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2021年09月30日

また新たなビデオカメラを買ってしまった、これで何台めか

そろそろカメラの買い替え時かな 5年目になるし

9月も最終週、コロナも少しつづ落ち着いて来て、そろそろ近場に出かけてもいいかな、お天気も秋の気配で落ち着いて来そうだし・・・と思い、最近気になっていた常用のビデオカメラ、パナソニックのハンデイビデオカメラV-360MSの雑音が気になりだしました。

2017年から使っていて、一般的な旅行の撮影・記録なら画質も問題なく、何よりも小さく、軽いのが気に入っていました、が、いざ編集の段になると、小さな音声ノイズが気になります。
使いはじめの頃は問題なかったのですが、ここ一年編集の際の音声波形に、頻繁に尖った、大きな波形が目立ちます。再生するとかすかにパチ・パチと云う音が聞き取れます。おそらくマイクに何かしら問題があるようです。
編集の最後の段階でこの突起した波形のみをパソコン上でレベル調整をしているので、問題ないのですが・・・余計な作業であることは間違いありません。

メーカーは新たなファミリータイプビデオを発売していない
購入したカメラは必ず、テプラでカメラ背面に貼り付けてあるので、見ると2017/1/6とあります。このカメラ使いだして、今年、9月で4年8ケ月使っていることになります。
そろそろ買い替えてもいいのかな。
そこで、ネットで同程度のレベル、画質、大きさ、重さ、そして何よりも重要な値段を見ていくとびっくりです。
このような用途、家庭用、ファミリー用、軽量、安価なカメラは2017年近辺より、メーカーは新規機種を発売していないのです。
発売しているの、もっと高級機種、4K対応機種に絞っており、フルハイビジョンHD規格のファミリー用、記録用のカメラは、パナとソニーのみです。
キャノンもビクターもこの分野から手を引いて新たなものは発売しておりませんでした。
理由は・・・
ハンディーな、記録、家庭用動画は今や、ビデオ専用機で撮る時代ではなく、スマホやコンパクトデジカメで撮る時代となっていて2017年あたりから、新規機種の発売をやめているのが現状なのです。
そんな時代がくるなんて・・・・
やはり、団塊シニアは時代から取り残されていくのでしょうか?

自分のビデオカメラの歴史を思い起こしています。

生まれて初めてビデオカメラを購入したのは、わりと新しく1988年でした。
それまでは、ビデオ・動画の世界は敷居が高く、まだ一眼レフフィルムカメラに惹かれていました。
ビデオカメラに興味をもったのは、エベレスト山頂でビクターの小型ハンディ、家庭用のS-VHSで撮影する様子のニュース映像です。
今まで、ビデオカメラと云うと肩に担ぐショルダー型の大きなカメラで、バッテリーは重く、大きく、記録素材も一般ビデオデッキで使う大きさだったものが、何と、エベレスト山頂で撮影されたのは、小型汎用のS-VHSカメラで、記録媒体もそれに合わせて小型化されていたのです。

これなら、自分でも旅先に持っていくことが出来る・・・
そしてこれを購入して、海外の旅に持参しました。
インド・トルコ・メキシコ・エジプト様々なまだバッテリー充電環境の悪い地域に行くために、何本も重い、大きな予備バッテリーをかかえ、ホテルに到着すると、直ぐに充電場所を探しあるいたのを覚えています。
この頃のバッテリーは、100%使い切りほぼ0の状態にしないと再充電出来ない、あるいは終わったと思っても実際に充電されていないケースが多発するバッテリーで大事なシーンの撮影が出来ないことが度々ありました。

1991年、ファインダーがカラー化した初めてのカメラ
これまでビデオカメラには、液晶画面はなく、全てファインダーを覗いて撮影するタイプです、もちろんこれが本道なのですが、ファインダーはモノクロでした。
キレイな花を撮影していても、葉っぱと花の区別が付かなかつたですが、1991年、パナソニックが初めて、家庭用ビデオカメラにカラーファインダーを採用しました。
このカメラを持って私達夫婦は、パタゴニアのモレーノ氷河へ飛びました。
青い湖に、白い氷河の先端が崩れ落ちて行く、有名な映像の場所です。
カラー化したおかげで、目を実際の風景と比べることなく、ファインダーを見続けて撮影することができました。
しかし、このカメラ一年も使わずにお蔵入りさせました。
まだこの頃のパナの家庭用カメラは、ソニーやキャノンに遅れをとっていて、ファインダのピントの遅さ、甘さはこの先使い続ける限度を越していたのです。

ここで思い出すのは、このパタゴニアの氷河撮影、クルーズで出会った、ヨーロッパの観光客の反応です。
1991年当時、南米最南端のパタゴニアは、日本よりのツァーは催行されておらず、南米好きの一部の日本人しか見かけない時代でした、同じくヨーロッパからの観光客もほとんとは、お金持ちのツァーのようで、アジア人は珍ししいようで、私の撮影しているビデオカメラをしげしげと
眺め、私が英語・スペイン語が分かると知ると、一斉にカメラの質問が飛んできました。
ファインダーがカラー化しているのを見せると、幾らだ、何処で売っている、矢継ぎ早の質問です。私は、これは日本国内で発売されたばかりだから、後半年もすれば、ヨーロッパ・北米で買えるようになるだろうと答えると、今、そのカメラを売ってくれ、幾らだ、トラベル小切手で良いのなら、今、この場で払う。幾らだね売ってくれの連発でした。

私達はこのパタゴニアの後、イグアスへ行く予定があり、どうしてもビデオカメラが必要だと云うと、ではお金と私のビデオカメラを付けるから売ってくれとまで言い出しますが、このカメラの取説や、カメラ本体のメニューは全て日本語だから、やめといたほうが良いよ、半年まてば貴方の街で買えるはずだからと、別れたことを思い出します。

S-VHSからHi-8 になり、そしてカセットデジタルへ

この後1990年代から、家庭用ビデオカメラはどんどんと進歩して、ビデオマニアから一般家庭に普及していくようになります。
子供の運動会、学芸会、誕生日の動画が普通に撮られる時代になり、アナログ記録がデジタル記録になると、パソコンの普及とともに編集も一気にノンリニア編集となっていきました。
ノンリニア編集とは
コンピュータを使用した非直線的(ノンリニア)な映像編集方式のこと。
従来の2台以上のデッキを使いテープからテープへ映像をコピーするリニア編集に比べ、編集箇所を自由に選択でき、映像データを即座に追加・削除・修正・並べ替えることができる利点がある。1990年代に登場し、PCと共に急速に普及した。
以前のリニアのやり方ですと、二台のでデッキを使い、先ずは映像だけは、コピーして貼り付けものを造り、次にタイトルライターで、文字入れ、画像、キャプションをつけ
て再びデッキで一本にし、最後にナレーション・BGMを入れて一本にすると云う膨大な作業が必要でした。
私も、いざ編集となると、自宅の部屋に閉じこも、二台のデッキと膨大なケーブルに囲まれて、何度も何度も2つのデッキの間を行き来し、最終的にはBGM・タイトル
入れとなると、最低3回映像を上書きすることになり、かなり画質はオリジナルのものよりも落ちてしまうのを経験をしてきました。

そして、まだユーチューブのない時代は長かったのです。
親しい旅仲間の友人に送るのに何本も何回も自室に籠もり、テープを作っていました。
あの頃のテープ(数十はあったでしょう)は、場所もとるので10年前に全て処分しました。
今思えば、全てデジタル化して残しておけばよかったと思っています。

時代はアクション、ウェラブル、三軸手ブレ補正、そしてドローンの時代へ

大型のショルダービデオカメラから超高画質4Kビデオカメラへ移り、汎用の家庭用カメラの新規発売が4年もない時代に一番売れているのが、スポーツ用のアクションカメラと云われているもの、体に身に着けて撮影するウェラブルカメラ、手に持って歩いて撮影してもブレが少ないGoproとか、オズモポケットが主流となっており、そして、昔は憧れだった空撮が出来るドローンカメラへと時代は移っています。
いずれ主要メーカーは中国です。
10年前なら誰でもが、絶對見向きもしなかった中国メーカーは、この電子機器の小型化、AI化を真っ先に商品化させ、全世界のビデオ機器を席巻中です。唯一日本のメーカーに残されているのは、放送用機器、プロの映画撮影分野だけでしょう。

今回買った、ソニーの「汎用、ファミリー・旅行用」ビデオカメラ

特に、今使っているパナのビデオカメラが悪い、飽きたわけではなく、唯一マイクのノイズがきになる程度です。
なんで新たに同じようなレベルのビデオカメラを買ったのか?
不遜な、嫌味ないい訳ですが・・・「小遣いが余っている、使いみちがない」のが一番大きな理由です。
昨年春からの新型コロナの影響で、毎月定額の小遣い30,000円が余るのです。
NPOセンターの仕事をやめて、人とのお付き合いがほぼなくなりました。
趣味のビデオクラブのお付き合い、外出テレ会議に代わりました。
旅行には、一人、日帰りで交通費程度になりました。
横浜歓楽街とのお付き合いもなくなりました。
タバコもコロナ重症化の恐れがあり止めています。
月に2回程度の映画館、ちょっと興味のある本代ぐらいしか、出費はないのです。
そしてまだ続いているwebサポート収入が月に1万程度あるのです。
二人の共有の会計に属さない、自分の小遣い口座残高は減らないのです。

新しいソニーのビデオカメラは、私の一ヶ月定額の小遣いよりも安いのです。
新しいカメラが手元に届けば、このカメラの機能習得の暇つぶしにはなる。
新しいメラのテスト撮影と称して出かけられる。
ソニーのファイル形式は、パナと違いmp4なので、この編集にトライする時間が生まれる。
少なくとも、一週間はこのカメラで遊べる・・・

カミサンに「明日、アマゾンから新しいカメラが届く」というと
「また、買ったの幾つもあるのに、幾らだったの」と聞きます。
「28,900円」と答えると
「あー、そんなものなの、じゃーいいわ」と云います。
別にカミサンの金で買う訳でもないのにさ、


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posted by 西沢 at 07:48| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2021年09月28日

定年退職後の住まい マンション大規模改修工事進行中

現役時代21年間住んだのは、駅前大規模マンション群

現在の住まいは、退職した年の翌年2004年の3月に入居し、今年で17年なります。

それまでの現役時代の住まいは、同じ横須賀線沿線の横浜市内の新駅駅前大規模開発の第一期のマンション群でした。
まったく何もない所に当時の政商とJRの手により新駅を造り、駅前の広大な土地は中堅ゼネコン会社一社の手により開発が行われた、昭和の時代末期、バブル前最後の大プロジェクトでした。

現役時代は毎日都心あるいは、都内の建設現場に早朝から通い、帰宅は最終便、深夜、タクシーは当たり前の時代でしたから、初めて購入する新居は立地が最優先でした。
駅から徒歩5分の駅に最も近い第一期マンション群を購入しました。
この駅前マンションで21年暮らしましたので、大規模修繕工事は2回経験しています。
管理組合理事会の役員は最初の10年目に経験し、10年毎の大規模修繕工事に少し関わりましたが、工事会社は、まだこの駅前開発をしている中堅ゼネコン会社の子会社で、見積もりも、施工内容も、検査も全て、お任せでした。

特に、私は日本の建設業界の中心に近い環境の場所で仕事していました関係で、このような民間、それも住宅設備に関しては素人も同様であり、そして考え方、姿勢は、どちらかと云うと施工者側に近い立ち位置でしたので、全て施工側、管理会社にお任せでした。

2004年、退職一年後、現在の住まいへ



現役時代は、家にいるより現場事務所いる時間のほうが圧倒的に長く、多いので、住まいは便利さが最優先でしたが、退職後は違います。
圧倒的に自宅で過ごす時間が多くなりますので、便利さ、快適さ、過ごしやすさ、自然環境、そして最後には必要となるであろう、医療機関を考え、現在の地にしました。
知り合いは、それだけの金額ならもっと湘南の海よりとか、鎌倉の古都の雰囲気がある場所とかあるのではと、云いましたが、私達はまだ50代半ば、まだまだ行動的で頻繁にたびに出るので成田空港・羽田空港への交通ルートとか、鎌倉らしくない庶民的な駅前商店街とか、デパートの便利さと日本有数の基幹病院の立地に惹かれて児童公園を正面にみる立地のこの小さな共同住宅のこの部屋を選びました。

2021年、入居17年目の大規模改修工事



51世帯、5階建ての小中規模共同住宅の工事は、以前住んでいた大規模マンション群とはだいぶ違っています。
先ず、一般的に10年ごとに行うとされている、共同住宅の修繕・補修工事ですが、10年毎というのは、建設業界が云っている希望であって建物の状況によって当然異なるのです。

この51戸の入居者の大半は30代から40代の若い世代、初めて住宅を購入する世代で、他の6戸は私達と同じような退職シニア或いは、ご近所にお住まいのお金持ちの別宅、あるいは子どもたち用として購入されていたようです。
9年目の管理組合理事会のメンバーは全て30~40代、商社・金融・建築設計に精通した若手が揃い、10年目の大規模修繕に先立ち、マスコミでも有名な建物の瑕疵の関しての専門家の手をいれて、先ずは、販売・引き渡し時の図面と現状の調査から入り、最終的には10年目の修繕工事ではなく、販売したデベロッパー負担による瑕疵補修・設計図と違う部分の補強工事となり、一番金のかかる足場は設置せずに、屋上からのゴンドラで行われました。

今回8月半ばから12月末まで三ヶ月半の大工事スタート



現役時代に住んでいた12階建のマンションの場合、当然足場が設置され、黒い寒冷紗、シートで覆われ、暗かったのを覚えていますが、今回の場合、時代が変わったのでしょうか、外からみるとかなり暗く覆われているのに、室内からみるとさほど気になる暗さではないのです。外側の公園の緑もごく普通に見えます。
しかし、今回の工事と前回経験した、駅前大規模マンションの現場の違いは、敷地の広さと道路なのです。
以前のマンション群は駅前といえ、開発計画の時点からの土地利用なので、駅前と云うのに敷地内は広く、緑の木々、植栽も多くあり、一般自動車がとおる道路側にレンガ敷きの歩道があり、ゆったりとしていましたが、現在の我が共同住宅の私の部屋のベランダ側は二車線の専用歩道のない、そして3~5分おきに路線バスが通る交通量の多い道路であり、建物の裏側は狭い土地を利用しての立体駐車場となっているのです。
現場事務所、作業員さんの更衣室・休憩所・工具置き場の設置も困難で、ゴミ置き場に仮設トイレと水道を置くのがせい一杯の環境です。
どうしても、足場工事や機材の搬入で、交通整理・監視ガードマンを3~4人置かなくてはならないようです。
作業環境的には、都心の大型ビル建設現場と違って、一般の方の普通に生活している環境に近い?或いは近接しているので、民間マンションの大規模修繕工事は
の監督、責任者は大変だな、つくづく思っております。

工事に取り掛かる前にベランダの整理

工事着工一ヶ月前に集会室で施工会社から工事内容の説明とお願いがありました。
一番懸念していたとおり、現在ベランダに置かれているものは、付属設置済みの物干しセット以外は全て、着工前に片付けて、撤去して下さいと云うお願いです。
これは、過去に2回マンション大規模修繕工事を経験していますので予測はしていました。
一般的な戸建ての家と違い、各戸のベランダ部分は共用部、外廊下と同じ区分、扱いなのです。
※我が共同住宅ではベランダは共用部にあたるので、喫煙は禁止されております。

画像に有りますように、私の部屋のベランダは入居直後、大工さんを入れてウッドデッキ調にしました。
現役時代と違って自宅にいる時間も長いし、横浜のマンションの場合、ベランダから景色は、駅前のマンション群でしたが、ここでは緑に囲まれた谷戸の公園が正面にあるのです。
しかし、作る際には将来、大規模修繕工事が入った時に、一時的にしろ撤去・搬出をしなくてはならないので、手で運べるだけの大きさに分割設置しておきました。

しかし、工事が終るまでその搬出したウッドデッキを仮置きする場所もなく、日頃の手入れが行き届いていなかったのか、17年で一部腐り始めてていたのと、次の10年まで私達二人が元気でいられるかの自信がないので、この工事を機会におもいきって撤去・処分することにしました。
綺麗サッパリとなり、これでカミサンが一人になった時でも、憂いはないでしょう。
各家庭のペランダには17年間育てた、鉢植えや、野菜のプランター或いは、夏の間の日除け・カーテン代わりの朝顔・ゴーヤなどがあったのですが、全て撤去の予定でしたが、工事会社との話し合いで、駐車場に仮置場を設置しました。
しかし、水やりなどのケアは持ち主ご本人の責任は、当たり前となりました。

工事が始まって一月半、騒音の真っ只中

マンションの大規模修繕工事とは何をするのか
・サッシ、ドアーなど建具まわりのシーリング撤去、新規打ち直し
・外部タイルの浮き、ひび割れ調査、張り替え
・共用部、屋上の防水工事
・バルコー、共用廊下立ち上がり壁のウレタン塗膜防水
・バルコー、共用廊下立ち上がり壁のひび割れ補修
・建物全体の汚れを高圧洗浄
・全館の鉄部塗装  等など

工事期間はほぼ100日です。
これらの費用は51戸の住居の17年間の修繕積立金の範囲で賄います。
この共同住宅は販売当初、各10年ごとの大規模修繕にあたっては、臨時に徴収すると云う規約がありましたが、少しづつ修繕積立金を増額したり、節約したりして今回は、臨時徴収せずにすみました。
現在の私の住む共同住宅平均80平米強の一戸あたりの管理費は修繕積立を含み40,000円です。
以前住んでいました横浜駅前マンション群からすると25%程度安いです。
以前住んでいたマンションは個々の棟の経費、各街区の、全街区の共用部の経費が必要なのと、街区全体の敷地が広く植栽の経費、固定資産税の経費などが多額でした。
しかし、現在住んでいる共同住宅は、低層51戸と小さいのでエレベーターは1基のみ、集会室もそれほと広くもなく、シンプル機能優先で応接セットがひとつあるだけで、全体的に経費・維持費がかからない仕様となっています。

過剰な共用設備・エントランス・客用ルームはいらない
都心の高層マンンションのような、豪華なロビーや、お客様用の施設、年にそう何回も使わない集会施設、スポーツ施設などは、退職後にシニア世代が住む住宅環境としては全く必要ありません。
二年後に二回目の管理組合役員の番がやってきます。私の立場としては、現在の修繕・大規模工事積立金で10数年後に備えられるかどうか試算となるだろうと考えています。

メデイァなどによると、共同住宅・マンションの管理会社が、管理組合からの業務委託を拒否し、修繕計画が進まないとの報道がありました。
・管理会社から「管理委託契約を更新しない」と言われた
・管理委託費の値上げ拒否したら、契約の更新はしない云う
・管理委託契約の更新拒否!?マンション管理業界の人手不足


こんな記事が新聞・ネットを賑やかす時代なのです。
理由の一番大きいのは、このような大規模修繕工事で管理会社の推す、施工会社を使わず、管理会社じたいを監理として採用せずに、管理組合だけで独自に工事をやるケースが増えてきているのです。

何故、管理会社が次の管理契約を拒否するのか
理由は
大規模修繕工事や、日々の修繕工事の費用のなかには、施工・修理・取替費用の一部は管理会社の経費が含まれています。
それらがないと、管理会社は経営的にキツイと云われています。
その理由の一つとして、以前までなら給与の安い定年退職者はいくらでも集まったのですが、65最定年、再雇用の義務化により、マンション管理人のなり手が大幅に少なくなっているのが一つの理由
もう一つの理由
マンションの住民の高齢化により、管理費の値上げ拒否、必要な工事、補修の先送りが多く、管理会社の収益が悪化傾向にあるのです。
私達団塊世代を考えてみれば明白です。
30代半ばで、大型マンションに入居した団塊世代は現在、73,74,75歳となり、多くはマンションなどの管理組合の理事役を仰せつかっている人が多いです。
これら高齢者が主流の管理組合では、値上げとか、大きな工事は敬遠する方向に流れるのは自然なのです。
若い、管理会社の担当者と云えば、高齢者からみればできの悪い昔の部下以下、昔の下請け業社の社員のように接する高齢者もいて、管理会社若手が辞めていくと云う話もよくあるそうです。

「修繕積立金の残高が少ない」「値上げができていない」マンションが多くなり、このままでは
団塊世代の終活として、自分まわりだけでなく、マンション住まいならこの住まいの行く末、終活まで見据える必要があるようです。


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posted by 西沢 at 07:35| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2021年09月26日

退職して18年、いまだ仕事の悪夢を見る

「旅に病んで 夢は枯野を 駆け巡る」
松尾芭蕉の辞世の句ともいわれてますが、この句は実際の『奥の細道』の旅のなかで読んだ句ではなく、大阪で読んだ句のようです。
芭蕉が『奥の細道』の旅に出た時、46歳でした。
※この当時の平均寿命は40歳ぐらい・・・と言われていますが、平均寿命と0歳児の寿命です。幼児の死亡率が現代とは全く違っていますので、平均寿命は当然短くなります。ある文献では還暦を迎えた江戸市中の人の平均余命は14歳と書かれているそうです。
あくまでも、当時の最先端都市の住民の例ですが・・・元禄2年の46歳は、今の感覚で云えばプラス10歳、定年退職少し前あたりではないでしょうか?。
この時代でも、やはり、退職時期、自分の体力を考え、そろそろ自分のやりたいことをやっておこうと考えて、旅に出たのでしょう。

元禄2年(1689)松尾芭蕉の旅立ち
春、3月27日、芭蕉は門人曾良を伴い江戸を発ち、奥羽・北陸の各地をめぐり、8月20日過ぎに大垣へ着くまでの、距離約六百里(約2,400キロ)、日数約150日にも及ぶ長旅でした。
元禄2年は徳川綱吉の時代、関ヶ原から約90年、江戸初期から中期にさしかかる時期で、この10年後あたりで、赤穂浪士の事件が起きています。
この時期、江戸から北上し、東北・北陸・をめぐって岐阜県の大垣までの旅でした。数えてみると、なんと15県も回っています。
21世紀の現代、このルートを歩いて回るとしたら果たして、150日で回れるかどうか・・・団塊世代の私の今の年齢では100%無理でしょう。



そして、この辞世の句ともいわれる句を読んだのは、大阪で51歳でした。
旅先で死の床に臥しながらも、見る夢はただ、あの野、この野と知らぬ枯野を駆け回る、芭蕉は旅の後もこんな夢を見続けていたのでしょう。

私も未だ現役時代の夢を毎晩のように見ています。

ほぼ全て「悪夢」です。
パターンは2通り
1,現役時代の仕事のトラブルの夢
 ・担当していた建設現場が竣工間際なのに終わっていない・・・
 ・現場の職人さんが事故をおこした・・・
 ・交通費・経費の精算が処理出来ていない・・・ 
2,海外旅行のトラブルの夢
 ・言葉が全く解らない街で迷子になった・・・
 ・帰国の日、スーツケースの荷造りが出来ていない・・・
 ・ホテルの部屋が劣悪、共同ゲストハウスのよう・・・
 ・タクシー強盗にあう・・・
これらの夢は、実際には一度も経験はしていないのに、何故か、退職して18年、海外旅行を卒業して7年も経つのに夢をみるのです。
実際にこんな夢をみているなかでも、これは夢なんだ、現実ではないんだ、朝起きれば全てが日常にもどっているのだと分かっているのですが・・

高齢者が見る夢のパターンは

あるサイトのデータによますと、高齢者が見る夢のパターンがあるそうです。
・仕事
・母
・旅行
・トイレ
・遅れる
・亡くなる
・出来ない
・怖い

一方若い世代の見る夢の多くのパターンは
・友達
・学校
・死ぬ
・遅刻
・飛ぶ 

夢とは一体何なのかという問いへの回答は 

 睡眠中の脳は、その人が今まで見聞きした情報を、整理しています。
脳の中にはライブラリーがあって、その人の記憶を『家族』、『友達』、『小学校時代』、『高校時代』、『恋愛』などのジャンル別に整理しています。  
そのジャンル分けされたライブラリーに貯蔵された記憶を引っ張り出したりまとめたりするんですが、その過程を脳の中で再生しているのが夢です。
現時点の科学技術では、夢は自分だけが見ることのできる、『個人的なドキュメンタリー映画』と言ったら分かりやすいかもしれません。

   

誰でも必ず1日3〜5つの夢を見ている!? 悪夢が持つ役割とは

 「自分は夢を見ない」と言う人もいますが、夢を見ない人はいるのでしょうか。
「夢を見たことは覚えているものの、どんな内容の夢だったのかはっきりと思い出せない」という人も多いですが、それは何故なのでしょうか。   
脳の損傷などがなく、脳機能が正常に働いている人なら、1日に平均で3〜5つの夢を見ます。
『夢を見たことがない』と言う人は自分が夢を見たことを覚えていないのです。
しかし、それは仕方がないことでしょう。
実は夢を見ている時は、起きている時と比べて、記憶を固定する神経伝達物質があまり出ないそうなんです。
なので、寝ている時に見た夢を記憶として残しておくのは難しいのです。



ここ数年悪夢を見る回数は減っています。

理由として自己分析すると、夢を見ている本人が「これは夢なんだと」と冷静に脳のなかで判断しているのではと思うのですが、実は現実的な要因があります。
夜間頻尿で毎晩、寝不足、睡眠障害を起こしているので、夢をみている暇がない・・・のでは
夜間頻尿対策にはいろいろアドバイスを頂いていますが、実際、何回起きれば夜間頻尿なのか?
毎朝の日課として、起きたら直ぐに体重と血圧を記録しています。
このノートに、前夜、何回トイレに起きたかを記録しています。
それが、原因は全く思い当たらないのですが、10時に床に着き、6時に起床がノーマルな状態で
ある日は、2回、ある日は一時間おきに5回、6回と、一致しないし、その原因も思い当たらないのです。

泌尿器のドクターに聞くと、前立腺肥大は間違いないので、10時就寝・6時起床でなか2回なら、医学的には頻尿のうちに入らないと云うのです。
確かに5回、一時間置きは多いですが、原因は分かりません。
自分の生活パターンを自己分析してみて、どんな時に夜間頻尿なのか分析してみるしか、医学的にアドバイスは出来ない・・そうしか云いようないでしょうね。
私としては、2時間の映画を途中、席を立たずに見られれば良し、とするしか、今の所対処はないのです。
カミサンは「頻尿では死なない」「昼間いくらでも寝ていられる身分なんだから良いじゃない」で終わりです。

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2021年09月24日

団塊世代・同学年の医師鎌田實くん。73歳の養生訓

少しづづ、秋の気配が近づき、夏の間はシャワーで済ませていた入浴は、バスタブにはるお湯の温度は夏のぬる目の38度から秋の39度に変更して、ゆったりと入るようになってきています。
ゆっくり・のんびり長時間の半身浴で入るには、本が必要になります。
カミサンに声をかけると、いつもの「婦人公論」を勧めてきました。
カミサンの買ってくる雑誌の傾向は、中高年女性、シニア向け月刊誌で、どれも内容は似たりよったり、老後の健康・お金・趣味の記事がメインです。
今月号のカミサンのお勧め記事は、「あの人の養生訓」
筆者は、88歳の冒険家の「三浦雄一郎」100歳のピアニスト「室井摩耶子」73歳の医師「鎌田實」の三名88歳と100歳のお二人の養生訓は、あまり現在の私には参考になりませんが、同じ団塊世代の鎌田さんなら、読んでもいいかなと思って持って入りました。

鎌田 實 1948年6月28日私と同い年です
が、私は早生まれですから、鎌田くんは私よりひとつ下の学年でしよう。
都立西高等学校、東京医科歯科大学医学部ですから、私達の時代では超エリートコースです。が卒業後、長野県のいち地方病院である諏訪中央病院に勤務しています。
ウムムム・・・何かあったなとネットで調べると、私が知らなかった、団塊同世代の鎌田くんが見えてきました。
Wikipedia引用

東京都杉並区出身、1歳10ヶ月で養子に出され、青森県から上京し個人タクシー業を営む養父と病弱な養母に引き取られる。
ただし30歳を過ぎてでパスポートを取得するまで養子であることは鎌田本人には伏せられていた。
子供の頃から読書家で『どくとるマンボウ航海記』を読んで、船医になって世界中を旅することに憧れていた。

東京医科歯科大学医学部では全共闘に参加、卒業後、つぶれかけていた(4億円の累積赤字を抱え、いつ倒産してもおかしくない状況)長野県茅野市の諏訪中央病院に就職。医師として、「住民とともに作る地域医療」の最前線に取り組んできた。
1988年、病院長・今井澄のあとを受けて30代で院長就任。今井も同じく学生運動に参加しており、東大安田講堂事件の参加を理由として収監されている。

一方チェルノブイリ原子力発電所被曝事故の患者の治療にも協力し、1991年より22年間、ベラルーシ共和国の放射能汚染地帯へ97回の医師団を派遣し、約14億円の医薬品を支援(JCF)。1994年に信濃毎日新聞賞を受賞した。
2004年にはイラク支援を開始し、イラクの4つの小児病院へ毎月300万円の薬を送り、難民キャンプでの診察等を実践(JIM-NET)。現在はISやボコ・ハラム等に迫害される難民の支援も行っている。


そっか鎌田くんは、私と同じ『どくとるマンボウ航海記』を読んで、世界中を旅することに憧れていんだ。
ノンポリで早々と学生生活・日本の体制に見切りをつけて海外に逃避した私と違って、あの時代の日本に真正面から抵抗したんだ、それで分かった。
超エリートと思っていた鎌田くんが地方のいち病院へ就職した理由が、それに親の代から医者ではなく、義理の親がタクシー運転手というのも・・
それでも鎌田くんがメディアに登場するとカミサンは、
「君と同い年とは思えない」
「ちょっと老けすぎじゃない」
「君は童顔だから、少し若く見られるのかもしれないけど」云います。
同い年生まれと云っても、受け継いだ親の血液・遺伝子、そしてこれまで生きてきた環境によって人の顔・印象は違うものです。
「顔は男の履歴書」は昔、評論家・大宅壮一の言葉ですが・・・私と云えば、好き勝手に生きてきても、子供なく、カミサンと一緒にさして苦労もせずにこれまで生きてきたのですから、童顔・締りのない顔のまま・・・神様はちょつと意地悪して、髪の毛を人並み以下にしましたが・・・

その鎌田くんが73歳の養生訓を語っています。

タイトルは「筋活」・「骨活」・「たん活」
ぴんぴんひらり、これが私の目指す行き方です。
生きている間はピンピンと元気に過ごし、その時がきたら「ひらりひらり」とあの世に行く、私は長生きをしたいと云うより、生きている今を充実させたい。
鎌田くんは、これまでの人生を語っています。
30歳で多額の赤字をかかえていた諏訪中央病院の院長になり、365日働き詰め、長野県を長寿で医療費の安い地域に育てました。


※管理人追記
鎌田くんが諏訪に来る前から、長野県には「佐久総合病院」という若月俊一医師が育てた高度専門医療と地域密着医療の「2足のわらじ」を担う病院が昔から注目されていました。
1959年、全国に先駆けて行われた八千穂村(現・佐久穂町)全村民の健康管理および集団検診を手がけたことで知られ、TV番組のプロジェクトX〜挑戦者たち〜などで題材にされた。「予防は治療に勝る。早期発見早期治療」のかけ声のもと、集団検診は長野県全県での集団健康スクリーニングとして発展し、市町村や企業の健康診断、ヘルスプロモーションを担っています。

この長野県の病院・医療体制は現在、テレ東テレビドラマでも有名になった相澤病院にも引き継がれています。起源は1908年の相澤医院創設に遡る。
2001年、地域医療支援病院として県内初めての承認を受けた。
民間病院としては全国で3番目の認定。財団法人日本医療機能評価機構認定病院で、中信地方の民間病院としては最大規模の医療機関である。
小説「神様のカルテ」のモデルとなった病院と言われています。
理事長は相澤孝夫は社団法人全国病院会の会長を勤め、日本の医療体制に物申す立場にいます。


ここから再び鎌田くんのお話
生き方を考えされられた「中年危機」(ミッドライフ・クライシス)
地方の3つ小規模自治体組合(茅野市・諏訪市・原村)が共同設立した、赤字の病院で盆暮れ正月なしで働き、再生させ、地方医療、農村医療のモデルともいわれる病院にまで再建し、全国から医師が集まる「マグネット・ホスピタル」に生まれ変わらせた。
しかし、週末も休まず働き続けた結果48歳の時に「中年危機」(ミッドライフ・クライシス)なってしまった。
これは中年期の約8割の人が陥るといわれている心理的危機です。
40代になると、自分の頂点が見えてきて「自分はこの程度か」「このままではいけない」と焦り始める。女性の場合、子育てが終わった時に見られる「空の巣症候群」もそのひとつです。

筋肉を減らさず好きなことをして生きる
このままではいけないと、スキーやスポーツをやると、足腰が驚くほど弱って、体重もベスト体重よりも10数キロ増えていた。
これから迎える老齢期に危機感を覚えました。
特に実感したのは筋力の低下。
そもそも人間は40代を過ぎると、年々筋肉量が減っていく・・・
何かしなくてはいけないと自問自答する日々が続き、52歳で院長ょ退任、56歳で病院を退職しました。以後。医師としてNPOを立ち上げ、被災地・難民医療に取り組んできました。

ここまで読んで、鎌田くんと人生、生き方に自分があまりにもシンクロしているのに驚きました。
ミッドライフ・クライシスという言葉、今回の記事で初めてしりましたが、まさに同じ団塊世代1948年生まれの同学年として、48歳の時、1996年、私は会社に退職願いをだし、承諾の返事のないまま、カミサンと二人、コスタリカへ90日チケットで旅立ちました。
建設業界にもバブル崩壊の余波が及んできていた頃、今で言うパワハラ・ゼネコンと大喧嘩したのも「このままではいけない」と焦りだったのでしょう。
結局、私はまだ会社に必要とされていたのでしょう。退職願いは受理されておらず、三ヶ月後帰国した時は、三ヶ月分の給与は全て振り込まれておりました。
振り上げた拳の落とし所は、喧嘩したパワハラ・ゼネコンの競争相手の客先スーパーゼネコンへの出向となり、そこで7年間、元本社とはいっさい接触なく過ごし、鎌田くんとほぼ同じ、55歳での退職となりました。
私も、出向の7年の間に、毎朝一駅先まで電車で行き、皇居・日比谷公園を歩いて通勤し、食べるもの全てカロリー表示してあるものだけと徹底、水を一日1~2リットル飲み、ダイエットと体質改善をはたして、退職を迎えました。
それでも、65歳あたりから筋力の低下を認識します。

鎌田くんは簡単な運動を毎日する事を薦めています。

鎌田流毎日のちょこっと運動 スクワット
太腿の筋肉を鍛えると、若返り物質「マイオカイン」を効率よく分泌します。
TVで芸能人やスポーツがやってる正式なスクワットは、結構きつい運動でなかなかな長続きしませんが、古希を超えたシニアはそんなに頑張る必要はなく、ただ、毎日続けると云うことを意識することだと鎌田くんは述べています。
その一つが椅子を使ったスクワットです。

1.椅子の背もたれを両手でもつ。
2.1、2、3と声に出しながら4でゆっくりとおしりを落とす。
 ※膝はつま先より前に出ないように
3.腰を落としたら、声に出しながら
  ゆっくりと腰をあげ、元の姿勢に戻る。

1日15回、3セットを目安に行います。
15回は続けて行っても分けて行っても効果は変らないのことです。
何もしないよりも、少しでも体を動かす習慣をつけることが肝心なのです。
数ヶ月続ければ、しなかった日が気になり自然に、TVをみながらでもするようになります。

鎌田流毎日のちょこっと運動 踵落とし

1,テーブルに軽く手を置き、背筋を伸ばして立つ
2,かかとをつけたまま、つま先を上げて3秒キープ
3,つま先を下ろしたら直ぐにかかとを上げ、背筋伸ばしし3秒キープ
4,最後にストンとかかとを落とす。
以上を10回繰り返す
骨を強化して骨粗鬆症対策に、つま先を上げる動作で筋トレにもなります。

一番簡単で一番効果が上がる屈伸動作

年とともに、シニアはかがむ動作がきつくなってきます。
全て、太もも・ふくらはぎ・足首の筋肉量が衰えてくるからです。
これらを防ぐのに一番良い姿勢・運動は、相撲のそんきょ、四股と云われています。
しかし、若い人でもあの相撲のそんきょ姿勢を長く続けるのは難しく、ましてや片足を軸にしての綺麗な四股は現在の大相撲界でも稀です。
今本場所中ですから、一度幕内関脇の明生の四股をご覧になって下さい。
そこまでやらくても、図のように最初は両手をひざにおいても構いません、ともかく膝をおってかがむ動作になれること、そして次第に、両手を膝からはなして
屈伸出来るようになります。
これだけで、立派なスクワット・筋トレになります。
一種のヒンズースクワットと呼ばれる形になります。

管理人あとがき
この屈伸、四股踏みが一番自分の現況に合っているとテレビの相撲中継をみながら、かなり自分に叱咤激励しながらやりました。
翌日の朝、右足首に痛みと腫れが発生し、ウォーキングを中止しました。
教訓、無理な長時間の運動はに、自分の体力・体調に応じてしなくはいけない。
つまり・・・やりたくないことはやらない・・・以前と同じか


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2021年09月22日

9月20日は敬老の日だった?何がめでたい敬老の日

9月のシルバーウィークで三連休だったり、飛び石連休であることは、365連休中のリタイヤシニアも知ってはいましたが、20日は何の日の祭日なのかは、朝の新聞で知りました。

というのも、我が家のメイン・リビングルームにあるカレンダーは「JALの海外頒布用」なので、日本の祭日は赤丸になっていないのです。
そして、私の部屋のカレンダーと云えば、JVC(日本ボランティアセンター)のカレンダーで毎年、アジア・アフリカの子供たちが毎月の画像を飾っているので、日本国内カレンダーのような季節感は全く無いののです。

敬老の日ってなんだったっけ

私ども夫婦には子供はなく、ましてや孫もいません。
ですから、「敬老の日って誰に何をするのかわからない…」
「敬老の日は、国民の祝日の一つで、国民の祝日に関する法律(祝日法)では「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」日を敬老の日と定めています。
そして、長い間、社会の為につくしてきた高齢者を敬い、長寿を祝うとともに、高齢者の福祉について関心を深め、高齢者の生活の向上を図ろうという気持ちが込められています。
この敬老の日は、地域の高齢者をいたわり励ます行事や、高齢者に対し周囲の人たちの「敬老」に感謝する行事が全国的に行われ、家庭でも父母、祖父母の長寿をお祝いするようです。
・・・ふーん、そうなの!、本当かな?

敬老の日の起源
敬老の日の起源は正確にはわかっていません。聖徳太子が・・・とか元正天皇が・・・とか
いろいろありますが、戦後、兵庫県の村で「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」という主旨のもと農閑期はいる9月に敬老会を開いたのがはじめのようで、その後兵庫県から全国に広がり9月中旬の15日を「としよりの日」⇒「老人の日」⇒「敬老の日」と変化し、2001年にハッピーマンデー制度の施行に伴い、それまで定着していた「9月15日」から、「9月の第3月曜日」への移行した。なるほど・・・2001では、私達の世代は祝いも、祝ってももらわないからよく分からないのは当たり前なんです。

新聞・メディアの敬老の日の論調は毎年同じ

高齢者の増加、全人口に占める割合
毎年同じ論調で、65歳以上の高齢者がどんどんと増えていく、これからが大変だ・・・
高齢化率は世界最高の29.1%、と2位のイタリア23.6%、3位のポルトガルの23.1%を大きく上回る・・・
3%の違いなんですが・・・そんなに大きく上回るっていうのですかね。
私達高齢者はまるで、猛烈に悪者扱いされているような気分になるのを、書いている記者ご本人は解っているのか?

私達がまだ20代の頃、北欧、オランダ・スェーデンを旅した記者の旅行記を読みました。
書かれていたのは「町中の公共施設、レストラン、公園に溢れているのは、お年寄りだけ、まるで活気のない街、老人ホームのような街・・」
あの頃、高度成長まっしぐらの日本の若者だった私達には、北欧福祉先進国家はそう映っていたのです。

団塊世代を含む70歳以上、全人口に占める割合
現在高齢者とは65歳以上を云いますが、この日の新聞紙上の論調では、今後の日本経済に占める、医療・年金を危惧してかトップ見出しは「働く高齢者四人に一人」とうたい、政府が検討している、年金支給年齢70歳プランを意識しているかのように、65歳はお年寄りではない、若々しくまだまだ働ける・・生涯現役、人生100年時代と持ち上げています。

今はの政府は、団塊世代に働けとか、病気になるなとは云っていません。
団塊世代は多少豊かな年金と、金融資産で東証株価に貢献し、どんどん旅行に行って、旨いものを食べて、地域社会に貢献して欲しい・・そしてなるべく早く、ピンピンコロリと逝って欲しい・・・が本音でしょう。

新聞メデイアも政府が心配しているのは、
団塊世代ではなく、2040年に65歳以上になる団塊ジュニアの今後と日本社会なのでしょう。
私達にはジュニアもなく、19年後には私は確実にこの世におらず、カミサンとても怪しいもんですから・・・気にはしていません。

シニア世代スマホ普及作戦

敬老の日の社会面の大見出しはやはり、社会・政府の要望・必要をうけた記事になっています。

高齢者がスマートフォンを購入する際に自治体が独自に費用を補助する動きが、全国に広がっている。
国の調査では、70歳以上の6割近くが、スマホやタブレットを使用しておらず、デジタル化の波に取り残される人を減らすのか狙いだ。
9月20日は敬老の日、高齢者にスマホが行き渡ると何が出来るようになるか



高齢者がスマホが苦手な理由を知らないの?

紙面では、日本各地の自治体の高齢者向けの支援・サービスを紹介しています。
しかし、自治体や通信業社は「ガラケー」から「スマホ」への切り替えで、根本的な間違い、勘違いをしていると思います。

高齢者のガラケー普及度のデータは探してもないから分からないですが、ガラケーを持つ高齢者はかなり高い割合なのに、
スマホに切り替えない理由は・・・
ガラケーは電話なんです。純粋な通信機器なんです。データは電話番号だけでいいんです。
入力も数字だけでいいんです。文字を打つ必要もないのです、電話で話せば良いんです。

一方、スマホは小さな、使い勝手の悪い電子機器、コンピュータなんです。
高齢者はどちらかと云うと、ちゃんとしたコンピューターのほうが、スマホよりも数倍楽、使い勝手がいいんです。
スマホは情報を受けるのに便利かもしれませんが、情報・データを造り、送るのにはパソコンのほうが何倍も楽です。
政府も企業も通信大手も、高齢者はパソコンが出来ない、苦手と勘違いしていませんか?
スマホでは出来ない、クリエイティブなことはパソコンのほうが何十倍も簡単に、早く出来ます。「スマホで年賀状は作れない」・・・と云ったお年寄りがいます。
すると、プリントアウトして送るという感覚自体が古い、と若者だけでなく、40~50代まで云います。これと、同じことが現在の政府・自治体で起きています。


高齢者に対してスマホは見るだけ、情報を受けるだけにスべき

高齢者がスマホを嫌う最大の理由は、入力です。私もスマホでの入力が大嫌い、大の苦手

・タッチパネルである箇所タッチしたのにとんでもないページに飛んでしまう
・URLの入力をあの小さな画面てやれと云うの?記号ティルダはどこから入力するの
・高齢者の指は大きく、太く、そして動作が鈍いんです
・入力は最低限、数字だけにして欲しい。
・スマホは物をつくり、デザインし、文章を書くような機能はほぼないと心得よ

政府・自治体・企業の皆さん
スマホではなく、タブレットなら良いかとお考えになるようですが、40年以上IT社会に属してはきた高齢者から云うと、アンドロイドダレットにしても
Winパソコンと違い、データの収納する場所、階層、ティレクトリーが明確化さていない、指導・サポートする現場の人間でも何処に有るのか解らない構造のものは、やめたほうが良いとおもうのですが、と、云ってもマイクロソフトのWinは私も使いたない、今はそれに代わるもの、がないから使っているだけなんですが、それでもスマホよりは何十倍もマシですが。

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2021年09月20日

運動不足で、足を伸ばして湘南・茅ケ崎サザンビーチへ

最近の関東のお天気は、へん?
例年なら残暑の厳しさが続く、「秋のお彼岸前」なのに雨の日が多く、タオルケットだけで寝るには寒い日が続き、外出は控え気味、出不足・運動不足の日々。
午前中は日課のパソコンの前、午後4時からは「相撲中継」となると、足の浮腫はひどくなる一方で、足の甲の血管がみえなくなるような有様、少なくとも、一日5,000~6,000歩、距離にして3.5~4kmはあるかないと思っていても、もう近所では歩く所はないし、飽きたし、鎌倉のお寺は、最近、60歳以上鎌倉市民無料パスを適用しなくなったお寺が多いし、少しは遠出してあるこうか・・・湘南の海岸でも

湘南とは、湘南の範囲は



一般的に湘南と呼ばれる範囲は、東海道線沿線では私の住む「大船」から「藤沢」・「茅ケ崎」・「平塚」あたりまで、「小田原」となるとちょっと湘南ではなく、神奈川県の箱根方面、南足柄方面のちょっと田舎と云うイメージです。
横須賀線沿線では湘南は「鎌倉」・「逗子」までで「葉山」は微妙、「横須賀」「久里浜」は東京湾側なので湘南ではなく、三浦と云うのが正解です。

一番馴染みの薄い茅ケ崎へ

出掛けるとしたら、通過・乗り換えするだけ、下車したことはない茅ケ崎か!
自宅最寄り駅のお隣「藤沢」はこの沿線では一番大きな街で、駅周辺に大きな量販店・デパートもありますし、何よりも東海道線・小田急線・江ノ電のターミナルでよく利用しますし、自宅から歩ける距離です、そしてその先の「辻堂」は駅前開発が進み、お気に入りの映画館「109シネマ湘南」があるので、月に一度は行きます。
但し、電車ですが、いつか藤沢から歩いてみようかとも思っています。
理由は、藤沢・辻堂間には多くのショッピングモールがあり、パソコン専門の「はPCデボ」に一度行ってみたいと思っています。

自宅から茅ケ崎駅そして徒歩でサザンビーチへ

自宅から三駅、普通電車11分、快速だと2駅10分です。
茅ケ崎駅の南口から茅ケ崎サザンビーチへはほぼ一本道です。
地図アプリで駅からの距離を測ると、1.3km、散歩程度のスピード出歩くと15分です。
茅ケ崎駅南口からは、茅ケ崎の南側住宅街を回るミニバスが1時間に2本出ており、150円、5,6分でサザンビーチ入り口に到着します。

通りの名前は、桑田佳祐にちなみ、「サザン通り」

「湘南・茅ケ崎・サザン通り」と云う名から、サザンにちなんだおしゃれなショップ・カフェが並んでいるかと想像していましたが、普通の民家が並ぶ通りでした。
15分程度で、茅ケ崎漁港入口の西湘バイバスに到着します。
ここは、関東に住む人にはお正月の「箱根駅伝」でお馴染みの、左手に湘南の海を望む松林が並ぶ真っ直ぐな一本道でこの道を横断した先にの左側に今回の撮影ポイント、サザンビーチモニュメント「茅ヶ崎サザンC」があります。

サザンビーチモニュメント「茅ヶ崎サザンC」

昔からあるものではなく、平成14年3月3日に竣工にできたもの。
設置者の観光協会が民間に公募したもので、全国から寄せられた32点の応募作品の中から、建設検討委員会により「サザンビーチちがさき」のイメージに相応しいもので記念撮影のスポットとして最適な物として選出されました。
茅ヶ崎の頭文字のCであるとともに、Cの右側の文字の切れ目の部分に立ってCを1つの円(輪)として完成させれば、縁(円)結びの輪となり、海の安全と平和を祈る輪となるという意味が込められています。
また、輪の中央に「えぼし岩」が顔を出して一緒に記念撮影ができるデザインになっています。

烏帽子岩

この日は、曇天のくもり空でした。
まだ9月の彼岸前で残暑の厳しいなか、海岸線を歩くの嫌い云う、曇り空と解って出てきたのですが、観光協会の説明にある、茅ヶ崎サザンCモニュメント
のなかに、烏帽子岩をいれることは出来るのですが、普通のコンデジカメラでは、小さく、あるかないかの、見えるか見えないかのレイアウト配置しか出来ず、
あきらめて、望遠で撮るのがせい一杯でした。



駅からサザン通りを西湘バイパスのアンダーパスのなかに、このビーチの壁画が展示されており、この中の一枚、「茅ヶ崎サザンC」と烏帽子岩のレイアウトがあり、私の中のイメージピッタリですが、実際にはどんなカメラでも、この構図の写真は撮れないのことは、この日はっきり解りました。


サザンビーチから江ノ島

お天気も悪く、イメージしていたような、湘南の海、サーファーの姿、そして江ノ島のシルエットの写真は、コンパクトデジカメでは、これがせい一杯です。
関東以外から、イメージとしての写真「湘南の海、サーファー、江ノ島」を納めるには、やはり、藤沢か鎌倉の海岸からしかないでしょう。

湘南の海、サーファー、江ノ島プラス富士山、夕日となると、場所は限定されます。
私の経験では鎌倉の稲村ヶ崎からしか、思い浮かびません。
やはり、地元に住む人間でないと撮れない写真は多いのです。

足の浮腫と体調は?
午後1時に自宅出て、少し小雨まじりのお天気のなか、かなり早足でに歩いて、帰ってきたのは3時20分、2時間の運動不足解消のための歩きと電車で距離計は1万歩に少し足りない程度でした。
やはり、歩くことは足の浮腫にはてきめんに効いて、甲の血管がはっきりと浮き出ています。
これで、この日の夜の頻尿はいくらか改善されたようです。
一日は、少し足を伸ばして出かけなくては。
いつも、通過するだけ、車窓からホームを見ている駅に降り立ち、歩いてみることにしようか。
次は、大磯の駅に降り立ってみようかな。

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2021年09月18日

「 デルタ」の次は「イータ」気になるギリシャ文字

新型コロナウイルスの変異株「イータ株」

新型コロナウイルスの変異株「イータ株」が昨年12月以降、国内の検疫で見つかったと厚生労働省が9月3日の集計で公表したという新聞報道がありました。

イータ株は昨年12月に複数の国で初めて発見され、今年3月に世界保健機関(WHO)が「注目すべき変異株(VOI)」に指定した。
警戒度合いはアルファ株やデルタ株などの「懸念される変異株(VOC)」より低い。
日本国内では、国立感染症研究所による分類でVOCやVOIに指定されておらず、8月末まで公表対象になっていなかった


たいした驚異ではないようですが、アルアァから始まって、今回のイータまで7つの変種が出てきた訳で、いったいどのくらい変種していくのでしょう。
ウイルス株に学名?、あるいは研究者達が簡易的に、学術的にギリシャ文字で名前をつけているのでしょうが・・・ギリシャ文字って何文字あり
今後、イータの次は何なのか、興味本位で調べて見ました。



24文字ですか・・・願わくば、日本の標準のパソコンで表示出来るような、簡単に読める、書ける文字あたりで停まって欲しいものものです。

ついでに文字、外国語と云えば・・・
同じ新聞紙面で、ITにかなり強いシニアと自称する団塊オジサンが、念の為に調べた「言葉」は
・ブレークスルー
・ランサムウェア
・VPN      
 の3つの言葉です。

ブレークスルー賞とは

米グーグルの創業者らが出資しても世界最高峰の賞金300万ドル(3億3千万円)を誇る「ブレークスルー賞」が発表され、数学部門に京都大の望月拓郎教授が、基礎物理学部門に、東京大の香取秀俊教授が選ばれた。
数学で日本人が受賞するのは初めて。
ブレークスルー賞は2012年創立、米財団が主催し、「科学会のアカデミー賞」とも云われている


素朴な疑問
賞の内容よりも、最近、普段の会話の中でも使われる、「ブレークスルー」って中途半端に理解しているけど、正式な英語の意味、使い方つてどうなの・・
Breakthroughの日本語訳は「突破」「解明」「打破、打開」

例文
「行き詰まりの状況を打開」するときの例文
・人材不足の問題をブレークスルーするための施策が求められる
・超難問の解読に成功したブレークスルーの核心は何だったのか
・停滞している市場で価値を倍増させるようなブレイクスルーを目指したい

壁や障害を突破」するときの例文
・組織改革にブレークスルーを生むにはリーダーの覚悟が必要だ
・法律の改正により、事業モデルのブレークスルーが起きた
・さまざまなブレークスルーが日本のものづくりを支えてきた

「技術が飛躍的に進歩」するときの例文
・正確さに関するブレークスルーが実現したことにより、AIによる翻訳技術が一気に向上した
・医薬品開発技術のブレークスルーを実現したことにより新薬が誕生した
・科学技術のブレークスルーによりSFの世界が現実味を帯びてきた

納得、グーグル財団が賞の名前をブレークスルー賞とした訳を理解しました。

ランサムウェア これは、web・ネット人間では常識の言葉

ランサムウェア(Ransomware)とは、「Ransom(身代金)」と「Software(ソフトウェア)」を組み合わせて作られた名称であり、コンピュータウィルスの一種です。

このウィルスに感染するとパソコン内に保存しているデータを勝手に暗号化されて使えない状態になったり、スマートフォンが操作不能になったりしてしまいます。

また、感染した端末の中のファイルが暗号化されるのみではなく、その端末と接続された別のストレージも暗号化される場合もあります。

そして、その制限を解除するための身代金を要求する画面を表示させるというウイルスです。
ランサムウェアの感染経路としては、主に犯罪者が送付したメールの添付ファイルを開いたり、本文中に記載されたリンク先をクリックしたりすることが考えられますが、第三者のウェブサイトを改ざんして、ウェブサイトにアクセスしただけでウイルスに感染するという仕組みを構築し、多くの人にランサムウェアを感染させようとする例も確認されていますので注意しましょう!


本格的なランサムウェアは、大企業に仕掛けりしますが、簡単な模擬的、シンプルなものは、個人が普通に使っているパソコンにも仕掛けてきます。

個人・家庭のPCへの仕掛け
例1 メールによるもの
 添付メールのあるリンクをクリツクすると、突然パソコンがフリーズし、デスクトップに
 オドロオドロしい画像が現れます。
 この問題を解決したければ、この電話番号に連絡して下さい。との文字も現れます。
 電源ボタンを長押しして、シャットダウンしても、再起動すると同じ画面のままで、
 パソコンはフリーズしっぱなし、ずっと連絡先電話番号が現れます。
 絶対この電話番号にかけてはいけません。多くは海外の有料電話の場合が多く、長い時間
 意味不明なことが伝わってき、後に高額なスマホ電話代がクレジットから引き落とされます。

例2 アダルトサイトからのもの
 面白半分、興味半分にアダルトサイトに見に行き、何気なしに次へをクリックすると、
 突然パソコンがフリーズし、女性の大きな喘ぎ声が聞こえてきます。
 そして、もちろん画面をシャットダウンすることは出来ません。電源長押ししても再起動
 すると同じです。
 この状況を打破するにはと、マイクロソフトへとの電話番号が書かれていますが、これも
 嘘です。絶対にかけてはいけません。

解決方法は
 Windowsパソコンの場合、乗っ取られ、フリーズしていねデスクトップ画面であっても、
 下のタスクバーは生きています。
 マウスも生きていますから、タスクバー左端にある「ウィンドーマーク」をクリックして
 電源から普通にシャッタダウンすれば、再起動してもこのエロメッセージは現れません。
 どうぞ慌てずに、お気をつけて・・・

VPNって何なの
大企業のランサムウェアの被害が増大しているとの報道で、侵入口はVPN機器と云われています。VPNって一般的な家庭のユーザーには聞き慣れない言葉ですが、何なの?

VPNとは、一般的なインターネット回線を利用して作られる仮想のプライベートネットワークのことです。
VPNは、「Virtual Private Network」の略で、日本語に直訳すると仮想の専用線という意味があります。
例えば、フリーWi-Fiなどの公衆のインターネットを利用する場合、個人情報を盗み見されたりデータが改ざんされたりなどのセキュリティリスクがあります。
そこで、インターネット上に仮想的な専用線を設定するVPNを利用することで、フリーWiFiと比べてセキュリティリスクを減らすことが可能になります。 


もう、Virtual バーチャル(仮想空間)が出てくると、良くわかりませんが・・、安全な、セキュリティの回線のようで、個人がプライベート構築するのではなく、このような回線接続サービスを使うようです。 


VPNサービスを利用するメリットとしては
ホテルやカフェなどが提供する公衆Wi-Fiを安全に利用できる
・発信元のIPアドレスがVPNサーバのものに書き換わるため、情報発信やWebサイト閲覧の
 安全性が高まる
・外国政府などの検閲用ファイアウォールを回避できる

ふーん、ほぼ自宅だけでネットにつなげている団塊シニアオジサンには、あまり関わりのないものらしい・・と分かった次第です。
IPアドレスの変換か、何か、これからネット上の犯罪を考える時には、いいかも知れないね。
数年前までホランティアセンターオフィスで複数台のパソコン・印刷機・コピー機のローカルランネットワーク構築で苦労していたのに、セキュリティ・・・VPNとなると、もうオジサン達は身の引き頃なのでしょう。

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2021年09月16日

アフターコロナの夢物語か、株価バブル再炎か

東証株価31年ぶりの高値



資金に余裕のある人は、いつかは元の値に戻すと、塩漬けにするかも知りませんが、株式投資をしている友人に聞くと、30年も資金を寝かせておく投資家はいない、そんなのは、嘘・戯言の世界と云ってました。・・・
ようやく、戻ってきたようですが、さてどう動くか?

週明け13日の東京株式市場は、ワクチン接種が進むことへの期待から、多くの銘柄に買い注文出て、日経平均株価は小幅に値上がりしました。
そして、何故か?私のブログのアクセス数も上昇気味で、特別、最近、経済記事を書いた記憶もないのでアクセスを解析してみると、ちょうど3年前の記事が読まれているようですので、ここに再掲載します。

内容は掲示板の投稿記事でした
※その当時の掲示板は、私の手書き、自作のCGIプログラムによるものでしたので、中国・ロシア・南米の若者が、暇を持て余してのセキュリティーホール探しの対象になったのか、対象になったのか侵入を試みた形跡があり、利用していたサーバーからの閉鎖警告があり、現在はありません。

2018年09月05日
私がシニアライフホームページに掲載した記事

「65歳なにもしない勇気」と云う題名の本の斜め読み。 
題名に惑わされるな “退職金をもらってから投資を始める”では遅すぎる。

という記事に対しての「金融リテラシー、定年後の投資」と云うタイトルで掲示板に投稿があり、退職シニアの集まる自由投稿掲示板上で、日本人シニアの投資に関する意識について賛否両論が投稿され、最近ようやく落ち着きました。

発端は、8月31日 ハンドルネーム”トワ・エ・モア ”さんの投稿「金融リテラシー」からでした。


投稿記事1

「実は、資産運用に関して興味がある方が多く、講習会開催の希望が本当に多いのです。健康マージャン以上なんです。この間も80歳を超えた方から開催の希望があったのですが、100%損が出ないなら別ですけれど区という立場で資産運用の指導はちょっと・・・」
お金の話をしますと「卑しい」、「品格にかかわる」といった考え方が、まだまだ流れていると感じています



これにたいして、色々なご意見が寄せられています。
投稿記事2

資産運用について、収益面に力点を置いた意見が多いですが、頭を使い生活にわくわく感を持たせるという観点から、私は60歳以上の方の資産運用として失っても生活に影響のない範囲の少額で投資に参加することをおすすめしていいます。
ここの掲示板は、誹謗中傷がなければ自由に投稿させてもらえますが、勧誘目的ならご自分のブログでされる方が良いと思います。
また、2017・2投稿の「“退職金をもらってから投資を始める”では遅すぎる」は私も同感です。
http://www.tt.em-net.ne.jp/~soy7686/life.html#hifumi
色んな考え方があるとは思いますが、リタイアしたら「小欲知足」を心掛けたいものですね



投稿記事2

金融(投資)の世界は、素人と玄人が同じ土俵で勝負をします。
相撲や野球や将棋や囲碁を見ても判るように素人が玄人(プロ)に勝てるわけはありません。
以前、あるプロジェクトで金融コンサルタントの方とお付き合いをしたことがあります。
彼の話や仕事ぶりを身近で見ていて玄人のすごさを思い知りました。
彼には世界中の金融情報がリアルタイムに入ってくるのです。
その取引額も信じられないくらいの額でした。
この時に私のような素人は、彼のような玄人とは勝負にならないことを痛感しました。
当時、彼はPwC(PricewaterhouseCoopers)日本法人の代表でした。
金融コンサルタントなる商売がありますが、そんなに儲かるのなら人に教えないでどうして自分でやらないのでしょうか。



投稿記事3

ネットは多くの情報をリアルタイムで得られる便利なツールですが、face to faceではないので相手の表情や言葉の強弱が伝わらず、誤解が生じることがあり、本当に難しいですね。リテラシーは知識や判断力なので、これまでに積み上げられたスキルの中で、退職金やシニアをターゲットにした投資話の情報が溢れている状況を心配して、そうしたものに引っ掛からないアドバイスかなと読んでいました。
ところが「投資に参加することをおすすめします」とあったので、反応してしまいました。



投稿掲示板上では、一般的な公序良俗に反しない限り、自由に投稿していただいていますが、あまりにも過激になり、炎上も困るもので、私は大手メディアの記事を転載して、火消しにかかりようやく、落ち着いてきています。

朝日新聞土曜版 読者アンケート 「資産運用してますか?」を拝見して

はいと答えた人は46%その理由は
1,預貯金の金利が低い
2,老後資金の確保
3,余裕資金の活用
4,収入を増やしたい
5,株主優待を楽しみたい
6,年金の不安
7,生活費を補う
8,金融機関に薦められて
9,趣味や遊びの資金にする

いいえと答えた人は54%、その理由は
1,リスクが怖い
2,余裕資金がない
3,金融商品の知識が少ない
4,損する可能性が高いと思う
5,面倒くさい
6,金融機関の勧誘に乗りたくない
7,やり方が判らない
8,損得で一喜一憂するのが嫌
9,不労所得を得ようとする考えが嫌


このいいえの答えをアメリカ人が聞いたらびっくりするでしょうね。
日本らしい。それが当たり前なんでしょう。
超ハイパーインフレや、自国通貨の暴落、外国資本の横暴を経験していない日本ですからね。
資産運用しないかわりに、していることは
・節約
・大切に使う
・健康維持 だそうです。
こんな日本人大好きと、今のところそう言っておきます。


さて株価はコロナと首相選・衆院選でどう動くか
全く株価に影響を受ける金融資産を持っていない私達夫婦、この後、カミサンは20年、私は長くても10年、私達の生活にどう影響を与えるか?
この2021年9月13日のバブル時に戻った日のことを覚えておこうと思っております。

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2021年09月14日

老化の原因は人との接触・コミュニケーションの減少?

72歳リーダー世代交代論
2020の春、72歳を迎えた時、退職後続けてきた地元のNPOセンターボランティア活動を辞めました。
持論である、古希を迎えた70歳男性は、72歳までの2年の間に今まで培ってきた経験、知識、対人関係を、次のリーダーに徐々に引き継いでもらい、72歳以降は、代表・リーダー・理事・決定権から遠ざかったもらうをことを唱えてきました。
しかし皆さん、頭で理解していてもいざ団体としてルールを明文化するのは難しく、特に長年この団体に携わってきた私達よりも一つ上の世代の男性の皆様の反対は強く、「で、ありたい」程度の認識で終わりました。

私はNPO団体の会員、部会のリーダーを辞め、担当していた市内の市民活動団体向けのIT・web講座の講師も辞めました。
団体を退会するのは問題はなかったのですが、これまで講座を受講してきた団体のアフターケアについて、現組織内ではフォローの確約が出来なかったので、私個人として「webサポート友の会」的な任意団体を設立して対応することになりました。

不要・不急?オジサン達は会う理由があるのだ

あれから1年半、私のリタイヤ生活及びボランティア団体の環境は「コロナパンデミック」で大きく変わりました。
NPOセンター会議室は一時利用禁止、閉鎖を経て、再開されていますが、ソーシャルディスタンスで多人数の会議、催し、集会は出来ずほとんど、使われていません。

今やほとんどの市民活動団体や趣味のクラブ、サークルは「Zoom集会・会議」と変化し、一年以上、実際に会っていない状況が続いています。
よって、これまで週に二度ほど、広報業務や講座対応で通っていたセンターへは全く行っていません。一週間、7日の予定表は、木曜日のスポーツの日以外真っ白です。

ボランティア業務としてではなく、個人的に定期的にサポートしていたも横浜のお店も、コロナで開店休業状態、月に一度の趣味の動画クラブも「Zomm集会」では最初の頃は参加していたメンバーももの足りない・・のか徐々の参加者は少なくなってきています。
大雨でスポーツの日を欠席すると、一週間、まるまる、カミサン以外と話すこともなく、もくもくと一日中ネットに向かう生活となってしまいます。

人は一人では生きてはいけない

良く聞く言葉ですが、これは頭に「社会的には」という言葉が前提でしょう。
実際には大きな団地、あるいはアパートで、一日中誰とも話さず、誰とも会わず、生きている高齢者男性は多いと思われます。

特に、今や、パソコン・スマホがあれば世界中とつながっていますので、都会の団地であれ、山奥のぽつんと一軒家であれ、さして孤独感を感じぜずに暮らして行くことは可能で、生きていくこと、生き延びるみことはできるのですが、果たしてそれが、ご本人の意思・希望なのかは別でしょう。

人間誰しも、誰かと繋がっていたい、誰かと触れ合っていた、というのが本能だと思います。
昨年春、72歳で宣言通りにボランティアを卒業したのは計画通りだったのですが、コロナまでは想定外でした。
このままでは、毎日、スポーツに出歩き、友人とおしゃべりし、午後から商店街・スーパーに買い物に出歩く、カミサンに遅れをとり、ますます老化に拍車がかかるのでは恐れる毎日がつづくのでは・・・

しかしすこしづつ変化が出始めています。

一つ目は、
かつてweb講座に参加していた団体からの、若い後継者への技術講習の依頼です。
この団体は、自然環境系の市民団体で、市の施設の指定管理を請け負っており、資金的にも多少の余裕があるのと、これから先、継続して指定管理を獲得しなくてはならないので、若手後継者の育成には力を入れています。
三十代の女性にたいして、月一ですが画像処理・グラフックデザイン・web言語のレクチャーを先月から始めています。
人に教えるというのは、自分自身が再度、勉強すると云うことです。
73歳になり改めて、生徒さんの実力にあった資料を、ネット上で探し、準備する時間は楽しい・・・というよりも私達シニアにとって必要な時間です。
神奈川県の最低賃金にちょっとプラスとしたものを頂いていますが、本当は無料でも十分なのです。

2つ目は、
二年前に短期集中でやった環境保護団体のトラブル緊急ヘルプです。
生徒はごみ処理問題を扱う団体の三人の70代女性三人です。
最初は、別にホームページを作るのにweb言語を勉強しなくても、簡単ソフトで出来る時代と云う説明をしました。
幾ら超簡単なweb言語である「html」とは云え、基本的にはパソコンの基礎体力とプログラム記述の最低限の知識が必要なのですが、この団体の三人の女性の要望は、

1,お金がかからないこと
2,お仕着せのデザイン・レイアウトでなく、自分たちのオリジナルのものが出来ること
3,データが自分のパソコンの中に保存出来ること


と・・・何処かで調べてきたのでしょう、
まさに、今や世の中の主流となっている「ワードプレス」はまさにその正反対なんです。

1,お金がかからないこと
 ソフトのWordPress自体は無料オープンソフトなのですが、それを運用・保存するサーバー
 はデータベースを利用するので高度な設定、セキュリティが必要なサーバーで年間利用料
 も一般向けよりも結構高いです。

2,オリジナルデザインについて
 WordPress、他、ホームページ作成ソフトは、予めソフト側で用意されているテンプレート
 を使うやり方で、沢山用意されたものを選んで、書き換えるやり方ですから、どことなく
 他のページと似通ったデザイン・色合いになるのは避けられません。
 これを防止するには、グラフィックデザインの知識と力を必要とされています。

3,自分のパソコンにデータが残せない
 WordPress他、簡単ソフトはあくまでも、クラウド側にあるデータベース内のテンプレート
 を使って作るために、自分のパソコンには作成データは残せません。
 提供する側は、常時ネット接続の時代、何が悪いのよ、と云いたいのでしょうが、団塊世代
 よりも上の世代の三人の女性は、雲の中に自分たちのデータを預けるのは嫌うのです。
 確かに、アメリカの何処にあるのか解らない、利益を追い求める企業を100%信用出来は
 ない・・・これは当たり前の考えなのです。
 何が何でも、都合が良いから、クラウド・・・と云うと大失敗があり得ると云うことを
 肝に命じておかないとなりません。

という訳で、先週、緊急トラブルのお三人にお会いしました。

私から見ると、超簡単な彼女たちのミスなのですが、それを見つけるのにものの一分もかからなかった私は、おばさん三人から見ると天才に見えたことでしよう。
今回は、ものの1時間で彼女らが苦労したものを修復し、時給最低賃金程度の謝金を頂きました。
そして、2年に一度くらい、専門家に見てもらうだけの年間予算を団体として組むことをお勧めしました。
すると、私達は何処からも資金をいただいていない、会員二十名弱の団体で、運営経費は会員の会費と、ゴミのリサイクル販売の売り上げくらいしかなく、とてもそんな予算は組めないんです・・・でした。

誰に聞いても、ホームページをしこしこと手書きhtml・CSSで作成する時代ではなく、今や、スマホ・タブレットで膝の上で造りそのままクラウド側にアップする時代・・・ホームページ(webpage)ではなく、FaceBook・Twitter・Instagram・You Tubeのほうが、即効性・拡張性あると云います、確かにそのとおりです。
スマホ用にカラフルな色使い、読みやすい短い文章・・・

でも、彼女たちは云います。
「私達のホームページは、意見・考え・世界の現状を発信するサイトです」
「物や、サービスを売るホームページとは違う」
「じっくりと、読んで欲しいの」
「電車の中でうつむいて読むようなページではない」
「これからも自分たちの手で作っていきたいの」
「だから、先生に辞められたら困るんです。」

私、「もっと若い、少なくとも50代のおばさんに、そう云ってもいたかったけど、まあ、いいか
あしたは月一のサポートをしている鎌倉の自然保護団体のweb担当者(30代女性)へのレクチャーあるから。」

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2021年09月12日

テレ東「モヤさま」につられ、今年二度目の埼玉・北部行田へ

パラリンピック2020は見ていない
2020東京五輪は、かなりTVで見ていましたが、パラはほとんど見ていませんでした。
自分の育った時代・年齢的なものなのでしょうが、障害者のスポーツを支援する意味なのは解るのですが、最終的には広告・販売、しいては経済利益につなげる企業の思惑が見えてしまいます。障害者にとっては、自分たちの生きがい、リハビリ環境に大きく貢献してくれるオリパラと、私は理解しているのですが、何か100%納得はしていません。
もっと他の方法があるのではないか?・・・とも考えてしまいます。

という訳で、暇な時間TVに向かうのですが、何もやっていません。
民放の番組は、全てお笑い芸人の「楽屋落ち」的なものばかり、ドラマも若者向けの現実離れした漫画世界の恋愛ドラマで見てません。
唯一、見ているのはテレ東の
「youは何し日本へ」・「ニッポン行きたい人応援団応援団」・「ワタシが日本に住む理由」
などの外国人、海外ものと、旅系統番組
「路線バスの旅」と、同じような「バスVS鉄道 乗り継ぎ対決旅の」「鉄道路線歩き旅」を楽しみにして見ています。
地上波・BSと日本の中で1番チャンネル選択肢の多い、関東平野に住んでいて、1番多く見ているのがテレ東なのです。

テレ東「モヤモヤさま〜ず」

先週の日曜日、旅・バラエティ番組「モヤモヤさま〜ず」が歩いたのが埼玉北部の「行田」でした。
「モヤさま」の番組は、一般民放の旅番組と違って、町中をぶらぶら歩いて、ちょっと気になるお店を紹介するような番組ですから、私の知らない、興味ありそうな街だけをちょっと覗き見する程度でした。
なんでこの時期、行田なの、この時期は何にもないはずなのに・・・今年の春に、古墳に咲く桜風景の撮影に行っていますが、その他は「忍城」ぐらいですが、復元のコンクリート造りだし、と思って他に面白そうな番組はないしと期待もせずに見てみました。

私の知らなかった行田の街



テレ東の番組「モヤさま」が土曜日から日曜日の9時台に変わって、その時間他局でみたい番組がなかったので、見たのが行田でした。
そこで初めて知ったのが、行田の街の中心は、JR行田駅ではなく、秩父鉄道の行田市駅まわりであることでした。
それで納得しました。JR行田駅前は整備されているものの、新しくできた大きな道がまっすぐに伸びているだけの駅前でJR高崎線一駅隣の熊谷と全く違っており、古い寂れた街として写ったのですが、「モヤさま」の三人が歩いている街は結構大きな商店街があるような街並でした。
前回の埼玉古墳群の桜撮影の時は、桜と古墳の撮影が終わると、すぐに次の桜名所の「熊谷桜堤」へ移動して何も、見ていないので、今回は「モヤさま」で紹介しているところ「田んぼアート」「忍城」「成就院三重塔」三箇所を見に行くことにしました。

自宅大船から行田への行き方

今年、三度目の埼玉県北部です。
一度目は4月、行田の古墳桜と熊谷堤の桜、
二度目は7月、NHK大河ドラマ「青天を衝け」の舞台、「深谷」の撮影に。
今回9月は、テレ東「モヤモヤさま〜ず」で紹介していました、日本一の「田んぼアート」の撮影と、ついでに忍城の撮影です。

自宅最寄り駅から行田までは、乗り換えなしで2時間、片道1980円です。
関東首都圏のJRの料金の大体の基準目安は1時間の乗車で1,000円です。
例えば
大船⇒熱海は   1時間7分 990円 距離58km
大船⇒新宿は   50分 935円 距離51km
大船⇒成田空港は 2時間10分 2,310円 距離125km
とまあまあある程度の推測はできます。

今回の一日日帰り観光の費用
最寄り駅⇔行田 JR往復 3,960円
行田市内コミュニティバス 4回 150円 計600円
田んぼアート展望台 入場料 400円
忍城        入場料 200円 合計 5,160円 でした。
往復の移動時間が4時間、観光は正味2時間のシニアおじさんの小旅行一日でした。

ギネス世界一の記録を持つ田んぼアート

昨年の秋、青森を旅する時にチェックしていたら弘前市郊外の私鉄弘南鉄道「田舎館」駅から徒歩圏に「田舎館田んぼアート」と云うページが目にとまりぜひ行ってみたいと思って思っていましたが、今年もコロナで中止の模様・・・しかし、こんな近くのそれも、かって知ったる行田にあり、今が見頃とは思い、先ずは天気予報を調べました。

先ずは、路線バスと歩きが基本のシニアの健康旅ですから、何よりもお天気が大切です。
ここ一週間、関東はぐずついたお天気・空模様ですが、調べると、雨が降らないのは火曜日・金曜日と解り、木・金・土・日は、暇を持て余しているシニアオジサンですが、予定スケジュールが有るので、翌日の火曜日に出かけることにしました。

行田田んぼアートとは

お米の産地である行田市の水田を彩る初夏から秋の風物詩として定着した田んぼアート。
水田をキャンバスに見立てて、色彩のことなる複数の稲を使い、絵や文字を表現するこの取組みは、行田の観光スポットとして脚光を浴びています。
約2.8ヘクタールの大きさを誇り、平成27年には「世界最大の田んぼアート」として、ギネス世界記録にも認定されました。
この田んぼアートは、6月中旬に田植えを行い、10月中旬に稲刈りを行います。
見ごろは、7月中旬から10月中旬までで、隣接する古代蓮会館展望室からご覧いただけます


最寄り駅を07:47⇒乗換なしで行田09:45
駅前コミュニティバス10:05⇒古代蓮の里 10:24です


先ずは、50mの展望台に上がって全貌を見る前に、現地のたんぼの様子を撮影してから展望台に登ったほうが、インパクトがあると思っていたのですが、係の人に聞くと、テレビの影響で放送後翌日の昨日は、お天気も悪かったのに展望台へは1時間待ちの行列だったそうで、今日もそろそろ、長い列ができる時間帯にはいるので、今なら空いているのことで、すぐに直行してあがりました。

確かに、私と同じか少し上の年代のカメラ片手のシニアおじさん・おばさんいっぱいでエレベーター内はかなりヤバイ三密状態でした。
これを予想して、普段はカミサン手作りの布マスクをしているのですが、密閉度が高い不織布マスクにしていて正解でした。

展望台もかなりの密の状態と下りのエレベーターも混み始めそうなので、展望台からの静止画・ビデオを10分で撮って、下り、実際にの田んぼへ行きました。上で全体を見た後ですから、この黒米稲の位置の意味が解りますが、同じ目線で見てもこれは解らないないでしょう。
田んぼアートでも、スマややっぱりパソコンによって設計図は作られているのでしょう。きっと

行田の古刹 成就院三重塔

市内方面に戻るバスは1~2時間に一本ですから、次のバスが来るまで、徒歩1.2km程度にある、名勝「成就院三重塔」に行ってみました。

この三重塔は、享保14年(1729年)に建立されたもので、昭和56・57年に解体復原工事を実施し、現在に至っています。

塔内には、忍城主阿部豊後守忠秋より拝領と伝えられる葉衣(ようえ)観世音菩薩が本尊として安置されています。
地方の大工の手による特色ある塔で、1間4面、初重(しょじゅう)柱間一間、銅瓦棒葺の構造となっています。

各層とも二手先の料栱、吹寄棰、一軒、各種箱型の積み上げで、塔の中心柱は2層で止めて下に降ろさず、内陣には須弥檀を設け、格天井を組み、花鳥の図を飾っています。
享保時代の強い観音信仰を背景に建立されたものと思われますが、江戸時代の三重塔は埼玉県内には3基のみで大変貴重なものと言えます。



境内には私の他には、カメラをかかえた80代前半と思われる男性が一人、カメラのシャッターを何枚もきっていました。
撮影を終わったのを見計らって声をかけました。
「田んぼアート」の撮影にいらしたのですか?
「いいえ、この三重塔が目的です。」
「大観光地ではなく、こんな田舎・・失礼、江戸中期の塔が立ち、現在まで受け継がれているのが珍しくて」
「これから、田んぼアートの古代蓮の里ですか?」
「いいえ、このまま秩父鉄道に乗って三峰神社にまいります」
「私は、これから忍城によって、帰ります。お気をつけて」

今年の春まで場所を知らなかった「忍城」へ

関東七名城の一つとされる忍城は、室町時代の文明年間(1469年〜1486年)の初め頃に築城されました。
時は戦国時代の終わり、豊臣秀吉の関東平定に際して、石田三成らによる水攻めにも果敢に耐えたことから「浮き城」の別名が生まれたと伝えられています。
現在の忍城御三階櫓は、明治維新の際に取り壊されたものを再建したもので、最上階からは市内の景色が一望できます。
昭和63年に開館した郷土博物館は、かつての忍城本丸跡地にあり、『行田の歴史と文化』をテーマとした展示を行っています


忍城(おしじょう)は、映画「のぼうの城」を見て初めて知りました。
そして、今回初めてお城の資料館で、当時の城主は「成田氏」であり、直接的には秀吉の関東遠征の目的の敵「小田原北条氏」とは関係ないことを知りました。鎌倉の地元郷土史家の間では、「鎌倉にもお城あった」というのが定説で、鎌倉の荒廃する姿を見て、小田原で「北条」を名乗る在郷武家集団が鎌倉源氏の菩提神社「鶴岡八幡宮」ほ再建し、保護したと伝えられています。
そして、小田原・相模から関東各地に北条を名乗る武家集団が登場し、私の住む鎌倉にも、「北条玉縄城」があったとホームページにも掲載しています。

そして、この玉縄北条氏の歴史のなかに、秀吉の関東遠征、小田原征伐のは話がでてきて、家康が城守の自害を条件に城を落としたと伝えられ、私の住む地域にも沢山の首塚とか、鎮守の神社があります。
この行田の忍城は、あの秀吉の大軍、三成の水攻めにも耐えた城として、地元郷土史家の間でも人気の城ですが、実際に何処にあったのか、今年、桜見に行田に行って初めて知りました。
天守閣は昭和の時代のコンクリート造り、そう大きもなく普通しかコメントはありません。
一つ言えることは、何処のお城もそうですが、桜の木が多く植えられており、春の桜の季節はフォトジェニックなものが撮れそうです。

これらの撮影してきた素材は近日中にビデオとしてUPする予定です。
動画はかなり仕上がりをイメージしながら、素材を選んで撮影してきましたので・・・
気合を入れたものをUPする予定です。

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