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2020年08月30日

人生、また一つ、卒業する。夜間頻尿に悩まされ

先週、四ヶ月に一度の前立腺がんマーカー検査「PSA」で、近くの総合病院「湘南鎌倉」へ行ってきました。
予約票は、9時の採血の後、ドクターによる結果と問診が11時30分から12時の間となっています。
と云う事は、採血の後、2時間半病院内で待つことになります
今時の地域総合病院ですから、なかにコンビニやドットールコーヒーもあり、依然と違って全館wifi環境にあるので、2時間半過ごそうと思えば過ごせないことはないのですが、徒歩1km以内に住む私は、7時半に受付開始、採血出来るのですから自宅を7時10分に出て、採血を済ませそのまま、帰宅、朝食をとり、その日の朝のルーティンを済ませてから30分前に病院に到着するようにしています。

7時20分に病院に到着し、2Fの検査コーナーの受付機に行くと、すでに長蛇の列が出来ています。
ソーシャルディスタンスのマーカーの列の最後尾に並んで前方を見ると、20人以上並んでいます。
この人たちは、一体、何時に自宅を出できて、何時までこの病院に留まることになるのでしょう。
こんな、東京首都圏でさえ、病院に行くのは、半日ががりではなく、1日かがりなのですから、地方の交通の便が悪いところは大変でしょうね。
車もない、免許証もない私たちの地方都市での観光は、もっぱら路線バスを利用しています。
テレ東の「路線バス」の旅のなかで、バスを探す時にその地方都市の総合病院をチェックするという場面をよくみかけますが、まさにその通りで私たちの地方都市の観光で利用する生活路線バスのほぼ半分は、必ず郊外の大病院を経由していました。

採血を終えて徒歩で自宅に戻るのですが、いくらか猛暑は和らいできたものの、8月末の1kmの炎天下、日傘をさして歩いても帰宅するとそのまま、シャワー室に飛び込む暑さで、11時のドクター診察に再び行くのが、憂鬱になります。
自宅前のバス停から、総合病院近くのバス停を通るバスが5分おきに出ているのですが、バス停からの炎天下の歩きの5分は残りますし、バス代230円がかかります。
横浜市と違って、鎌倉市は年金シニアにたいしての、無料パスはないのです。
こんな猛暑でなかったら、コロナ巣ごもりの運動不足のなか、1kmや2kmは平気で歩くのですが、この日は最悪の体調・寝不足でした。

最近、夜間頻尿の頻度がますます進行しています。
昨夜のデータは
就寝前のトイレ 22;45
一回目のトイレ 12:45
二回目のトイレ 01:30
三回目のトイレ 03:00
四回目のトイレ 05:15
起床 トイレ  06:30 
これは、この日の泌尿器のドクターに相談する際に、普段はつけていなかった夜間頻尿のデータメモです。

結局この日は、路線バスでも徒歩でもなく、何時も活動している徒歩7分のNPOセンター近くにある、病院への無料のシャトルバスで行くことにしました。
予約表の時間は11:30~12:00です。つまりこの30分間の間のいつかなのです。
11時15分に泌尿器の受付に、到着を告げて待っていると、私の今日の番号が表示されたのが11時30分でした。
今日は、時間通りかと思いきや、私の前にもう一人の番号がありました。
この番号が呼ばれて、診察室に入っていったのは、シニアのご夫婦でした。
「これは、待たされるな」と直感しました。
これまでの10数年に及ぶ、泌尿器前立腺の経験から、夫婦二人でドクターの問診・診察のケースはほぼ間違いなく、結果が悪く、これからの治療方針について、夫婦二人でドクターと話し合うのに間違いありません。
案の定、いつまで経ってもこのご夫婦は診察室から出てきませんでした。
12時は過ぎて出てきましたが、私の番号は表示されません。
最終的に、呼ばれたのは12時20分でした。

診察室に入ったら、自分の名前と、生年月日をドクターに告げるのがこの病院のルールなのですが、10数年以上お付き合いのあるドクターは私の顔を見るなり、
PSAは問題ありません、前回より少し下がっています。
このまま経過観察ですね。次は4か月後12月の最終週になりますか゛こんな年末の高い時期ですから旅行は行かないでしようから、問題ないですよね。です。
まあ、そのとうりなのですが・・・
先生、今日は少し相談があります。時間は大丈夫ですか?
少し前の患者さんで押していますが、何ですか?
と云う訳で、昨日の夜から今朝までのトイレ回数のメモを渡しました。

一度はやめた薬を再び飲むことに
ドクターは、これを見て、前立腺も影響しているでしょうが、膀胱の問題だと思います。お薬で様子をみましょう。
前回試した、改善するお薬は、男性の生殖機能に対して副作用があるので辞めたのでしたね。
そうなんです。
泌尿器のドクターも、私のファミリードクターも、そして頻尿に苦しむNPOの仲間も推奨する薬なのですが、17%の確立で、男性機能に重大な弊害があり、私はその17%に入っています。
でも、このような毎晩の頻尿、時としての「我慢できない、突然の尿意、ちょい漏れ」は限界にきています。
前回、この改善薬を処方されたのは、5年前、60代ですから、とても「男の卒業」「打ち止め」は受け入れられませんでした。
が、しかしすでに古稀を過ぎた72歳、もうそろそろ良いじゃないか?、その時が来たんだ。
この日のことを覚えておこう。

参考引用 ユリーフ錠

この薬の作用と効果について
尿道や前立腺のα1A受容体を遮断することにより、尿道内部の圧力を下げ、前立腺肥大症に伴う排尿障害を改善します。
通常、前立腺肥大症に伴う排尿障害の治療に用いられます

この薬を使ったあと気をつけていただくこと(副作用)
主な副作用として、射精障害(逆行性射精)、口渇、下痢、軟便、立ちくらみ、鼻づまり、めまい、ふらつき、頭痛などが報告されています。
このような症状に気づいたら、担当の医師または薬剤師に相談してください



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団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方
posted by 西沢 at 08:10| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年08月28日

金相場と老後のたくわえ、積立・分散・長期の鉄則は

上昇する金相場
ボランティアで知り合った、ご近所に住む私よりも3~5歳上の方が「ちょっと相談があるのだけど、いいかなと」と云ってきました。
私は「お金を貸して以外の相談なら、いつでもOK」と返事すると、
「貸してくれではなく、殖やし方を教えて欲しい、という相談」
「どうして、俺に、周りには鎌倉のお金持が沢山いるじゃない」
「否、元々の金持ちじゃなくて、55歳で早期退職して、遊んで暮らしているあんたに聞きたい」
と、まあ半分冗談まじりの会話の後、会いました。
「何?、息子さんの話、幾つだったっけ」
「否、息子のことなんてどうだもいい、我が家のこと」
「一流会社を退職して、企業年金も、俺たち世代よりも各段に良い年金もらっているでしょ」
「とっ云っても、老後に備えておかなくは」
「老後に備えるって、お幾つ、79歳。備えるんじゃなく、今が老後、使う時期でしよう。」
「年金だけで、アンタのようなまとまったものは少ないんだよ」

やがて、このAさんの矢継ぎ早の質問です。



「TVのニュースで見たけど、金がとてつもない勢いで上がっているけど、今が買い時かな」
「日本の政府はコロナで莫大な国債を発行していて、デフォルトになったら、紙幣は紙屑、金だけが頼りと云うけど」
私は・・・
「株も商品取引もそうだけど、一般メディアで取り上げられるようになった時がピークで後は下がるだけ、というのはこの世界では常識ですよ」
「金の相場は国内向けの『円/グラム』と『ドル/オンス』があって、円/ドル相場に引っ張られからそう、単純じゃない。」
「今更、分散・長期・積立と云う年齢でもないし、現物取引となると、株と違って消費税10%と手数料がかかるんたよ」
「田中貴金属では20gで4,400円、50gで8,800円、100~300gで16,500円、売買手数料は馬鹿にならないよ、それにドル相場も考えなくては」

安全・確実な投資なんて存在しない
「投資って、長期・分散・積立が大切って知ってますよね、短期の売買は半分博打、プロの世界、現役で収入のある人がやるもの」
「79歳の平均余命が数年の人がやるもんじゃない」
おじさんは
「そうは言っても、将来、老人ホームに入るかもしれないし、医療費もかかるし、妻、子供に残してやりたいし」
「テレビでやっている、スマホ、オール自動でリスクの低い 『ウェルス・ナビ』つてどう長期・分散・積立って言ってるけど」

「長期・分散・積立は、最低25年~30先を見通した投資の原則であり、79歳の残り少ない人のやることではない」
おじさんは
「TVでやっている『みんなで大家さん』って、物件・不動産に投資するようで、そんなに長期ではないようだよ、投資物件ごとに予測利回りが書いてあって、年利5~7%で回るそうだって」

「確かに、不動産は長期投資信託と違って、比較的短期の収益を目指す投資で、年利5~7%あるいはそれ以上に回る物件もあるでしょう。
でもそんな物件でも最下層の投資家に分配されるのは、儲けのくず、利益が上がったら上から分配、損をしたら全員でが、この世界の常識」

投資や金融の世界では、儲かるのはブツを造って売り出す、一番、頭の会社とその社員、次に日本のおおもとの大手証券会社、2次販売証券会社、金利では稼げなくなった銀行が、素人、シニアをだまして手数料を稼ぐパターン、なんですよ。

だいたい、65歳定年延長制度は政府が少子化で働き手がすくなり、年金を払えなくなって、延長した制度。
いくら戦後、国民の基礎体力が向上したとは言え、ホモサピエンスの基本的な内蔵・筋肉要素がそんな短期間で10年も伸び、向上するわけでもないのです。昔からの「還暦」60歳で退職し、余命20年、80歳前後で逝くのが、日本の社会構成に合致しているのです。

60歳になって老後の蓄えが心配だからって「金投資」「不動産投資」「スマホ投資」・・・なんてチコちゃんじゃないけれど
「ボーと生きてるんじゃないネーよ」

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団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方
posted by 西沢 at 07:57| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年08月26日

コロナで変わる首都圏の住宅事情と働き方

新型コロナウイルスの影響でサラリーマンの働き方、働く環境、特に通勤状況が変わってきたと、メディアは伝えていますが、団塊リタイヤ年金生活者の周りでは、その影響が及んでなく、あまり実感として感じていないのが、本音なのですが・・・

退職年金シニアの影響は
コロナによる経済の悪化、不況、失業者の増加、雇用不安、と云っても今のところの話、退職年金シニアにとっては、振り込まれる年金金額は変わらず、かえってコロナ特別支援金10万円が入り、ステイホーム、自主自粛で外出もせずに、家の家計費のうち、食費が多少増加傾向にあるもの、自由に使える「お小遣い」は使い道もなく、あまり、残高は増えていく始末です。

私の廻りの同世代はほぼ同じような環境ですが、趣味のクラブでは65歳を過ぎてもまだ現役サラリーマンもいますし、webサポートの現場ではほとんどの会員のご家庭は、現役で働いています。64歳Aさんは、情報系一部上場企業で60歳定年後、役員として再雇用され、今も現役で働いています。 61歳Bさんは、一部上場総合商社で昨年末定年を迎え、再雇用。東京本社で、定年前と同じ部署・地位・給与で働いています。今回のコロナ騒動での働き方につて聞いてみました。

テレワーク勤務となって、どんな働き方
お二人とも、技術系の仕事で、同じような年齢、地位におります。
本社への通勤は週に一度、その他の日は、自宅でのテレワークであったり、テレミーテングです。話を聞くてお二人とも同じような、生活パターンでした。

朝は通勤していた時と同じ時間に起床し、朝食を食べて後、今までの自宅を出る時間になると、散歩着に着替えて、家の周りや、公園を散歩し、時には、普段通っている駅まで歩き、通常の会社の始業時間の30分前に自宅に戻り、自宅のパソコンの前に座るそうです。
お昼は、出来るだけ家族に負担をかけるのを避け、自分で簡単なものを作るか、朝の散歩の時にコンビニでお弁当を買うかしているそうです。
普段の会社での過ごし方と少し違うのは、昼の30分程度の昼寝が出来ることが、テレワークの良いところだそうで、13時きっちりには、自宅前のパソコンには戻るそうです。

午後の勤務は、しっかりと5時までパソコンに向かい、3日に一度は、再び散歩着に着替えて再び駅方面の散歩に出かけるそうです。
このお二人ともに共通しているのは、お子さんは独立して家を出ており、伴侶との二人暮らし、テレワークするスペースも空間的に恵まれており仕事に専念できる住居環境、経済的には首都圏の一部上場企業の役員待遇と恵まれています。

二人に共通する話とは、週に一度の通勤日は楽しいけど、緊張すると云ってました。

絶対にコロナに感染してはならないからです。
若し、感染したとなると、自分の健康のことよりも、会社に及ぼす影響・被害の大きさを考えてしまうと云います。
それは、勤めている会社が入っている巨大オフィスビル全体にも及び、しいては取引先にまで及んでしまうと云うのです。
3密による、飲み会やイベントでの感染で、社会は若い社員の世代に批判の目が及んでいるけれど、実業の世界では一番敏感なのは、通勤している社員、やむを得ず外出しなくてはならない営業社員たちです。と云います。

重症化する危険のある、時間的、経済的余裕のある、年金シニアの皆さん(私のこと?)が、あまり気にせず、GOTOトラベルに便乗し地方に出かけたり映画館、スポーツクラブに行ったりしてますが、一番新型コロナウイルスに敏感に対応しているのは、現役のサラリーマン世代なのですと、云っています。

東京首都圏のマンション価格の下落
NHKの特集で、新型コロナウイルスによる働き方の変化と住宅についてやっていました。
これまで、住宅・マンションの価格基準は、東京首都圏への通勤距離・時間と、自宅最寄り駅までの距離が大きな価格指針でしたが、今や、それが崩れてきていると云うのです。

現在、首都圏で売り出されているマンションの間取り標準モデルは3LDKで70平米台です。
首都圏ターミナル駅までの通勤時間は1時間未満、最寄り駅から10分程度で、6000万程度です。
しかし、これらのマンションの人気は下降気味です。特に共用部の充実したタワーマンションに至っては、管理費の高さ、災害時の対応不備、そして部屋の狭さが、コロナによるテレワーク勤務がこの先常態化するのを先取りして不人気なのです。

働き盛り、子育て最中の世代で3LDK、70平米台のマンションでは、リモートテレワークをするスペースの常設確保はかなり難しく、同居するパートナーや子供たちに大きな負担となります。
この先、新型コロナウイルスが全く無害になることはなく、常にwithコロナの時代が続き、テレワークが当たり前の働き方となるならば何も、通勤時間や最寄り駅までの距離を優先することなく、広い部屋・間取りで、コロナ不況のなかでも、無理なく返済できる範囲のローン設定が出来る、3LDK・4LDKの80平米以上のマンション、休みの日は、身近に子供たちと一緒に遊ぶことの出来る、豊かな自然、森、公園、海がある場所を選ぶ、30代夫婦が増えていると報じていました。

理想とするのは北欧タイプの働き方か?
確かに、この新型コロナウイルス感染症は、私たち高度成長時代を生きてきたサラリーマンとは違った、新しい働き方、生き方、子育ての時代の到来のきっかけかも知れません。

それは、良くテレビなどで取り上げられている、高福祉、高税負担、男女平等、ゆとりある家族生活に見える、北欧諸国スウェーデンのような生活かもしれません。
NHKの番組では、同じような目的で、山林が売れまくっていると報じのていました。
何で、山林なのか?週末の家族キャンプ用に購入する人が急増しているそうです。
DIYが当たり前になり、週末は家族全員で自の分たちが購入した、自分たちで、プチ別荘生活をする家族が今後増えてきるのでしょう。
スウェーデンのように。

でも、エッセシャルワーカーはどうするの?
元建設現場監督の私は、そう呟いています。

エッセンシャルワーカーとは

エッセンシャルワーカーとは、人々が日常生活を送るために欠かせない仕事を担っている人のことです。
新型コロナウイルス感染症の影響によって、世界中で外出自粛やロックダウンなどが相次ぎました。エッセンシャルワーカーは、そうした緊急事態下においても簡単にストップするわけにはいかない仕事に従事する人々に対し、感謝や尊敬の念を込めた呼称として使われるようになりました。

どのような仕事に就いている人を指す?
主に医療・福祉、農業、小売・販売、通信、公共交通機関など、社会生活を支える仕事をしている方々のことをいいます。
たとえば、医療・福祉の分野では、医師や看護師、介護士などが人々の生命や健康の維持に努めています。
また、小売・販売の分野では、スーパーやコンビニなどに生活に必要な日用品が届けられ、公共交通機関では、仕事や病院などに向かうために利用する電車やバスの運転手や駅員などの職員によって、滞りなく運営されています。
このように、エッセンシャルワーカーは身近なところで私たちの生活を支えています



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団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方
posted by 西沢 at 07:37| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年08月24日

老いへの進行形 め・は・ま

人間の(特に男性の場合)体力、機能の衰える順番は、昔から「め(眼)・は(歯)・ま(生殖機能)」と云われています。確かにその通りにこれまで進行してきました。

先ず眼ですが・・・

おかしい、どうしたんだろうと感じたのは、45歳の時でした。今でもハッキリと覚えています。
イースター島へのフライトのエールフランスの機内で配られたチリへの入国カードを記入の際、読書灯をつけても細かい文字が判別できないのです。
飛行機はどんどんと降下して空港に近づいているのに、書類に記入できないのです。

そんな馬鹿な、何か自分の目に異常が起きたのかと思いましたが、カミサンはその様子を見て、
「老眼が始まったのよ」とあっさりと云います。
「それなら、君が記入しろよ」と云いいますが
「それは、貴方の役目、私は英語もスペイン語も、ましてやフランス語も解らない」
結局諦めて、機内スタッフに「reading glasses」を頼みました。
ちなみにスペイン語では「anteojos para viejo」が一番通じやすい言葉です。

その後、仕事でも頻繁に支障が出てまいりました。
仕事柄、一日中図面台に向かうことが多く、目を酷使し続けていましたから、多少、早いかもしれないが、仕事場近くの眼科を受診して、老眼鏡を造ることになりました。
その時、乱視・近視も少しあるので、仕事上、遠近両用メガネを推奨されました。
何処で造れば良いのか解らないので、眼科に入ってる眼鏡屋さんに聞くと、仕事をしていたビルに入っている眼鏡屋さんを紹介されて行き、値段を聞くと、何と10万円だと云うのです。
すでにその頃、TVコマーシャルでは、多くの眼鏡量販店が登場していた時代で、せいぜい4~5万程度と思っていたのですが・・・

「同じビル内(内幸町の超一流オフィスビル)の会社の方ですから、2割引きで提供します」と云われ、人生初めての眼鏡を購入しました。
後に分かったのは、この眼鏡屋さん、日本で一番高い眼鏡屋さんで、お客さんは場所柄、政治家・経済人が多く、時の総理大臣もこの店の顧客で、業界では定価販売の老舗と知られているお店だったのです。
あれから、30年・・・何本眼鏡を造ってきたことか!
当然ながら、あの超高級店ではなく、庶民的な量販店で作ってきました。

今はどうしているか?
通っている眼科・・・眼圧が高く、緑内障の気があるので、年に2回、視野検査が必要です。
この眼科のドクターはお年寄り先生でしたが、最近引退し、若先生に替わりました。
この若い、大学病院から引き揚げて、親の眼科を引き継いだ若先生に、現在の老眼の進行を相談すると・・・
裸眼で通常の生活にさして支障のあるような視力ではないので、退職、仕事もしていてない70代なら、パソコン用、読書用の老眼鏡なら100円ショップのもので充分だと云うのです。
その都度、架け替える手間は生じるが、老眼の進行に合わせて、買い替える程度で十分です、と言い切りました。
「エライ、まだ開業医の経営的視点、観念に染まっていない若い医師だから、言い切れるのだ」
現在、昔造った高い遠近両用と、パソコン用・読書用・お風呂のなか専用の4つの眼鏡を使い分けており、もう、高い眼鏡を新たに造ることはありません。

そして次に「歯」です。
貧乏な家庭に育った私は子供のころから、朝・晩、歯磨きをするという習慣はありませんでした。
この話を、4歳年上の姉に話したことがあります。
嫁いだ姉に、嫁に行って、旦那の実家と自分の育った家庭環境が違って、困ったことは無かったか。と聞いたことがあります。
私の場合、カミサンから、
「風呂は毎日入るのが当たり前」
「下着は毎日着替えるのが当たり前」
「食事の後に歯磨きするのは当たり前」
「親・兄弟の誕生日祝いをするのは当たり前」
「貴方の常識は、世間の常識ではない」 と云われ続けています。

育った家庭環境により、生活の習慣・常識は違うものと解るようになったのは結婚してからで、姉にも、貧乏所帯に育って困ったのではないかと聞いたのです。
姉は、嫁いで夫の実家に入ってのではなく、最初から夫との二人暮らしだったので、特に困ったことはなかった。
夫も自分も生まれ、育ったのは戦後の混乱期であり、夫の育ったのは、私たちが育った県庁所在地の繁華街の町中ではなく、田舎の農家なので然したる違いはなく、昔はみんな同じような家庭環境だったので何も困らなかった、と云いました。

歯を磨く習慣のない二十歳そこそこの青年が初めて社会に出たのは、外国の大都市アルゼンチン、ブエノスアイレスです。
当然ながら、肉食中心の生活で、歯は日本食より酷使します。
ある日、左奥歯が痛み出し、職場近くの歯医者に行きました。
日本の歯医者さんには一度行ったことがなく、人生初めての歯医者です。
ドクターは有無を云わせず、もうこの歯は虫歯治療の限界を過ぎているので、抜くと云うのです。
私は何の反論も出来ず、まあ、そんなものだろうと、承諾し、ちょっと麻酔して、ペンチのようなもので引っこ抜きました。
あの時の、ギリギリと云う抜歯する音は今でも覚えています。
ちょうど、その日、友人から特級品の生ハムの塊をいただいた日で、食べれなかったのを覚えています。

帰国してからも、まだ頻繫に歯磨きや歯石の手入れなどをしないまま、歯が痛くなるとその都度、会社の近くや、担当していた現場の近くの歯医者さんに飛び込んでいました。
歯医者の主治医というものが出来るようになったのは、40代の半ば、当時住んでいた横浜のマンション群のなかにある開業医の医院で、退職後現在に至るまで、鎌倉に超してきても、変わらず二駅電車に乗って、この医院に通っています。
私の歯は、それまでの、痛くなってから場当たり的に飛び込む歯医者さんのせいと、喫煙者ゆえのヤニの歯で恥ずかしくてこの担当ドクター以外には行けない状態が続いてきたのです。
結果、ボロボロ、ついには数年前には左の奥歯は、耐え切れずに部分入歯なりました。
その後も、前歯、右下奥歯も応急処置、接着剤で固定などが続いていましたが、先週、右下奥歯が限界に達しました。
ドクターは、まだ何とか持ちこたえること出来ますが、どうしますか?と問うてきたので、私はもう限界、諦めました。抜いて部分入歯にしましょう。と提案しました。

これが、までアルゼンチンの歯医者さんや、一度旅先であまりの歯の痛みがひどかった時に飛び込んだ、パキスタンの歯医者なら患者の意向は聞かず、有無を云わせず、抜歯していたのでしょう、とドクターに話すと、日本の歯医者は先ず、抜くのはの最終判断、それも患者の意思で出来るだけ残すにと云うのが医者としてのポリシーです。
でも、今回は「付き合いも長く、づっと見てきているので、抜きますか」となりました。
そして、来月の旅行の予定は?と聞いてきました。
来月の第一週に愛知方面に行きます。Gotoトラベルで。
旅先までこの奥歯が持つ保障はないので、今抜くと、今月には差し歯が出来上がるので、さっそく始めましょうとなりました。

右下奥歯3本の抜歯です。
麻酔をかけて、ほんの数秒で、「終りました、見ますか」となりました。
あまりにのも早業、そして痛みもありません。
念年の為と、抗生剤とロキソニンを処方されましたが、その日夜、抗生剤だけはのみましたが、痛み止めは必要ありませんでした。
翌日、二日目はもう、差し歯の型取りです。
一日置いた三日目、差し歯が出来上がっきての調整。
あいだ二日おいて、四日目に最終調整で、私の口のなかは、左下奥歯、右下奥歯が部分入歯となりました。

部分入歯にして気が付いたのは、食事の時に、こぼさなくなった事です。
よく、介護施設で老人が食べている時に「こぼす」姿を映像などで見かけました。
齢をとって、箸の使い方や動作が鈍くなったせい、と思っていました。
私もカミサンから、最近、食事のをこぼすことを指摘されていました。自分もあの老人ホームのお年寄りに近づいてきている・・・
しかし、原因は分かりました。
歯の調子が悪く、口を大きく開けて食べていなかったのです。
部分入歯にしてからは、意識しているせいかこぼさなくなりました。


団塊世代の老いへの進行形の「め・は・ま」の「め・は」はこうやって着実に衰えていってるのです。「ま」に関しては、今のところ「め・は」ほどではではないことだけお伝えしておきます。

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posted by 西沢 at 08:39| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年08月22日

海外旅行自慢話は3K、危険・汚い・キツイほど面白い

私たち団塊世代の海外へあこがれた時代の旅の小説、旅行記と云えば、五木寛之の「さらばモスクワ愚連隊」(1966)や、これに続く一連のロシア・北欧の旅小説の「青年は荒野をめざせ」(1967)でした。
成熟し、老年にさしかかった大人の私たちが、若者に向けて話す「青年よ荒野をめざせ」はこの小説から来ています。
これ以前の海外旅行小説・旅行記と云うと、海外旅行が自由化(1964年)される前の、ある種の職業、学生、特権階級に属するような人たちによるもので、「何でもみてやろう」は26歳のフルブライト留学生小田実が、1958年から欧米・アジア22カ国を貧乏旅行したこの旅行記ですが、
今の時代のバツクパッカーと違い、彼はエリート留学生で、小説のなかで書かれている1日1ドル旅行は、本気にしてはいけない、旅行記ではなく小説的なものなのでしょう。

同じ時期(1958)に北杜夫の「ドクトルマンボー航海記」があります。
これも、水産庁の調査船の船医として乗船した時の様子、作家らしいユーモアと筆致で描いて、海外にあこがれていた私たちにとっての羅針盤的な本でした。

もう一冊もほぼ同じ時期、ミッキー安川の「ふうらい坊留学記」でした。
まだ、アメリカ南部では、日本人はカラードとして扱われ、レストランもバスも差別されていた時代の話です。かなりフィクションが織り込まれて(この本を読んでいる時は全て事実だと信じ、ワクワクしてましたが)たと、今は解りますが。
私の高校の同級生の女性(当然同い年)は大学2年(1968)の時に、交換留学生として南部の州に一年間滞在しました。
数年前、もう少しで古稀を迎えるころ、信州の宿での一泊の同級会があり、50年ぶりに再会し、私が海外に出たのと同じ頃、日本の女子大生としては珍しく、彼女も海外、アメリカで過ごしていたのです。
彼女自身は、これまでアメリカ南部の一年間の生活について、詳しく話す事なかったそうですが、古稀近くなり、同じ時期を海外で過ごしていた中学校時代の同級生の私に、溢れるように話してくれました。
この当時、女子大生のアメリカ留学は珍しく、国内では一種のエリート扱いされ、周りもそのような目で見ていたそうです。
日本からの女子大生は一種のイベントのお客様扱いだと、彼女は感じたそうです。
何処かでパーティがあれば必ず呼ばれたそうです。但し和服を着てきてくれと、云う条件で。
まだ慣れない、南部なまり英語でも、まるで何も知らないアジア人が英語をしゃべるのに驚嘆し、大げさに上手と持ち上げるのは直ぐに分かったといいます。
友達と都市から田舎町に行った時に初めて、人種隔離を経験したと云います。
同じホテルに泊まれなかった。町の中のバスに乗った時、座る席を指定された。
アジアの女性は芸者でだれとでも簡単に付き合うと男たちは信じていた。と

そんな時代から時は流れ、日本社会は成熟し、誰でもが、若者は海外旅行にでれる時代になり、「地球の歩き方」(1979)が店頭に出てきました。
私たちが結婚した年(1978)の1年後のことです。
カミサンはその当時、すでにハワイ・台湾・タイ・スリランカ・フィリピン・サイパン・グアムを旅行していたました。
カミサンは、青年海外協力隊を目指していましたが、私と出会い、この人なら自分を世界各地に連れてってくれると確信したと、後から聞きました。

この当時の旅行記と云えば沢木耕太郎(1947 団塊世代)の「深夜特急」と蔵前仁一(1956生まれ、私より8歳下)の「あの日、僕は旅に出た」が私ととって最良の旅行記です。
これ以降、「ゴーゴーインド」「ホテルアジアの眠れない夜」などを読みました。
「深夜特急」は沢木耕太郎が過去の旅を後に小説化したものですが、同年代・同時代を生きてきた同士と、自分の旅とシンクロさせながら読んでいました。
蔵前仁一の本は、これぞリアルな個人自由旅行の指南書と読みました。
極端に貧乏、節約てきな旅ではないのが、この時の私たちに共感を与えてくれました。
バツクパッカーの合言葉に「タクシー、飛行機」は裏切り行為。と云う不問律があったのです。
原則、すべて現地の庶民の足である公共交通機関でなければ、本当のその国姿が見えない・・・一理はあります。
然しながら、仁ちゃんはパートナーと一緒の旅であり、節約旅ながらちゃんと一年間の海外旅行保険に加入し、安全に、快適に二人の個人・自由旅行を楽しんでいたのは、私たち夫婦の旅にシンクロしていました。

それでも今回のブログのテーマ、3K 危険・汚い・キツイは付きまといます。
私たちの旅は、サラリーマンの休暇を利用した旅で、最長でも45日、普通は10日から2週間の旅でした。
3Kの危険は、今思い返すと沢山ありました。
命の危険を感じたのは、サンパウロから空港に向かうタクシーでした。
タクシーは高速道路をぶっ飛ばすのですが途中、南米特有の豪雨で、走っている車はほぼすべて一時路肩に停まるような雨なのに、このタクシーは停まらず、かえってスピードを上げて走り続けるのです。
カミサンは恐怖を覚え、タクシーの運転手の頭を叩いて、stopと云うのに停まらずに、運転手は私にお前の女房はうるさい、飴でもなめさせておけと、私に飴を投げてよこすのです。そして、今ここで停まると、フライトに間に合わないと云うのです。
時計を見ると、まだ1時間の余裕があるのと云うと、お前の時計は一時間遅れている、と云います。その時、初めてアルゼンチンとブラジルに時差、1時間あるのに気がついたのです。
空港のカウンターに飛び込んだ時、アナウンスが私の名前を呼んでいるのに気が付いたのでした。

時差、夏時間の失敗は他にもあります。
キューバからコスタリカに戻る際にもありました。
ホテルでタクシーを待っていても来ないので、急きょタクシー呼んだタクシーは、ホテルをでた途端、ガソリンを買う金を先に払ってくれと云います。
よくある手で、一度拒否すると、メーターを見せてくれ、本当にないのです。
このままでは、帰りのフライトに間に合わないとガソリンスタンドにより、給油してギリギリの時間に空港に着くと、時計は一時間違っていました。
このまだまだ2時間も余裕があるのです。なん帰国するこの日に、夏時間に切り替わっていたのです。

3Kの汚いは、それこそ何処にでも経験しました
特にトイレです。
個人・自由旅行でなくても、日本・西欧の衛生観念と違った国山ほどあります。
昔の中国の万里の長城の公衆トイレは、ドアも仕切りもなく、女性トイレは一列に前の相手のお尻をみながらする、とカミサンは終わったあとニコニコと話してくれました。
砂漠、草むらで隠れてするのは当たり前の常識、アジアの少数民族のトレッキングで民家で借りたトイレは、ボッチャンならぬ、穴一つとかが当たり前。
インド、パキスタンのトイレは、斜めのコンクリートの床とか、カミサンは女性トイレのエキスパートになりました。
一番驚いたたのは、インドの中程度の都市の朝でした。
まだ暗い明け方、ツァーバスが町中から郊外へと走ると、道端にライトが当たると、片手に水桶を持った女性が立ち上がる姿が連続して見えるのです。
ガイドに聞くと、道端で朝の用をたしているのだそうです。
ネパールの田舎では、道端で出産らしき姿を見たこともありました。

汚いという衛生感覚の差
ニカラグア・ホンジュラスでの経験です。
ある地元の人たちが食べる食堂はオープンエアーで、食事が出てくると少女が団扇をもって立つのです。
すると、出された食事にいっせいに大量の蠅が黒山のように集まってきます。その少女はこのハエを追い払うために、私たちの食卓に立っているのです。私たち二人は片手でハエを追い払いながら、一気に食べないとあっという間に食卓は真っ黒になるのです。

ガテマラのジャングルの中の遺跡では蚊の大群です。
蚊柱と云うのを初めてみました。
この遺跡を訪ねる時にガイドからモスキートガイドフェースを持っているか?と聞かれました。
あらかじめ知っていましたので、日本を出る前から準備し、手足には蚊よけスプレーを塗って防備していましたが、同行の西洋人カップルは持っておらず、悲鳴を上げて、遺跡観光になりませんでした。

3Kのキツイは、暑さとおんぼろバスでの移動です。
一番キツイ思い出は、ガテマラ・キリグアからホンジュラスのコパン遺跡に向かうバスでした。
ホンジュラスのコパンに行くルートの最短ルートはキリグアから直接いくのが最短コースで、私たちが参加した現地ツァーも安かったのか小人数だったのか、ツァーバスは、路線バスのチャーターでした。
道路はほぼ、未舗装のでこぼこ道、勿論エアコンはなし、周りは熱帯ジャングル、もう何かのお仕置き、罰ゲームのような状態で3時間の移動でした。
まだ二人とも若かった。
1994年、私は46歳、カミサンは43歳、何処でも怖いもの知らずでした。

他人の旅の話は、3K 危険・汚い・キツイほど面白いものです。
また、別の機会に、命の危険を感じたような、今では思い出となった話を掲載します。


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団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方
posted by 西沢 at 08:06| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年08月20日

100歳ちかくなる人の心とは 「林住期」から「遊行期」へ

団塊世代に残された余命・日数とか、五木寛之の林住期とかを考えていますが、人生百年時代、超高齢化社会と云われる昨今、自分の廻り、親類、コミュニティを見回してみると、確かに90歳をはるかに超す方々が沢山いらっしゃいます。
同じ、趣味のサークルの平均年齢は、毎年上昇しており、意外といっては失礼なのですが、皆さんお元気です。
そして、皆さんがおっしゃるのは「長生きがしたい」、「出来れば100歳」まで生きたいとおっしゃります。
経済的にも、家庭環境、親族に恵まれた方々ばかりでないのに、どうして?と・・・色々な本、記事に目をとおしてみました。
その中で、朝日新聞「Globe」記事が参考になりました。

100歳近い人の心の内には、70代ごろまでの人とは異なる「幸福感」が存在する。
東京都健康長寿医療センターや大阪大学などの研究から、「老年的超越」と呼ばれる精神世界が浮かび上がったといいます。

老年的超越とは

スェーデンの社会学者、ラルス・トルンスタムが1989年に提唱した概念
85歳を超える超高齢者になると、それまでの価値観が「宇宙的、超越的なもの」に変わっていくと云う。
1,思考に時間や空間の壁がなくなり、過去と未来が行き来する。
2,自己中心性が低下し、あるがままを受け入れるようになる。
3,自分をよく見せようする態度が減り、本質が解るようになる。
と云った特徴がある。






研究によると、3,000人へのインタビューや分析の結果「老年的超越」が裏付けられたといいます。
仕事を引退し、体力が衰え始める60~70代では、出来ないことが増えることに不安が募り、鬱々とした気持ちが高まるが、85歳以上になると、超越する傾向が強まるといいます。

今更、「老年的超越」と云う言葉を引き出すこともなく、東洋人・日本人は昔から知っています。
年齢を重ねるごとに、人は丸くなる、大人になる、物質・財産への執着心が薄れていく、つまり、昔の言葉で云うと「仙人」に近づいていくのでしょう。


五木寛之氏の云う「林住期」(りんじゅうき) 50〜74歳から「遊行期」(ゆぎょうき) 75〜90歳への移行なのでしょう。

介護の現場では60~70代の人は、超高齢となった親の様子の変化に戸惑ったり、いら立つすることが多い。「老年的超越」の存在を知ることで、家族や介護職員の接し方も変わってくるのではと、述べています。

さて、現実的に後期高齢者の入り口に差し掛かった団塊世代はどうするか?
まだ、まだ「丸くなる」・「大人になる」・「円熟」とは遠い存在です。
少しづづですが、物欲が薄れてきているのは確かです。
今回のコロナ臨時給付金をいただいても、今すぐ欲しいもの、買いたいものが見当たりません。
本当に欲しいものは、コロナ臨時給付金では足りないからかもしれませんが。
知識欲、旅への意欲も、かなり落ちてきています。それも行きたい所がなかなかなのが原因。
食欲も、かなり落ちてきています、コロナ騒動で在宅が多く、運動不足で太るためどうしても控えめ、カロリーを気にしてしまいます。
異性にたいする関心、慾は・・・妄想はあるものの、体がほぼ追いつかない状態です。
それでも、「長生きしたい」と云う欲望は薄く、当初の老後計画の78歳、あるいは長くなった平均寿命の80歳で十分という消極的な欲望しかありません。

「これではいかん」という心と、「それで十分」と云う心が混在しているのが、今の団塊世代なのか、あるいは私だけなのか?

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団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方
posted by 西沢 at 07:25| Comment(1) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年08月18日

何故か、海外旅行の悪夢をまだ見る

海外旅行を卒業して、もう6年も経つのに何故か、海外旅行中の悪夢を見ます。
道に迷ってしまう夢
何回見ても同じような状況の国、場所なのです。
何度も言葉も通じない、書いてある文字が読めない。
夢の中の場所は何時も同じ場所
バスで降ろされたのは大きな町の郊外、環状線の道路脇
或いは、鉄道の駅の長いホーム、何度も何度も夢の中のこの駅に降り立っています。
自宅に戻る列車は、このホームの向こう側であることも解っているのに
何故か、自宅方面に行く列車に乗れない・・・夢

スーツケースが見当たらない夢
場所は大きなリゾートホテルようです。
何故か、私は大きな団体旅行の一員のようです。
出発時間が迫っているのに、この大きなホテルの自分の部屋にたどり着けない。
たどり着いたと思ったら、ベットが沢山並んでいる大部屋、私のスーツケースが見当たらない。
焦って、探しまくる私、空港へのバスはもう着いているのら・・・

夢のなかで見る観光地、橋、湖、商店街、駅は鮮明です。
きっとこれまでに見てきた風景の一部がモザイクのように混じり合わさって、一つの風景として現れるのでしょう。
実際には、言葉の通じない、読めない、発音できない国で一瞬迷ったことはありましたが、ちゃんと電車・バス・タクシーに乗ってホテルに戻ってこれていますし、実際のその時でさえ、夢の中で感じるような、焦燥感はありませんでした。
この年齢になって、これほど頻繁に、同じような場所の同じようなシチュエーションの夢を見るのは何か理由はあるのでしょうか?

先週、朝刊紙の大きなスペース新刊の広告に目がとまりました。
タイトル「海外旅行なんて2度と行くか、ボケ」

キャッチコピーは
・「旅嫌いのひきこもり作家」が今度はなぜ、北朝鮮へ
・キラキラも絶景も一切ない、意識低い系旅行記
・こんなに笑える旅行記読んだことない
著者はさくら剛、1976年生まれ 44歳 作家
出版社は わたしの旅ブック 産業編集センター
 
先ずはネットで調べてみました。
目次は
1:旅先での病気は地獄@ 〈アメリカ〉
2:旅先での病気は地獄A 〈アメリカ〉
3:安宿とトイレのトラブル 〈タンザニア・ジンバブエ〉
4:現地人との交流(冬) 〈パキスタン〉
5:現地人との交流(夏) 〈バングラデシュ〉
6:動物のトラブル 〈トルコ・ペルー〉
7:勝手に出て来るガイド 〈タンザニア〉
8:善のガイド、悪のガイド 〈パキスタン〉
9:ビザと国境越え 〈イラン〉
10:必要なウソとのつき合い方@ 〈北朝鮮〉
11:必要なウソとのつき合い方A 〈北朝鮮〉

目次とネット上の書評である程度の内容はわかりました。
引き籠りバックパッカーの海外での、汚い、キツイ、危険、安いを自慢する旅行記ではないようでした。
著者のあとがきのある文章に目がとまりました。

たまに、長い旅した経験を後生誇って、「毎日スーツ着て満員電車で通勤なんて、おまえらそんな奴隷生活はやめて旅にでようぜ!、さあ一歩踏みだすんだこの、俺のように!!」となんだか偉そうな態度で世間に呼びかけている旅人を見かけます。
しかし、それは勘違いも甚だしく、言うまでもないが、偉いのは毎日ちゃんと通勤して働いている人たちです。
長期旅行者と云うのは、仕事もせず長々と趣味に興じているという点で、オンラインゲームばかりやっている引き籠りとダメ人間でりでは大差ないんです。
別に人様に迷惑かけにければ、引き籠ろうが、長旅にでようが個人の自由ですが、日本の円やパスポートが強く、日本人が気軽に旅に出れるのは、毎日通勤して働いている人たちのおかげなんです。
・・・・後略


これを見て、昔よく読んだ、バックパッカー旅行記とは違いそう、しばらく海外旅行ものを読んでないので、買ってみようかなと思いました。
定価税別1,000ですが、ネット、アマゾンで買うと、ここに送料450かかるのです。
B6版の雑誌で送料450円はないでしょう。
そこでダメもとで、大船で唯一残った書店「セイユー6階のくまざわ書店」で、今朝の朝日新聞の広告欄に掲載されていた本と云うとすぐに出てきました。
ネットよりもリアルショップ・・・手に取って読め、郵送料もかからない。
でも、首都圏に属する、ターミナル駅周辺で、残っている書店は、2軒だけ。後はルミネウイング6階にある「アニール」だけです。どんどん書店がなくなっていく現実。

本は最近、38℃と低めお風呂の中、半身浴で一時間と決めて読みはじめました。

前文 はじめに
近頃は「旅」に対するイメージがずいぶん綺麗になったと思います。
テレビがメディアの王者だった頃、人々は大陸横断ヒッチハイクをする芸人や、魔境アマゾンに巨大蛇や、原始恐竜魚を探しに行く探検隊を見て「ああ、旅って大変なものなんだ」と云う感想を抱いていました。
ところが、テレビに代わってインターネットがメディアの王座に就きつつある今日、私たちの目に入ってくる「旅の情報」と云えば「薄い知り合いが旅先からSNSに投稿するキラキラした海外の風景」が主流です。
美しい景色、ぜいたくな食事、ゴージャスなホテル・・・異国と人とふれあいを楽しんでいる私の写真・・・
そもそも、SNSの投稿は多かれ少なかれ、自慢の要素が入るもの、自分はこうして海外でエレガントな休日を過ごせる人間なの・・・とアピールするため優雅な投稿にかるのは、当たり前。
嫌な、不便な話や、汚い写真なんでUPするわけがありません。
中略・・・
ともあれ、SNSの世界では「海外旅行と云うのは押しなべて、優雅でエレガントなもの」と多くの人がかんじているのではないでしょうか
ところが、旅と云うのただ優雅なものてはないのです。
もちろん、ガイド付きツァー、団体パックなら別ですが、「自由に行動する旅」は、優雅どころかむしろ苦労の連続です。まれに切り取ってSNSら投稿したくなるような優雅な瞬間もありますが、その裏に何十倍という苦労が隠れているのです。
後略・・・・



この著者44歳の足跡、この本だけではないでしょうが・・・
現在72歳の私、団塊世代おじさんの歩んできたルートと同じなんです。
目次の1、2のアメリカ
 初めての海外旅行、アメリカ横断旅行、最終目的地ラスベガスで盲腸炎を発症する話を
 延々と、面白、おかしく50ページに渡って書いています。
 こんな風に自虐的、余計な言い回しのコメントでしか、この海外旅行保険の必要性につい
 て書けなかったのかな?

3:安宿とトイレのトラブル〈ジンバブエ〉
 バックパッカー宿に泊まった経験がある人なら誰でも経験しているお話です。
 宿にはトイレの数が良くなく、男女別ではない話、便座があればいいほう、あっても割れて
 いてお尻に食い込み「痛い」、水洗が流れなくて、先客のお土産がぷかぷか浮いているなど、
 確かにSNSにはありませんが、私たちの世代のバックパッカー宿経験者なら、超常識の、
 あえて面白おかしく書くほどの話題ではない

4、5:現地人との交流〈パキスタン〉〈バングラデシュ〉
 団体旅行や短期の旅行では、先ず99%はない現地の人との交流、あるとすれば詐欺・
 物売り・性的暴行の類について語っています。

6:動物のトラブル 〈トルコ・ペルー〉
 トルコの野良犬と、ペルー・イキトス、アマゾンジャングルでの蚊の大群・塊のお話
 これも、特別語られなくても、南米・アジアを旅するバックパッカーには常識のお話です。
 面白、可笑しい語りで綴っていました。

7、8:勝手に出て来るガイド 〈タンザニア〉〈パキスタン〉
 相手から話かけてきたら、99.9%詐欺・物売り・泥棒・ガイドであることは間違いない
 のは、個人自由旅行者の常識

9:ビザと国境越え 〈イラン〉
  イランからパキスタンへ入国のアライブビザの話、一般的な旅行者には必要のないお話

10、11:必要なウソとのつき合い方 〈北朝鮮〉
 2016年、中国・丹東から北朝鮮に個人観光客として入った時のお話です。
 私が行った頃2002年、よりもピョンヤンの劇場化が進んでいるように見えました。

以上、興味ある人は買って読んでください。
但し、欧米・アジアの先進国へ、旅行代理店のたとえフリーツァーでも行き、旅先で画像をUPするような人はこの本に書かれている知識は、1,2の海外旅行保険以外は必要のないでしよう。





仕事と旅の悪夢は退職した年からづっと続いています。これからも夢見るのでしょうか。

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団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方
posted by 西沢 at 07:47| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年08月16日

定年退職シニア 残り10年間の生き方、過ごし方、楽しみ方

渡哲也 78歳の死
猛暑のなか、テレビ画面では渡哲也(1941年生まれ)の死を報じています、78歳。肺炎。
弟である渡瀬 恒彦(1944年生まれ)は2017年に肺気腫でなくなっています。73歳

78歳と云うのは、私が早期退職計画を作成するにあっての資金計画のなかで、自分の死亡年齢を、当時の平均寿命として設定した齢です。
改めて芸能人の年齢は、亡くなるときに知ることが多くなりますが、もっと自分よりも年上と思っている人が、自分とさして違わない年齢であることに驚かされることが、齢を取るに従い多くなりました。

78歳、肺炎、恐らく喫煙者でもある私はも同じ経過を辿るのであろうと、思いました。
後、6年か!

先日のweb上の友人からのメールの中にこのような文章がありました。

管理人さん、熱いですね!
日に日に衰える気力体力なので、余計に堪えます。
考えてみれば私の余命も2,800日を切ったので、これが健全な老化なんでしょうが、ついつい過去にこだわってしまうのがいけなんですよね。


はて?「2,800日」とはと1年365日で割ってみると7.6年、この友人は私のサイトの古くからお友達で、団塊世代です。
この方とは、学生時代の北海道バックパツク旅行や、軽井沢星野教会での身内だけ参加の結婚氏と、共通点が多く、もしかすると、若い頃何処かですれ違っているのかもしれません。
彼と共通している点は他にもあり、定年退職後、老過の一時期を海外ロング・ミドル・リピートステイで過ごしてき、自分の老後をとりあえずですが、日本の男性の平均余命・寿命と意識していることです。
最近の政府の「人生100年」と云う煽り言葉には乗らず、人間何時かは、老いていき、静かに消えていくことを、常に考え、五木寛之氏の「林住期」と云う言葉、考え方を教えてくれた方です。

林住期とは
古代インドでは人生を4つの時期に区切る。
「学生期」(がくしょうき) 0〜24歳
「家住期」(かじゅうき) 25〜49歳
「林住期」(りんじゅうき) 50〜74歳
「遊行期」(ゆぎょうき) 75〜90歳
その中で「50歳から74歳までの『林住期』こそ人生のクライマックス・・・と。



先週の新聞広告のなかに、団塊世代をターゲットとする、センセーショナルなる見出しの「週刊現代」に、
迫りくる死とどう付き合うか?
残り10年間の生き方、過ごし方、楽しみ方
・残りを濃密に生きる
・最後の最後で不幸になる考え方
・無事に生きる事の大切さ
・10年あれば、あんなこともできる
・お金との付き合い方も決まる
と、見出しが躍っていました。

これまでの経験から、週刊現代のシニア、団塊世代向けの特集記事は、キャッチコピーと裏腹に、内容は私たちリタイヤシニアにとっては、すでに経験・学習済みの内容なので、買って読んでもさした内容でもないのは分かっていますが、カミサンは私も読むから買ってきて、550円なら良いじゃないということで、コンビニでの立ち読みをやめて買ってきました。

記事の内容は、6人の同じような世代の方々への取材記です。

1,コロナで悟った、大切なのは「残り」を濃密に生きる事
取材対象者は75歳の一部上場企業の経営研究所社長Sさん
要約
70代は死に向かってソフトランディングする時期と考える
座右の銘は「悲観は気分のものである、楽観は意思のものである」と云う哲学者アランの言葉
どうせいい年齢だからと気分に流されたら、それで終わり、進歩のない10年が待っているだけ、一方楽観的であれば「できるはず、やってみよう」
と意思の力に助けられる。残された時間、ただ老いて行くのも、若返るのも気の持ちよう。
人生は一度しかないチャンス。今回のコロナで、誰でもがそう感じたハズ。
長短はあれ、残された時間は限られている、肝心なのは、それをどんな密度で生きるかだ。
※管理人のコメント
 ごく一般的なコメントで、さしてこれからの10年の私たちのメルクマールにはなりません。
 こんな解り切ったことを、あのセンセーショナルなキャツチコピーを書く編集者はエライ!

2,最後の最後で不幸になるのは、こんな暮らし方、こんな考え方
取材対象者は75歳、タレントの大木凡人さん
要約
年を重ねれば重ねるほど、人と話すことが大切になってくる。
コミュニケーションをとらなくなると、固定観念が増え、次第にひとに考えを押し付けるようになる。
今まで自分が経験したことが、一番正しいと思い込んでしまう。70歳を過ぎたら注意しよう。
出不精の人は人目わかる、同世代の人に比べ、老けているし、むさ苦しい。
人目を気にしなくなるから、話していても思考が凝り固まっている。
自分から積極的に外に出て、動かないと幸運も訪れない。
※管理人のコメント
 積極的に外にでる・・という考えは賛成です。でもどこへ出ていけば良いのか分からないのが、一般的な退職サラリーマンシニアなのですが

3,人生の儚さを思い、無事に生きることの大切さを思う。
取材対象者は80歳、タレントのデヴィ・スカルノ夫人、82歳、中島誠之助、72歳 俳優 寺泉憲
要約なし ほとんど読まずに飛ばしました。
※管理人のコメント
 参考になる、意見、考え方、人生観なし

4,10年あれば、こんなことも、あんなこともできる。
取材対象者は70歳、気象予報士 森田正光さん、79歳、編集者 石川次郎さん
森田さんは、残りの人生、何をして生きるかというの常日頃から考えている。
60代後半を過ぎた頃から体力がガクンと落ちてきました。後10年ぐらいでなくなるのかなと思うようになり、自分が死ぬ前にどうしてもやり遂げたいと思うことをメモした。
それは皆既日食を日本でみること、それは15年後の2023年、私は85歳、それまでは健康に生き、幸せな余生を過ごすと云う、最高のモチベーションになっています。

編集者 石川次郎さんは、80歳になる前に、自分なりのバケットリスト(棺桶リスト)を作り、ひとつづつ消化していきたいと語っています。
※管理人のコメント
いずれの方も、いつかは死ぬ、現在の気力・体力・好奇心がこの先づっと続くとは限らないということを自覚しているのです。
これは、大切です。私の廻りの80代は、人生100年、もっともっと長生きしたい、と語る人が多いです。
もしかして、自分が80歳を超えた頃、もっともっと長生きしたい、100歳まで生きたいとかんがえるのでしょうか?

5,あと10年なら、お金との付き合い方も決まってくる
ファイナンシャルプランナーの横山光昭氏は、
あまり長くはないだろう残りの時間からかすれば、これから株や投信などで、お金を殖やすのはリスクが高すぎる人生の残り10年と云うタイミングでのお金との付き合い方は、不要な出費を如何に回避するかにかかってくる。
しかし、節約を意識しすぎるあまりに、人生最後の貴重な時間を楽しめなくなったら、本末転倒。必要なものと不要なものをきっちりと仕分けし、支出を絞る、それは人間関係にかかるお金も同じこと。
汗水たらして貯めたお金、人生の最後に、自分が幸せになれる方法に使うのが一番だろう。
※管理人のコメント
改めて、40代、50代のファイナンシャルプランナーに言われなくても、現役年金リタイヤシニアの72歳は、そんなことは十分わかっています。

6,「余命」が教えてくれた、これからの生き方、振舞い方
取材者はビートタケシのお兄さん、78歳 北野大さんや、79歳元フジテレビアナウンサー、73歳 露木茂さん、元タイガースの江本孟紀のお三方が語っていることは全て共通しています。
人は一人では生きていけない、自分は一人ではない、家族・親戚・ご近所との生活を大切にしたい・・・

※管理人のコメント総評
ここら辺まで、読んで、投資した550円は失敗、無駄金であったと思いました。
またも、講談社「週刊現代」編集部に騙されました。
カミサンは長風呂のなかで先に読むと云って、浴室に持ち込みましたが、何時もなら半身浴で一時間以上入っているのが、30分ででてきました。
「つまんない」
「ためになることなんか一つもない」
「年金シニアなら誰でもが考え、知ってることばかり」の一言。

私と云えば、550円の出費を少しでも元をとろうと、袋とじ「封印未公開ヌード戦後女優ヘアヌードベスト50」女優と云う人生と云うページにはさみを入れてみました。
今更、加賀まりこを見てもね・・・やはりつまらない見なきゃよかった。
posted by 西沢 at 08:07| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年08月14日

私たちが海外旅行を卒業した理由は

パスポートを更新しなくなってから6年経ちます

1967年にパスポートを手にしてから、づっと更新し、パスポートがないという状態を想像すらしていませんでした。

最後の海外旅行は定期的に訪れていました、2014年のハワイ・ホノルル滞在でした。
あれから、6年、パスポートの更新せずに、海外には出ていません。
66歳で海外旅行を卒業しました。

元々、55歳で早期退職した大きな理由は、航空券の安い時期にいつでも自由に、行きたい処に行くのが夫婦二人の大目的でした。

退職する以前でも、自分の休暇は比較的、自由にとれる仕事内容、立場でしたが、それでも長期間や、最良の季節、お祭りのタイミングでとるのは難しく、早く退職するのを夢見て、55歳で退職後の老後資金のメドがたち、退職に至りました。

退職した2003年、最初に目指したのは、海外ロングステイの候補地探し行脚で、3週間単位でバリ島、オーストラリア、チェンマイ、ペナンなどに滞在し、その後の5年は、バリ島とホノルルの居心地の良いホテル・ゲストハウスに定期的に滞在し、他には、アジアの奥地、ラオス・ベトナム・カンボジア・ミャンマーなどの少数民族の村や、お祭りに出かける、退職後の海外旅行行脚の生活を続けていました。

アジアの奥地の旅行を卒業するきっかけは、2012年のミャンマーでした。

ミャンマーがほぼ鎖国状態の頃から旅してきた私たちですが、2010年あたりから、ミャンマーはアウンサンスーチーさんの政党が民主化を目指しはじめ、行くたびに現地のホテルの値段が上昇し、昔は秘境パーミッションが必要な、特別な聖地、チャイティーパゴダにも日本人の団体旅行客が入ってくるようになりました。

最後のミャンマーは、ミャンマー南部とタイ国境でカレン族との内戦状況下にあった地域でした。
馴染みの現地旅行社から、政府とカレン族の間での停戦が成立し、今がのチャンスと云うお誘いで、これまで一般旅行者が入れなかった場所、前々から行きたかった場所に行けることが決まり、日本の品川にあるミャンマー大使館でビザを発給してもらって、旅にでました。
この旅行記はガイドブックにないミャンマーの旅 カレン州・パアンとモン州・モーラミャイン書いています。
この旅行から帰ってきて、数日後の深夜、みぞおちに強烈な痛みと発熱で、すぐ近くの湘南鎌倉総合病院へ救急搬送されました。
検査の結果、胆管結石の疑い、再度、すい臓から胆のうまでの精密検査が再入院となりました。

身に覚えがない訳ではありません。
このミャンマー南部からヤンゴンに戻る途中、のどが渇いたので一軒の小ぎれいなカフェに立ち寄りました。
店は、ヤンゴンの町なかの高級住宅街、見まわすと外国人観光客の姿が多く、衛生的に大丈夫そうな雰囲気で、ここでミックスジュースを注文しました。
へんな炭酸飲料よりも、安全だろうという意識がありました。
しかし、これがいけなかった。その日の最後のミャンマーのホテルで強烈な下痢に見舞われました。
今、考えてみると、ミルクシェーク的な飲み物で、氷が使われていたのでしょう、その氷が原因だったと思われます。
帰国の朝は多少の体調の悪さもありましたが、そのまま飛行機に乗って帰国しました。
救急車で運ばれたのは、帰国して2日目の夜でした。

救急外来のドクターにこの旨を話しましたが、今の私のみぞおちの痛みとは、直接むすびつかず、元々胆石があっと処の誘因になったかもしれないが直接的には関係ないだろうと言われました。
その後、胆石発作は以前ような強烈な痛みではないものの、時、所を問わずに発生するようになり、1日二錠3回の服用が必須となりました。
これが、我が家の元医療関係者であったカミサンに恐怖心を与え、少なくとも、医療の充実した国でないと、海外には出られないとなりました。
この騒動の後、海外はいつものホノルルののんびり滞在のみとなりました。

私たちの感覚では、ハワイは海外ではなく、何時も滞在する心休まる場所だったのです。
胆石と云う持病を抱えた身でも、ホノルルの医療事情は日本と同じで、日本語対応のクリニックも多く、安心できます。
これまで、海外医療保険はクレジットカードの保険でしたが、胆石発作以降は、空港で単発の、死亡時は安いけど、日本への移動・救援者の手当を厚くした、保険に加入するようになりました。
胆石発作以降も、退職した年2003年から繰り返してきました、年に2回、9日間、7泊の旅を続けてきました。
しかし、同じ航空会社・同じホテルで、2003年当時は全て現地の観光移動費、食事代込みこみで二人で25万円で収まっていたものが徐々に変化し始めたのです。

理由のひとつが、宿泊費の高騰です。
ずっと定宿としていた、ワイキキの西のはずれにある、パジェットホテルの一つ、アンバサダーホテルが中華資本に買収されてからです。
アンバサダーホテルについては、私のロングステイ情報サイトで詳しく紹介しています。
ホノルル・アンバサダーホテルで過ごす、ミドルステイこの頃から、ワイキキには、中国人の団体客が目立ち始めました。
夕刻になると、十数人の大きな黒い塊が一緒になって、カラカウワ通りを移動する姿が目立ち始めました。
そして、カラカウワ大通りの裏側、クヒオ通りに高級ホテルの「リッツカールトン」が建設を始めていたのです。

やがて、ハワイを卒業する決定的な出来事が起こりました。
2017年(平成29年)「テルミークラブ」の破綻です。
2003年に退職し、ハワイへの年に数回のリピートミドルステイは、「テルミークラブ」のパックを利用し、航空会社は中華航空(台湾)、ホテルはアンバサダーと決めて利用していましたが、2015年あたりから、「テルミークラブ」はハワイ専門店から、世界各地へのツァーを手掛け始め、ホームページのハワイページへのアクセスがつながりにくくなり、webの世界の人間として何か違和感を感じていました。
ハワイにもそろそろ飽きてきていましたし、今更、ホノルルの中級ホテルに7泊9日二人で、40万円も出して行く気がしなくなっている頃、案の定、「テルミークラブ」は破綻しました。
webの世界に属する人間として、その会社の状況見分け方として、会社の顔であるホームページが更新されなくなったとか、アクセスの反応が極端に鈍いとの症状がでてきた時は、「要注意」です。会社の経営人の目が行き届かなくなっている証拠です。

1978年結婚した私たちは最後のハワイまで、二人一緒の海外旅行は都合、98回、年に2.7回のペースでした。
少なくとも、この先100回は行くものと思っていましたが、98回で打ち止めです。
人間、徐々に年齢を重ねると、体力・気力・好奇心に変化が訪れます。
何時かは、何かをひとつづつ卒業していくのが人生だと悟るのは、古稀と呼ばれる70歳です。
勿論、個人差はあるでしょうが・・・


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posted by 西沢 at 07:30| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年08月12日

青森帰省コロナ張り紙で解る、定年後地方移住の実態

日本中が盆休みに入った今週、スポーツクラブも休みで行くところのないカミサンは、朝からリビングでワイドショーを見ています。

私は、何時もと同じように、体重・血圧の記録の後、朝日新聞の天声人語の書き写しをしていると、カミサンから「青森の、やってるわよ、」と声がかかります。

主語・目的語のない、60代女性の会話に、ちょっとイラつく私は
「青森のって何・・」と返事をすると
「ほら、帰省したら、帰って来るなの張り紙事件の」と、いもちいち解説しなくて解るでしょと云うニュアンスたっぷりの返事です。
まあ、少しは関心があったので、リビングに行くと、全国ネットでやってました。

ここから、カミサンの何時もの田舎論が始まりました。
「田舎って、隣近所の人が東京からきたら、30分以内でわかるのよ」
「半日もしないうちに、お土産の内容も解るのよ」
「田舎って、走っている車を見て、どこの家なのか分かるのよ」
「スーツケースをごろごろ転がして歩いたら、もう大変な噂よ」
「この間、山陰の田舎町までバスで行って分かったでしょ」
「人口7万の町だって、スーパーで何を買ったかわかっちゃうのよ」

カミサンの生まれ・育ちは、北関東の、町中ゴルフ場だらけと云う市のなかでも郊外。市町村合併の前は村と呼ばれていた田舎です。
隣組制度がいまだも機能している田園地帯です。

土曜日夕方の「人生の楽園」を見ながら、何時も呟いています。

都会の慌ただしい時間から、自然に囲まれた自由な時間を満喫・・・なんてウソ
田舎の田園地帯にプライバシーなんてないのよ。
まったく、隣近所・地域と縁を切っての生活なんか出来やしない。
ご近所さんから、野菜や何かのいただきものがあるけど、それに相当するお返ししなかったら、直ぐに知れ渡るわよ。
あんな田舎で、しゃれたカフェやレストランをやってるけど、TVカメラが入っている時だけよ、お客さんが来てるのは。
あの田舎で洒落たリフォームをし、厨房にお金かけているけど、投資資本の回収なんて考えていないんでしょうね。
それに、今は二人とも元気でいいけど、一人になった時のことを考えないのかしら?
車に乗れなくなった時のことを考えないのかしら?
自分が高齢者と呼ばれる年齢で、この環境のなかづっと生活出来ると信じているのかしら

私も、カミサンの意見・考え方には基本的に賛成・同意しますが、それでも、人間いろいろの見方もあると一言つけくわえています。
今回の青森帰省コロナ張り紙でも、様々な立場からの意見があるようでした。

青森の実家の件しょうがないなーとは思う 医療も交通手段も充実してる東京とはわけが違うんだよね。
東京、都会と同じ基準で考えないでほしい 病床数も全然違うし。
かかろうものならどこからか必ず話が漏れて一瞬で伝わるし良くなったところでずーっとチクチク言われ続けるんだよ


張り紙張られて、これを脅迫事件として警察に訴えた方
こんなに全国的な事件、ニュースとして広がると想像していたのでしょうか?
張り紙の画像が出回っているのを見ると、ご本人がメデイアに公開しているのでは。
事件としたご本人は、お盆が過ぎたら東京へ帰れるけど、ご実家はそのまま、青森に残るのです。警察に届けた時、ご実家のこれから先を考えましたか?


青森の実家の記事、なんで帰省した人擁護されてるんだろう。 色々な事情あるだろうけど、今年の帰省は避けるべきだと思う。
ビラ貼る行為自体はやりすぎだけど、言いたいことは分かるけどな。
事前にPCRで陰性だったから大丈夫の意味も分からない。その後感染してるかもしれないのに。


ビラを書いて張った人・・・文字から50代から60代の女性ではないでしょうか?
きっと青森の現場では、ご近所の人たちの間で、人物を特定していると思います。
ちょっとやり過ぎだったかもしれませんが、心情は理解できます。
何も、無理して帰ってこなくても良かったのではないでしょうか?
貴方の住む、東京都知事も出来るだけ控えてと云ってるのに



9月の旅の予定は
この原稿を書き終えてから、8月の旅行は自粛することにして、9月の予定をたてました。
毎月出かけたいところですが、さすがに暑いのと、自主規制で9月初旬にしました。
あまり田舎に行くと、首都圏からの旅人として目立つので、今回は近場の一泊2日、愛知県の犬山と常滑を回ることにしました。

JR東海のホテル・新幹線パックだと、Gotoトラベル対象になり、テストケースとしてポチしました。宿は名古屋駅から徒歩5分のシティホテルで朝食だけ、+新幹線こだま往復で二人で40,600円からJR東海の会員ポイント200を引き、
40,400円がGotoの対象金額で、とりあえずJR東海の支払いは35%引きで26,190円、クレジット払いです。
地域限定クーポン分の15%は6,000円分ですが、9月にならないと内容はわからないようです。
まあ、カミサンのお土産代には十分でしょう。

名古屋市内は何度か行っていて、見るところないのですが、今回は栄町のオアシス21は是非、夜に行って撮影したいと期待しています。


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posted by 西沢 at 08:00| Comment(1) | TrackBack(0) | シニアライフ