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2020年04月29日

COVID-19で暇なので、終活・断捨離、最後の聖域に手を付けた

語学系の辞書、学習教材の処分に踏み切る
自分書斎の本棚には、これまでの自分の人生、生き方の思い出となるような、色々な本や資料・CD・DVDが有りました。
退職して17年、これまで少しづつ、これから先の事、私がいなくなった後のカミサンの手間を省くために、処分してきました。

7年前、65才でパスポートの期限が切れ、そのまま更新せず海外旅行を卒業した時に、最初に手を付けたのは、旅行ガイドブツクでした。
現役時代から買って読んだ、自分が行ったことのない土地へのバックパッカーレベルの旅行記が、本棚の相当部分を占拠していました。
時は80年代から90年代。まだネット時代は到来してなく、旅の情報は「地球の歩き方」か、個人の旅行記のでした。
沢木耕太郎の「深夜特急」・蔵前仁一の漫画本、古代文明、遺跡の本が通勤電車の愛読書でした。 現役時代から動いてはいましたが、しかし、時間的制約あるのサラリーマンの旅は、この本のように、自由闊達に動き回る旅は憧れで、いつか退職後には、こんな旅がしたいと、ずっと思っていた通勤電車のなかでした。




しかし、年齢を重ね、還暦と云う言葉と体力、見栄、他人の目がジワジワと私たち旅の制約となってき、結果として、健康面に不安を感じて、海外旅行の卒業となったのです。
書斎の本棚を整理した空間には、国内の各県、各観光地のガイドブツクが増えていきました。
海外旅行の時代と違って、今やネットには様々な情報が溢れており、何もリアルな有料のガイド雑誌を買って読む必要はないのですが・・・・
一つには、カミサンの旅のおおきな目的一つである、お土産ものの事前調査の為です。
カミサンの鎌倉のお友達、裕福なスポーツクラブの仲間は、毎月、何処かしらへのバスツァーなりに出かけ、毎回お土産を買ってくるのです。
口では、「いちいちめんどくさい、私は黙って行くは」と云うのですが、いつの間にか、次の旅先を話しているようで、これらの雑誌を見て、買い物リストを造っています。
これはこれで、私は数時間、旅先で解放され、自由に動けるので歓迎しています。
但し、カミサンのお土産は原則、二人の旅の予算には含めないようにしています。

このような旅行雑誌を買う、2つ目の理由は
長い期間の海外旅行と違って、たった2泊3日の旅ですが、行先・目的地を決めるのは、凡そ2~4ケ月前です。
行く先を決めて、予約が必要な、航空機・新幹線・宿等の全ての手配が完了した時点で、これらのガイドブツクを買っています。
海外旅行とおなじように、行く前から、少しづつお風呂の時間に楽しむ為なのです。
そして、最終的には現地ローカル線、路線バス情報をしっかりとネットで調べ、スマホがあるのに止せば良いのに、しっかりとプリントアウトして持っていってます。ここら辺が、昭和の団塊世代の特徴なのでしょう。




遂に、聖域である語学系の辞書・テキスト本に手を付ける
今まで私の書斎の本棚を占領していた、過去のVHSビデオテープ、結婚以来の二人の写真アルバム、海外旅行の度に増えていったアルバムが消え、パソコン・プログラミング関係の専門書が消え、海外からいただいた絵葉書ストックフォルダーが消えていきましていました。

その空いたスペースには
カミサンの音楽CD、婦人公論、中高年女性雑誌「ゆうゆう」、NHKの手芸関係雑誌「おしゃれ工房」「素敵にハンドメイド」等のバックナンバーが埋まっていきます。
最後に残された私の書斎の本棚スペースにあるのは、これまで手をつけてこなかった語学系の辞書と各国の旅行会話集の棚です。



圧倒的に多い、英語をちゃんと勉強するための本「高校これで解る英文法」「アメリカの小学生と英語で勝負」「私の英単語帖公開します」「オバマ演説集」「Aeon Vocabulary Power1500」英和・和英・英英の辞書類
そして旅のアンチョコ英語「お助け英語自由自在」「使える旅の英単語」「個人旅行英会話」の類と、世界の旅の個人旅行に必須と始めた「フランス語の最初歩」「いますぐ話せるタイ語単語集」「バリを愛するひとのためのインドネシア語」「アジア20か国日常会話ハンドブック」そして、私を南米へと導いた、高校二年生の春に買ったスペイン語辞書と大学イスパの教科書、辞書類これらは、また再びいつかは使うかも知れないと、捨てられませんでした。

今、振り返ってみても、おたすけ・かんたんなどの会話集は、買ってから数度しか開けてなく、今でも綺麗なものです。
英語は、鎌倉に越して来てから10年以上、国際交流協会の中級クラスでやってきました。
ある程度お金と時間に余裕のある個人旅行では、滅多に英語が喋れなくて、解らなくて困ることはないと、時間と共に学習しました。
タイ語・インドネシア語にしても、相当ディープな世界でない限り、英語が出来れば旅は出来ますし、アフリカ・ヨーロッパを旅する為に始めたフランス語は1年でギブアップしました。
スペイン語がほぼ完璧に、そして英語は聞くことか難しいが、伝えることはほぼ出来る程度なら、日本人シニア夫婦の旅に辞書・参考書・会話集は必要ないと理解していたのですが、何故か、このスペースだけが残っていました。

先ず99%、新たにパスポートを取得して海外に出る事はないし、英語も必要ではないでしよう。
残されることになるカミサンの為にスペースを空けることにしました。

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団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方
posted by 西沢 at 07:38| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年04月27日

まだコロナ巣ごもりの生活に慣れないでいる

4月26日 ベランダから外を眺めると、五月晴れの青い空、爽やか風が吹いている、公園の木々は様々なグラデショーンの新緑に溢れている
1年で一番良い季節・・・のはずなのに。
フェースブックの自分ページには、ちょうど1年前の画像を思い出しましょう的に桜の画像が表示されていました。
そう、福島県喜多方の枝垂桜並木を新幹線日帰りで撮りに行っていたのが、4月25日でした。
今年の予定では、明日から、中央線松本経由大町から黒部アルペンルートを辿り、前から見たかった雪の大谷の撮影をし、富山に抜け、春の風物誌のチューリップ祭りに行く計画でしたが、仕方なく中止し、何時まで続くか解らない自宅巣ごもりの生活です。

退職直後、これから一生続く「毎日が日曜日・お休みの生活」をどう過ごそうかと考え、一種の焦燥感、恐怖感を抱いて時期がありました。
何か、自発的に動かねば、まだ50代、同じ世代はみんな働いているのにと。
退職シニアの先輩たちはどうしているのだろうと、地元の色々な趣味のサークル、スポーツクラブ、市・県の公共施設などを覗いて見たりしました。
毎日、何処で時間を過ごし、何をしているのだろう?
平均的な退職者の男性が、定年後に居場所としている場所はどんなとこなだろうか?
・昔は公民館と云われた「生涯学習センター」
・市営の体育館、プール
・図書館
・県立植物園、公園、緑地
・鎌倉ならではのお寺巡り
・ボランティアセンター(NPOセンター)
・ショッピングモール
・シネコン映画館
・家電量販店
・新刊本屋さん、中古書籍店
・喫茶店、ファストフードショップ
・パチンコ屋、ゲームセンター、麻雀荘
・海、浜辺、水族館


あれから17年、色いろな自分に合った、居心地の良い、安くて、時間つぶし出来る場所を模索してき、それなりの時間を過ごせるようになりましたが、このコロナ危機による、外出自粛要請、ステイホームの呼びかけにより一変しました。
退職直後、居場所、時間つぶしを求めていた場所は、ほぼ全てクローズです。
市管轄の、学習センター・体育館・プール・図書館は特に年配者や子供が多いので3密をさける為は仕方ありません。
でも、植物園、公園、緑地、海、浜辺のような大気の下なら、密集、密閉、密接は心掛け次第では避けられるのにどうして閉めてしまうのか?




家の近くの大船観音寺も閉鎖しています
ムンムンでもぎゅうぎゅうでもがやがやでもないのに。?
このお寺社務所担当のお坊さんは知合いなので、「宗教施設なのだから、こんな時こそ心と体の安らぎの場として、安全に配慮しながらも開放すべきでは、と問うと、「ご存知通り、わがお寺はアジア系外国人の間では有名なお寺で、お釈迦様の誕生月、ちようど桜、花の季節なので、多くの、タイ・ミャンマー、ベトナム、カンボジアなどのインドシナの仏教諸国の外国人がいらっしゃり、近隣の方々から、ご配慮をとお願いされてやむ無き処置なんです」とおっしゃっていました。

唯一開いているショッピングモールのフードスーパーも
開いてはいるのですが、2か所の入口を見る長蛇の買い物客の行列が出来ています。
入場制限をしているのです。
コロナウイルスの危険を政府は当初、軽く考えすぎていたました。私たち一般素人と同じく、中国武漢の映像を中国らしい、一党独裁国家のやり方、国民もあれくらい強圧的政策をとらないと、云う事を聞かない国民性なんだから的なメディアの報道もありました。

私の場合、感染症は十分に身をもって体験しており、怖さ・痛み・治療の辛さも知っています。
ウズベキスタンでA型肝炎ウィルスに感染し、帰国後発病、入院先でC型の感染も判明し、3ヵ月の長期入院を経験しています。
特にC型肝炎では、インターフェロン治療を経験しています。
この治療は強制的にインフルエンザを感染し、この発熱を利用してC型肝炎ウィルスを駆除すると云うような、当時唯一有効的な手法でした。今は飲み薬で治ります。
この治療を始めてからは、毎晩、高熱・関節痛・だるさが続くのです。
毎晩。座薬鎮静剤なしでは眠れませんでした。
おそらく、今回の新型コロナウイルスはこれに以上のものなのでしょう。
絶対に甘くはみていません。が、ほとんどの感染者は軽症で済むなんて安倍政権の言葉は全く信用していません。

このコロナ騒動までは、お互いの時間を尊重し、1日中夫婦二人、狭い共同住宅にいることを自然と避けてきました。
しかし、今はそうもいきません。
カミサンは毎日の商店街への買い物が唯一の息抜き、外出だったのですが、仲通り商店街やセイユーは何時も以上の混雑ぶり、そして買い物は3日に一度の自粛要請です。今まで通っていたカーブスも休みになり超運動不足で、カミサンの提案で自宅でラジオ体操となりました。
狭いリビングで一人ラジオ体操は、間抜けな姿で出来ませんが、二人でやれば楽しく出来ます。
パソコンに取り込んだNHK第一・第二ラジオ体操のユーチューブ画面を見ながら、午前、午後一度づつ二人でラジオ体操をやってます。
それでも、ラジオ体操第一・第二でも7分で終わってしまいます。
一人では出来ないものの、二人なら結構楽しく出来るものです。



二日連続、朝夕二回、真面目にやったら三日目の夜、右足首に痛みを感じ、現在湿布中です。
フローリングの床の上での、片足飛びや軽い跳躍がいけなかったようです。
退職後、60過ぎから始めるエクササイズでよくあるパターンです。
自分は若い、これくらい平気と思ってしまうのでしょう。しばらくカミサンさんだけ一人でやってもらいます。

ともかく、人に接触しないように、自宅周辺を歩くしかない


私の住む場所は、鎌倉市の北、横浜市栄区・戸塚区そして藤沢市に接しているあたりです。
一番、暇つぶし、カロリー消費に向いている、遠距離散歩コースは緑に溢れ、車の通りの少ない北鎌倉方面に歩き、そこから建長寺を抜け、鶴岡八幡から海に向かい稲村ケ崎あたりで江ノ電に乗り、江の島からモノレールでから帰ってくる、2時間コースなのですが、鎌倉市長は鎌倉市内から海岸方面は、都会の暇な若者・車で溢れ、都会からのコロナウイルス持ち込みを警戒する発言をしているような状態ですから、やめて、普段は滅多に歩かないコースを歩いてみました。

大船駅から北西方面、田谷とか関谷と云う鎌倉らしくない県道・国道沿いの道でした。
8500歩 身長170cmの私の歩幅は約70cm ですから距離は6kmです。
実際に地図上のアプリで歩いたルートを計測すると同じ値がでました。
歩いた時間は1時間20分、歩け歩け協会のベテランなら1時間でしょう。
では、どのくらいの消費カロリーかと、体重・身長・年齢・性別を入力すると、最大でも300kcalでした。
300kcalってどの程度なのか?コンビニのおむすびに例えると

梅干し……173kcal
鮭………191kcal
明太子……183kcal
こんぶ……183kcal
おかか……179kcal
ツナマヨ……232kcal
高菜……179kcal
鶏五目……193kcal
エー、あんなに歩いたのに、こんなものだったのか。
このコロナウィルス危機が終わった後のことの楽しみを想像しながら、じっと待つことにします。

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団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方
posted by 西沢 at 08:24| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年04月25日

週間現代の「人生は最後に間違える 実体験編」を読んでみて2

4月25日号の内容の実体験記の続きは
4,迷惑をかけまいと、老人ホームに入ったら
5,景色の良い所で、静かに晩年を過ごそうと思ったら
6,懐かしさに駆られて、同窓会に出てみたら


4,迷惑をかけまいと、老人ホームに入ったら
5年前に妻と死別し、一人暮らしをしていたが、ご自身が要介護2と認定されたのを機会に、介護付き有料老人ホーム(入居金300万、月々の利用料15万)に入った75才男性のお話です。
3年後、運営会社の資金繰りが悪化し、別の会社が運営することになりました。
月々の利用料は20万円になり、今まで利用料に含まれていたサービスは別途追加料金、スタッフは半分なりサービスは低下しました。
しかし、帰る家はもうなく、別の施設に移ろうにも資金がありません。
子供たちに迷惑をかけたくないと云って入居を決めた手前、同居は云いだせない状態。
帝国データバンクの資料によると、老人ホームや介護施設を運営する会社の2019年の倒産数は96件にのぼります。
ホームが倒産すると、別の会社に引き継がれますが、新たな会社は前の負債を引き継ぎ、黒字化を目指すので、必然的にサービスは低下します。
他の男性の実体験では、一人暮らしに慣れていたのが、老人ホームではプライバシーのない集団生活のストレスが重くのしかかると云います。
一人暮らしは、多少の生活上の不便や介護を受ける苦労はあるものの、家を手放して老人ホームに入るということは、いざという時の逃げ場がなくなるとことでもあるとさとりましたが、年齢は重ね、自己資金は枯渇し時は既に遅しです。
子供の立場からすれば、財産もお金もない年老いた父親は、正直、負担以外の何物でもない。
少なくとも子供への見返りとなる、財産・お金は最低限手元に残して置くべきと、述べています。

5,景色の良い所で、静かに晩年を過ごそうと思ったら
都内の2LDKマンションに住んでいたご夫婦のお話です。
子供が小さい時から千葉や神奈川の海によく遊びに行き「定年したら静かな海の見えるところで暮らしたい」と話しており、定年後三浦半島に,築25年、85平米の3LDKの中古一戸建て、最寄り駅から徒歩とバスで20分ほどかかり、不便だが、海まで5分の立地が気に入り、都内のマンションを2,500万で売却して移り住みました。
古い家なのでリフォームは念頭にありましたが、いざ実際に住んでみると、高台の海が見える家は、潮風にさらされ予想外に痛んでいたうえ、シロアリの被害が見つかり、かなり予算オーバーだが、老後の資金を切り崩して修理しました。
状況が一変したのは、移住してから1年後、ご主人のステージ3の大腸がんが発覚しました。
都内と違って、入院・通院には片道1時間以上かかり、こんなことなら医療施設の充実した都内にいるべきだったと後悔しても、すでにこれまで家には1,000万以上使っていて、もう、住み替える資金的余裕は残っていない状態です。

海外ロングステイと同じリスク
地元不動産の専門家の話では、「都会で住んいた家を売却し、なけなしの退職金を叩いて移住してくる60~70代の夫婦は多いです。が、最大のリスクは離婚や死別で夫婦のどちらかが残されること」と話しています。
これは、私たち団塊世代のロングステイのサイトを立ち上げた時から、警鐘をならしています。
コスタリカでも、ペナンでも、チェンマイでも同じようなご夫婦を見ています。
ペナンでは、日本から下見に来た私たちが心配するよりも、現地の日本語ガイドさんが、心配していました。
ご主人と一緒にペナンに移住し、ご主人を失くしたあばあちゃんの姿を、毎日通勤途中の車のなかから、目で追っているそうです。
日本政府も大使館も何もしてくれないから、私たち日本人相手のガイドが目を配って、どうしているのか見ていると云うのです。

コスタリカでお会いした、ご夫婦(当時60代後半)は、サンホセ郊外の新興住宅地の建売を購入しました。
スペイン語が全く話せないのに、よくもコスタリカへ来たものと、理由を聞くと、当時2万ドルの預金残高証明と、年金振込証明があれば在留ビザがとれたから、と云ってました。
一回目のコスタリカの時、伺ったこのお宅は2度の押し込み強盗被害に遭ったいってました。
それなのに、何故住んでいるのか?、
一緒に行った、カミサンはどんなに気に入っても、それではとても住めない、何故日本に帰らないのか?との問いに
実は日本の家は売り払ってきており、帰れないと云う話です。
5年後の2回目のコスタリカ訪問の際には、ご主人はホスピタルに入院していました。
ホスピタルとは、無料の病院です。しかし、薬が必要な時は自分で買わなくてはなりませんし、優秀な医者は、自分で医院を持っており、中南米のホスピタルと云うところは、義務で働く若い医者の訓練の場所のようなところなのです。
相変わらず、お二人ともスペイン語はカタコトで、現地で食堂をやっている日本人のお子さんが、日々の介護、買い物のお手伝いをしていました。
将来この家と財産を譲ると云う約束のようでした。

海外も日本の田舎暮らしも同じです。
移住する時に、その先、二人のうちどちらかが倒れる、病気になる、亡くなると云う想定がなされていないのです。
とても、便利な都会暮らしに慣れた、残された奥様が一人で、静かな、そして景色の良い、しかし田舎特有のお節介すぎる、詮索好きなコミュニティで暮らせるとは思えません。

6,懐かしさに駆られて、同窓会に出てみたら
同窓会幹事サービス代行会社によると、還暦以上の人達の同窓会の相談が非常に増えてきて、この2~3年でそれ以前の倍以上になっている。
盛んに「人生100年時代」「終活」と云われるようになり、100才まで人と人の繋がりを求めている人が多くなったのかもしれません。と語っています。
この記事に登場する方は、かなり否定的なご意見、体験をお持ちです。
A子さん68才
30才の時に、中学校の同窓会に出席し、あまりにも会話の中身がなく、つまらなかったので、2度と出まいと思っていたが、還暦を迎えた齢に、恩師が参加すると云うので行ってみた。
恩師との再会はうれしかつたが、後は5000円以上もする高い会費を払った、無為な時間でしかなかった。
昔話、噂話、自慢話、亭主の話、息子の話、そして病気と薬の話、前向き、建設的な、今の話が全くないのにあきれ果てた。
「このコロナ危機をどう乗り超えようか」とか、「落ち着いたら、来年はどんなことをしようか」とかお話出来るのは、学校時代の知り合いではなく還暦を過ぎてから出来た新しいお友達のほうです。

私の場合
18才で故郷を離れ、20代半ばまで海外にいたので、同窓会・同級会とは縁遠いのですが、やはり50代半ばあたりから、連絡があり出たことがあります。
でるのは、中学校の同級会だけです。
資本主義経済社会の日本の場合、中学校までは義務教育なので、同級生の家庭環境、親の社会的地位や収入などは多少の差はあっても、昭和30年代の私たちの場合、似たり寄ったり、さして差は有りませんでした。
しかし、高校・大学・就職と進むうちに、試験・財力・能力によって選抜されていき、特に団塊と云う大きな塊の私たちの世代は、同級生イコール社会の競争相手となって行くのです。

40才半ば頃一度、高校の同級会にでたのですが、参加した元同級生は、日本の企業の第一線で活躍してるものが殆んどで、会話は会社の話、仕事の話、給料の話ばかりです。
20才で海外にでていた私とは全く異質なものを感じました。かれらも、それを感じたのでしょう。
そして、50代の半ばに出席した同級会が最後で、それ以降は住所も電話番号も解っているのに、連絡はいっさいありません。
この時は既に退職していました。
止せば良いのに、私はそろそろ定年を意識しだしていた現役の同級生に、現状を語りました。
早期退職後、鎌倉に住み、海外のロングステイ候補地を廻っている、バリ島・ホノルル、チェンマイの話、そして世界遺産への旅、世界奥地の貧困地帯の医療の話 マダガスカル、ネパール、マザーテレサホームの話・・・
子供を造らずに、バブル景気の業界でうまいこと乗って資金を造り、早々と退職した元同級生の話、考え見れば面白いハズがありません。
次回から、案内状は一度も届いていません。

しかし、中学校の同級会は違います。
スタートが全員、ほぼ同じで、現在の生き方も千差万別です。
国鉄が解体されて、針・灸学校に入り直して医院をやっている男、中央官庁の官僚になり、次官
レースに敗れ、関連官庁のトップを3年置きに移っている男、火災事故を起こした大手造船会社の設計部長、親の会社を引き継ぎ、今は息子に次期代表への教育をしていると云う男、同じく親の会社を引き継いだが、倒産し今はトラック運転者をしている男、小学校の元校長等々、色々な人生があるようです。
しかし、この中学校の同級会も65才を境いに、参加者も少なくなり、2年に一度の同級会に参加するのは、私を含めた決まった男子5名、女子4名程度となって
います。共通点は、特に今、人生・家庭内に大きな危惧をかかえていない人達ばかりです。女性は皆さん年相応に美しく、幸せそうです。
この年齢になると、参加する人は傍から見ると幸せそうな人ばかり・・・
これが同級会・同窓会の姿なのです。

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団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方



posted by 西沢 at 08:11| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年04月23日

週間現代の「人生は最後に間違える 実体験編」を読んでみてその1

コロナ巣ごもりで超暇な時間をどう過ごそう、中古文庫本でもと、BookOffに行くと、閉鎖中でした。そこで開いている新刊を扱う書店で、今週の朝刊紙に派手なキャッチコピーを掲載していた「週間現代」を手に、大反響企画
「もう少しのところで、一生を台無しにしない為に」
「人生は選択の連続だ。時に間違えつつ、正解へとたどり着く。だが終盤の選択ミスは、取り返しのつかない事態を招く」
を立ち読みし始めました。
何時もの週間現代の、私たちが知っている当たり前な内容を、大げさな見出しで読者をひきつけるのと違って、ページ数も多く、ふーん、結構真面目にかかれているじゃん、と520円払って買いました。
※最近のブックオフには110円の文庫本はほとんどなく、220円も少なく、手に取って読んでみたいと思うようなものは、ほぼ440円以上するのですから、520円の週刊誌は仕方ないのかもしれません。

4月25日号の内容は
1,妻を亡くして再婚してみたら
2,住み慣れた家を売って中古マンションに引っ越ししたら
3,子供のことを思って生前贈与してみたら
4,迷惑をかけまいと、老人ホームに入ったら
5,景色の良い所で、静かに晩年を過ごそうと思ったら
6,懐かしさに駆られて、同窓会に出てみたら

どうです、団塊世代の私たちオジサンには、一度は考えたことのある話題です。
どうせ、たいしたこと書かれてはいないでしょうが手に取って読んでみるか、という気持ちになるでしょう。


1,妻を亡くして再婚してみたら
要約すると、結婚意識調査では60~70代で「結眠したい」は男性は35%、女性は11% と高齢になると男性のほうが結婚願望があるそうです。
熟年結婚した理由の一番は男女とも
「精神的な安定・充足が欲しい」
「病気の時になどに助け合える」
次に男性は
「家事や身の回りを世話する人が欲しい」ですが
女性は
「経済的な基盤を分かち合いたい」と云う回答が多く、そもそも男女では目的が大きく違っているのです。
熟年再婚で発生する典型的・最大のトラブルはお金と遺産相続問題のようです。
熟年になって再婚すると云うことは、それまで別々に長い人生を歩んできた二人の価値観を合せると云う事でもあり、若い二人なら、ぶつかりながらも折り合いをつける時間的余裕もありましょうが、短い時間で今までの人生観・価値観を合せるのは難しいのです。
実体験談では、やはり遺言状の書き方一つで揉めたり、再婚後の価値観で悩んだ話が紹介されていました。
前妻と同じ、あるいはそれ以上の女性に巡り合えるのは、ごく稀です。
一人で暮らす生活力を身につけるほうが現実的でしょう。と結んでいます。

実際にシニア同志の再婚には大きな障壁があると云われています。
シニア婚を阻む3つの壁
1つめは「子供の壁」だ。再婚相手に財産を奪われる。そんな危機感を持つ子供は多い
2つめは「財産の壁」だ。財産目当ては実際にいる。
3つめは、「介護の壁」だ。病歴を隠す人は多い。

2,住み慣れた家を売って小さなマンションに引っ越ししてみたら
これも、古稀を過ぎた団塊世代の家庭は一度は夫婦間の話題となったテーマです。
特に、老後の生活資金が年金とこれまでの貯蓄と云うごく一般的な夫婦の場合、老後資金は徐々に減っていきます。
最終的には、一番大きな財産である自宅が残っていきます。それなら、この戸建て売って駅に近い小さな中古マンションに引っ越すというアイディアは誰もが考える事です。
この号で紹介された実体験は、駅から徒歩8分、65平米の物件で1,100万円を購入したご夫婦の話でした。
戸建てと違い、管理費・修繕積立金が月々25,000円発生するけど、自宅売却差益が1,000万円になり、老後資金はその分増え、これで安泰と思ったのですが、その後奥様が転倒、骨折し、室内歩行器が必要となりました。購入したマンションは築40年で、段差の多いカーペット敷きの床であった為、リフォームしバリアフリーのフローリングにリフォームしようとしたところ、管理規約で防音の観点から禁止となっていました。

38年前のマンションの標準仕様は
確かに、私の住んでいたマンションも天井高は高く広々していましたが直床・直天で上下の音は響きました。そして、外壁との断熱と云う意識が低く、北側の部屋は油断しているとカビが大量発生する状況でした。今から38年前の神奈川県で平均価格帯が一番高い、当時高級と云われた駅前マンションでもそうだったのです。
そして、この実話では、引っ越しして3年目には、大規模改修の時期で、修繕積立金不足で各戸、120万円の負担が生じたそうです。
結局、このご夫婦の場合、他に、浴室ユニットバスの入れ替え、小さなリフォームなどで、売却差益は半分に減ってしまったそうです。
その上、戸建て時代の友人とのコミュニティがなくなり、新しい同年配の友人を造りにくい、都会の駅周辺、街中の生活に奥様の外出は減っていったそうです。

3,子供のことを思って生前贈与してみたら
私は50才の時に妻を亡くし、老後の事をよく考えてやって来たつもりです。
息子夫婦のやっかいになるつもりはありません。
でも、70才を迎えた頃に、マンションの頭金として1,000万円を与えた時、何かあったら際には頼りにしてもいいだろうと云う気持ちがなかったかと云えば嘘にになります。
と語る男性78才。
自宅以外に金融資産が3,000万あり、子供に非課税制度を使って財産を譲ることに抵抗はなかった、だが万が一の時息子を頼りに出来るだろうと云う淡い期待はあった。
しかし、実際に自分が介護が必要な状態になった時は、息子の妻は実母の介護で手が回らなくなり、息子は「本当にごめん、今は余力がない、出来るだけ手伝いにいけるようにするけど、ちょつとだけ待って」と頭を下げられたそうです。
最終的にはこの男性は、自宅を売って老人ホームに入居しました。

税理士は語ります。

相続税の基礎控除は3,000万+相続人一人当たり600万ですので、一人息子の場合、3,600万が控除されるので、それよりも少ない人人は、相続税が発生しないので、生前贈与する意味はありません。


生前贈与は、親子間だけではなく兄弟間でのトラブルも生みやすくなるのは、ご存知通りです。
遺産分割の話し合いで、同居していた二世帯住宅の土地・建物の評価、長男夫婦・孫への援助まで取り沙汰され、例え長男名義の家であっても実質的な資金の出どころまでが、遺産相続が揉めることになるのです。

以降の実態体験談
4,迷惑をかけまいと、老人ホームに入ったら
5,景色の良い所で、静かに晩年を過ごそうと思ったら
6,懐かしさに駆られて、同窓会に出てみたら

については、次のブログにて書きます。

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団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方
posted by 西沢 at 07:54| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年04月21日

滝マニアなのですが、最後の一つがクリア出来そうにありません。

現役時代から世界の秘境・絶景と云われる海外の土地を旅してきました。
先ずは、その当時からブームになりつつあった、世界遺産の古代遺跡の主なものを訪ねる旅から始めました。
しかし、エジプトのピミッドも、イランのペルセポリスも、ペルーのマチュピチュも、インド・マドゥライのミーナクシ寺院も、決して秘境ではなく、時間とお金をかければ、この時代誰でもが簡単に行ける場所でした。
よくあるパターン、ケースの世界遺産マニア、世界遺産制覇マニアとさして変わらぬ、既に敷かれているレールにただ便乗ればよいだけの旅のスタイルでした。

次に目指したのは、遺跡ではなく、世界の絶景を訪ねる度にシフトするようになりました。
それも出来るだけ、夫婦二人の個人旅行というスタイルに拘った旅でした。
そこで出会ったのが、雄大な滝でした。

1991・2010南米・イグアスの滝
青春時代の一時期住んでいた、アルゼンチンの旧友を訪ね、カミサンの友人夫婦が暮らす、アンデスの麓の美しい町「メンドサ」を廻り、最後はカミサンにどうしても見せてあげたかった、世界一の滝、イグアスに二泊してから、リオデジャネイロ経由で帰路につきました。
私にとって二度目のイグアスの滝、結局イグアスは都合3回、訪れています。
だんだんと、南米の個人自由旅行になれ、3回目はブエノスアイレス発のアルゼンチンの人達向けの格安パックツァー(日本で云うと阪急の398ツァー的商品でした)に潜りこんでのカミサンにとって二度目のイグアスでした。


2002北米・ナイヤガラの滝
実はあまり、ナイヤガラの滝には興味がありませんでした。
大きな理由は大観光地であり、この大瀑布の周りはカジノリゾートホテルが立ち並び、世界中のおのぼりさん的観光客が集まるような秘境・滝マニアとしては、一度は目にしてみたいけど、お金をかけては行きたくないような場所だったのですが、詳しくはかけませんが、現場の打ち上げ旅行の一部の資金のなかから、友人の旅行代理店がセットアップしてくれましたのが、初めての「JALパック」で、ロッキー山脈とナイヤガラ瀑布という、よくある典型的なパックツァーにほぼ、ただ、小遣いだけを負担という形の旅でした。
確かに、世界三大瀑布というボリューム感のある、都市型の瀑布でした。


1996アフリカ・ビクトリアの滝
この年、いろいろ訳あって、勤めていた会社を一時休職して、コスタリカ・キューバ・パナマに3か月滞在(遊んで)していました。
目的は早期退職して、コスタリカで日本人向けバックパッカーゲストハウスを造る調査でしたが、結局諦め、カリブ海で遊んで帰国し、再び元の会社に復職するのに、間があったので、急きょバックパツクスタイルで、予ねてから行きたいと願っていた、世界三大瀑布のひとつ、ビクトリアの滝を目指しました。
中米から戻ってきた、40代半ばの夫婦の旅慣れた夫婦です。如何に安く、遠く離れたアフリカの秘境の地を旅する事が出来るかのテスト版のような旅になりました。
一番簡単なのは、ヨハネスブルグで地元のビクトリアの滝パックに乗れば良いのですが、3ヵ月の中米貧乏旅行で鍛えられていましたので、あくまでも公共交通機関を乗り継ぎ、安い、でも衛生的で安全な宿を探し、ビクトリアの滝にたどり着くかの、実験的な旅となりました。
今まで見てきた滝とは違って、2つの峡谷の間に流れ落ちる珍しい形の滝でした。
この時の旅、記録的な安いさの旅として、私たち夫婦の語り草、でもカミサンはもう2度とあんな旅はしたくない、と云っていますが。


1998南米ギアナ高地・エンジェルフォール
勤めていた建設業界が一番バブリーの時期の旅でした。
前年の12月末まで、現場の竣工打ち上げ旅行でラスベガス・ハワイで過ごし成田に帰国したのが12月30日、1日開けた1月2日には再び成田に戻り、今回はユーラシア旅行社主催のギアナ高地・エンジパックツァーに夫婦で参加しました。
かなり、個人自由旅行に慣れ、しかも目的地はスペイン語圏ですから、二人だけ個人自由旅行を計画していたのですが、先ずこの年末の時期、太平洋路線のチケットの入手が困難、そして最大の難関がベネズェラ国内、特にギアナ高地の移動手段がこの当時のネットレベルでは、情報も少なく、危険なので古くからお付き合いのある「ユーラシア旅行社」のパックに乗ることにしました。
それでも、やはり、ベネズェラ・ギアナ高地の旅は、トラブルの連続でした。
ほとんどの移動は現地旅行社の四駆であったり、定期航空路がキャンセルで急きょチャーターしたセスナであったり、一人300ドル追加のヘリコプターであったりする、かなりワイルドなギアナ高地であり、結局2度のエンジェルフォールチャレンジフライトでは微かに見えた程度ですし、直下の滝つぼへは、川の水量が少なく、ボートで辿り着くことは出来ませんでした。


2000アジア最大の滝・ラオスのコーンの滝
どうしても、ラオス南部の遺跡「ワットプー」に行きたくて、ラオス専門旅行社に個人旅行として企画、手配してもらいました。
その時の打ち合わせで、アジア最大の滝、コーンの滝で漁をする地元民の映像を知り、追加してもらいました。
この当時、インドシナ半島の最貧国であり、社会主義国家であるラオスは、日本人旅行者にとっては未知の国でした。当然ながら日本からの直行便はなく、バンコク乗り換えです。
往復の飛行機、ラオス国内のホテル、国内線飛行機、など全て手配してもらいました。
ガイドは日本語、秋篠宮など日本皇族や外務省関係者の通訳、ガイドを務めている若者でした。
外務省が乗るなと云う双発機でパクセ―に着くと、待っていた車と運転手は、何と首都のビエンチャンから来ているとのこと、それほど観光客は少なく、まだまだ観光開発されていない、ラオス南部でした。
私たちを乗せた車は、ワットプーに到着するまで2度、メコン川を渡しに乗って行くような場所でした。
そして、念願のラオスのコーンの滝です。メコン川に存在する唯一の大きな滝です。この滝のあるせいで、インドシナを植民地として支配したフランスは、ラオスには手を付けれなかったと云う話が残っています。

日本国内の滝巡り
日本国内の滝巡りは、全て退職した後からのことでした。
私の好きな滝は、日本三大瀑布に数えられている「日光華厳の滝」とか「那智の滝」のような落差のある一本物の滝よりも、幅のある水量が豊富の滝が好きです。滝マニアの間で人気の山奥に分け入る、秘境の名も無き滝をよりも、誰でもが公共交通機関でいけるような、滝が好きです。
これまでに行った滝のベスト4が以下の「日光・湯滝」、「沼田・吹き割の滝」、「大子・袋田の滝」、「富士・白糸の滝」といった超有名な滝マニアとは言えないようなオーソドックスな滝です。

















そして、残すは定年後、国内旅行を始めて滝好きとしては、絶対外せないと考えていました、幅の広い、水量の多い階段状の名瀑、西表島のマヤグスクの滝です。




先週、BS-TVの紀行番組の中で、この滝が紹介されていました。
この滝は、日本の滝好きの間では超有名な滝です。
いつかは、行けるだろうと思っていましたが、番組を見て考え直さなくていけないと思い直し、ショックでした。
海外の場合、時間もお金もかけて行っていたものの、国内の場合は、時間だけはたっぷりとあるのだから、いつかは行こうと思っていましたが、かなりハードルの高い滝であることをこの番組で思い知らされました。
西表は、退職直後のロングステイ先候補地して石垣島に調査滞在した時に、行ったことがありますが、その時はまだ国内の滝についての興味も知識もなく竹富島へ行くついで程度とか考えていませんでした。
石垣へ行き、西表に最低2泊し、マングローブの茂る川をボートで遡り、専門ガイドをの元、かなりの重装備でなければ辿り付けない滝であることを、このTV番組で知りました。

これまで、時間とお金があれば、日本はおろか世界の果てまで行けるものと信じていました。
しかし、72才の今、感じるのは、自分に残された時間に限りがある、体力・気力は早期退職した50代半ばと違うと云うことを、改めて感じています。
本当にこの西表島のマヤグスクの滝にたどり着くことはできるのだろうか、どうしたら行けるだろうか、今、思い出しているのは、グアテマラのジャングルのなかにある、ティカール遺跡のピラミッドでの体験です。
この遺跡はやはり、西表のマヤグスクの滝と同じように、オンボロのバスを乗り継ぎ、川を渡り、ボートで遡った、熱帯ジャングルのなかにあります。この遺跡に辿り着いた時、日本の秘境ツァー一行に出会いました。
そのなかに、あの当時40代の私たちからみたら、かなりご高齢のご夫婦がおり、奥様と一緒にマヤのピラミッドに昇りはじめ、ご主人は途中で断念し、降りてきました。
奥様とは頂上でお会いし、お話をしました。年齢はあの当時たしか68才だった思います。
私からしてみれば、ツァーとは云え、そのご高齢で湿度も高く、埃っぽい、この中米のジャングルの奥地まで来たものと感心したものです。

今、あのご夫妻のことを考えています。
私たちはあのご夫婦の年齢を超えています。
今のこの体力・好奇心・気力では、例え団体パックツァーとは云え、世界の秘境の地はもう無理です。このブログを目にしている、これから退職を迎える方、退職後の生活を考えている方へのアドバスです。
行きたい、やりたい、と考えた時がチャンスです。
残された時間は無限ではないのです。例え資金に余裕があっても、気力・体力・好奇心は必ず衰えいくものです。今、決断しないと、私のように後悔します。

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2020年04月19日

元阪神の新庄剛志のバリ島生活を見て考えたこと

先日、TVバラエティ番組で、日本人野手として初めて大リーグでプレーしたイチローと並んで同じ年にニューヨーク・メッツに移籍した、元阪神タイガーズの新庄の引退後のバリ島生活に坂上忍がインタビューしていました。
新庄の現役時代のハチャメチャな言動や、移籍に関わる話、48歳にして再び日本球界復帰を目指す、日々の肉体トレーニングの話には、さして興味も共感もしなかったのですが、彼の現在のバリ島での生活に大いに興味がありました。

夫55才、妻52才で共に早期退職した私たちの一番の理由は、
若く、動けるうちに海外ロングステイをすることでした。
退職直後の目指したのが、インドネシア・バリ島でした。
先ずは、成田・デンパサール間のチケットの手配です。
テスト版としてその当時の航空券のコストパフォーマンスとして一番使えたのが、FIX、21DAYのチケットでした。
一般的にチケットは往復ともに日時・フライトが決まったFIXと、日時・フライトともに自由に設定できるOPENがあります。
当然ながら、OPENチケットは、有効期間が長いほど高くなります。
FIXチケットは、期間が長くなるほど高くなり、21dayと30dayでは、3割以上高くなります。
そしてFIXチケットは、航空会社都合以外の理由、原因ではフライトが変更出来ません。
例え病気で、その日、その時間のフライトに乗れなくて変更は出来ず、新たに正規航空券を購入しなくてはなりません。
そう云う制約がついているので、正規チケットよりも格安なのです。

※寄り道 航空会社原因での変更の話
たった一度だけですがFIXチケットを航空会社が変更に応じたことがあります。
ユナイテッドで成田・ロサンゼルス・メヒコ・経由コスタリカのサンホセのフライトですが、帰りのフライトの変更を無料でしたことがあります。
理由は、ロスト・バキジでした。
FIX・90dayのチケット、25年前のことで往復、日本円で98,000円でした。
その当時オイルサーチャージもなく、空港税込でこの値段でした。90dayの長滞在の初日に、二人のスーツケースが届かないのですから、このまま旅は続けられないと航空会社と交渉したところ、変更はOKとなりました。・・・
その翌日、スーツケースが見つかった、届いたから空港に取りに来てくれと云う電話が宿泊先のホテルに入り、事なきを得たことを覚えています。



17年前、ようやく格安航空券に市民権が与えられるようになりましたが、それでもまだネットで扱うサイトは少ない状態で、2020年現在、CMで有名な「トラベル子」はかなり一般的に知られる存在でしたが、17年前、「トラベル子」と云えば、バックパッカー専用御用達のサイトだったのです。

この当時私は、このサイトの存在を知りませんでした
この時の航空券とホテルの手配はHISでした。
当時のHISは個人旅行者の良き味方、理解者だったのです。
今や大手旅行代理店として成長し過ぎ、店舗数、社員の増大でごく普通の旅行会社(或いは低レベルの)になってしまいました。
若い旅行者はHISは安い・・・と思っているようですが、そんなことは有りません。
却って場所、時期によっては大会社JTBよりも高いことが多々あるのです。

2003年、私たちにとって2回目のバリ島の大目的は、この南国の島でロングステイ出来るかどうかの調査でした。
一般的なバリ島・ウブド滞在6日間の募集型ツァーを購入し、その時に帰りのチケットを21dayに変更できるかどうか確認したところ、価格変更なしで最大3週間は出来るが、募集型ツァーなので、ツァー離脱料金、一人2,000円が発生する・・・と云うのです。
何なんだ、そのツァー離脱料金、一人2,000円は、と今なら思うのですが、2,000円で6dayが21dayに変更出来るなら御の字です。
そして、「リコンファームは必ずして下さい。しなくて席が無くなっても補償しません。」と云われました。
こうやって、一つづつ、旅の知識は覚えていくものです。
何回、何十回海外旅行をしたというオジサン・オバサンは沢山いますが、団体バツクツァーに100回参加しても旅の知識は増えません。

このバリ島の田園地帯、バリヒンドゥー村「ウブド」に二週間滞在して、このバリ島に住む条件、場所、宿、食事。移動手段などを実際に調査、体験し、2003年55才の年から還暦を迎える2008年までの5年間、年に2回、2~3週間のウブド村滞在を経験するようになりました。
それが出来たのも、居心地のよい、ある程度リーズナブルな宿があったからです。
その宿を撮影したものをユーチューブにUPしています。
2004年・・・16年前か・・・カミサンも若かったな



今回の新庄のバリ島生活を見て考えたこと
新庄は、阪神の契約更新2億円のオファーを断って、2,200万円でニューヨークメッツと契約して、大リーガー入りしています。
お金ではなかったのです。大リーグ3年経験して、再び日本球界に戻り、日ハムで活躍して2006年引退、2010年に離婚して一人でバリ島に住み始めました。
大豪邸に住み、モトクロス場を造り、この方面でやっていこうとしていた矢先、信頼し、資産運用を託していた友人に裏切られて、ほぼ財産を失くしたようです。

現在の彼の生活は・・・
TV画面から想定してみると、海辺の繁華街クタからは離れたレガンか、セミナック辺りではないかと推測されます。
ワンルーム居室の他にシェアハウス様式のキッチン・リビング・プールを備えた長期滞在用コンドで、一泊1,500円、月払いで30,000円と云ってました。
あのあたりで、このレベルの部屋・設備でしたら大合格点です。
私たちが何年も通ったウブドでしたら、この倍以上はすると思われます。

新庄は今、48歳、最後の野球復帰を目論んでいます。
48歳と云う年齢と彼の性格でしたら、この環境のホテル・住まい・生活は何の問題もなく、躊躇せずに出来ると思います。
私たちがそうでした。
30代の頃の私たちは、一定の収入を確保された社会人であっても、若い学生バックパッカーと同じような宿・メシ・移動手段でもOKでした。
40代になると、高いホテルは、お金がもったいなくて使えませんでしたが、それでも、お湯が出るシャワーを条件にするようになりました。
50代になると、部屋の広さ、バスタブ、清潔感、スタッフ、その後お金となりました。もう若くはない・・とそろそろ気が付くのです。
60代になると、もう、バリ島に限らず、アジアのゲストハウスは無理になります。ビーチのリゾートホテルでのんびり過ごし、3日に一度、公共交通機関で観光に出かける・・
そんなハワイ・ワイキキ滞在も65才まででした。

後は、ジジ・ババの仲間入りして、見栄の張り合いのクルーズ船ですか。それは絶対イヤ
太平洋・カリブ海・大西洋航路は20代で済ませています。

人は、重ねるに従って要らぬ鎧をつけるものです。
他人から見て自分たちはどう映るのか・・・
年相応の態度、立ち振る舞い、言葉遣い、食べ物、着るものに至るまで。
今、振り返るようになって旅は30代が一番面白かった、感動的だった、得るものが多かった。
70代シニアにはどんな旅が似合うのだろう、
昔を遡る旅、センチメンタルジャーニーでは面白くない。

バリ島に関するサイト 定年後の海外ロングステイ
バリ島ウブド・ファミリーゲストハウス
posted by 西沢 at 08:13| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年04月17日

地元・地域支援NPO団体を退会、ボランティアを卒業します。

NPOセンターの設立の経緯

55才で早期退職した翌年、鎌倉に終の棲家を求め引っ越してきてから、地域の市民活動団体を支援する中間NPO組織に参加しました。
当時、私は退職2年目56才、団塊世代の一斉退職が時代騒がれていた時代でした。
このNPO団体は、当時、全国初の官設・民営の「市民活動センター」設立と云うことで全国から注目を浴びていました。
鎌倉と云う土地柄、古くから市民の自治意識、環境保全意識が強く、近隣の大都市に比べて多くの市民が立ち上げた、市民の為の団体が存在し、これら団体がもっとも多く望んでいたのが、活動拠点・会議・集会の場所でした。鎌倉市が場所を提供し、運営を民間NPOに任せたのが、私が定年後に参加した中間支援NPO組織でした。
理事会役員、運営スタッフの多くは、これまで独自に活動してきた市民活動メンバーです。
この当時メンバーの多くは女性でした。男性の数は、全体の3割以下でした。

初めてのNPO企画参加は



私がNPOで最初に参加した企画は、市提案の市民団体との協働事業「団塊プロジェクト」です。
2006年から2010年にかけて、大量退職する団塊世代の男性を如何に、地元の市民活動に参加してもらい、市民活動全体を活性化させるかと云う、プロジェクトを一年間かけて、市の課長以上のリーダーと、私の所属する中間支援NPOおよび、市内の環境保全・子育て女性の参画・IT支援などの団体から出向者で行ってまいりました。
一年間かけての成果は・・・
思ったよりも、団塊世代の参加は少なかったです。
理由は、団塊世代は60才で退職せず、そのまま働き続けてきたからです。
この「団塊プロジェクト」に集まってきたのは、すでに退職している65才から70才の男性が圧倒的に多かったのです。

このプロジェクトで学んだことは。
退職男性の「いきがい」「居場所」の創生が必要だということです。
※この時点では、2020年の現在問題となっている、老後の仕事としての収入・報酬は問題視されませんでした。
鎌倉と云う土地柄、退職者男性の多くは一部上場企業の退職者が多く、私たち団塊世代からみるとかなり裕福の方々が多かったのです。
この官製の団塊プロジェクト自体は、消化不良で終わりましたが、このプロジェクトを通じて多くの市民活動団体のリーダー的存在のシニアの方々とのつながりが出来ました。

指定管理制度の発足からNPO組織は変わり始める
そして数年後、今までの官設・民営の「市民活動センター」は、時の政府、地方自治体の経費節減の経営的な流れから「指定管理制度」に切替えられました。
市からの年間予算額を提示され、これまで委託されてきた「市民活動センター運営会議」と云うNPO団体は、これに入札応募し運営することになって生じた問題が、スタッフや事務局など実務を担当したきたメンバーの報酬が、労働基準法の規制範囲内になったのです。
これまで、基本的にはこの中間支援組織の会員は「自ら申し出た無償の善意」にたいしての謝金と考えられていたのですが、これからは労働者として処理しなくてはならないのです。
そして、パート、臨時扱いであったスタツフにも次々に社会保障費の負担が増えて参りました。
これに伴って発生した問題が、現在の私が退会する大きな理由の一つにつながっていくのです。

有償ボラと無償ボラの壁



同じ組織、同じ目的を持って集まった市民活動団体の会員の間に、無償ボランティアと有償スタッフと云う大きな壁・境界が出来上がってしまいました。
常に、これは指定管理の仕事だからセンターに登録されたスタッフの有償業務と、これは指定管理を請け負っている団体の自主事業の無償の仕事と区別するようになってしまいます。
一般的な事務・受付、イベントの開催などでしたら、区分けは出来るのですが、専門的知識・技術が必要とされる業務が発生した時が問題です。
センターは、そのような時に指定管理を支えている母体NPOのメンバーに頼るか、外部に委託するかのケースが発生します。
母体NPOのメンバーに依頼した時は、ボランティア無償、外部に委託した時は有償というケースが発生します。
センターの公式フェースブツク立ち上げの際に外部から講師を招き、運営とスタッフ教育に2万円払ったという話を聞き、耳を疑いました。
フェーブックの立ち上げ・運用専門家?それって誰、どんな経歴の人。
そんなのは今時の中学生だって出来るし、母体NPOのメンバーのなかに幾らでもいるし、無償だし、私たちの間では当然の疑問ですし、ホームページとかIT技術に関しても同様です。
外部に委託すると有償、内部に頼むと無償というのがまかり通ってしまうのです。

最近の退職者男性が求めるものは



5年程前から、地元のNPO団体組織に参加する退職男性の様相が変わってきています。
私たち団塊世代の男性がこのような地域のボランティア団体に参加する理由
1,地域貢献、人と人の繋がり、生き甲斐を求めて。
2,自分の居場所探し でした。
しかし、5年前ほどから増えだしている、退職シニア男性は
上記に最優先して「報酬」「肩書」「名刺」を欲しがります。
家に居ても、家族に煙ったがられる、65才はまだ若いのだから、外に働きに行ってよ、という社会風潮が広がっているのです。
このような男性は、地域のボランティア組織に入るさい、必ず報酬を気にします。そして原則ボランティアと云うと、交通費ぐらいは出してよ、と先ず半分の方が云います。
確かに、公的年金は年々減っており、数年前の理事・監事世代から比べると25~30%ていど低いのは事実ですが、それでもほとんどの方は東証一部上場企業の管理職クラスでしたから、生活に困るようなことはないのに。

70才定年制について
人生100年時代と云う言葉が使われ、本気で90才から100才までの老後資金を心配されている方がおられます。
65才定年はまだ若い、75才過ぎまで十分現役で働ける・・・本気でそう思っている!
団塊世代は古稀を過ぎると理解します。
日本の男性の健康寿命は70才です。
65才定年でいくと、健康的に、気力・体力・好奇心に溢れ、自分のしたい生活が実現できるのは70才までの5年間しかないのです。
70才古来、稀なりと云われる齢を過ぎると、何らかの制約が発生します。健康面・体力面・何かを追い求める力などなど。
経済的に許されるのであれば、50~60才定年が最も望ましい姿だと、私には思えます。

前々から私たちのNPO団体は、理事或いは事業部リーダーの70才定年制を推奨してきました。
しかし、現在守られていません。
大きな理由のひとつが、人材不足です。
今、退職を迎え、地元に戻り、地域のボランティアNPOに参加する方は65才定年でも、まだ報酬を求め続けている70才近い方ばかりです。
一律に70才定年はもう古い、70才は若い、定年を75才に変更しようと云う意見が多く聞かれます。が、発するのはお年寄りばかりで、若い世代からは聞こえてきません。かれらと、団塊世代のオジサンの間では、全てに関しての感性や、考え方の基準が違うのです。
下の世代は、70才だから辞めてくれ。と云ってるのではなく、「もうあなた達の考え方古い、道を譲りなさい」と云ってるのです。

ですから、弾き飛ばされる前に、引退勧告される前に、惜しまれているうちが華と、72才で現役を退きます宣言を、かなり発信力のあるブログ上で発信します。
これからは、これまで支援してきた市民活動団体のweb・ITのフォロー、支援の為の任意市民活動団体を設立し、仲間たちに呼びかけ、理想的なボランティア活動をする予定です。

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posted by 西沢 at 08:27| Comment(1) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年04月15日

コロナ?花粉症?木の芽時症候群?それとも「春バテ」?

四月に入ったころから、体調不良が続いています。

原因のひとつは自覚し、解っています。
夜間頻尿による寝不足です。
前立腺肥大による頻尿はながい付き合いなのですが、冬の寒い時期は二時間おきに尿意で目が覚め、トイレに立ち、残尿感がなくなるのまで、10分以上トイレにたち尽くすことがおおくなり、当然ながら寝不足になります。
昨年あたりは、泌尿器のドクターから、昼間眠くなりませんか?と聞かれても、「別に、必ず昼寝してますから」と答えていたのですが、最近は朝から眠いのです。

頻尿に加え、睡眠時無呼吸症候群でもあるので、眠りも当然浅くなります。
毎日、毎晩、365日夢を見ます
カミサンは全く夢を見ないというのに、私の場合一晩で何本の映像をみているのか。
内容は決まって二つです。
一つは海外旅行のトラブルです
全く言葉の通じない国・場所で、道に迷っている夢。
いつか、何度も通ったことのある商店街、何処見覚えのある実在してそうな町。
何故か団体ツァーの一員、帰国する日のホテルの朝、荷物造りにうろたえ、焦る自分。
もう一つの夢は、仕事の夢です
現場は何故か、関西か四国の様子、一度しか打ち合わせしていないのに、どんどん竣工日が迫ってくる・・・
工期的に絶対に無理なのに、嫌々現場に向かう自分の後ろ姿・・・これは夢なんだと云い聞かせてする自分がいます。
精神科あるいは心療内科で診療すれば、絶対に何かしらの病名がつくのではないでしょうか。

毎年、この時期、春になる時期、木の芽が吹き、動物たちが動きだす時、体調不良になります。
ネット上でもお医者さんたちがいろいろ解説しています。

冬枯れした木々に、柔らかな新芽が一斉に芽吹き出す3月から4月にかけては、「木の芽時」と呼ばれます。
実はこの「木の芽時」は、昔から精神科医の間では、メンタル状態が悪化する人が増える要注意時期として有名です。
この時期、もともと何らかの精神疾患を患って通院している人が悪化するだけでなく、新規の患者さんも増えやすくなります。
気持ちが落ち込み、やる気が起こらないといった抑うつ症状や、寝つきが悪い、夜中に何度も目が覚めるといった睡眠障害のほか、不安や焦燥感が増し、感情が不安定になるといった症状を訴える人も少なくありません。
メンタルだけではなく、体が重だるい、めまいがする、胃の調子が悪く食欲が落ち気味、腹痛や下痢、便秘がひどいといった体の症状を合併する人もいます。

この「木の芽時の不調」の原因は、一言で言うと「変化」です。
日本の春は、様々な変化が一気に起こるため、心身がその変化に対応できなくなると心や体の不調が発生してしまうのです。
あらゆる変化が心身にとってストレス原因になります。
私たちは外界で何らかの変化が起こると、自律神経系を駆使してその変化になじもうとします。
しかし変化が激し過ぎると、自律神経系が対応しきれなくなり、心身に病的症状が発生してしまうのです。


解説の通り、身体がだるい、重い、胃の調子が悪く食欲が落ち気味、そこに加えて多少の花粉症気味、鼻水、微熱です。
新型コロナウイルスが流行っていても、コロナウイルスではないのは確かですが、今回の不調はちょっと長い・・・

最近の新聞紙上で、新たに「春バテ」という言葉も知りました

春先は寒暖差が大きく、不調が起きやすい・・・そんな調査結果を医師らがつくる団体がまとめ「春バテ」と名付けた。
3月~5月の不調について尋ねると、全体の67%が身体の不調、52%が精神面の不調を経験している。
症状別でみると、だるい、気分が落ち込む、疲れる、イライラする。
原因の一つに春先の寒暖差が上げらられる。
2019年3月の東京の最高気温は1週間で15℃近くの温度差があり、寒暖差に合わせようと無理すると、自律神経の切り替えが上手くゆかず、不調を感じてしまう。
対処方法の一つとして副交感神経を刺激をする方法が紹介されていました。
・寝る前に蒸しタオルを40℃くらいにして目元を温め、リラックスする。
・炭酸ガス入り入浴剤をいれて38~40℃のお風呂に10~20分浸かる



今年の春の不調が例年よりも長引いている最も大きな原因ストレスは、新型コロナウイルスによる外出自粛なのは間違いありません。
春の一番良い季節なのに、3月・4月予定していた、高地・四万十の旅と、富山・黒部の旅を自主的に中止した上、体育会の利用禁止、図書館の閉鎖と、ここまでは何とか耐えていたのに、次は映画館の閉鎖、ショッピングモールの閉店、ステイ・ホームの大合唱です。
それでも勝手に一人、ガラガラの電車に乗って、東京・神奈川・埼玉・千葉以外の場所に行こうと思っていたのですが、今は身体が反応してくれません。

もっと、身体も心も鍛えておけば良かった。
と思う、退職シニア、古稀を過ぎた年金生活おじさん。
ちょっと遅かったかもしれない。

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posted by 西沢 at 08:10| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年04月13日

初のテレワーク・ビデオ会議・Zoomミーティングが開催された。

私が所属している趣味の映像クラブは、1984年設立の歴史あるビデオクラブです。
http://kirisame.moon.bindcloud.jp/
8mmフィルム撮影から徐々にビデオ機器映像の世界に移り変わる時の20代、30代の若者数人が集まって、まだ高額だったビデオカメラを持ち寄って、自分たちの興味のある世界の映像を撮りはじめ、今年で36年になります。




当時の若者は、今や古稀を迎えやがて、今年は後期高齢者と呼ばれる年代になってきています。
藤沢で活動していた「湘南ビデオクラブ」は私が早期退職して鎌倉に越してきてから、活動の拠点、会場を鎌倉・大船の市民活動センター(通称NPOセンター)に移し活動してまいりました。
撮影技術も常に最先端を行き、パソコン・ネット・ホームページ情報発信に長け、まわりからも注目されるビデオクラブに成長し、会員も少しづつですが、増えてき、月に一度の例会では、今、最先端の3Dアニメーションの作品を造つてくるメンバーも現れるようになりました。

しかし、・・・・ここにきて月一度の定例会の開催が困難になりました。
コロナウイルス騒動です。
国も神奈川県も、パチンコ、ゲームセンターの営業自粛には消極的なのに、市民活動・ボランティア活動、生涯学習の場でもある、公民館や学習センター、を利用停止にし、ついに市民活動センターの会議室まで利用禁止にしてしまったのです。
確かに、ビデオクラブの例会は、三密の典型です。
「密閉」「密集」「密接」、窓を閉め切って、暗くした会議室に20人余の映像オタクが集まり、持ち込んだパソコンを駆使して映像技術、イメージ表現について、時に激しく議論をするのですから、嫌がられるのも無理ないですが。

そこで、提案されたのが、今、流行りのテレワーク、ビデオ会議、クラウド会議、クラウドミーティングです。
今や政治の世界では、各国首脳はテレビ会議が当たり前です。
その前に、グローバル化する日本の大企業ではクラウドミーティンーグ、テレビ会議は当たり前となってき始めて所に、このコロナウイルス騒動です。
電車に乗るな、会社に来るな、パソコン一つあれば大抵の会社の業務は自宅にいてもこなせるハズ・・・確かに、私達、建設会社の場合、現場が最盛期を迎えるまでは、かなりのことは自宅で出来ました。

私の場合、自宅自室に大きなB0と云われる図面台がありました。
現場がまだそんなに進んでいない状況でしたら、自宅で施工図面を書くことは十分可能でしたし、職種柄、系統図とかポイント表とか、実スケールに関係ない図面様式が多かったので、自宅で書くこともありましたが、やはり、会社、現場へ行ったほうが、安心でした。
今回の新型コロナウイルス騒動で自宅テレワークされている、男性社員の半分以上は、通勤電車に乗らなくて済むという利点よりも、やはり会社に行って仕事をしたいと考えている男性社員は、予想よりもかなり多くいると思います。

そんな時節柄、ビデオクラブでは、今流行り、最先端のビデオ会議システムを取り入れました。




会場の大船センターには、毎月一度、鎌倉・湘南に住むメンバーだけではなく、横浜市、遠くは栃木県那須から新幹線で参加される方もいらっしゃいます。
そこで、3月、4月とニか月連続で会議室が利用できなくなり、5月も怪しい状況ではと、云う事で、今や大手企業では半分常識化している、テレワークテレビ会議、クラウドミーティングシステムを取り入れることにしました。
現在、この新型コロナウイルス対策で一気に有名になりました、「無料テレビ会議システム Z00m」を使うことにしました。
原則、サインイン(登録)すれば、40分間無料で使えます。
必要なのは、パソコン(或いはスマホ)とネット環境さえあれば、かなり簡単にバーチャル会議・web会議がメンバー制限なく開けます。

我が湘南ビデオクラブでは当初、このような最先端技術に興味のあるメンバー(60代~80代)数名でテスト運用試験を開始しました。
10数名の平均年齢がかなり高いメンバーのなかには、何も会えない、集まれないからと云って、ネット上、パソコン上で顔合わせしたってしょうがないと云う方も当然いらっしゃいました。
そこで、マスト・義務・強制ではなく、出来る方から少しづつ参加し、出来ない方にはサポートしようと云うスタイルで、クラブとしての公式定例会が4月12日開催されました。
私もこの日が初参加です
事前に、ネットでZoomに登録しサインインし利用できる状態にします。
これは、クラウド上のアプリを利用する時と同様というよりも、フェーブックやインスタよりももっとシンプルでした。
数日のちに、このシステム導入の音頭をとった代表から、メールでインビテーションアドレスと参加パスワードがメールで送られてきました。

決まった日にち、決まった時間に、送られてきたURLにサインインすると、すでに参加しているメンバーの顔が見え、声も聞こえます。画像はプライバシーを考慮して一部加工してます。



自分の部屋のなかが映りたくない場合は、登録された背景壁紙にすればOKだと云うことも知りました。会議の会話が家のなかで聞かれたくないなら、ヘッドフォンにすれば良いし、家の中の雑音があいてに伝わりたくなかったら、パソコンのマイクではなく、専用の指向性高いマイクにすれば防げます。
私は、数日前、マイク付きのヘッドフォンをネットで購入しようと調べたところ、1000~2,000円ぐらいで売っていましたが、何れも在庫ゼロ、入荷待ちの状態です。この新型コロナウイルスの自主規制、外出自粛、企業のテレワークで、一気に無くなっているようでした。

時代はどんどん変わって行きます。
会議は人と人、顔と顔を突き合わせて話さなくては、本音が聞こえない、真実が伝わらない・・・それは真理でもありますが、時として、バーチャルな世界ではかえってドライに発言できるかもしれません。
何時までも、デジタル・IT・クラウド・ネットの世界と無縁でいられる訳ではありません。
自分が受け入れられる範囲で、上手に付き合っていくのが、戦後の団塊世代のオジサンに課せられた老後なのでしょう。

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団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方

posted by 西沢 at 08:08| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年04月11日

意外に身近にある、仲の良かった兄弟姉妹の遺産相続トラブル 

60代後半から70代前半の私たち世代は、ちょうど両親を見送る世代です。

私の場合は何も問題なし。
既に退職し、老後の年金生活に入っている時に、さして期待もしていなかった両親の残した財産が、これまで普通にお付き合いし、仲良かった兄弟・姉妹間の諍い、不仲になるいう種類の話は、ここ数年増えてきています。
幸いにして、私方の両親は全くの貧乏所帯で、これと云って、兄弟間で諍いを残すような財産はほとんどありませんでした。
4人兄弟の姉は嫁ぎ、二人の兄のうち、一人は都会へでて行き、もう一人の兄が学校を出た後、両親と一緒に家を建て、そこで結婚し両親の老後を過ごし、父の葬式を済ませた時に兄から都会で暮らす私に、父親の遺産の一部、「お前も知ってとおり、貧乏所帯だった我が家には、子供たちに遺産として残すような大金はなく、すこしばかり貯金は、これから先の母親の分として、自分が預かった、それでも都会で一軒、家を持つのは大変だろうから、大した金額ではないが、頭金の一部として受け取ってくれ」と、確かにほんの気持ち程度を受け取りました。
その後、軽い痴呆症の母親が亡くなる85歳までを、兄嫁さんと看護し、送り出しました。
この時の母親の遺産というほどのものはなく、あっても辞退し、これから長く続く、お寺さんの費用の一部にして下さい、お願いしました。
昭和の貧乏な家庭の典型的な例でした。

最近、身近で耳にするのは、介護に絡んだ遺産相続トラブルです。
ケース1 父親の残した一等地内に、兄と弟が各々家を建てていたケース

父親が亡くなった後、痴呆症の母親は兄の家で長い間介護が必要な生活が続き、亡くなりました。
葬儀が一段落した後、遺産相続の話になり、弟は兄から、母親が残した遺言状をみて、びつくり。
其処には、弟への遺産相続はゼロ、全て一緒に暮らしてきた兄へ全財産をと、書かれていたそうです。
弟は納得する訳がありません。
父親は、東京都心で美術商を営んでおり、土地もあり、引退後も十分な預貯金があったハズなのです。
しかし、兄は、弟夫婦は、母親の介護はほとんど手伝わなかったと、主張し、父親の残した預貯金の大半は母親の介護で使った。と主張したそうです。
結局、兄弟間の話合いでは、解決せず、双方弁護士をたてての調停となりました。
最終的には、預貯金は、全て兄が相続し、弟は父親名義の東京都心の土地を相続したそうです。
この土地には別人のビルがあり、弟は売却せずに月に25万、年間300万賃料をいただくことにしたそうです。
私はこの話を聞き、知人でもある弟に、「ヘェー良かったじゃん、厚生年金の他に毎月25万の賃料がはいるんじゃ」と云うと「でも、固定資産税が、年間150万もすることは、知らなかったんだよ」と嘆いていました。

ケースの2 この話は、兄・弟兄弟ではなく、姉・妹二人姉妹のお話です
状況は一緒です。
先に嫁いで外に出た姉と、家に残って結婚し母親の介護をし、見届けて送った姉妹の相続騒動です。
相続対象は母親と一緒に暮らした家と土地、母親が残した預貯金です。
姉は、土地と家はこれまでの母親の介護のお礼として相続を放棄し、残った預貯金を法定相続分1/2をいただければ十分と考えていたそうですが、妹から送られてきた相続に関する書類を見て、びっくりしたそうです。
法定相続人は、妹と自分の二人だと思っていましたら、何と3人とあったそうです。
もう一人は、妹の連れ合い、夫です。
姉は、これまで色々、相続に関するトラブルの話を聞いていて、介護をして来た嫁の弱い立場についての知識がありました。
どんなに、長年義母の介護をしてきても、法的には息子の嫁には相続権がないことは知っていました。
それは、妹の夫とて同じだと思っていたのですが、何で・・と妹に問い詰めると、妹の夫は亡くなった母の婿養子だと云うのです。
はじめて聞いて、姉はびっくり、何時そんな手続きをしたの?と聞いても妹は答えてくれないのだそうです。
今更、こんなことで妹と不仲になるのも嫌だすから、承諾したものの妹の言ってきた金額は全預貯金の1/4でした。
姉は納得しません。最初から1/3は貰うつもりはなく、1/3から数百万は、今後の母親の何年続くか解らない法要の為費用として妹に分ける予定だったのに、最初から1/4とは到底承諾出来ず、1/3でも承諾できないのだから、それなら、母親名義の土地のについても、放棄せずに請求すると云いだしたのです。
結局、最終的には1/3を受け取り、解決したそうですが、今でも行き来はないようです。

ケースの3 よく聞くケース 土地・家の他に、預貯金が少ない場合の遺留分の知識
父親が亡くなり、相続対象は自宅の土地(評価は3,000万円)と預貯金1,000万の兄弟の場合
父の相続後に長男と次男で遺産分割協議を行う際に、次男が法定相続分である50%を主張。
父と同居し今後も居住を継続していきたい長男は50%ではなく、預貯金1,000万円だけにしてほしいと主張するが次男は受け入れず相続トラブルに発展。。
不動産が自宅一つしかなく金融資産が少ない場合には、どうしても自宅を相続する相続人の相続割合が多くなり他の相続人に不平等な内容になってしまいます。
自宅が相続発生後に空き家になるのであれば、売却して換金したお金を分けることもできますが、相続人が居住しているケースでは売却も難しく、
相続トラブルに発展しがちです。
父が生前に、自宅を長男に、預貯金を次男に相続させるという内容の遺言を残しておけば、長男が困ることはなかったのですが、
次男の遺留分(法律上最低限認められている権利)も法定相続分である1/2の半分の1/4となりますので、
総財産4,000万円の1/4で1,000万円となり次男となり、長男は次男に1,000万円をわたして、自宅を相続でき居住を継続していくことが可能となります。
土地・建物の他に預貯金が少ない場合は、遺言状でしっかりと書いておく必要があります。
気をつけなくてはいけないのは、幾ら遺言状にかかれていても、遺留分は消滅せず、法定相続分の1/2は権利が残ります。

メディアでは、遺産相続問題は他人事ではなく、どこの家族にも起きる問題と云います。
それは、大資産家よりも、普通の一般家庭、数百万の遺産相続で発生するそうです。
確かに、私たちの世代、60代から70代にはいる、親の介護世代、現在公的年金を受け取り、これから先何年生きていくか、何時自分が介護が必要となり、どの位お金が必要なのか心配になるお年頃では、数百万は大きな意味合いを持つからなのでしょう。


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posted by 西沢 at 07:58| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ