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2022年01月30日

介護問題は親世代から私達団塊世代に 介護なしの理想的な逝き方




2022年、私達団塊世代でも、同級生の遅生まれ、1947年(昭和22年)は今年の誕生日で75歳となり、後期高齢者と呼ばれる年齢になります。
2003年に早期退職した私は「団塊世代の定年後の過ごし方」「海外ロングステイ」のテーマでwebサイトを立ち上げた時、介護・老後の不安に関する問題は、自分たちの親世代への関心事でしたが、最近のブログ記事にも頻繁に、自分たちの老後、介護に関する話題が増えてきています。
実際に、横浜から秋田の「サ高住」に移り住んだ単身男性友人のツイッターをみていると、自分のことを考えるようになってきています。

サ高住に越した友人のつぶやき

新型コロナ・オミクロン株の感染急拡大で、入居者への「外出等制限」のお達しが発令された。
不要不急の外出(通院・受診も含む)は原則禁止。
てことで来週予約してた歯医者はキャンセルした。
連日感染者激増の現状ではヤムを得ないけど・・・いつまで続くんですかねぇ。
この細い道に除雪車が入るのは初めて。このあとしばらくは雪が降らない予報です。
想定を上回る荒天の連続で部屋に引きこもる日が続いてます。
凍結した道路は滑るから怖いしね。
amazonで、ブーツに装着するアイゼンを注文したけど、なかなか届きません・・・。


毎日青い空が続く、関東・湘南から、日本海に近い秋田の「サ高住」の生活は、やはり冬は予想していた以上に厳しいようです。

団塊世代の平均余命はあと12年
先日の紙面に、平均寿命ではなく、平均余命の記事が掲載されていました。



私達、団塊世代が定年を迎えた当時、老後資金の算定で基準となるは平均寿命で計算しており、その当時の私達の平均寿命78歳でした。
そして、今年の誕生日で74歳になる私の平均余命はプラス12歳・・・86歳、そんなに長くは生きたくない、が本音です。
今でさえ、退職当時は想像もしていなかった、「足腰の衰え」を感じているのに、後12年も、このまま元気で動き回れるとは思っていません。
何かしらの家族の介助、介護、サポートは必須となることは確かです。
厚生労働省の「介護給付費等実態調査」によると、介護保険サービスを受ける前提となる「要介護認定率」は、
65〜69歳で2.4%
80〜84歳では28.1%
85〜89歳で50%を超え要介護度
90~94歳で71.4%に達する  と伝えています。

私は、現在の我家のリビングが好きです。

東南に面して、日当たりがよく、大船観音山の緑の木々、そして前面の児童公園には午後から大勢の子どもたちが元気に駆け回っている姿が見えます。
この部屋に、介護用のベッドを置いて、ネット三昧、過去に自分がUPした動画をユーチューブをみて過去の旅を思いだしながら、映画「ゴッドッファザー」のラストシーンのように、誰にも気づかれず、看取られず、静かに逝くのを理想としています。

しかし、医療関係者だったカミサンはせせら笑っています。
「誰が、そんなあなたの介護・面倒をみるのよ」
「下の世話なんて、大嫌い、絶対にしない」
「さっさ介護施設に入ってもらうから」

と、冗談ではなく、本気でそう云い放ちます。
カミサンのカーブスの友人たちは70代半ばから80代で、今、まさに夫の介護に直面しており、介護施設の費用の話ばかりしています。
そこで出てくる話は、お金の話ばかり、カミサンのカーブスの友人、奥様は聞く所によると、介護保険の自己負担が2割の方々がほとんどのようです。
皆さん、高収入・高所得者の方々が多いようです。





我家は、カミサンのお友達のご家庭と違って、早期退職、低年金ですから「1割負担」は間違い有りませんから、かなり高額な介護度でも何とか、やっていけるから安心してと、本気で云っています。

私達二人は、親の介護の経験は全くありませんでした。
短期的にはカミサンは、妹と一緒に暮らしていた母親を月に一度程度見舞いに行っていた程度、私の場合、父親は動脈領破裂の突然死、母親も晩年は痴呆の症状はでましたが、デーサービス程度、本格的な介護施設のお世話になったことはありませんでした。
三年前に亡くなった独身の兄は、ガンが見つかった時にすでにステージ4。緩和ケア専門の訪問医療で半年過ごし、最後の三週間はホスピスでなくなりました。
実家の兄と嫁いで外に出た姉が、最後を看取りました。

私の理想的な逝き方は、
亡くなった兄のような逝き方です。
自宅のリビングで、陽光に包まれ、ゴッドファザーのように誰にも看取られなく逝くのは無理だと分かっています。
介護施設に長い間入って、カミサンに迷惑をかけるのは御免です。
少なくとも兄のように、自宅で数ヶ月の訪問看護の緩和ケアののち、ホスピスで三週間、このくらいの希望が許される逝き方をしたいものです。
何歳で・・・ちょうど区切りのいい、80歳で如何ですか、奥様。

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年01月28日

旅のバイブルだった「地球の歩き方」の生き残りと旅の歴史

2021年の日本人出国者数は半世紀前1969年、より少ない
最近のメディアの報道で、昨年の日本から海外に出た日本人旅行者の数は日本政府観光局(JNTO)によると、2021年の年間での日本人出国者数(推計値)は51万2200人となった。
減少幅は、2000万人を達成した2019年(実数:2008万669人)と比べると97.4%減の大幅減、2020年比でも83.9%減。年間を通して国際往来に制限のあった2021年は厳しい結果となった。
年間出国者数50万人という数字はほぼ50年前の1969年の出国者数492,000人と同レベルということになる。



1964年の海外旅行自由化以来、海外旅行者数はおおむね増加傾向であったが、 2001年はアメリカ同時多発テロの影響、2003年はSARS、イラク戦争の影響で大きな減少がみられた。
2011年は東日本大震災の影響が懸念されたものの、連続で増加し、2012年に は過去最高を記録した。2013年以降は減少が続いていたが、2016年に増加に転じ、2019年は2000万人を突破し、過去最高を記録した。

出国者の推移と団塊世代の年齢
年 日本人出国者数 伸率%  記事・事件 団塊年齢 
1968 343,542   28.4  私 出国 20歳
1969 492,880   43.5  団塊世代の年齢 20〜22歳
1970 663,467   34.6
・・・・・中略・・・・・
1975 2,466,326  5.6   私 南米より帰国
・・・・・中略・・・・・
2001  16,215,657  -9.0 同時多発テロ
2003  13,296,330  -19.5  SARS、イラク戦争 私55歳・早期退職 
・・・・・中略・・・・・
2008  15,987,250   -7.6  リーマンショック 団塊世代 60歳 退職
2009  15,445,684   -3.4
2010  16,637,224   7.7     
2011  16,994,200   2.1  東日本大震災
2012  18,490,657    8.8
2013  17,472,748  -5.5 団塊世代 65歳 退職
2014  16,903,388  -3.3
・・・・・中略・・・・・
2019  20,080,669  5.9 過去最高出国者数   

私個人の海外旅行渡航歴と、この数字は全くシンクロせず、この記事を書くにあたって、あの当時を思い出しています。
2003年、退職した直後、私達はラオスにいました。
バンコクの空港乗り換えで、白い防護服をきた入国管理官を思い出しますし、中国・ラオス国境の少数民族の村の唯一のホテルのテレビで、バクダットのフセイン像が引き倒されるニュース映像を見ていたことが思い出されます。

ラオス少数民族の村を訪ねて



2008年リーマンショック、個人的な影響は全く、退職後のリピート・ショートステイの真っ盛り頃、60歳かなり本気でバリ島に住もうかと考えていた頃です。

地球の歩き方の生き残りは
先週の朝日新聞のレポートで、このコロナ禍の旅行業界、出版業界の生き残りのに関する記事がありました。
確かに、日本人の出国者数が53年前と同レベル、2.5%まで減ったのでは、旅行会社、特に海外旅行を中心に進めてきた、私達が良く利用したり、知っている西遊旅行ユーラシア旅行社HISなど、中小、大手の旅行社はいまどうしているでしょうか?
大船の駅前にあったHISはとうの昔に、さっさと閉店していました。
旅行業者だけでなく、海外向けに特化した「地球の歩き方」は今、どうしているのかが、レポートの内容でした。

記事引用

記者の学生時代にはビンボー旅行のバイブルだった「地球の歩き方」。
若者の海外旅行離れや、紙の書籍離れと云う時代の潮流に合わせながら、ガイドブックのの代名詞的な地位を保ってきましたが、コロナ禍で海外旅行もガイドブックの需要も消滅、まはやこれまでと思いきや、しぶとく活路を見出しています。
キーワードは「国内」・「図鑑」・そして「御朱印」です。


「地球の歩き方」の出版は昨年、2021年、ダイヤモンド社から学研グループに事業譲渡されています。
このコロナ禍、旅行ガイドブック出版事業の継続が難しかったのでしょう。
立て直しのキーワードは「国内」・「図鑑」・「御朱印」。
確かに、このキーワードの「図鑑」は学研らしとして、「国内」と「御朱印」は明らかに、旅行意欲・時間的・金銭的余裕のある退職・高齢者をターゲットとしているのは間違いありません。
「地球の歩き方」は1979年に創刊されました。
団塊世代はその時31歳、私の海外旅行の歴史は、この「地球の歩き方」と一緒なのです。
私達夫婦が本格的に年に3回の個人・自由・海外旅行を始めたのは、その5年後、購入したマンションのローン返済メドがたった36歳の時からです。
其の年の暮れは、メキシコ、翌年のGWはインド、年末はアルゼンチンでした。
二人の旅の計画は、アルゼンチンではガイドブックは不要ですが、先ず発売間もない、「地球の歩き方」を買うこと始めたのです。
毎日の通勤電車の行き帰り、ガイドブックを読み直し、まだネットがない時代、大きな世界地図帳を買って、旅の夢にふけっていました。



何十冊もの「地球の歩き方」を書棚に並べて、背表紙を眺めて自己満足の世界に浸っていました。
そんな、何十冊の旅の思い出、バックナンバーも2014年66歳のハワイ・マウイ島を最後に、海外旅行を卒業し、パスポートの更新を止め、全ての「地球の歩き方」を処分しました。

これらのなかには、私達が旅先からダイヤモンド社編集部に情報提供・投稿したお礼に送られてきた本も数冊、ありました。
私たちの旅先は、一般的観光地ではインド・ディープアジアの村などですから、特にネット環境の情報は、行く前に編集部から現地の生の情報取材の依頼もありました。
そんな「地球の歩き方」はのコロナ禍、国内にシフト変更したのです。
確かに、私達団塊世代だって、旅先の情報を調べる時は先ずは、ネットですが・・・
ネットは自分の知りたい情報を速やかに、詳細に知ることが出来ます・・・がその現地の周辺の私達が知らない情報を同じページで知ることはかなり難しいのです。

例えば・・・今年の目的地の一つ 高知県 梼原「雲の上図書館」

私達は今年、四国のなかで一度も足を踏み入れたことのない、高知県に行こうとしています。
高知の観光情報は、ネットで都市名、施設名、観光地名を入力することで分かりますが、自分たちの知らない地名・名所・絶景・お祭りなどは、その検索キーワードさえ知らないので、調べようがありません。

今回、そのことをつくづく思い知らされたのが、一度TVで目にしたことのある、隈研吾設計「雲の上図書館」が高知県の山深いにある愛媛県境「梼原」にある知ったのは雜誌のガイドブックからです。
行き方とか、ルートはネットで調べてほうが早く、正確なのは分かっていますが、やはり、ガイドックは私達の知らない、地名、言葉、名所を教えてくれるのです。
そして、新しい「地球の歩き方」編集部は「御朱印」ですか!
何かを集める、収集するというのは、顧客をながく引き止める一つの手段としては「上手い」
でも、団塊世代の私達にとって、もう遅い、今更なんです。

海外旅行を卒業しても、まだ数年は、国内のガイドブックにお世話になることでしょう。

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年01月26日

私の住む町鎌倉・大船 駅前商店街の火事

25日、昼前、商店街に買い物に出ていたカミサンから電話があり「観音食堂と亀屋万年堂が火事、全焼だって知っていた」と云います。
「エー、何時、今朝の新聞にはのってなかった、第一、あの商店街火事だったら大変なことなってんじゃない」
今朝の新聞の湘南版をみても掲載されておらず、ネットをみると、一発で、動画まで載っていました。

恐るべしネット時代のスピード報道

記事によると昨夜10時過ぎ頃、観音食堂のお隣の亀屋万年堂の二階から出火した模様です。
現場は、JR大船駅東口駅前交番の通りです。
交番のお隣は、ソフトバンク店、そのお隣が亀屋万年堂、そして地元で有名な魚やと食堂の「かんのん食堂」です。
よくも、この二軒で類焼が防げたものものです。

この商店街は、戦後闇市がそのまま区画整理も出来ずに、地権者が複雑に残った形、「湘南のアメ横」と称される、鎌倉らしくない商店街で、カミサンはこの商店街が気に入って、退職後の住まい探しで最終的に選び住んだのです。

退職後の終の棲家 住まい探し






私達の現役時代の住まいは、現在の大船から2駅横浜よりの東戸塚でした。
東戸塚は東海道線ではなく、横須賀線しかとまらない駅です。
当時、世田谷の井の頭線沿線、大きな公園が近くあることがきにいったのと、大家さんの敷地ないにあり、大家さんの入り口の門を通らないと入れないという安全性と、近くにカミサンの友人が住んでいたこと、渋谷にも新宿に20分程度で出れる便利さを惹かれて、東松原の1DK、家賃60,000円のアパートに三年間住んだあと、35歳の時、横須賀線新駅、駅前開発の第一号物件のマンションを購入しました。

カミサンはすぐに、横浜の医療機関に転職しましたが、私はそのまま退職するまで東戸塚に住み続けました。
当時はバブル時代前、今では考えられないぐらい一度に数件の新築物件を掛け持ちする生活で、5時起床、6時台の電車で都心の現場に向かい、帰宅するのは横須賀線の最終、品川駅23時15分の電車、間に合わない時、会社の仮眠室、と云う生活でした。
ではなんで、もっと東京都内に購入しなかったのか、と問われれれば・・・
成田空港に乗換なし横須賀線沿線の、それもスーツケースをころころ転がしていける距離に住みたかったからです。
現役当時から、年に最低二回、お正月休みとお盆休みには海外、それも一般的な団体パックではなく、秘境と呼ばれるような地域を目指していました。
イースター島、ギアナ高地、マダガスカル、ブータン、グアテマラ・・・
今振り返ると、あの時に行っておいて良かったと思います。
今の年金、預貯金の取り崩しの生活では考えられないほどの旅行費用でしたが、その当時は全く気になりませんでしたし、気力・体力・好奇心は無尽蔵でこの先、年老いてても続くと考えていました。

定年後、老後の住まいを大船に決めた理由は



退職して一年間、老後住む場所、ロングステイ候補地を求めて歩きまわりました。
最初に長期間住んだ、バリ島・ウブドはかなり気に入りましたが、一番のネック、外国籍の人間は不動産を購入出来ないとこと不安を覚えたのと、やはり「青い鳥」は自分の身近にあることに気付かされ、定年後、老後の住まい探しを国内にしぼり探し始めました。
沖縄・石垣や瀬戸内の町・尾道も候補にあげて行ってみましたが、私達二人は東日本、関東に生まれ、育ってきたので何かあった時の為にも、やはり、東京近郊、賑やかに町ではなく、少し離れても静かな、自然環境の良い、気候が温暖な場所に住もうと決めました。

湘南・鎌倉は最初から候補に上がっていました。
横須賀線沿線、成田空港まで乗換なしの2時間程度の場所となると限られて来ます。
大船は考えませんでした、先ずは「北鎌倉」「鎌倉」「逗子」・・・
「北鎌倉」は買い物が不便、駅周辺には当時コンビニすらなく、スーパーマーケットは大船まででなくてはなりませんし、土地がら谷戸・森林が多く散歩に歩くには良いところですが、日当たりのよう健康的な生活には不便なところでした。
本命「鎌倉」と云えば・・ここも買い物には不便です。裏駅周辺に高級スーパー「紀伊国屋」があり、表駅には東急ストアーがありますが、駅周辺のマンションは、とても私達の予算を大幅に超えていました。
よく云われますが、鎌倉は観光にくるにはいいが、此処に住もうとは思わない・・・

そんな時、大船駅から徒歩5分に大規模マンション群開発物件があり見にいきました。
行って見て、ここは今住んでいる東戸塚と何ら変わりはない、駅に近く、自分の部屋から見える風景は、このマンション群の他の棟ばかりそれでいて、私達の予算より大幅にオーバーしていました。
そんな時、このマンション群を見に来たお客さんを相手にした、他のデベロッパーのチラシを目にしました。
それは、大船駅の西側、静かな文京地域にある52戸のちんまりした5階建てのマンションたったのです。

カミサンが先ずこの大船の町の商店街を気に入りました。

鎌倉と云えば、少し気取った、お高い雰囲気がなくはないのですが、この商店街は、時々TVに登場するような、下町情緒あふれた、人情商店街のようなのです。
そして、スーパーマーケットの「セイユー」を覗いてみる、安いのです。



商店街の角にある、昔ながらの食堂は値段もそこそこ、美味しい定食がありました。
カミサンは、「私は田舎育ちで、気取った街には住めないけど、ここなら住めるわ」といい、終の棲家はわからないけどここにしようと決めてのです。
あれから、毎日、カミサンはここの商店街と「セイユー」で買い物をしています。
「ライフ」「イトーヨーカドー」も少し離れた所にありますが、基本は対面販売の商店街と決めているようです。

その商店街の一角、シンボル的なお店が全焼しました。
今日のところは、失火原因は特定出来ておらず、火元は「亀屋万年堂」と噂されていますが、真偽は分かりません。
それでも、あの二軒だけで収まった、よかったよかった、あの狭い、長い、違法建築続きの戦後のアメ横並の商店街まで類が及ばす、明日から
買い物が出来る・・・とカミサンは喜んでいます。

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年01月24日

73歳のハローワーク 高齢者の仕事 ヨレヨレ・ヨボヨボ日記

今、読んでいる本のタイトルは「三千円の使い方」

朝日新聞の売れている書評で、今売れている本として紹介してたのは、「中公文庫」著者は「原田ひ香」、本屋さんに行ってみると、平積みされ、ポップには、50〜60代女性に圧倒的な支持・人気、と書かれていました。
立ち読みでペラペラと捲り、巻末の解説をみると、あの人気作家「垣谷美雨」が書いていました。


垣谷美雨解説引用

「他人は他人、自分は自分」とあなたは心の底から割り切れますか?
この物語を読み終えた時、そう問いただされている気がしました。
格差が広がりつつある今の日本社会で、自分らしく生きるとはどういうことなのか。
ともすれば私達は、他人と自分の暮らしを比べて、劣等感や優越感を抱きがちです。
そんな私達に様々なことをおしえてくれます。
読み終えたあと、私はしみじみと自分の来し方を振り返りました。
そして前々からこういった本がよみたかった気づきました。
というのも、私自身ずっとお金のことを考えて生きてきたからです。頭から消えた瞬間などないといってもいいほどです。
〜後略


「この本を買ってきて」と注文した我家のカミサンは、その日の夜のお風呂に持ち込み読みはじめました。
深夜、トイレに起きた私は、カミサンの部屋から灯りが漏れているのを知り、まだ読んでいるんだと悟り、そのまま寝ていつもパターン2〜3時間おきにトイレに立つと、まだ読んでいるようで、結局朝までづっと読んでいたようです。
どんな話なの?、「三千円の使い方」って小説なの?、何かの解説、ノウハウ本なの?と聞くと・・・、
小説、あなたのホームページ・ブログに役に立ち内容よ、と云われ、何処か電車で長距離移動の時でも読もうと思っておりましたが、私氏自身、お風呂に持ち込んで読んでみて、なるほど、ね。と納得しました。

第一章「三千円の使い方」とは、
12✕8というお金を貯める公式、お金を貯める為の心構え講座の受講料のことです。
12X8の鉄則・・・そう一ヶ月に8万円、一ヶ月の生活費を引き出す前に、お給料から必ず現金でも財形でもいいから、貯蓄する、そしてボーナス時に2万とすると一年間で100万円は必ず貯まる、変な投資や増やそうとしなくても、10年間で1,000万、30年間で3,000万は貯まるというお話、もちろんこれは小説のなかでのお話、で「垣谷美雨」さんの解説でも書いてますように、自分なりのお金の価値観を持つことが大切・・・という内容です。

12X8の鉄則。
そうこれは単身者の話で、夫婦ふたりが専門職で、子供のない夫婦は同じ12X8でも、倍以上の金額になり、しかもバブル崩壊の前という時代に生きた私達には、老後資金の目標達成には20年もかかりませんでした。
現代の超低金利の時代、こつこつと頭金を貯めるよりは、借りてしまったほうが得と考えるかも知れませんが、私達の世代では納得できないかもしれません。

注目したのは第二章「73歳のハローワーク」でした。
この小説に登場するのは団塊世代73歳、夫を先に見送った寡婦の女性の話です。
夫がなくなった後、夫の遺族年金と自分の国民年金で暮らしています。
1,000万円の老後定期貯金の他に数百万が郵貯の普通口座にあります。
夫がなくなってから年金は一月に10万弱になってしまった。
それでも最初は「もうほとんどお金がかかることもないだろう。贅沢せずに家を守りながらひっそり静かに暮らそう」と思っていた、けれどもそう物事は上手くいかない、自炊というのは一人分も二人分も経費はそう変わらない、
また独り身になってから、友人に誘われる機会がぐっと増えた。
断るという選択肢もないわけではないが、年老いてこれからの年月、友達や家族との時間が一番大切な気がする。
あの世や棺桶にお金を持っていっても仕方ないしね、と友人たちと口々に言っていた。
しかし、これから自分の介護が必要になったり、病気になったりしたら、どのくらいお金がかるか分からない。
あの世に持っていっても仕方ないから使いましょう、と云うのと、お金がどれだけあっても不安だから節約しましよう、という相反した言葉が同じ口からでるのが老人というものだ・・・

そんな主人公の女性はある日、息子の嫁から「おせち料理の講習会」の講師を頼まれる。
それほどの料理の腕前ではないが、講習会を主催する嫁の顔を立てるのと、いろいろな人・社会と接していないとボケると思い引き受けてた。
講習会が終わり、嫁から謝礼とかかれた茶封筒をもらった。一度は遠慮して断ったが、自宅に帰り開けてみると、五千円札一枚がはいっていた。
嬉しかった、単純に嬉しかった。
何十年ぶりに自分で稼いだ、年金以外のお金、73歳の私でも働いて、多少の収入が得られるのだと、気づく。

世の中は「働き手不足、一億総活躍社会」の文字が踊る、本当のことかも知れない
月に何万も稼げなくてもいい、3万か出来れば5万も稼げれば、私の老後の人生は、仕事というやり甲斐とともに明るく拓ける・・
主人公の女性はすぐに新聞広告にあった「高齢者大歓迎」の近所のコンビニに応募する。
しかし、73歳と云う年齢で断られる、コンビニの仕事は荷出しやレジ打ちだけでなく、いろいろな機械操作もあり、73歳の女性ではこれまでの経験から無理と、せめて60代ならと断られた。
姪っ子に相談すると、ハローワークでまずカウンセリングを受けることを進められる。
カウンセラーは高齢者、退職者に対して、先ずは働きたい理由を自分なりに整理することを勧める。
「人の役に立ちたい」・「技術を活かしたい」・「趣味を活かしたい」・「誰かを支援したい」・「社会と関わっていきたい」「自己を磨きたい」・「収入を得たい」
高齢者の多くは建前はそうであっても、本音はいくらでも月に数万があれば、貯金に手をつけることもなく、趣味や旅行にいくことを躊躇糶ずに済む、という考えが大半だと知る。
高齢者を募集している職業は云うと
・飲食店店員、・家事代行、・学童保育補助員、・施設警備スタッフ、・マンション管理人、・介護士、・ビル清掃、・病院食調理、・学校給食調理、・駐車場スタッフ、・保育補助員、・タクシードライバー などなど

最終的に小説のなかのこの女性は、先日面接で断ったコンビニ店長の紹介で、商店街に新規開店する和菓子屋の店頭で販売員として、働くことになります。
コンビニ店長の知り合いが、和菓子なので品の良いお年寄りの女性を探しているとの話を持ってきてくれのです。
めでたし、目出度し、メデタシ・・・

ここまで読んで、翌朝、新聞広告に目が止まりました。
かねてから評判のシリーズの新刊広告です。
誰でもが出来る、そして社会底辺の職業と位置づけられる、しかし社会経済にはなくてはならない職業に従事している人が吐く、本音、最新版はタクシー運転手のお話です。
昔のことで、今はどうだか知りませんが、私達が30代の頃、タクシーの運転手さんは、ほとんどのクレジットカードの審査に通らなかった時代があったのです。誰でもがなれる、定着しない職業の代表でもあったからです。今はそんなことはないと思いますが。

以下は、これまで出版されたこれらの職業に従事する人々の本音のお話です。

タクシードライバーグルグル日記
知っているようで知らない、タクシードライバーの日常、常識を超える乗客の振る舞いに驚いたり呆れたり。著者の静かなも名指しは優しく、最後は感動に変わった。
内容は
・ほら来た詐欺師の手口
・最高年収556万、最低年収184万
・ソープランド客の生態
・その筋の乗ってきたら
・バカ仕合の街・銀座
・ゲロで商売上がったり  などなど
この本の試し読みが出来ます。 
ページの無料サンプルから一部、読めます


交通誘導員ヨレヨレ日記
交通誘導員とガードマンは違うかもしれませんが、私は現役時代、大手建設業界に属しており、常に彼らを雇用する立場にいました。
そして多くの若者から高齢者のガードマンの方々と一緒に仕事をしてきました。
私達のような、日本を代表するような超大型物件のガードマン、警備員の多くは正社員ですが、小規模の建築や、道路工事の誘導員の人たちは恐らく、日雇い契約でしょう。
私が退職した当時、建設現場内の臨時ガードマンのお給料は日当13,000円ていどでしたが、道路工事の日雇い立ち会い、誘導では8,000円を切っていました。
それでも、職に有りつければいいという状況が続いていたようですが、今はどうなんでしょう。
彼らの多くは、この仕事は仮りの仕事、一時、社会から避難している場所と思っているようでした。
本の内容の以下の目次から想像出来ると思います。
内容の一部紹介
・ 通行止:交通誘導警備員はお地蔵さまではない
・お金の話:警備員のリアルなフトコロ事情
・ 最高齢警備員:エロ爺さんは素敵な人格者
・ プライド「:大学出て警備員」は恥ずかしいのか?
・ パチンコ屋警備:監視カメラもあって気が抜けない
・ たかが挨拶:なぜ挨拶をしない人が嫌われるのか
・ 駐車場警備:ドライバーの思いもよらぬ抗議に泣かされる
・警備員は歯が悪い?:歯医者へ行く時間がないか金がないか
・ 首振り人形: 2秒間隔で首を左右に振り続ければ警備員合格?
・コミュニケーション能力:警備員に外国人が少ないのはなぜ?
・できない警備員:ここにも能力格差は存在する

メーター検針員テゲテゲ日記
この本の読者感想文を紹介します。
なにを言われても、理不尽に叱られても、申し訳ありません、と謝ることしか許されない末端の仕事。
著者はなぜ、外資系企業年収850万円を捨てて、電気メーターの検針1件40円、月収10万円の世界に入っていったのか。
彼女とも別れた。それでも、社会の役に立ち、慎ましく、楽しく生きたいと願った。
人間の原型のような人が見、聞き、体験した日々のさまざまな哀歓。
ひとつ違えば、著者はわたしだったかもしれない。
読後、じっと手を見てしまった。

計器番号を照合し、指示数を読み取り、入力して確認して……1ケ所で8回も数字を見なければならないとは、もはや数字と対話する専門家。
今までほぼ字面だけでしか捉えていなかった電気メーター検針員という職業。
本のページをめくるたびに、この職業が、そして「人間」がくっきりと浮かび上がってくる。
踏みしめてきた足跡が見える。食いしばる歯の音が聞こえる。
誰もジャッジすることなどできない「生きていくこと」のざらついた手触りを感じる。
メーター検針1件40円。僕も数えきれないほどの「ありがとうオリゴ糖」を叫んで生計を立ててきました。
電子機器の普及でいつかは消えていく職業

非正規介護職員ヨボヨボ日記
本の解説引用
著者の真山さんは5年前の56歳の時、小さな住宅型有料老人ホームの介護ヘルパーになった。本書はそこでの体験記である。
大学卒業後、建設コンサルタント、環境商材会社経営、居酒屋経営、広告会社営業マンなどの職歴を重ねたが成功には至らず、ハローワークで推奨されたのが介護職だった。
「50代後半でも、他にマンション管理人とか警備員とかあったと思うんですが、なぜ介護施設の職員を選んだんですか?」
「数年前、父を施設に入れようと何ヵ所も見て回りました。結局病院で亡くなったので入らなかったのですが、生き生きした施設もそうでない施設もある。
私は人と関わるのが好きなので、面白いな、と思いました。
それにハローワークの職員が、“介護職ならいつも求人はある”と言っていたので」
最終的に、知人が運営する老人ホームに非常勤職員として雇用されたのだった。
しかし、介護業務は名だたる4K(きつい、汚い、危険、給料が安い)の現場。単に「人と関わるのが好き」では勤まらない。
現に日記形式の冒頭から、紙オムツの中に平然と大便をして、換気のために窓を開けると「蠅が入る!」と怒鳴る、わがままを言い放題の男性入居者の話が出てくる。
そんな入居者に、「ヘルパーは奴隷か」と憤慨しながら表面には出さず、丁寧に淡々と作業を進める、そのバランスが絶妙なのだ。
「暴言・暴力のない人でも、自慢話、ホラ話、嘘の話はザラ。そんな入居者に、“細心の注意+気にしない”態度で接するのがいい?」
「皆さん、多少は認知症が入っていますからね。そこは理解して接しています。でも、ウチは大便を投げつけたり、食べたりする重症の人がいないから、まだマシですよ。重度の人にはまた別の施設があります」
本書は全編、リアルかつユーモラスに綴られているが、真山さんが執筆の上でもっとも気をつけたのは、「登場する人たちを決して見下さないこと」だった由。介護の基本理念は、個人の尊厳と価値を守ること、なのだ。

派遣添乗員ヘトヘト日記
目次は以下のとおり、海外団体旅行に参加した人なら、以下のインデックスて凡その本の内容が想像出来ると思います。
第1章 派遣添乗員、本日も苦情あり(某月某日 体調不良:腹痛での綱渡りツアー
 某月某日 忍耐:二度と会いたくない「先生」 ほか)
第2章 ハズレの仕事、ときどきアタリの仕事(某月某日 難民キャンプ:パニックと化した「浜焼き食べ放題ツアー」
 某月某日 オロオロ:クレームを回避するためのテクニック ほか)
第3章 添乗員を取り巻く奇妙な人びと(某月某日 人生のベテランたち:バイキングは戦場である
 某月某日 私のバスはどこ?:添乗員が集合場所を連呼するワケ ほか)
第4章 旅行業界残酷物語(某月某日 引っ越し:年金15万円弱の温泉ライフ
 某月某日 あぶない一線:「疲れ果てる」を超えた旅行会社社員 ほか

マンション管理人オロオロ日記
前がきから引用
マンション管理人はなぜ高齢者ばかりなのか?
マンション管理人と云えば、エントランス横にある小さな事務所にちょこんと座っている年配男性というイメージをお持ちの方がおおいのではなだろうか。
確かに管理員は高齢者という相場が決まっている、若くてもせいぜい60歳くらいだろう。
管理員は定年退職してからの就労している場合がほとんどである。
まだまだ元気だから、じっとしているのが嫌だから、人と話すのが好きだから、なんとか生活費を稼ぐため等など、様々な理由で第2、第3の人生を送ろうとする人たちが支えている職業といっていい・・・
当年72歳、夫婦で住み込み、24時間苦情承ります
この本は、59歳から現在まで13年間にわたって、夫婦で住み込みのマンション管理員として勤務してきた著者による、怒りと悲哀と笑いの記録。
マンション管理人オロオロ日記 無料サンプルが読めます

ケアマネージャーはらはら日記
47歳から現在までケアマネを続ける著者による奮闘の記録。
・「こんなヘボマネ、見たことねえぞ!」
・ケースワーカーの生活保護“水際作戦”
・困るのは、元気すぎる認知症
・おむつ交換おばさん
・不機嫌なドクター
・パワハラと孤立 etc.
我家のカミサンは数十年も医療現場に携わってきていますから、各種資格をもっており、このケアマネージャー制度ができた時もまわりから
資格取得を勧められましたが、断り、52歳退職以降、一切働いていません。
一方、カミサンの同僚はカミサンよりもずっと勉強家で、社会意識も強く、世のため、人のため、日本の介護医療のため、そして自分退職後のために
資格を取り、行政の介護保険申請者の査定専門のケアマネージャーとなりました。
しかし、一年で辞めました。その理由を聞いたことがあります。
私の面接・審査判断が、其の人、其の家庭の人生、家計費に大きな影響を与えてしまう。
行政のマニュアル通りに審査すればよいのだろうけど、行政の决定する人たちは、書類しかみていない、私はには荷が重すぎる。
彼女はその後、老人ホームの介護ヘルパーとして働いていますが、自分の持っている国家資格を全て伏せて、いち高齢女性として今も働いています。
コロナ禍で分かるように、日本の医療、介護制度は、看護師など専門職の好意に依存しすぎているようです。
ケアマネージャーはらはら日記 無料サンプルが読めます

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年01月22日

人生黄昏時、思い出探しと確認、自分の住んだ町の記録撮影へ

今年は何処へ行こうか
新しい年を迎え、昨年末に考えていた2022年の旅先リストメモを開きました。
リストメモは、2月半ば頃からはコロナ禍も治まり、Gotoトラベルが再開される前提で作成されていたましたが、オミクロンで予定はほぼ全滅、白紙に戻さなくてはならなくなりました。

関東の空は快晴の青空とは云え、まだまだ寒く、花も咲いていなく、特別のお祭りイベントもなく、近場の温泉でのんびり過ごすというほどの「お年寄り」の気分にもなりません。
一昨年に退職後ワークの地域ボランティア、NPOスタッフとしてのサポート講座を閉じ、趣味のクラブをやめた現在、団塊おじさんは毎週、毎日、スケジュールが空白の日々が続いています。
やることがなく、断捨離・終活と云っても、毎日自宅にこもりパソコンに向かう日々にも限度があります。そこで思いついたのが、自分史ならぬ、自分がこれまでに住んだ町の映像記録を残そうと考えました。

人生たそがれの時期、思い出すのは

地方から東京に出て最初に住んだ学生時代の下宿の町「世田谷区用賀」、そして南米から戻って住んだ町「中央区築地」、やがて結婚して住んだ町「台東区池之端」、一度東京を離れて再び戻って住んだ町「世田谷区東松原」、はじめて持ち家となった「横浜市東戸塚」の町を映像として残しておこうと考えました。
あの頃の自分の写真は全く残っていません。残そうとも思っていませんでした。
来年、後期高齢者と呼ばれる年令になり、何かを残そうという人生の黄昏にさしかかる世代が考えることが、少しづづ分かるようになっています。
まずは、今週、終活の一環として本籍の転籍の為に、新婚生活をスタートさせた私達夫婦のスタートの地、東京都台東区にいく用事ができたので上野・根津・池之端の撮影から始めました。

地方出身の私にとっての初めての東京は上野駅です。

長野県の北部長野市(北信)東部上田・小諸(東信)に住む人々にとって、東京とは信越線の終着駅「上野」です。
初めての東京は中学三年の修学旅行の時です。
やがて高校時代は、クラブの全国大会、個人バックパック旅行、入試などで度々上京するようになりますが、東京は何時も上野駅です。
蒸気機関車からジーゼル機関車となり、やがて新幹線となって初めて、東京は「東京駅」と変わっていくのですが、私にとって、東京とは駅構内の一面壁画のある中央改札口であり、駅前の「アメ横」なのです。

東京の北の玄関 上野

20年ぶりに訪れた上野駅前は様変わりしておりモダンなオブジェが並んでいますが、いまだ工事中でした。東京の北の玄関口の上野駅の外観は昔のままですが、学生時代にまだ浮浪者が屯ろしていた、地下通路はキレイになり、地下鉄銀座線、日比谷線への連絡通路となっていました。
高校時代、二週間の北海道バックパック旅行から舞い戻り、食事した上野駅前の食堂や、6年半振りに南米から帰り、信州の実家へ向かう前にどうしてもやりたかった「パチンコ屋」も探すことは出来ませんでした。

上野公園も様変わりしていました。

上野駅から上野公園への出口、「公園改札口」は元あった場所から、かなり変わっており、構内案内看板を頼りに歩かないとたどり着けないほどでした。
上野駅から西郷さんの銅像のある場所へは、JR不忍口を一旦出で、東京土産を売るお店や、軽食食堂のあるビルを抜けた場所ですがビル自体が新築改装されており、あのバブルの時代、イランからの出稼ぎの人たちで溢れていた、西郷像のまわりは、外国人観光客や東京見物の国内観光客の姿もなく、閑散としていました。

上野公園から新婚時代を過ごした池之端へ

私達が新婚時代を過ごした台東区池之端は、上野公園を下った不忍池近く、最寄り駅は地下鉄千代田線ですが、JRの最寄り駅は「上野」です。
よく二人で散歩がてら、不忍池から上野公園内を歩いたものです。
驚いたのは、あの散歩ルートだった上野寛永寺から下った先に、上野動物園の「弁天門」が出来ていたことです。
昔、動物園正門からモノレールが通じていた、上野公園の「水族館」へは、直接入れるゲートが出来ていました。

不忍池の向こうにはタワマンが・・・

不忍池にある弁天堂は、上野寛永寺のもので、この一帯は寛永寺の寺領です。
この池の向こうに私達が暮らしていた当時はなかった高層マンションが何本も見えます。
そして、このマンションの裏側がちようど東京大学本郷キャンパスになります。
東京の下町情緒が漂う、根津・谷中に住み、お散歩にちょうどいい距離に上野公園がある環境が気に入っていました。

不忍通りから言問通りへ

上野駅公園改札を出て、上野公園の桜並木、博物館、不忍池などを抜ける、「不忍通り」にでます。
この不忍通り一帯は、大きなショッピングセンターも、オフィスビルもなく、昔ながらの、昭和の良き時代の面影が濃く残っている、文教地区なのです。
「不忍通り」は地下鉄日比谷線「根津」駅で浅草方面からくる「言問通り」と交差します。
交差点の角にはあの当時そのままに、地元スーパー「赤札堂」が今も残っていました。
その前の商店街の小さな小路のおくには、「神田川」の世界、二人で行った「銭湯」がありましたが、残念ながらお風呂屋さんは残っていませんでした。
この交差点を右に行くと、上野桜木、東京芸大前にでます、交差点を左に曲がると東京大学農学部にでます。
この不忍通りをまっすぐ直進すると、数年前、インバウンドで賑わった谷中商店街(ほんの小さな小路です)にでます。
谷中には私達が住み始めた頃から、外国人旅館の草分けとなりました「澤の家」さんがあり、1970年代、あの当時として珍しく、大勢の外国籍観光客の姿がみうけられました。
私達二人は二十代、二人でこれからの人生、海外にでて暮すことを夢見ていた頃です。

1978年、私達二人が暮らした木造アパートが残っていました。

18年前、退職直後に二人で昔暮らした町を散策しに来た時にも、奇跡的に残っていました。
2階建ての4部屋のアパート、大家さんは大工さんでした。
一階の玄関を急階段を上がると、右手に年老いたお年寄りの男性、向かいの部屋にはお年寄りの女性が住んでいました。
私達の部屋の前は、この大工さんの従業員の若い職人さんが住んでいました。
私達の部屋、四畳半と三畳、入り口にはガスコンロ一つの小さな台所、風呂なし、トイレ共同の、昭和50年代といえども、本当に小さな昔のアパートでした。
いつかは、「ハイツ」とか「コーポ」と呼ばれるようなアパートに引っ越すことを夢見ていました。
でも、何も苦しくも、嫌でもありませんでした。
しっかりと二人で貯金して、いつかは海外で暮らそうと夢見ていました。

何も変わっていない
この表通り「不忍通り」から一歩入った小さな通りはあの当時と全く変わっていませんでした。
床屋さんも、お寿司屋さんも、お寺も昔のまま残っていました。
違っていたのは、アパートには電話がなく、何処かに電話する時は、10円玉を沢山用意して通った、小さな公園前にあった公衆電話が失くなっていたことぐらいで、まるであの当時、昭和50年前に戻ったようなでした。
二人がここで暮らすようになってから、今年で44年なります。
アパートの入り口には鍵がかかっており、今は誰も住んでいないようでした。
再び、このアパートの様子を見に来ることは、まずないでしょうが・・・しかしいつまでも残っていて欲しいと思います。

思い出探しの小さなトリップを終えて
もとの住まいの池之端から、昔、よくそうしたように、不忍池沿いを歩いて、上野広小路に抜け上野駅から「東海道線東京上野ライン」の熱海行の電車で帰路につきました。
高崎始発の熱海行、昔は考えられないような電車です。
上野からたったの46分で自宅最寄り駅の大船に着きました。
こんなに近くなったなんて・・・

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年01月20日

終活の準備 本籍の引っ越しで知る、転籍と改製原戸籍とは

来月で後期高齢者の一つ手前の年齢になります。
「誕生日は、冥土の旅の一里塚 目出度くもなし」、そろそろ本格的に準備せよ、との通知と受け取っています。
そんなこともあって、今年に入ってまずは不要なもの片付けを少しづつ始めています。
いわゆる、断捨離ですが、これは2011年、東日本大震災を見聞きしていらい、出来るだけ不要なものを整理して、身軽でいようと10年前から始めていますが、それでもまだ捨てられないものがかなり有りますが、全て捨ててしまうのは、少し寂しい・・・

そして、同時に進めているのが終活、本籍の転籍です。



以前から気になっているのが、戸籍、本籍です。
私の場合、私達二人の本籍は結婚した時の住所、東京都台東区です。
もう、40年以上前のことですが、それ以後横浜に新居を移し、退職してから住まいを鎌倉に越してきてからも、本籍はそのままの東京にしてあります。
ここまでの生活で、住民票のある現在の鎌倉にいて、本籍を意識するのは、パスポートの更新の時だけで、特段不自由はしていませんが、終活を意識するようになった時、初めて諸々の人生の後始末を考える時、本籍を意識するようになりました。

子供のいない、近くに親類縁者がいない夫婦にとって、片方(特に夫)が逝った時、残された妻の負担が大きいのでないかと考えるようになりました。
退職直後から二人共に70代になるまでは、特に本籍の書類が必要になり、自宅から1時間の距離にある、東京都・台東区まで取りに行くことは、何ら問題はなかったのですが、だんだんと東京までいく時間、手間が面倒に感じるようになってまいりました。
特に私が逝った、カミサンは、やらなくてはならない、手続き、問題を短時間のうちに処理しなくてはなりません。
子供がいたり、身近に親類・縁者がいればお手伝いをしてくれるでしょうが、二人の親類・縁者は、共に地方にんでいましすし、家庭もありますし、同時に私達以上の年齢でもあるので、期待出来ません。
諸々の手続きは、ある程度の出費で、専門家にお願い出来るでしょうが、戸籍書類の申請となると、やはり本人でしか出来ない事が多いのは想像出来ます。

カミサンは機械オンチ
我家のカミサンは、これまで銀行に行って、ATMでお金を引き出したことは一度もありません。
貸し金庫に行って、中の書類を持ってこようとしても、パスワードを知りません(紙に書いて渡してありますか・・)
現在の我家の一ヶ月単位の家計については、カミサンは分かっていても、大きなお金のことは分かりません。
パソコンのなかのシークレットフォルダーのなかのエクセルを開けば分かるのですが、カミサンはパソコンの起動さえ出来ません。
昔から、二人の人生について、お金について、その他諸々の必要なことについては話し合ってきていますが・・・
・貴方は死ぬ死ぬというけど、そう簡単に死なない
・その時はその時でなんとかなるもの と現実感がないのです
そこで、なるべくカミサンの負担を軽くする手立てを考えなくいけないのです。

本籍を現在の住まい鎌倉に転籍するメリット・デメリット
メリットは
本籍地を変更するメリットは、「戸籍謄本が取得しやすい」点にあります。
【戸籍謄本が必要な場面は】
1,パスポートの申請
2,本籍地以外での婚姻届提出
3,年金の受給開始
4,生命保険の請求
5,遺言書作成
6,遺産相続の手続き

このうち、1,2,3の可能性はまずないでしょう。
4,5,6のケースはこれから必須事項なるのは間違いありません。
市役所戸籍課は同じ鎌倉市内、電車で二駅ですから、午前中に簡単に済むはずです。

デメリットが発生することを今回初めて知りました。
1,運転免許証やパスポートの変更が必要になります。
運転免許証に埋め込まれているICチップには本籍地の情報が刻まれています。
そのため、本籍地が変わった場合は、運転免許証の本籍地情報も変更が必要です。
また、パスポートにも本籍地が記載されています。
ただし、パスポートの本籍地は都道府県のみであるため、県をまたいで本籍地を変更する場合にのみ、パスポートも変更手続きが必要となります。
しかし、私達二人は、自動車運転免許証もパスポートも既に更新をせずに廃棄しているので問題ありません。

ではマイナンバーカードはどうか
本籍の転籍をする計画にあたって、確認したところ、マイナンバーに入力データに本籍はないので、転籍しても更新の必要はないことでした。

2,遺産相続時に遺族の手間が増える
一番のデメリットは、遺産相続時に家族の手間が増えることです。
相続の手続きには、亡くなった人と相続人(親や子)との関係を証明するために、亡くなった人が生まれた時から亡くなるまでの“全て”の戸籍謄本(除籍謄本)が必要です。
そのため、亡くなった人が生まれてから亡くなるまでに複数回転籍している場合は、籍を置いた各自治体に問い合わせて戸籍謄本を取り寄せなければいけません。
これまでの転籍地を全て把握しておけば、大して難しい作業ではないかもしれません。
亡くなった人の親族であっても、本人の転籍経歴を全て知っている人は少ないでしょう。
また、亡くなった人と相続人が親子関係ではない場合、相続人が祖父母もしくは兄弟姉妹になります。つまり、子供のいない夫婦の場合、夫がなくなった場合、当然相続人は妻ですが、夫の親族にも相続権があるのです。
その場合は、亡くなった人の親が生まれてからの戸籍謄本が必要になるため、さらに複雑化します。このように遺産相続の手続きを前にして、転籍回数が多いことが難題として立ちはだかることとなるのです。

ここで初めて「改製原戸籍(かいせいげんこせき)」という戸籍書類があることを知りました。
改製原戸籍とは

コンピュータ上で保管される様式となる前(改製前)の紙の戸籍のことです。
いわば古いバージョンの戸籍です。一般的には、平成6(1994)年の法務省令による改正以前の戸籍を「原戸籍(改製原戸籍)」と呼んでいます。
重要なのは、原戸籍から現在戸籍へ改められた際に、削除されてしまった項目があるということです。
つまり、原戸籍を確認しないとわからない戸籍情報があります。この有無が「原戸籍謄本」と「(現在)戸籍謄本」との大きな違いです。
原戸籍から現在戸籍への変更時に削除されてしまった項目というのは、改製される前に除籍した人や認知した子、養子縁組、離婚などです。相続においては、このような項目を調べるために原戸籍謄本を取得する必要があります。



つまり、なくなった方の相続人を全て調べるには、現在の戸籍謄本では調べはれないのです。

私達が達した結論は
本籍を鎌倉に転籍した場合のデメリットをよーく考えてみると、例え東京に本籍残しておいたとしても、遺産相続にはその前の生まれ育った信州の改製原戸籍が必要になると云う訳です。
鎌倉に本籍を移した時でも、東京と長野の2つの製原戸籍取得手続き、東京に残した場合でも1つ長野のものが必要、それなら、遺産手続きには10ケ月の余裕がありますが、亡くなった後の葬儀やら保険会社、銀行の手続きの忙しい時期に、カミサン一人の忙しいを少しでも軽減してあげるためにも、本籍は二人共に元気なうちに、現在の地に移しておいたほうが良い、との結論に達しました。

改製原戸籍は事前に取得出来る
この問題を知った時、アドバイスをいただきました。
改製原戸籍は何時でも取得出来ると云うのです。そして有効期限はない、と聞きました。
確かに言われてみれば、古い戸籍履歴ですから、別に私が逝った後でもなく、今回の転籍が終わった後でも取得出来るのです。
それも、わざわざ、2箇所の役所にいかなくても、「改製原戸籍」が取得出来るのです。

各自治体により多少違いますが---以下は台東区の例---
1,戸籍照明等の郵送請求書 用紙に記入したもの
2,手数料 郵便局の低額小為替 改製原戸籍の場合750円
3,本人確認用資料 運転免許証・マイナンバーカード等 現住所が確認出来るものコピー
4,返信用封筒 に宛名、切手を貼ったもの
5,相続の場合、直系であれば親子関係、夫婦であれば、死亡時まで姻戚関係が分かる戸籍

長野市役所の場合請求例
改製原戸籍請求用紙と必要書類、送り先PDF

では、私が元気なうちに、全て揃えておこうと、今週、台東区役所に戸籍謄本を取りに行く際、相談してみました。
確かに、事前にとれるし、古い戸籍証明なので有効期限はないけれど・・・
受け取る相手が、生命保険会社だったり、銀行・金融機関であったりする場合、発行三ヶ月以内の書類と云われる可能性があると云います。
確かに、5年、10年前のに取得してその間に再び戸籍が変わる場合がないことはない・・
出来るだけ、相続が発生してからのほうが確実というのが、戸籍窓口の見解でした。

では、私が元気なうちに請求に必要な書類を
台東区区役所と長野市役所あて、2通の用紙に記入を済ませ、低額小為替、マイナンバーコピー、封筒、切手、戸籍謄本を準備しておけばパソコンの苦手なカミサンでもできるだろう、と今は思っています。
ここまでしなくても、何とかなるだろうと本音では思っているのですが、こんな簡単な遺産相続でカミサンの無知につけ込んだ「知ったかぶりの行政書士」に何十万も払わないにしたい話ですけど・・・

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年01月18日

大河ドラマ 鎌倉殿の13人 地元鎌倉での評判は


先週から始まった、地元鎌倉を舞台とする大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の初回は17.3%だったそうです。
まあ、初回ですから様子み、まあまあの数字でしょう。
そもそも、昔から大河ドラマのテーマに、中世、源平から鎌倉、そして室町時代に至る時代のドラマはヒットしないのは、定説となっています。
戦国武将のような、立身出世、合戦ドラマ、ハッピエンドの結果を視聴者が知っていて安心するようなドラマではなく、何処か陰湿の香りがするドロドロとした、政治ドラマ、不幸な結末のドラマであることを視聴者は解っているのですから。
過去の源平時代劇での視聴率をみると

1979 草燃える 頼朝/北条義時 (石坂浩二/松平健)  26.3
1993 炎立つ  藤原泰衡 (渡辺謙)       17.7
2006 義経   源義経 (滝沢秀明)      19.5
2012 平清盛  平清盛 (松山ケンイチ)    12.0


2012の平清盛の時は、史実に忠実すぎました。
ドラマの武士の衣装はその当時の武家の立場、天皇を忠心とする公家の配下、武器を持った用心棒、戦闘集団を象徴し、木綿のヨレヨレの袴姿でリアルティはあるももの、絵柄としては暗い印象でした。
1993年の「炎立つ」の奥州藤原氏も、2006年の「義経」も、日本史の歴史の授業で扱うことは少なく、まして現代の受験競争時代では、日本史は必須ではなく、選択科目なのですから、若い世代には馴染みがなく、日曜夜のTVのチャンネル権が若い世代にある世帯構成では、このような
時代劇は、ますます見られなくなるのも納得します。
昨年の「 青天を衝け」は、新札発行のモデルということで、ある一定の興味を惹きましたが、ドラマ自体は、主人公は豪農の長男と云うものの、月代をいつも綺麗に反り上がってムダ毛はなく、着ているは農民の普段着、仕事着とは思えない、あまりにも小ざっぱりした着物で、ネット上で、呆れた時代考証は笑いものになっていました。

と云っても、ここ最近10年の大河ドラマの視聴率は20%を超えたことはないのです。
2019年の「いだてん」に至っては11.2%のワースト記録をしているのです。
それでも、平均視聴率20%とここ10年では、2013年の「八重の桜」21.4%に次ぐ高視聴率だったのです。

大河ドラマの視聴率トップ3は
 39.7%  独眼竜政宗 渡辺謙   1987年
 39.2%  武田信玄  中井貴一  1988年
 32.4%   春日局    大原麗子  1989年


87、88、89年・・・団塊世代の私達は何か思い出しませんか・・・私達は39歳、40歳、41歳、そうバブル真っ盛りのあの時代の数値なのです。
2022年、様々なメディア、選択のある現代、過去の数字を全く参考にならないのです。

そして現代の日曜夜のテレビ番組は激戦区なのです。
昔のようにNHK大河ドラマ独走の時代はとうに終わっているのです。
ここ数年間は日本テレビの”テッパン”と呼ばれる「笑点」「バンキシャ」「鉄腕DASH」「イッテQ」「行列ができる法律相談所」のラインナップが盤石でしたが、8時台のテレビ朝日「ポツンと一軒家」が風穴を開けもしています。

我家でも私はNHK大河ドラマ、つまんなくてもみていますが、カミサンは時代劇大嫌い、他人の生活の覗き見大好きですから、当然ながら「ポツンと一軒家」から9時代は「人の噂大好き人間」カミサンは「行列ができる法律相談所」で、私は、団塊世代の男性の典型ですから、社会意識を持って、NHK特集を見ています。
ですから、つまらなくても日曜日夜の8時台はNHK大河ドラマを見ます。
団塊世代の私達男性が見なくて誰がみるのだ・・・

特に今回、ドラマの舞台は地元、鎌倉は盛り上がっているか



普通、地方の各自治体、都市、観光地は、自分たちの町を舞台としたドラマを作って欲しいと、何年もかけて、政治家も動員してNHKに働きかけているのです。
私の知り合いはもう10年続けて、「小田原北条五代」の物語の大河ドラマ化のために下運動していますが、実現しません。
私のような素人視聴者からすれば当然の話で、小田原北条氏のお話は、ハッピーエンドとは正反対で、初代の北条早雲は、生まれは岡山で8代将軍足利義政の弟 義視の近侍となてからは、次々と主家を変え、滅ぼして関東の雄となるのですが、歴史小説上では、悪党のイメージが強く、五代目の北条は、最後には秀吉の包囲され、決断を下すことの出来ない事の慣用語「小田原評定」のもとになった、優柔不断の結末の上、切腹てすから、一般国民視聴者の共感をえるようなドラマ仕立ては無理なんのは明白なのですが、未だ商工会議所に働きかけて、大河ドラマ化を求めているようです。

おらが町が大河の舞台に
自分たちの住む自治体の英雄が大河ドラマになますと、ず知名度があがり観光客も来るようになります。
昨年の「青天を衝け」の舞台、渋沢栄一の生まれ育った「深谷市」には大勢の観光客が訪れ、大河ドラマ館が出来ていました。
これは、何処の地方都市も同じで、「真田丸」の上田市、松代町。「八重の桜」の会津若松、「義経」の平泉も同じく、同年、翌年の観光客数は格段に増えます。
そして各地で言われているのは、数年の観光客の増加よりも、知名度が上がるのが何よりの効果と、市政担当者、商工会所はおっしゃっています。

鎌倉市民の間で有名な話があります。
数年前、鎌倉が手を上げた「武家の古都鎌倉」が世界遺産登録の審査前の段階で非推薦となり、断念したニュースを聞いた市民の半分以上が、落選に拍手、喜んだ、という何処から出たのか分からない、真偽不明の話を受け入れ、信じています。
それは、これ以上観光客に来てもらってどうするの?という意見が多いのです。
鎌倉市、現在、市中心部に乗り入れる車を制限し、課税する方法を検討中です。
こんな小さな町に、車で来て欲しくないと云う条例法案です。
今だって、大型観光バスの駐車場、市の中心部にはなく、北鎌倉の建長寺か、由比ヶ浜方面までいかないと大型観光バスは駐車できないのです。

トイレひとつとっても
鎌倉駅からメインの鶴岡八幡宮まで、公衆トイレはひとつも有りません。
江ノ電長谷駅から、露座の大仏、高徳院まで公衆トイレはひとつも有りません。
お買い物で賑わい、小町通りにも公衆トイレはひとつも有りません。
今や、地方の観光地に行くと、案内板、ルートマップ整備されていて、公衆トイレも何箇所もあるのですが、鎌倉にはないのです。
狭く町並み、土地柄か物価が高く、トイレのスペースを提供してくれる地主さんもいなければ、店内に客用トイレを受け入れてくれるビルオーナーも少ないのです。
そんな土地柄ですから、大河ドラマによる観光客の増加は、コロナ禍での観光客の減少を多少は補ってくれるかどうか。という試算もでています。

果たして、若い観光客はくるか? そもそも鎌倉殿の13人って誰なんだ?



タイトルの鎌倉殿とは、もちろん、鎌倉幕府将軍の源頼朝です。
13人とは、もともと、初代将軍頼朝を支えた、家臣団です。
頼朝の死後、幕府内で内部抗争で繰り広げられ最後に残ったのが、北条義時を中心とする13人の有力者たちがタイトルのようです。

北条義時  北条時政の子 父の後を継ぎ第2代執権となる
北条時政  義時の父 初代執権
梶原景時  頼朝を支えた武将、義経と対立
比企能員  頼朝の側近
安達盛長  鎌倉幕府直属の武士
和田義盛  鎌倉幕府侍所初代別当
大江広元  公家出身政所初代別当
三善康信  下級武士出身 問注所初代執権
三浦義澄  相模の守護職 頼朝と強い関係
中原親能  公家出身 大江広元の兄
二階堂行政 公家出身 政所執事
足立遠元  源氏4代に渡って使える文武才
八田知家  鎌倉幕府直属の武士

私達団塊世代の日本史の教科書では、この鎌倉幕府滅亡から、室町幕府へ歴史はほとんど、まともにやっていないので、登場人物の名前もほとんど初めて知る名前ばかりです。
このように登場人物が多くなるとストーリーが相当面白くないとついて行けずに、途中でギブアップというのはよくあるケースです。
ここは脚本の三谷幸喜の腕の見せどころでしよう。
今までの源平ものは、登場人物が多く、最後には陰謀・裏切りの悲しい結末が待っているのは解っているので、今年の12月の第三日曜日まで見続けられるかどうか・・・分かりません。
でも、日曜日の夜の番組で他に見たいものがないんたから、仕方ないか。

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定年後の過ごし方サイト読者からの投稿・体験記事ページ
posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2022年01月16日

寒い冬は年金退職者には暇すぎる、映画を見にいこう

現役時代、映画館まで足を運んで見ることは、一年に一度あったか、どうか・・・多分数年に一度ぐらいだったでしよう。
どんな話題超大作でも一年も待てば、TVでやるもんだと高をくくっていました。
でも、退職してからは、1月に一本は見に行くようにしています。
映画館まで足を運ぶ・・・その理由と訳は

ひとつには、どうしても早く、話題作品を見てみたい


これは、ネット世界に身を置いている人間の本能で、世の中の流れに遅れてはいけないと云う気持ちが何処かにあるのでしょう。

一人で暗い所で、大きな画面で見てみたい


 40年も一緒に暮らしていると、カミサンとの微妙な感性の違いに気づきます。基本的に
 価値観は一緒なのですが、芸術、音楽、絵画などの感性面では
 当然ながら違いはあります。カミサンの嫌いな映画は、荒唐無稽なあり得ない話、アニメ、
 CGを多用したもの、時代劇、現在と過去が頻繁に入れ替わる物語
 等など、好きな映画の典型は「山田洋次作品」、という訳で、退職してから二人一緒に
 映画館へ足を運んだことはありません。


 そして、映画館まで足を運ぶ環境・距離・時間・とお金、料金です。


 私は高校を卒業するまで、地方の県庁所在地の一番の繁華街のど真ん中で育ちました。
 映画館も徒歩15分圏内に7軒ありました。 
 中学校までは、校則で親の同伴なしの映画館出入りは禁止でしたが、高校からは自由で
 したし、商店街の割引券が手に入り、高校生としては比較的よく映画館にいっていたほう
 でしょう。
 よく見に行ったのは日活の「吉永小百合」の映画、それ以上に良く行ったのは、大映とか
 独立系のロマンポルノもの「団地妻シリーズ」など、映画館の出入りに誰か見られていな
 いか、ビクビクしながら、大人の映画でした。


退職してからの映画通いは
特に多くなったのは、3〜5年前頃から、70歳前後になり今までの公的なNPOのボランティアを辞め、講師をやめ、海外旅行を止め暇になったからです。
そして映画館に頻繁にいくようになったのは、東海道線二駅先、辻堂駅前再開発で大型ショッピングモールが出来て、シネコン109シネマが出来てからです。
その前は、横浜駅西口までいかなくてはなりませんでした。

何を見に行くか?、なるべく近場で話題作を!

最近の話題作の1 ドライブマイカー



2021年7月の仏カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」が第79回ゴールデン・グローブ賞の非英語映画賞(旧外国語映画賞)を受賞した。賞レースが始まった昨年12月、ロサンゼルス映画批評家協会賞で作品賞と脚本賞、ニューヨーク批評家協会賞でも作品賞を受賞。
22年1月8日に第56回全米映画批評家協会賞で作品賞、監督賞(「偶然と想像」含む)、脚本賞、主演男優賞と4部門を制した。
どんな映画なんだろう・・・見に行かなくてはとネットで上映館を探ってみました。

地元神奈川では、横浜ブルグ13でやってはいるが、13日木曜日まで、しかも上映時間は16:00から、作品上映時間はなんと3時間の超大作です。
もちろん、帰宅駅まで電車は沢山あるし乗換なしの一本ですが、退職してから、映画を見に行き、帰りが夜の9時過ぎになることはなかった。
そして映像時間が3時間、一度はトイレに立つことになる、それほどまでして見に行くべき映画なのだろうか・・・と躊躇していたら、受賞後に同じく横浜ミナトミライ地区のツタヤ系の「キノシネマ」で21日から上映決定とネットで報じていました。
それならば、明るい時間に行ってみようか。

ストーリーは複雑なようです。
作家・村上春樹による、珠玉の短編小説「ドライブ・マイ・カー」が原作。
妻を失った男の喪失と希望を綴った作品。
舞台俳優で演出家の男は、妻と穏やかに暮らしていた。そんなある日、思いつめた様子の妻がくも膜下出血で倒れ、帰らぬ人となる。
2年後、演劇祭に参加するため広島に向かっていた彼は、寡黙な専属ドライバーの女と出会い、これまで目を向けることのなかったことに気づかされていく。
濱口竜介監督といえばあの「スパイの妻」の脚本を担当した、演出家・・・なんか難しそう、分かりにくそう

最近の話題作の2 ドキュメント「なれのはて」フィリピンに生きる男たち 



フィリピン・マニラの貧困地区で暮らす高齢の日本人男性4人を、およそ7年にわたり追いかけたドキュメンタリー。「困窮邦人」と呼ばれ、フィリピンのスラム街で生きる男性たちの日常と、彼らを取り巻く人々を映し出す。
かつては警察官、暴力団員、証券会社員、トラック運転手など、日本で職に就き、家族もいながら、何らかの理由で帰国しないまま、マニラの地で日々を送る年老いた日本人男性たち。
半身が不自由になり、近隣の人々の助けを借りてリハビリする男、連れ添った現地妻とささやかながら仲睦まじい生活を送る男、便所掃除をして軒下に居候している男、ジープの呼び込みで得たわずかな金でフィリピンの家族を支える男、カメラは4人の老人男性の日常、そしてそのまわりのスラムの人々の姿を淡々と捉えていく。
監督は「20世紀ノスタルジア」「ストロベリーショートケイクス」「どこに行くの?」などの助監督を務めた粂田剛。東京ドキュメンタリー映画祭2020で、長編部門グランプリと観客賞に輝いた。

このドキュメントの背景には、バブル時代の後の海外ロングステイブームがありました。
私は過去のブログでマニラの「日刊まにら新聞」記者「水谷竹秀」氏の現地レポート「脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人」 について少し取り上げたことがあります。
内容はこのドキュメントムービーと同じ人達を扱っています。
「脱出老人」のプロローグは東京ビッグサイトから始まります。

ロングステイ財団主催の「ロングステイ2012」入口に並ぶ長蛇の高齢者の行列を目にし、本当にこの人達は 皆、海外移住を考えているのだろうかと著者は唖然とします。
各ブースには、
 「癒しを求めて」
 「極上のセカンドライフを楽しむ」
 「ゆったりと海外生活」
といった謳い文句が目に飛び込んでくる。
来場者の表情も概ね穏やかで、これから始まる第二の人生にいささかの期待抱いているようにみえる。
 「フィリピンは英語も通じるし、同じ10万円でも豊かな生活が出来る」
 「フィリピンってみんな親を大事にするでしょ、そんな国なら介護も安心できそう」
 「セブ島は気候も良いし、海が綺麗で治安も問題なさそう、それに生活費がやすそう」
来場者からはこんな言葉が聞こえ、海外で生活することへの期待、日本で老後を送ることへの不安の気持ちが 交差してしていた。
日本で高齢者の海外移住やロングステイを扱った書籍が既に数多く出版されているのは知っている。
だがその多くは、各ブースのキャッチコピー反映した「塗り絵」のような内容だった。
このロングステイフェアにつめかける大勢の高齢者の姿を見て、「本当に移住して大丈夫なのか」 と云う違和感を拭い去ることが出来なかった。



私はこの本で一番衝撃をうけたのが、第六章の介護疲れからの脱出でした。
2003年早期退職した当時、ロングステイブームの到来し、2008年の団塊世代の一斉退職でピークを迎えて いました。
当時、それまでの比較的裕福なサラリーマンの老後の一次的な生活の場として、ハワイをはじめ とする、美しい西欧文化の国々、カナダ・オーストラリア・ニュージーランドが持てはやされていたのが、 この頃から、「夫婦ふたりの国民年金でも豊かに暮らせる」と云う謳い文句で、アジアの国々が人気になり フィリピンもその国の一つとしてもてはやされていたのです。
しかし、時代はそんなアジア諸国の経済成長で物価は上昇し、バブル以降に退職する日本人の年金は円安 傾向のなか、とても昔の夢のような暮らしは幻と気が付くようになり、経済的な問題で、海外ロングステイする 人は、激減しています。
しかし、この本で書かれている理由で、今でも老後を海外に住もうと考える人々がいます。
ひとつは「介護移住」です。
もうひとつは、日本で知りあった女性を追いかけていく、このドキュメントの主人公「中年男性」です。

そんな映画、ぜひ見たい、でもどこで上映しているの?
この原稿を書いている1月18日金曜日、上映館は新宿の映画館「1K's cinema」ただひとつだけ、それも夜19:00からのみです。
新宿まで行って、映画終わるのは21時過ぎ、そこから湘南新宿ラインの電車はいくらでもあるでしょうが・・・今回はあきらめて、再上映するまで待つしかないようです。

最近の話題作の3 クリント・イーストウッドの「クライ・マッチョ」

これまでのクリント・イーストウッド監督作品はかつて、その容貌から「ダーティハリー」や「マカロニ・ウェスタン」で荒らくれ、伊達男を演じてきたクリント・イーストウッドは
監督としても『許されざる者』『ミリオンダラー・ベイビー』でアカデミー作品賞とアカデミー監督賞を2度受賞するなど、ハリウッドで長年活躍してきた俳優、映画監督で近年は日本との関係も深く、太平洋戦争末期の日米の兵士と家族を描いた『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』の作品あります。
そして何よりも、日本人中高年女性の間の知名度・人気の高いアメリカ俳優なのです。
それはイーストウッドの最高峰「マジソン郡の橋」があるからです。

何回もTVで再放送されているから、あらすじはお分かりでしょうが

アイオワ州マディソン群の片田舎。亡くなった母の遺品を整理していた兄妹が、ある過去の秘密を知る。平凡な主婦だった彼女は、地元の珍しい橋を撮影しようと訪れた写真家の男性と出会っていた。彼女が隠していた4日間の、秘密の愛が明かされていく・・・
男性の私達からみれば、ただ単なる、田舎に住む中年女性の欲求不満の四日間の浮気・アドベンチャー話なのですが、全ての女性が抱えている、平凡な毎日、料理、洗濯、子供・夫の世話からの、出来やしないことは解っているけど逃避を心に秘めている。
主人公の女性、フランチェスカはイタリア生まれ、ヨーロッパ戦線に来ていたアメリカ人夫と知り合い、戦後アメリカにやってきた。
憧れていたアメリカの大都会ではなく、住むのアメリカ中部の片田舎の平凡な街、しかし、そこでの生活に満足して生活していた。
子供二人と夫がキャンプで四日間留守にする間、「屋根がかかった橋」を撮影する為にカメラマンと知り合う、彼はフランチェスカの故郷の街を知っていた。
この映画は何度も、TVで再放送されていますが、カミサンはいつも一人、自分の部屋に引き籠って見ています。
この映画のラストシーン、一時は諦めていた、自分を世界に連れていってくれるあのカメラマンを追いかけていこうか車で街なかにでます。
外は雨、交差点に彼が立っていました。信号は赤、今なら間に合う・・・
窓ガラスに大粒の雨、そこに点滅する赤信号・・やがて信号は青になり、彼の車は去っていく・・・


これが泣けない訳がない、カミサンは一人じっくりとこの気分を味わいたいのです。
分かるその気持

久しぶりに辻堂、テラスモール湘南109シネマへ
クリント・イーストウッド監督50周年作品です。



ストリーは
誘拐から始まった少年との出会いが、二人の人生を大きく変えてゆく――アメリカ、テキサス。ロデオ界のスターだったマイクは落馬事故以来、数々の試練を乗り越えながら、孤独な独り暮らしをおくっていた。
そんなある日、元雇い主から、別れた妻に引き取られている十代の息子ラフォをメキシコから連れ戻してくれと依頼される。
犯罪スレスレの誘拐の仕事。それでも、元雇い主に恩義があるマイクは引き受けた。
男遊びに夢中な母に愛想をつかし、闘鶏用のニワトリとストリートで生きていたラフォはマイクとともに米国境への旅を始める。
そんな彼らに迫るメキシコ警察や、ラフォの母が放った追手。先に進むべきか、留まるべきか?
今、マイクは少年とともに、人生の岐路に立たされる―― 。



日本の映画館は金曜日がスタート、封切り日です。
先週の金曜日封切り日に見に行きました。
二駅先の辻堂駅前のテラスモール湘南の4階109シネマ湘南で、朝の9:00開演です。
テラスモール自体は10時からですから、9時開演には、109シネマ専用のエレベーターで向かいます。事前にネットで前売りチケットを購入してありますが、いつも家を8時15分に出て電車で向かいます。109シネマは全部10スクリーン、最大容量は393席のシアター2ですが、この日上映は167席のシアター4、初日でシアター4ということは、興行的にはあまり期待していない・・・ということなのでしようか?開演時のお客さんは20数人ほど、ほとんどは私と同年輩の男性と、いくらか同年輩のご夫婦でした。

映画の出来は、感想は・・・
まあ、及第点・・・、特に感動するようなストーリー、大展開もなく、アクションもなく、涙もなく、美しい映像もなく、点数をつけるとすれば100点満点の65〜70点ぐらいかな。
最近のアメリカ映画でよくある、昔スポットライトを浴びていたヒーロー、人気者が年老いて一人寂しく暮らしている所に、昔の栄光を取り戻せるような、jobが舞い込んでくる、昨年の「MINAMATA」カメラマンと同じ設定、そして、その仕事ので、妙齢の女性と恋をする、
舞台はメキシコ、黒人差別が残るテキサスが舞台だけに、メキシ人コにたいする偏見、宗教差別、そしてステレオタイプ的な描写がかなりあります。
これは、監督イーストウッドが、アメリカ人観客にわざと、分からせるためにそういう演出をしているのです。
映画の半分以上は、メキシコが舞台で、会話はスペイン語です。
久しぶりに生のスペイン語の世界浸って、中米を歩いていたことを思い出させる映画でした。

イーストウッドと恋に落ちる、メキシコの田舎街、中年の未亡人は「マディソン群の橋」を思い起こしますが、美人過ぎて、リアリティがないのが残念だ、だってイーストウッドは1930年生まれ、92歳なんだよ。
なお、題名の「クライ・マッチョ」は少年が持つ闘鶏の名前です。


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2022年01月14日

断捨離、終活、カメラ・ビデオ・タブレット・電子手帳を捨てる




団塊世代のど真ん中の私は、今年74歳になります。
私達団塊世代は、まだまだ若い、まだ元気、何でもできると考えていても、世間、一般からすれば十分高齢者・お年寄り、お爺さんなのは、毎朝の洗面所の鏡に映る自分の顔や、商店街のウィンドに映る自分の歩く姿で、否応になく認識させられます。
そして、来年は75歳「後期高齢者」と呼ばれる社会層、自分自身の定年後リタイヤプランでは、残された人生は3から5年と、そろそろカウントダウンしてもおかしくない年齢ですから、少しづつでも、逝く準備が必要なのは明らかな年齢なのは確かです。

年の初めの1月は終活・断捨離の月です。
終活・断捨離は、自分の為よりも、残された家族の為も配慮、愛情です。
特に、私のような子供のいない夫婦、両方とも地方出身で、現在の住まいの近くに、親類・縁者が少ない家庭においては、如何に配偶者の負担にならぬようにするかは、先に逝くだろう男性の勤めです。
すでに、40十数年の夫婦生活のなかで、徐々に断捨離をしてきましたが、今回は、カミサンには苦手、あっても使えない、カメラ、ビデオなどの映像機器と時代遅れな、電子機器を処分することにしました。

ビデオカメラ1

2017年に購入した、パナソニックのハンディビデオカメラ、HC-V3600MS
昨年の11月まで使っていたもので、まだまだ十分使えます。
このビデオカメラを廃棄リストにあげたのは、昨年12月に全く同じ仕様のソニーの微テオカメラを購入したからです。
買い替えた理由は、このパナのビデオカメラの音声にひとつ不満があったからです。
本当に時々ですが、録音された音声にほんの少しですが、ノイズが乗ることがあるのです。
原因は不明ですが、編集する音声タイムラインの波形に、ポツンの尖った波形が現われることがあり、編集段階でこの部分だけレベルを落とす作業が必要でした。
一般的に、ほとんど気が付かない程度ですが、買ってから4年経過しているので、現在のソニーに買い替えました。
全く同じ仕様・レベルのものが2つ必要なく、持っていても先ず使いませんし、同じビデオ仲間でも、この程度カメラを
無料でも貰ってくれる人はいないと思うので、廃棄することにしました。

ビデオカメラ2 ソニーのアクションカムAV-200

ウェラブル・超広角の車や体の一部につけて撮影できる、スポーツ用のカメラで、発売当初から人気の機種です。
現在でも後継機のAV-300は、TV局のハンディカメラとして活躍しています。
このカメラを廃棄、手放す理由は・・・
このカメラ本体にモニターがついておらず、付属のモニター単体に電波とばすか、スマホに飛ばさないと、撮影対象をリアルで見れない欠点があるのと、今で主流の撮影時のブレ、揺れを抑える機能を外部のジンバルに依存しているのが大欠点です。
そして最大の理由は、これらの欠点を全てクリアしたカメラを購入したからです。
中国製のオズモポケットです。これまで幾つもの付属品、しかも大きい、重いものを持ち運ぶ手間がなくなったので手放すことにしました。恐らく、ビデオをやる人は、無料、タダでもいらないと思います。

ビデオカメラ3 Canon HV10 mini DV

ビデオカメラはビクターのS-VHSから始めており、記録媒体S-VHSカセットテープの時代が長くつづ、やがてテープの小型化、デジタル記録化して、現在の内蔵HDDから軽量・小型のSDカードになってきました。
なんで、こんな古い型のビデオ機器を持っていたかと云うと、昔撮影し、記録したmini DVを後生大事にとってあっても、それを再生する機器が欲しかったのです。
ビデオをやる人間は一度、VHSプレイヤーを廃棄した後、古いVHSテープを再生できなくなったり、再生機を捨てたのを後悔したものです。
今ではいろいろなサービスで古いテープのデジタル化できるの世の中になりましたので、再生機として残して置く必要がなくなり、今回やっと廃棄することにした訳です。

デジタル一眼レフカメラ、ミノルタ アルファ7

デジタルカメラは現役時代の2000年、最後のあたりからコンパクトカメラは出始めていました。が本格的なデジタル一眼レフは退職直後あたりで、CANONとニコンが先行していました。私のフィルム一眼はミノルタで、当然レンズもミノルタのみでした。
写真クラブの仲間のうち、二人だけがミノルタ派で、出遅れたミノルタの発売を待ち続けて購入しました。
一台レンズなしで、20万をオーバーしていたと記憶しています。
やはり、これも捨てられませんでした。いつかは使うかもしれない、そしてデジタル一眼の良さが忘れられなかったからですが、一眼レフカメラの良さはレンズ次第。そのレンズは全て、NPOセンターのバザーへ提供し手元になく、いまやサビとカビに覆われはじめ今回、思い切って廃棄を決定しました。

ソニーアクションカムAV-200専用ジンバル 

ジンバルはとは
3軸電動ブラシレス・ジンバルと言い、ビデオで発生しがちな手ブレを画期的に補正する機械です。
最近カメラの中にも「空間手ブレ補正」等の機能が備わっていますが、ジンバルの場合は細かな振動だけではなく、歩いたときの大きなブレをもピタっと補正してくれます。
これを用いることで、歩きながらの撮影でも吸い込まれるように滑らかな映像をアマチュアでも撮影する事が出来ます。
サッカーなどの中継で大きなものを胸にかかえて撮影している姿をご覧になった方があると思いますが、あれの小型バージョンです。
ひとつ数万もしました。これがあればぶれない、揺れない映像が撮影できるのですが・・・
結構、重く、バッテリーも必要で、準備が大変で、アマチュア向けではないのと、カメラとジンバルが一体化したものが、やはり同じ中国メーカーから売り出され、これもAV-200を手放すと同時にいらなくなりました。

タブレット asus ZenPad

まだ携帯電話がガラケーだった頃の2016のお正月に購入したものです。
パソコンに慣れ親しんでおり、タブレットは不要でしたが、カミサンはパソコンに触ることもなく、インターネットの世界とは無縁でした。
動画をみるとか、ツイッターとかSNSには無縁でしたが、何かを調べる、言葉の意味とか、地図とかは、ネットが当たり前に便利に時に自宅に2つあるパソコンには一切触らないカミサンに対して、タブレットなら比較的、かなり接しやすいのではと、購入しました。
しかしシムなしです。家のなかなら、自宅のwifiで繋がりますが、外ではパワードの解っているwifiがないと繋がりません。
そして、私にとっても初めてのアンドロイドで、パソコンのように簡単に操作できず仕舞いでした。
購入してから、カミサンはいっさい触らず、私も机の中にしまいっぱなしになっていたものを、今回引っ張り出してみました。
電源はちゃんと動くし、ネットもつながりますが・・・
二人共、スマホに慣れた今、確かに画面が大きく見やすいのですが、何処で使うの?という訳で、このままずっと机の引き出し奥深くで、私が予定の78歳(後5年)で逝った後、このタブレットは使いみちがないのです。
それなら、ちょと勿体ないけど、今、捨てましょう。との結論です。

電子辞書 SFARP PW-AM700

これはもう10年以上前のものでしょうか、電池を入り替えても液晶が表示しませんでした。
これは、退職後通った英会話スクール用に買ったものですがたいして使うこともありませんでした。
これらの電子機器は、今やスマホが全てを解決してくれます。
スマホは辞書であり、電話であり、音楽プレイヤーであり、ビデオプレイヤーであり、地図帳であり、メモ帳、日記帳メールソフトでもあるので、この電子辞書はなんの躊躇なく捨てることが出来ます。

最後は大量に残ったケーブル類です。

次から次へ新しい電子機器、カメラ、プレイヤーを買う度に増えていきました。
各機器の入出力端子の形状が異なったり、アナログ・デジタル信号によって違ったり、はたまたUSBケーブルだ、ハブだ、オーデイオケーブルだ、電源ケーブルだ・・Cタイプコードだと、捨てるに捨てられずにいましたが、今や電源はDC5Vのトランス変換器ひとつあれば、或いはパソコンのUSBがあれば全ての用が足せるようになって、ほぼ全てを捨てることにしました。
まだSONYのプレイヤーあたりが形状の異なる入出力端子を使っていますが、おそらくこれからは中国メーカーの仕様に統一されるでしょうから、全て捨てます。
もし必要となったら、100均ショップで手に入ることでしょうから

捨てる前に市のクリーンセンターに確認した
これらのものは、全て燃えないごみとして市の有料ゴミ袋に入れて、月に一度の収集日にだしますが、少し、不安だったのがタブレットです。
これってパソコンと同じだとしたら、市のゴミとしては出せないのでは?
電話で問い合わせした結果、燃えないごみ、小型家電として出せると云います。
携帯電話ガラケーと同じ考え方だと云うのです。
しかし、ちょっと不安でした。
なぜなら、タブレット(アンドロイド)と云っても、ネットに繋がっていた機器です。
当然このタブレットの中には、googleアカウントも、パスワードも残っています。
パソコンなら、初期化、或いはハードやメモリーの取り外し、破壊をしてだせますが、このようなタブレットの分解や、初期化はしたことがないのでちょっぴり、不安材料が残り、もうしばらく、内部データーのクリア方法を見つけてからにしようかな、と考えています。

まだまだ、後4年(私の予定では)の間に捨てなくてはいけないものが沢山あります。
いちどきに断捨離、捨てて後悔することがあるのではと思います。
これまで、何度もパソコン内のデータを捨ててから、失敗したことがあります。が、ゆやらなくては。来年の1月、私の部屋はどのくらい片付いているでしようか?

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2022年01月12日

年金シニア、ケチケチライフ大作戦、ポイントは使い切る

今年から、まだ少し残っている航空会社のマイルを使い切る旅行プランを考えていますが、その前に、家電量販店の中途半端なポイントを使い切ろうと考えています。

昔は・・・と
こういう事を語る年齢になってきました。
勤めていた会社の拠点工事事務所が新宿にあったため、ヨドバシカメラが遊び場でした。
確か、ヨドバシがポイント販売の先駆けだったと記憶しています。
現場や、会社の様々の行事の景品をヨドバシで買う際に、自分のポイントカードで購入し、せっせと趣味のカメラの為に使っていたことを思い出しています。

数年前から、家電量販店の多くは、カード型ポイントカードをやめてスマホ認証、デジタル会員に変更してきていました。
近所の「ノジマ」は二年前に、ポイントカードをデジタルに変更しましたが、「ヤマダ」はここ三年、駅前大型ビル開発で、小さな店舗のみの営業でしたから、一度も買い物をしていません。
元々、スペックが確認できる電子機器に関しては、お正月の超特売でもない限り、ネットのほうが断然、絶対、120%安いの分かっていますので、量販店へは、実機の確認だけに行き、手にとって感触だけ確かめ、ネットで買っています。
これは、世の中の常識、特に、PCとか通信、映像機器の分野においては当たり前です。

中途半端なポイント724円がある
先月、家の室内照明のうち蛍光灯を使っているものの買い替えをする為に、新装なった「ヤマダ電機」で我家の照明器具で蛍光灯を使っているもの全てを購入しました。
このような大きく壊れやすいものや、実際の光の色などを確認するものに関しては、量販店で購入しています。
この時、結構な金額になるのでポイントも大きくなり、従来のカードをデジタルポイントにしました。この時に私のスマホに記録されたポイントは724ポイント、724円分です。

安いキーボードなら買えるかもしれない

このお正月のヤマダ・ノジマ・ヨドバシの正月特売チラシを見ても、安い、欲しいと思うものは全くありませんでした。
でも、724円分使わずに放っとくのも、勿体ないないなと考えていた時、メラノーマ騒動(ほくろがガンなのか)で先月から中断していました、12月の動画編集、「由比宿とさった峠」に取り掛かりましたが、ますますこの7年半経過しているビデオ編集専用PC、Win8.1のキーボードがご機嫌ななめで、一文字入力するのに、ゆっくりと、深く、何度もキーを叩かないと反応しない文字が、ますます増えてきており、イライラしていました。

昔、パソコンがダメになり、買い換える原因の一番は、ハードディスクのクラッシュでしたが、最近はHDDが頑丈になり滅多にクラッシュしません。
これまでNPOセンターや、web講座で沢山のパソコンを見てきていて、買い替えを考えるようになるのは、オフィスやネットの遅さにイラつくことが買い替えの動機でした・・・
(※これは遅いのではなく、本当はメモリー不足なのですが・・・)
ともかく、昔より壊れにくくはなってるのは確かです。
そして、最近ダントツで多い買い替え動機・タイミングがキーボートの不具合なのです。

正月開けに、この残っている、使いみちのないポイント724円を何らかの品物に替える為にお店に行き、このwin8.1パソコンのキーボート、問題を解決するために、新しいキーボード、極々単純な安価なものを探しに行きました。
キーボートの値段はピンからキリまで多種多様ありました。
20,000円を超えるものも多数あり、最安値は1,080円です。
このキーボードの価格差は何なんでしょう?パソコンに強いと自負する私にも分かりません。
そこで調べてみました。

解説引用 キーボードの価格差

PC用キーボードは、安価な製品なら1000円以下で購入できるが、高価な製品になると3万円近くする。
同じPC用キーボードなのに、価格がここまで大きく違うのはなぜか。それは、キーの仕組みや構造などが大きく異なるためだ。

キーの方式は4種類ある
PC用キーボードのキーは、メンブレン方式、パンタグラフ方式、メカニカル方式、静電容量無接点方式の4種類に分けられる。安価な製品は、メンブレン方式を採用していることが多い。

メンブレン方式
メーカー製デスクトップPCに付属するキーボードや、低価格帯のキーボードは、その多くがメンブレン方式のキーを採用している。
キーを押すことで、キー内部のメンブレンシートに備えられたラバーカップが内部の基板と接触して通電。これによって、キーが押されたことを認識する。
メンブレンシートや基板は1組のみ。キーのラバーカップは、全てのキーが備える。
他の方式より、部品点数が少なく、かなりシンプルな構造になっているのが特徴だ。

パンタグラフ方式
パンタグラフ方式は薄型キーボードでの採用が多い。
中央で交差した2組の支柱がキーを支えるため、キーの中心を押さなくてもキー全体を押し込める。
スイッチ自体はメンブレンタイプと同様に、ラバーカップを基板上のメンブレンシートの接点押し込むことで通電して、入力を認識する仕組みだ。キーの部品点数は多く、構造は複雑だが、他の方式よりもキーを薄くできる。
ノートPCのキーボードは、ほとんどがこのパンタグラフ方式だ

メカニカル方式
メカニカル方式のキーボードは、キーの数だけ機械式のスイッチを搭載する。
109キーを持つキーボードだと、109個のスイッチを搭載することになる。つまり構造はかなり複雑で、部品点数も多い。その分、高価になる

静電容量無接点方式
名前の通り電極が接触しない「無接点構造」を採用しています。
キーが押し込まれ電極同士が一定レベルまで接近すると、静電容量の変化を検知して入力されたことを伝える仕組みです。
高速でタイピングをおこなってもミスを起こしにくく耐久性もあることから、プロの現場で多用されているのが「静電容量無接点方式」のキーボードです。
素早いキー入力に対する反応が要求されるゲーム用途などでも重宝されています。

安価な製品はキーに刻印された文字が見えなくなりやすい
高価なキーボードは、キーの文字の刻印方法も異なる。安価な製品は、キーの上の文字が転写式シールで貼られている製品が多い。この場合、しばらく使っていると文字が剥がれてきてしまう。高価なキーボードであれば、レーザー刻印や2色成型で文字が記載されており、文字が剥がれにくい。



ヤマダ電機の店員の顧客対応レベルと知識は
私達家電量販店マニアのなかでは、商品知識のNO,1はダントツ、ヨドバシカメラです。
顧客対応力では、テレ東の番組でとりあげられたように、「ノジマ」です。
ヤマダ・ビッグカメラの群馬勢はあまりよろしくありません。

私にとって、そんな数万もするキーボードは120%必要なく、現在のwin8.1でも、ストレスはあるものの、辛抱強く打てば入力できるので、パソコン本体内部基盤ではなく、キーボード本体を外付けキーボードにすれば、解決できるのは明白です。
まずは、この余っているポイントを使えるようにする為に、デジタル・スマホ用ポイントにしなくてはなりません。
そこでまず、店頭で昔のカードを提示し、残ポイントを確認し、今日、この場で使えるようにする為にどうしたら良いか相談しました。

店頭のヤマダの店員は60代の契約社員と推測される中年男性でした。
先ず、古いカードのポイントを使う為には、今、この場でデジタル会員に登録しないと使えない。・・・それは分かった。
私が老人風に見えたのでしょう、お手伝いするのでスマホを貸して下さい、と云います。
と、その前に、古いカードの情報を確認させて下さい。
と云います。それは当然だ、もしかすると拾ったカードかも知れないのだからね。
パスワードを教えて下さい・・・
ムムムム、そんな昔の登録時のパスワードなんて覚えていない・・・
4桁の数字です、と云う、4桁の数字・・・そんな簡単なパスワードだったの・・・
「※※※※」といれるとピンポン、正解でした。
その後、いろいろな個人情報、連絡用メールアドレスを入れて完了して、いざ1,080円、超格安キーボードの購入にポイントを使おうとすると、
「今日、新たな造ったカードではポイントは使えないので、何か買って下さい」と云います。
そんなバカな・・・
古いポイントカードに残っていたポイントをデジタルに更新しただけでじゃないか・・・
今日は何を買う予定ですか・・・との質問に、今のPCのキーボードが不調なので、外付けキーボードを買いに来た、と告げると、それはパソコン基盤問題だと思うので、この際、win8.1を新しいwin11に買い替えをお薦めします。と、来ました。
キーボートの入力不良は簡単にパソコン基盤の問題だと云うこのおっさんは?・・・
あんた本当に家電量販店のパソコンコーナーの人間なの?

こりゃこの契約社員もどきでは話にならない・・・
古いカードのポイントが使えないハズがない・・・
私は、ここでキレずに、もう一度、本当に古いポイントが使えないのか、確認して下さい。とお願いしました。
貴方が出来ないようでしたら、ヤマダ高崎本社システム部に友人がいますし、私の甥っ子もヤマダの正社員ですから、私が直接確認します。と、ここまで来てようやく話が進み出しました。

実質支払424円のキーボードは?

結局、一番安い1,080円、税込み1,188円のキーボートをポイントを使い、464円で購入しました。
儲かったような気分ですが、実際には、販売価格に次の購入割引分が含まれているシステムなんです。
第一、ネット上で売っている980円のキーボードをさも税込みのように装い1,080と値付けするのが、けしからん、面白くない。

さてキーボードは動いたか?
全く問題なく、いままで一文字入力する度に、何度も圧力を変えて打ち込んでいたいたのが、スムーズに入力できました。
団塊世代の73歳は確かに、世間一般から見れば、老人・お年寄り・お爺さんかもしれませんが・・・ウインドーズ以前から、パソコンやシステムに関わってきた俺たちは、アンタらよりも解っているんだかね。

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ