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2020年03月30日

楽しみにしていた高知旅行をキャンセルしました。

本来なら、今日、3月30日は私たちは夫婦二人は、高知県西部、四万十川の清流を路線バスで下っていたハズですなのですが3月26日、ホテルのキャンセルチャージが発生するギリギリで中止しました。
理由は色いろあります。
理由の1,新型コロナウイルス問題
特別、みどりのオバサン、東京都知事小池さんの週末外出自粛要請ではなく、先週、急激に罹患患者の数が増えた原因の大きな一つが、欧米からの帰国者によるものでした。
成田空港も羽田空港国際線ターミナルも、日本人帰国者の検疫検査で4時間もかかる有様で、しかも検疫官はたったの4人、問診票を渡し、体温をピッと測るだけで、検査の細胞採取もしていない様子でした。
帰国後は自宅或いはホテルでの2週間の外出禁止、待機の要請、空港から自宅・ホテルまでの公共交通機関の利用禁止、自宅以外のホテル費用は自己負担・・・成田周辺のホテルでは、宿泊を拒否するホテルもあるようです。
感染リスクの高い、空港ターミナルにはなるべく近寄らない・・・
今回の場合は、国内線なのでリスクは多少下がりますが、問題は羽田空港へのアクセス・足の問題です。
私の場合、横浜から京急線で羽田空港へ入ります。
この結構混む路線です。
この車内が一番のリスク、それもかなりのハイリスク要因です

マスクは、自分がマスクで罹患を防ぐのではなく「他人に移さない」が最大の理由です。
ですから、本来なら広い公園や、外気のなかではマスクを着用する必要はなく、密閉された、混雑する場所(ツァーバス・屋形船)では、せきなどをしない感染者からウイルスが拡大しているとみられる症例があるほか、マスクや手袋をしていた医療関係者や検疫官らの感染も報じられています。
せきなどで生じる飛沫は水分を多く含み浮遊しないが、会話で生じるつばがウイルスを含んで飛び、ごく短時間空気中に浮遊している可能性があるといいます。
これらは、防ぐための高密度・高密着度の医療用マスクでも防げないと云う報道もあります。
つまり、マスクは密閉・混雑した空間ではあったほうが良いが、絶対ではなく、一番最良策は近づかないこと。

でも、そんな理由で楽しみにしていた旅行を中止したの?
理由の2,お天気が最悪の模様なんです。



今回の高知旅行は、勿論、100%個人手配の自由旅行です。
手配が完了したのは、1月24日、2ケ月前でした。
旅程は
3月29日(日)
羽田 7:55⇒09:20高知竜馬空港
高知名物日曜市と高知城の桜
ホテル西鉄イン高知はりまや橋 

3月30日(月)
四万十へ
高知8:20 特急しまんと1号⇒09:26窪川・窪川09:40ホビートレイン⇒10:34江川崎
江川崎発11:10 四万十周遊バスBコース 中村着15:00 
中村15:10 特急南風24号⇒高知16:59

3月31日(月)
桂浜・ 五台山へ
国民宿舎 桂浜荘にて、日帰り入浴・昼食セット
高知空港 NH570 18:15⇒羽田19:40

以上の予定でした。が・・・これは全てお天気が良いか、まあまあの場合、雨なら台無しです。
ネット情報で毎日高知の天気予報を見ていました。
それに、日本で一番桜が咲くのが早いハズの開花模様を見ていました。
それが、直前の天気予報は最悪、東京の桜は満開なのに、高知城は2~3分咲きです。
桜は諦められますが、四万十川沿いを半日かけてゆっくり走る路線バスが雨の中とは、何のために、高知から普段は使わない特急電車で2時間もかけて行くのに。




理由の3、キャンセルしても金銭的な実害はない
今回の羽田・高知間のフライトは、ユナイテッドのマイレージを使いました。
二人で、往復20,000マイル 無料航空券です。
そして、ホテル西鉄イン高知はりまや橋 デラックスツィン2泊、20,000円も3日前でキャンセル料なしです。
マイルのキャンセルチャージはかかりませんが、マイルを自分のアカウントに再び戻すには、UAの場合一人、150ドル、二人で300ドルかかります。
今回、私たち二人のフライトキャンセルはしませんでした。
最初は予約して乗らないのですから、道義的にキャンセルすべきなのですが、このコロナウイルス騒動のさなか、ユナイテッドのコールセンターは全く繋がらないのです。朝から通話無料の携帯を繋ぎっぱなしにしても、全く繋がらず、キャンセル連絡はあきらめました。
つまり、実害はないと云っても、日本国内往復二人分の権利を放棄したのには変わりないのですが。
今回の高知2泊3日の旅行予算(フライトはゼロ円として)は
交通費 25,000
宿泊費 20,000
観光費  7,000
食 事 18,000
お土産  5,000
予 備  5,000 
合 計 80,000 でした。

その後、自由個人旅行の手配について考え直しています。
旅行はお天気が良い日がいいのは決まっています。
それなら、お天気がある程度天気が確定する6日前に、宿もフライトも手配した時、値段はどう変化するのか。今回テストケースとして、私たちがキャンセルしたフライトとホテルのセットを絶対にお天気の良さそうな日、予約日から1週間後の4月5日(日)~4月6日(火)の3日間手配できるか、そしてその料金は幾らか、調べてみました。

全く同じANAのスケジュールで同じホテルの二人合計は56.000でした。
検索サイトは20年ほど前から使っているトラベル子です。
https://www.tour.ne.jp/j_dp/
この金額から推定するに、ホテルは2泊18,000円、航空券二人往復38,000円と推定されます。
これは旅行日の一週間前、お天気の様子も確定している状態での予約です。
今回のケース、販売会社のANAセールでした。
どうやら、羽田・高知間は、春の絶好のシーズンなのに、コロナウイルス騒動でガラガラの模様が推測されます。
結論、そんなに早く、早割やマイルを使わずとも、日本国内何処でも、1週間前予約で二人である程度のレベルのホテル(勿論素泊まり)とフライトは60,000で納まると云うことが解りました。
今回のケース、来年も、いつまでも当て嵌まるかどうかは解りません。インパウンドの来日事情や、国内の季節状況によって変わってくるのでしょうが、時間に余裕のあるシニア夫婦の旅のスタイルのの一つの指針としてご紹介しておきます。

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団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方
posted by 西沢 at 08:39| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年03月28日

NPOは霞を喰って生きてはいけない、退職シニア男性の寄せ場でもない

定年後の働き方は、私たち団塊世代の定年60才時の2007〜10当時からかなり変わってきており、65才定年が当たり前ですが60才から65才までは、正社員としての雇用延長ではなく、契約社員として、正社員当時給与の65%以下に落とされ、公的年金受給まで、何とかしのいで食いつなぎなさい、という形です。
今は、その上、厚生労働省の高年齢者雇用安定法では、企業と高齢者間の話合いなどに基づき、65歳以上の就労方法を7つの選択肢から選べる仕組みとすべきとしています。
つまり、70才まで働きなさい、公的年金だけでは、団塊世代のやや上の世代のような「ゆとりある老後」は出来ませんよ、と云っているのです。
その7つとは
@定年廃止。
A70歳までの定年延長。
B継続雇用制度導入。
C他の企業(子会社・関連会社以外の企業)への再就職。
D個人とのフリーランス契約への資金提供。
E個人の起業支援。
F個人の社会貢献活動参加への資金提供。

 
とあり、これは、70歳までの就労確保を企業の努力義務とする「第一段階」であり、「第二段階」の改正で、これを義務化する目論見のようです。

ここで、私たち現在、NPOボランティア活動に従事している人間が注視しているのが、7番目の社会貢献活動へ資金提供てす。
TVのニュースなどで、生活困窮者や路上生活者、或いは、引篭もりの青年の問題ドキュメントを見かける時、登場するのは、これらを支援する「NPO団体」です。
街中に事務所を構え、結構若い事務員を数人かかえ、生活困窮者の炊き出しに行ったり、生活を親身に面倒をみたりしています。
この人や、この事務所で働く人たちの生活はどうなってているのだろうか?
代表は家族や子供がいないのだろうか?
常勤スタッフ若そうに見えるけどどうやって、この大都会で自分自身生活を維持しているのだろうか?
週に一度の炊き出しの食材や運搬経費は全てボランティアで賄っているのだろうか?


ここでNPOとNG0の違いについて
NPOとは「Non-Profit Organization」あるいは「Not-for-Profit Organization」の略称であり、
その名の通り非営利的な(Non-Profit)組織(Organization)のことを表しています。
NGOとは、Non Governmental Organization(非政府組織)の略です。
もともとは国際連合が国際会議に出席する政府以外の民間団体を指す用語として使い始めました。
現在では、大きな医療・宗教系など特殊な例もありますが、ほとんどのNGOの原資、資金の出どころは政府、行政機関が多いです。政府が表面に立って出来ない事業・案件を民間の名を借りてやっているのが、日本のNGOの実態です


NPOについては私が説明するよりネット上の記事引用のほうが良く解るでしょう。

NPO法人は日本では特定非営利活動法人と呼ばれています。
非営利という名前の通り社会的貢献活動を行って、団体の構成員(株式会社でいう株主)に対しては、収益を分配することを目的としていないことがNPO法人の大きなポイントになります。
決して団体が行うすべての活動をタダで行うというわけではありません。
株式会社どの営利企業の場合には、自らの組織の収益を最大限にするために活動することが企業の存在するための最大の目的ですが、NPO法人の場合には法律的には収益をあげることを主な目的として活動を行うことは出来きません。

つまり、株式会社場合、事業が成功し、利益がどんどん増えた場合、その得た収益を株主や、役員に配当してもOKなのに対し、NPO法人の場合はお金儲けを目的として活動していないので、活動範囲を超える収益が発生してものお金を配当できません。
ただし、決してお金を必要としてはいけないという意味ではなく、NPO法人も人が集まって組織を運営している以上は、その人達にも生活がありますので、お金が無ければNPO法人自体が職員の給与を支払うことが不可能になり、結果として存続することが不可能になってしまいます。

NPO法人は、非営利団体であると言う世間の多くのイメージから、お金を受け取らずに、ボランティア活動を行っているというイメージを持たれる方が沢山いらっしゃるかもしれません。
ですので、頂いたお金は、NPO法人の活動の費用には使えないのではないか?と疑問に思われる方もいるのではないでしょうか?
それは違います。頂いたお金が、そのNPO法人本来の活動の目的に沿っているものであれば、何も問題がないのです。

このように、NPO法人の特徴としては、簡単に言いますと、社会的に人の役に立てる、お金目的ではない団体です。
しかし、活動に必要な範囲でのお金は得ても良いという事になります。
ですので、社会的に貢献はしたいけど、収益も上げたいと言う事であれば、NPO法人になる必要はなく、株式会社や合同会社のような営利を目的としている会社を立ち上げれば良いという事になります。



本題の「NPOはNPOは霞を喰って生きてはいけない」について
NPOの資金は何処からでているのか?
市内に事務所を設け、代表と理事4人、専従スタッフが3人いるとしたら・・・・
家賃・光熱費・電話・パソコン・コピーなど必要最低限に、携帯の通信料等々とスタッフと自分の給料と支援活動費、どんな市民活動、支援活動をするかにもよりますが、年間1,200万〜2,000万円のお金が必要になることは先ず間違いありません。
Non-Profitで税金はかかりませんが、後は一般的な会社と同じで、給与に当然、所得税はかかります。

NPO法人の資金源は、

・構成員・支援者の会費収入
・支援者からの寄附金
・本来事業からの対価収入
・非本来事業からの対価収入
・助成金
・補助金
・借入金
・金利  等の大きく8つに分類できます。


会員・支援者からの会費収入は、一人年に数千円程度ですから、会員が数千人規模の全国的の団体でないと成り立ちません。
寄付金・・これも又難しく、年度計画を組み入れるの難しいです。
私たちのNPOの現状から云いますと、主たる収入は、行政から委託費です。つまり、本来行政がすべきことを指定管理と云う都合の良い制度の元、民間に押し付けているのです。
わたしのNPOは市が運営・管理する2つのNPOセンターの受付業務、年間の広報・研修・協働・相談業務を入札制度に応募して請け負っています。その金額は何と、年間1,300万円です。
市の40〜50才の正規職員の1年分で、上記の2つのセンターの業務を年間330日、8時間二人体制で勤務し、尚且つ広報・研修・協働・相談業務を行うのです。
行政は最初から、ボランティア無給を前提にしていると思えない金額です。
これだけでは中間支援NPOとして、市内の市民活動団体の支援は出来ませんので、会費、寄付金或い大手企業の助成金、私のような正規会員の行う有料講座収入で、穴埋めしているのが現状です。

NPOは退職シニア男性の寄せ場ではない
しかし、私たち団塊世代以降、このようなNPOに関心を寄せ入会してくる人が今、問題になっています。
私たちの団塊世代は、このような地域の為の市民活動は「自ら申し出た、無償の好意、行為」ボランティアは当たり前なのですが、最近入ってくる、65才定年組の方々は、仕事、アルバイト、居場所探しとして入ってくるのです。
2年前、当時のNPO事務局長が70才で定年で辞める際、新しい人材、血が必要と、公募で事務局長を募集しました。
65才、週3日勤務、1日神奈川県最低賃金の時給の他に事務局長手当として3万、月11万~13万分です。
神奈川のNPOの管理職と云う肩書、月12万の報酬に釣られて多くの人材が応募してきました。
前事務局長は面接の末、大手メーカー事務系の管理職、旧帝大卒の65才を選びました。
前事務局長が新事務局長にどんな業務引継ぎをしたか知りませんが、新しい事務局長は、全くボランティアという成り立ちが解っていません。
自分は管理職として雇われたと云う意識があり、二人の女性スタッフを部下のように扱います。
どんなに、忙しくとも電話も取りません。
私は、彼は一体、週3日なにをしているのか、業務日報を書かせろと理事会に云いましたが、やりません。
定例のスタッフ会議を全員の都合の良い曜日に設定すると、その曜日は自分の勤務日ではないので、出勤日当を要求します。
広報担当の私は、情報が一番集まるのは事務局だから、公式サイトのコラム記事を記述をするように云うと、彼の答えは、そのような技術は要求されていないし、またそれは私の報酬額にそぐわない、と云う有様です。
こんな人が事務局長として、月々の報酬をもらい、その給与の一部を私の払った会費、私たちが稼いだ収益事業から払っているのなら、72才を迎えた今期を持って退会する予定です。
ボランティアNPO団体には、そんな管理職はいらない、必要なのは、パッションを持った、汗をかく人間だ。

もう、いいや、やーめた。

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団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方
posted by 西沢 at 08:26| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年03月26日

ボランティアは無償であるべきかと云うアンケート結果

今回は、リタイヤシニアの生き甲斐を食いものにする、地域ボランティア制度の実態について考えています。
「ボランティア元年」と呼ばれた阪神大震災(1995)から25年。
現役当時は全くの別世界、自分には無関係な言葉と思っていました「ボランティア」と云う言葉は、退職後の地域社会では重要なキーワードとして登場してにきます。
東日本大震災の時は、私は既に地域NPOに属しており、私の廻りの若者はおろか同じ世代の退職シニアも、誰に頼まれた、誘われてたのでもなく、金曜日夜の夜行バスに乗り込んでいきました。それらの多く人は今でも定期的に被災地を訪れていますし、その中のお一人、同じ団塊世代の男性は、現地にボランティアに来る人達の為の無料の宿泊所を今でも運営して降ります。
フェスブツクで「いきともハウス」を検索してみて下さい。
石巻市雄勝地区復興応援隊


東京オリンピックとラクビー―ワールドカップ では、延べ12万人のボランティア募集が打ち出され、関心が高まり、私と同じ団塊
世代の方も、申し込み採用されたと云う投稿が掲示板に掲載されていました。
定年後の過ごし方ロングステイ画像投稿板


一方、ボランティアは交通費などが出ないことから「ブラック」との批判もあります。
どこまで「無償」であるべきでしょうか?
ある日の朝日新聞日曜版で読者アンケートを実施していました。







「イイエ」と答えた人のほうが若干多いと云う結果が看取れます。
私の場合、勝手に定年リタイヤに入った17年前55才の時に、地元の市民活動をサポートするNPOの会員になり 自分のスキル・経験をいかして、市内で活動する市民団体のwebプログラム支援を行う部署で、無償のボランティア をしてきました。
私のなかではボランティアとは、「自ら申し出た・無償の善意、但し自分の時間を縛られない範囲」 と定義していました。
経済的には働かずに済む環境であり、退職後の生き甲斐の一部と位置づけてやって参りました。
しかし、ある時期を境にこの気持ちが揺らいできました。
それは、官設・民営の先駆けであった鎌倉NPOセンターが、指定管理制度をとりいれて、これまで基本、市の予算のなかで 行き届かない所を私たちの中間支援NPO団体がボランティアとして賄ってきたものを、指定管理と云う名の元、決められた 市の予算で、法人としてのNPO団体が、
本来、行政が担うべきものを制度を請負いと云う形になったのです。

このように指定管理制度は図書館・公民館・体育館・公園など次々ととりいれられていきました。
行政の考え方は、民間の経験・人材でより良い市民サービスを、効率よく、安価で行える、と云うものですが、年間300日 市内2か所の市民活動センターを開館し、500を超える市民活動団体の支援をする費用(指定管理を受けるNPO団体に支払われる予算)は、 市の職員一人の年収分にも及ばない金額です。
ボランティアと云う美辞麗句に名を借りた、経費節減です。

この指定管理制度の元では、受付や団体の支援・相談の部署スタッフは、契約労働者と見なされ、社会保険・雇用保険・交通費そして 神奈川県の最低賃金を支払わないと労働基準法に抵触します。 しかし、市から指定管理料では、2か所の市民活動センターの受付業務スタッフの最低賃金を払うのが精いっぱいで、これまで やって来ていた、市民活動団体へ支援する人材は交通費も払えない、完全無償ボランティアとならざるを得なくなりました。

同じ市民活動センターの業務に従事する仲間のなかで、指定管理の「市民活動センター」の業務をする人間は有償、この指定管理制度 を受注している「中間支援NPO」のスタツフは無償という現象が現在発生しています。 特に、専門知識・資格が必要な「相談」・「会計」・「IT・web」の部署で混乱が続いています。

私の所属しています「広報」部門では、指定管理制度前は、市民活動センターの広報紙とホームページは一つでしたが、指定管理以後は これを、「市民活動センター」と「中間支援NPO」の2つに分けるように市から求められ、2つにしました。
しかし、指定管理予算ではこのような専門知識を持つスタッフは雇えず、せいぜいワード・エクセルレベルの一般有償専従スタッフが やらなくてはならず、最終的には指定管理業務を請け負う「中間支援NPO」の私のような専門知識を持つものが、無償ボランティアとしてやらざるを得ない 状況です。

余談ですが、「請負」と云う言葉・漢字は「言われて・青くなり・負ける」 というジョークが現役時代の建設業界でよく言われていました。
民間の建設業界でしたら、手抜き・品質低下・下請け丸投げなどが出来ますが、行政発注の仕事はそうもいかず、 人件費を最低限、生活保護レベル以下に抑え、後はボランティア頼りのブラック企業よりも酷い状態・ 暇を持て余し、生き甲斐を求めるリタイヤシニアの善意を食い物している・・・・と云うのが 本当のところです。

少なくとも、自宅と作業する場所指定管理の「市民活動センター」までの交通費はいただきと最近は 思うようになって来ています。
必要に迫られて、鎌倉のセンターに行くのに、自宅から電車に乗ります。
その時たったの165円ですが、その都度自分の財布の中から の出金が発生します。
私は、比較的経済的に恵まれているほうですが、これでは、新しくボランティアに参加する、まだ年金を満額もらえない60代前半の 世代では長続きしません。
東京オリンピックでは、どのようなボランティア規約を造つているのか知りませんが、短期やその場限りのボランティアなら 成立しますが、本来行政の費用で賄うべき市民サービスを、市民の善意を当てにしたボランティア制度は、この朝日新聞の アンケートの結果で解るように、
今後成り立って行かないのは明白でしょう。

次回のブログでは、これらのボランティアは無償が当たり前の私たちの世代と、現在、新たに市民活動、NPOに参入してくる65才リタイヤシニアの方々との間に生じている、NPO活動とボランティアに対しての意識の差、ギャップについて、書きます。

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団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方
posted by 西沢 at 10:19| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年03月24日

NHK大河 麒麟が来るでみる、視聴率と戦国当時の女性の座り方

NHK大河ドラマの最近の視聴率の初回と8週後を比べてみると
   麒麟が来る いだてん 西郷どん 直虎  真田丸
初回  19.1  15.5  16.9   16.9  19.9
9回   15.0  9.7  14.8  14.0  16.6

やはり、大河ドラマは戦国ものが、安心してみていられるのでしょう。
明智光秀と真田幸村の生涯はほぼ誰でもが知っていて、さて、自分の知らない廻りの人生どうやって描いていくのか、幾らドラマとは云え、歴史を塗り替えることは出来ないのですから。初回から8回目の視聴率をみていると、大健闘です。
それに引き換え、直虎のように知らない武将、ましてや本当は女性だとか、西郷どんの明治維新の薩摩・長州の政治的な駆け引きが入ってくるとなかなか、女性には向かないようです。

そして、来年、再来年まで決まっているようで
2021年の大河ドラマは渋沢栄一を描いた「青天を衝け」主演・吉沢亮
2022年の大河ドラマは北条義時を描いた「鎌倉殿の13人」主演・小栗旬 です。

どうひいき目に見ても、この2作が、「麒麟が来る」よりも視聴率を稼ぐとは思えません。
話が暗い、特に「鎌倉殿の13人」の北条義時ではヒーローも、成功も、勝利も、愛もないなく、義時って誰?しかないのです。
鎌倉ものは、義経じたいの人生が暗く、その後の執権北条氏一族に至っては、学校の歴史の時間でも飛ばされ、蒙古襲来の神風に救われたエピソードしか、今、歴史の地「鎌倉」に住む住民の私でも知りません。

明治物はこれまで、大河ドラマとは別枠スペシャルで日露戦争と子規を扱った司馬遼太郎の「坂の上の雲」で高視聴率をあげていますが、日曜・夜の大河ドラマ枠で明治物を初めてではないでしょうか?

過去1963年の「花の生涯」から現在に至る大河ドラマ視聴率は以下のサイトをご覧下さい。
ビデオリサーチ社

今、ネットで盛んに議論、飛び交っているのが「麒麟が来る」のなかの武将の妻の座り方です。

これまでの大河ドラマのなか(私がおぼえている範囲では)での女性の座り方は正座でした。が、今回の「麒麟が来る」のなかで光秀の母親も、信長に嫁ぐ、斎藤道三の娘(濃姫)も立膝をついた姿勢で座っています。
この座り方について、ネットでは騒がれています。
韓流ドラマのようでみっともない、時代考証が間違っているのではないかと、とか
しかし、天下のNHK、それも大河ドラマですから、時代考証が間違っているハズがありません。
これが当時の武家階級の女性の正しい座り方なのだそうです。

ネット上に
「日本人の知らない韓国の常識」
と云うサイトがありました。


引用:女性の座り方
日本語会話授業中に韓国人女子学生から尋ねられた。
「先生、来週から日本でホームステイするんですが、やってはいけないことってありますか?」
「そうねえ、女の子は人前で胡坐をかいたり、立て膝するとまずいかもね」
「えーっ!胡坐がだめなんですか?私は椅子の上でも、胡坐の方が楽なんですけど」
「うーん。バランス的に凄いとは思うけど、やっぱり日本では無理かな」
「じゃ、どうやって座ったらいいんですか?」
「横座りとか、正座かな」
「正座は絶対無理ですし、横座りも辛そうです」
と日本での生活が急に不安になったようだった。

韓国では、女性が胡坐をかくのは普通で、立て膝で座るのは、チマチョゴリを着た時の正式の座り方でもある。
女子学生が学生服のまま胡坐をかいていたのを見かけたことがある。下着が見えたわけではないが、例えば少女時代が胡坐をかいて座るのを想像するのは難しい気がする。
さて、韓国で正座をするのは反省や謝罪の態度を示す時だけで、土下座へと続くことが多いこともあり、余程のことがない限り正座はしない。
正座どころか、両膝をつくだけでも大変なことらしく、韓国ドラマで、膝をついた女優が「私がここまでしているのに・・・」と言っていて思い出したことがあった。
韓国に住み始めたばかりの頃、日本人として礼儀正しいところを見せなくてはと気負い、酒宴の席で正座を通したことがあったが、
日本嫌いを自称する私塾経営の先生から、えらく気に入られてしまったのだ。
今考えると、日本の過去を謝罪した態度だと思われてしまったようで、苦笑いするしかない。


今回の大河ドラマは、前作の「いだてん」と大違いで安心して見てられますし、今回のようなちょっと自慢できる「雑知識」も得られました。
問題は最後、エンディング、「主君殺し」の言い訳、理由の落とし所だと思って、最後まで楽しみます。

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団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方
posted by 西沢 at 08:38| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年03月22日

定年後の働き方 60歳超えても賃金を下げない会社 日本ガイシの新制度

春分の日の朝刊紙に、上記タイトルの経済記事に目が留まり読んでました。
55才で退職し、17年も経過している私のような年金リタイヤおじさんが、改めて解説するのも変ですが、一般的な日本の会社のサラーマンの年功序列賃金体系の年収の最大ピーク年齢は55~58才頃に設定されているケースが多いのは、特に政府公式を頼らなくとも解かります。

ブロブ記事に平均的なサラーマンの収入などの数値を書く場合、私見ではなく公式に公表されている数値を参考にしているんだよ、と云う意味で、グラフや数値を書くのが、確かに正当、真っ当、常套な書き方ですが、今、このブログで誰を対象として書いているのかを意識しないと、その公式数値は何の意味も持たくなります。
例えば 世代別年収を調べようと検索すると、先ずは

年齢階層別に平均賃金の推移をさぐる(2019年公開版)

これを参考にすると、・・・・
50代後半の男性の年収は420万前後です、そんなバカな、そんな低いハズは有りません。
いったいの平均的数字の根拠は何なんだと読むとこれは基本給に家族手当などを足したもので、通常はほぼ固定して受け取れる額を意味する。
また今件はフルタイム労働者を意味する「一般労働者」を対象とし、フルタイムなら契約社員や派遣社員も該当する。
ただしパートやアルバイトは「一般労働者」では無く「短時間労働者」なので、検証対象外となる。そうか、やはり。私の知りたいのは、私のブログやホームページに訪れる、50代半ば過ぎ、これからの老後の過ごし方や、海外ロングステイを考えているような世代、どちらかと云うと固い、大きな企業に勤めている正社員とイメージなのです。

55歳〜59歳の平均年収と給料
このサイトでは、学歴別、企業の規模別の、男女別のピークと思われる50代半ばから60才直前の年収数値が解ります。
おおよそイメージしていた、大卒・大企業のサラリーマンで780万か、私の知る周辺ではもうちょっと上のような気がしますが。


【最新版】年齢別の平均年収一覧(20〜60代)
今回、私が考えている、このブログを読む方々に最も近い、学歴・地域差・企業規模の全国数値を均すとこのくらいなのかと云うサイトの数値です。
50〜54歳 677 万円
55〜59歳 669 万円
60〜64歳 508 万円
でも、団塊世代の私たちの現役時代の感覚からしたら、こんなに低いハズはない、というのが実感です。

年収は年齢×20万円が当たり前だった時代
団塊世代が現役バリバリだった30代から40代の頃の話と限定しますが。
会社にやってくる生命保険会社のオバサン達の結婚・仲人話の常識、基準の年収は、年齢×20万円でした。
30才なら×20万で、年収600万が結婚相手として紹介出来る基準だったのです。
大学或いは専門学校卒で、固い、ある程度以上の規模の会社に勤める男性の年収は600万。
このくらいないと、東京で結婚し、郊外に家を買い、子供二人と専業(時々パート)の妻を養っていけない、というのが保険のオバサンの常識でした。
私が勤めていた会社は、まあまあ、この保険のおばさんの基準に合格していたようですが、しかし、田舎の高校の同級会で出会った、「金融・証券・商社」は30代では×25万から30万はいっていたようです。

私が現役時代、55才で退職していますが、年功序列の賃金体系のピークは58才でした。
58才、子供二人が大学を卒業している年齢、35年家のローンがあと10年ほど残っている年齢と仮定していたのでしょう。
生保のおばさん達の常識・基準の年齢×20万円の鉄則から云うと、定年間際の年収は1200万円ほどとなります。

読者の大半は、この数値前後の方々と推測していますが、実は私が55才で早期退職する数年前から、年収は激下がりし始めていました。
親会社はメーカーででしたが、私たち子会社は建設業界のエンジニアリング会社です。
建設業界の賃金体系は、基本給+現場手当+賞与の3本建で、基本給は一般社会よりかなり低く設定されていました。
基本給1で現場手当が0.5、賞与は年に10(基本給の)~と云う具合で、基本給30万の場合でほぼ1,000万、つまり景気に左右されるのと、担当した現場により、年収が大きく変わるような業界なのです。
こんな、不安定な給与体系に不満を持つ社員もいましたが、しかし、建設業界では現場を任される立場になると、現場経費と云う「第二の財布」的なものがありますので、そんな不満は内勤者だけに限っており、長年の慣習的が続いていると聞いています。

元会社も60才定年、希望すれば契約社員として5年間は在籍することができる制度はありました。
給与は退職時の65%、手当も減額され、賞与も4ケ月程度と聞いています。
どうして、そんなに安いのかは、建設業界と云う理由もあります。
現場では、60才は高齢者と見なし、してはならない業種、高さ制限、立ち入り制限があります。
もうひとつの私たち最先端エンジニアリングなら理由は、設計事務所・ゼネコン・他の業種との打ち合わせで、パソコン・IT知識が必須、図面は全てCADの時代に突入しており、60才過ぎのオジサンは会議に参加してくる他社の若者社員から不安視されるような時代に入ってきていたのです。


55才で早期退職し、鎌倉に越してきてから同じ団塊世代の戦友と知り合う機会が増えました。
彼らは、60才定年後、会社の再雇用制度の契約社員として残ったものの、長くて3年で退社しています。
団塊世代の公的年金の支給開始が63才だったこともありますが、退職した一番大きな理由は、責任の大きさ、仕事量は全く変わらないのに、給料だけが半額近くにさがってモチベーションの低下は著しかった。
特に、入社同期が役員として残ってたり、子会社の社長をしてたりするのを見ると、3年間も我慢できなかった、と述べていました。

では日本ガイシは、どう給与体系を構築したのか
60才定年時(おそらくですが、優良メーカーですから1200万はいっているでしょう。)の給与水準をそのまま継続すると会社全体の負担はそのまま上昇します。
そこで、会社全体の賃金体系を改めたたそうです。
メーカーですから、基本的には年功序列体系です。
子育て世代の昇給カーブを早めて、ベテラン世代の昇給を緩やかにする。ここで得た「節約分」に「企業年金」の早期支給をし、足りない数億分は、会社が負担する。
「ベテラン・有能社員が5年間、働いて稼いでくれたらマイナスにはならない」と云う、やる気を引き出し、シニアの活躍に期待するシステムだそうです。

朝日新聞の記事では、今後このような取り組みが労使の間で増えていくのが望ましいと書いている反面、この日本ガイシグルーブでこの制度を取り入れているのは、本体だけ、グループ全体では「大前提が違って広がりにくい」と云う現実触れていました。

本当は、人類と云う生物、ほ乳類の体力的ピークの還暦60才に身を退き、残された20年を林住期として、ゆうゆう或いはきゅうきゅうかも知れませんが、自分の意思で過ごせたら良いのですが。 夢ゆめ人生100年なんて政府のプロパガンダに惑わされずに自分らしく生きていく、老後設計を考え下さい。

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posted by 西沢 at 08:13| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年03月20日

少し早め春の花めぐりの一日、南足柄と伊勢原へ

日曜日23日に予定してました、月に一度のビデオクラブの例会が中止になりました。
メンバーの半数近くが75才以上の後期高齢者でもあり、またここ1週間、会場となる大船は連日、新型コロナウイルス感染者が発生しているニュースが全国紙新聞・TVニュースに登場している、ホットスポット化していますし、何よりもビデオクラブの月例会といったら、会場の会議室の全て窓を閉め切って、真っ暗な部屋の中で、会員の撮影した動画を鑑賞し、新しいビデオ編集の
技術研修が目的の閉鎖空間という、オタク文化に近い集まりなので、致し方ない、妥当な判断なのでしよう。

となると、またまた予定がキャンセル、暇になります。
さて、どうしようかと迷っているなか、朝日新聞湘南版に、「今、アーモンドの花が満開を迎えています」写真入りの記事がありました。
翌日は、TV朝日の夜の報道ステーションのなかで、ライトアップされた、やや早咲き桜「春めき」を紹介していました。

※横浜銀行フェースブックより引用
神奈川で生まれた桜「春めき桜」をご存知ですか?
ソメイヨシノの開花より一足早く、早咲きの「春めき桜」が南足柄市で花を咲かせ、春の訪れを感じさせています。
この「春めき桜」という桜、もともとは「足柄桜」とも呼ばれ、同市の農家が育成し2000年に品種登録された新しい品種だそうです。
狩川沿いに整備された遊歩道“春木径(はるきみち)と幸せ道”には171本の春めき桜と菜の花が植えられ、雪を頂く富士山をバックに濃いピンクと黄色との美しいコントラストを楽しみながら散策できます。


これは行かなくては、と早速場所とルートを検索しました。


アーモンドの花咲く公園
最初の目的地の伊勢原のアーモンドの花咲く公園の名前は「丸山城址公園」
自宅最寄り駅から、先ず、検索優先事項は「最も料金の安いルート」は退職シニアおじさんには必須です。
時間はたっぷりあるのですから。
伊勢原は、元勤めていた建設エンジニアリングの工場がある所で、良く知っている場所です。
丹沢へのベースとなっている駅です。グーグルマップで調べると国道246号沿い、東海大学病院の隣でした。
バス便を調べると、伊勢原北口から愛甲石田行が公園の前にバス停がありました。
バス料金は伊勢原からも、愛甲石田からも同一料金の190円。
それなら、大船・愛甲石田と、大船・伊勢原の料金を比べると、愛甲石田のほうが40円安いのが解りました。
勿論、躊躇なく、愛甲石田で下車を選択します。



丸山城址公園へ行ってびつくり、何じゃあの朝日新聞の記事は!
確かに、ピンク色のアーモンドの花はご覧のとうり咲いていました。
しかし、私が記事からイメージしていたのは、大きなアーモンドの木が連なる、果樹園のような林だったのですが、まだ樹高1.5mほどの若木が6本ほど植わっているだけでした。
この日、新聞記事を読んでこられたシニアご夫妻の方々も少々、拍子抜け・・・
まあ、初めて見るアーモンドの花のピンクに免じて許してやるか。
コメント
伊勢原北口からのバスは、駅からいつも渋滞する国道246を通り、広大な東海大学病院内をグルっと回りますから結構時間がかかります。246の渋滞を避け、最も安く、早く、合理的な方法は、愛甲石田から真っすぐ歩いてくることです。
健脚な方なら徒歩15~20分です。

この日のメイン、TV朝日報道ステーションが独自でライトアップ生中継するほど「春めき桜」
所在地は南足利市です。ですから一般的な行きかたは、小田原から大雄山線で終点まで行き、ここから新松田行きの箱根登山バスで足利高校前で下車し、徒歩15分。ネットで検索すると先ずこのルートが紹介されます。
しかし、私はこの日は小田急線「伊勢原」にいるのですから、もっと安く、早いルートで行くことにしました。
小田急線「伊勢原」から小田急小田原線290円で「新松田」にでる、新松田から「関本」(大雄山と同じ)行きのバスで足利高校で下車ルート的には、こちらのほうが便利、安いです。
しかし、実際に現地に行ってみると、ほとんどのシニアご夫婦は車で来ており、私のような「乗り鉄マニア」と違い、お金や時間のことは考えていないようでした。



一ノ堰ハラネ春めきへ
この記事を書くに、「ハラネ」ってなんなの、どういう意味?とネットで調べてみましたが何処にもありませんでた。
怒田丘陵の斜面、土手約3,000平方mの斜面に120本の春めきが植栽されています。
各々の木には、この木を寄贈した方々の名前札がかかつていました。
一ノ堰と云う名の通り、下にし小さな川が流れていますが、昔はもっと大きな川の土手、堰だったのでしょうか?
河津に代表される寒緋桜と、染井吉野桜のちょうど間頃に咲く桜のようです。
ここの良い点は、この土手の桜は、下からも上からも眺め、撮影できることです。
桜の撮影は結構難しく、あのピンクのボリューム感を上手く表現するのは、ドローンかクレーンでの上空からの撮影しかなく、一般的には、どうしても桜のアップか、土手を横から望遠で撮って長さや、大きさを表現するしかないのですが、ここでは上からも、下かも、遠くからでも、近くの陸橋の上からも撮影出来るのが魅力です。

今回のルートとお金の話
大船⇒藤沢 JR東海道線
藤沢⇒相模大野 小田急江ノ島線
相模大野⇒愛甲石田 小田急小田原線
愛甲石田⇒丸山城址公園⇒伊勢原 神奈中バス
伊勢原⇒新松田 小田急小田原線
新松田⇒一ノ堰ハラネ 箱根登山バス
一ノ堰ハラメ⇒JR松田 箱根登山バス
JR(西日本)松田⇒JR(東日本)国府津 御殿場線
国府津⇒大船 JR東海道線

交通費合計 2,620円 ランチ駅そば420円 合計3060円也
1日遊んでこの程度なら、団塊リタイヤ・年金おじさんの暇つぶしとしては許せる範囲でしょう。

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posted by 西沢 at 08:02| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年03月18日

コロナウイルス騒動で暇なシニアは映画三昧の日々

全国区のニュースで、我が家から徒歩10分にある、鎌倉で最大規模のショッピングモールのコーナンなかにあるキーテナントの「ライフ」のパート従業員男性のコロナ感染が報じられていました。先日は、毎日使うJR駅で倒れた女性と云い、コロナウイルス騒動はニュースの世界ではなく、身近あるのが私の現状のようです。
コロナウイルスは空気感染ではなく、接触感染と解っているのでそんなに気を使わなくても良いと解っていても、不要不急の外出は控えていますので、家にいる時間が増え、TVを見る時間が自然に増えています。
そんな事情ももあるのなか、TV番組では昔の名画の再放送が増えています。

現役時代はそんなに映画好きではなかったと自負している私ですが、退職後は映画館に足を運ぶ回数は、各段に増えています。
その一つの理由として、退職後に参加した映像のクラブの影響があるのは確かでしょう。
映画は好きですが、TVの映画を録画するとか、DVDをレンタルして家のリビングでみるとか、ネット経由の有料チャンネルで見るほどではありません。が先日は、スカパーで無料で「大脱走」をやると云うので、昼間の3時と云う時間にも関わらず、懐かしい名画「大脱走」を久しぶりにみました。
大脱走は1963 昭和38年)は私が15才の時の映画です。
当時高校一年生、当時中学生の頃は町の映画館の出入りは禁止されていましたが、高校生になりそんな規則もなく、自由に映画館に出入り出来るようになった時の初めての映画でした。

地方の県庁所在都市の繁華街で生まれ育った私の町には、今と違って映画館は沢山ありました。
思い起こしてみるに、松竹・東宝・東映・大映・日活の邦画封切館が5館洋画封切館が、3館。他に独立系の成人映画を中心とした映画館が2館、全て自宅から10分の徒歩圏内にありました。
高校生になり、映画禁止の縛りがなくなり、当時では珍しかつた高校生のアルバイトをやってましたので、小遣いはあり毎月映画館に通っていた、多少まわりからは「不良」の目で見られていたかも知りません。
この当時の思い出は、この「大脱走」よりも、吉永小百合の青春映画のほうが思い出深いものがあります。「泥だらけの純情」・「さよならの季節」をもう一度見てみたい。

この週、幸福の黄色いハンカチもBSでやっていました。
1977年(昭和52年)当時私は 29才
結婚前、渋谷道玄坂の映画館でカミサンとのデートで見ました。
南米から帰国し、専門学校を卒業しても、まだ思ったような職場に巡り合っていない時期でした。
映画に登場する「武田鉄矢」に自分を投影してみていました。
同じ団塊世代、町工場で働き、現状の仕事、自分置かれている状況に満足せず退職し、当時の憧れであった「自家用車」を買って北海道を旅する姿に。
ラストシーンにぼろ泣きし、隣の彼女に恥ずかしかったあの頃。
その後、建設エンジニアリング会社に転職して、結婚に至る懐かしい思い出の映画でした。

翌週、またTVで高倉健と吉永小百合の「海峡」の再放送を見ました。
海峡 1982年(昭和57年)当時の私は34才、すでに結婚ししています。
この映画は見ていませんでした。
34才の私は高度成長期の建設エンジニアリング会社の現場監督で忙しくて、土日も夜間もなく、働きづめで映画を見る余裕は全くありませんでした。
今、思い返してみるに、早期退職する55才まで20年以上も、映画館で見る機会はなかったのです。
初めて、この映画「海峡」を見ました。
青函トンネルに携わる、技術者の映画なのですが、当時、こんな陳腐なストーリー、特に映像が綺麗でもなく、吉永小百合の魅力も引き出せていない、映画を東宝の大御所たちが、よくも制作・上映したもの、と半分呆れてみました。
青函トンネルの本坑全貫通は1985年(昭和60年)です。
自分の人生に置き換えてみていました。
初めて、津軽海峡を渡ったのは、1965年高校三年生の夏休み、勿論、青函連絡船です。
そして、再びの北海道は2013年(平成25年)、この青函トンネルを通って在来特急で函館に入りました。
既に退職して10年たった65才の時でした。
それ以後は何度も北海道に渡っていますが、全て空路です。
洞爺丸沈没事故がきっかけで造られた青函トンネルですが、今考えると、あれだけの犠牲を払って造る必要ががあったのだろうかと考えながら見ました。

そして、今話題の映画「フクシマ50」を見てきました。
あの東日本大震災の東電原発事故に当たったプラントエンジたちの話です。
2011年(平成23年)私は63才でした。
日本人、特に私たちの世代の男性は、NHK「プロジェクトX」のような、大きな組織のなかで働く、名もなきエンジニア、ヘルメットをかぶった男たちの話が好きです。
前述の「海峡」に登場する「トンネル屋」と呼ばれる、大手ゼネコンの下で働く実務者の話が好きです。
このフクシマ原発の事故対応に当たった、海外で「Fukushima50」と呼ばれる、東電の原発プラントを支える子会社や、実際に作業に当たる協力会社の社員やその家族のお話です。

ストーリーそのものは、事故後のNHKなどの検証ドキュメンタリーで知っているので特に目新しいものは何もありませんでした。
気になったのは、NHKのドキュメンタリーでは特にフォーカスしていなかった、当時の民主党内閣の現場介入や、当時の東電本社の対応について、かなり、そして大げさに、批判的に描かれていました。
一方では、アメリカの軍隊、日本の自衛隊の活躍を大きく、好意的に描かれていたのが気になります。角川ってそんな会社だったのでしょうか。

見終わってこの震災の年、自分は何処で何をしていたのか思い出してみました。
震災の翌月、私はアンコールワットにいました。
4度目のアンコールワットで、目的地は普段なかなか行けない、ベンメリア遺跡が主目的でした。
震災から3週間目、海外に出て知ったのは、日本国内で知らされていた、原発事故の大きさ・脅威でした。
あの当時、日本国内のメディアでは伝えていなかった、事故の大きさ、日本の半分東京・神奈川までが避難しなくてはいけない、ギリギリの危険な状況であったのを、4月、海外へ出て初めて知りました。
日本のTV番組に出席していた、「専門家」は炉心溶融は起きないと云い、水素爆発で粉々に散った現場を目にしても、原発建屋は何か事故があった時に、内部を保護する為に軽く、柔に作られている・・・と本気で語っていたのを思い出します。
そして、2月15日のNHKスペシャル、原発事故の検証、津波は防げなかったのか?では、何度も津波に対する対策のチャンスがあったのに電力会社の横並び体質、政府の原発保安院の組織上の問題で見過ごされてしまった、と報じていました。

唄・曲を聞くと、その当時のことを思い出すと云いますが、映画・映像はもっと強く過去に引き戻します。唄と違って、一緒に見た人、相手、場所も鮮明によみがえってきます。
齢をとると、記憶は逆行すると云うことを聞いたことがありますが、確かに、最近、昔遊んだ路地裏はどうなっているのだろう、
今度田舎に帰ったら、行って撮影しようかな・・・となんて考えています。

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posted by 西沢 at 08:09| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年03月16日

個人・自由旅行のお薦めと、常々云ってきましたが・・・

コロナウイルス騒動で、二週間と限定的でした鎌倉市内の体育館・図書館・公民館など全ての施設の自主的使用禁止は、今月いっぱいまで延長・継続されるとの、広報が回ってきました。
今月いっぱいで済むはずもなく、冷静に考えれば夏のオリンピックだって怪しいものです。
何でも賭けの対象にするイギリス・ロンドンの大手ブックメーカーの「東京オリンピック開催」のオッズは開催可能が2倍、中止もしくは延期が1.73倍と報じているそうですが(出展ソースライブドアブログ https://news.livedoor.com/article/detail/17909972/
もし、私が勝負しなくてはならない状況なら、間違いなく「中止もしくは延期」に賭けます。

とにかく、スケジュール帖が真っ白な状態になっております。
決まっているのは、今月末の高知旅行のみです。
それまでの2週間さて、何をして過ごしましょう・・・・
今引き受けている、鎌倉の自然保護NPO団体のホームページリニュウアルは、のデータ、画像待ちで、いざ手元に届き、本腰をいれてやれば、2・3日で終わる量ですから、自分を追い込んだ時にやる予定。
今月いっぱいで辞める予定のNPOセンター関連のwebサイト整理が残っていますが、後継者から何も連絡なしなので、突き放し、放っておきます。

そこで、今週考えたプランは
案1,朝日新聞に掲載されていた、アーモンドの花木が美しい伊勢原の公園への撮影 アーモンドの
花ってみた事がないし、お天気の良い日なら、梅よりもきっと綺麗な絵がとれるのではないか!

案2,新駅高輪ゲートウェイを見に行く。
 初日以外はそんなに混まないでしょう。鉄道ファンぐらいなものですから。

案3、吉永小百合の新CM、群馬の古墳巡りの日帰り旅行
 地元最寄り駅から、高崎線直通がでています。水戸よりは近いハズ。

案4、お天気が悪い日限定で、二駅先の109シネマ湘南で、映画「フクシマ50」を見る。

これらは何れも、夫婦仲の良い私たちですが、私の単独行動の予定です。
カミサンはスポーツクラブのお友達向けの自作マスクの量産体制にはいつています。

そして、今月のメインは、初めての高知県です。
海外旅行を卒業し、国内旅行へ切り替えてから7年目、古稀を境に貯めていたマイレージを使い切ることにし、そのような旅計画をしています。
個人自由旅行では、遠隔地は当然飛行機を使いますが、札幌・福岡・那覇・伊丹などの大都市なら、自分のマイルを使うよりは、エァー&ホテルパックを使ったほうが安いケースがあります。
しかし、空路の少ない、競合しない場所(稚内)や今回のような、JRとの競合が少ない四国・高知の場合はエァー&ホテルパック、或いはビジネスパックでも二人分となると結構な値段で、海外よりも高くなりますので、今回のユナイテッドのマイレージを使います。

目的は高知城と四万十川の桜です。
退職直後から、今年の桜は何処にしようかと考えていました。
しかし、まだ甘かった。今年はダメでも来年があるし、その先もあると思っていましたが、70才にして、この先、何年、桜咲く春の風景を見れるかは解らない、行ける時に行かなくては、と考えるようになりました。
それも特に、個人自由旅行のスタイルで。
確かに大手旅行社の込々パックは値段だけ比べたら格段に安いし、移動も楽です。
しかし、一番の欠点は、旅行日を選べないことです。
私たちは、その地を旅するに一番良い季節、一番良いお天気が確定できる時に行きたいのです。
その結果、地元の美味しい名物料理は高くて食べれませんし、宿も温泉旅館や高級リゾートではなく、移動に便利な駅近のシテイホテルです。
最近は歳をとり、1日の観光スケジュールを2か所に限定しているので、ホテル滞在時間がながくなりますので、お部屋の広さだけはこだわって
います。
ともかく、団体ツァーのように安い・便利・効率の良い旅行は原則あきらめました。
二人だけで、旅行前からネットに向かって、手作りの旅にを心掛けています。

そんな時、雑誌で読んだ、漫画家ヤマザキマリさんの記事に興味が引かれました。

漫画家ヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』の作者。
1967年(昭和42年)、東京都に生まれる。
ミッションスクールに通っていた14歳の時、母親に勧められて1ヵ月ドイツとフランスを一人旅した(ドイツに母親の旧友の音楽家がいた)。
この旅で、老齢のイタリア人陶芸家に出会い、旅をしている理由(芸術のため)を話すと、「イタリアを訪れないのはけしからん」と叱られる。
この時、14歳という年齢もあって家出だと疑われている。後に母親がそのイタリア人に手紙を送って、娘は家出ではないと説明する。
フィレンツェ在住時、フィレンツェにおける留学生活やキューバでの生活については本人のブログや自伝エッセイ
「世界の果てでも漫画描き」を書く、漫画を描き始めたのも生活費を稼ぐためであった

彼女のブログ記事より引用
テレビの旅番組って、みんながやってみたい一人旅を見せて、苦労もせずにお金もかけず、街に溶け込んでるかのような 疑似体験までさせてくれるけど、ても実際にはありえない。
一人旅って、トイレに行くにもスーツケースやバッグを持って行く事の苦労があるってことを、誰もしらないのかしら。
中略・・・・・
海外で団体旅行をしている人達を見て思ったのは、テーマパークを旅するのと変わらないということ。
帰って来てどこを訪ねたのかもよく覚えていない。
自分で旅程を組み立てて、列車をひとつ間違えるくらいやらないと。
! 間違えたって死にはしないし。無防備すぎてもダメだけど、人には生命力があって、
意外といろんなことが出来るもの、と私は旅から学んだ



このコメントは、彼女が14才の時に、母親の用事でヨーロッパにお使いに行かされた時の経験が初めての海外旅行で、 それ以降の彼女の旅の原点・スタイルとなっているようです。
しかし、このような体験は、海に囲まれた島国日本では稀有なケースで、一般的な日本人ですと、中学生ならば親と一緒のアジアや 太平洋のリゾートか、或いは学校行事での団体旅行でしょう。本格的に旅と云えるのは、大学の卒業旅行からではないでしょうか。

日本の若者は幼い
これまでの私でしたら、この彼女の意見に諸手を挙げて賛成し、そうだ、そうだと無条件に賛同していたでしょう。
卒業旅行がたった3泊5日のしかも、全ておんぶに抱っこのパックハワイで、はしゃぐ、幼い日本人大学生グループ。お前らはアホか、それでも22才か!、青年は荒野を目指さないと!

ヨーロッパの団体パッケージ旅行の写真を見せびらかし、海外旅行の回数を自慢するオジサン・オバサン、あんたのは旅ではなく、ただの点と点の移動。
座っていれば自動的に連れて行ってくれて、飯まで食わしてくれる。そんなの旅ではないし、
マチュピチュやカッパドキアを「世界の大秘境」なんて言わないでよ。

つい最近までそう思っていました。
でも、人それぞれ、色々なスタイル・生き方があっても良いじゃないか。
タカが旅のスタイルで 人生観が変わる訳でもなし、少なくても人に押し付けてはいけない、そう思うようになってきたのは、そう年齢です。

老成と云う言葉は嫌いでした。
まだまだ、どろどろとしたものを中に抱え込んでいるのに、年相応に生きるということが誤魔化しのように思えていたのですが、 自然体で過ごしていると、不思議に年相応に生きるのが、一番楽なんだと気づくようになります。
心と体にムチ打って、インドの奥地を目指さなくたっていいじゃないか!、行くんだったら、空港からスルー日本語ガイドを付けて、 ある程度のレベルのホテルに泊まって、日本のシニア夫婦らしい旅をすればいいじゃないか。

正直に書きますと、そのような旅をする資金的な余裕はとっくにあったのですが、プライドとか云う変なものを意識し、 「旅は地元に溶け込まなくては」とか、「あんな高い飯など食えるか、半分以下で食えるところがあるのに」とか、肩を怒らせて 旅してきたのも事実です。
いつしかは、外国人が行き交う空港ターミナルよりも、鄙びた地方鉄道のホームのベンチが似合う年齢がやってくる。

未だ老成なんて歳と違う。と先輩から怒られていますが

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posted by 西沢 at 07:46| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年03月13日

定年後・退職後の海外ロング・ミドルステイを振り返る

ウグイスの初鳴きで春を感じる
3月10日、朝、新聞をとりに共同住宅の1Fメールボックスに降りていくと、ウグイスが鳴くのが聞こえてきました。
もう、そんな時期なんですか!、今年は例年よりも早いのかな?と調べてみました。

ネットで買った「日本の365日を愛おしむ」ー毎日が輝く生活暦ーによると、七十二候「黄鴬睍v(うぐいすなく)」は梅の季節、今年で云うと2月10日から13日の4日間のようです。
おそらく旧暦なのでしょうから2020年新暦に置き換えると3月4日から7日となり例年通りのようで特別早訳でもないようです。
1羽だけではなく、数羽のウグイスが鳴いていました、それもこの初鳴きの時期なのに結構上手に鳴いています。
信州で生まれて育ち、東京に出て生活し、横浜新駅駅前開発物件を購入し、退職する55才まで色々な所に住みましたが、春の訪れをうぐいすの鳴き声で春を知るような土地には、これまで一度も住んだことは有りませんでした。

通勤と云う宿命を抱えたサラリーマンでしたから、住まいは都心に出る駅まで徒歩圏であることは必須条件でした。
21年間住んだ、横浜の新駅駅前大開発マンション群の第1期高層マンションは、ほぼ駅に直結しており、大型ショッピングモールも住み始めてから数年でどんどんと立ち並び、何時しか私の住む街はバブル時の投機対象となっていました。
しかし、そんな庶民の手の届かない価格が長続きする訳もなく、私が退職を機にこの街を離れる時は、バブル崩壊で同じ棟のなかで競売物件が多発していたのに引き続きづられ、底値で手放しました。

何度もブログ書いていますが、退職後の住まいに、駅近、あまりにも便利な環境はあまり好ましくない・・・が私たち夫婦の持論です。
現役時代の時間に追われる生活には、JRターミナル駅に近く、日々の買い物が便利なほうが良いに決まっていますし、不動産と云う財産価値を考えても有利でしょうが、古稀を過ぎた夫婦の場合、便利さよりも日々の生活の心の豊かさを求めるようになります。
家のリビングから見える風景は、コンクリートの近代的なマンション群よりも、緑の森のほうが良い。
電車の発車メロディが聞こえるよりも、公園で遊ぶ子供たちの声が良い。
大型ショッピングモールのお洒落なお店よりも、対面販売の狭い商店街通りのほうが良い。

退職後の一時期の夫婦二人による海外ロングステイの地についても同じことが云えます。
これは、私たちの現役時代に旅してきた方向性にもよるのですが、以前、定年後の海外ロングステイホームページサイトでこんな記事を書いていました。
2004年(退職後2年目)のゴールドコースの取材記事です。

私たちは未だ年金もまともに貰えない、年齢の世代ですが、どうも今、盛んに海外ロングステイを求めている60代半ばの世帯との間に、意識のギャップがあるようです。
この世代の方々が求めているのは、総じて美しい町並み・安全な、医療施設の整った、白人社会のようです。住んでいる方々が二言目言うのが「ゴルフが安い」、そうこの方々は、大橋巨泉世代なのです。
戦後の高度経済成長を支え続けてきた、私たち団塊世代の上司に当る世代、海外旅行は会社か、お仕着せの団体パックしか経験がなく、子供の頃からあこがれ続けて来た、アメリカ・ヨーロッパに住む事自体が生きがいであり、住むだけで満足し、自分たちの環境に陶酔している世代なのです。
白人社会に住み続けるのは、大変です。私がそうでしたから解ります。TVのやらせ番組でやっているような毎週末にご近所の白人夫婦を呼んで、ホームパーティを楽しめる日本人奥様は、100人のうち5人いるでしょうか?
私たち、団塊の世代は、20代の頃から海外へ出かけられました。
ある程度のアメリカ志向はあったものの、ベトナムにおける挫折も知っていますし、実際にその地を旅する事が出来た世代です。

私たち夫婦は、居心地の良いB&Bに泊まり、アジアの街角で、暑い・辛いと言いながらリーズナブルな食堂で駄弁って二三週間過ごし、日本に帰る、そんなミドルステイを選択します。
オーストラリアは、自然遺産の旅を楽しむ国です。
現在の日本との物価差を考えると、年金に少しプラス程度ではとても暮らせる土地では有りません。


この時のミドルステイから戻って来た直後、現在の鎌倉の共同住宅を購入しました。



画像でもご覧いただけますように、私たちの住む地域は、谷戸と云う、多くの小さな小高い森に挟まれ、緑の島に囲まれた平地です。
谷戸とは
丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形である。また、そのような地形を利用した農業とそれに付随する生態系を指すこともある。
谷(や、やと)・谷津(やつ)・谷地、萢(やち)・谷那(やな)などとも呼ばれ、主に東日本(関東地方・東北地方)の丘陵地で多く見られる。

定年退職後の海外ロングステイは、あくまでも海外旅行の延長線上の一時的な生活スタイルです。
一時期、持てはやされた年金だけで生活出来ると云う、経済的な理由での老後の海外生活のほとんどは幻想でした。
このウグイス初鳴きの日、私は歯医者さんに向かいました。
差し歯のブリッジ部分が揺らぎだし、痛みを感じ、当日の朝、馴染みの歯医者さんに電話し急きょ予約を入れてが掛けました。
もし、これが海外ロングステイ地であったらと思いました。
日本語の通じる、日本の海外旅行保険が適用できる医療機関でなくてはならない。
私たちが好きな、アジアの比較的物価の安い国、まわりを気にせずに一年中暖かく過ごせる国、日本人社会とある程度距離を置いて暮らせる国、でもそんな国、場所に暮らすには、日本の住む以上の経費がかかるのは明白です。

老後の海外ロングステイを考える時、「自分たち夫婦が年老いていく」と云うことは頭で解っていても、現実的には実感していません。
何時までも、今と同じように若く、好奇心旺盛で、どんな環境にも適応している、と考えているのです。
古稀を過ぎて、自分の住む街で春を告げるウグイスの声を聴きながら、「林住期」と云う言葉を反すうしています。
私たち団塊世代の定年後の過ごし方をメインテーマにしたwebサイトには、多くの同じ世代の方々が集まり、投稿記事を掲載しています。
そのなかのお一人のの記事のなかに、しばしば、仏教(ヒンズー)用語の「林住期」と云う言葉が登場します。
詳しくは下記リンクより

定年後の過ごし方 投稿「遊行期(玄冬)」入門 by Rocky


年老いてきたからでしょうか。
私もこの「林住期」からそろそろ「遊行期」にさしかかつているのでしよう。
この連日の新型コロナウイルス騒動で時間が余り、我が家の周辺を散歩して歩く時間が多くなりました。
個人のお庭に咲く花を眺め、小学校の桜の木の蕾の大きさを見、森からのウグイスの声を聴く。
いつしか、この街で亡くなっていくのでしょう。

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団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方
posted by 西沢 at 07:56| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2020年03月11日

お天気を見ながら、最善の日を選んで、梅の水戸・偕楽園へ

日本三名園と云われている「岡山・後楽園」「金沢・兼六園」は行ったことは勿論ありますが、しかし、もう一つの「水戸・偕楽園」は東京首都圏から二時間程度なので、何時でも行けると思っていました。もうひとつの行かなかった理由の一つとしては、梅は桜に比べて、映像の華やかさがない、ボリューム感がある映像が撮れないからでした。

何で、今年のこのタイミングでその水戸・偕楽園に行くのか?
最大の理由は、新型コロナウイルスです。
先週から、鎌倉市の公共施設・体育館・学習センター・NPOセンターが不特定多数の集会による感染を防止するために一時的に利用できなくなりました。
退職シニアオジサンのきょういく(今日行く所)、きょうよう(今日の用事)が全て、パー、空白になってしまったのです。
どうしようと思っていた所、朝日新聞に水戸偕楽園の梅が満開に近いと云う、情報記事と俯瞰の梅のボリューム感のある画像が掲載されていました。これは、暇つぶしを兼ねて、そろそろ行くしかないと、プランを造りを始めました。
先ず、大手ツアーの日程と料金を調べてみました。

クラブツーリズム 日帰りバスツァーの旅程と料金
横浜東口(7:50発)--那珂湊(握り寿司の昼食・買い物/計80分)【11:00頃着】
--水戸偕楽園(梅まつり・観賞/80分)【13:00頃着】--水戸・弘道館(国の特別史跡。約60種800本の梅を観賞/50分)【14:30頃着】--横浜東口(18:20予定)--新横浜(18:50予定) 9,990円
予想通り1万円は切っています。
でも、昼食の握り寿司は、どうせ回転ずしレベル或いはもっと安いもの、那珂湊の買い物は全く興味なし、バスにトイレはついてない。あったとしてもこのコロナウイルス騒動のさなか、密閉空間のバスツァーは遠慮します。

それではと、個人レベルでプランを造ってみました。

大船0640⇒0718品川0722⇒0934偕楽園 3時間 3080円
水戸・偕楽園1日バス券  400円 
偕楽園 入場料 シニア割引 150円 滞在 80分
バス 水戸0955⇒偕楽園1001

1日バス券で弘道館へ
入場料 シニア割引 150円
滞在 30分 徒歩で水戸駅へ

水戸駅構内で昼食 予算800円

大串公園へ バス茨木交通
1303⇒1326   440円
滞在1時間19分
1445⇒1508水戸北口  440円
水戸1531⇒1734上野1741⇒大船18:29 3時間 3080円

特急列車の座席を事前に予約も、日帰りなのでホテルの予約もなし、週間天気予報と、今は真っ白なスケジュールですからドンピシャリのタイミング行けるのです。

水戸駅 やはり旅行はお天気次第です。
一週間の天気予報で間違いなくピーカンの金曜日の朝、大船を6:33の電車に乗ると、当然ながら満席で座れるどころか、最近のコロナウイルス騒動でつり革を掴む人は少なく、全員マスク姿で壁際に立っての通勤姿です。
予定通り、始発駅品川で降り、取手まで快速運転する、常磐線勝田行の普通電車に乗ると、まだガラガラでした。
しかし、東京・上野からは、常磐線くだり方面の通勤客が乗り込み、あっという間に空席はなくなりました。
柏あたりから徐々降りはじめ、土浦を過ぎるあたりから大半の乗客は下車し、定刻どおり、大船から待ち時間・乗り継ぎ時間を含めて、ジャスト3時間で、初めて水戸駅に降り立ちました。

水戸は思っていたよりも大都市です。
駅構内で、偕楽園までの1日フリーバスチケツトを購入しようと行くと、観光案内所は当分の間、新型コロナウイルス対策として営業していませんとの張り紙がしてありました。「ヘェー、この水戸が一番売り出しの時期に閉店ですか?」
でも、バスターミナルでは、茨木交通の社員が出て、フリーパスや、観光案内をしていました。

水戸偕楽園とは
初めてですが、イメージ通りでした。
桜と違って、梅の花、梅の木は撮影的にはボリュウム感がない、あの朝日新聞に掲載されていた、色とりどりの梅がいっぱい咲いているのを俯瞰的に撮影するスポットは何処なんだ・・・と見回すのですが、見当たりません。
そこで、偕楽園内の事務所に伺いました。
やはり、そう思ってくるカメラマン・映像クリエーターは多いようで同じ質問をするそうです。
あれは、高所クレーンを使って撮影しているそうで、園内にはそんな場所は存在しないそうです。かと云って、ドローンでの撮影は、申請があつても、文化庁などの許可はなかなか難しいそうです。

早々と引き揚げて、弘道館へ
予定では2時間の偕楽園滞在予定でしたが、この梅園では1時間も必要有りません。
かえって熱海梅園のほうが、園全体が起伏に富んでおり、種類が多く、絵になるかもしれません。
では、撮影視点を変えて、幕末の水戸藩を思い起こせる場所として、県庁のある元水戸藩のお城、三の丸を目指し駅から歩きました。
バスツァーと違って個人自由旅行は歩きます。
どんなに交通手段が少なくとも、バスがある限りはタクシーは使いません。
1日目安は3万歩です。
弘道館は周りは、偕楽園と違って無料の梅公園がありますが、素人の花図鑑の撮影ではないのですから、花と組み合わせる背景が必要です。
何とか、使えそうな井戸で一枚、これでお終いです。

大串遺跡公園に向かう。
まだ時間はお昼前です。
梅の偕楽園では、こんなことになるであろうと、事前にその他の興味ある場所は調べてをつけていました。
駅構内でお昼を食べてから、水戸市内から東、鹿島灘方面にバスで30分の遺跡公園に向かいます。
ここには、かなり有名な貝塚遺跡があります。
ウイキペディア参照
『常陸国風土記』に巨人伝説の地「大櫛之岡」として言及されており(後述)、これは縄文時代の貝塚が古文献に記されている最古の例、石器時代遺跡の記録された日本最古の例として知られている。
遺跡の平坦部分は削平されているが、斜面の貝層部分は1960年(昭和45年)5月11日付で国の史跡に指定されており、現在「大串貝塚ふれあい公園」として整備されている。

巨人伝説の地 
日本各地にある巨人伝説の一つがここ、太平洋鹿島灘に面した、貝塚遺跡にもあります。
ダイダラボウはダイタッポウ、ダイダラボッチ、デーダラボッチなど様々な名前で呼ばれている巨人像がこの公園奥に鎮座しています。
奈良の大仏より大きい伝説の巨人「ダイダラボウ像」(高さ15m25cm)があります。
体内の階段を上って手のひらからの眺望の楽しめるようなのですが、ここもまた、新型コロナウイルス対策で閉鎖されていました。
バスは1時間に一本ですから、水戸駅へ帰るバスまで1時間の滞在を予定していましたが遺跡資料館も閉鎖しており、バスの時刻まで公園の前にある、お寺さんを覗いて過ごしました。
此処には、明治維新・戊辰戦争当時の戦死者のお墓が残されていました。

後は、帰るだけです。
今回の水戸・偕楽園の旅はカミサンは全く興味がなく、混む早朝の通勤電車内での感染を嫌って、私一人できています。
何時もは一緒ですが、たまには一人が良い。
かえりの電車もまた3時間弱かかりますが、この日の為にブックオフで買って来た文庫本があります。読みたいのを我慢して、この帰りの3時間の為に読まずいた本です。
水戸から座りっぱなし、ふと本から目を上げたら横浜駅を通過していました。
全て、お天気までも予定通りの、暇つぶしの旅でした。
費用は以下の通りです。

交通費 7,440円
入場料  450円
食事   800円
お土産  500円 合計9,190円
クラブツーリズムより、総額では若干安い程度。
それよりも、狙ってお天気の良い日に来れると云うのが個人自由旅行の大特権なのです。

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posted by 西沢 at 08:10| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ