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2020年07月10日

コロナスポーツ自粛 体育館の再開 ラケットテニス 

昨日、2月27日以来4か月ぶりに、鎌倉市の大船体育館が市民に開放され、私たちのラケットテニスのメンバーが集まりプレーを再開しました。
この4ヶ月、新型コロナcovid19の影響で、鎌倉市の公共施設、図書館、公民館、NPOセンター、体育館、公園などが、自主的に閉鎖され、利用出来なかったのですが、6月半ば頃から徐々に開放されるようになり、体育館が最後まで閉鎖されていました。




どうして、市の施設なのに一斉に開放・利用できなかったの?
どうやら理由は、日本のお役所の縦割り行政のせいのようです。
私が絡んでいた、市民活動ボランティアセンターの市の担当部署は「市民生活部地域のつながり課」です。そして、体育館は「健康福祉部スポーツ課」です。
これらの施設の運営は全て、指定管理制度の元、一般企業や社団法人、NPO法人が実際に下請けとして運営管理しています。
鎌倉市の目玉事業である、「鎌倉芸術館」は「サントリー財団」が指定管理者で、体育館は「コナミスポーツ株式会社」&「 日本メックス株式会社」のJVで運営しています。
コナミは解りますが、日本メックス株式会社って何なの? どうやらNTT関連のビルメンテ会社のようです。
鎌倉市は今、図書館も指定管理制度にして、外部民間企業に丸投げを画策しているようで、ツタヤが手をあげるとの噂がありますが、鎌倉の文化を背負ってきた、色々な市民活動団体、特に子供たちの教育・学習に力を注いできた団体が反対の声を上げています。
と云うことで、市の施設の開放時期は、指定管理を受けている業者と行政の姿勢にあるようです。

ラケットテニスとはどんなスポーツなのか

ラケットテニスは、誰でもが初日から気軽に楽しめる、軽い・柔らかいスポンジボールを使った室内テニスです。
体育館等のバドミントンコートで硬式テニスとほとんど同じルールでスポンジ製のボールを使用して行います。
テニスコートより狭く、ダブルスで、ジュニアサイズの軽く短いラケットでプレーするので体力に自信が ない方にも充分楽しんでいただけます。
ネットの高さは90cmと低く、サーブやスマッシュ等が自由自在です。
ルールは軟式テニスとほぼ同じで、ボールはスポンジ製で安全に楽しめます。
ラケットはジュニア用を使い、短いので 手のひら感覚で打てますので、失敗が少なくラリーが続き、ゲームが盛り上がります。 室内の小さなスペースで楽しめる、テニス経験がなくても、誰でもが簡単に、初日からプレーできる手軽な スポーツです。
ラケットテニスは1970年にスェーデンで開発されました。
これにより子供が気軽・簡単にテニスを楽しむことが出来、スェーデンがテニス王国になる大きな貢献を果たしました。
鎌倉ではラケットテニスと呼ばれていますが、現在の日本ではスポンジテニス・ミニテニス・ショートテニスなど色々な名前で 呼ばれており、
シニアのリクレーションスポーツばかりではなく、各地で大会が開かれるようになっています。

4ヶ月ぶりのスボーツ・ラケットテニスです。



大船体育館の場合、コロナ対策以降の利用者定員は25名です。これ以上多い団体は分割してやらなくてはなりません。
私たち正会員メンバー15名で、この日、久しぶりに、11名が集まりました。

集まったら、すぐにスポーツ・試合が出来るかとと思いきや、大変でした。
指定管理のコナミスタッフから、コロナ対策として一定の期間の利用制限の説明がありました。
・更衣室は使えません。
・シャワー室も使えません。
・下駄箱が使えませんので各自、袋をご持参ください。
・入退館時、マスクを着用して下さい。運動時は各自の責任においてご判断下さい。
・クラスター対策として、参加者全員の連絡先・年齢・住所・体温の記録が必要です。
・入館・利用時の混雑を避ける為、参加者全員一緒に入ります。
・遅れてくる場合は、事前に代表者にご連絡ください。
・利用人数制限がありますので、当分の間ビジター参加は出来ません。

私がこのラケットテニスのメンバーになったのは15年前で、67才の時でした。
あれから、メンバーの出入りはありましたが、ラケットテニスと云うスポーツは、ジャンルとしては、リクレーションスポーツの為、メンバーのほとんどは、後期高齢者の仲間入りする世代ばかりで、一人の女性を除いて最年少者でも67才と云うお年寄り、老人クラブのようなメンバー構成です。
最初に会の代表(75才)の女性は久しぶりに会う、メンバーにこの4ヶ月、何かスポーツや、身体を動かすことをしていましたか?と問いかけました。
軽いスポーツとは云え、この高齢者のメンバーでいきなり本番の試合で、怪我でもされるのを懸念しての結果です。
朝からの雨で、温度も湿度も高いこの日、ともかくスロースタートを心掛けました。
と云うのも、この4ヶ月身体を動かすことと云ったら、カミサンと二人でのやるラジオ体操と、雨でもなく、カンカン照りでもない日に限っててのお散歩程度で、ちょっとスクワットの真似をしただけで、翌日から臀部が痛く、湿布を張るような体力のシニアなのですから。



そろり、そろりの手探りのようなスタートでしたが、何時しかボールを追いかけていると、四ヶ月ぶりの自分の体力・体調を忘れ、二時間はあっという間に過ぎ、汗びっしょりになって、今日のところは終了しました。

さあ、これで来週からの木曜日は、シニアおじさん、おばさんの一週間の一度の、外出して、仲間とおしゃべりをし、心地よい汗をかくスケジュールは復活したのです。
この日、東京では200人超えのコロナ患者が発生しましたが、願わくば、鎌倉市の体育館担当者は、このような私たちシニアの楽しみを奪わずに、このまま体育館を開放してくれるよう、せつに願うばかりです。

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団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方
posted by 西沢 at 07:35| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年07月07日

定年後の想定外、旅行に行けない理由・・親とペットと家庭菜園

新型コロナ起因によるのカミサンのつまんない病は重症で、本当なら入院が必要な状況です。
6月末の県を跨いでの移動自粛が解除され、7月に入ると、今まで鳴りを潜めていた、大手旅行会社からのパンフレットや、メールマガジンが届くようになりました。
しかし、目新しい、旅先・企画はなく、8月から始まるであろう、「Go To Travelキャンペーン」 を待たなくてはならないでしょうが、カミサンはかなり重症なので、7月には出かけることにしました。
今年の前半1月から6月までの、我が家の旅の年間計画は一泊以上の旅行を5~6回でしたが、1月の伊豆ジオパークの旅が最後で後は、コロナ自粛・巣ごもりでしたから、予算は十分に余っており、普段なら費用的には厳しい、関東首都圏から一番時間的には遠い、山陰地方の温泉地、2か所に行くことにしました。城崎温泉と湯村温泉へ、JRとバスの個人自由旅行です。

友人と会った時、次の旅のプランの話になると
「いいな、自由に二人で旅行出来て」と云います。
「そっちこそ、大企業を定年まで勤めあげているので、企業年金・厚生年金は人の倍以上、いつ
でも出かけられるだろうに」
「俺も、そう思っていたんだけど、実は想定外・・・宿泊を伴う旅行は難しいだ」
「何が、想定外だったの」
「95歳になる母親」

想定外の問題1 、年老いた親がいるので旅行に行けない
彼は云います 
「実の生みの親のことをこんな風にお感じる、思うとは思ってもみなかった。
何時までも、元気で長生きして欲しいと、思っていたのは本当だ。
でも、こんな状態で95過ぎまで生きるとは、想定していなかった。
旅行に行くのに、施設に預けると云う手段は勿論知っているが、一度試してみたけど、施設側から次回は断られたかなり、本人の精神状態が混乱するようで手に負えない状況になるみたい
そんなお袋を放っておいて、妻と旅行にいけない、そんな気分、ましてや海外なんて夢のまた夢
女房にも、随分、世話・手間をかけ、申し訳ないと思っている。
俺はいいから、たまには、友達と旅行にでもと勧めて、半年に一度程度、友人と日帰りツァーに行く程度」

そうなんだ・・・、確かに親の介護に関しては50代、60代の現役の頃、定年後の生活を考える時にあまり問題とか、リスクとかを考えることはなかっと思います。
特に、私たち二人とも地方出身で東京首都圏に住む人間のパターンは、長男・長女ではなく、両親と同居する兄や姉がいる場合が多く同居はリスクではなく、メリットと捉えていたかも知れません。
幸いと云うか、私もカミサンも両親の介護らしい介護は経験はしていません。
男親二人は71・72才で短期間の入院で亡くなり、女親は二人は、少しの痴呆はみられましたが、二人とも入院とか施設のお世話は少なく85才、92才で自宅で亡くなりました。
私たち団塊世代は両親の介護をリスクと表現するには、抵抗がある世代です。
では、次に続く世代にどんなアドバイス、経験則を伝えられるだろうか・・・

解りません・・・が最低限必要なことは
苦労・嫌な事・辛い事を和らげる効果があるのは一つは資金力であることは間違いありません。
もう一つは、自分一人で抱え込まない事、行政・地域サービスの制度を普段から熟知しておくこと。
そして、伴侶・子供、親戚兄弟とこんな時はと、話しをする機会を持つことなんでしょが・・・

想定外の2 ペットがいるので、旅行に出かけられない
この話を聞いた時は、私は「ペットホテルがあるだろうに、預ければ、そんなに高くはないでしょう」と云います。
しかし、友人は
「ペットを飼ったことがある?、無いでしょう、子供と一緒で、預けてなんて行けないよ、楽しめないよ」
 解らない、その気持ち。ペットは犬なの、猫なの?と聞くと
「大型犬、子犬の頃から育ててもう、13年にもなる、オジーちゃん犬」
「実の息子・娘はさっさと家を出ていったきり、でもこの子は俺がいないとダメなんだ」
「人間の子より、この子のほうが大切」
ペットと一緒に泊まれるホテルってあるようだけど・・
「小型犬、室内犬に限っての話で、大型犬は難しいよ」
「それに、この子を載せて車の移動はせいぜい長くて2時間、それ以上は車酔いするからダメ」
ヘェー、そうなんだ、ペットって大変なんだ

この話をした友人は
「ペットを飼うことによって、旅行に出かけなくなるとは全く想定はしていなかった、少なくても俺は」
「女房は、友達グループと一緒に、しょっちゅう出掛けているけどね」
「今はこの子が生き甲斐、この子亡くなってから考えるよ」

想定外の3 家庭菜園があるので、旅行に出かけられない

「何なの?何で、畑があるから出かけられないの?」
「水やり」
「エー、畑に水がないの?」
「市のレンタル農園には水設備はないの」
「じゃ水はどうしてるの?」
「車に積んでいって、水を撒いている」
「免許返納するって言ってなかった」
「80才になったら返納する予定」
「畑はどうするの」
「バイクにポリタンク積んで行く予定」
「畑仕事って楽しい?」
「今、特にコロナの時期、することがないし、成長していく姿を見るって楽しいよ」
「解る気はするけど、種とか肥料とかって、結構高いって聞いたけど」
「まあ、他の趣味に比べたらそれほどでもないよ、自分一人のペースで出来るのが何より」
「畑が暇な時には出けるの」
「もう、そんな遠出はできないから日帰りバスツァー程度かな」
「フーーーン、そんなもんなんだ」

退職後18年が経過しようとしています。
55才退職時、想定・想像していた老後の人生とどの程度違うのか

1,72才ではまだ、海外を放浪していると想定していました。
まさか65才でパスポートを更新しなくなるとは、夢にも思っていませんでした。
でも、現実はそうなんです。それで後悔もしていません。

2,体力がこんなに落ちて来るとは思ってもいませんでした。
下半身の筋力が際立って落ちてきています。
ドクターに話すと、スクワット10回を1日2回と云われ、2日間やりましたが、3日目腰から臀部にかけて痛みが出て、止めました。

3,旅行の交通手段、宿、食事について
元々、私たち夫婦は海外旅行時はバックパッカーレベルの旅でしたので、泊る所も、移動手段もましてや食べるものに関しては全く無頓着、関心はありませんでした。・・・
しかし、65才を過ぎる頃から、年齢を意識し、他人の目、世間からどう見られているののか意識しだしています。

世間的には私たち「鎌倉にお住まいのゆとりのある老ご夫妻」なのです。
私もカミサンも、食事は別に地元の名物料理でなくても一向に構わない性格です。
食べる場所も、フードコートでも、ファミレスでも、時にはコンビニイートインや、駅の立ち蕎麦でも構わないのですが、客観的にある年齢の老人ご夫婦が、コンビニイートインで済ませているのを見るのは、団塊世代として昭和・平成・令和と生きてきて、「見たくない光景」なのです。
最近の個人自由旅行では、大都市のビジネスホテルから、シティホテルに代り、出来れば高級感のある温泉旅館へと移りつつあります。
これは全く想定していませんでした。

でも、想定と現実は違うもの。
想定通り、計画通りに行く人生なんてないので当たり前なんでしょう。
今年の新型コロナウイルスなんて、その想定型の典型でしょうから。
posted by 西沢 at 07:44| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年07月05日

カタカナ語の氾濫、サスティナブルつて何だ!

ある日の新聞紙上のアパレルメーカーの全面広告を見ていて、強烈な違和感を感じました。
全てのキャッチタイトルが以下のようなカタカナ語だらけなのです。
・子供たちの未来を考えてサスティナブルなバックを選びたい
・すべてがエコロジーなリバーシブルバック
・未来につながるチャリティアイテムはウェア
・ロゴをエンボス加工で表現したアイコニックなTシャツ
・メッシュ素材の裏面はHWのモノグラムを配置

朝日新聞全国版の全15段(1ページ)の広告ページの料金は39,855,000円です。
参照 https://www.shinbun-navi.com/zenkoku/asahi.html

この広告担当者はあえて、このようなカタカナ語を使ったのが読み取れます。
ボルネオゾウの一時保護するチャリティキャンペーンで、自社のロゴアイコンを印象づける狙いがあったのでしょう。
確かに、私の目に留まり、こうやってブログ記事として取り上げているのですから、ある一定の効果はあがっているでしょう。

しかし、今回のブログ記事の趣旨は、シニア世代の「外国語優先使用」に対する意見記事です。

小池都知事の何でも「カタカナ語」使いには、ある一定の年齢層からの戸惑いの意見があるのは、ご存知のことですし、ビジネス社会の会議・会話のなかでも頻繁にカタカナ語が使われ、よく分からないでも、意味が不明でも、「知らない」「解らない」と云えない環境下で、議事が進行していくと、若い世代でも戸惑いがあるようです。

ビジネス用語・カタカナ語100選のア行から、私がすぐに日本語に置き換えるのに迷ったカタカナ語は
■ アカウンタビリティ  説明責任、説明義務
■ アサイン       割り当てる
■ アセット       経営資源、資産。強みや長所
■ アライアンス     同盟、提携、協業
■ イシュー       問題・課題。考えるべきテーマ
■ インキュベーション  新しいビジネスの成長の促進 (元の意味はふ化)
■ インタラクティブ   双方向
■ エッセンシャルワーカー  社会・インフラに必要な人材
■ オーソライズ    公認される。正当な権限を与えられる。
■ オポチュニティ    努力で得た機会、好機
■ オリエンテーション  適応、順応。方向づけ

私の場合、英語・スペイン語がある一定レベルにあるのと、IT、プログラム業界に在籍していたので、何とか会話・文章のなかで意味を理解出来ますが、
普段の会話では先ず、使わないと思われる単語です。

なんで、こんなにカタカナ語が氾濫するのか?
日本語では表現できない、意味・考え方・これまでの生活で存在しない言葉があるから?
そう、明治維新で欧米諸国から、新しい考え方、様式が入って来た時から、カタカナ語は生まれてきたのは事実ですが、これをちゃんとした新しい日本語として造つてきたのが、福沢諭吉をはじめとする明治の先人たちです。
新造語とは日本語に西洋語の概念が存在しないので、日本人が新しく造語したもので学問のすすめの福沢諭吉が造ったとされる新日本語葉数多く「演説」「西洋」「自由」「家庭」もそうです。他に

individual̶個人
philosophy̶哲学
science̶科学
adventure̶冒険
right−権利
impression̶印象
hygiene̶衛生
societyー社会
natureー自然
constitutionー憲法
economyー経済  など数多くあり、これらが漢字圏の中国でも使われるようになったのです。

なんで、平成・令和の世になってこんなにカタカナ語が使われるようになったのでしょう。
一つには世界のグローバル化があげられますが、だだ単に格好いいから、日本語で説明するのが面倒だから、Motivationと言う単語見ると動機とでてきます。動機というよりは、モチベーションのほうが、その場での意味、今では一発で理解してくれるようになってきていると、書かれていますが、それは世代によると思います。
ある一定の世代では、モチベーションよりは、強い意志、心の持ち方とかの、美しい、心地よい響きの日本語のほうが、私には伝わるとおもうのですが。
こんなことを云うのはオジサンになったからかも?

さて冒頭のハンティングワールドで使われていたカタカナ語の意味は
・サスティナブルなバック・・・づっと愛着を持って使えるバック でいいのかな
・エコロジーなリバーシブルバック・・・裏表両面使える地球資源的にお得な・・
・未来につながるチャリティアイテムなウェア・・・売上げの一部を未来に繋ぐ支援する衣料品
・ロゴをエンボス加工で表現したアイコニックなTシャツ・・・ロゴマークを立体印刷した、だ れにもわかりやすい特徴的な造形のTシャツ
・メッシュ素材の裏面はHWのモノグラムを配置・・・通気性の優れた素材でハンティングワールドの2つの文字を組み合わせた記号デザインを配置

となります。あーあ疲れる。

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posted by 西沢 at 07:38| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年07月03日

2020年は節目の年、もう半年過ぎた 団塊世代に残された月日は

日本には、年齢を重ねるに応じて、その年齢・年代を現わす言葉があります。

不惑 40歳、論語の「四十にして惑まど わず」から
天命 50歳、論語の「五十にして天命を知し る」から
還暦 60歳 十干と十二支の組み合わせで六十年目に元の干支に戻るから
古稀 70歳 杜甫の詩「人生七十古来稀なり 」より
喜寿 77歳 「喜」の草書体の「㐂」が七十七に見える所から。
傘寿 80歳 「傘」の略字の「仐」が、八と十とに分解できることから。
米寿 88歳 八十八を一つの字にすると「米」になることから。
もうこれ以上は私には必要ないでしょう。


団塊世代(1948・昭和23生まれ)の私は今年72才です。
72才、つまり干支で云うと今年のネズミ、還暦から12年、ひと回りしたのに、この年齢を現わす言葉を知りません。
何でも知っているだろう、天才・博識のgoogleに聞いても、知らないようです。

戦後の日本人の栄養・健康面・医療面からすると、二世代前の男の年齢の通過点と云われた還暦60よりも、そのひと回りした先の72才、という年齢を、私は常に意識していたように思います。
特に2020年は、高校生時代に目にした、多くの外国人が参加した「東京オリンピック1964」の再来の年「東京オリンピック2020」であること。
もう一つの大きく意識したのは、父・兄・カミサンの父が逝った齢が71才から72才でした。

何かが起こるであろうと期待不安視していた、2020年も7月に入り、半分過ぎてしまいました。
東京オリンピック2020は新型コロナの世界中の流行で来年に延期され、と云うよりも限りなく中止の様相。
私の記念すべき、そして意識していた2020は、ダイヤモンド・プリンセス以降、6月まではキャンセルと巣ごもりの連続でした。
こんなことになるとは予測せず、そこに追い打ちをかけたのが、72才定年制を主張し、自ら実践した「NPOボランティア」からの卒業でした。
それにプラス予定していた、毎月の2泊3日の国内旅行は全て、キャンセル。
一気にスケジュール帖・カレンダーは真っ白な状態になりました。
まるで定年退職直後の男性が、これからの自分の日々が、することもなく不安になるような気分を初めて味わう事になったのです。

私の退職直後の生活は、40代半ば過ぎから計画、イメージトレーニングしていたので、何の不安もなくスケジュール通りに進みました。
全てと云いませんが、順風満帆に自分に残された人生のラスト10年を迎えると思っていたのが、この誤算と焦りと不安です。

家系や、自分の現在の体力、過去の病歴、健康面から弾き出した私の人生は最長で80才まで。
私のリタイヤライフスケジュール上の設定では、78才で逝くことを想定しています。
人生は無限でないのは当たり前、団塊世代の72才に残されている年月は、あと6年なんです。
その1年の半分がもう終わってしまった。

先の半年は、コロナの状況は無視はしませんが、かなり好きなように生きようと考えています。
まず、7月半ばの旅行の手配は完了しました。
行先は、これまで費用の面で二の足を踏んでいた、山陰方面、具体的には「城崎温泉」に連泊して、丹波・但馬・丹後の自由旅行に出かけます。
湯村温泉の夢千代日記撮影地にも行きたい、鉄ちゃんとしては、あの餘部陸橋にも寄りたい。
費用は、私たち夫婦の国内通常予算の1.5倍以上になりますが、今年の旅行予算は前半の消化は一回分だけですから、あまりそうです。
そして、秋には、実家の兄の車で、八甲田・八幡平・奥入瀬の紅葉撮影行脚の実行です。

齢を重ねると、だんだん我が儘になる、抑えが効かなくなると云われているのは知っていますが、解るような気がします。
仕方ないじゃないですか、時間は限られているのですから。

先月、ビデオクラブのメンバーの訃報が入りました。
体内の脂肪がガン化する特殊なケースの方で78才でした。
昨年末、この方のパソコンサポートでご自宅に伺ったことがあります。
パソコンに対するサポートはご本人の希望で奥様と一緒にやりました。
奥様とは音楽関係で結ばれており、ご本人のパソコンにある、ミュージック作成ソフトの使い方、引っ越し、DATAの整理などを一緒に聞いてもらい、DATA化以外の印刷も指導しました。
奥様もご主人の余命を知っており、半日お付き合いしていただきました。
亡くなった方は、ハッキリと自分の余命を意識していたのです。

我が家のカミサンは「外や、ネットで死ぬ、死ぬなんて言わないで、それ以上生きたらみっともないでしょ」と云います。
でも、私に云わせると、自分はづっと死なないで、長生きすると信じている人のほうが、「草野球のキャッチャー」だ。と云うと、・・・何なの「草野球のキャッチャー」ってとカミサンが聞き返します。

知らないの?この名セリフを。
名画「幸福の黄色いハンカチ」のなかで、ムショ帰りの高倉健が、桃井かおりに迫る武田鉄矢に説教するシーンで云った言葉。
「草野球のキャッチャー」は「ミットもない」さ。


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posted by 西沢 at 07:43| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年07月01日

ランボーは73才だった、私たちと同じ団塊世代

先週の金曜日、封切られた『ランボー/ラスト・ブラッド』を見てきました。
私たち夫婦の朝は、起床時間は1時間差の別々で、朝食時間も別です。
洗濯時間・朝食準備時間など関係があるのですが、カミサンは朝、自分だけの時間を大切にしたいようで、5時前に起きて、一人コーヒーを飲みながら、新聞とラジオの時間をゆっくりと過ごしています。
私の起床時間は、6時~6時半です。
体重・血圧を測って、カミサンのいるリビングのテーブルに着くと、ちょうどラジオの「ニッポン放送」は今話題の映画についてやっていました。
話題はランボーの映画と云うか、主役のシルベスター・スターローンの年齢でした。

主演のシルベスター・スタローンは1946年7月6日生まれ、今年の7月で74才
映画のなかのランボーは1947年7月6日の設定で73歳です。
同じ団塊世代だったのです、ロッキーで見せる、あの筋骨隆々の体、動き、力強さをみると、私よりふた廻り近く若いと思っていました。


映画は私の住まいから一番近い、いつもの辻堂の「109シネマ湘南」でやっていました。
コロナ緊急事態宣言で、映画館もしばらく閉館していましたが、現在は、入場者数を半分にして営業を再開していました。
手元には、コロナ緊急事態宣言直前に見に行った、お気に入り女優波留主演の「弥生、三月 君を愛した30年」の時、劇場館内が突然の停電になり一時、映像が中断しました。その際に109シネマ湘南からいただいた、次回無料招待券があったので、封切り日に見に行きました。
170席の館内の客は30~40人程度、ほぼ私と同年代から少し若い男性のお客さんでした。
入口には、自動体温測定カメラがあり、マスクの着用が義務化されており、席は、左右、前後、斜めに空席が設定されていました。

4月・5月・6月半ばまでのステイホーム、自粛の間、私はの午後の過ごし方は、TV東京の「午後のロードショー」をみることでした。
往年のアクション系名映画、クリント・イーストウッドものが数多く放映され、やはりシルベスター・スタローンのもの、ランボーの連作もやっており、時代を感じずにみていました。

『ランボー』(1982年)
ランボーの第1作
戦地での苛烈な経験で精神を病んだベトナム帰還兵、ジョン・ランボーが米国ワシントン州の田舎町で迫害を受け、自らの身を守るために暴走する話です。
最初に見た時も、TV東京の「午後のロードショー」で見た時も、自分の年齢や、ランボーの年齢は全く意識しませんでした。
この映画では、ランボーは35才です。
今、自分の35才の頃を思い出しています。
忘れもしません、初めて自分の家を購入した年でした。

『ランボー2/怒りの脱出』(1985年)
物語は、かつてランボー自身が戦い、そして捕虜となって地獄を見たベトナムを舞台に展開します。
強制労働中の石切り場に現れた元上司の大佐と、政府CIAの人間に、まだベトナムに捕虜となって閉じ込められたいるアメリカ兵の所在の確認の任務を命じられ、釈放条件よりも、同じベトナムで戦った仲間の存在の有無に心惹かれ、再びベトナムのジャングルに戻って行くストーリーです。
1985年、ランボー38才。
私は何をしていたろう・・・37才、社内融資住宅ローンを完済し、カミサンと二人インドを旅していました。

『ランボー3/怒りのアフガン』(1988年)
ジョン・ランボーはこれまでの戦いで負った心の傷を癒すべく、タイ・バンコクの仏教寺院にいた。
そこへトラウトマン大佐が、アメリカ国務省から派遣されてきたグリッグスと共に現れる。
トラウトマンはソ連軍による残虐行為が横行するアフガニスタンのジュルム地区へスティンガーミサイルと支援物資を供給するため、現地調査の任を帯びていた。
彼らはその協力を求めて訪ねてきたが、ランボーは「俺の戦争は終った」と固辞する
しかし、調査隊を率いて現地へ赴いたトラウトマンはソ連軍に捕らえられてしまう。
ランボーはそれを知るや否やすぐさまアフガンに向かい、現地ゲリラ部隊と協力してソ連軍の要塞に潜入する。
ランボー41才、私は40才。
この年のことは良く覚えています。前年に実家の父が71才で亡くなり、このお正月に昭和天皇崩御し、この年は海外旅行は自制していました。
その分、住宅金融公庫からのローンを全額早期返済した年で、老後資金計画のスタートの年でした。

『ランボー4/ 最後の戦場』(2008年)
三作で終わったと思ったら、俳優本人とほぼ同い年のランボーはもう60歳を超えている。
にもかかわらずベトナムで、あるいはその後に各地で受けた心の傷は決して癒えることがなく、いまもタイで隠遁生活を送るランボー。
しかしミャンマー軍事政権の暴虐によって囚われの身となった国連使節団を救出するため、もう一度戦場に舞い戻ることになる。
この映画を見た覚えがありません。
日本の商業映画館で上映されのかも、記憶にありません。
2008年、私は60才、還暦を迎えた齢、既にリタイヤしており、バリ島・台北・チェンマイ・ホノルルと1年の半分近くを海外で過ごしていました。
これを見る為には、スカパー・CS映画専門チャンネル ムービープラスでやっているようですが・・・

『ランボー5/ラスト・ブラッド』(2020年)
そして、シルベスター・スタローン 団塊世代実年齢74、ランボーの設定年齢73才の本当に最後の映画になるであろう
まさかの続編にしてシリーズ完結作『ランボー ラスト・ブラッド』が公開されました。

この映画のファーストシーンで、スペイン語の会話が耳に飛び込んできました。
最近、ずっと耳は英語慣れしていたところに、心地よい、聴き取り易い日常交わされるスペイン語の会話です。
ランボーは、引退しテキサスの小さな牧場で、メキシコ人女性と一緒に暮らしています。
一緒に住む女性の姪っ子は、亡くなった母の離婚後、メキシコで暮らす父親を訪ねて、反対を押し切ってメキシコに行き、メキシコマフィアの人身売買売春組織に囚われしまい、ランボーは一人救出に向かう話です。
暴力的表現映像と、売春・性的描写がある、18禁指定の映画でした。

あれだけ超人的な活躍をしてきたランボーですが、最後は自宅牧場のロッキングチェアーに座り、誰にも看取られず一人息を引き取ります。
欧米映画では、あのゴッドファザーのラストシーンのような、エンディングが男の人生の理想の逝き方とされているのでしょう。
映画から帰ってきて、この映画のラストシーンをカミサンに話しました。
我が家の一番高い、高価な家具は、この家に越して来た時に買った、ニューヨークの一流メーカーの総黒革張りのロッキングチェアーです。
定年後はロッキングチェアーで・・・が長年の夢でしたから、思い切ってカミサンの分と2つ購入しました。

「僕も、病院のベッドではなく、リビングの何時ものロッキングチェアーに座り、前の公園で遊ぶ子供たちの声・姿をみながら静かに逝きたい」とカミサンに云うと、
それは幻想・・・誰が面倒をみるのよ。
貴方の最後は、亡くなったお兄さんのように、キリスト教系のホスピスで、優しい看護婦さん、シスターに看取られながら逝くのよ。
ですって。

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