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2017年12月09日

安部首相の言葉「こぞってことほぐ」ってなんだ

12月9日朝刊1面に「即位の礼」が19年の秋にの方向と云う見出しの後、安倍首相が記者団に語った言葉として「国民の皆様がこぞってことほぐなか、つつがなく天皇陛下のご退位と皇太子殿下まご即位が執り行われるよう万全をつくす」と云う記事がありました。

「ことほぐ」?・・・
何なの。どういう意味、天下の朝日新聞が入力ミスするハズはないし。
昭和23年生まれ、安倍さんよりも長く生きていてるし、最近はネツト上ながら書くこと、記述することも多い私が初めて聞く、目にする言葉「ことほぐ」・・・これって安部さんの言葉、どうせ内閣官房の官僚が、事前に造った記者団用のコメント記事だったのでしょうが・・・「とこほぐ」ってニュアンスは何とか解るけど?

朝日新聞の天声人語欄を毎日、専用ノートに書き写している我が家のカミサンに聞きました。
「ことほぐ」って言葉知っている?、前後関係も含めて話しても、彼女の知りませんでした。

こんな時は、ググるのが一番
「ことほぐ」を漢字で書くと【言祝ぐ】【寿ぐ】
意味は漢字を当てはめるとすぐにわかりますが、【お祝いをのべる。喜びの言葉を言う】
簡単にでてきました。
ってことは、皆さん、普段使っているのかな?

宮内庁の職員さんでしたら、このような古語に使い言葉は知って、使っているかも知れませんが、政府のお偉いさんの皆さん使っているのかな。そして、これを聞いて記事にする若い記者は知っていたのかな。

若い頃から、海外にでていて日本語特に古文とは縁遠い生活をし、現役時代は大型ビル建設の仕事をして来た文系にはほど遠い、団塊オジサンだから知らないのかな
posted by 西沢 at 08:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会

2017年12月08日

トランプはやってしまった、イスラエルの首都エルサレム問題

誰もが懸念していたアメリカ大使館を、正式にイスラエルが主張している首都エルサレムに移すと云う公約を実行すると発表しました。世界の誰もが、気が狂ったか、トランプのブレーンは何をしているのか、怒り、戸惑い、そして日本の株価は500値下がりしました。

実は私はイスラエルに行ったことがあります。
エー、何しにイスラエルへとよく聞かれますが、勿論観光です。
イスラエルでそんなに驚くんですか?私は北朝鮮も、キューバも、今滅茶苦茶なシリアもヨルダンもイラン・イラク・アフガニスタンも大抵の所は行っています。仕事でなく純粋に観光としてです。

イスラエルへ行ったのは退職する前の年2002年です。
北朝鮮で行われたアリラン祭を見に行った帰りのフライトのなかで、「よし、これでイスラエルに行けるぞ」と決心しました。
イスラエルと対立している一部のアラブ諸国や共産国家の一部には、パスポートにイスラエルの入出国の印が押してあると、入国が拒否されたり或いは、入国の際手間取ることがあります。ですから、イスラエル行きたい人は、出来るだけ先に行きたいと思っている、アラブ諸国を先に廻っておいたほうが良いのです。

これはイスラエルだけが特殊ではなく、アメリカだって似たようなものです。
特に、2001の同時多発テロ以降はうるさくなりました。
私のパスポートには、キューバ・パナマ・ニカラグアなどの国の入出国の印が押されています。
中南米諸国から日本に帰国する際、アメリカで乗り継ぎ、一度入国すると云う面倒が発生します。特に中米から乗るフライトの乗客は不法移民と麻薬関係を強く疑われ、所持金などまで調べられます。
こんな時に不利なことに、私の場合スぺイン語が堪能な上、キューバはおろか、コロンビアやベネズェラと云った、あまり日本人観光客が行かないような所を個人旅行で廻っているのですから、疑われる訳です。
しかし、私たちは夫婦二人連れの上、数時間後に日本に向かうフライトチケットを持っているので、パス出来ましたが。

イスラエルへの入国は90日以内でしたら、ノービザで入れます。
イスラエルの国土は日本の四国ぐらいで、観光地は主に、キリスト教・ユダヤ教の聖地巡りで、バス交通網の発達したイスラエルですから4泊5日程度で十分です。観光地は勿論英語が通じますので、特に現地のヘブライ語を習得する必要はありませんでした。

イスラエルは危険か?
通常の観光でしたら、特に危険と感じることは有りませんでした。
しかし、街中、ファストフード店でも、銀行でも、街角の交差点でも自動小銃は裸で持った、若い女性兵士が歩いて、それが日常一般の風景になっていました。
その旅から数年後、リタイヤして地元の国際交流協会主催の英語教室にいったら、先生がイスラエル人でした。
彼女も普通のイスラエル人がするように、大学卒業後、世界への旅に一年出て帰国後、兵役につき再び、アメリカに渡り、英語教師免許を取得して、日本に来ました。
数少ない、イスラエルに行ったことがある日本人として、色々良く話をしました。
しかし、一年もしないうちに、彼女は急きょイスラエルに帰国しました。
彼女の生まれた家、今も両親が暮らしている入植地の周りでパレスチナとの衝突が頻繁におこり、両親を心配して帰っていきました。

観光では解らない色々な問題があることは解っていましたが、こんなに身近にもあるとは・・

トランプ大統領の真意は何処にあるのでしょう。数年後トランプが辞めた後、数十億ドルのお金がアメリカ或いはトランプ個人に動くのを知ることになるのでは、それがトランプの云うディール(取引)なんでしょう。
posted by 西沢 at 08:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行

2017年12月07日

人生100年時代の人生戦略 リンダグラットン「ライフ・シフト」

昨夜のTVの池上彰解説で、初めてこの本を知りました。
最近、自民党、特に小泉進次郎が人生100年時代と云う言葉を連発しており、社会もそれを見据えた、生き方・働き方・老い方を考えるようになって来ている、と解説しています。
長生き・長寿イコール幸せな世の中、人生ではないことは、誰もが解っていることです。
そして、池上彰の解説の解説のなかで、リンダグラットン著「ライフ・シフト」を紹介していました。

早速しらべてみました。
長寿化により、引退後に余生を楽しむという人生は終わる、そしてそれはポジティブな変化だと
『LIFE SHIFT』の著者リンダ・グラットン氏は言う。
まずは長寿をポジティブにとらえること。
国民1人ひとりができるだけ長く、健やかで生産的に生きていくことが状況を打破する鍵です。
どれだけの時間を、どのように使っていけばいいのか。
それを詳しく述べたのが新著『ライフ・シフト』です。
ーーー以下引用ーーー
働き方は「教育」「勤労」「引退」の3ステージから、マルチステージへ移行する
より長く働くためには、今の働き方を変える必要があります。今まで、人生のステージは「教育」「勤労」「引退」と3つに分けられてきました。
教育期間を終えるとフルタイムで働き、次はフルタイムで引退生活を送るというものです。大学をみな同じ年齢で卒業し、同じような年齢で結婚し、子どもを持って、そして昇進して引退するという予測可能な人生のモデルがあったわけです。
しかし、今後これは成り立ちません。みんなが同じ時期に同じことをする一斉行進の時代は終わり、世界はマルチステージの人生に変わりつつあります。
1人ひとりが違った働き方を見出し、また人生のイベントの順序もそれぞれ違ってきます。
自分にとって理想的な人生を追い求めていくことになるのです。

引退後に余生を楽しむ人生モデルの終焉
人生100年時代の到来はさまざまな変化を引き起こします。
その1つとして予測できるのは、日本を含む先進各国で人々がより長く仕事を続けることになるということです。
2017年、65才で退職した団塊世代の余命は20年ですから、後20年間、現役時代の50%の生活費でやっていかなくてなりません。企業年金・個人年金・共済年金など恵まれた方をのぞいて、20年間を年金だけでやっていくには無理があります。

解決方法1.65歳で引退する代わりに老後の生活レベルを下げる。
もう1つは、引退の年齢を引き上げることです。世界中の多くの人が2つ目の選択肢を選ぶことになるでしょう。65歳という高齢を迎えて、働きたいからという理由で働くのならともかく、
生活のために働かざるをえない人がたくさん出てくるわけです。
長寿社会とは、より長く働く社会でもあるということです。
引退後に余生を楽しむという人生はもう終わり。60代、70代の人は"ご隠居"ではないのです。
80代、あるいは90代だってそうです。年齢に関しての固定概念を取り払っていかなくてはいけません。
ーーー引用ここまでーーー
では、どうすれば良いのか・・・と云う素朴な疑問があります。
具体的な解決策は示されず、政府の協力や社会認識に言及していますが、結局は個人の意識改革です。現役時代の会社一辺倒人間を止め、稼ぎ・家庭を守りながら、別の分野の勉強をし、人間関係を広め其の上、政府系年金以外の個人年金形成に勤めなさい。・・・と云ったものでした。

そんなこと、69才の私は、20代の海外生活が長かったから35年前から解っていて、そうして来ていますよ。
タグ:池上彰
posted by 西沢 at 08:40| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2017年12月06日

平均寿命と平均余命 そう長生きはしたくない

私が管理人を務める団塊世代の人々が集まる掲示板には、多くの同じ世代の人達が投稿を寄せて来ています。
多くは、タイトルの如く、定年後の過ごし方に関する話題で、当初2003当時は、海外ロングステイや旅行の話でしたが、最近、団塊世代が古稀を迎えるようになると、健康に関する話題が多くなっています。
先週の投稿に、平均余命に関する投稿があり、掲示板上で話題になっています。

平均寿命とは0歳の平均余命のことです。
平均余命とはこれから先の命期間をいいます。

平成28年厚生労働省発表の簡易表によると
 60 才男性 23.67  女性28.91
 65 才男性 19.55  女性24.38
 70 才男性 15.72  女性19.98
私は、現在69才、残された余命は後凡そ16年、エー86才まで生きるの!
あくまでも平均です。私はこれまでに1か月以上の入院を三度経験しているので、健康的には100%平均以下なハズ55才で退職した私は、40代から老後資金計画を毎年更新してきています。
最初にエクセルに向かって、入力した自分の死亡時年齢をその当時の平均寿命の78才として計算していました。
しかし、そこまでは生きたい、とは思っていません。
55才以降、色々な内臓系の病気を経験し、体力的にも、健康的にも確実に平均以下なのは解っています。
ですから、最近の目標値は、とりあえず73才、東京オリンピックを見終わるまでと、公言しており、その先は儲けもの、と考えています。
これを云うと、今の時代そんなことはない、そういう事を云う人ほど長生きをする、と云いますが、ベストセラー佐藤愛子著の「90才、何がめでたい」にとても共感しています。

65才での退職が当たり前となっている現在、良く使われる言葉に「第二の人生」、「第二の青春」と云われることがおおいですが、それは、60才定年時代の言葉と私は考えています。
65才定年時代は「第二の人生」ではなく、「残された人生」「余命」と考えています。
経済的に特に大きな問題なく、悠々自適の老後と人からみられていますが、自分の予定・計画年齢78才で、「あー面白かった」と云って1か月以内の闘病生活で逝くのを夢見ています。
posted by 西沢 at 08:33| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2017年12月05日

2017 鎌倉の紅葉は終わりです。

先週の木曜日深夜に宮古島から戻ってきて、金・土・日の三日間、旅の疲れと撮影してきた静止画・動画の編集と、今週末のNPOセンターで受け持つWeb言語講座の準備に追われて、一歩も自宅から出ずにパソコンに向かって、作業をしていました。
月曜日朝、ベッドで左足ふくらぎのこむら返りの痛さに飛び起きました。
そして、日課としている体重計に乗ると、また太ってました。
旅行中はかえって間食しなかったので、旅行へ行く前と後ではさして太っていなかったので安心していたのですが、この三日間で0.6Kも太り、危険水域の66K台後半となってしまいました。
こむら返りも、体重の増加も原因は解っています。運動不足です。

これではいけない、と外のお天気を見ると、快晴のようです。出かけなくては。
一日最低一万歩以上歩かなくては、そして、日中家にいると間食してしまうし。

毎年鎌倉の紅葉は12月の第一周から二週にかけて、日本で一番遅い紅葉の時期なのです。
鎌倉の紅葉を撮影する場所・時間帯・太陽の光線の加減は、地元ですから解っています。
朝一番、観光客が混みだす前、9時から10時が絶好の撮影時間なのです。
km01.jpg
自宅最寄のJR大船駅から北鎌倉へ。
最初の目的地は、円覚寺です。
しかし、先々週、電車で北鎌倉駅を車窓すら見た時、撮影ポイントの山門への階段の紅葉はかなり紅葉していたので、不安でした。
不安は的中。今年の紅葉は全国的に早いようで、鎌倉の紅葉も12月4日では、遅すぎました。
台風の潮風の影響もあり、かなり葉は縮み、焼けていました。

北鎌倉の駅を降り立った所に、昔所属し、現在ホームページのサポートをしている写真クラブのメンバーがいました。
今日は、恒例の月撮影会で、やはり円覚寺からスタートするようです。
皆さん、円覚寺の紅葉を見て、今年は遅かった・・・と地元なのに嘆いていました。

次は何処に行くの?と聞くと「長寿院」と云います。
エー、「長寿院」って何処、何があるの?
建長寺の手前、亀ケ谷坂の角のお寺、普段公開していないけど、この紅葉の時期だけ一般公開しているよ、と教えてくれました。
へー知らなかった。
其処って、私たち鎌倉市民高齢者が持っている「福寿手帳」で拝観料はタダになるの?
km04.jpg
建長寺から次の目的地は鶴岡八幡宮を横切って、覚園寺へ向かいます。
鶴岡八幡宮には、紅葉する樹木はほとんどありません。
これまで、八幡さんの秋の鉄板写真といえば、階段左の大銀杏・公孫樹と一緒の絵でしたが、平成22年に倒れてしまって、紅葉写真目的の方は素通りするだけですが、ほんの少し色づく木と、甍を納めました。

覚園寺は知る人ぞ知る美しい紅葉の庭園があるお寺です。
ここは、遠方から観光客はほぼゼロです。
場所は、鎌倉宮の奥、どん詰まりの車一台とおるのが精いっぱいの道の突き当りです。
ここの紅葉もピークは過ぎていましたが、何とか朝の逆光越しの紅葉が撮れました


km05.jpgここから次の目的地は、長谷寺と露座の大仏の高徳院です。
鎌倉宮から鎌倉へは当然ながら歩きです。バスは頻?にでていますが、歩くのが鎌倉です。
特に今日は、健康・ダイエットの為ですから、鎌倉駅まで15分、裏道を通って戻り、長谷まで江ノ電です。

長谷寺の紅葉ライトアップの情報が地元のコミュニティ紙に掲載されていたのは、10日前でした。山門まで行って、お庭を覗くと完全にダメでした。
長谷寺は湘南の海の風をまともに受ける位置なので、ちょっとした台風で、その年の紅葉は汚いのです。ここも、鎌倉シニアパスは使えるのですが、撮っても無駄と、パスしました。

最後は高徳院の大仏様です。
この鎌倉の露座の大仏の定番写真は春の桜と一緒の写真なのですが、秋は手前の黄葉と紅葉の隙間から大仏様を撮影するのが定番です。

さて、これで今日はお終い、自宅へどうやって帰ろうかと思案して、万歩計を見ると、今日の目標としていた二万歩には程遠く、結局、長谷から由比ガ浜通り、六地蔵を経由して、亀ケ谷切通、浄智寺、建長寺、北鎌倉の駅に戻り、JRで帰りました。
この間、間食なしで22,000歩、きっと次の日の朝は痩せているでしょう。
posted by 西沢 at 08:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉

2017年12月04日

俳優西郷輝彦(70)前立腺がん再発を公表

先週、所属事務所を通じて報道各社にファクスが送信され公表された。
「6年前になりますが前立腺がんと診断され全摘出の手術を受け、その後の経過も良く仕事を続けてくることが出来ました」と、がんと闘病していたことを明かしています。

西郷輝彦が私と同じ団塊世代とは知りませんでした。
それにしても、別に隠すほどの病気ではないと思うのですが・・・
自分の学生時代の若い頃から、TVの向こう側にいた人物で、私よりももっと歳が上だと思っていました。
前立腺がんは、高齢者男性の何人かに一人と云う国民病みたいなもので、私自身、PSAは14と異常に高いのですが前立腺肥大によっても高い値が出るため、私の担当ドクターは、急激に上昇、変化しない限り、経過観察で良いと云っています。

ところで前立腺を全摘しても再発する恐れがあるとは、どういうことなのでしょう。
アステラス製薬のサイトhttps://www.astellas.com/jp/health/healthcare/prostatecancer/に、再発について次のような説明があった。

「(手術や放射線治療で)すべて除去したと思っても、検査や肉眼では分からない小さながんが残っていたり、転移していたけれども小さくて発見されなかったがんがあったりすると、これが治療後に成長して再度発見されることがあります。これをがんの再発といいます」

前立腺がんは比較的にゆっくり進行することが多いと聞いています。
そのため5年相対生存率もステージD(4期)で64.1%と他のがん種と比較してもとても良好です。
しかし一方で前立腺がんは比較的早期に骨転移することもあるようです。

文献によると前立腺がんの再発(再燃)とは

治療後に定期的に測定するPSA値がある基準を超えたときを再発という。
判定するPSAの基準値は受けた治療の種類によって異なります

手術を受けた場合
再発判定 PSA値が0.2ng/mLを超えた場合
治療方針 放射線治療、内分泌療法(ホルモン療法)

放射線治療を受けた場合
再発判定 治療後のPSA最低値から2ng/mL以上の上昇
治療方針 内分泌療法(ホルモン療法)
局所再発の場合は前立腺全摘除術、凍結療法、組織内照射療法、高密度焦点式超音波治療法

内分泌療法(ホルモン療法)
再発判定 4週間以上あけて測定したPSA最低値より25%以上かつ2ng/mL以上の上昇
治療方針 内分泌療法(ホルモン療法)の種類変更、または化学療法(抗がん剤治療)

天皇陛下の場合
2010年に前立腺の全摘手術を受けていますが今はホルモン治療をしているとニユースでいっています。最高の技術があったとしても病気を完全に管理できないということではないでしょうか
これまでたくさんの著名人が癌で亡くなっております。
お金や技術があれば、癌などの病気を全て克服できるものではないことは明白です。

私の場合、死亡希望年齢(そんな云い方はないかも知れませんが)は78才なので、例え前立腺がんが見つかっても何もしない、骨に転移すると痛いだろうから、痛み緩和治療のみ、予定年齢になったら、少し強めの薬を使って眠るように逝きたい、とドクターにも、カミサンにも伝えてあります。
posted by 西沢 at 08:03| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2017年12月03日

宮古島ブルーに魅せられて

myk01.jpgシニアの旅、沖縄・先島諸島の観光シーズンは11月・12月です。
南国沖縄の旅行シーズンと云えば、夏と思われていますが、それは全年齢平均ではそうなのですが、シニアに限ると実は違うのです。
シニア団体パックや、社員旅行などの団体観光客が一番多いのは、11月、12月なのです。
全平均グラフみると、11月12月は減る傾向にあります、イコール航空券・ホテルの値段は下がります。そして何よりも、11月が過ぎると、台風の影響が極端に減り、シニアの旅で気にするリスクが下がるので、旅行会社のターゲットはシニア、団体層になるのです。
シニア層は、夏観光客の中心の若者、ファミリー層と違って、マリンレジャー、スポーツは関係ありませんので、数多くの観光地を巡り、お買い物が中心の3日間・4日間が人気です。
myk02.jpg
これまで沖縄本島は、仕事関係の打ち上げや、関連会社の招待などで来ています。
沖縄のベストシーズンと云われる、本土が梅雨に突入する6月でした。が、あまりマリンスポーツと縁がない私たちには、6月の沖縄は暑過ぎました。
退職後、一番最初に来たのは、3月の石垣島でした。
3月の石垣は、雨の130mmと年平均よりは少ないものの、東京の6月梅雨入り前並みで南国のイメージとは違っていました。
その後、個人旅行何度も沖縄本島や久米島などに来ていますが、いずれも、旅行会社の宣伝に乗ってか、11月・12月でした。

今回の宮古島は
宮古の海の美しさは、宮古本島と伊良部島の間に開通した伊良部大橋の完成2015年をきっかけに、多くの観光客をひきつけるように
なり、近年TV旅番組に登場し、人気になっています。
私たちも何時かは行きたいと思っていたのですが、躊躇していました。
基本的に、団体パックよりは、個人自由旅行なのですが、宮古島観光に必須の足の便、レンタカーが使えないのです。
二人とも、退職を境に運転免許証の更新をしませんでしたから。
沖縄でも、石垣でも、基本的には公共交通機関、路線バスを利用しての観光に徹していますが・・・しかし宮古では
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宮古島にも勿論、路線バスはあります。
観光地の伊良部島・来間島・池間島にもバスで行こうと思えば行けます。
しかし、基本的に空港・市街及び主な集落を繋いでいる生活路線ですから、観光目的地には最寄のバス停から歩くことになります。
歩くのは構いませんが、本数が圧倒的に少なく、1日観光地は最大でも2か所が限界かもしれません。
個人観光客はレンタカーか、タクシー利用して下さい。という事。シニアは団体パックで来てください。と云うのが、大都市圏以外の
日本の観光地なのでしょう。
myk05.jpg
今回、お天気には比較的恵まれました。
出かける前ギリギリまでネットで宮古島の天気の見ていましたら3日間ともに良く、特に3日目はピーカン、行楽・お出かけ指数90%でしたが、
島の人のお話では、離島・洋上天気の変化は変化が激しく、どんなに晴れていても、突然の雨は当たり前で、ネツトの天気予報はあまり
信用していない、自分の感覚の方を信じているとのことでした。
それでも、画像とおり、37名の団体客のなかに、強烈な「晴れ女」が居たらしくて、曇っていても、観光スポットに着くと、晴れると云う
奇跡が続き、満足する旅でした。

今回の阪急格安パック旅行の日程とお値段は
1日目 羽田発14:55 那覇乗り継ぎ 宮古着ホテルに入った夜の8時過ぎ、この日観光なし、移動日
2日目 朝10時、ホテル発 島の西部中心の観光 ホテルに2時半に戻り
3日目 朝10時、ホテル発 島の東部・北部中心の観光 宮古空港発17:40 那覇乗り継ぎ 羽田22:15着
お値段は二人一部屋、朝食2回、昼食2回、夕食2回付、ホテルはAクラスリゾート、一人49,800円也
myk04.jpg
このお値段では文句は云えません。

ちなみに、久しぶりに帰宅時間が深夜12時近く、昔の血気、体力盛ん・興味旺盛な頃の海外旅行を思い出しました。
posted by 西沢 at 09:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行

2017年12月02日

サッカーワールドカップロシア大会、日本の相手は?

2018FIFAワールドカップ ロシアの組み合わせ抽選会が1日、モスクワ(ロシア)で行われたのを
夜中まで見ていました。最初NHKサブチャンネルでやると聞いていたのですが、サブチャンネルってどうやって見るのだ?
ネットで調べるしかありません。
リモコンでいつもNHK総合を選択し、チャンネル選択上下ボタンを上にするだけでした。

日本が入ったグループHは以下の通り。
グループH:ポーランド、コロンビア、セネガル、日本

もしかすると予選突破できそうかな?
第1戦 6月19日 コロンビア 世界ランク13位
第2戦 6月25日 セネガル  世界ランク23位
第3戦 6月28日 ポーランド 世界ランク 7位

コロンビアとは引き分け、セネガルには勝ち、ポーランドと引き分けて勝ち点5で決勝トーナメント進出が出来るか?

若い頃、仕事関係でアルゼンチンで暮らしていた頃、1974年のドイツ大会に参加するアルゼンチン代表にコネがあり、一緒に見に行きました。オランダのクライフが率いる、当時としては画期的なトータールフットボールの試合運びに驚愕した覚えが有ります。
次回は、1978年、アルゼンチン開催でした。
アルゼンチンは、当時TVは白黒時代、ワールドカップをカラー放送することになり、これを機会にカラー化に伴う、何かしらビジネスチャンスを学ぼうと一度日本に帰ることにしたのです。

結局、このアルゼンチンが優勝した試合は、自分の結婚式の夜、ホテルの部屋のTVで見ることになったのですが。
それ以降、日本のサッカー界のワールドカップ挑戦はづっと見続け、色々な思い出があります。
 あのドーハの悲劇の夜
 初めて突破したジョホールバールの試合は、入院中の病院で。
 アジア予選で韓国に勝った夜の試合は新宿の大型ビジョンでした。

2018ロシア大会以降は、出場国が増えそうで、日本のハラハラドキドキが減って面白くなくなるだろうけど団塊世代が70代に入るようになって、東京オリンピックではないけれど、何時まで見ることが出来るのかな、考えています。
posted by 西沢 at 09:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会

2017年12月01日

海外に出る、シニアそして若者達

私たち団塊世代やその前に世代のバックパッカーの間で語り継がれているある言葉があります。
「豊かな青春、惨めな老後」バンコクの安宿街カオサンにある、日本人バックパッカー御用達のゲストハウス楽宮旅社に残された落書です。日本の会社社会を飛び出して、世界を見たい、自分自身を見つめ直したい、と日本を飛び出し、最初にたどり着くのが、タイ・バンコクカオサンロードです。

当時の日本とアジア各国の経済格差は激しく、節約すれば何ヶ月でも遊んで、楽しく時が流れて行ったものです。
その当時、本人たちはの耳に入っていたかどうか分かりませんが、「引き籠り」の反対語として「外籠り」と云う言葉が一部マスコミの間ではやりました。日本の社会に溶け込めず、名の目的もなく海外に出る若者達、そして将来を不安視した言葉です。
そして、彼らもこの蒸し暑いバンコクの地、混沌とした無秩序のバンコクの地を去り、何時かは日本に戻らなくては、と思った時に、書かれたホテルのトイレに書かれた落書き「豊かな青春、惨めな老後」


日曜日の朝日新聞の書評で水谷竹秀の新著
「だから、居場所が欲しかった。バンコク、コールセンターで働く日本人」が取り上げられていました。
【内容・概略】
「お電話ありがとうございます。○○社の△△です。ご注文ですか?」陽光溢れる、東南アジアのタイ、バンコク。
高層ビルの一角にあるコールセンターでひたすら電話を受ける日本人がいる。非正規労働者、借金苦から夜逃げした者、風俗にハマって妊娠した女、LGBTの男女……。生きづらい日本を離れ、彼らが求めたのは自分の「居場所」。
フィリピン在住の開高健ノンフィクション賞作家が現代日本の現実をあぶりだす問題作。
【目次】プロローグ/
第一章 非正規の「居場所」/
第二章 一家夜逃げ/
第三章 明暗/
第四章 男にハマる女たち/
第五章 日陰の存在/エピローグ


昔のような自分探しの旅ではなく、日本社会が抱えている問題「団塊ジュニア」の非正規化・低賃金化・無年金化・未婚化・老齢化がこのような、逃げ場、居場所探しに拍車をかけているような状況を捉えたルポルタージュです。

この作家水谷竹秀はこれ以前に、以下の本をだしています。
●「脱出老人」日本脱出した高齢者達の衝撃ルポルタージュ!


一年中温暖、物価は日本の3〜5分の1、やさしく明るい国民性、原発ゼロ、年の差婚当たり前。日本で寂しく貧しく苦しい老後を過ごすなら、いっそのことフィリピンで幸せな老後を送りたい――しかし、そう現実は甘くない。
恋人候補200人のナンパおじさん、19歳の妻と1歳の息子と、スラムで芋の葉を食べて暮らす元大手企業サラリーマン、東日本大震災を機に、東北から原発ゼロのフィリピンに移住した夫婦。ゴミ屋敷暮らしだった母親をセブ島に住まわせる娘、24歳年下妻とゴルフ三昧の元警察官。90歳の認知症の母親をフィリピン人メイドと介護する夫婦、「美しい島」で孤立死を選んだ元高校英語女性教師……。
さまざまな「脱出老人」のジェットコースター人生を、マニラ在住、開高健ノンフィクション賞受賞作家が、フィリピン&日本で3年間にわたり徹底取材した衝撃のノンフィクション。



●「日本を捨てた男たち フィリピンに生きる困窮邦人」

居場所を失った祖国日本を捨て、彼らはフィリピンへ飛んだ。
だが、待っていたのは無一文のホームレス生活。海外で困窮状態に陥った日本人を俗に「困窮邦人」と呼ぶ。
現在も在フィリピン日本大使館にはこの困窮邦人が次々と駆け込み、援助を求めている。家族に送金を頼み込むも拒否され、帰りの航空運賃や査証不備による不法滞在の罰金を工面できず、異国の地で路頭に迷う日々に。中には命を落としてしまう人もいる。
日本の外務省によると、在外公館に駆け込む困窮邦人数が最も多い国はフィリピンである。2
001年から直近の統計がある09年まで年間100〜200人の間を推移し、9年連続最多を記録している。フィリピンから見れば「金持ち」の国、日本から来た人がホームレスに陥る皮肉な現実。日刊マニラ新聞で働き始めて5年、私はある老人と出会ったことをきっかけに、困窮邦人の取材を始めた。以下略・・・

昔は、私たち団塊世代が定年後の終の棲家を求めて、アジアを彷徨ったように、子供世代、団塊ジュニア世代は、また違った形、事情でアジアの街を目指しているのです。
でも、何時かは、自分の親たちの世代が感じた「豊かな青春、惨めな老後」を知るようになることでしょう。
posted by 西沢 at 09:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行