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2021年10月30日

熟年離婚ではなく、介護別居から卒婚へ

最近、熟年離婚と聞いても驚かなくなった

昔、と言っても十数年前ですが、「熟年離婚」と聞いて、「えーなんで、退職して、子どもたちも巣立ち、やっと夫婦ふたりでこれからの生活をエンジョイしようと思っていたはずが、どうして?」
と考えるのは夫、男性側です。

女性、妻側みれば
「全く同じ理由、だから離婚するのよ、これから先一人で活きていきたいの」
昔なら、女性は金銭的にこれからの老後の一人暮らしは無理と諦めていたのですが、社会の状況は変わりました。
金銭面では、自分の年金は当然自分のもの、夫の年金も結婚以後のものは、一定割合(最大50%)夫婦関係にあった妻のもの、そして夫の退職金も、結婚後手に入れた、今住んでいる家もほぼ50%は妻のもの・・・
今の団塊世代の女性は常識として知っている、権利なのです。
そんな、団塊世代の我が家の奥様は朝、私がパソコンに向かつていると「為になるから見に来てと」云うのでリビングに行くと朝のモーニングショーで「卒婚」と云う言葉についての解説をやってました。

私の周りにいる、いつも同じ服装のシニア男性たちは

現役時代、職場でも、現場でも、周りに離婚とか、別居とかをしている方は、私が知らなかっただけかも知れませんが、見かけませんでした。
しかし、退職後、移り住んだ今の環境で、日々、頻繁に接しお話をする間柄のシニア男性で5人はいます。
何で解るの、直接聞いてみたの?
いいえ、違います。この5人の方に共通しているのは・・・
何時お会いしても、きている服装が同じなんです。
ジャケット、シャツ、スラックス、ネクタイに至るまで・・・
NPO団体関係者、スポーツ仲間、webサポートしている団体メンバーこのうち、お二人は離婚しています。
お一人は、退職直後、奥様から弁護士経由で離婚調停を申し込まれたそうです。
元大手銀行勤務、リテール関係だったそうです。
奥様は直ぐに家を出て、アパートを借り、ご本人との対話はすべて拒否し、弁護士経由でないと話し合いに応じなかったと云います。
結局、結婚後購入した家を売却し、半分を渡し、自分の公的年金の一定割合を妻に渡しているそうです。

もうお一人は日本で一番大きい旅行会社の重要部署に勤務していた、都内国立大卒のエリート社員、ヨーロッパの長期出張から戻ると、家の中に妻、子どもたちの家財、衣類がなかったそうです。
家じたいは、夫の両親から引き続き住んでいた家です。
典型的なワンマン、仕事人間のエリート社員であった彼は、妻と子どもの出奔を軽く考え、ほっておいたそうですが、数カ月後、裁判所から離婚調停に呼ばれたそうです。
退職、60歳前のことだそうで、彼の言葉では「去る者は追わず」で離婚に応じて、現在、大きなお屋敷に一人住まいです。

いつも同じ服装の三人の男性は別の理由から

離婚したお二人は、ご本人が話さなくても、周りの女性スタッフは知っていました。
よく解らない、同じような、一年ほぼ同じパターンの服装の方が三人います。
スタッフの女性の間で離婚とかの噂がご本人に伝わった時、真相が解りました。
奥様が実家のご両親の介護に行っている、「介護別居」だそうです。
ボランティア団体以外でも趣味のスポーツクラブ、写真同好会にも同じような境遇で、奥様が実家に行きっぱなしという方が2名います。

このお話を聞いてからもう10年以上になります。

最近、お会いする機会があり、奥様の実家の様子お聞きすると、三人ともに介護する両親は亡くなっていました。
でも、奥様は戻ってきません。お一人は岐阜、お一人は和歌山、お一人は福岡、いずも実家を就学、就職で故郷を離れるまで住んでいた、田舎だそうです。
お一人に至っては、息子さん二人のうちの次男が、母親と共に暮らしているそうです。
つまり、「介護別居」です。
お三方とも、「向こうの実家の後片付けが終われば、戻ってくるんじゃないの」と云ってますが、すでになくなって10年以上の方もおり、私達団塊オジサンの間では、「難しいね。」と云いますが、カミさん達の間で「「介護別居」の状態でいいんじゃない」
「田舎には友人も多いし、わざわざ鎌倉の、それも手のかかる夫の元に絶対戻ってこないわよ」
「でも、離婚は面倒なのでしないわ」
「だつて、鎌倉の夫からある一定金額、生活費を送ってきてるハズよ」
スポーツ仲間で、奥様の母親の介護を5年みて、2年前になくなった方に聞くと、奥様の生活費、光熱費等すべて、こちらから送金しており二重家計になっていると話していました。
絶対に戻ってこないだろうね、と云う噂話は確実に彼に届いていますが、現在、40代の息子さんとふたり暮らしです。
このような状態、結婚しているけど遠距離別居は今の私達の世代に多いでしょう。
このままの状態でいいのか、確かに正式離婚よりは良いかもしれない、これって「卒婚」なの

「卒婚」とは?「卒婚」に興味がある人が66.7%!

夫婦は「二人」と、ひとくくりで語られがちですが、もとはと言えば「一人」+「一人」。
一個人同士に立ち返って、ほどよい距離を保ちながら、制度上の『結婚』を続ける、その一例として「卒婚」に興味がある人も多いようです。
「卒婚」とは、2004年に教育ジャーナリストであり、『卒婚のススメ』(静山社文庫刊)の著者、杉山由美子さんが造った言葉です。
婚姻している夫婦が「互いに必要以上に干渉することなく、自由を認め合って、最低限のルールを守り、ゆるやかなパートナーシップを築いていく」という、
新しい夫婦の形を表しています。

卒婚とは、戸籍上の婚姻関係は残したまま夫婦お互いが自由に生活することです。
お互いを扶助することなく別居の形態をとったり、同居でもお互いに干渉せずに生活することを指しています
みんなの卒婚したい理由
(1)夫の世話から解放されたいから
(2)友人などと自由に旅行を楽しみたいから
(3)趣味や仕事に時間を忘れて没頭したいから
(4)自由になりたいから
(5)ずっと我慢してきたから

卒婚のメリット
(1)入籍したままなので、相続関係を保てる
(2)お互いに世間体を保てる
(3)子どもや親を傷つけない
卒婚のデメリット
(1)離婚ではないので恋人ができたら不貞行為となり得る
(2)十分な生活費がないと難しい
(3)離婚につながる危険性がある

どんな夫婦なら卒婚できるか
(1)妻が職に就いているか預貯金が多い
(2)子どもや夫が自立した生活をしている
(3)夫も趣味などがあり自由を欲しがっている

こどもがいない我が家は、もう40年以上も卒婚・家庭内別居、自主独立、別会計、ただただ、ヘタヘタ・ヨロヨロになった時の介護のパートナーとしてお互いに期待しているからやっていけるのかなと、最近カミさんは思っているようです。

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2021年10月28日

映画 燃えよ剣  ラストサムライ 土方歳三

チャンバラ活劇映画か?歴史ドラマか?
これまで、月に一度の映画館通いでしたが、最近の暇を持て余し、月に2度のペースになっています。先々週、ここ立て続けで外国人監督の撮った社会派映画「MINAMATA」,「ONODA」をみましたが先週はぐっと変わって、日本の大手が大体的にメディアで広告をうっている、大俳優を揃えた、商業、娯楽、チャンバラ映画、「燃えよ剣」を見てきました。

時代劇と云っても、時は幕末、好き嫌いが激しい「新選組」ものです。
昔、NHKの大河ドラマでヒットしないものの定番として上げられていたのは、「平安・鎌倉時代もの」と「幕末もの」でした。
これまでの「平安・鎌倉時代もの」は

 4回 1966年 源義経
10回 1972年 新・平家物語
14回 1976年 風と雲と虹と
17回 1979年 草燃える
29回 1991年 太平記
32回 1993年 炎立つ
33回 1994年 花の乱
40回 2001年 北条時宗
44回 2005年 義経
51回 2012年 平清盛
そして来年、61回 2022年は鎌倉殿の13人です。
あまり視聴率が良くなかった理由は、ハッピーエンド、立身出世ではなく、政治的ドロドロがどうしても付きまとうからなのでしょう。特に51回 2012年 平清盛は史上最低視聴率7.3だったと思います。
大河ドラマ好きの私も二回目まで見て、日曜日の夜を期待するには相応しくないと見ませんでした。

一方の「幕末・明治維新もの」は

1回 1963年 花の生涯
6回 1968年 竜馬がゆく
12回 1974年 勝海舟
15回 1977年 花神
28回 1990年 翔ぶが如く
43回 2004年 新選組!
47回 2008年 篤姫
49回 2010年 龍馬伝
52回 2013年 八重の桜
54回 2015年 花燃ゆ
57回 2018年 西郷どん
60回 2021年 青天を衝け
明治維新ものはかなり評価が別れますが、いずれも時代背景が複雑であったり、登場人物の多さや、過去の歴史的人物のイメージが固定されていてるのと、若い世代の支持が少なく、人気俳優を配した龍馬伝でも18.7%でした。

この幕末ものに必ず登場してくるのが、新選組です

日本国民は歴史的背景もありますが、現政治体制を覆しての天皇制への復帰、四民平等への革命、文明開化、西欧諸国と肩を並べる「ご維新」と、現政治体制にとっても、国民的感情からも、薩摩・長州・土佐・肥前に好意が偏り、これらを弾圧した幕府お抱えの「浪士集団」に対する評価は低いものでした。
それでも、個人的に、近藤勇、土方歳三、沖田総司などにスポットをあてた小説・漫画などもありましたが、いずれもチャンバラ、剣劇小説に過ぎませんでした。
そこに登場したのが、司馬遼太郎の小説、最後まで戦った土方歳三を描いた「燃えよ剣」でした。

私が、劇場でチャンバラ活劇を見ること少ないです。
時代劇自体は嫌いではなく、唯一東北の小さな藩の下級武士を題材とする、「藤沢周平」氏の映画化したものは、ほぼすべて見て気まました。が、剣豪ものや、いわゆるチャンバラ活劇ものは嫌いでした。
今回、この映画を劇場に出向いて見ようとしたきっかけは、やはり大河ドラマの「青天を衝け」です。
「青天を衝け」の時代は幕末、主人公は現埼玉北部「深谷市」の農民出の「渋沢栄一」です。
渋沢栄一が農民から、幕臣となり、明治維新後に新政府で活躍し、日本経済の礎をきづく物語です。
私は、この大河ドラマを見て、初めて、新選組のリーダーとなった、武蔵国(現東京)、多摩の農民、近藤勇、土方歳三の時代背景を悟りました。
映画の筋書きをネットで見ると、この頃の農民時代から、江戸に出て、浪士となり、京に上り、会津藩お抱えの戦闘集団になって行く過程がかかれています。

Wikipedia参照・引用

主人公は新選組、土方歳三
武蔵国多摩郡で「バラガキ」(乱暴者、不良少年)と呼ばれた少壮の時代から、京へ出ての新選組結成と維新志士達との戦い、そして江戸幕府瓦解後も官軍に降伏せず戊辰戦争を転戦し、ついに箱館戦争において戦死するまでを扱う。
司馬は、新選組時代は京洛で過激志士達を追い回し、戊辰戦争では幕軍残党の将官として戦いに明け暮れる日々を送った土方を、「芸術家が芸術そのものが目標であるように、喧嘩そのものが目標で喧嘩をしている」と評し、これといった政治思想も持たずにさながら芸術的興奮を求めるように戦い続けたその生き様を「喧嘩師」と形容する。

新選組は多数の志士を殺害したことから、維新体制下では「逆賊」と見なされてまともに顧みられず、単なる人斬り集団として貶められることも多かった。
しかし子母澤寛の『新選組始末記』(1928年)により再評価の機運が生まれ、『新撰組悲歌』(1934年)などの映画公開、そしてやや時を置いて発表された
本作『燃えよ剣』と、同じく司馬の連作短編『新選組血風録』(後述)の登場によって、今日に至るまでの人気が決定づけられた。
以降の新選組にまつわる創作作品の多くは、本作と『新選組血風録』で作られたイメージの影響を色濃く受けている。



映画は幕府天領の多摩の農民時代から始まります。

この当時、ペルリ来航以降、水戸藩の「尊皇攘夷」の思想、水戸学が盛んで農民の間でも、学問・剣術を学ぶものが多く、大河ドラマ「青天を衝け」でも多く描かれています。
そして舞台は「京」に移り、渋沢栄一も土方歳三も、薩摩の西郷・長州の桂も何処かですれ違っていたでしよう。
この当時の政変については、大河ドラマ「篤姫 」「龍馬伝 」「八重の桜」「花燃ゆ」「西郷どん」でいろいろな角度から描かれています。
この映画のなかでは、近藤勇は、雇われ浪士たちのリーダーでありながら、政治的活動に目覚め、二条城の会議にオブザーバーとして、頻繁に参加しているのに対して、主人公の土方方歳三は、一戦士として生きる道を模索していく様子が描かれており、京都から追われ、江戸に舞い戻った近藤勇は、政府軍との政治折衝に出向いて捕らえられ、流山で斬首されます。
土方ら戦士は、上野彰義隊で戦い、会津戊辰戦役で戦い、最後の幕府軍のリーダーとして、函館五稜郭で戦士します。

会津若松の土方歳三

昔、あまり新選組のことを知らず、というより嫌いだった頃、会津若松を旅した時、東山温泉に大きな土方歳三の写し絵をみました。
なんで、ここに土方歳三なのかと思いました。
まだ、大河ドラマ「八重の桜」放送前でした。
新選組と会津藩の関係も知らず、ただの幕府方の京都の警邏隊の剣術使いと思っていた頃です。

そして最後の舞台 函館五稜郭へ
新しい近代国家を目ざす明治新政府軍と、江戸幕府による旧体制の維持を目ざす旧幕府軍による戊辰戦争は、東北の奥羽越列藩同盟崩壊によっていよいよ新政府軍勝利の気配が決定的になりました。
しかし旧幕臣の榎本武揚や土方歳三たちは幕府再建をあきらめず蝦夷へ渡って蝦夷共和国を築き、新政府軍側の拠点である五稜郭と松前城を攻略し、迫りくる新政府軍を迎え討ち、ここで土方歳は戦士として幕を閉じるのです。
五稜郭を見渡す、五稜郭タワーのなかに、土方歳三のブロンズ像が設置されたのは、ごく最近2005年のことです。

この映画を見終えて
歴史上の人物の評価というものは、後世の人々によって書かれたものです。
特に近世の幕末は、いろいろな資料、見聞が残されており、いろいろな作家、歴史学者、評論家が書かれています。
その人物をどの角度からみるのか、どの立場、どんな信条で描くかは、当然違ってきます。
今回の映画の中に、「晴天をつけ」のもうひとり主人公、最後の将軍「徳川慶喜」はおろかなに、逃げ腰の、何も決められない人物として描かれています。
土方歳三は、最後まで戦う戦士、トム・クルーズの映画「ラスト・サムライ」のように描かれています。
私は、歴史上の人物にもなれないし、世の中に何かを残す人物でもありませんが、私が逝った後、どんなふうに思い出してくれるでしょうか?

最近、齢のせいでしょう、私の今の齢よりも若くして亡くなった父親を思い出します。
父親の人生はなんなんだったろう、成年して直ぐに中国戦場にかりだされ、病弱で返され、働き盛りの30~40代の7年間、結核療養所暮らし帰ってきた家の家業は母が握り、居場所、やりがいのない生活・・・
その後、私は20前に家を離れ海外へ、帰国してもずっと首都圏ぐらしで、その後父の暮らしはよく分かりません。
ただ云えることは、傍目にみてあんなに母と父は諍いをくりかえしていたのに、子供の頃、母は末っ子の私が成人したら、離婚すると云っていたのに、葬儀の納棺の時にあの気丈夫な母は、棺を抱えて豪涙したのです。
思い出すのあの日の事ばかりです。


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2021年10月26日

眞子さんの結婚について、眞子さんへのエール

今日、秋篠宮家の長女、眞子さんが入籍、結婚し皇籍を離れるようです。
30歳の娘、長女が家を出ていく、それも結婚式という、家族・親戚・友人、職場からの祝福もなく・・・
団塊世代のほとんどご家庭でしたら、十数年前に、お嬢さんの晴れの舞台を経験してしている方は多いでしょうに。

秋篠宮殿下は、葛藤があったでしょうが、日本国憲法第24条の「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」するに基づいてお認めになりました。
父宮は立場上、普通の父親のように「多くの人が納得し、喜んでくれる状況」を作り出すよう希望していると、お聞きしています。
しかし、今回の婚姻は、一般の家庭でも娘さんの最良の幸せを願えば、両手を上げ、無条件で喜べない状況ではないのではと、子どもいない、団塊世代夫婦の私達でも思ってしまいます。

先ずはお相手の方が、婚約当時大学院生で法律事務所のパラリーガルでした。
世間では、定職がない、弁護士でもない、生活出来るのか、と危惧するの当然でした。
パラリーガルとは

弁護士の監督の下で定型的・限定的な法律業務を遂行することによって弁護士の業務を補助する者。
元はアメリカにおいて生じた、弁護士の資格は有さないが単なる事務作業を超える専門的業務に携わる法律事務所のスタッフである。
アメリカにおける大規模法律事務所の専門化、細分化の進展に伴い、補助スタッフにも高度な専門性が求められるようになったことで発達したその仕事が誕生した米国では、今や大学等が養成課程を用意するほどメジャーな職業になっている。
欧米の中規模以上の法律事務所では一般的な存在であり、日本の法律事務所においても、大規模法律事務所を中心に一般的な存在となりつつある。



しかし、日本ではちょっと違います。

そもそも、パラリーガルはアメリカで生まれた職業です。
日本ではまだ歴史が浅く、ここ10年のあいだで少しずつ認知されるようになってきています。
そのため、アメリカと日本ではパラリーガルに対する扱いも少々異なります。
まず、日本ではパラリーガルになるために、特別な資格は必要ありません。
また、「これをできればパラリーガルと呼べる」といった明確な定義もありません。
そのため、法律の知識さえあれば、誰でもパラリーガルになることが可能です。
また、まだパラリーガルの認知度が低いため、法律事務所で働く一般的なスタッフと区別されないケースもあります



知り合いの友人、法律事務所所長に聞くと、日本では、司法試験を目指す若者が、合格までの生活の為に法律事務所で働くケースが多く、パラリーガルという名称、言葉はつかわれてはいない、と云っています。
確かに、一般的な日本の父親からみれば、定職のない、自分の娘を養う能力のない若者と映るのは至極当然なのは理解出来ます。

お相手の家庭についても・・・
私達一般庶民の結婚で、両家の親は自分の子どもの結婚に先立ち、お相手の娘さん、息子さんは、どんな家庭なのかは気になります。
私達の場合、私は地方の小さな八百屋の三男坊、カミさんも地方の田舎の小さな工場勤めで、半農の家庭の女三兄弟の次女、どちらも、日本社会の中流或いはちょっと下程度で、経済的環境も似たり寄ったり、何れも実家を次ぐ必要のない、都会で自由・気ままに生活していた二人でしたから何も問題もなく、結婚式は二人共ごく身内だけでいい、結婚式にかかる費用は、新しい二人の生活の為に使いたいと考え、双方の両親の反対は全くありませんだした。

眞子さんの場合、私達のような訳にはいかないことは、先ずは眞子さんご本人よりも、真子さんを受け入れる相手の男性のご家庭の方が考えないハズがないのにどうやら、男性のお母様は、「逆玉の輿」として捉えたのではないかと云う「メディア」の報道です。
TV・週刊誌の報道が全て、史実に基づく、正確な、本当のこととは思いませんが、私達一般日本人からすれば、本当に自分の息子の幸せを考えれば、
母親は息子さんこんな言葉を投げかけるのが普通のではないかとおもうのですが・・・・

「あなた達、本当に真剣に結婚ということを考えてみたの」
「無職同然の貴方が、皇室のお姫様を養っていける生活力があるの」
「私だって、外の方たちお会いするのに、着ていく服も、着物もないのよ」
「ましてや、皇族の方々と、対等にお付き合い出来るような家柄でも、財力もないのよ」
「貴方、私がパートで働いている、お給料はいくらだか、知っているの」


・・・と想像ですが、普通このくらい会話があっても当然だと、一般的中流家庭の日本人ならそう思うですが・・・
ともあれ、全ての難関を排しての結婚に幸あれと思いますが・・

親世帯としての危惧、海外での新婚生活
全てが整えられ宮中の生活、籠の中の守られた生活から、一般家庭それも日本国内ならともかく、全く初めての二人だけでの生活が海外です。
それも、物価の高いアメリカでも、ひと一番高い、マンハッタン或いは仕事の関係でその近くに住まわれることになります。
赤坂御用地内の中で生まれ育った眞子さんは、これから一人、日中は仕事ででかけて不在の夫を、全く知らない土地で待つ暮らしになります。

海外で暮らす、新米、日本人奥様はどうしているか
私は、青春時代を海外で生活していたましたので、結婚を機に初めて海外に暮らす日本人女性、奥様を沢山目にしてきています。
今回の眞子さんのケースと同じく、夫は会社の都合で単身赴任で数年暮らしているところに、婚約者が結婚と同時にやっくるケースを沢山見ています。

先ずは、言葉と商習慣の問題
60~70年代のアルゼンチンの首都大都市ブエノスアイレスには、スーパーマーケットはほとんどありませんでした。
全ては町中にある対面販売の市場、メネカードあるいは、アルマセンと呼ばれる雑貨店です。
お肉は全て、部位を名指して、その肉の調理目的を伝えないと買えませんでした。野菜も果物も全て量り売りです。
昔と違って、宮中育ちの眞子さんは、市中での買い物、交通を利用したことはあるでしょうが、外目からみるとハラハラ・ドキドキです。
日本国内なら、ある一定期間、表立ってではなく、影からのサポート・警備があるかも知れませんが、ニューヨークでは少なくても正式には国民感情からして出来ないのではないかと、案じています。

素朴な疑問 お金・生活費の話
先ず、お相手の小室圭さん、これまで母親の元婚約相手との金銭トラブルはさておき、今回の四年間の留学費用はどうなっているのでしょうか?
あれほど、メディア・週刊誌が立て続けに、小室家の金銭問題について執拗に追いかけ回しているのに、ご本人の留学費用・渡航費用、現在退職した小室家の母親の生活費など、何処も報じていません。
少なくとも、いち日本人苦学生がニューヨークの法科大学で四年間学び、生活するには幾らかかるかを報じてもいいのですが、何処も報じません。
勘ぐれば、何処かから出ていることは分かつていても、書けないない、報じられない所から、密かに出でいる、でもメデイアは報じない、そんな部署、国庫ではなく、触れては行けない箇所からでているのではないかと思われます。

何処に住む予定なの
マンハッタンの法律事務所のいち年目のお給料は、死ぬほど働いても年間2000万円ぐらい、とあるTVメデイアが報じていました。
そして、このお給料でもニューヨークに近い、ロングアイランドの、セキュリティの高い、、宮様のお姫様が暮らせる物件を購入するには100万ドルは必要だと報じています。
二人だけなら、手狭な1DKで十分と私達凡人は考えるのですが、お二人はどうなのでしょう。
私としては、新婚のお二人は、私達がそうであったように、「神田川」のような生活から初めて、二人で将来の夢を語り合いながら、コツコツとお金を貯めて夢ある家庭を築いていった欲しいと願っています。
そう、二人だけで海外で暮らす為には、眞子さん、貴方も働くことです。
海外の新婚夫婦で、日中、夫を待つ女性が陥るのホームシック、遅くまで帰ってこない夫への不満、憧れの海外生活のギャップは必ず、誰にも訪れます。
そんな時、私達先輩が勧めるのは、奥様も外に出て働くことです。
最初は慣れない店員や、ハードワークでも構いません。
言葉を覚えることと、その国をしること、そして何よりもその場所で友人を作ることなのです。

余計なお節介 ニューヨークでの暮らし方
留学や駐在などでニューヨークに長期滞在する人のための海外生活情報をまとめたガイドブック。
ビザの取り方から部屋の探し方、日用品の購入など海外で生活を始めるにあたって必要なことから余暇の過ごし方、出産や子供の教育、人付き合いのコツなど海外で快適に生活するために必要な情報をすべて網羅しました。ひとあし先に現地で暮らす日本人の最新情報や体験談、アドバイスも実生活で役立つこと間違いなし!

憧れのニューヨーク、仕事や勉学でニューヨーク。
どうしても生活に不安を覚えてしまう、そんなあなたを応援する、生活情報ガイドブック。ニューヨークの街の様子から、ビザの知識はもちろんのこと、教育、病院などの情報をわかりやすく紹介しています。生活に役立つ巻末イエローページ付き。
「地球の暮らし方ニューヨーク」はニューヨークで暮らしたい人が、夢をもって手に取り、その夢を実現すべく真に役立つ実用情報を満載したガイドブックです。
ビジネスやカルチャーの発信地であるこの大都市ニューヨークで「スキルアップしたい」「今までの自分を変えてみたい」「夢を実現したい」という気持ちを持った向上心の強い人が多いのもニューヨーク。そのような人々が各国から集まるNYは9.11のテロ事件やITバブルの崩壊から始まった経済事情など、変動も激しい都市で、それに伴い移住区の流動・分化が顕著になるほど、生活にも大きな変化が見受けられます。本誌はこの変化に対応したニーズに応える本誌構成となっています。
巻頭特集では移住エリア別のライフスタイルをわかりやすくグラビアで紹介。
紹介エリアは●マンハッタン ●ブロンクス ●クイーンズ ●ブルックリン ●スタテン島 ●ウエストチェスター ●ニュージャージー


最後に森まゆみさんの眞子さんに送るエールを紹介します。

プログを書くにあたって、朝日新聞の文化欄 作家森まゆみさんの寄稿を読みました。

思うように生きたら良い
好きな仕事にしたらいい
もっと別の貧しい、過酷な社会があることを知るがいい
うまくいかなければやりなおらばいい
人に強いられた人生には恨みしか残らないが、自分の信念で選んだことなら、責任の取のようはある。
眞子さん、アメリカで羽ばたいてください。



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2021年10月24日

身の回りのヨタヘロ期、壊れていくもの

ヨタヘロ期とは
作家を樋口恵子さんの著書「老い~どん」で、健康寿命と平均寿命の間の10年間、ヨタヨタ・ヘロヘロと命名し、加齢とともに、日々ヨタヨタ、ヘロヘロとよろめきながら、明るく前進する姿を描いています。
55歳で早期退職した、団塊世代の私の体も、身の回りのいろいろな道具も、家の中の家財も18年も経つと、ヨタヨタ・ヘロヘロ状態になってきています。

まずは、団塊73歳、私の体にかなりガタがきています。

私の足は典型的な扁平足で、土踏まずがなく、ほぼ真っ平らな足です。
でも特に不自由は感じなく退職の55歳まで過ごしてきました。
全く何の違和感、痛みもなかったのかと云うとそうでもなく、ちょっとした古傷を抱えていました。
30代なかば世の中はスキーブームで、信州生まれ、育ちの私は、職場・現場でも当然スキーは出来ると思われており、週末一泊の社内のスキーバスに空席が出来ると、お声がかかりできるだけ参加していました。

そんな時、転倒で右足首をひねって軽い捻挫を起こしましたが、仕事の忙しさにかまけて、湿布とテーピングで自己流に治してしまったのですが、その後毎年寒くなってくると、右足首が痛むようになりました。
今、思えばその頃、ちゃんと整形外科で治療しておけば良かったのですが、若いし、仕事が忙しいし、冬場の超忙しい一時期のみ痛みで、暖かくなると治ってしまうのでそのまま、退職の年を迎えてしまいました。

右足首にしびれるような痛みを感じ、市内の有名なスボーツ専門医に見ていただいたのは、60歳半ばのことでした。
捻挫の古傷の問題よりも、扁平足、足裏の土踏まずが無いために、無理な歩き方が原因と診断され、靴のなかに入れる土踏まずを補強した足底板をススメられ入れるようにしてから、痛みは少なくなりました。
この足底板、2年に一度作り変えしなくてはいけないのですが、痛みがないと忘れてしまいます。
今年、また痛みがでて同じドクターに診てもらい、新たな足底板を作る時、しっかりしたウォーキング用のシューズを勧められました。
貧乏性の私は、スニーカー・ウオーキングシューズに出せる値段はせいぜい12,000円前後なのですが、持っていった常用のシューズを見て、ドクターは昔の捻挫の古傷もあるので、足首を固定させるためには、もっとハードな硬い素材の専門のシューズを勧められました。
ミズノで、値段は18,500円。確かにいままでの軽いニューバランスよりも足首が固定され、痛みはなくなりました。

スポーツ用ひざポーターを試す

しかし、ここ一年のコロナ禍による外出不足、NPOはじめとするボランティア、Webサポートの激減で自宅にいることが多くなると、素足で過ごす時間が長くなります。
足底板も足首の固定もなくなると、踏み出す方向により、右膝が変形し、軽い違和感を感じる日が多くなってきています。

私は周りの同世代のなかには、60代後半あたりから、膝が痛い、腰が痛いなどと云う仲間がいましたが、俺はそんな年寄ではない、そんな、あすこが痛い、ここが痛いなんてことはない、と豪語していたのが、ついにヨタヨタ、ヘロヘロ期に入ってきたのです。
外では痛くないのに、自宅の生活で痛いとは!

自宅内専用の、部屋専用シューズに足底板をいれる手も考えましたが、先ずは足首を固めるサポーターと、膝を固定するサポーターを試して見ると、これがしっくりときました。医療用の膝サポーターは薬局では3,000~5,000円もするのですが、アマゾンではスポーツ用として1,500円で、強さをアジャスト出るものが売っていて、ダメ元と取り寄せてみると、結合いけるのです。
実際につけた自分の姿を見ると、物凄く重症の年寄りのようにみえるのですが、自宅内で使う分には十分でした。

ついに大切に使ってきたパソコンwin8.1にもヨタヘロ期が

今やパソコンはwindows11の時代でしょうが、今更、新しいバージョンのものはいらない、win10で十分と思っています。
それに私は、未だwin8.1も同時に使っています。
最大の理由は、win10以前のOSバージョンでないと動かないアプリが沢山あるからです。
特に、デザイン、グラフィック、動画編集関係のアプリには、win10に対応していないものが沢山あります。

動画編集は、グラスバレーのEdius という放送局で使う、プロ用の編集ソフトを使っていますが、グラスバレーのEdiusは、すでに民生用から撤退しており、win10では作動しません、ラストバージョンはwin8.1なので、これを大切に使っています。

しかし、先日この2014年に立ち上げたwin8.1は、マイクロソフトのセキリティ更新プログラムの後、再起動しなくなってしまったのです。
「パソコンは突然クラッシュする、常に内部のデータバックアップを取りなさい」と講座の生徒さんに云っていたご本人の私のwin8.1が、ダウンです。
一時間待っても、画面の砂時計は回りっぱなしで、立ち上がりしません。
セーフモード立ち上げしようと、別のパソコンで調べて見ると、東芝のwin8.1のセーフモード立ち上げは、事前に設定しておかないとダメのようです。
もう半年まこのwin8.1のデータセーブはしてなかった。
特に動画のファイルは、一度ユーチューブにUPしてしまうと、安心してしまう・・・

東芝の場合、立ち上がらず、2回電源長押しをすると、データセーブ画面になるのですが、データの選択は出来ず、全てのセーブとなります。
動画・グラフック用PCなので、500GBほどのデータとなると、何時間かかるか分かりません。
思い切って、一度シャッタダウンしてから、サイド電源投入して、グルグルまわる画面を出しっぱなしにし、隣のwin10で作業を開始していると、2時間後何と、写真用のようなデスクトップ画面が復活しました。

もうwin8.1の更新プログラムはインストールしません。
直ぐに、手動インストールに設定を切り替えました。
私のパソコンは、デスクトップ壁紙はインストールした日付とバージンの画像にしてあります。
2014・7月ですから、もう7年も経つのですから、ヨタヨタ・ヘロヘロは、私と同じシニアPCなので仕方がないのですが、まだまだ逝ってもらうのは困るのです。

レフ電球をLEDにしてみたら

退職して、鎌倉の集合住宅に越してきて17年になります。
今週の朝、カミサンが洗面所の電球の片方が切れた、交換してくれる、というので見てみてる、レフ電球です。
まだ生きている片方を外すと、手がやけどするぐらい熱いのです。こんなに熱くなるとは・・・
この日、早速、駅前のヤマダに買いに行くに、何ワットなのか確認しようと見ても、刻字されている文字が見えません。
天眼鏡で拡大しても、反射して見えないので、これを持っていくことにしました。

電球売り場で現物を見せると、ソケットサイズ17のレフ電球は、:現在もう生産されていません、LEDに交換して下さい、云われました。
交換するなら2個同時が常識で2個口、1,400円 高いけど、寿命は長いので仕方がないかと、買って来て取り付けると、カミサンが開口一番、明るすぎて、顔色が悪く写り、シワがはっきり見えすぎると云うのです。
私が買ってきたのは、「昼光色」で普通のハズなのですが、どうやら前と同じにするには、「LED電灯色」を選択しなければいけなかったようです。
人も家電も17年経つと「ヨタヨタ・ヘロヘロ」期になるようです。

17年で洗浄便座が動かないなんて

10月も半ば過ぎ、急に寒くなってきた朝、カミサンはトイレを冬モードにしてと云います。
我が家は、冬場以外電気代節約と常にクリーンな状態に保つため、冬場以外はシャワートイレの電気コードを外しています。
つまり冬場の寒い時だけ、便座を温めと下部の温水洗浄シャワーが出るようにしています。

しかし、この日電源ケーブルをコンセントに差すと、便座のコントロールパネル部分から異常音がします。
長いあいだ使わなかったからかな・・・、元電気技術者はそんな素人みたいな事は云っていけない!
もしかすると、私の塩分の濃い「おしっこ」がパネル部分に飛んで、内部に入り、セミショートしたのかしれない、考えられるのはそれぐらいしかない。

修理するより、交換したほうが安い・・・一体いくらするのか?
INAXのごく一般的なもので15,000~20,000円ほど、それも自分で交換しての値段・・・
電気的には何ら問題はないが、水配管に自信はないし、元業界の知り合い設備屋さんに連絡すると、「先輩、いっその事便器こみですべて交換しましよう」
「最新式の蓋の開閉自動、洗浄自動にしましょ」と云います。知り合い、後輩のほうが却って高くつく・・・・
カミサンは、「何万もかかるなら、冬場、お尻がちょっと冷たいぐらいなら今のままで良いわよ」でこの話はおしまいになりました。

樋口恵子さんの云う「ヨタヘロ期」
最近いろいろな場面で経験しています。お歳頃になってきているのでしょう、きっと。

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posted by 西沢 at 07:38| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2021年10月22日

秋の紅葉シーズンとコロナ自粛解禁はどう動くか

令和3年4月に発出された緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置は、 同年9月30日をもって全都道府県で解除されました。
この日を境に、NHKはじめ民放各局の旅情報番組が一気に増えました。
10月17日のNHKBSでは、日本一美しい山岳紅葉の地として、上高地、河童橋から15Km先の、ビギナー登山者でもちょっと厳しい場所にある涸沢を紹介していました。




ちなみに、山岳紅葉ランキングベスト5は、いろいろな評価はあるようですが、以下の5ケ所が妥当な所、全て、甲信越、東北・北海道てす。
1 奥穂高岳 涸沢 長野県・岐阜県
2 大雪山   北海道
3 安達太良山  福島県
4 八甲田山  青森県 
5 八幡平   岩手県・秋田県


定年退職後、秋の紅葉の美しさを改めて、自分は日本人と、感じ入る人は、私も含めて大勢いると思います。
忙しい、現役時代、春の桜だって、自宅近くの公園と通勤電車、あるいは都心の公園でしか見れないのに、秋の紅葉ともなると、東京首都圏に勤務していると、全く無縁の世界でした。
第一、関東南部は暖かくて、紅葉する木々も少なく、せいぜい、銀杏並木の黄色で秋を感じる程度でした。
それが、退職後、夫婦二人で京都に行くようになると、古都京都の寺社・仏閣・庭園の紅葉の美しさを知らされるようになります。
「京都はスゲー」と、関東の古都、鎌倉に住まう、私でもそう思います。

退職後数年は、秋の京都の庭園紅葉に惹かれていくようになると、次第に山岳紅葉にも惹かれるようになってきます。
私も、ここ数年、北海道の旭岳、青森の八甲田山、そして今年は、新潟「苗場のドラゴントラ」、或るいは北関東、那須と次第に自然林、山岳、高原の紅葉に惹かれだしています。
そして、ちょぴり後悔しています。

これから続く、リタイヤシニアの皆様へ
紅葉の美しさに目覚めると思います・・絶対に。
京都の寺社・仏閣・庭園の紅葉美は、70歳を過ぎてもまだ間に合います。
体も動き、新幹線代もまだ十分あるハズです。
紅葉は先ずは、山岳紅葉から攻めて下さい。
先ずは遠くから、そして厳しいロケーションから攻めて下さい。
私は、上高地は明神橋あたりまでの、完全な観光客レベルしか行ってませんが、日本一の山岳紅葉の涸沢は、登山届が必要な場所で、登山経験者と一緒で本格的装備が必要な場所です。
退職後、できるだけ早く、体力・気力・好奇心のある、できれば60代のうちに行かれるのをお勧めします。

急に増えだした、旅行社のパフレット






菅さんが、自民党総裁選に不出馬のニュースあたりから、「H交通社」の各旅行レベル・ランクの冊子が毎日のよう、連続してポストボックスに入るようになりました。
私達は現役時代は国内旅行はしたことがなく、海外はすべて個人自由旅行でしたから、チケット以外で旅行代理店とのお付き合いは有りませんでした。
そして、海外旅行先で出会う、団体旅行客のレベル・ランクも良く解っていました。
特に中高年のシニア参加者の多い「H旅行社」はイメージとしては、「安かろう、早かろう、短かろう」でした。
一番レベルが高く、添乗員の資質も高い、そして旅行費も高いのは「ワールド航空サービス」でした。いまは、この全世界のコロナパンデミックのなかどうなっているのでしようか?

私達は国内旅行の場合、早期退職してまだ二人共公的年金支給前でしたから、旅行先の宿と足がいくらかでも安く確保できれば、後は何もいらない、自分たちで動くという旅の姿勢でしたから、国内旅行各社のなかでダントツに値段が安く、何時でも二人OKの設定の「H交通社」の「JRフリープラン」と「The温泉の旅」は、色々不満はありますが、自力で手配するよりもかなり安いと云うこともあり、利用してきています。

コロナ禍で増えて来ているのが、別ランクの旅のパンフレットです。





私達の旅のスタイルには縁遠い、「5つ星の宿」・「往復新幹線グリーン席」・「旬のカニ・エビ・和牛のお食事」は、全く興味がなく、このような旅に参加する人たちはどんなコース、どんな観光地を行くのかを参考としてみるだけで、ほぼ一日でゴミ箱ゆきです。
カミサンは、このような印刷物をゴミと出す時に、こんなに綺麗な印刷で重いのだから、宣伝広告費や、配達員さんの経費を考えたら、「H交通社」さん、コロナ禍で会社も大変でしようね。と云います。

流石に、町中を見回しても、駅前の一等地にあった「HIS」の店舗も、ショッピングセンター内にあった「JTBショップ」もいつの間にかありません。
JTBは本社ビルの売却を検討する云っているようです。確かに厳しいことは伺えます。
しかし、・・・・そんなに旅行会社も鉄道・航空会社・バス会社も、旅館。ホテルも厳しい時期なのに、旅行会社のパンフレットを見ると、全て以前よりも価格設定が騰っているのです。

私達がよく使う「JRフリープラン」と「The温泉の旅」のか価格設定はあきらかに、コロナ以前よりも高い設定です。
この旅行関係企業すべてが不況、苦しいなか、抜け駆けしてでも、集客しようと考えるところはないようです。
私達の常識、考え方は異常なのでしようか。
先ずはこの苦境を乗り越えるためには、原価を割っても、まずは来ていただく、泊まっていただく、乗っていただく。
そして少しづづ、元の状態に戻していくとは考えないのでしょうか?
それとも、もうそんな余力・体力もなとということなのでしょうか?

一名様一室同料金
初めて、コロナ禍のなかのパンフで、目をひき、意気込みが感じられるものに出会いました。
上野千鶴子さんではありませんが、夫婦二人の旅、中の良いお友達と二人の旅・・・旅行会社の働き盛りの企画マンのなかには、シニアの旅のイメージはそんなものだったのでしょうが、実は一人参加が急激に増えて来ているのです。
アンケート一人旅の理由は



ご主人を先に見送ったご婦人だけでなく、カミサンが元気な我が家でも、最近は旅の方向づけが違ったりしてくることがあります。
カミサンは歴史・遺跡ものは苦手、町中の賑やかな所、買い物ができる所が大好き・・
となると、同じような性格、志向、価値観の二人ですが、40年以上も経つと、一人で好き勝手に過ごしたい時間があるのは確かなんです。

今年の秋の予定では・・・
さて、来週はお天気と紅葉状況を見て、朝一番の新幹線でドラゴンドラを目指す旅に行く予定です。普段、高崎あたりまでしたら、上野・東京ラインの快速で行くこともあるのですが、今回はもちろん、新幹線でいきます。但し予定がたてられないので自由席です。
毎日、ネットで天気と紅葉状況をチェックしています。
一昨日は強風でゴンドラは運行停止、昨日の速報画像をみると、頂上駅付近は積雪です。
今年は、昨年よりも一週間から10日、紅葉は遅れているようなのと、越後湯沢の天候は週7日のうち、晴れるてるのは二日ほどしか有りません。
山岳紅葉は多少がかかっても、自力・個人で行くのがベストなのですが、22日の時点でも天候と
紅葉状況の一致する日が見当たらないのが現況です。

11月は高知仁淀川と徳島、カカシ村を予定しています。
もしかしたら、今年、ドラゴントラを諦めなくてはならないかも・・・
ともかく、来年も紅葉、桜が見れるとは思わないことにしています。

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2021年10月20日

健康寿命と平均寿命の間の10年 男は林住期、女性はヨタへロ期

この頃最近、カミサンの友人の伴侶(男性80代)の長期入院や介護施設への入居の話が頻繁に聞こえてきています。
私もカミサンも前期高齢者なのですから、お友達、知人の多くは後期高齢者、で、これから介護と病気、入院とのお付き合いは当然多くなります。
カミサンは今、かの大ヒットした「お一人様」の生みの親、作家の上野千鶴子氏の本をカミサンが買って来て読んでいます。
帯に書かれているキャッチコピーを見ると、この本を読まなくてもほぼ解るような気になります。

おひとりさまでも、認知症でも大丈夫

サヨナラ、「孤独死」はこれからは「幸せな在宅ひとり死」
慣れ親しんだ自宅で幸せな最後を迎える方法。
施設でもなく、病院でもなく、大好きな自宅で、自分らしい幸せな最後を迎えたい。
その準備と心構えをお伝えします。
「おひとりさまの最後」を支える、医療・介護・看取りの最前線も紹介。
意外とお金もかかりません。
私、ウエノも最後は「在宅ひとり死」でゆくつもりです。
私には家族がいませんので基本、ひとりで暮らしています。
団塊世代、72歳。このまま人生の下り坂下り、要介護認定を受け、ひとり静に死んで。
ある日、亡くなっているのを発見されたら、それを「孤独死」とは呼ばれたくない。
それが、この本の執筆動機です。

男おひとりさま術
上野千鶴子さんの「お一人様の老後」の後、2010年6月出版社「法研」より、「男おひとりさま術」と云う本が出版されて、話題になりました。
著者はジャーナリストであり、上野千鶴子氏のアシスタントもされている、同郷、同世代の「中澤まゆみ」さん、ネット上でお付き合いのある方です。
今回、上野千鶴子氏の「在宅ひとり死のススメ」について、お聞きしようかと思い、メール連絡しましたが、メルアドが変わったようで、返信はありませんでしたが、彼女も、ウエノさんも同じ団塊世代、今までは、少し上の世代のお話だったのが、これからいよいよ、私たちもこの世界に入っていくので、少し予習しておかねばと、今回じっくりと読んでみました。

関連メインwebサイトWebで広がる団塊の輪 男おひとりさま術

上野千鶴子の本書イントロ部からの引用・要約

はじめに
「お一人様の老後」「男おひとりさま道」「おひとりさまの最後」まで続いた三部作、「最後」までくれば完結。
ふつう「最後」の後はないものです。
ですが、私はまだ死にそうな気がしません。
と言っても沢山の高齢者を見てきた経験からは、今から最後までに待ち受けているのは、社会学者の春日キスヨさんのコトバによれば「ヨタヘロ期」こと「ヨタヨタ」⇒「ヘロヘロ」⇒「ドタリ」の要介護期。
「おひとりさまの最後」を書いたあとの、私の次なる目標は「要介護認定高齢者」になることでした。
ホンモノの要介護者になって当事者目線から情報発信してやるぞ、というものでしたが、実際になってみれば、そんな気力・体力・探究心があるかどうかわかりません。
尊敬する大先輩「樋口恵子」さんが近著「老ーい、どん。あなたにも「ヨタヘロ期」がやってくる」について書かれています。
みーんな、当事者になって「介護される知恵」を分かち合う時代がすぐそこまで来ています。


冒頭で書きましたように、ずっと先だと思っていました、介護老人ホームと、高齢者なんたらかんたら施設とか、施設入居一時金だとかは、カミサンのお友達の間では始まっています。
これまで、つい数年前までは、ご主人はこれら施設の送迎運転種バイト、奥様はそれらの施設の賄いや、ヘルパーとして働いていたのが、現実問題として選択を考えなくてはならない時期が目の前に来ている模様です。

ヨタへロ期

私達団塊世代の男性は、前期高齢者から後期高齢者の仲間入りするこれからの時期は、五木寛之の提唱する「林住期」といった、どこか格好いい行き方、過ごし方のの言葉に酔っているのに、私達男性の介護を背負い、見送った後の女性のあいだでは、このような現実的な言葉で、自分たちの置かれる状況を表しているのです。
健康寿命と平均寿命の間のおよそ10年をヨタへロ期と命名
痛い所だらけで「ヨタヨタ・ヘロヘロ」とよろめきながら直進していると、自分の人生・老後を明るく表現しています。
ヨタへロ期をネットで検索すると、この本以外に多くの女性目線での老後の過ごし方について書かれて本がヒットします。

・老いの福袋-あっぱれ! ころばぬ先の知恵88
・しがらみを捨ててこれからを楽しむ 人生のやめどき
・女一生の働き方―貧乏ばあさん(BB)から働くハッピーばあさん(HB)へ
・大介護時代を生きる
女性はすごい、偉いな・・・男はどこかロマンチックな老後を模索しているのに。

これらの本、紹介はタイトルだけにとどめておきます。
実際にはお金をだして買って下さい。
文春新書 在宅ひとり死のススメ 800円+税

そして、今回の本、上野千鶴子さんの本「在宅ひとり死のススメ」の目次は
第1章「おひとりさま」で何が悪いか?
・すごい勢いで「おひとりさま」が増えている。
・「老後はおひとりさまが一番幸せ」のデータ
・二人世帯の満足度は最低
・おひとりさまは、寂しくも不安でもない
・「満足のいく老後」の3条件

第2章 死へのタブーがなくなった
・「多死社会」がやってきた
・死の臨床像が変わった
・「最後は病院で」から「最後は自宅で」へ
・年寄の溶体が急変したら119番すべきか
・子どもには背負える程度の負担を

第3章 施設はもういらない
・私が施設に行きたくない理由
・サービス付き高齢者住宅ならよいか
・日本を「収容所列島」にすべきか?
・看取りのコストは「病院」>「施設」>「在宅」

第4章 「孤独死」なんて怖くない
・「孤独死して発見される」のが怖い人へ
・「孤独死」の定義とは
・見守りと監視のあいだ
・死ぬのに「立ち会い人」は必要か?
・看取り立ち会いコンプレックス
・「在宅ひとり死」を広めたい

以降は少し一般的なお話になっています。
第5章 認知症になったら
  省略
第6章 認知症になってよい社会へ
  省略
第7章 死の自己決定は可能か?
  省略
第8章 介護保険が危ない
  省略

ほんの少し、本文内を紹介します。
「老後はおひとりさまが一番幸せ」のデータとは
この本の中で、幸福度を生活満足度と云う言葉、指標に置き換えています。
これまで、一人暮らし、独身者は「かわいそう」「惨め」という枕詞がつきまとってきました。
そこで、上野千鶴子さんは、これからどんどんと増えていく「単身高齢者」を「おひとりさま」と呼び替えて、胸を張って自称することにしました。

世の中には「幸福度」という指標がありますが、「生活満足度」に云う指標に置き換えてみます。調査では同居者一人の場合、二人の場合、三人、四人と区別して調べると、同居者が増えるに連れ、生活満足度は下降し、単身世帯が一番高いとの結果がでました。
そして、二人世帯の満足度は最低でした。
原因はずばり「二人暮らしは妻の一人負け」

調査のあるある事例
「夫はずっとTVとバソコン、話しかけても返事はしない、その上細かいことまで口出しする」
「全くひとの話を聞かない、自分思い通りしか行動しない、反論すると大声をだす」
「夫は退職してから、何処にいくにも付いてくる、うっとおしい」
「夫は家族の病気には関心を示さないが、自分の検診数値には大騒ぎする」
「退職してから家事はいっさいやらず、夫の存在自体に腹がたち、気分が滅入る」

ふたりの老後「これで幸せ」の秘訣七か条
1,それぞれお互いに納得している。
2,しっかり分業出来ている。
3,別々の価値観でも構わない。
4,目の前の不満は些細なことと割り切る。
5,二人のときからひとりの時を想定する。
6,時間的、空間的に距離をあける。
7,自ら自分の世界に入り込む。

手前味噌ですか、私達夫婦は上記七か条を意識せずに、これまで43年間やってきており、現在も「相互不可侵条約」締結中です。
このような、夫婦関係は特に退職後の夫婦のあり方として必要と、三才上の友人に云ったところ、何のため夫婦なんだ・・と云われました。
子どものいない私達夫婦は特に反論もしない、出来ませんが、夫婦・つがいというの大きな役目は子どもを産み、育て、社会に送り出すのが一番大きな「人」として役目であると考えています。
理由は特にこのブロ書きませんが、私達の間に子が成さないと解ってから、私達の早期退職・海外ミドルステイ志向が始まったのです。
これらはDATAではっきり出ています。
複数世帯よりも単独世帯の方が満足度が高いというDATA





人によっては独り者による「勝手な、強がりのデータ」だけを集めた、負け犬の遠吠えと思われるかもしれませんが・・・

満足のいく老後の3条件
おひとり様の上野千鶴子さんが満足のいく老後の姿を追いかけてたどり着いたのは結論は、なんと独居に行き着いのです。
老後の生活満足度を決定づけるものは、慣れ親しんだ土地における、真に信頼の置ける友(親戚)と勝手きままな生活だと。
1,慣れ親しんだ家から離れない
2,金持ちより人持ち
3,他人に遠慮しないですむ、自律した暮らし


私達夫婦もこれを読んで、その通りと云ってますが、カミサンは余計な一言を言い放ちました。
私は貴方の在宅介護はしませんからね。
さっさと介護施設なり病院に入ってもらいますから。


そっか、カミサンは、私が逝ったあとの「在宅ひとり死」を考えて、この本を買ってきたんだ。

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posted by 西沢 at 07:40| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2021年10月18日

富士山路線バスの旅二日目 朝霧高原・白糸の滝・世界遺産センター

富士西側山麓を下って富士宮へ

私達、湘南或いは東京に住む人々が見る富士山は、主に東側からあるいは、東南がわからみる姿です。
今回は、初めて富士山の西側山麓をながめながら半日かけて下っていきます。
朝から天気予報通り良いお天気で、ホテルロビー正面にきれいな富士山が見えます
ここから見る富士山は、ほぼ真北から見てる富士山です。
普段湘南から見慣れている富士山山頂と違い、少しシェープがいくらか尖ってみえます。




ここから路線バスは、鳴沢氷穴、精進湖、上九一色村、本栖湖と富士山の西側を下った行き、最初に下車するのは朝霧高原道の駅です。

ふもとっぱキャンプ場

このブログの「富士山ぐるっと バスと電車の旅一日目」の冒頭でも書きましたように、今回の旅のきっかけとなったのは「NHK72時間 ふもとっぱらキャンプ場」を見てからです。私達見慣れている富士山はどちらかと見上げている富士山なのに、この番組でみる富士山は、目の高さにあるのです。
そして前面は、広々とした緑のキャンプ場と色とりどり、カラフルなテントが続いててる風景、ぜひ一度見てみたいと計画をはじめたのが、今回の旅のきっかけでした。
では、車を持たない、免許を更新しなかったシニア夫婦はどうやってここにたどり着けるのか?
ネット時代・・・ちゃんと私同じような人間がいて、書いていました。
それが今回、乗ったバス路線です。
富士急富士山駅始発⇒河口湖駅⇒JR身延線富士宮駅⇒新幹線新富士駅への普通路線バス 一日3便、往復6便でています。
通しの料金は2,250円です。

当初行きたかったふもとっぱキャンプ場へのバス停は、私達が降りた「朝霧高原道の駅」から2つ先の「朝霧グリーンパーク」で下車して東大農場方面へ約2.2km徒歩25分です。
でも、一日片道3便・往復6便ですから、上手に組まないと、帰りのバスまで5時間待つことにもなります。
当初、カミサンに地図で説明し、片道30分歩き、「ふもとっぱら」滞在45分、帰りも30分歩きバス停で15分待つと伝えました。
カミサンの答えは、「歩くのは問題ない、でも寒かったり、風が強かったり、雨だったら、手前の道の駅にしよう、だって綺麗な富士山を撮るのが目的なんでしょ。」と。

朝霧高原道の駅・あさぎりフードパーク

そして、本番当日、バスは快適に国道139号線を南下していきます。
全くなにもない、緑の林を抜けると、一面すすきが広がる高原の一本道です、もちろんお店も日陰もありません。
河口湖駅を出で1時間、バスは朝霧高原道の駅に到着、この暑さを予測していませんでした。このなにもない道から野原を30分歩くの・・・
水は持っていても・・・
トイレが近いいし・・
カミサンは不機嫌・・・急遽この道の駅で下車しました。
この道の駅は大きく、お隣には富士山の"味のさんぽ道"「あさぎりフードパーク」も併設されているのです。
予め、お天気が悪るかったりした時に備えて、調べてはおきました。

カミサンのワンダーランド

お買物大好き、お土産物やりとり、プレゼントをもらうのも差し上げるのも大好きのカミサンには、何時間でもいられる場所です。
ここでは、次の目的地、白糸の滝へ行くバスは2時間後です。
私達夫婦の旅先でのパターン、1時間自由行動、私は映像の撮影、カミサンはお買い物巡りの一時間です。
後の1時間はブッフェレストランでゆっくりと食事、時間つぶしです。

ランチブッフェの専門レストランの他に1,850円のブッフェレストランがあることは予め調べてありました。
今回の一泊二日の旅行、ホテルの食事をつけてなく、昨日の昼間は吉田うどん、今朝は河口湖駅で慌ただしくコーヒーとバナナという食生活、今日の夜は「富士宮ヤキソバ」の確率が高いので、お昼ぐらいしっかり食べよう、それに1,850円でゆっくり座って、デザート・コーヒーまで
いられるのだから・・・と思ったのですが。
客はガラガラ、私達夫婦の他一組しかいません。これではブッフェはやってないのではないか、心配になり一応入り口でやっているか聞いた後、お料理の内容を見せていただけますか?とカミサンの定番の質問です。
私達夫婦は日本ではもちろん、海外のブッフェでも必ず同じ質問をします。
値段が極端に安いブッフェは要注意です。炭水化物だらけ、カレー・ヤキソバ・スパゲッテイと揚げ物だらけ。
もう若くない私達です。特に海外では注文にも困る時があるので、ブッフェは楽なのですが、最近の中国系旅行者の多い街のブッフェは要注意です。
まであまあの内容でゆったりと過ごし、2時間後のバスに乗車して次の白糸の滝を目指します。

白糸の滝へ

私、自称「滝マニア」です。
もちろん、世界各地の名瀑は回ってきており、南米イグアスは3回行ってますし、ギアナ高地のエンジェル・フォール、もちろん北米のナイヤガラとか、インドシナ半島の各地の名瀑、日本の名瀑も行った先に滝があると知ればどんな小さな滝でも、時間が許す限り見にいっております。


今回の旅の初日、「田原ノ滝」についで「白糸の滝入り口」をこのバスが通るのを知り三回目の「白糸の滝」です。
初回は学生時代、夏休みに一人富士山登山に来た時。54年前、半世紀か!
二回目は、退職して鎌倉の写真クラブに入ってすぐの撮影会でした。
そして今回の三回目、あまりにも周りが綺麗に整備されているのにびっくりしました。
白糸の滝は昭和の昔の典型的な観光地のように、滝まで道にはいろいろなお土産物屋さん、食事処が並び、声をかけてきて、帰りにはちゃんと顔を覚え得ていてお店のなかにで冷たいお茶の接待などと、待ち構えいるのが、アジア的なのです。
しかし、そんなお店は少しはありますが、今や入り口周辺は小綺麗な統一されたデザインのお店が、こざっぱりと並ぶ観光地となっていました。

今回初めて知った白糸の滝の秘密
滝とは上流からの河の流れが、大きな断崖・絶壁をながれ落ちるもの思っていましたが、白糸の滝は違うのです。
川ではなく、富士の伏流水が断崖の岩の間から大量に染み出ているのです。知らなかった。

終着点 富士宮・富士山世界遺産センターへ

白糸の滝から今度は、市内を走る路線バスで帰路の最終駅JR富士宮を目指します。
まずは、富士宮駅にて、帰路の時刻表を確認後、今回の富士山と並ぶフォトジェニックな対象物、世界遺産センターへ徒歩8分です。
何と素晴らしい、富士山世界遺産センターとして似つかわしい素晴らしいデザイン・フォルムの建物なのでしょ。
そもそも、富士山の世界遺産登録は自然遺産ではなく文化遺産なのです。
世界中の火山国を旅していますと、富士山のような円錐形の単独峰は各地にあるのを知っていましたので、自然遺産は難しいのでは思っていました。世界遺産登録は意外と難しいのです。
鎌倉の場合、文化遺産としてテーマは「日本発の武家文化」だったのですが、それを証明する、現存する遺跡・建築物が残っていないのがて致命的な問題で落選でした。
ここの施設は静岡県の富士山世界遺産センターで、富士吉田には忍野八海近くに山梨県世界遺産センターがそろそろオープンの予定です。
特に、これといって見るようなものはありません。が70歳以上入場料300円が無料なのではいりました。
時刻は3を過ぎていて、朝あれほど綺麗に見えていた富士山の全景は、富士宮では雲に覆われてみえませんでした。

帰路と旅の決算

富士宮15:26⇒富士乗換⇒熱海乗換⇒大船着17:49  1,980円
自宅には6時、結構つかれました。
今日一日で24,000歩あるいたのですから。そろそろ齢を感じるようです。

二人一泊二日の費用
交通費合計  17,000円  
食事 2日分  8,000円
宿泊     16,000円
喫茶・お土産  4,000円  総合計 45,000円+予備費5,000円

旅の二日目の動画



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2021年10月16日

BSテレ東 マネーの学び 老後資金2000万が55万に?

衆議院選・投票者の関心は「コロナ」と「所得の再分配

衆議院選が始まり、投票者の関心は「コロナ」と「所得の再分配」に絞られようとしてると全国紙は一面で報じています。
いっぽう、昨日の夜、BSテレ東、夜の10時の番組ですから視聴者は極端に少ないと思いますが、事前のテレビCMと地上波の予告宣伝で
「老後2,000万円問題が55万円に」
と謳っているのを見て、何んなのその金額は、2,000万円でも足りないと思っている現役・シニア年金生活者の私達が思っているのに、55万円とは何なんだ、と眠い目をこすりながら、見ました。

老後2,000万円問題とは

2019年6月に、金融庁の金融審議会「市場ワーキング・グループ」の報告書によって、「老後の30年間で約2,000万円が不足する」と発表されたことが話題になった問題のことです。
試算によると
夫が65歳以上、妻が60歳の夫婦のみの無職世帯をモデルにして、夫が95歳、妻が90歳になるまでの30年間は夫婦とも健康である。という条件下での試算したものです。

「家計調査(家計収支編)平成29年(2017年)」における高齢無職世帯(夫65歳以上、妻60歳以上)の平均的な実収入209,198円に対して、消費支出と非消費支出(税金や社会保険料など 世帯 の自由にならない支出)の合計が235,477円+28,240円=263,717円で、毎月約5万5,000円が赤字になり、ここに12月✕30年は約2,000万円ということになると発表し、財務大臣の麻生さんが渋い顔をしているのです。

何でこれが55万円で済むのか?

これは2017年の家計調査に基づく平均的な数値で計算されたものでが、今回は2020年の調査の数字で検証すると同じ条件の夫が65歳以上、妻が60歳の夫婦のみの無職世帯の実質的な実収入は伸び、支出は減っているとのデータを使って計算すると一月の赤字額は月に−1,600円弱
となり、12月✕30年で足りない額は550,000円と云う、数字のマジック、遊びになるというのが、今回のBSテレ東の番組内容でした。

2020年、収入が増えた理由は
年金だけが収入の高齢者シニア夫婦の収入が増えた理由は、コロナ特別給付金二人で20万円
2020年、支出が減った理由は
コロナ禍で、外出、旅行、外食が減ったからです。
老後2,000万円問題は何も変わっていないどころか、コロナ禍の後先ない財政出動で将来の年金額減額や円そのもの価値下落、インフレ要素の増大で、却って不安は増しています。

高齢世帯はどうやって不足額を埋めている?
金融庁の金融審議会「市場ワーキング・グループ」の報告書によれば、高齢夫婦無職世帯の平均貯蓄額は2,500万円となっています。
また、会社を退職した際に受け取れる退職給付額を平均すると1,700万円~2,000万円になります。老後2,000万円不足というのは、あくまでも2019年時点での試算不足額は2,000万円からさらに大きくなる可能性があります。

理由1 平均寿命・余命は今後も延びると推測される
理由2 現在の日本社会・企業の退職期は減少傾向にあり、実際に退職金制度を無くし、
    現役給与として加算する企業が増えている。
結論、2021年以降に退職する世帯では2,000万円では足りなくなる。
理由1 退職しても生活費は半分にならない
理由2 企業年金は減少していく
理由3 公的年金はこれ以上は絶対に増額しない
理由4 長生きリスク
理由5 医療費・介護費の増加

どうやって老後資金を作るか BSテレ東「マネーの学び」の答えは

・若いときから、収支のバランスを把握する
・家計簿をつける習慣を身につける。
・退職前世代で家計簿つけていないのは50代。
・デジタル時代、支出をカード等で、自動的に記録出来る家計簿アプリを活用する。
・余ったお金を貯蓄するのではなく、最初から一定金額を貯蓄し、余った額で生活する習慣
 を身につける
・10年先、20年先、退職後の生き方、ライフスタイルをイメージする。
  まあ、番組内容は予想はしていましたが、テレビではこんなもんでしよう。

翌朝の新聞紙面は選挙前 タイトルは「4年の変化と願い」
朝日新聞社会面引用
衆議院が14日解散され、事実上、選挙戦が始まった。
前回選挙から4年、この間社会はどう変化し、暮らしにどんな影響を与えたのか。
コロナ下の選挙で、何が問われるのか?
四年前と直近の数字の変化を辿ってみる。
参考引用 
4年前 65歳以上の就業者数は807万人。 今年、2020年は906万人と百万人増えている。

71歳、生活費のための清掃員
東京都北区の男性(71)は、65歳から6年間、公園の清掃員として働く、週に3日、朝9時前から一日5時間、日給6,000円ほど「老後は悠々自適、妻と海外旅行でもと思っていた、とんでもない、働かないと生活費が足りない」
30年以上勤めた食器の輸入販売会社を60歳定年退職、63歳まで再雇用で働いた。
その後夫婦合わせて月20万円ほどの年金で暮らしていたが、介護保険や区民税などの負担も重く、老後資金として残していた、約1,000万円の貯金の取り崩しが続き、再び働き始めた。
自宅マンションのローンは完済しているが、修繕積立や管理費で月3万円は消えていく。
「貯金を増やすのは無理、何時まで蓄えが持つか不安だ」


ここで思い出すのは、同じ団塊世代の菅さんが首相就任で語った言葉「自助・共助・公助」です。
50年代の子どもの頃から、競争の世代として育った私達は、「社会のあり方や人の生き方として、どうあるべきか」という、少し大上段に振りかぶったところからの考えるのは当たり前、

簡単に自己責任とは云いませんが先ずは、人は生きていくうえにおいて、自分が働いて稼ぐことが第一であるのはごく当たりだと社会から教えられて育ちました。

今のように、社会保険の保険という言葉、自動車保険、生命保険と同じで、自分たちの掛け金で成り立っている互助制度なんどから、助けてもらうのは、権利であるとは、なかなか割り切れません。
この朝日新聞にとりあげられた方のケースは全く普通のケースです。
現在の夫の厚生年金、妻の国民年金の世代の月平均合算公的年金額は約20万は、全国データのセンター値です。この金額、月20万で何の不満があるの?と思われる若い世代・ひとり親世帯は山ほどいるでしよう。

そうなんです、月20万で食っていけます、死にやしません、月に一度、回転寿司の外食も出来ますし、月一、映画にもいけますし、日帰り旅行もできます。
下を見れば、本当に毎日の食事に困っている人、アパート代、学費に困っている人はゴマンといるのでしょう。

「この先、何時まで保つか不安だ」は分かります。
これより先は、本当の意味で云う「共助」「公助」でしょう。
一つ、云うとすれば、この方は、定年退職後の生き方、暮らし方、お金の出費先など、詳しくご夫妻で話し合ってきたことはあるのでしょうか?
平均的な公的年金二人で月20万円、自治体によっては違うかも知れませんが、住民税非課税になるギリギリの微妙な金額なのです。
住民税非課税ですと、介護保険にも国民健康保険にもすべ影響します、高額医療費の限度額もガタと下がります。
退職前から、この壁の金額を把握し、自身の年金額を推定し、退職年月を決めるのは、自助なんであり、その先を「共助」「公助」に頼っても何ら問題なく、
国民の権利ととらえましょう。ここまで自分でやってきたと自負があれば、私だって「公助」を頼りします。

でも、古い昭和の考え方かも知れませんが・・・・
「共助」「公助」の前提として先ずは「自助」先にあるのが当たり前の民主国家、日本だと思いたいのですが、団塊世代は古いのかな?

さてさて、もしも、今回の選挙で与野党逆転、立憲民主が過半数をとったら私達、団塊・年金シニアの老後はどうなるでしょう。
ちょっと怖いもの見たさもありますが・・・

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2021年10月14日

映画「ONODA1万の夜を越えて」と団塊世代との意外な繋がり

「ONODA1万の夜を越えて」

私は、映画好きで月に一度は、メディアで取り上げられような映画を見に行くのが楽しみです。

最近のコロナ禍で外出で少なくなり、まして、「72歳リーダー、決定権引退」を唱えて実践しているので、ますます暇になり、月一回ではなく、残り少ない人生(平均余命まで後8年)を思うと、見たい映画、行きたい場所は、時間もお金も惜しまずに行こうと思うようになりました。


先月の「MINAMATA」に続き、世界の音楽祭に出品されている日本映画、或いは日本を舞台として映画は見ることにしています。
今回の「ONODA1万の夜を越えて」は、カンヌ国際映画祭2021の「ある視点」部門のオープニング上映作品です。
受賞は逃しましたが、オープニング上映という、かなり話題を集めそうな、ユニークな作品であることは間違い有りません。
メディアで紹介され、私は直ぐに上映館を検索しました。
このようなカンヌ出品作品はなかなか、大手映画配給ルートに乗らず、都市部の大手シネコン上映されないことは分かつていました。
「MINAMATA」は特別でした。ハリウッド資本系列で、主演・監督がネームバリュウのあるジョニー・ディプなので、私の行きつけの大手シネコン、109シネマ
でやっていましたが、この「ONODA1万の夜を越えて」は、独立系制作会社や社会性のあるフィルムを率先して上映するミニシアター系、名画座系で上映されます。

私の自宅周辺でヒットした上映館、神奈川県では

TOHOシネマズ川崎、小田原、鴨居と、Kinocinema 横浜みなとみらいの4館のみです。
自宅から一番近いのは「Kinocinema 横浜みなとみらい」過去に何回も足を運んで、距離感もあります。
この館でみたのは「エルネスト もうひとりのゲバラ」です。
オダギリジョー主演のボリビアの日系青年がキューバ医学校で知り合った、キューバ革命の英雄、アルゼンチン人のゲバラと共に、ボリビアの革命に携わるお話・・・でした。
この時の上映館は、神奈川県ではここ、Kinocinema 横浜みなとみらいだけでした。

Kinocinemaとは

Kinocinemaは「Tutaya(蔦屋書店)が運営する、良質な映画、マイナーな、社会派映画、少数派映画を上映する、名画座系のミニシアターで、100席ほどのシアターが2つ、55席のシアターが1つのミニシネコンです。

一階は書店と喫茶が一緒になった今最先端のモダンな書店様式で、コーヒー・ケイキと一緒に購入した本をその場で読めるます、ちょっと聞いてみたいのはこの喫茶の場で、試し読みが出来るか、どうか、次に行った時に聞いてみようと思ってます。
最寄り駅は、JR横浜駅と元町・中華街を結ぶみなとみらい線のみなとみらい線ですが、初めての方は、横浜みなとみらい地区ってどんな所か、歩いていくことをお勧めてします。
桜木町から、ランドマーク内を通って横浜美術館方面へとあるくこと、10~12.3分です。


みなとみらい地区とは

ここは、一種の青春時代の思い出の地です。
1968年、ここ横浜から船でブエノスアイレスに向かいました。出発前に色々な手続きがあり、頻繁に桜木町駅にきています。
この当時、桜木町駅から旧三菱重工横浜造船所の広大なドックが広がっていたのを覚えています。
この跡地に1989年、バブル真っ盛りの頃、横浜市制100周年・横浜港開港130周年を記念して開催された万国博覧会が開催されました。
私は、この万博パビリオン建設の幾つかを担当していました。
私は40歳、なにも交通手段のない現場、横浜駅から毎日、歩いて道路もない広大な現場を駆けずり回っていました。
そして、同じように数年後、まだレインボーブリッジが開通する前の、お台場開発、それに伴う「ゆりかもめライン」全駅の無人化に伴うシステム造りに携わり、アクセス道路も泥だらけの現場を駆けずり回っていました。
ちょうど、「オウム」の地下鉄サリン事件に出くわした頃1995年・・・
ここ、みなとみらい地区にきて、立ち並ぶ大型ビルを見上げると、あの若さゆえに働きづめていた青春・壮年時代を思い出します。

映画「ONODA1万の夜を越えて」お話は

太平洋戦争終結後も任務解除の命令を受けられず、フィリピン・ルバング島で孤独な日々を過ごし、約30年後の1974年に51歳で日本に帰還した小野田寛郎旧陸軍少尉の物語を、フランスの新鋭アルチュール・アラリ監督が映画化。

終戦間近の1944年、陸軍中野学校二俣分校で秘密戦の特殊訓練を受けていた小野田寛郎は、劣勢のフィリピン・ルバング島で援軍部隊が戻るまでゲリラ戦を指揮するよう命じられる。出発前、教官からは「君たちには、死ぬ権利はない」と言い渡され、玉砕の許されない小野田たちは、何が起きても必ず生き延びなくてはならなかった。
ルバング島の過酷なジャングルの中で食糧も不足し、仲間たちは飢えや病気で次々と倒れていく。それでも小野田は、いつか必ず救援がくると信じて仲間を鼓舞し続けるが……

団塊世代の私達なら誰でもが知っているお話の映画です。

その二年前1972年に、グアム島でひとりの元日本兵(横井庄一さん)が発見されて、話題になりました。
私が南米から一時帰国したのは1975年ですから、この二人の元日本兵のニュースはブエノス・アイレスで知り、かなりセンセーショナルな、そして日本人の潜在的な戦士としての意識・考え方・生き方として報道されていました。
詳しい、潜伏生活、理由については日本に帰ってきてからのメディア報道で知りましたが、今回の映画でかなり深く知ることができました。

先ずグアム島の横井さん

私のカミサンが勤めていた当時の医療機関の院長は、元軍医で終戦当時グアム島にいた関係で、終戦後グアム戦友会の会長をしており、横井さん発見ニュースの後、戦友会を代表して直ぐにグアムに迎えに行ったそうで、何年か後に、お話を聞く機会がありました。

その時の元軍医の会長のお話は、ルパング島の小野田さんとの違いについて、かなり辛辣な意見を述べており、少し違和感・抵抗感を感じましたが、今回の映画「ONODA1万の夜を越えて」を見て、当時の将校クラスと一般兵との間にある、軍の組織の壁を感じました。

帰国した、ルパングの小野田さんに、グアムの横井さんとの対談のお話があった時に、小野田さんは拒否したと、後年伝えられいています。
自ら意思で残ったものと、恐怖と無知で隠れ続けたものと違い、全ての武器、天皇陛下からの預かりものを失い、銃剣を穴掘りの道具として使った者との会話を拒んだのではないかと、メディアから推測されたようです。
映画「ONODA1万の夜を越えて」のなかでは、食料は現地調達(現地住民からの略奪・・・)、発見された当時はかなりの銃弾を残していたようです。
そして小野田さんは、「発見された」のでもなく、自らの意思でもなく、投降でもなく、命令によって人々の前に姿を現した・・・

もうひとりの主人公、鈴木紀夫は団塊世代だった

この映画のオープニングはある日本青年(鈴木紀夫)のルパング島へ登場から始まります。
鈴木紀夫氏 1949年(昭和24年)4月 私達と同じ、団塊世代 法政大学経済学部二部中退
菅元総理と同じ時期です。総理は第一部法学部政治学科を1973年3月卒業です。
以下Wikipedia

1969年3月(21歳)
主にヒッチハイクでアジア各国を巡ったのち、中近東・ヨーロッパ・アフリカ大陸に至るバックパッカーの旅に出る。

1974年2月
小野田との接触に成功。
ルバング島には、日本語が話せる原住民が多く、日本語が話せるだけでは日本人と判断されなかったため、初対面の際には、小野田に銃を向けられて発砲される寸前だったが、毛の靴下にサンダル履きという原住民にはない珍妙なスタイルであったため、事なきを得る。
別れ際に小野田の顔写真をカメラに撮影、この接触により小野田の救出が現実味を帯び、3月に小野田は日本に帰国。
かつて「パンダ・小野田さん・雪男に会うのが夢だ」と語っており、最後に残った「雪男発見」に情熱を注ぐ
1975年7月
ヒマラヤ・ダウラギリ群の南東稜コーナボン側斜面の4200m付近に「5頭の類人物を望遠観察した」と主張。
1978年
結婚。喫茶店を夫婦で営んでいた。
1986年11月
ヒマラヤ・ダウラギリIV峰ベースキャンプ附近で遭難。
1987年10月7日
遺体発見。享年37。 


今回の映画を見てから彼の人生を初めて知りました。
同じ、団塊世代、21歳からのバツクパッカー人生、1978年結婚・・・全く私と同じ軌道を歩んで来ている、そして1986年、ヒマラヤで遭難、亡くなっている。
同じ年、私とカミサンは、新居ローン返済を記念してアジアへの旅にでていた。
そし帰路、そのヒマラヤ・ダウラギリ・K2をイスラマバード発の格安パキスタン航空の車窓から見ていた・・・

映画を見終わって外にでると、そこは、映画の世界と違った超近代的な町並み・・・
いつも見ている、辻堂の109シネマ湘南でも同じです。シアターを出ると、そこは巨大ショッピングモール、歩いているのはセンスの良い服をまとった湘南の若い、湘南の女性、家族連れ・・・しばらくは、映画の世界とのギャップに佇む自分がいます。
みなとみらい地区から桜木町へと歩いていくと、今年新たに開通した、「YOKOHAMA AIR CABIN」の姿が見えました。

YOKOHAMA AIR CABIN




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2021年10月12日

天声人語の筆者と、災害時の帰宅手段・方法

朝日新聞の天声人語書き写しノートというのがあります。

朝日新聞の一面下のコラムを専用の書き写し用、原稿用紙マス目のノートです。
数年前まで、我が家ではカミサンが午前中の一時間、このノートに書き写しをしていましたが、女性だけのスポーツクラブに目覚めて午前中に出掛ける習慣になり、天声人語の書き写しをやめて、ノートが余るようになり、私が代わって、朝のルーティンとして書き写すようになりました。
大きな理由が、キーボートで打てても、漢字が書けなくなっているのを、しみじみ実感しているからです。
難しい漢字ではなくても、画数の多い漢字は拡大鏡を使って大きく拡大しないと分からないし、書けないのは、お歳のせいなのでしょうが・・・

我が家が「朝日新聞」なのには訳があります。
私の育ったは信州、子供の頃父親が結核で郊外の隔離療養所に6年間も入っていた為、我が家は貧困家庭で、男兄弟三人で新聞配達をして、少しでも家計を支えていました。
その新聞社は地元で最大部数を誇る、そして格調が高いと有名な「信濃毎日新聞」でした。
当然我が家でとっている新聞もこの「信毎」かと思いきや、東京で印刷し信州までトラック配達する「朝日新聞」でした。
私達三人が働く「信濃毎日新聞」の直売所は当然のごとく、我が家の母親に「信毎」をとるようにお願いにくるのですが、母親は拒否します。
その理由は・・・数年前の信州の県立高校の入試問題の国語で、朝日新聞の天声人語が使われいたことからです。
貧乏な家庭ながら、姉は小・中と学年一番の優秀な生徒、当時、信州NO,1県立女子校を目指していたのです。
「信毎」の販売員のおじさんも今から思うと偉い人でした。
男の子三人も新聞配達で家計を助けている貧困家庭でも、子どもの教育環境を第一に考え、地元紙よりも高く、前日のプロ野球ナイターの結果も朝刊に掲載されていない、東京の新聞を購読する母親の気持ちを察してくれたのでしょう。

さて、この天声人語の筆者ですが・・・・

毎日のコラムですから一人だけではないとおもうのですが・・
10月10日のコラムで神奈川県在住と述べていました。
これは随分前から、この筆者は神奈川県であること、住まいは私の家の近くであろうと推測していました。
筆者がときおり書く、季節の花々に関する記述でご自宅近くの近所の公園や、駅前の描写が出てきます。
春のサクラの季節、地元植物園で開発された、染井吉野系早咲きサクラとなれば、地元である私には分かりますし、筆者の描写からお住まいになっているであろう、マンションまで推察されるので、親近感を抱いていました。

災害時の帰宅方法について
本日のブログのテーマは、天声人語の筆者の詮索ではありません。災害時の帰宅方法についてです。
10月7日の夜10時過ぎの首都圏震度5度の地震で、かなりの交通機関が停止し、駅に人が溢れたとの報道でした。
確かに、震度5と云うと東日本大震災レベルで、2011当時、鎌倉周辺の鉄道はすべて止まり、駅には観光客が溢れていました。
私も当時、市役所庁舎内で会議中でした。
直ぐに、古い安全確保出来ないようなボロ庁舎から離れ、市庁舎の庭は騒然としました。
私はの日の夕方から予定していました、NPOセンターの講座の中止に備えて、鎌倉から2つ先の大船まで歩いて行きました。
JRの踏切は遮断器が降りっぱなし、カンカン鳴っていて、道路は大渋滞でした。

10月10日の天声人語で筆者は書いていました。

地震で交通機関が麻痺しても、帰宅できるか、数年前、都心から神奈川県の自宅に向かってあるき始めたことがある。
道を間違えていないか、スマホの地図を何度も見る。疲れるとコンビニに入るという休み休みの道中である。
もっとも、電波もお店も震災時に何処まで頼れるか解らない。歩道だって人が殺到すれば渋滞になるに違いない、容易ではないと思いつつ、足を引きずりながら8時間近くの行程を終えた。
~省略~



この文章を読んで、あれ天声人語筆者は、おりおりの花の観察の文章から、私と同じ地域に済んでいると推測していたのに、8時間で都心から歩いて帰宅している・・・どう考えても私の住む東京駅から自宅まで50数キロはあるのに・・・神奈川県在住と書かれているけど、私が想像していた場所・地域とは違うようです。

私の住む場所は震災時東京都心(東京駅)から、何キロあるのか



一番わかり易いのはルートは正月の箱根駅伝ルートを調べれば、公式的な距離が分かります。
第1区 大手町(東京駅)から鶴見中継所 21.3km
第2区 鶴見中継所から戸塚中継所 23.1km
次に距離測定アプリで自宅からお隣の駅近くの戸塚中継所の距離を測ると、7.5km
合計51.9km 誤差を入れると52Kmとなります。

普段の歩くスピードぬ1km/15分とすると780分=13時間です。
天声人語の筆者の8時間と大きく違っており、この筆者は私がイメージしていた人はどうやら違う人のようでした。
参考 距離測定アプリは
地図蔵 ≫ 距離を測定する地図 

実際に52kmを歩けるか
現役を退いて18年、ずっと暇を持て余して、自宅いる生活が中心の私が東京都心に出向いている時に、大震災、或いは交通障害で帰宅困難者になる可能性は1%もなでしょう。・・・
がしかし可能性はゼロではありません。
現役時代、春先になると昔は頻繁に公共交通機関のストライキがあった時期がありました。
そんな時は最初から解っていましたので、会社や現場事務所に泊まることはしょっちゅうでした。
仕事がら、本社工事部、設計部にはちゃんとした仮眠所もありましたし、大型現場の場合、最初から深夜残業用という名目で畳の部屋を造り、普段は昼寝用に使っていました。
仮に、もし万が一、今の年齢で大災害で帰宅困難者になった時どうするか?
まずは横なれるホテルをさがすでしょうが先ず無理です。
今考えているプランは・・・・
東京都心から我が家までのルート上には、現役時代に竣工に携わったビルが沢山あります。
私が関わった仕事は、ビル全体の中央監視設備なので、一般の建設業者と違って、竣工後何かとお付き合いがあり、実際に管理・メンテナンスとして常駐しているビルが沢山あります。
こんな大災害の時期でも、元の会社名とそのビルの管理会社名を出せば30%ぐらい、或いははもっと確率は高いでしょうが、ヘルプしてくれるのではないかと、漠然と考えています。
そんな訳で、超大型ビルや公共物件はのぞいて、自分が関わった、そして現在でも元会社がメンテ・管理に入っている、比較的小型・中型ビルの情報をPC内に万が一に備えて記録しようと考えています。

そんな話をカミサンにしたら、「帰ってこなくていいから、連絡だけで十分」だそうです。


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