4,660円
二人で、往復電車代だけで20,000円かかる、首都圏近郊とは思えないかなり遠い場所なのです。 
でも・・確かに、最近長距離の旅の後に疲労感が残るお年頃、たしかに今年の旅予算は余っているから、「まぁいいか」
往復の電車代に、勝田からのバス代、入場料に食事と喫茶とカミサンの大好きな、お友達へのお土産代を足すと、凡そ二人で3万円はみておいたほうが・・・関東周辺の二人・日帰り旅行として少し高く付きそうなの仕方ないか・・・

ちなみに、東京発の日立海浜公園のネモフィラを見に行く日帰りプランを調べてみました

・・・・・参考HISバスツアー・・・・ 
4月26日 東京発07:20<高速道経由>
ひたち海浜公園滞在2時間
大洗磯前神社神々しい海上鳥居!絶景パワースポットを参拝)
めんたいパーク大洗明太子や明太子製品のお買い物)
あみプレミアム・アウトレット (お買い物/約60〜120分)
<高速道経由>東京(18:00頃着予定)
お弁当付き・入場料つき @8,000円


プラス大船・東京間 @814円☓2 =1,630円 二人合計 17,630円
団体パックツアーが個人・自由旅行より安いのは当然です、入場料・お弁当まで入っていており、カミサンのお土産代・喫茶を勘案しても、1万近く安いのは分かっています。
しかし、花を見に行く目的の旅行としては、団体パックツアーは大欠点があるのです。
この催行決定の日のお天気、開花状況は「運任せ」なのです。開花状況は其の年、気温によって変わりますし、ましてや天気は、毎日ネットで見ていても、刻々と変化
します。雨の日のお花見ツァーは勘弁してください。キャンセルしても行きたくない。
ましてや、行きたくもないプレミアム・アウトレットや、めんたいパークはパスしたい。

教訓 来年後期高齢者となる・老い先短い・暇と時間は十分にある・小金持ちの団塊世代には多少高くなろうが自由旅行をお勧めします。

勝田駅から海浜公園へは路線バス
勝田東口09:00バス茨城交通 海浜公園西口 09:16 @400 
入場料 @460(この時期限定で値上がりします、普通710円、65歳以上シニア割引の値段です)
滞在予定時間 ≒2時間40分 お昼時間含む
このネモフィラシーズンは土日、GWには、茨城交通直通バスが出ています。私達が行った22日は平日でしたが、直通バスが出ていました。
しかし、この直通(所有時間10分)バスに並ぶ人大勢の観光客の多さに驚き、私達は16分かかる路線バスを選択しました。これならゆっくりと座っていけるのですから。

国営ひたち海浜公園のまわりはびっくり

今回の大目的、「みはらしの丘」の青のジュータン・ネモフィラの広がるイメージを持ってバスは、国営ひたち海浜公園西口ゲートに向かいます。
広大な太平洋をバックに自然あふれる大公園を想像していました。
確かに、そのとおりなのですが、この国営ひたち海浜公園の周辺は、日本の地方都市の縮図そのものです。

国営ひたち海浜公園のゲート前は「コストコ」です。
となりに「ヤマダ電機」「TOHOシネマズ」その先は「ホームセンタージョイフル本田」「ユニクロ」その他諸々の全国展開ショップのオンパレードですし、勝田駅から一直線の広い道路の両側は、日本中の外食チェーンのお店、ほぼ全てが広い駐車場付きで連なっていました。
私のような神奈川県の田舎とも云うべき、狭い、昔ながらの鎌倉の町からすると、驚くべき風景、まるでアメリカの郊外の町のような風景らびっくりしました。

平日の金曜日9時半の開門と当時に入ったのに、この人出は、皆さんもう連休に入っているのでしょうか? その割には東京から特急列車はさほど混んでもいなく、勝田駅大量下車もしていませんでした。そうか、北関東(カミサンの実家栃木・群馬のような)は家族一人に一台の圧倒的な車社会なんだ、と実感しました。

ネモフィラの花を実際に初めてみました。

何度か、テレビニュース画面で、丘を埋め尽くす「青いジュータン」の絵柄を見ており、実際のネモフィラの花の大きさは、朝顔、ペテゥーニャぐらいの花ぐらいかなと思っていましたが、実際にはかなり小さいものでした。
それで納得、この青い丘は、一つ一つのネモフィラの苗を植えているのではなく、この時期に開花するように一斉に種にマシンでばら撒くのでしょう。
パンフレットによると、およそ500万株のネモフィラのようで、このあとこの丘は、秋の風物詩「コキア」が植えられるようです。
ゴールデンウィーク前の平日なのに、みはらしの丘は観光客でいっぱいで、かなり密の状態です。これが翌日の23日の土曜日、それに続くGWとなると歩くのも、止まって撮影するにも大変な状況になるであろうことは、想像出来ます。
お天気も、予想通りの雲ひとつない晴天で、十分に満足しました。

期待以上だったのが園内のチューリップ

滞在予定時間の3時間のうち、1時間少しで、この見晴らしの丘を降りて帰路の西口エリア周辺で軽い食事をしようと向かって「たまごの森ガーデン」によると、そこには、今まで一度も見たことのない、色、形の広大なチューリップの寄植えがありました。
大きな森の木々から差し込む陽の光がまるで、計算されたかのようなスポットライトとなり、沢山のチューリップを照らし出しているのです。
青一色のネモフィラの世界から、まるでおとぎ話のような、カラフルなチューリップ畑・・・カミサンはネモフィラの群生よりも、このチューリップが気に入ったようで、初めてスマホカメラで撮影をしていたくら、気に入った様子でした。

次に向かうのは、太平洋側の大洗へ

当初日立海浜公園のネモフィラを見に行く日帰りプランを考えた時、私一人でしたらこのまま、真っ直ぐに戻ってもいいのですが、折角二人で片道3時間、5,000円近い特急込料金できて、滞在2時間で帰るのも勿体ないない、そこで、旅行会社各社の日帰り団体パックの旅程を調べてなかで、前述のHISの日程に「大洗磯前神社神々しい海上鳥居」がありましたので、調べてみると、水戸から、鹿島臨海鉄道で3つ先、かつて、泊まったことのある大洗にある、かなり写真写りの良い神社があるようなので、帰路、寄ってみることにしました。

海浜公園 12:03⇒勝田12:20 @400  
駅乗り換え5分 
勝田12:25⇒12:32水戸⇒12:44 鹿島鉄道乗り換え⇒大洗13:00 @519 

大洗駅には30年ぶりに降り立ちましたが昔の面影は全くなし
昔、袋田の滝を見にいった帰り、そのまま帰るのが勿体ないと、太平洋の朝日が見えるホテルで過ごそうとやってきていました。
その時のホテルは、当時大相撲の新大関「雅山」の実家が経営する「大洗ホテル」で、今回向かう、大洗磯前神社の前ですが、其の当時はこの神社の話しは全く耳にはいらなかっし、荒海に立つ鳥居も知らなかったのですが・・・

大洗磯前神社下へコミュニテイバス

大洗磯前神社へのルートを調べると、大洗町コミュニテイバスが1時間に1本でています。
ということは此処に何にもなくて、撮影が10分で終わっても、次の帰りのバスまで1時間近く待たされることになりますが、一人ではなく、二人なのと、お買物大好きカミサンが一緒なら、どこかのお土産物屋さんでもあれば、十分に時間を潰せるだろうと考えました。
撮影は予想通り、15分で済み、高台のある長い石段を上りきった先の神社にお参りしても、まだまだ時間は余ります。
カミサンが気に入りそうなお店もカフェもなく、ひたすら帰りのバス。
大洗磯前神社下14:51⇒大洗15:01 コミュニテイバスを待つのですが、いっこうに来ません。
このバスに乗らないと、鹿島臨海鉄道の水戸行きの電車乗り換えに間に合わず、自ずと、東京行の特急列車は次の次になってしまいます。
つくづく、テレ東の「路線バス乗り継ぎの旅」蛭子能収さんのご苦労を思い出していました。
結局、コミュニテイバスは7分遅れで、大洗磯前神社下バス停に到着し、大洗の駅に到着した時には、水戸行きは出た後でした。
幸い、この時間は路線の高校の帰路の時間帯で25分後の水戸行きにのれましたが、この電車新入高校生が集中する時間帯で、またまた遅れて、計画、予定していました東京行の特急の2本後の列車の帰宅なりました。 

今回の旅の精算は
交通費・入場料 @11,700 二人23,400円
食事 二人 1,600円 総合計25,000円 
普段なら、カミサンのお土産代やら途中の喫茶、食事などが結構な金額になるのですが、今回は食べるものなし、買いたいものなし、で予算は5,000円あまりました。
残った金額はGW開けに予定しています、「夕張 幸せの黄色いハンカチ広場」旅行へと繰り越すことにしました。
行きたい所はまだまだ日本国内にいくらでもあるのだから。

ブログ管理人のホームページ団塊世代の海外ロングステイ 関連情報がメイン
  
ブログ管理人のwebサイト2011から2019年過去のブログ・アーカイブ

定年後の過ごし方サイト読者からの投稿・体験記事ページ
posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年04月22日

牛丼吉野家の危機「生娘」「シャブ漬け」発言で私は当分食べない

天声人語の筆者は珍しく筆が怒っていた。
天声人語は四季折々の季節の移り変わり、社会的な話題を取り上げいる良質のコラムとして掲載しており、多くのシニア世代はパソコン・ネットの普及で実際に文字・漢字を書くことから遠ざり、書けなくなっていることから、天声人語の書き写しを朝一番の日課としている人が多いと聞いています。私の廻りにも、特にシニア女性を中心として、専用の原稿用紙ノートを愛用している人が多く見聞きしています。

タイトルは「生娘シャブ漬け戦略」
事の次第はTVニュースで既に見聞きしていましたが、改めてことの重大さ、怒りがと同時になんで吉野家の役員・取締役の発言なのかと疑問が湧いてきました。
ことの発端は早稲田大学の社会人向けマーケティング講座での吉野家常務の講義のなかでした。
この講座は全29回、受講料38万5千円という、けっして安い受講料ではなく、社会第一線で活躍している企業のマーケティング担当者が講師です。
当然ながら、吉野家の常務取締役は、いちマーケティング専門家ではなく、天下の吉野家を代表として招聘されてきているのです。

「田舎からでてきた右も左も解らない女の子を、無垢、生娘のうちに牛丼中毒させる」
「そのうち、男から奢ってもらって、都会的なレストランで食事するようになる前に」

云いたいこと、販売戦略の方向は分かります。

昔から女性一人では入りにくい店でした。

吉野家は女性が入りにくい店構え、我が家のカミサンも「吉野家の牛丼は食べたいけど女性一人では入りにくい」と云います。
この発言の常務取締役は外資系のマーケティング担当から、吉野家に転職し、現在の客層「男8:女2」の割合を如何に女性を増やすかに重点を置き、従来のカウンター型の店舗を改め、現在進行中のカフェ並のテーブル配置に移行したプランを実行した人物です。

確かに、吉野家の牛丼は、ガテン系の男性が多かった。
私のブログでも何度か建設業界に従事してきた人間として、吉野家の牛丼について書いています。
私が南米から戻ってきて最初に働いた築地市場に吉野家発祥の第一号店がありました。
ここでは必要とされていた「やすい、うまい、はやい」は、朝の忙しい築地で働く労働者に絶大な支持を得ていました。
ここ10数年、マスコミに取り上げられる、築地市場内の「寿司屋」や「ラーメン」は、ほとんどは、外部からの客の為のものでした。
ましてや、築地場外のお店は、プロ向けではなく一般観光客向けで値段も高く、場内のプロは見向きもしないで、盛況のさまを冷ややかな目で眺めていました。
やがて、私は卒業後、バブル時代の建設業界で働くようになりました。
新宿西口の再開発、高層ビル群、東京都庁建設と進み、吉野家は、夜食、早朝、昼食には無くてはならない存在になりました。
深夜作業が朝まで続くと、協力会社の若手職人に、事務所スタッフと作業員全員の数を数えさせ、一番近くの吉野家に買いに行かせるのが日課で、この時のゼネコンの所長が云った言葉は今でも覚えています。
「やっぱり、牛丼は吉野家に限るな」
「松屋」「すき家」にはこの味はだせない・・・と

退職後のお昼予算はワンコイン
そして、退職し年金シニア生活にはいると、お昼に何を食べよう・・予算はワンコイン500円となると限られます。

・日高屋の中華そば 390円
・てんやの天丼 500円
・100円マック チキンクリスピー 130円☓2
・コンビニお握り 130〜180円☓2
・丸亀製麺のうどん弁当 370円
・吉野家の牛丼弁当 419円
・業務スーパーの弁当 330円
・冷凍チャーハン、冷凍スパゲティ 等など


しかし、今回の暴言でしばらくは「吉野家」は敬遠し、「松屋」「すき家」にチャレンジしてみます。
今、改めて考えるに、かの常務は、外資系にいたのにどうして「ファン」という言葉がてでこなかったのでしょう。
地方から都会にでてきた若い女性を是非、「吉野家のファンにする戦略」
吉野家も、そんな女性が気軽に入店できるように改装を進める・・・で良かったのです。
そして、ちょっと気になるのは、この早稲田の社会人講座に女性受講者はいなかったのでしょうか?
「生娘」という言葉は少し性的なイメージが強すぎます。
「シャブ漬け」は論外、「ファン」で良いのです。

ブログ管理人のホームページ団塊世代の海外ロングステイ 関連情報がメイン
  
ブログ管理人のwebサイト2011から2019年過去のブログ・アーカイブ

定年後の過ごし方サイト読者からの投稿・体験記事ページ
posted by 西沢 at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年04月20日

認知症グループホーム 注文を間違えるカフェinかまくら

注文を間違える料理店という名の本ご存知ですか

「注文をまちがえる料理店」とは、2017年にテレビ局ディレクターの小国士朗さんを発起人にスタートした、認知症の方々がホールスタッフを務めるレストランプロジェクトです。
「注文をまちがえる料理店」のユニークな取り組みは、日本、アメリカ、中国、イギリスなど世界中で注目を集めました。
社会にもたらした影響や、プロジェクト全体の優しいデザイン、コミュニケーションのあり方が高く評価され、国内外で数々の賞を受賞しています。
これらドキュメント映像、取材記事を通して、「認知症を知る」「認知症と向き合う」というきっかけが生まれ、各地に続々と登場し始めた小規模ながら、家庭的な雰囲気のなかで、介護老人ホームとは少し違った形でいきいきと、過ごしていただく施設が登場しています。

花物語かまくら グループホーム「テヘベロ」の取り組み

今回、元所属していましたNPOセンター鎌倉から、認知症グループホーム花物語かまくら内の有志スタッフによる、「注文をまちがえる料理店」ならぬ「注文を間違えるカフェ」を鎌倉プリンスホテルの協賛で会場を用意していただくことが出来、其の様子の記録を動画として残したいのとのリクエストで、協力を要請されました。
その時、既に正式にNPOセンターの広報担当を72歳という年齢を理由に退任しおり、またリタイヤ後に所属していました「ビデオクラブ」も卒業していましたので少し考えさせていただくようにしたのですが、「認知症グループホーム」という組織・形態にの少し興味がわきました。

理由は幾つかあります。
一つは、
鎌倉NPOセンターで登録されている、市民活動団体向けにIT・パソコン・webのサポート講座を担当していた時の最初の仕事は、「老人ホーム評価センター」という民間団体のホームページ立ち上げの指導・協力でした。
私はその当時、早期退職直後の50代半ばで、まだ自分の人生のなかで、老後の介護問題、老人介護施設・特別老人ホームとかは、まだまた先の話しで、単にこの団体に対して、ホームページ作成の技術的な指導、サポートだけと考えていました。
しかし、実際に一緒にサイト作成に携わっていると、知らない用語・専門的な知識が沢山でてくるのです。
いつかは、自分もそして、私が属している戦後ベビーフーマー、団塊世代はこれから先、このような日本が直面している、超高齢化時代を正視しなくてはならない時代がくるのだろうと漠然と思っていました。
それが、今回、団塊世代が後期高齢者に属しようとしている時代になり、自分自身の問題になろうとしているのに気づき、微力ながら認知症グループホームの50代・60代のスタッフのお手伝いになればと、参加することにしました。

もう一つは
有吉佐和子著「恍惚の人」を読んだことです。
ちょうどこの頃、鎌倉の認知症グループホームからのサポート以来があった頃、朝日新聞の天声人語で「恍惚の人」が取り上げられていました。
「恍惚の人」の初版が発売されたのは、昭和57年5月です。
私は当時34歳、両親は67歳・62歳でしたから、まだ親の介護とか、認知症にたいする意識はまだまだ遠い先のことでした。
本の出版からちょうど40年後、74歳にして初めてこの「恍惚の人」を読みました。
私の実家の父親は、1987年71歳、動脈瘤破裂でなくなり、母親はその20年後の2007年に85歳で亡くなりました。
両親は実家を継いだ兄と兄嫁が看取りました。
遠く離れていると云っても新幹線が開通した近年なら、鎌倉から2時間でいける距離ですが、葬儀の後に父親の軽い認知症と母親のかなり重い認知症と兄夫婦の介護の苦労を知りました。
この有吉佐和子著「恍惚の人」をもっと早く読んでいたならば、もう少し、出来ることがあったのではと、後悔の念が湧きました。

注文を間違えるカフェinかまくら

4月18日、午後、鎌倉プリンスホテルバンケットホールで、認知症グループホームの入居者とスタッフの手で、入居者の家族の皆様をお客様として、「カフェ」を開催されました。
感染症はいまだ下火にならないなか、参加者限定のなか今、超高齢化社会で何が起こっているのか、行政として何ができるのかを見ていただきました。
これまでに、何度かグループホーム内では、お互いにお客様と喫茶スタッフに分かれて練習してきたように、軽い認知症症状のある入居者の喫茶スタッフ役はそれほどの混乱もなく無事に、お客様にプリンスホテルが用意してくださった「コーヒーとケーキ」の注文を受付し、厨房に伝え、お客様の席へ運ぶことができました。

一連のイベントには、色々な団体が参加されました。

今回のイベントの目的は、「注文をまちがえる料理店」により、全国に認知症とはなんぞや、認知症という症状は決して恐れるものではなく認知症というものを理解していただき、普通に私達と一緒に共存出来るものだと、知ってもらう為です。
ですから、このようなイベントには多くの皆様に知っていただくために、多くの方々の協賛、協力がありました。

行政側から市長と社会福祉協議会の皆さん、ボランティをサポートする私達NPOセンター、この認知症グループホームがある、地域の自治会の皆さん、そして会場の雰囲気を醸し出す「新堀ギター教室の講師」の生演奏、入居者のご家族、そして地元コミュニティ紙のタウンニュースなどが来場され、認知症に対する取材をしていただきました。。
尚、会場は「鎌倉プリンスホテル」さんに場所を提供していただき、コーヒー・ケーキなどの実費だけというご好意に感謝してます。

残る仕事は撮影した映像の編集が残っています。
撮影カメラは4台、スタッフの1台、私を含めたNPOセンター応援ボランティア2台、と入居されているご家族のなかの映像関係者の1台です。
これらの4つのカメラで撮影されたものを
1,入居者の皆さんが、グループホーム内のシアターで鑑賞できる程度の長さのもの
2,グループホームのホームページに掲載する、3分程度のもの
3,神奈川県の認知症啓蒙サイトにUPするもの
 の合計3本を作る予定です。
当初、この編集を私がやる予定でしたが、私の持っている編集ソフトは、地方の民間放送局が使うような「本格的」なもので、ちょっと習得には時間と知識が必要になりそうなので、グループホームの広報スタッフのPC内にある比較的一般的なソフトで編集することになり、正直「肩の荷がおりました」
一般公開できる段階になりましたら、You Tube URLをここでご紹介致します。


ブログ管理人のホームページ団塊世代の海外ロングステイ 関連情報がメイン
  
ブログ管理人のwebサイト2011から2019年過去のブログ・アーカイブ

定年後の過ごし方サイト読者からの投稿・体験記事ページ
posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年04月18日

体力・筋力の強化、復活の為の長距離散歩「一駅ウォーキング」

鏡に映るやせ衰えていく大腿筋

毎朝、体重計に乗るたびに鏡に映る自分の太ももの筋肉の衰えを実感しています。
洗面所の下の体重計を引き出す時に屈む時の動作がキツく感じる日々が増えてきています。
後期高齢者の手前の自分の年齢を意識しています。
このままでは行けない、近所を散歩している80代の諸先輩の、前かがみになって、脚を引きずりながら小さな歩幅で歩く姿を見て、今からでも自分自身の脚力、筋肉を鍛え直さねばいけない・・・と自覚しています。

どうすれば良いか
自分の部屋で一日の大半をパソコンに向かっている生活を改めなくては。
カミサンは、「歩け」と云います。
でも・・・まるで老人の徘徊のように自宅周辺を歩くのは嫌だ、辛い。
図書館や、量販店、ショピングセンターへ歩いて行っても、欲しい物、見たいもの、手にとってみたいものもない。
そこで、一週間に一度、スケジュールをたてて、筋力・体力の増加、改善につながるように、エクササイズとして歩こう。と決意しました。

何処をどうやって歩けばいいの?
目的地をはっきりと決めよう、それも一週間に一度だけだから、候補地を8ケ所ほど設定すれば、2ヶ月の間、毎週一度はかなりの運動量になるはず。
先ずは距離は考慮せずに考えたのが一駅ウォークです。
最寄り駅から、お隣の駅まで歩く、それも出来れば毎回ルート変えて歩く。
先ずは、自宅からお隣の駅までの距離をネットアプリで測ってみました。
距離測定アプリ 地図蔵

目的地は以下の8ヶ所と仮に設定し、測ってみると
根岸線  上り方面 本郷台  4km
東海道線 下り方面 藤沢まで 5km
東海道線 上り方面 戸塚まで 8km
横須賀線 下り方面 鎌倉大仏まで 7km 手広経由
横須賀線 下り方面 北鎌倉 4km 円覚寺・建長寺
横須賀線 下り方面 鎌倉 5km 鶴岡八幡宮
モノレール線 湘南深沢 4km
モノレール選 江ノ島  9km

最長距離の江ノ島まで9km、私の身長から計算して1時間50分とでました。
9km2時間なら歩ける、あの「テレ東・路線バスの旅」のなかで、あのよれよれ、同い年の蛭子能収さんが歩いているのだから、しかし流石に帰路は電車で帰ってくる算段しかありませが・・・

まずはお試しに根岸線で一駅、本郷台まで歩いてみる



そこで先ず第一は弾、手頃な距離でルートが分かっており、比較的歩きやすい,根岸線の隣駅「本郷台」を目指します。
本郷台は鎌倉市ではなく、横浜市栄区です。
私の住む鎌倉市・大船の駅はちょうど鎌倉市と横浜市の境界線の小さな小川の上にあり、東口・西口は鎌倉市であり、笠間口は横浜市栄区となり、昔この駅から自宅に電話する時横浜市の市外局番045を回さずに、電話すると通じずに、ここ大船駅が横浜市内でないことに気付いたことを覚えています。

鎌倉市と横浜市の境は
東口から横浜市栄区方面に歩きだすと、横浜市と鎌倉市との違いに気づくことがあります。
それは、お店の種類、バラェテイの多さです。
すぐに左手に有名な洋菓子チェーンの「シャトレーゼ」があります。
「シャトレーゼ」は洋菓子の関東を中心とした全国チェーン店で、比較的安価な洋菓子を売るお店で、テレ東の「カンブリア宮殿」で取り上げられたお店で、鎌倉市にはありません。
鎌倉という土地柄か、洋菓子専門店は沢山あるのですが、全て高級な、お上品な、高価な贈答用なり、自分のご褒美の為のスイーツが中心ですが、「シャトレーゼ」は庶民的なお値段でありながら、品揃えも豊富で日常的なスイーツを中心とした品揃えです。

業務スーパーもあります
この道を横浜市方面に歩くと、やがてこの付近では渋滞で有名な「笠間五差路」交差点です。
この先に、大型スーパーが数少ない鎌倉市に比べて(大手のイオンがなく、セイユー、ヨーカドーとライフ、あと中小地元スーパーだけ)、昨今テレビニュースの中で頻繁に登場する主婦の味方である「業務スーパー」があります。
鎌倉市には、関東の郊外の町の国道沿いなどでに多く見かけられるような、外食チェーンや量販店は全くありません。
理由は明白です。
関東の大動脈から離れ、三浦半島に続く「旧鎌倉街道」沿線は道路は狭く、曲がりくねりっている上、広い駐車場を必要とするような、全国展開するようなお店は土地柄採算がとれないのです。他の都市で見かける、「回転寿司」のお店も市内中心部ではみかけなく、横浜市にはいった先、「かっぱ寿司」が辛うじてある程度です。

神奈川県警察学校
業務スーパーすぎると突き当りの先を左折すると、この「一駅ウォーキング」で一番気持ち良い散歩道にでます。
いたち川は、栄区を東西に流れる栄区のシンボルリバーです。
上流部は自然の川の姿をとどめるとともに、市民の森等の緑が数多く残り、豊かな自然に囲まれています。また、下流部の川の両側は、プロムナード等に整備されており、鳥や木々等の生き物を眺めながら、ゆったりと散策することができます。
この川に出る角に神奈川県警察学校があり、門番として、一日中新米の若い警察官でこの散歩道をあるいている市民に声掛け挨拶をしています。
みるからにフレッシュな若者で、心やすぐ風景です。

神奈川県立地球市民かながわプラザ(アースプラザ)
このいたち川まで来ると、「一駅ウォーキングの折り返し地点」根岸線本郷台駅です。
この駅前にあるのが、退職後鎌倉に越してきてから毎週、水曜日に通った神奈川国際交流協会が運営していました「英会話教室」があった通称「アースプラザ」です。
施設内には「学習センター機能」や「情報・相談センター機能」、「サポート・ネットワーク機能」を備え、5階の常設展示室では“国際”、“多文化共生”、“平和”、“こども”をキーワードに様々な企画やイベントを開催しています。
退職直後は、毎週水曜日自宅から自転車でここまで通っていました。やがて、県営の「アースプラザ」の施設管理を受注していた神奈川国際交流協会が次回の指定管理入札に失注して、英会話教室の運営は、元生徒たちの自主運営となりましたが、二年ほどで自然解散となりました。

ここから帰路につきます。
いま来た道を素直にもどるのでは芸がないので、帰りはかなり遠回りになりますが、いたち川から本流の柏尾川づたいに大船まで戻ります。
マップにある、笠間十字路周辺から本郷台へ続くいたち川に沿ったプロムナードには、多くの芸術作品彫刻が並び、地元の方々の手による花壇も整備されており歩くには、とても良く整備されており、夏の夕方には数多くのシニアの皆さんが歩いている川辺の整備された道です。
夏の夜になると、地元ボランティアによる「ホタル観賞会」も開かれているようです。

一駅ウォーク、大船・本郷台間のデータ
自宅から大船駅・本郷台駅帰路、柏尾川沿いを歩いて帰って
スマホの歩数計データによると
歩いた歩数  15,149歩
距離     11,600m 一歩を0.75mと計算しているよう。
時間     往復 休みやすみで2時間
消費カロリー 436Kcal 

これだけ歩いて450Kcal程度なのか?
450Kcalの食べ物をネットで検索すると・・・
・ダブルチーズバーカー
・牛丼(軽めの)
・天ぷらそば
・木村屋 2色パンチョコ&クリーム
減量が目的ではなく、筋力強化、寝たきりになって、カミサンに苛められないようする為だから、「まぁいいか!」

ブログ管理人のホームページ団塊世代の海外ロングステイ 関連情報がメイン
  
ブログ管理人のwebサイト2011から2019年過去のブログ・アーカイブ

定年後の過ごし方サイト読者からの投稿・体験記事ページ
posted by 西沢 at 07:00| Comment(1) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年04月16日

終活の具体的な準備、公共料金の銀行口座自動振替を進める

数ある銀行口座の整理、統合の準備をする

来年後期高齢者となる、団塊年金シニアの家庭の生活費は、現役サラリーマン時代と同じように毎月25日に、近所の銀行にいっておろすようにしています。
毎月の生活費を引き出す口座とは別に、公共料金の自。動振込口座にも、決まった金額を入金しなくてはなりませんし、クレジット決済している口座も別にあり、この口座もチェックしなくてはなりません。
他にカミサンの小遣い口座、カミサンのクレジット口座、年金振込口座などの記帳など、少なくても、この日には5ヶ所の銀行を廻ります。

一般的に給料日の25日が金曜日や連休前は銀行は混むので、その日をさけて、24日とか、23日が我が家の給料日で、なるべく人出をさけて、空いてる日の朝一番に銀行めぐりをするようにしています。
今どき、銀行口座のチェックはネットでできますが、どうせ暇な年金シニアですから、「きょういく・きょうよう」の一つとして、何ら苦にもなりませんが、カミサンにすると、「大イベント」「やりたくない仕事」となるのです。

先ずは、貸金庫へのハードルが嫌な様子です。
夫婦二人きりの生活、退職直後は頻繁に海外にでていて、家を留守にすることが多いので、貸金庫を借りています。
貸金庫に入るには、銀行の専用のカードが必要で、このカードはカミサンが保管しています。
貸金庫室にはこのカードと「パスワード」ではいりますが、肝心の貸金庫はテンポラリー発行の貸金庫カードと、私が保管しているリアルキーがないと開けられない、二重のハードルがあります。
現在、カミサンはこの最終段階の我が家の貸金庫番号を覚えていません。
過去に貸金庫を借りた際に一度だけ行っただけで、もう十数年も入ったことがないのです。
そろそろ、ヤバいので一緒に行こうと誘うのですが、「まだまだ貴方は大丈夫だから、本当に必要となった時に一緒に行って覚えるから安心して」です。

無事に貸金庫を開けたとして、なかに入っています多くの通帳から必要なものを持ち出して、
1,私の年金振込用口座の記帳と来月の生活費現金の引き出し
2,カミサンの年金振込用口座の記帳
3,私のクレジット口座の記帳と、必要な金額の入金
4,カミサンのクレジット口座の記帳と、必要な金額の入金
5,公共料金の自動引き落とし口座の記帳と要な金額の入金
6,私の役所・その他NPO関連から振り込まれ専用口座の記帳

最低限、4つの銀行、6っの口座に携わる操作が必要なのです。
カミサンからは、
「貴方が逝った後、私はこんな面倒なことしたくない」
「出来るだけ、入出金の口座をひとつにまとめておいて頂戴」

と要望されました。

先ずは、現在、公共料金の自動振替をしているこの三菱銀行の口座から「終活」をすすめましょう。
この口座から自動引き落としされているのは
・国民健康保険
・固定資産税
・固定電話
・ガス
・上下水道
・マンション管理費
・朝日新聞

これらの自動振替を現在のカミサンのクレジット口座から引き落しに変更すると、カミサンの手間もかにり省け、楽になるはずです。

そして、もっと重要な問題は銀行の支店がなくなった・・・
今年3月に自動振替専用口座の三菱銀行の大船支店が閉鎖されました。
銀行の業績悪化で支店の統廃合が進んでおり、藤沢支店と統合されました。
不便になる分、CDコーナーだけが別の場所新たにつくられましたが、CDマシンが4つしかなく、いつも外の道路まで行列が出来ています。

そして、更に面倒なことにこの三菱銀行の口座はこの大船支店のものではなく、私の場合、現役時代に住んでいました元々「横浜市東戸塚」支店のものが、再編成されて「戸塚駅前」と知らないうちに、移っていたと云う変遷があった、ややっこしい、間違いやすい遍歴があった口座です。今回の「終活の準備」を機会に先ずは、口座振替に必要な書類・手続きだけでも準備しておこうというのが「終活第一弾」です。

先ずは市役所へ行き、変更手続きに必要な書類の入手

先日の「終活準備」のブログにたいして、BBS掲示板から貴重なアドバイスをいただきました。
それは、世帯主の変更です。
今回市役所でこの情報がとても役に立ちました。
先ずは、市役所の健康保険課にいきました。
窓口で、現在自動振替している、健康保険料の支払い口座を、妻名義にしたいとの相談にいくと鎌倉市口座振替申込書を渡されました。
対象種目で私に当てはまるもの
■固定資産税
■市民税
■国民健康保険料
ですが、来年からここに
■後期高齢者医療保険料がはいるようですが、介護保険と同様、年金から天引きされるのでは?と思われますが、来年、後期高齢者となった時に
考えようと思います。

水道料金は市役所ではなく、県水道局の鎌倉出張所へ
窓口に用件の説明をすると、受付の女性は「昨年、父が亡くなった後、母が大変でした、おそよ一ヶ月以上も色々な書類を手に入れ、銀行をまわったり役所に行ったりしていました。父はほぼ団塊世代ですが、ガンで入院がながかったのに、何もしないでなくなりました。パソコンにしてもパワードが分からなかったり大変でした。このように事前に変更手続きの為にいらっしゃるお客様は初めてです。」
「でも、今は水道料金の口座振替はインターネットで簡単にできますが」と云われました。
「否な、アナログ人間のカミサンには、ペーパーレベルのほうが良いのです」

次は固定電話料金の口座振替準備です。
NTTですから、電話での口頭による変更お問い合わせは、鼻から出来ないようになっており、ネット上から「預金口座振替依頼書」をダウンロードし、其の用紙に手書きで入力し、ご丁寧に送料受取人払いと印字された、封筒の宛名印刷用紙も一緒にダウンロードするようになっていました。

次はガスです。
ガスは手元に毎月の検針票がありお客様番号があるので、今書類を手に入れなくても、カミサンレベルでそう難しくはないでしよう。

新聞について
これも同様で同じ町内に販売店の本店がありますし、カミサンの友人も働いているので、今用意しなくても大丈夫でしょう。

マンション管理費ついて
これも同様で管理人さんに云えばすぐに、M地所から必要な書類を用意してくれるでしょう。

最後は携帯電話と電気です。
電気は多少安くなると云うので、ソフトバンク経由の支払いにしています。
二人のスマホの名義は私の名前で、私のクレジット口座から引き落とされています。
しかも、その口座は世田谷に住んでいた時の当時富士銀行、北沢支店の口座なのです。
これは、何がなんでも早めに対策が必要、私が何時、なんどき、動けなくなって不思議ではない年齢に近づいているのですから。
とりあえず、駅前のソフトバンクショップに聞いてみました。
回答は・・・
・ネットで予約が必要です。
・そして必ずお二人で来て下さい。
・お二人の身分証明書(マイナンバーカードが最良)が必須です。
・通帳本体或いは通帳の写し、あるいは画像を持って来て下さい。
とのことでした。

まずは、私が逝った直後の一ヶ月にカミサンがやるべき道筋がみえてきました。
何時この口座振替作業を開始し、終わらせるか・・・
今、とりあえず予定日は、私が後期高齢者となる来年2月に一気に全て終わらせようと考えています。それまでは、多分・・・大丈夫でしょう。

子供のいない、親類・縁者は年寄りで地方に住み、身近に頼れるお友達のいない夫婦は、日々、こんな事を考えているのです。

ブログ管理人のホームページ団塊世代の海外ロングステイ 関連情報がメイン
  
ブログ管理人のwebサイト2011から2019年過去のブログ・アーカイブ

定年後の過ごし方サイト読者からの投稿・体験記事ページ
posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年04月14日

日本全国100カ所、感動の映像で巡る絶景の旅百選

ある日の朝日新聞の一面広告に、「日本全国100カ所、感動の映像で巡る絶景の旅」DVD10巻なるものが掲載されていました。DVD7インチプレイヤー込のお値段で一括払い40,600円(税込み) 発売元はユーキャンのようです。
全国から感動の声が続々・・・とのコメント
・改めてみる日本は素晴らしい、四季折々の顔を見せ、なかなかみることが出来ない景観と、
 制作陣の努力、根気が伝わってきた。
・誰もが人生に一度はみたい風景が自室にいながら満足出来る、時代の進展に感謝。
・自分がそこに行ったような臨場感があり感動、カメラアングルが絶品、家宝にします。
・テーマ別に見られるのが素晴らしい。祭りなども居ながらにして見れるのはありがたい。

おそらく、病院・クリニックの待合室に映し出されている、環境ビデオのようなものでしょうが、日本の絶景百選とはどんなものなのか、参考の為にそして、まだ自分がめにしていない場所があるのかどうか、眼にしてみました。

第一巻 城と城下町
1,五稜郭
2,弘前城
3,角館
4,松本城
5,名古屋城
6,犬山城
7,彦根城
8,大阪城
9,姫路城
10, 熊本城

第二巻 自然遺産
11,礼文島・利尻島
12,知床
13,富良野
14,蔵王
15,尾瀬
16,小笠原諸島
17,富士山
18,鳥取砂丘
19,屋久島

第三巻 京都・奈良・鎌倉
20,鹿苑寺(金閣)
21,慈照寺(銀閣)
22,嵐山
23,嵯峨野
24,龍安寺
25,二条城
26,清水寺
27,法隆寺
28,東大寺
29,鶴岡八幡宮
30,鎌倉大仏

第四巻 三景・三園・三名瀑
31,袋田の滝
32,松島
33,偕楽園
34,華厳の滝
35,兼六園
36,天橋立
37,那智の滝
38,後楽園
39,宮島

第五巻 神社・仏閣
40,平泉
41,日光
42,明治神宮
43,熱田神宮
44,伊勢神宮
45,住吉大社
46,熊野三山
47,吉野山
48,出雲大社
49,金毘羅宮
50,太宰府天満宮

第六巻 名山・名峰
51,大雪山
52,磐梯山
53,黒部
54,立山・剱岳
55,穂高
56,上高地
57,大山
58,石鎚山
59,阿蘇山
60,桜島

第七巻 自然の造形
61,浄土ヶ浜
62,三陸海岸
63,猊鼻渓
64,東尋坊
65,鳴門
66,寒霞渓
67,秋吉台・秋芳洞
68,耶馬渓
69,高千穂
70,西表島

第八巻 水辺の風景
71,摩周湖
72,釧路湿原
73,奥入瀬渓流
74,十和田湖
75,赤目四十八滝
76,琵琶湖
77,三方三湖
78,四万十川
79,宮古島

第九巻 都市と祭り
80,祇園祭
81,東北三大祭り
82,東京の観光地
83,横浜の観光地
84,札幌雪まつり
85,天神祭
86,神戸の観光地
87,阿波おどり
88,長崎くんち
89,那覇

第十巻 温泉と街並み
90,登別温泉
91,草津温泉
92,箱根温泉
93,熱海温泉
94,軽井沢
95,妻籠宿
96,白川郷
97,飛騨高山
98,道後温泉
99,萩・津和野
100,別府・由布院温泉

ざっと眼を通して見て、何じゃこれは
極々一般的な、昭和の時代生きた日本人としの観光旅行の場ばかりです。
もっと素晴らしい、て一生に一度は見ておきたい、現代の絶景は交通手段、ネット社会の発展で沢山あるはず、「平成・令和の時代の新百選」でも制作すれば、少しは売れるのではないかと、カミサンに話すと
「そんな事、他そで話したり、ブログでかかないで」
「早期退職した、団塊世代の小金持ちのお爺さんと、馬鹿にされるわよ」
「それに、この百選だって、私達が一度も行ったこと、みたことのない場所だってあるじ
 ゃない」とおっしゃります。
確かに、この「日本人として一生に一度は見ておきたいもの」のなかで私達が行っことのない場所を洗い出しすると
行ったことのない場所は
第二巻 自然遺産 1,蔵王 2,小笠原諸島 3,鳥取砂丘 4,屋久島
第四巻 三景・三園・三名瀑 5,那智の滝
第五巻 神社・仏閣 6,熊野三山
第六巻 名山・名峰 7,大山 8,石鎚山
第七巻 自然の造形 9,猊鼻渓 10,耶馬渓 11高千穂
第八巻 水辺の風景 12,赤目四十八滝 13,三方三湖 14,四万十川
第九巻 都市と祭り 15,札幌雪まつり 16,天神祭 16,阿波おどり 17,長崎くんち
第十巻 温泉と街並み 18,妻籠宿

数えてみると、何と18ヶ所もありました。
冷静に何故行ってないのか、その訳を考えてみました。
自分なりにまだ行ってない理由・訳を考えると・・・
・いつでも、行こう思えば行けるけど、足の便が悪い、金がかかりそう。
・次はさほど興味がない。
・そして、最大の理由、カミサンは絶対に行かないだろうから。

1,蔵王は
 何時でも行ける、でも山形或いは仙台からののバス便となる
 冬の蔵王の樹氷はカミサンの興味なし
2,小笠原諸島は
 興味は強いが、交通手段とコスト、そしてカミサンの興味、一人旅の許可が?
3,鳥取砂丘と7,大山は
 その気になれば行けるが・・・広大なシルクロード・アフリカの砂漠を見ているし、
 山陰は交通費が嵩む
4,屋久島は
 決定的な原因は、興味なし、一年中雨のなかを歩くと云うイメージしかない
5,那智の滝と6,熊野三山は
 常にプランを考えてるが、紀伊半島南部への交通費は高い、でも団体パックで行くのは拒否
8,石鎚山は
 四国山間部への旅はいつも考えています。今年中に徳島の「天空のカカシの里」東祖谷の
 時に仰ぎることはできるでしよう。
9,猊鼻渓は
 交通の便は私が好きな電車で行ける、JR一ノ関駅乗り換えJR大船渡線・猊鼻渓駅。
 でも、基本的に川下りは、泳げない、水が嫌いなカミサンは拒否、どの程度紅葉なのか、
 コスパはどうなのか
10,耶馬渓 11,高千穂は
 昔、高校2年の春、国鉄の九州内均一周遊券で旅した時、一度は考えたのですが、バス便と
 なりお金が足りなくて行けなかった、少なくとも「高千穂」は絶対にクリアしなければなら
 ない必須の場所なのです。
 耶馬渓は車に乗れない私達にとっては JR中津駅→大分交通バス豊後森行きで1時間33分
 とかなり厳しい条件のところです。
 さてどうしましよう。高千穂だけは、高校時代のリベンジでいくしかないか!
12,赤目四十八滝?
 何処にあるのか、今回始めて調べてみました。奈良と三重の県境、かなりの山奥のようです。
 どうやら近鉄難波駅から、セット「赤目四十八滝 渓谷の自然探勝きっぷ」がでているよう
 です。大阪を拠点としたフリーステイの時にいけるかもしれません。
13,三方三湖は
 ここは、関東・湘南から一番行きにくい県、福井県というのがまだ行っていない理由です。
 京都から一日脚を伸ばせばいけるのかどうかも調べたこともありません。どうせ行くなら
 福井をじっくりと周りたい。
14,四万十川は
 高知は毎年、行こうと思っていても行けない場所のひとつてす。
 何度かUAのマイルで行く予定を立てていても、直前でお天気の悪くキャンセルしています。
 今年の春は、四万十と仁淀川の計画をしていましたが、感染症のまん延で頓挫しています
 が、少なくとも後期高齢者になる前々に行こうと思っている重要な場所です。
15,札幌雪まつり 16,天神祭 16,阿波おどり 17,長崎くんちらは
 絶対に混むのと、宿も高いのは分かっていますのでそこまでしていく、見る、行く、必要が
 あるのか?
18,妻籠宿は
 旧中山道の宿場町、あまりにも有名で、何度もメディア上で見慣れています。
 列車旅の好きな私にとってただ現地を確認するだけ30分の滞在に、乏しい予算をさける
 のかが問題です。

これらの百選を改めて見てみる、絶景の百選ではなく、日本人の好きな観光地の百選に思えてきました。
そんなだったら、余命も資金力も体力も好奇心も乏しくなってきている私は、自分の好みのマイナーな場所・絶景風景を、ケチケチと公共交通機関のみを使って昔、そうだったように、バックパッカーのように(但し宿だけはいい部屋・いい風呂の)に旅したいものです。


ブログ管理人のホームページ団塊世代の海外ロングステイ 関連情報がメイン
  
ブログ管理人のwebサイト2011から2019年過去のブログ・アーカイブ

定年後の過ごし方サイト読者からの投稿・体験記事ページ
posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年04月12日

ゴールデンウイング開けには、そろそろ出かけましょう。

旅の楽しみは3回あると昔から云われています。
1つ目は、行く前、旅のプランを考えている時
2つ目は、実際の旅を現地で楽しむ時
3っ目は、帰ってきたから、アルバム・映像・記録の整理をする時
現役時代の旅での1つ目楽しみは、通勤の電車のなかでガイドブックを眺め、必要となるであろう現地の簡単な言葉を覚えたり、想いは現地の街や、遺跡へと飛んで、旅の中で一番ワクワクする時間でした。

2つ目の旅先での楽しみは、団体パックツアーでの、新たに同じ趣味、志向の人と知り合う楽しみがありました。

3つ目は、今ふりかえってみると、一生懸命に旅をトレースし、写真や訪れた土地・施設・遺跡のパンフなどを一冊のアルバムにまとめるのに時間をかけ、最後には旅の休暇から帰ってきて仕事が忙しいのに、毎晩深夜まで、ビデオのアナログ編集に熱中していました。
あれから、もう何十年経ったでしょう。
あの当時の数十冊に及び写真アルバムは、早めの終活で我が家には一冊もの残っておらず、S-VHSに書き出したビデオテープは一時期、私の部屋の書棚を専有していましたが、全てデジタル変換し、DVDスリムケースにおさめて棚にありましたが、これもほぼ全て処分しました。
パソコンの中にも収めていません。パソコンはいつか壊れるのです。

動画はYou Tubeに200本近く置いてあり、いつでも自由に見れる状態ですが、カミサンは全く興味なく、私に「何時見るの?」と聞くので「ガンで長期治療入院している時、タブレットを持ち込んで、過去の旅の動画や、画像を見る為に、クラウド・サーバーに置いてある、今どきの大病院はWifi完備は当たり前だからね。」
10年一昔と言いますが、15年前、今や日本有数の大病院となっています、徳洲会の旗艦病院「湘南鎌倉総合病院」が家の近くに新築された頃、病院内の地域包括センターと地元NPO広報の立場で病院内のネット環境に関して話したことがあります。
その当時の病院側の回答は「ここは病院で、治療する場所ですから、そのような設備は想定していません」でした。
しかし、あれから15年、どの病室・廊下・待合室でもWifi電波は飛んでいます。

今回の札幌二泊三日の旅計画は

一日目 自宅から札幌市内へ
大船発東海線06:27横浜06:37 乗り換え 京急06:44羽田空港07:11  @672円
SKY705便 08:20札幌09:55  Deltaマイレージ利用 0円
新千歳空港10:18⇒札幌駅10:57 @1,150円
直行ホテル「JRイン札幌駅南口」 札幌駅徒歩10分  
31平米、プレミアムツイン 食なし 二泊税込  20,384円

バックを預けて 午後11:30より 市内桜の名所・・・但し開花状況次第

予定 モエレ沼公園
札幌駅から地下鉄東豊線⇒環状通東駅
環状通東から中央バス東69・79乗車、25分 「モエレ公園東口」から徒歩10分
スイカOK利用 往復 @900円
16〜17時頃ホテルに戻る予定

一日目交通費 @2,722円 ☓2=5,500円
一日目 昼食・喫茶・夕食 @3,500 ☓2=7,000円

  
二日目 夕張、幸せの黄色いハンカチ広場へ
札幌駅前ターミナル 北海道中央バス 高速ゆうばり号 09:15⇒ 夕張テニスコートバス停 10:49 @1,880円
徒歩15分 夕張幸せの黄色いハンカチ広場へ 
滞在1.5時間
徒歩15分
高速ゆうばり号 夕張テニスコートバス停 12:47 札幌駅前ターミナル14:22 @1,880円
入場料 @550円
合計 @4,310X2=8,620円

午後15:00から 市内近場桜名所へ ※桜の状況次第
円山公園 地下鉄円山公園駅から徒歩5分   
北海道神宮 地下鉄円山公園駅から徒歩15分  @250円☓2=@500円

二日目交通費・入場料 合計凡 二人で10,000円
二日目 朝食・昼食・喫茶・夕食 @5,000 ☓2=10,000円


三日目 三笠アンモナイト博物館へ
札幌07:49⇒(ライラック自由席)⇒岩見沢08:14 @1,600円
バス22系統幾春別町行き08:25⇒終点09:23着 @570円
徒歩10分で三笠博物館
滞在1時間 入場料@450円
博物館発 10:20分徒歩
幾春別町バス停10:40⇒11:37JR岩見沢 @570円
JR岩見沢12:10⇒札幌 12:53 @970円
ホテル戻りバッグ受け取り 余裕時間50分

札幌13:47⇒新千歳空港 14:25 @1,150円
空港余裕時間 1時間40分
SKY720 16:15 羽田17:50
羽田空港18:20⇒大船19:11  @672円

三日目交通費 @4,680円 二人9,360円
三日目 朝食・昼食・喫茶 @4,000 ☓2=8,000円


費用概算合計
交通費・入場料 合計 25,000円
宿泊費        20,000円
食事・喫茶      25,000円
お土産その他     10,000円  
飛行機代          0円
合計         80,000円


私達の日本国内の旅の予算は
二泊三日、原則個人・自由旅行 二人で10万円と決めています。
昔の若い頃のバックパックでの南米・アジアを動いていた頃の習慣・クセが、二人共この晩年ともいえる年齢になっても抜けきらず、未だに「早い・便利よりは安い」を選択してしまいます。
今回の場合、DELTAのマイルを使っているので、楽勝10万円以内に収まっていますので、少し豪華・贅沢な旅とも考えない訳ではないのてすが、もっと豪華・・・って何を豪華にするの、食事、乗り物、それともタクシー利用、ガイドをつけるとか・・・
今回のホテルは、ロケーション優先、行動の拠点札幌駅に近く、食事にも便利プラス大浴場のある高級ビジネスホテルです。
今回、ホテルの部屋を「31平米、プレミアムツイン」ぐらいにしたのが貧乏性の私達にとってのちょっぴりの豪華・贅沢なのです。

今回の旅でいつもの私達の旅予算より20,000円余ります。
もうこの20,000円の使い道は決まっているのです。
次に予定している「白浜 アドベンチャーワールドでじっくりパンダをみる旅 三日間」にこの2万をプラスすると、関東首都圏から一番交通費がかかりそうな和歌山・紀伊半島の旅が私達の予算内でクリア出来るのです。
posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ