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2021年11月29日

秋の東京都内銀杏並木の名所をめぐる

週間SCH(スケジュール)に空がある日、お天気の良い日を狙って一日、久しぶりに東京の中心部の銀杏(いちょう)並木の撮影に出かけようと計画しました。
東京の銀杏並木というと、神宮外苑と立川の昭和記念公園です。
立川は、湘南に住む人間にはかなり遠く感じられますので、今回はパス(行く時は昭和記念公園、一点に絞って行く予定)、電車・地下鉄のみで行ける場所に限定しました。
朝、通勤時間帯をさけて、ゆっくり出発し、早めに帰ってくる計画だとつぎの4箇所となります。
●東京駅丸の内口・行幸通り
●東大本郷キャンパス
●靖国神社
●神宮外苑

貧乏年金シニアですから、如何に効率よく、安く、4箇所を廻るか!
旅好き、電車好きから、銀杏並木の撮影と同じく重要なのは、行く前の机上ルート設計です。
東京メトロと都営地下鉄とJRで乗り継いでいくのが、一番はやい・・・でも高く付く。
出来れるだけ、1交通機関だけにしぼり、移動する、でなかったら2km以内なら歩く。
そこでまずは東京都内の東京メトロ(営団地下鉄)のみの地下鉄路線図をダウロードしました。




この地下鉄マップをダウンロードして、ルート設計をして改めて、退職してからの年月を実感しました。私が、現役時代にはなかった、或いはあっても全く利用していなかった路線、地下鉄駅のなんと多いことか!
南北線、副都心線は全く使ったことがありません。18年前に存在していたかどうかも、記憶にありません、それに、都営地下鉄にいたっては、大江戸線にも乗ったことがありません。

敢えて、今回はダウンロードするマップは、JRも私鉄も都営地下鉄も掲載されていない、東京初心者、おのぼりさん用のメトロ一社の路線図を印刷して持ち歩くことにしました。
別に、印刷しなくても、スマホひとつあれば、事足りるのは分かつていますが、団塊世代のオジサには、あの小さな画面を拡大して眺めるよりも、紙に印刷されたものを持参するほうが、楽なのは間違いありません。
やはり、昭和世代の人間なのでしょう。

●先ずは東京駅丸の内口
退職前の3年半、毎朝7時前にこの東京駅丸の内口を降りて、当時担当していた内幸町の現場に通っていました。
5時半に起きて、朝食を食べて6時15分に家を出ても、通勤電車はもう座れない状態で、電車で43分で東京駅に到着していました。
現場へもっと近いJR駅は新橋なのですが、55歳退職後のことを考え、3年かけてメタボ体質・体型を老後の海外ロングステイ・バックパック旅に耐えられるように肉体改造する為に一駅先まで定期を買い、東京駅から、皇居前、お堀端を歩き、日比谷公園ないをひと回りして、担当する現場事務所まで歩く生活を3年間続けました。
体重もコレステロール値も、穏やかに下がり、ドクターから見本的な減量、体質改善のやり方と称賛されました。

今回、東京駅に降り立ったのは、10時少し前、最寄り駅大船から乗車して、次の戸塚駅で前の座席のひとが下車してラッキー、東京駅まで座って到着しました。大船⇒東京  814円
電車内を見回して最近感じることは、「もしかしてこの電車内で自分が最年長かも知れない」と。
鎌倉周辺の電車・バスだけに限れば、観光客も多く、地元市民も多いので、自分このなか年長者、年寄と感じることほとんどないのですが、こうやってアクティブに動く、経済の中心の東京都内にくると、私は「年長者・年金生活のお年寄り」であることを意識します。

東京駅丸の内口から和田倉門の行幸通りの銀杏並木

午前10時の銀杏並木の撮影
和田倉門への続く銀杏並木は途中の丸の内仲通りの手前の東京駅側半分は、大きなビルの影になり、日当たりが悪く、特に逆光となるので、午前中の撮影には適さないことが解りました。反対側、東京駅から丸の内仲通り向こう側は、大きなビルもなく日当たりが良いので、11月26日時点では最高の黄葉の状態でした。

一番美しいこの時期、観光客・撮影者の姿が多いのでは思っていたのですが、都内通勤者・或いは首都圏近郊からと思われる人は少なく、ほとんどは、地方から東京に観光としていらしている方々のように見受けられました。
一番、目だったのが、ウェデングドレス姿のカップルのようで、どうやら結婚式前のプレ記念撮影のようです。
近づいて観察すると、日本人ではなく、日本に住んでいる中国系のカップルのようでした。
この後撮影に訪れた、神宮外苑・絵画館前の銀杏並木には、中国系、ロシア系と思われる、美しい女性たちを沢山見かけました。
やはり鎌倉の田舎とは違うな、鎌倉を歩いているのは年寄ばかり・・・

●東大本郷キャンパスへ

撮影を終えて、地下鉄で移動です。
丸ノ内線⇒後楽園乗り換え南北線⇒東大前へ 200円
ここで、分かってはいたのですが、久しぶりの東京での丸ノ内線乗り換えです。

地下鉄路線図でわかるように、東京駅から丸ノ内線に乗れるのですが、実際には地下通路を「大手町」まで歩くことにになるのです。
実際の距離を測定したことはないのですが、感覚的には1kmはあるでしょう。
初めての東京の地下鉄を利用する際にこの地下通路・構内移動距離を考慮する必要があるのと、トイレは改札内にしかないで、前立腺肥大のシニア男性は注意が必要です。
私の場合、出発地の大船で一回、到着した東京駅で一回済ませたのですが、この地下鉄丸ノ内線改札までかなりあせりました。

東京大学本郷キャンパス銀杏並木

東大入口正面から安田講堂に続く、銀杏並木の美しさは、東京の銀杏並木10選にも選ばれている名所です。
私たち夫婦の新婚時代のアパートは、この東大本郷キャンパスの裏手、根津・千駄木が最寄り駅で上野不忍池の前でした。
若い新婚時代、東大の三四郎池にはよく散歩で歩いたところですが、まだその当時、秋の季節に銀杏並木の美しさを愛でるような感覚は全くありませんでした。

国立大学構内には、誰でもが自由に出入り出来た時代を知ってはいたものの、念の為に身分証明書を持参して、構内にはいろうと、赤門へ行くと、閉まっていましたので昔よく散歩コースで歩いた、「言問通り」から一番近い正面へ行くと、守衛さんから、「一般の方は現在、感染症対策の為に入れません」と拒否されました。
事前にネットでしらべてはいたのですが、まさか、それがあるとは・・・
と正面ゲートの隙間からの撮影で終わりました。

●靖国神社へ

靖国神社は何時来ても、静かで厳かです
東大前から⇒南北線・飯田橋乗り換え東西線・九段下へ200円
飯田橋で東西線に乗り換えるのに、大手町と同様、かなり歩く事になるだろうと、東大前でもう一度トイレ済ませ、飯田橋へ。
乗り換え要注意
これは、都内の地下鉄になれた人でないと無理だ、高齢者・地方から来た旅行者は無理・・・
普通、同じ経営の地下鉄の乗り換えは、改札をとおらずに乗り換えが常識なのですが、飯田橋では一旦南北線改札を外にでて、東西線の改札までほぼ1kmもあるくことになるのです。
南北線の改札を通過する際に、オレンジ色の乗り換え専用ゲートをスイカでタッチしないと、乗車料金を2回支払うことになるのです。
これは、鉄道マニアにとっては許せない・・カミさんや都内の地下鉄に乗り慣れていない人は絶対無理でしよう。

銀杏並木は今が見頃、桜の名所でありますが、桜の葉は赤く落ち葉寸前で少し残っていました。
地下鉄九段下駅を出ると、この近くの女子高生でしょうか、かなり色々な学校の制服姿の高校生が歩いてきます。
この近辺にはお金持ち、偏差値の高い私立女子校が多い地域なのです。
皆さん、髪型から制服までかなり清潔そう、好感がもてる女子高生姿です。
今回、久しぶりに田舎の鎌倉から都心に出てきて、感じたのが、丸の内周辺では女性会社員のスカート姿多さ、九段下では女子高生の爽やかさ、と神宮外苑では若い女性の艶やかさです。
退職18年、都心から離れた郊外、観光都市といっても鎌倉は田舎です。
特に日常接するのは、同じ年頃のシニアばかり、時たまサポートで出会う方々もアクティブの市民活動ボランティアの方々、どちらかと云うと、華やかさとか、着飾ることには縁遠い人が多い職場でした。
やはり、時には、都会の風に触れなくては・・・取り残されるのにも気が付かないことになる老後人生・・・

●神宮外苑へ

九段下から⇒半蔵門線・青山一丁目 乗り換えなし 200円
絵画館前銀杏並木の最寄り駅は「外苑前」よりも「青山一丁目」です。

青山一丁目の地下鉄を上にでると、今日4度目の銀杏並木は、他と比べようない賑やかさと人手の多さです。
特に目立つのが若い女性グループです。
驚いたのは、このとおり「四谷角筈線」の銀杏並木の歩道側にトラテープの規制線ができていて、車道にでれないようになっていたことです。
つまり、両側の銀杏並木の正面に絵画館と云う構図の写真をとる為に、この時期大勢の観光客が車道にでることを規制していいるのです。
絵画館前から青山通りに向けての銀杏並木を撮れる場所には、渋谷スクランブル交差点のように、JDポリスが張り付いていました。
この並木道沿いある、カフェはお昼時だったせいもありますが、長蛇の行列が出来ていました。
歩いているのも、写真を撮るのも、ポーズを決めているのも、若い女性カップルばかり、それも着飾った綺麗な子ばかりです。
ひとつ大きな原因・理由はスマホ社会・SNS・ネットなのでしよう。
もう何時でも自分の高性能画像が綺麗に撮れて、しかも加工が出来る時代です。
「インスタ映え」する風景。「インスタ映え」する食事。そんなスポットにいる自分が嬉しい・・・そろそろ、オジサン達は引退すべきなのでしょうか

●帰りは徒歩で渋谷へ
青山一丁目から渋谷へは一本道です。
昔、井の頭沿線線に住んでいた頃、よく神宮外苑まわりを散歩して、渋谷駅まで歩きながら、青山通りのカフェで食事して帰ったことがあります。
渋谷まで2km、ちようどお昼過ぎ1時、昔二人で行ったレストランは、古希を越したシニアおじさん一人で入れる雰囲気でもなく、そんなお店は敬遠し、昔のサラリーマン時代によく通った宮益坂なら、シニアおじさんが入れる店があるはずと「丸亀製麺」でお昼をして帰路につきました。

そして、またまた最後の試練です。
渋谷駅全体が様変わりして、渋谷・横浜間の最安・最短ルートの「東横線」の入口を迷って探しあてたのは良いのですが、なかは、TVゲームのような迷路です。一体地下何回まで降りたのでしょう。ようやく「東横線・みなとみらい線」急行のホームにたどり着き帰路につきました。

交通費精算
 大船・東京 JR線 814円
 東京・東大前 メトロ 200円
 東大前・九段下 メトロ 200円
 九段下・青山一丁目 メトロ 200円
 青山一丁目・渋谷 徒歩  0円
 渋谷・横浜・大船 私鉄・JR 580円
 本日の交通費合計 1,994円也 
 お昼代 540円

一日、東京都内で遊んで(暇つぶしで)2,500円ちょっとです。
地方旅行では、公共交通機関を頼りに動く私達夫婦の感覚では、大都会の交通費が、地方に比べて如何に安いかを実感する一日になりました。
近日中に、動画を本サイト内ユーチューブにて公開します。

参考 東京の銀杏並木東京の銀杏並木10選

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posted by 西沢 at 08:04| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2021年11月27日

火事場見物、野次馬は何十年ぶりだろうか

鎌倉の全国区超有名、手芸用品店の近くで火事

11月16日お昼過ぎ、カミさんのスマホに、緊急メールと言うタイトルでメールが届きました。
カミさんのお気に入りの全国的に有名な鎌倉の手芸用品専門店「スワニー」の近所で火災が發生し、緊急避難が要請され急遽閉店しますというお知らせです。
特にこの日、「スワニー」に行く予定もなかったのですが、3時のTVの全国版ニュースで、映像はないものの「鎌倉で火事。死傷者」というテロップが流れました。
場所は鎌倉駅から徒歩12,3分の所です。
翌日の朝日新聞湘南版に詳細が掲載されていました。



火事、火災現場というものは何故か、心騒ぐもの。
昔から、火災現場に野次馬はいました。
子供の頃、県下一番の繁華街に住んでいた頃、夜、サイレンの音ともに、消防車が向かう方向に赤い火の手が見えて、走ったことが有り「夜の火事は近くに見えても遠い」と云う教訓を学びました。
これまでに、消防車くる前の燃え盛る火事の現場を四回経験しています。

1つ目は、小学校に上がるの前の頃だった思います。
燃えていたのは、近くの幼稚園でした。
まだ、町内に火の見櫓と半鐘のあった時代、朝早く「カンカン」と鐘の音がし、大人たちが走っていく後を追いかけると、電鉄バスターミナルの裏手にある幼稚園が炎をあげて燃え盛っており、顔が熱く感じたのを覚えています。
火事ってこんなに炎が高く燃えるものなのだと、子ども心に思ったものです。

2つ目は、、小学校低学年の頃、家から10分ほどの別のバス会社の車庫の火災です。
やはり、これも明け方でした。家にいても、何かボンという爆発するような音が聞こえて、男兄弟三人で走り出すと、黒煙が上がり、何回もボンボンという爆発音が聞こえてきます。バス会社の倉庫で、燃料になんらかの原因で引火したようです、大人たちから追い払われてのを覚えています。

3つ目は、成人してから、自ら119番した火災です。
海外から帰国し、国際免許は持っていたもの、日本の交通常識、ルールとの違いを実感し、このままではきっと重大事故を起こすのではないかと不安になり、福島県の免許合宿10日間に参加した時のことです。
早朝、5時頃でした、合宿していた家の数件隣の民家から、「家が火事だ、119番に電話して」起こされ、慌てて外にでると、三軒先の2階建て一般住宅がまさに、ゴーゴーという音がするかのように燃えていました。

4つ目は、退職して、現在の住まいに越してきてからです。
私が勤務していましたNPOセンターの前を何台もの消防自動車が通過していき、すぐ踏切の所で停車しているのが見えます。
すぐ隣は東海道線で、どうやら火元は線路に近い一般住宅のようです。
しかし、火事はこれまで3回経験してきたような炎は見えず、黒煙だけが舞い上がっています。
火元は、線路と川に挟まれた狭い小路の住宅街で、風向きや、消火に手間取れば、列車停止の大規模事故になるような場所でした。
駅から近く、野次馬でいっぱいの中、消防署員は、「このお宅に住まわれている方ご存じの方いませんか?」の人員の確認をしている声が聞こえていました。

でも、この火災現場に集まってきていた野次馬は私を含めて、誰もカメラやスマホで写真を撮る人はいませんでした。
ガラケーはかなり普及していたのですが、この野次馬さんたちは、私を含めて皆さん、ご近所の「大人」ですから、そんな人の不幸を写真に撮って残し、翌日SMS、ネットに興味本位で上げるような人はいなかったのですが・・・
今は違います。

ある消防関係者はSNSで書いています。

スマホ撮影によるトラブルは社会問題になりつつある
iPhoneが2007年に米国で発売されてから、2019年で12年が経過した。スマートフォンは国内外ともに急速に普及してきており、1人が1台持つ多重的な機能と利便性に優れた情報端末ではあるが、消防現場においては、野次馬が火災現場の消防士の活動はもちろん、被災者や傷病者をスマホのビデオアプリで撮影し、SNSへ「ヤバい」などという心ないコメントとともに災害映像を投稿するなど、罪悪感がなく、被災した人を尊重してないと見受けられるような、モラルのない行動が後を絶たない。
ある消防本部では、消防活動中、無線交信内容や指揮板に記入した被災情報を野次馬が録画して、SNSやYoutubeなどにアップしてしまい、個人情報や搬送先病院名などが露呈してしまったことがあった。



確かに、何か事件が起こると、TVニュースのなかに「視聴者提供」というのをよく見ます。
先日の小田急電車内の放火、傷害事件でも、逃げてくる大勢の乗客の後ろ側に炎がみえる動画であったり、犯行現場で犯人が座席に座って、煙草をくゆらす動画などが公開されていました。
昔、このような動画、写真が公開されると、カメラを構える前に、人助けが先決ではないか、との議論がありましたが、今の誰れでもカメラマンの時代、動画が高い値段で取引される時代、おもしろ動画ならともかく、人の命、財産が失われる現場、瞬間にカメラを構えるのは抵抗がないのでしょうか?
ある識者は、誰れでもスマホの時代になって、そのようなかつてのモラルは失われていっているといいます。

そんなこと分かっている分別ある団塊世代のオジサンは翌日、運動不足解消を兼ねてのウォーキングの行き先を、自宅から鎌倉大町のスワニーにしました。
地図上のアプリでは6km1時間15分です

鎌倉と云うと、閑静な住宅とお寺の街、そして湘南の海、江ノ電、富士山の夕焼けというイメージが強い街で、確かにそのイメージはあるもののごく普通の地方都市でもあるのです。
特に今回スワニーのある大町の周りは、昔ながら雰囲気を残した「鎌倉野菜市場」や地元鎌倉市民の日々の買い物をする小さなスーパーののではないでしょうかある場所でごくごく庶民的な雰囲気の場所です。ここで大火になりましたら、メイン観光、お土産もの通りの「小町」や八幡宮、露座の大仏の長谷から遠いのですが、観光客の心理としてはちょっと危険な感じを抱くのでは懸念されます。

火災の翌日、現場は思っていたよりも大きく、広い建物、でした。
まだ警察と消防の事故検査が行われていました。
日本全国の手芸好きの女性が集まってくる、有名店「スワニー」は2軒先です。
この、火事の模様から顧客登録されているメンバーに緊急避難メール、臨時閉店のメールが送られてきたのは、想像出来ます。
そして、この火事の現場前の方によると、当日は、スワニーの秋のセールの日でかなり大勢のお客さんがいたようで、火事の煙の一部が店内に入り込みそうになり、スワニーのスタッフは、お客さんの誘導とともに、煙が店内に入らないように、一生懸命戸締まりする姿が見えたそうす。

後日実の話をカミさんにすると、商品の主力の布類に、煙の匂いがついたら売り物にならないからでしょう。と云ってました。
火事の2日後、「スワニー」で火事の後始末セールやってないかしら・・・
私は、前日運動不足を兼ねて、自宅から火事の現場まで歩いていきました。
距離にして6.3km。真面目に・筋力アップを兼ねてあるくと、1時間15分でいける距離ですが、途中の北鎌倉の紅葉状況をチェツクしながらですから、行きましたのでかなりオーバーしましたが、カミさんは、もちろん、電車行って帰って、「セールはやっていなかった」で、今回の鎌倉
の火事騒動は終わりです。

そして、数日後、またまた、新聞の全国版ニュースに事件が鎌倉で起こりました。
80・50問題、団塊ジュニア、就職氷河期世代、引き籠もり、家庭内暴力、全部詰まった殺人事件です。もう少し詳しく分かりましたら、ここでご報告します。

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posted by 西沢 at 07:58| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2021年11月25日

障害児を抱えた家庭の映画「梅切らぬバカ」を見に行く

昨年のあたりから、月に2回は映画を見にいってます。
映画館に行く理由のひとつは「映画が好きだから」、もうひとつは「暇だから」です。
退職直後と違って、第二のリタイヤ「古希」「72歳」を迎えいろいろな事から卒業すると、退職した直後の勤め人のように、自分の生きる、過ごす、居心地の良い場所・空間・時間をもとめるようになるのです。

先月10月は、ルバング島かの生還者「ONODA」と、ラストサムライ、土方歳三を描いた「燃えよ剣」でした。
そして今月、11月は当初、垣谷美雨原作の「老後資金がありません」を予定していましたが、先に見に行ったカミさんのコメント
「映画館でみる映画ではない」を聞いて、止めました。
我がカミさんにしては、とても的確なコメント・評価です。
今や、ネットでもテレビでも、色々な映画が見れる時代、わざわざ時間とお金をかけて見に行かなくても、自宅で楽しめる時代です。

カミさんのこの映画の評価は
すでに垣谷美雨の原作を読んでおり、映画化された作品は、あまりにも軽く、現実味に遠く、コミカルな内容に失望したようです。
実際に足を運んで、暗い映画館で大きなスクリーンの映像に入り込み、エンドロールまで見て、ある程度の感動に浸れる、フィルムの持つ訴求力がない、というのが「映画館でみる映画ではない」ではない、というコメントに現れているようです。

私の11月の映画は、これも、カミさんからの情報です。

カミさんの情報源は、シニア女性に読まれている、「婦人公論」と、朝のラジオ番組の「今、注目する映画」からです。
婦人公論11月下旬号の表紙は、女優「加賀まりこ」であり、特集も彼女のす。人生についてでした。
このなかで、彼女が演じた映画「梅切らぬバカ」について語ったおり、朝のラジオ番組のなかで、良質・社会派の映画として紹介していました。
加賀まりこと、お笑いコンビドランクドラゴンの塚地か・・・
なんか面白そう・・・
婦人公論の加賀まりこのインタビュー記事によると、彼女の実生活はこの映画と似ており、最初この話が持ち込まれた時、若手の監督はそれを知ってキャスティングしたのかと思ったそうです。
加賀まりこ1943年〈昭和18年〉12月生まれ、78歳。現在独身ですが、実質パートナーとの同居、生活を共にしています。
このパートナーのお子さんが、この映画と同じく、知的障害のある自閉症のお子さんなのだそうです。
そう、この映画は、社会派映画、メッセージを発信する映画なんです。
となると、上映館は限られてくるなと、すぐにネット検索しました。

さて「梅切らぬバカ」上映館はどこか?
私の行きつけの自宅から一番近い映画館は二駅先の辻堂駅前のシネコン109シネマ湘南です。
このような、社会派映画、独立系制作会社の映画は、109(東急)系統のシネコン系統ではまず、やっていません。
「ONODA」のような外国の映画祭で賞を獲得するような映画でも、集客・収益優先でやらないのです。
まだ、シネコンチェーンでも「東宝シネマ」系列は、このような社会派、話題の良質な映画を上映する機会は多いです。
109シネマの上映作品の殆どは、子供向けのアニメ、若者向け恋愛ドラマ、大手映画製作会社・TV局・出版社がらみ、そしてハリウッド製のものばかりです。
109シネマ湘南の上演映画は、藤沢・茅ヶ崎といった住民の年齢・家族構成・所得階層・趣味意識
の方向性など鑑み、決めているのでしよう。

テラスモール湘南109の秋の三連休中の上映作品を列記すると
・ハリー・ポッターと賢者の石(3D版)(洋画)
・土竜の唄 FINAL(邦画)
・シネマ歌舞伎 熊谷陣屋(邦画)
・恋する寄生虫(邦画)
・マリグナント 狂暴な悪夢(洋画)
・映画 すみっコぐらし 青い月夜のまほうのコ(アニメ)
・リスペクト(洋画)
・エターナルズ(洋画)
・劇場版 きのう何食べた?(邦画)
・ソードアート・オンライン -プログレッシブ- 星なき夜のアリア(アニメ)
・アイの歌声を聴かせて(アニメ)
・そして、バトンは渡された(邦画)
・老後資金がありません(邦画)
・トロピカル〜ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪!(アニメ)
・CUBE 一度入ったら、最後(邦画)
・DUNE/デューン 砂の惑星
・ルパンの娘 (邦画)※アニメでなく実写版
・燃えよ剣(邦画)
・007 ノー・タイム・トゥ・ダイ(洋画)
・マスカレード・ナイト(邦画)

かように、21世紀の大都市のシネコンの上映作品は、あくまでも商業映画、興行収益重視で成り立っているのです。

「都会の贅沢」と、地方都市に住む姉は云います。
私の姉も昔から映画好きなので、評判の良い映画があると、連絡しますが、ほとんどは、かの県庁所在都市でも上映されていません。
「MINAN|MATA」、「ONODA」クラスはまず無理です。
今回の「梅切らぬバカ」も長野県で上映館はゼロでした。

神奈川県、自宅近くではどこでやっているか?
では都会では・・・東京都下では、銀座、新宿、錦糸町、豊島園、秋川、南町田、立川の7箇所だけです。
神奈川県は、109川崎、109港北、シネプレックス平塚、横須賀HUMAXシネマズと、今回の横浜ブルク13の6箇所です。
109系列、東宝シネマ系列と云っても、各館の上映作品は違い、経営者によって違うのだということが分かります。

ここに掲載している映画館はかなり全国大手シネコン系列に属していますが、横浜には、独立系の名画座が他にあります。
大手、席数、スクリーンの多い映画館で採算がとれない、けれども見ていただき良質の映画を小さなシアターで見せる、映画好きにはありがたい映画館です。
横浜の、「ジャクアントベティ」・「横浜シネマリオン」・「シネマノヴェチェント」と新作ではありませんが邦画の名作を上映する常設館として鎌倉「川喜多映画記念館」があります。
テレビ、ラジオ、雑誌で紹介される良質な映画、映画祭に受賞しても採算的に大手シネコンで上映しないだろう映画と思われるものは、一応ネットで調べてみるのがクセとなっています。一昨年大ヒットした「カメラを止めるな」もそうやって、探して見に行ったものです。

題名の「梅切らぬバカ」とは
タイトルの「梅切らぬバカ」は、対象に適切な処置をしないことを戒めることわざ「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」に由来し、人間の教育においても桜のように自由に枝を伸ばしてあげることが必要な場合と、梅のように手をかけて育てることが必要な場合があることを意味している。
樹木の剪定に詳しい友人によると・・・・
桜は、枝を切ると木が弱ることが多いので、なるべく切らない方がよい。
梅は逆で、むしろ手を入れないとむだな枝が繁って樹形や花のつきが悪くなるので剪定した方がよい。
木の種類によってそれぞれ性質がちがうことを知ったうえで手入れしなくてはならない。

私はこの映画をみるまで、ネットで予告編を見ており勘違いしていました。
主人公の住む、庭には大きな梅の木があり、その梅の枝が塀の外まで張り出して、行き交う人の迷惑となっており、母親は近所迷惑を心配して切ろうと思うのですが、自閉症の子、40歳はその梅にノコギリの歯をいれようとすると、とても嫌がりだすのです。
私はこのシーンを見て題名の「梅切らぬバカ」とは、こここからかと思っていました。
古希にもなって、ことわざ「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」を知りませんでした。

あらすじ
山田珠子(加賀まりこ)は、息子・忠男(塚地 武雅)と二人暮らし。毎朝決まった時間に起床して、朝食をとり、決まった時間に家を出る。
庭にある梅の木の枝は伸び放題で、隣 の里村家からは苦情が届いていた。
ある日、グループホームの入居案内を受けた珠子は、悩んだ末に忠男の入居を決める。
初めて離れて暮らすことに なった忠男は環境の変化に戸惑い、ある晩ホームを抜け出してしまう。
そして、珠子は邪魔になる梅の木を切ることを決意するが・・・・・

私の住む地域には沢山の障害者施設があります
私の住む地域の駅の西口から少し離れた場所に、障害者と思われる様々の年齢の方々と、付添のご家族が朝夕、集まる場所があります。
年齢も様々、ご家族の方はご高齢の方も見受けられます。二十人ぐらいでしようか。
JRでここまで来て、ここから施設の送迎のバスを待っているのです。
雨・風を防ぐ屋根もない道路際です。私は、大変だなーと通り過ぎるだけです。

もう一箇所、比較的若い障害者を送迎する場所があります。
私が所属していました、NPOセンターの前の駐車スペースです。
朝夕、家族と一緒に送迎用バスを待っています。
この場所を選んだのは、私達NPO事務所が入っている建物のトイレを使う為です。
ここに集まるのは、比較的若い、障害者たちです。
奇声を発する子、一人でトイレで用をたすのが困難な子、様々です。

そして私の住む共同週宅の前の児童公園は、3時過ぎには、発達障害・弱度の知的障害の子どもたちで賑わっています。
そのひとつ「鎌倉 はっぴーくらぶ」はご近所であり、この団体をサポートしている方々の支援をNPO勤務当時支援しホームページの基礎を教えたことがあり、現在でも辛うじて、維持しているようてす。
発達障害児童放課後支援ハッピークラブ

私のような立場、スタンスですから、このような障害を持つご家庭、団体についてある程度の知識があり、地域全体として施設を見守っているところもあれば、この映画で登場する住宅地のように、障害者のグループホーム、障害者の為の作業所の建設を、住宅地価の下落につながると反対したり、障害者が介添え人なしで道路を歩くのを、我が子の安全を脅かすと、主張する母親もいることは事実なのです。
このように「社会に何かを問いかける、投げかける」良質の映画が日本各地で、誰でもが見られるような、映画館網があればな・・思うのですが。

映画館だけではなく、やはり、老後は多少せわしないかも知れないが、都会から少しはなれた、静かで便利な所、いつでも都会の便利さ、楽しさを共有できる所がいいなと、今回の映画「梅切らぬバカ」の上映館の少なさで思った次第です。

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posted by 西沢 at 07:40| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2021年11月23日

11月22日はいい夫婦の日

私達夫婦は結婚して43年になります。

この日の朝日新聞の天声人語を読むまで、この日が語呂合わせで「いい夫婦の日」であることは知っていましたが、結婚して43年になるもこの 「いい夫婦の日 11月22日」を意識したことはありません。
いつから、こう呼ばれるようになつたのか・・・


こんな時、ネットは本当に博識・物知りの百科事典です。
ウィキペディア(Wikipedia)参照

由来
1985年に日本政府の経済対策会議にて、ゆとりの創造月間として11月が提唱されたことと、「11月22日=いいふうふ」と読める語呂合わせによる。
概要
1988年に財団法人余暇開発センター(現日本生産性本部)によって提唱された。
その後、1998年に「いい夫婦の日」をすすめる会を設立し普及を推進しており、2000年より、毎年、広く一般からの投票を基に、理想の夫婦・カップルにふさわしい「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー」を選出している。
2000年代に入り、一般にも認知されるようになり、11月22日に入籍(婚姻届)する有名人なども増えている。



「いい夫婦の日」という言葉を聞いて思い出すのは、
すでに亡くなっている自分の両親のことです。
大正生まれの私の両親が太平洋戦争大戦中のさなかに夫婦となり、戦後の混乱期の昭和23年に私は生まれています。
そして、父が71歳、母が66歳の時、父親は動脈瘤破裂で亡くなっています。
私の記憶のなかでの両親はいつも、家庭内では夫婦喧嘩が絶えず、私子どもたちは度々、近所に住む、父親の姉、おばさんの家に「仲裁」を訴えてにいった事を覚えており子供の目から見て、「夫婦仲のよい夫婦」とはとても見えない両親の関係でした。
母はそんな子どもだった私に「末っ子のお前が高校を卒業したら別れる」と公言していました。
私も子どもながら、「そうすべき」だと思っていました。

やがて、子どもたち四人が成人し、私が38歳の時、父は71歳でなくなりました。
今でもわすれられない光景があります。
当時、田舎の実家で葬式、出棺が行われていました。
出棺まで、気丈な母は、参列者に笑顔で対応していたのに、いざ納棺となり、棺に父の遺体を収める時、母は棺に抱きついて号泣したのです。
あんなに夫婦仲が悪いと思っていた母親が・・・

私は、20歳を前に実家を離れ、海外で生活をしていました。
実家を離れ、日本とは違う世界で生活をするにつれ、私が育った家庭環境が、日本の正常な家庭ではないのを知りました。
世の中には、働き者の父親、自愛あふれる母親の家庭が当たり前にあることを知ったのです。
南米から帰国しても、信州の実家へは年に数度しか訪れておらず、その後の両親の生活、間柄については全く知りませんでした。
あの夫婦仲の悪かった母と父、母が父の葬儀で、人前もはばからず、号泣する姿・・・
自分自身が結婚し、大人となってから見る、両親夫婦はも私の子供の頃、貧乏のなかでの子育て中の夫婦とは全く違っていたのです。
父の亡くなった71歳は超えて、初めて夫婦の間柄というものは、子どもから見たものとは、別の計り知れない世界があるものだと、遅まきながら悟ったのでした。

では、私達夫婦はどうなんだろう。

私は73歳、カミさんは70歳、父親がなくなった当時の両親の年齢を超えています。
子どものいない、同じ価値観を、同じゴールを目指す仲良し夫婦のハズですが、当然ながら、生まれ育った家庭環境により二人の生活のなかでは齟齬は沢山あります。

昭和の貧乏家庭で育った私は、小学校の一泊二日の修学旅行で、下着の替えを準備して持っていくという、普通の家庭の常識が理解できませんでした。
当時の私の家庭では、下着を替えるのは銭湯に行く時だけ、だけだったのです。
歯磨きもほとんどしたことがなく、修学旅行に初めて歯ブラシを準備したことを覚えています。
このことを、4つ上の姉に話すと、当時、昭和20から30年代のあの貧乏家庭では当たり前だったと云います。

私は、結婚してから、毎朝カミさんから洗濯仕立ての下着を着替えるように渡される度に、昔の子供の頃の話をすると、貴方の育った家庭が異常だったのよ、とたしなめられます。
※私の好きなテレ東の旅バラ「路線バスの乗り継ぎの旅旅」の出演者、同じ団塊世代の蛭子能収さんが太川から、「トイレで手を洗わないでズボンで拭くし、下着を着替えない」とからかわれますが、同じ世代、地方で育った蛭子さんのは私達と同じなのです。

食事にしても、商売をしていたので、お昼も晩も食べざかりの子ども四人の食事の手間も大変だったのと、県下一の歓楽街に育ち、あの当時から、すでに大きなスーパーマーケーットや、デパートが近所にあり、昼はパン食、夜のおかずは、出来合いのお惣菜が普通、母の手作りの味は
インスタントカレーの我が家に比べ、北関東の半農サラリーマンの家庭に育ったカミさんの家の食事は、野菜中心だったようで、カミさんの元職業がら栄養分に拘った健康志向の食事が中心となっています。
それにしても、二人共にコレステロールは高い何なんだ!

眞子さんには幸せになって欲しい

「いい夫婦の日」と聞いて、育った田舎の両親を思い起こし、自分たち夫婦のことを考えた時、思い起こすのは秋篠宮家の長女「眞子さん」のことです。
父宮の秋篠宮殿下は「結婚は両性の合意に基づく」と言明され、「眞子さん」の結婚を承諾されたと聞いています。
国民に沿った天皇家としては、模範的なお言葉ですが、果たして正解なのかどうか・・・
昔、結婚は「家同士の婚儀」と云われた時代がありました。
釣り合いのとれた家同士、経済的にも、家庭環境も、学歴も・・・
しかし、70年以上も日本という国で生きてきて、果たして「好き同士のカップルの結婚」がベストかどうか、改めて考えさせられています。

皇室という狭い空間、真空、無菌状態のなかで育った「お姫様」が世間、それも「世界で一番お金が一番物を言う」アメリカ・ニューヨークで、ごく普通の家庭(普通ではないようにみうけられますが)に育った、しかもマザコン気味の一人っ子と育った若者と夫婦としてやっていけるのか?個人的、日本人として、「どうぞお幸せに」と願うのですが・・・

私の最後の時、カミさんはどうするでしょう?

最後に、カミさんに私の父親の納棺の時の母親の号泣し、棺に抱きついた姿を思い出していると云うと、
「私は全く覚えていない、そうだったの、私は嫁として、台所に立っていたから、見てないわ」
「まさか、貴方の納棺の時に、そんな姿を私に望んでいるの」
「いいや、全く、100%望んでおりません、きっとあっけらかんと済むと思う」
「第一、お葬式はやらないから、病院から火葬場へ直行よ」

まあまあ、子供のいない、夫婦なんてこんなものでしょう。

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posted by 西沢 at 07:54| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2021年11月21日

高齢者・シニアは何故帽子をかぶるのか?その理由は

我が家の道路側ベランダの前は児童公園

毎日、2時半になるとこの東屋の前に、7〜8人ほど町内会の高齢者が集まってきます。
皆さんお揃いの安全反射ベスト を着ています。
この方々は、近くの小学校の下校時刻に合わせて、通学路の安全誘導を自主的に行っているグループです。
私の住むあたりは、特に交通量が多いとか、大型車両が多く通過するような場所ではなく、どちらかと云うと所謂「閑静な住宅街」です。
唯一、小学校の前の道路はバス通りで、小さな子どもにはちょっと配慮が必要かとも思われますが、でも道路側道にはガードレールが設置されており、かなり安全度は高いと思われますし、こんな住宅環境ですから、不審者、若者、外部から来た人は目立ちます。
それでも、暇人、時間を持て余し気味な高齢者シニアの自主的活動は、一日一度は早めに公園に集合して、歓談し、三々五々持ち場に散っていく、毎日の生活のアクセントとなって
るのでしょう。

今日のシニア注目先は、帽子です。
朝、9時、最寄り駅の大船西口には多くの高齢者、年金シニアと思われる団体グループが集合しています。
この方たちの一つは、県立大船フラワーセンターに向かう個人グループと、旗を持っているグループは、鎌倉散策グループの方々です。
私は、リタイヤ直後からこのような高齢者グループを見ていて、ひとつ不思議に思ったのは、先ず90%のシニア男性が帽子をかぶっていることです。
特に日差し厳しいとか、寒い、風が強いとかではない日でもほぼ全員がCap かhat です。

日本人は帽子が似合わないと云われています。

ひとつの原因は丸顔・凹凸のない平坦な顔の作り、体全体から見ると大きな頭と云われています。
私は典型的なモンゴロイドの顔立ち、頭の容姿で鼻から帽子は似合わないと思って今まで生きてきました。
暑さを避けるために帽子をかぶると、かえって汗をかき、血統的にす薄毛、禿げる家系で野球帽のCapも、麦わら帽のhatも似合いませんからこれまで帽子というもの買ったことはありませんで、高齢者がほぼ全員帽子をかぶっているのを見て、不思議でなりませんでした。

そして、先日、その理由が解りました。
先日、ビデオクラブの例会の後、メンバーの送別会が行われ、メンバーの一人が故郷に帰るメンバーの思い出ビデオを撮影していました。
後日、そのショートビデオのなかの自分の姿を見て愕然としました。
いつもは、撮影する側の自分ですが、撮られるのは初めてです。
その自分の姿を見て、二年前になくなった実兄とそっくりな自分の姿が写っていたのです。
実兄は私より3つ上でした。我が家の薄毛家系から、40代から禿げ上がっており、亡くなる72歳の時は頭部はほぼ毛髪は残っていませんでした。

それに引き換え、毎日、朝鏡を映る自分の顔、頭はたしかに薄毛家系の血が流れていますので、年々、頭髪は後退していますが、兄が亡くなった年齢を過ぎても、年相応と自分では思っていました。
私は、日頃童顔と云われており、先月初めてお会いしたご婦人からは、もちろん多少のお世辞もあるのでしょうが、「お若いですね」と云われたほどです。
しかし、ビデオに写っているのは、日頃見慣れた真正面の見慣れた「鏡の中」の自分ではなく側面、後部から撮られた私の頭部は、あの頃の兄と全く同じなのです。
よく、町中のウインドーに映る自分の姿を見て、あまりの老人である姿に愕然としたと云う話がありますが、今回のビデオを見てショックでした。
姿勢の悪い、頭のはげた年寄の姿、高齢者そのものだったのです。

普段、自分の頭部を後ろから、横から見ることは滅多にありません。
我が家の洗面所の鏡は三面鏡なので、見ようと思えば見えないこともないのですが、敢えて見ないようにしていました。
ここでハッキリと、高齢者が帽子をかぶる理由は、「これだ」と悟り、少なくとも、散歩に出る時は帽子をかぶろうと思うようになり、カミさんにそう告げると、「今になって分かつたの?、私は結婚する時から解っていたわよ」と言い放ちました。

早速、街に帽子を買いに出かけました。
予算は5,000円まで。
私の住む街で帽子専門店はないので、先ずは駅ビル「ルミネ」に行くと、紳士服のお店は、ほとんど有りません。
スポーツショップ、紳士服チェーン、ユニクロ、無印まで足を運んでも、若者がかぶるオシャレな今風のシャッポはあっても、私達シニアが気軽にかぶる帽子は見当たりません、次に出かけたのは「イトーヨーカドー」です。
世の中、女性用のお店は沢山あるのに、男性のお店は少なく、あるのはカジュアルショップばかりですが、ほんの少し帽子を扱っていました。
値段は予想通り、2,500〜5,000前後、予算内には収まりそうですが、ひとつ手にとって、お店の鏡でみても、全然似合いません、つば付きのハットも、ハンティングも、丸顔・扁平な顔には、やはり似合いません。
ひとつだけ、布製のつばの狭いねちょっとオシャレな帽子が似合いそうなのですが、サイズが有りません。
やはり、私は帽子が似合わない、無理して似合わないものに、5,000も出して買うのは辞めよう。とあきらめて、カミさんから渡された、買い物メモをもって、おなじみの「セイユー」に行きました。

私に似合う帽子は100均ショツプ

最近、私が家に引き籠もりで、なかなか、外出しないのを見越して、カミさんは私に買い物を依頼してきます。
重いもの、嵩張るものは私のお役目という我が家のルールがあるからです。
この日のメモには、カミさんが飲むビール、ワイン、ポン酢醤油大瓶、牛乳パック大と確かに重いものばかり、後は上の書店て手芸雑誌「すてきにハンドメイド」と義務を果たし、帽子を買うのをあきらめ、エスカレーターで下ってきた時、100均「セリア」があり、乾電池の予備を思い出して、寄ってみました。
そこに、なんと帽子がおいてあるのを発見、被って鏡をを見ると(100均にはチェック用の鏡なんておいてあるはずもなく、ガラスに映してみます)、何と、色も形もサイズもピッタリ、所謂。cap、野球帽です。しかも税込み110円です。

これなら、家に帰ってカミさんから、「そんな似合わないもの買ってきてと」と仮に云われても、100円ですから、あきらめも尽くし・・・そのまま、被って家路につきました。
途中、お店のウィンドーに映る、剥げた頭髪の横顔を見ると、「なかなか似合っているじゃない、悪くはない」と思えてきます。
後は、カミさんの感想、判断です。

被ったまま家に帰ると、
「あら、似合うじゃない、良いわよ」「どこで売っていた、幾ら」と聞きます。
「100均セリア」と云うと
「君って良いね、100均で似合うものがあって」
「私の買い物は高島屋か、そごう、じゃないと見つからないわ」でした。

帽子・眼鏡・マスクの姿は不審者?

翌日、4時すぎやや暗くなりかけていた頃、少し歩いてこなくてはと、帽子をかぶりマスクをし、眼鏡をかけて散歩に出かけていこうとすると「まるで不審者の格好ね、途中、コンビニにはいらないでね、嫌われそう」と相変わらず、口の悪いカミさんです。

後日談
横浜で行く用事があったので、「そごう」と「高島屋」の紳士服売り場に行き、帽子を探してみました。
さすがに、デパートです。ちゃんとしたものが展示、売られていました。
しかし、如何せん、丸顔・モンゴロイド系の顔と頭に似合う、キャップもハットもシャッポも有りませんで、あきらめました。
と云うよりも、少し心が動いたハンチングの値段は税込み18,000円では、手が出なかつたのというのが本音です。
翌日、散歩ついでに「イトーヨーカドーショッピングセンター」の紳士服売り場をのぞくと、帽子コーナーがありました。「そごう」と「高島屋」と同じ品揃えです。
値段は3,000前後、手に取り被ってみると、さすが100均のもの比べると、しっかりしていて、初老シニアのおじさんが旅先に被ってもおかしくないレベルに、気を良くして買い求めて、その場で被って帰宅しました。
カミさんの評価は・・・
「年金シニアのおじさんと、ヨーカドーはちょうどいいみたいね」でした。
だんだんと、齢をとるってこんな風なんだ・・・

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posted by 西沢 at 08:22| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2021年11月18日

早期退職の先輩・師匠の帰郷、サ高住への入居

退職18年、またひとつ卒業しました。

先週、久しぶりの映像クラブの例会がリアル・フェースtoフェースで開かれ、参加しました。
もうそろそろ、いいかという判断よりも、もっと具体的・切実な理由があってのリアル例会だったのです。
この映像クラブの創設者(77歳)が正式に引退し、生まれ故郷に引き上げると云うのです。
この元クラブ代表は、東北の高校を卒業後、東京の大手電気通信メーカーに就職し、35歳の時に退職、独立して印刷屋を経営し、50代半ばでリタイヤ生活に入った私の人生の先輩でもあり、パソコン・映像技術の師でもある方です。

「先輩・師匠」の50代半ばでのセカンドライフの理由は
お聞きしてところによると、共同経営していた弟さんを突然死でなくされてから、これまでの仕事オンリーの人生について考え直したと云うのです。
自分も何時、突然死するかもしれない、これからは、今やりたいこと、生きている証の為に人生を歩もうと、全て畳んでリタイヤライフに入った方です。
※もちろんこの方の生き方、人生を知ったのは、私が退職し鎌倉に居を構えも、この映像クラブに入会してからです。

この方は、独身です。
私は結婚していますが、子どものいのない夫婦ですから、片方が逝った後は独身と同じで、退職後の生き方については、似通った共通点が多いのです。
50代半ばで、ある程度の資産・資金をもって早期退職、公的年金は少なく、趣味へのかかわり合いと老後資金の食いつぶしをバランスとりながら生きて行く生活です。
この方の一番の趣味は「野鳥観察」です。
野鳥観察をして映像を撮り、パソコンで編集し、ネットで公開する、そんな今では当たり前に私達がやっていることを、この方は1984年からやっているのです。
1984年ですから、まだデジタル時代ではありませんが、ビデオは手のリニア編集の時代に、地元江ノ島で野鳥観察映像がTVニュースで取り上げられるほどスクープで
今でもデジタル化され、貴重な映像となっている、この世界の先駆者なのです。

退職後ライフ・暇つぶし・趣味の世界
私は何度も自分のサイトで書いていますが、退職後はともかく、目に止まった趣味のクラブ、スポーツ、社会活動に入会し退職後の活動を始めました。
そして、ひとつづつ数年、或いは数回の参加で卒業していきました。
性に合わない、人間関係・レベル・内容でしたら、さっさと辞めればいいのです。
写真・水彩・水泳・太極拳・ハーモニカ・海外旅行クラブ・草刈りボラ、傾聴ボラ、英会話、とにかく先ずは参加してみて合わなければやめてきました。
そして、昨年まで72歳まで続いていたのは、地域NPOセンターでの広報活動業務(半ボランティア)と趣味の映像クラブだけです。

そのNPOボラは今年、自ら提唱していました「理事・役員、各活動部会リーダーの定年制」を元に私は、元々サポートしていた、市民団体のwebサポートのみを残して、辞めました。
そして、今年は最後まで残っていた映像クラブをこの「師匠・先輩」の退会、帰郷を機に辞めます。

最後の例会のあとの送別会
私はこの「師匠・先輩」の隣に座り、じっくりとこの先の故郷、東北での生活についてお聞きしました。
これまで、独身の「師匠・先輩」は10年ほど前に住んでいた、江ノ島に近い一般アパートを引き払い、神奈川県内では比較的高齢者に優しい制度のある横浜市の住宅公団の高齢者用団地に入居しました。
その時に聞いた言葉が「サービス付き高齢者住宅」という言葉でした。
この「師匠・先輩」は当時60代から70にさしかかった頃だと記憶しています。
私はまだ「介護老人ホーム」と「サービス付き高齢者住宅」の差、違いなどさして気にしていなかった頃です。

この「師匠・先輩」はかなりの前、4〜5年ほど前から、自分の故郷に帰る計画で何度も現地を訪れ、地元の社会福祉協議会などにも相談していたようです。
しかし、地方の「社協」は地元出身者ではあるけど、都会で暮らしてきた地元出身の独身男性の帰郷に関してはあまり、積極的ではないようだと思えると話していました。
確かに、生産性のある若者の帰郷ではなく、かえって地元福祉財政の負担増になる高齢者独身男性の帰郷ですから、解る気もします。

まいはどうされたんですか?
地元社協は紹介紹介はてくれましたか?
どんな形態の住まいですか?


サ高住、サービス付き高齢者向け住宅とは



日本において、高齢者住まい法の基準により登録される、介護・医療と連携し、高齢者の安心を支えるサービスを提供する、バリアフリー構造の住宅。
でも、この日「師匠・先輩」にお聞きし、自分で調べてみるまでよく分かりませんでした。

つまり簡単に云うと、賃貸アパートが基本です。
部屋は高齢入居者の安全を確保するように、各個室の床はバリアフリー、トイレ・浴室に手すりがついているのが条件。
365日、日中、入居者の安全を見守る責任者が常駐していること。
施設によりますが、但し夜間は不在、その間、各部屋の通報装置からの緊急要請に警備会社が駆けつける。
施設によっては、三食提供する「サ高住」もあるようです。
介護に関しては、全て別途で、この施設(アパート)を経営してい母体の関連施設が請け負うのが一般的な形態のようです。

介護ホームと有料老人ホームの違いは
サ高住は
・介護不要でも入居可能
・賃貸契約のみ(一般アパートと変わらず)
・介護サービスは見守り、相談のみ、その他別途施設へ
・生活の自由度が高い
介護付き老人ホームは
・介護が必要な人が対象
・居室と介護サービスを同時に契約
・レクレーションなど一日のスケジュールがある。

具体的に幾らぐらいかかるのか、どんな施設なのか?
翌日、「師匠・先輩」から新しい転居先案内があり、ネットで調べてみました。
全て公開されているホームページより

運営母体 特定非営利活動法人
契約期間 最長  2038年04月 
住宅戸数 32 戸
居住部分 21.25u 〜 22.21u ※一般的なホテルツインベッドルームの大きさ
共用施設 共用キッチン、食堂、談話室
居室   ワンルーム (台所・洗面所・便所・浴室・収納) 

費用に関して
家賃相当分     約 32,000 円
共益費の概算額   約 11,450 円
状況把握・生活相談  約 4,400 円
食事の提供 約 35,640 円  朝食 378 昼食 378 円 夕食 432 円 ※施設内で調理
行事費          500円
凡そ 月       90,000円

「師匠・先輩」は送別会の席でおよそ月に10万円と云ってました。

施設のサイトを見ると、金額が全て「約」がついているのもそのせいかとかと思われます。
「師匠・先輩」はこのホームページに書かれている以外のことについても話していました。

施設に管理者が常駐していますが、夜間はいません、
玄関ドアは施錠され朝6:00〜夜20:00まで開いていますが、それ以外の時間は施錠されています。
つまり、「師匠・先輩」のような元気なシニアが夏の早朝、6時前にカメラを手に、海岸に野鳥を撮りにいくことは出来ず、かなり呑兵衛の「師匠・先輩」は外で飲んでも20時を過ぎると、アパートの自室に戻れないということのようです。

※、但しグーグルマップで施設の場所を検索すると、県庁所在都市まで二駅ですが、学生の登校時間をのぞくと1時間1本、でも最終電車が上り23:00下り22:35ですから、そんなに僻地でもないようです。

「師匠・先輩」は私と同じ60歳で運転免許を更新しなかったので車に乗れませんが、ここに越すことになって、原付きだけでも残しておけば良かったと、私と同じようなことを云っていました。バッテリーアシスト自転車でも買おうかな・・と云ってましたが・・
私はお節介に、このサ高住から最寄JR駅まで距離を測ってみました。
1.5km 徒歩18分でした。なんだ楽勝あるけるじゃないか、と今はおもうのですが、しかし、グーグールストリュートビューで見る限り、なんにもない田舎
であることは確かでした。

いつか訪ねてみたい、自分の為にも
「師匠・先輩」が落ち着きましたら、お邪魔してみようと思っています。
自宅から東京で新幹線で行き、在来線に乗り換え所要時間6時間35分 料金は片道18,440円、
うん結構遠いな・・・
お住まいの近くに、親しくしている、中学・高校の同級生、野鳥観察仲間、そして実姉がいらっしゃるようで、きっと鎌倉と同じような「悠々自適」の暮らしができること、と望んでいます。

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posted by 西沢 at 07:51| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2021年11月17日

散歩は好きではない、でも仕事・義務としてなら出来るかも

高齢者になると、夕方になると近所に散歩に出掛ける?

古希を過ぎるまで、毎日の日課のなかに、近所への散歩する習慣は全くありませんでした。
そんな暇な時間的余裕がなかったし、なんでわざわざ、居心地のよい、自宅書斎を出て、歩くのか?分かりませんでした。
今、思い出すことがあります。
早期退職して一年、横浜のJR新駅駅前徒歩3分の大規模マンションを売って、ここ鎌倉の共同住宅にこしてきたのは56歳の時でした。
越して来て、退職生活の一番の時間・ウェイトを占めていたのは、その当時の流行りの「海外ロングステイ」でした。
もともと、若い頃から海外で暮らしてきており、海外で生活する苦労・煩わしさ・人とのお付き合い・言に葉の問題は解っていましたので、完全移住・或いは住居購入・長期のは賃貸は鼻から考ず、気に入りの国・場所にリピート・ミドルandショートステイ・・・つまり旅行の延長、暮すよう旅する、あくまでの生活の拠点は母国の日本で・・・

そんな、夢見たいな生活をずっと、永遠に出来るだけの資金的な余裕は一年も続くハズもなく、海外へは年に6回が次第に4回、3回に2回、それも一番気楽に過ごせる近場のハワイ・ホノルル・ワイキキに定着しました。

当然、日本、鎌倉にいる時間のほうが圧倒的に長くなります。
その時間をどう過ごすか、と考えているうちに、やりたいこと・やれることは、自然に相手から近づいてきます。
私は、現役時代からネットIT言語が解っていると便利な有利な、技術畑分野にいたのと、自己都合退職でも早く失業保険をもらうために、退職後、指定の職業訓練のためのwebエンジニア専門学校に3ケ月、無料国費とプラス自費3ケ月学んでいたため、暇なおじさんで、web言語、デザイン関係ソフト、フォトショップ・イラレ・インデザインが使える、教えられ人材として、地元NPO・ボランティア団体・webスクールなどで、ボランティア最低賃金で学習講座を担当するようになりました。
50代後半、還暦前の頃です。

そんなある日の夕方、私はカミさんから、「お米2k」と「トイレットペーパー12巻」の買い物を頼まれました。
我が家のルールでは「重いもの」「かさ張る大きな物」の買い物当番は、夫、私の役目です。

そんな訳で、近くのスーパーに出掛ける道すがら、私の講座に参加している、ご婦人が話かけてきました。
「先生、お散歩ですか、どこまで行かれるのですか」・・・と
私は、「エー、お散歩」と云われ「キョトン」としました。
それまで、あてもなく、目的もなく、行き先を決めず、ただぶらぶらと歩くという経験はなかったからです。
歩くのは、全く苦になりれませんが、それまで歩くと云う行動は何かに向かって、目的がある行為だったのですから、「お散歩」という概念はありませんでした。
それは、昨年、72歳になり、ほぼ全てのNPO活動、ボランティア、web講座から卒業するまで、時間つぶしのお散歩という概念はありませんでした。
団塊の働き蜂世代、バブル時代を建設業界で生きてきた人生では、「何もすることがない」「時間に余裕がある」ということはまるで別世界のことでした。

時間にも、心的にも、できれば多少金銭的に余裕があれば、やりたいこと、行きたい所、見たい映画、読みたい本、作りたいwebサイトが山ほどあり、何時間でも、書斎のパソコンの前に座っていても飽きないのですから。

しかし、かつて私の時間を食いつぶしていたものから自分で卒業を決断すると、有り余る時間がどっと押し寄せてくるのです。
カミさんは午前中は週に3〜4回、女性のためのスポーツフィトネス行き、午後は駅前商店街に毎日の買い出し、そして趣味の手芸、洋服、美容院、お友達との食事会と、出かけて行きます。
私と云えば全ての義務・仕事的なことはなくなり、「今、やらなくてはならないこと」はほぼないのです。
されでも、パソコン・ネットに向かえば、何時間でも過ごせます。
ネットに向かえば、次の旅行計画、列車の時刻表から、徳島の山奥のバス停の時刻表、「テレ東・路線バスの旅」で蛭子さんと太川が迷っていた町の民宿まで調べられるのですから何も、わざわさ、用もないのに、「お散歩」に出掛ける必要は「全くない」ないのです。

しかし、カミさんは云います。
「一日中パソコンに向かっていないで、一日一度は外に出かけなさい」

その理由のひとつが、健康問題だと云うのです。
たしかに、朝8時から、机に向かってパソコンを相手にしていると、足が異常に浮腫みます。
自分でも異常な浮腫みで、体にいい訳がないと解っています。
最近は、特に右足の浮腫みから、右ひざに違和感を感じるようになっています。
カミさんの愛読書ご婦人シニア向け「ゆうゆう」や「婦人公論」を見ても、シニアの健康のお話満載、そしてその解消は先ずは歩くこと、何歳になっても自分の足で歩く、歩けなくなったら、介護施設一直線、というお話ばかりです。

そこで、一日一回、30分〜1時間は仰せの通り、昔の受講生のご婦人の云うとおり、あてもなく「お散歩」に行きましよう?
でもどこへ・・・
私の近所、住まいは鎌倉と云っても、そんなに神社・仏閣・公園・ましてや海も遠いのです。
どちらかと云う、街なんです。
ショッピングモール・ターミナルデパート・家電量販店・スーパーマーケット、もうこの歳になると、家電量販店に云っても心踊るような製品はなく、昔のような興味も徐々に薄れていますし、本屋は次々閉店して行きます、市立図書館には読みたい新刊はほぼなく、手垢が染みた古い本ばかり、雑誌・新聞コーナーは私よりも暇そうな年寄ばかり・・・

お散歩は仕事・タスクと考えよう




1, 健康トレーニング、スポーツと考えよう
2, SNS、話題、素材探しと考え、何か画像をハントしよう
3, 単純に歩いた歩数・距離だけのトライアルにしよう
4, 全く歩いたことのない場所を歩こう
5, 散歩範囲内の富士山ビューマップを画像入で作ろう
などなど考え、少なくとも週三回の予定表。ルート図を作って実行しよう。
団塊世代のオジサン(オジイサンかも知れない)は、散歩を仕事としてなら、プラニングし、実行出来るんです。

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2021年11月15日

2050,2040,2030,2025問題 、団塊世代ジュニアのこの先

ネットで「2050年問題」と検索すると、次々に2040問題・2030問題 ・2025問題 がヒットします

5年置き、10年置きに、ぼほ内容は同じような問題が、解決されずにづっと続くのです。
人口減少、少子高齢化、労働力の減少、
社会保障費の増大、インフラの老朽化、

今、世界中の首脳が集まって(但し、肝心の中国・ロシアは欠席)会議行われている「国連気候変動枠組条約第26回締約国会議」COP26で話し合われている
地球温暖化、気候変動、食糧問題、
AI による仕事減少、医者不足などなど

その時私は102歳、カミさんは99歳、99%この世には存在しないので、幾ら、案じても、論じてもただの空論となります。

しかし2030問題となると、格段に現実味を帯びてきます。
「2030年には人口の1/3が高齢者になる」
ともいわれる超高齢化により引き起こされる諸問題です。
「国立社会保障・人口問題研究所」によると、2010年には約1億2800万人だった人口は、2030年には約1億1600万人に減少し、さらに2024年には日本の高齢者は人口の30%にも達すると予測されているのです。
高齢者を支える若手世代の働き手が減少すれば、GDPも低下します。
GDPが減少すれば、国力も低下し、財政面は悪化。
急増する高齢者世代を支える社会保障サービスなども窮地に立たされるでしょう。
つまり、若者世代・高齢者が共倒れしかねないリスクがあるのです

恐れられる「高齢者vs若者」という図式

現在、「高齢者雇用安定助成金」や東京都の「東京都長期ビジョン」など、人口減少に備えるべく、高齢者の雇用を進めようとする対策が進んでいますが、どれも劇的な効果を生み出すまでには至っていないようです。

特に危惧されるのが、働きたい高齢者が増えることにより、若者の仕事が奪われてしまうのではないかとの風潮です。
これにより「高齢者に働かせろ」「若者の仕事を奪うな」という「高齢者vs若者」といった図式が生まれるリスクもあります。
本来、支えあうことで2030年問題を乗り越えるべきにもかかわらず、このような対立構造を抱えながら2030年を迎えたとしたら、まさしく日本の経済は取り返しのつかない事態に見舞われてしまうかもしれません。

高齢者が「老人」をやめる時代へ

高齢者と老人は同列で語られることが多いですが、これからの時代では高齢者は「老人」をやめることが求められるのかもしれません。
もはや、貯蓄や退職金はもちろん、年金などの社会保障の上に乗っかって悠々自適な老後生活を送るといった夢は崩壊しつつあります。
だからこそ、高齢者は自立することで「老人」を脱し、若者世代と一緒になって日本の負担を減らそうと考えるようにすべきなのではないでしょうか。
もちろん、若者と一緒になって体力仕事をやろう、というわけではありません。
高齢者ならではの経験や知見を生かして、社会に貢献することを目指すべきでしょう。

これは何も難しいことではなく、一人ひとりの心がけ次第ではすぐに実現できます。
たとえば、それぞれが自身の老後に備えて資産運用を始め、若者世代の負担による社会保障に頼らずとも、自分の食い扶持を確保しておく。
それだけでも立派な社会貢献といえるでしょう。
若者世代が負担に感じる老人ではなく、若者世代が憧れる大人であり続ける。
そう有りたい思っているのですが・・・

団塊ジュニアの老後に待ち受ける厳しい現実

団塊ジュニア世代とは、1971年(昭和46年)から1974年(昭和49年)に生まれた世代のことを指します。
私達団塊世代が生みの親、私は1948年2月生まれですから、私が23歳から26歳の時の子どもとなりますが、年齢的に団塊ジュニアの母親が、私達の同級生世代となるのでしょう。

先日、スポーツで一緒になった女性が「私、団塊ジュニア世代なんです」と云った時、「エェー、子供いない自分には、こんな成熟した、大きくなった娘がいるなんて考えられない」と感じたことがありますが、同じスポーツ仲間の同世代の女性に話すと、全く違和感はなく、「うちの息子と同い年よ」と云いました。
この世代は毎年200万人以上が生まれ、「受験戦争」や「就職氷河期」などの社会現象に巻き込まれた世代でもあります。
団塊世代に次ぐボリュームゾーンである団塊ジュニア世代が老後を迎える頃には、様々な問題が起きるといわれています
まず、団塊ジュニア世代が辿ってきた道のりを、実家の兄の長男をみながら考えてみると・・

甥っ子が大学を卒業したのが、バブル崩壊後の90年代です。
それまでの好景気から一転、企業は新卒採用を一気に絞り込みました。
その結果、不本意な就職をしたり、正社員になれず非正規雇用で働く人が増えたのがこの世代です。「就職氷河期」という言葉は1994年の流行語大賞にもノミネートされました。

私達の世代、会社組織では、会社・社会全体で若い社員を一人前に育てようという余裕も風土がありましたが、団塊ジュニア世代の頃には経済が右肩上がりに成長する時代はとっくに終わっており、企業側にも体力がないという状況に変わりました。
甥っ子が一浪して入った、「東京国際●●●●大学」と立派な名前だけの実績もない、偏差値の低い三流・四流大学では、就職活動を支援する体制も知名度もなく就職出来たのは、商品先物取引の会社でした。
私は、そのような飛び込みで、詐欺まがいの先物証券を素人に売る仕事は、お前のような地方からの、何も苦労していない、ポッと出の若者には絶対勤まらない、地道にガテン系で働いたほうが、必ず将来の為になると諭しましたが、聞く耳をもちませんでした。

息子をアメリカに短期留学させ、夫婦二人で留学先まで訪れていた、兄夫婦は高卒です。
子どもを東京の大学に行かせ、ロクにアルバイトもせずに卒業させるには、毎月かなり仕送りをしていたのは想像出来ます。
そんな子は、在学中、キャンパス内で流行っていた、無限連鎖講(ネズミ講)に引き込まれ、両親や私にまで勧誘に訪れ、諭しましたが、ダメでした。
母親である義姉は、分かつていたのでしょうが、息子に協力していました。
子どものいない私達は、結局突き放すしか方法はなかったのです。

彼はもうすぐ50歳を迎えます。
大学卒業後に勤めた商品先物取引の会社は、予想通り1年で退社、というよりも首、失業手当の都合上自己都合退職でしょうが。
その後どうなったか?
マスコミで報じられている、時々事件を起こす、職業不安定、非正規職員、独り者男性と似たりよったりの人生です。
一度、実家を母親から自立しなさいと、追い出されたものの、一年後にはアパートの大家さんからの、家賃滞納で、再び家に引き取りました。
引き籠もりではなく、少なくとも、派遣・非正規ですが働きには出ているようです。
実家では、近所に住む彼の同級生の結婚の話や、子どもが生まれた話は、禁句です。
同じ市内に住む実姉の家の子ども(彼から見れば従兄弟)の話も家庭内では禁句です。

姉の子は、ほぼ団塊ジュニア世代、一浪なれども東京六大学の大学を出て、やはり、就職氷河期は同じで、地元の機械メーカーに就職しました。
その機械メーカーはその後成長し、東証二部ながら上場は果たし、甥っ子は現在、ヨーロッパでひとり支店長と駐在しいます。
結婚も晩婚ながら、やはり、地元の一流女子校・東京の名前の通った女子大・海外留学を果たした、上昇思考の強い女性と結婚しています。
残念ながら、現代の日本の潮流・社会を映し出しているのでしょう、晩婚でも子どもが欲しいと何度もチャレンジしているようですが、ダメな様子です。
結局わたしの生まれたファミリーは姉・兄・兄・私の四人兄弟で、孫は一人もいません。

姉の子どもは、男ひとり、女一人 二人とも結婚していますが、子どもなし
一番上の兄は、72歳、がんでなくなりました・
二番目の兄は、男の子、男の子、二人共結婚していません。
そして私。  結婚していても、子どもはいません
まるで、日本社会の中・低所得階層の縮図そのものです。

実家の兄夫婦の懸念・恐れるものは

そんな厳しい時代を生き抜いてきた団塊ジュニアですが、その老後も厳しい状況は続きそうです。
例えば、団塊ジュニア世代が年金を受け取るようになる頃には、現在年金生活を送っている団塊世代よりも、年金受給額は少なくなるといわれています。
これは、年金の被保険者の減少や平均寿命の延び、さらには社会の経済状況を考慮して年金の給付金額を変動させる「マクロ経済スライド」によるものです。
また、団塊ジュニア世代は晩婚化、女性の出産年齢の高齢化から、人口が多い割には子どもの数が少ないというのが特徴です。

人口ピラミッドの予測図では、団塊ジュニアが65歳以上になる2040年は、その下の世代の人口は年齢が下るにつれて少なくなっていくそうです。
そのため、高齢者一人に占める生産年齢人口の割合が低く、年金受給額も現在と比べてさらに減少してしまうのです。
ましてや、大学卒業後からはほとんど非正規で働いてきた自分の子どもの将来を憂う、義姉の気持ちは痛いほど分かります。

今は兄の豊かな年金があるから良いでしょう。
やがて、やがて、父親がなくなり、国民年金の義姉がなくなった時、彼、甥っ子もすでに働けない年齢になっているでしょう。
少なくとも、築50年以上の家と、80坪程度の土地はあります。
しかし、未婚の弟もいます。 
高専卒業後、ずつと同じ建設資材会社に勤めていますが、未婚です。
いつかは、実家に戻って親の介護の責任を果たす、と私に話していました。
それが、これから先、長男とのトラブルにならないことを願っています。

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2021年11月13日

軽井沢の紅葉を満喫する二日間の旅 二日目 碓氷峠眼鏡橋

二日目の予定
午前 東急ハーヴェストホテル前・雲場池・旧軽井沢銀座・万平ホテル 撮影
ホテルに戻り、昼食、休憩
軽井沢駅 JRバス12:55⇒13:22メガネ橋  @350            
鉄道遺産・横ハーベス川関所・横川宿など見学しながら5.5km下り坂 JR横川駅
横川15:10⇒在来線 15:41高崎 @506
高崎16:02⇒新幹線 東京⇒大船17:49  @5,150円





二日目の朝も快晴です。
朝食前、朝の太陽の角度を考慮して、知る人ぞ知る、紅葉並木が綺麗な東急ハーヴェストがある、通称大賀通りを目指します。
会員制の高級リゾートホテルグループ、東急ハーヴェスト軽井沢は泊まれませんが、以前から新しいホテルラッシュが続くこの通りの紅葉時の美しさは知っていました。
そして、この東急ハーヴェストのエントランスが、旧軽井沢から、碓氷峠展望台など観光スポットをまわる「赤バス」の始発地であることも。
朝の静けさに、11月の朝の陽の光が絶妙の角度で紅葉を照らし、満足のいく画像・動画が撮れた思います。
私が、外で満足するまで撮影している間、カミさんはこの高級リゾートホテル売店で、お友達への買い物に、これまた満足のご様子でした。


大本命、雲場池へ
雲場池は私達が宿泊しているホテルからワンブロック行った交差点の右「雲場原通り」徒歩15分ほど近い場所です。
軽井沢は外国人避暑地として発展した経緯があり、外国の都市のように、主な通りには名前がついており、標識もあります。
私達が通ったのは「雲場原通り」ですが、他に駅前から斜めに走る「雲場池通り」もありますからご注意下さい。
ともかく、ローターリの多い街で、歩く方向が惑わされがちですが、今はスマホがあるので迷わないと思います。
雲場池の紅葉状況は、出かける前から解っており、ジャストタイミングのはず、そしてまだ9時前で観光客も少ないハズでした。

これまでで最高の美しさの雲場池
軽井沢で結婚式をあげた縁もあって、春・夏・秋と何度もくる機会があり、紅葉以外の季節にも来ていますが、今回のような美しさは初めてです。
何回もきているのに、雲場池の紅葉はこんな燃えるような赤だったと知りませんでした。
いつも、少し早いかな・・・、ちょっと遅かったかなと考えることが多かったのですが、素晴らしい、池と紅葉のマッチング、そしてお隣の私有地のお庭の木々の美しさは、京都のお寺さんとは違った。人工美の美しさでした。

美しい庭園紅葉の万平ホテルへ

雲場池は、朝早い新幹線が軽井沢に着く時間になるに従い、観光客が多くなって混んできますので、私達は、徒歩で旧軽井沢通りを抜けて、今回の軽井沢の最後の紅葉の名所「万平ホテル」に向かいます。
旧軽銀座通りは、時間が早いせいか思っていたよりも観光客の姿は少ないように感じました。
万平ホテルの紅葉も何度か来ていますが、雲場池同様、今まで見てきた万平ホテルの紅葉のなかでは、ダントツ一番の美しさでした。
ホテルの方にお聞きしたところ、やはりここの紅葉も平年よりも、一週間か10日遅いようでした。
ここで軽く喫茶をして、今回の軽井沢街中の紅葉行脚は終わりにし、今回の大目的地「眼鏡橋」を目指します。

旧碓氷峠、鉄道遺産「眼鏡橋」へ



運転日注意
■印(横川駅〜碓氷旧道・めがね橋〜軽井沢駅)
2021年運転日:4月29日〜5月5日・7月17日〜25日・8月7日〜22日・9月18日〜20日・10月9日〜10月11日・10月24日〜11月21日

長野冬季五輪を目指して開通した新幹線が出来てから、旧信越線の横川・軽井沢間は廃線となり、現在電車は走っていません。
代替えとして、JR関東バスが一日8便この間を走っています。
全て急勾配・カーブの連続の碓氷峠旧道・国道18号ではなく、新しく出来たバイパスを通ります。
私達が目指す、観光名所「眼鏡橋」を通るのは、一日一便のみ、それも前述のとおり観光シーズンのみとなっており、車の運転が出来ない私達免許返納シニアは、この指定された期間しか、この「眼鏡橋」にくる手段はないのです。

鉄道遺産「眼鏡橋」

12:55分発のバスの乗客は、私達のような「乗り鉄マニア」のような観光客だけかと思いましたら、発車5分前には 座席は満席となりました。後から運転手さんに聞くと、軽井沢から東京まで、新幹線ではなく在来線で戻るお客さんが利用するそうです。
特に、上野・東京ラインが出来てから、東京・神奈川方面から、在来線のみで軽井沢を目指すお客さんが増えたと、話していました。
軽井沢から眼鏡橋までバスで30分ほどです。
バスの車窓からは、碓氷峠の谷間に広がる雑木林の色とりどりの紅葉が、今まで各地で見てきた山岳紅葉はトンネルだらけの新幹線では見れない美しさでした。

「眼鏡橋」で下車したのは私達二人だけでした。下車の際、運転手さんは、今日、軽井沢方面・横川方面のバスがないことはご存知ですよね、と念を押されました。
ここから横川駅まで凡そ、6Kmを旧中山道を歩いて行きます、下り坂ですから、横川駅発15:10の電車には間に合うハズです。
「お気をつけて歩いて下さい」と送り出されました。

長野県の中学生ですから、初めての修学旅行や、高校生、受験のための上京で何度も、この碓氷峠のトンネルをを通っています。
そして、あの頃から50数年たって初めてこのレンガ造りの陸橋・トンネルを眺めました。
あの、トンネルに入る前にみんなで一斉に窓を閉めた列車、誰かが開けた窓から、黒い石炭の煤が入ってきて、はしゃいだあの頃を思い出していました。

在来信越線 横川駅へ

そんな思い出に浸っている私にカミさんは、「もう出発しないと横川駅で、「峠の釜めし」を食べる時間はないわよ。」とカミさんは急かします。
大丈夫だよ、僕たちは普段あるき慣れているから、5.5kmは70分で楽勝いけるハズと答えて、もう二度と、ここ、青春の思い出の地に来ることないだろうと後にしました。
当初、国道18号ではなく、旧中山道の土道を歩く予定でしたが、なかなか、その道が見つからず、側道・歩道のない国道18号を歩いて下りました。
帰ってきてから分かったのですが、簡単に見つかると思っていたのが大間違い、メガネ橋から旧中山道への道はなく、かなり下ったダム湖「碓氷湖」までいかないと、18号と、旧街道はつながらないことが判明しました。
国道18号よりも、旧中山道のほうが直線的に歩きやすいのは後から判明しました。
ともかく、一直線の国道は長く感じます。もうそろそろ時間的にも横川と云う標識が見えても良い頃、トイレにも行きたいし・・・

ようやく、坂本の集落、旧中山道の文字が現れだし、75分で横川駅に到着しました。
釜飯は1,100円、今回の旅で一番高い食事となり、高崎へ向かう普通電車のなかで食べました。
味・美味しさは40年前と全く変わらず、今回の旅で二番目の美味しさでした。
一番は小諸の食堂で食べた小諸・佐久地方郷土料理「鯉の鯉こく」でした。

予定通り、自宅には18時前に到着、しかし疲れた、73歳という自分の年齢を改めて感じました。

今回の旅の総費用
交通費・入場料         30,000円
宿泊費             16,000円
食事・喫茶・雑費・お土産    14,000円        
合計              60,000円

動画をユーチューブで見る

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2021年11月11日

軽井沢の紅葉を満喫する二日間の旅 一日目




早期退職して一番やりたかったのは、自由に時間が使える「旅」
退職直後の数年は、現役時代には時間的に無理だった海外での一箇所長期滞在、暮すように旅するロングステイ、或いは一週間から10日程度、何度も同じお気に入りの都市・場所を訪れるのショート・リピートステイで過ごしました。

やがて、国内がメインのお年頃になると、日本人シニアの定番、各々の季節の自然、桜、紅葉を訪ねる旅、お祭りへの旅と変化してきます。
退職直後は、先ずは「桜」の旅でした
3月末から4月にかけて咲く日本の桜、そして北上する桜前線・・・
しかし、現役の第一線で働くサラリーマンはこの日本の年度初めの時期、一番忙しく、休めない時期で、桜をじっくり眺める余裕はなく、せいぜい都心の公園の桜を眺めるぐらいでした。
まずは、退職して時間に余裕が出来たら・・と夢見ていたのが「桜の旅」でした。
やがて、退職後の年月が経つに連れ、「桜」から「紅葉」へと変わってきました。
それも自然林・山岳紅葉です。
退職者の定番の旅行先として京都があります。
比較的、交通の便もよく宿も名所も沢山あり、定年後の若いシニアご夫婦が一番個人旅行しやすい都市です。
ここで初めて、京都の庭園の紅葉美に接し、魅了され、毎年10年ちかくこの季節は「新幹線・こだま・京都・河原町の定番ホテル」なりました。
やがて、紅葉美鑑賞は「山岳紅葉」「自然林紅葉」へと移っていきました。

9月末から日本の紅葉前は北海道大雪山系から、桜と逆に徐々に南下してきます。
最初に山岳紅葉を見たのは、北海道大雪山・旭岳、そして昨年、青森八甲田・酸ヶ湯の紅葉と見てきて、今年は、新潟県湯沢の、プリンススキー場の大人気の「ドラゴンドラ」と予定していました。新幹線などアクセスも良く、一般団体紅葉ツァーの日本一人気の場所です。

桜は多少の曇りでも、紅葉は快晴の青空が欲しい
日本のメデイア・ネット情報は「桜」の開花状況は「紅葉」よりも断然多く、そして多少の曇り空でも楽しめます。
特に桜は、ピーカンの青空では映像的には桜のピンクが白つぽくなりますので、少し曇っているほうがピンクが映えるのですが、紅葉だけは青空、そして陽の光が絶対条件なのです。

今年の「ドラゴンドラ」の紅葉を見に行くためには、10月半ばから毎日、朝の日課として、ネットで天気予報と紅葉の状況をチェックしていました。
鼻から費用が抑えられる「団体ツァー・パック旅行」は考えませんでした。
個人・自由旅行は「団体ツァー・パック旅行」と比較すると、ほぼ倍の費用になりますが、今年は巣ごもりが続き、費用的には多少の余裕があるのです。

当初の計画は欲張って、紅葉二箇所、湯沢と軽井沢へ
お天気と紅葉状況を見極め、朝一番の新幹線で「越後湯沢」、駅から路線バスでプリンスまで行き「ドラゴンドラ」の紅葉を愛でてから、高崎に戻り、そのまま、軽井沢に行き一泊し、軽井沢の紅葉を楽しみ、予てから行きたかった旧碓氷峠の鉄道遺産「眼鏡橋」を見て、旧中山道を横川駅まで歩き、自宅、大船まで戻る一泊二日、費用は二人で定番の10万円の予定でした。

しかし、今年の紅葉は一週間から10日遅かった
毎日、現地プリンスホテル発信の紅葉状況とお天気を見ていましたが、北信越地方の天気はずっと雨模様が続きました。
ところが、信越・軽井沢は上越のやや南側、谷川岳から南は関東平野にちかく、好天が続いているのです。
軽井沢の紅葉は過去何度も行っているので、絶対に行きたいと云う訳でもなく、ただ一つの目的、旧碓氷峠の眼鏡橋と、旧中山道だけでしたが、今年は「ドラゴンドラ」をあきらめ、軽井沢一本に絞ることにしました。

カミさんは、「来年いけば良いじゃない」と云いますが・・・
古希を超えた団塊世代は73歳、「健康年齢」と「平均余命」の間の10年にあと7年。
そんなに、自由に旅する時間は残されていないのです。
結果的に、今年の軽井沢の紅葉はこれまで見てきたなかで、天気も紅葉状況も最高でした。

軽井沢の紅葉 一泊二日の旅程は
2021/11/4(木)~11/5(金)
大船07:00(宇都宮)⇒07:43東京07:52(ハクタカ553 自由席)⇒08:58 軽井沢 @6,260円
ホテルに荷物を預けて 塩沢湖タリアセンへ 入場料 @800円
軽井沢09:15⇒塩沢湖09:48 @200円 滞在1.5時間 
塩沢湖11:19⇒11:35中軽井沢 @200円

小諸懐古園へ 小諸懐古園入場料 @200円
中軽井沢13:58⇒小諸14:18 @410円 
小諸15:40⇒軽井沢16:05  @500円
ホテルイン 
宿 ホテルグランヴェール旧軽井沢 泊16,000円
交通費 @8,670 二人 17,340
食事 昼食 2,000  夕食2,000 その他 計5,000円

二日目
午前 雲場池・旧軽井沢銀座 周辺 散策 
軽井沢駅 ⇒メガネ橋              
鉄道遺産・横川関所・横川宿など見学しながら5.5km下り坂 JR横川駅
横川⇒高崎 高崎⇒東京⇒大船

一日目
浅間山撮影ポイントへ

快晴の空のもと、まずは浅間山が一番美しく、そして手前に何ら余分なものがない撮影ポイントへ、軽井沢町民コミュニティバスで軽井沢の南側、あまり知られていない、塩沢湖行きのバスに乗り「杉瓜入口」で下車します。

普通、浅間山の撮影ポイントは、信濃追分あたりから眺める浅間が美しいのですが、車が使えない人間にとって、バス停から絶好の写真ポイントがあるのは、このコミュニテイバスの「杉瓜入口」バス停周辺なのは、地元の人達の間では有名な場所なのです。
但し、バス便本数が少ないので要注意です。
軽井沢町内循環バス東・南廻り線



南軽井沢の観光名所「塩沢湖」

「杉瓜入口」で下車して撮影した後は、次の目的地「塩沢湖」へは徒歩で向かいます。
途中、風越(カザコシ)運動公園を通ります。ここには、軽井沢の新しいスポーツ「カーリング専用」がありました。
軽井沢の街の中心、旧軽井沢銀座や、ホテル、別荘地帯は、JR軽井沢駅の北側ですが、駅南側に新たな、スポーツ施設や、塩沢湖と呼ばれる旧灌漑用水池周辺は多くの美術館など建てられ、新たな観光地として近年、注目を集めています。
塩沢湖タリアセンと呼ばれる、一種のテーマパークは有料施設ですが、この周辺の自然林の紅葉も綺麗でした。



小諸懐古園

塩沢湖から市内に戻るコミュニテイバスで途中の中軽井沢で下車。
中軽井沢は今では立派な駅舎になっていますが、40数年前、何もないプラットホームに私達二人は降り立っています。
この駅から先にある星野エリアにある、高原教会で二人と双方の家族と友人だけで結婚式をあげた思い出深い、駅です。
ここから、新幹線開通で第三セクターとなった在来線「しなの鉄道」で小諸に向かいます。
小諸懐古園も懐かしい結婚前のデートスポットです。
初めて、紅葉の季節にやってきました。
いわゆる、人工的な庭園・城郭の庭園紅葉の美しさでした。



プリンスアウトレットモール

小諸から軽井沢に戻り15時過ぎにホテルにチェックインしました。
今回の「ホテルグランヴェール旧軽井沢」、二日前にネット「一休ドットコム」で予約しました。
最近、ホテルの値段は、予約サイトよりも、直接電話で予約したほうが安いか或いは、同じカテゴリーでも、良いお部屋になるケースが多かったのですが、今回はネット「一休ドットコム」ほうが安く、しかも、これまで一休宿泊ポイントが使えるのでここにしました。
駅から徒歩5分と近く、軽井沢の町中では滅多に見かがけない「コンビニ」が2軒もあり便利でした。
お部屋は、35平米、リビング付きの広いお部屋で二年前に建てられたホテルです。
決して外観も、ロビーも、お庭も軽井沢のリゾートホテルぽくはなく、小綺麗な高級ビジネスホテルの雰囲気のお宿でした。
ここで、一時間、私達の旅のスタイルの定番、シャワー・お昼寝をしてから、夕飯の為に、プリンスモールにでかけて一日めは終わりました。


二日目 軽井沢町内・碓氷峠眼鏡橋に続く

動画をユーチューブで見る

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