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2019年11月26日

フランシスコ教皇の訪問とわが青春の地、長崎、日本26聖人記念館と焼き場に立つ少年

ローマカトリックの総本山、バチカンのトップであるフランシスコ教皇が来日し、原爆の被災地、長崎と広島を訪れたニュースに接し、教皇の出身地、アルゼンチン独特の訛り(カスティジャーノ)のスピーチを耳にして、私の青春が走馬燈ように、蘇ってきています。

南米出身の上、日本のカトリックとも縁の深いイエスズ会出身の初めての教皇です。
私が、青春時代の一時期、アルゼンチンで過ごした要因の一つとして、私がスペイン語を学んだ時の大学の外国人教師は、イエスズ会の神父さんだったのです。
18才の少年の私は、宗教には全く興味はありませんでしたが、1960年代後半の海外旅行が自由化
されて数年の日本の、そして貧しい地方出身の若者には、海外のお話、特に南米の大草原大パンパスや、タンゴ発祥の地、ブエノスアイレスの下町の様子、そして、その先生から、児童小説「母を訪ねて三千里」の舞台が、アルゼンチンのコルドバであることを知り、胸をときめかせました。

長崎、日本26聖人記念館は、高校生17才の春訪ねました。
26-1.jpg訪ねた、と云うよりも、長崎の街をさ迷って、歩いて辿り着いた先が、そこだったのです。
昭和40年、当時高校生二年生だった私は、前年1964年昭和39年開かれた「東京オリンピック」を初めてみるカラーテレビ画像に釘付けでした。
競技の成績や、金メダルよりも、まだ行ったことのない日本の首都、大都市東京の街並み、そして外国人選手の姿に、強烈に惹かれ、何時かは東京へ、そして成人したら海外へ行こうと決意しました。東京オリンピックが終わってから、先ずは、東京、そして日本全国へ旅しようと、当時高校生としては珍しいアルバイトを放課後から始めました。日本は、少しづづ豊かになってきており、大学生や若者が、リュックを担いで全国を旅し始めた頃です。

今と違って情報の乏しい時代、地元の国鉄の駅窓口に行って、九州や北海道を未成年の乏しい予算で旅するすべを教えてもらいました。
信州から、九州に行くには、一度名古屋に出て、名古屋発券の九州内の急行列車乗り降り自由の「2週間均一周遊券」を薦められました。料金は3,850円、長野・名古屋間往復各駅列車を含めて、10,000円あれば、初めての一人での日本国内旅行にいける、ついでに北海道の「均一周遊券」は東京発券で5,000円ということも教えてもらいました。
当時の高校生のアルバイトは、時給ではなく、日給で500円でした。
高校の授業が終わる、3時から夕方の7時まで4時間、自宅商店街のスーパーの鮮魚売り場で働き、1万数千円を握りしめて、家をでました。

名古屋から門司までは、各駅停車で途中下車・引き返しは出来ず、最初に降りたのが門司駅でした。当然ながら泊まる宿・ホテルはなく、自宅から持ってきた小さな薄い毛布ひとつでの野宿です。当時、国鉄の駅の一部では、夜の待合室が解放されていました。
17才の田舎出の私は、恐る恐る、初めての野宿を駅の硬いベンチに横たわりました。
すると、30分もしないうちに、お巡りさんがやって来て、色々聞かれました。
高校生だと答えると、「なんでこの季節、高校生はまだ学校があるだろう」と云います。
私は「長野県の学校は、冬が厳しいので、正月休みの他に冬季休みがあり、その分夏休みは短く春休みが長いのです。」そして、「進学校の場合、3月は終業式と卒業式の当日だけ出席すれば良く、後は進学へ受験勉強すれば良いのです」
すると、お巡りさんは、担任の先生の名前は?、校長先生性の名前は?と立て続けに聞きいてきます」どうやら、家で少年ではないと納得していただき、解放されました。
信州から比べると、暖かい南国、九州とは云え、旅の初日の文字は結構寒かったです。

26-2.jpg旅は順調に進み、長崎に入りました。
しかし、ここで誤算が生じました。
これまでの門司・博多は夜行寝台や、特急列車の発着があるので、夜間も待合室は開いているものの、長崎は終着駅、どん詰まりのこの先線路のない駅の為、夜は待合室が閉まってしまうのです。
駅を追い出され、寒い長崎の夜の街をさまよい、何処か公園か、お寺軒下でもないかと、さ迷い辿り着いたのが日本26聖人記念館でした。
ここは、長崎駅から近くの丘の上で、3月の風が冷たい場所でした。
何処かこの風の当たらない場所として横になったのは、記念碑の裏の会館のすきまのコンクリート上でした。駅で拾った新聞紙を直接身体に巻き、持ってきた全てのセーター、ヤッケを着て、薄手の毛布にくるまって横になりましたが、直ぐに寒さで起きてしまいます。
誰か、知らない人が来ないか、野犬が襲ってこないか、不安だけで初めての野宿の夜を過ごしまし、3月の遅い、朝の光を感じて起き出して、少しは陽の暖かさを感じ、駅に下る道を振り返ると、昨夜は暗くて解らなかった、26聖人の彫像の姿が目にはいりました。
17才の少年にはまだ宗教観はありませんでしたが何故か、守れていたのだと、感じた朝でした。

その後、旅を続けているうちに、同じよう「均一周遊券の旅」をしている、大勢の大学生の人達からアドバイスを受けました。
「寝る所がなかったら、何度でも乗り降りできる均一周遊券の特色を生かして、どこの方面でも良いから夜行列車に乗り、途中下車して、行きたい方向の夜行列車に乗り換える、
時間はたっぷりあるのだから、寝過ごしたって構わない」と云う方法を伝授され、以後の旅の寝る場所には苦労しなくなりました。

フランシスコ教皇の長崎訪問で、あの時の夜を鮮明に思い出した一日でした。

そして、翌日のニュースで、一度自分のブログでとりあげた、あの「感動の写真」に再び巡り合いました。「焼き場に立つ少年」です。

ニュースではローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は、長崎市の爆心地公園でスピーチを行ったあと、原爆が落とされたあとの長崎で「焼き場に立つ少年」の写真を撮影した、アメリカ軍の従軍カメラマン、ジョー・オダネル氏の息子と会話を交わした。と報じています。

焼き場に立つ少年とは(※ネット記事より引用)

26-4.jpg「焼き場に立つ少年」は、アメリカ軍の従軍カメラマンだった、ジョー・オダネル氏が、原爆投下後の長崎で撮影したとしている写真です。
この写真には、目を閉じた幼い子を背負いながら、唇をかみしめて直立不動で立ち、まっすぐ前を見つめる10歳ぐらいの少年の姿が写されています。
オダネル氏は、すでに亡くなった弟を背負った少年を写したものだとし、このあと少年が見つめる中で弟は屋外で火葬されたと伝えています。
オダネル氏が長崎や広島など日本各地を回り、私用のカメラで撮影したフィルムは、アメリカに帰国したあとも悲惨な記憶とともにトランクの中にしまわれていました。
しかし、オダネル氏は過去と向き合うことを決意し、帰国から40年余りが経過した1989年にトランクを開き、翌1990年には地元・テネシー州で原爆の悲惨さを訴える写真展を開催。
アメリカ国内では反発を招いたものの、その後、日本各地でも写真展が開催され、平成19年、2007年には長崎市にある長崎県美術館で「焼き場に立つ少年」が特別公開されました。
長崎市に寄贈された「焼き場に立つ少年」は、いまも長崎市の原爆資料館に展示され、戦争の悲惨さを訴え続けています。



26-3.jpgこの写真をフランシスコ教皇は自分の絵葉書として、周辺に配っているそうです。
私は、正直、青春時代を過ごしたアルゼンチンの国民性が嫌いです。
同じ南米にありながら、アルゼンチンだけは、先住民族のインディヘナは少なく、アフリカ系の移民は全くない南米の白豪主義と云われる、スペイン・イタリアの移民を中心とした白人国家です。
ブエノスアイレスに住む人々は、周辺のパラグアイ・ボリビア・ブラジルの人々に対して、偏見・見下す態度を取ります。
アジア人に至っては、明らかな偏見がある国で、日本人移民だけは特別許可と云う移民政策があったのですが、ここ二十年ほどで韓国・中国移民が急増して、アジア人にとっては決して住み易い国ではありません。
南米を旅するバツクパッカーも、同じで、アンデスの国々、人種偏見の少ない、ブラジルから入ると、隣国に比べての急激な物価高と、アルゼンチン人の横柄な態度に、嫌気がさして、主な観光を終えるとさっさと、隣の国へ移動しています。

そんな国から初めてのローマカトリックのトップ、気さくな、飾り気のない、何よりも、「焼き場に立つ少年」を世に広めた
フランシスコ教皇に敬意を表します。
posted by 西沢 at 08:26| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年11月24日

退職16年にして退職者シニアの「きょういく」・「きょうよう」の必要性を実感してる。

退職直後に年金シニアの為に必要な言葉、「きょういく」・「きょうよう」を知りました。
「きょういく」は教育に非ず、今日行く所がある。
「きょうよう」は教養に非ず、今日する用事がある。とのこと。
55才で自己都合退職した私は、退職直後から今年の秋まで、今日行く所、今日する用事は沢山ありました。

先ずは、早期退職の大目的、海外ロングステイの場所探しを行動に移さねばと、出かける先は、現役時代に行けなかった世界遺産の地と併せて、山ほどありました。
次に、引っ越ししてきた鎌倉で、趣味のクラブである、パソコン・写真・動画・旅行などへの積極的な参加。そして、そこから発生してきた、地元のNPO市民活動センターの広報関係の有償・無償のボランティアや、私たちほぼ現役世代から見て、明らかに遅れていた市民活動団体のIT・Web支援・・・等など、
1週間の日程や毎月、そして一年間の日程・用事はどんどんと埋まっていき、
世の中で云われている、退職シニア男性の「朝起きて、さて今日はなにをしようか?、何処へ行こうか、何処でこの暇な時間を潰そうか、1日家にいると家内が不機嫌になるし・・・は、全く経験してきませんでした。

退職して16年、71才になった私は、今、初めて「きょういく」・「きょうよう」の必要性を感じています。
週七日のうち、これまで五日間は必ず決まった用事がありました。
スポーツは、バドミントンとラケットテニスが二日間。
NPOセンターの広報の講座が一日。
外部団体のwebサポート支援が一日。
趣味のクラブの会合が月に2回から4回
計五日間は毎週埋まっており、後の二日間はフレキシブルに対応していました。
週7日を埋めてしまうと、何の為に早く、自由の時間を手に入れたのか解らないからです。
2019年11月、退職16年目の団塊世代71才になるシニアおじさんは、暇を持て余し気味です。
理由は・・・
NPOのボランティア活動の広報業務は、私が70才になった頃から声高に、70才定年制を主張してきました。70才の私たちは、確かに色々な経験・技術・人脈があり、決して若い世代と比べても劣っていませんが、生涯現役と叫んでいても、体力面・感性面で若い世代に負けますし、行動を起こす好奇心・行動力も徐々に衰えて来ているのは残念ながら認めなくてはなりません。
70才以上のシニアは、もう、何かを決定する立場から退かなくてはいけないのです。
政界・財界共にとうの昔から云われており、賛否相反しても、やはり、リーダーは70才まででです。※芸術・芸能面では違うのかも知れませんが。

しかし、私の廻りの同世代の方々は、解っていても、自分の生き甲斐、立ち位置、そして少ないけれども僅かな収入・小遣いがなくなることを恐れ、退こうとしないのです。
私は、この秋から徐々に、身を退き、業務移管を画策してきており、今年いっぱいでボランティアNPOを卒業する予定です。
センター広報業務は退きますが、後に残るのは、これまでサポートしてきました数多くの団体へは、引き続き個人としてサポート依頼があればお手伝いする旨お伝えしていますが、それも後一二年でしょう。

次にスポーツ・趣味の世界は
「きょういく」・「きょうよう」の一つの柱でありました、スポーツも先月バドミントンを退部しました。
16年前は、シニアが楽しむバドミントンクラブだったのですが、ここ数年私が造ったホームページのおかげで、沢山の若い(40代、50代)女性が入会し、定員オーバーするようになったのは喜ばしいのですが、今まで60代以上のシニア女性の楽しみとしてのバドミントンが、高校時代にバドミントンを経験してきた若い世代の入会から自然に、上手くなりたい、勝ちたい、市や県の大会にチャレンジしてみたい・・・と云うスポーツマインドが強くなってきています。
私を含め、60代から70代のシニアオバサン達の週一の楽しみのスポーツでなくなってしまっているのです。
若い世代の元経験者のお母さんと試合をしていても、シニアおじさん相手に明らかに手加減しているのが解るのです。
体力的にも、もうそろそろ潮時かと思い、この秋退会しました。

NPOボラを辞め、スポーツを減らすと、1週間のカレンダーは空白だらけになります。
スポットの団体サポートと、週一のシニア向けラケットテニスは、体育館が耐震工事に入り、来年から半年は使えない状況で病院・医院・歯医者・眼科通いがカレンダーを埋めている状況に陥ります。退職16年目、71才にして「きょういく」・「きょうよう」がない。

図書館・本屋・ショッピングセンター・植物園・コーヒーショップで読書・家電量販店・・・
そんな所で暇を潰すくらいなら、カミサンに嫌がられても、自分の部屋のパソコンの前が一番、そんな今週でしたが・・・・、
もう一つの時間つぶしの趣味の大本命「映画」に行ってきました。
田中裕子主演のちょっと話題作「ひとよ」です。

特別、ストーリー展開がドラマチックだったり、泣けたり、映像が美しかったり、話題の俳優がでる映画ではなくひたすら、「家族とはなにか」を追求したヒューマン・社会派ドラマです。
夫の暴力を受ける3人の子供の為に、主人公の女性は、夫を殺します。
15年服役して帰って来た母親を待つ子供たちと、周辺の人々を描いた映画です。
入りは当初の1週間は散々で、ネットで翌日の座席表をみても、ガラガラでした。
通常、シネコンは基本金曜日からの1週間の観客の入れを見て、次の一週間のシアターを決めています。田中裕子・佐藤健の名優をそろえた映画なのに、連日ガラガラ、もう3週目はないだろうとする、2週目の木曜日に行きました。前日ネットでみると、84席のシアターで一つも席が埋まっていなかつたので楽勝、予約は必要なしと、予告上映時間のサバを読んで、5分前に行くと、残り僅かの表示でびっくりです。
最前列から2番目の通路側から暗い場内を見渡すと、観客はほぼ100%、シニア女性グループでした。

まあまあの映画でした。
これで、1日、心豊かに過ごせた、と云う訳です。
posted by 西沢 at 08:18| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年11月21日

退職・年金生活者の朝、シニアを脅かす、週刊誌のキャッチコピー

退職してからの朝の習慣はかなり変わりました。
ゆっくりと、朝食をとる時間が増えました。
朝食は、毎日ほとんど変わらぬメニューですが、かなり健康に気を付けるようになりました。
我が家の場合、現役時代は朝が早く、二人とも働いていましたので、私は朝食はほとんど、現場事務所の朝の朝礼が終わった後、コンビニでサンドイッチと、牛乳の生活が長く続いていましたが、退職後は、朝、ゆっくりと食べるようにしています。

カミサンは、私よりも1時間早く起きます。
理由のひとつは、しっか毎週りとした朝食をつくる為と、彼女自身の時間を造る為のようです。
夫婦二人の生活の場合、自分だけの時間を大切にしています。
私が起きてこない間の朝のカミサンの日課は、トースト・卵料理、野菜サラダ、果物+ヨーグルト、ハムorソーセージのアメリカンスタイルの朝食を造り一人で、ラジオを聴きながら食べ、朝刊紙を1時間かけて、隅から隅まで読んでいます。
私が起きた後は、洗濯機を回し、朝のシャンプーをし、午前の女性だけのスポーツジム「カーブス」へ出かける準備をしています。

私は、6時半に起きて、カミサンの用意した、朝食を新聞を読みながら、30分以上かけてゆっくりと取る生活が、退職後16年続いています。
月曜日の全国紙には、毎週、週刊現代・週刊ポストの今週号の広告が掲載されています。
現役時代には滅多に手にしなかった類の週刊誌です。
今の週号もそうなのですが、両誌とも、毎週特集記事はダブっています。
編集者もこのことに気づいているのでしょうが、毎号同じなのです。

週刊現代の今週号のトップ記事コピーは
「あなたが飲んでいるサプリと薬の危険な組み合わせ」
週刊ポストのトップは
「死にたくなければ、知っておきましょう。薬の”やめどき”」
明らかに、現代もポストも競合誌の内容を知っていての上の編集戦略なのでしょう。
私たち、退職シニア世代は一番気にしている健康に関する問題を取り上げれば、部数が伸びるのは明白なのですから。

確かに、働き盛りの頃と違って、毎日定期的に飲む薬は年々増えています。
私の場合は
1日3回毎食後に、胆石予防の薬ウルソ二錠 計一日6錠 
寝る前には
・高脂血症・痛風予防の薬一錠 万が一海外旅先で痛風になった時に備えて飲み続けていますが、発症したことはありません。
・血圧降圧剤一錠 だんだんと寒くなってきますと、下の血圧は80〜85を推移するようになります。上は120台
・逆流性食道炎の薬1錠、ウルソと同じだとおもうのですが・・・ 
カミサンは毎日、コルステロールの薬を飲んでいます。

これらの薬は、ある薬剤専門家に言わせると、日本の製薬業界の売り上げのかなりの部分を占めている、大切ななくてはならない薬のようなのです。
試しに、一時期やめてみようかなと、考えたことがありますが、さして高額でもなく、副作用も感じられないので、ドクターの指示どおりに飲み続けていますが・・・

時には、ドクターの指示を無視して、勝手にやめた薬もあります。
前立腺肥大に伴う各種症状の緩和に関する薬ですが、ドクターの事前副作用に関する説明もなく飲み始めましたら明らかな副作用が現れました。
男性機能の低下が著しく現れたことがありました。
自分でネットでこの処方された薬の副作用に関して調べてみると、50%ぐらいの確率で私が感じた副作用が現れるとの記述があり、止めました。
服薬をやめた後、男性機能は回復しましたので、これ以降前立腺に関する薬には特に注意をはらっています。

ドクターの指示を信用するか、週刊誌の記事を信用するか?
ひとそれぞれ、健康に関する意識の違いでしょう。
私は、人生100年とは全く思っていませんで、これまでの人生経験から、カミサンの言葉を借りれば病気のデパートの私は団塊世代の平均余命の80才までは生きていないだろうと、且つて信じていますから。

週刊現代も週刊ポストも、メイン記事以外も同じようなものが、毎号掲載されています。
老後の年金・お金の話とお色気の話です。
何れも、退職後シニア65才から72、3才のそろそろ、打ち止めかと自覚し始める年齢の男性読者向けの記事です。
その通り、現代・ポストの編集者が思っている通りの私の老後生活は続いています。
来週の両誌の特集記事は、お葬式と遺産相続のお話かな、と想像しています。
posted by 西沢 at 08:17| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年11月19日

退職後・老後の住まい、今の自宅からの引っ越しのお薦め

退職してから、よくTV番組を見るようになりました。
現役時代には、絶対に見ることがなかった土曜日、夕方6時テレ朝の「人生の楽園」を見ていると、都会から、田舎、農村へ引っ越しし、新たな生活を始める、ご夫婦が登場する番組です。
現役時代の最後の7年間は、土日、夜間が稼ぎ時の仕事がら見た見たことはなかったのです。

kama01.jpg退職を機に、現在の住まいから引っ越すのは、私たちの退職計画では織り込み済みでした。
21年間を住んだ、横須賀線・新駅前の大開発のビックプロジェクトマンションを売りました。
ちょうど、バブルが弾け、投機対象だった私の住むマンションは、競売物件が多数発生していて、売却価格は競売に引きずられて底値の状態でしたが、購入時価格の8割で、売りに出して2日売却できました。
この駅前は、まだまだ奥への開発が進んでいる地域で、不動産屋さんからは、これからまだまだ発展していくこの街を離れるのは勿体ない、と云われましたが、当初の予定どおり、引っ越ししました。

引っ越しする理由は
・確かにこの街は、これからもっと奥へと発展するでしょう。
・駅前は、大型デパート、スーパー、総合病院、行政機関、学校など全て徒歩圏に揃っています。
・JRで、東京、渋谷、新宿まで30〜40分の距離です。
・私のマンションは駅からほとんど濡れずに徒歩5分

kama05.jpg働くには良い場所、環境ですが、これから先、退職時55才の私に残された老後の人生(2003年時の日本人男性の平均余命)の23年を暮らす、過ごす場所としてベストかと考えた時、「NO」でした。駅から近すぎる、便利すぎる、新住民ばかりでまとまりがない。
現役中は、5時台に起きて、6時台後半の電車で通勤していた私は、退職後起きるのは7時半、マンションの自室の窓から見えるのは駅へと足早に向かう同年代のサラリーマンの姿、行きかうバス、車、信号の点滅、風に乗って聞こえてくる駅のアナウンス。
現役時代、普段目にしていた光景は、55才でリタイヤした元大型ビル建設の現場監督には、反って焦りになり良くないのです。

やはり、老後は晴耕雨読ではありませんが、ある程度町から距離をおいた、自然・緑溢れた環境、行きかうの足早に駅に向かうサラリーマンだけでなく、学校に向かう女子学生の姿、ランドセルを背負った子供たちの声、など、普通の街が良いのです。
出来れば、大きな公立の公園があり、歩いて10〜15分のターミナル駅に、大型ショッピングセンターが入り、その先には昔ながら商店街がある、願わくば、地域を総括する大型総合病院があればもっと良い。と考えました。

退職後の住まいを考える時、田舎暮らし、農村は全く考えませんでした。
理由は、私も、カミサンも地方出身者で、田舎暮らし、農村暮らしの功罪の点は良く解っていたからです。

現役時代の駅前マンションを売る前に、現在の集合住宅を購入しました。
JR3線、モノレール1線のターミナル駅から、ほぼ平坦な道を歩いて10分の、自然環境保護、学園地区です。
今までの大型マンションと違い52戸、5階建ての中規模マンション、二人だけの生活ですが、二人の独立した部屋が欲しいので、3LDK、80平米超にしました。
価格は、今までの住まいの売却価格プラス1,000万。引っ越し費用、新しい家具・調度品・家電で500万、すべて織り込み済み、シミレーションどおりに進みました。

ここに住む、地域の人々、行政に携わる機会が増えた時、必ず言われた言葉があります。
どうして、もっと海に近い、もっとも鎌倉・湘南と思われる地域にしなかったの?と
確かに、旅先で知り合った人や、宿帳に住まいが鎌倉と記すと、決まって「良い場所にお住まいですね」と云われます。
良い場所?ってどんな場所・・・観光地は旅するには良いかも知れませんが、概して住むには住みやすい、暮らしやすい場所ではないのです。

鎌倉は老後の生活地として住み易いか?
先週、モノレールの西鎌倉で会議がありました。
予定していた時間より1時間以上早く終わり、この日の次の打ち合わせ予定は、鎌倉市役所内で午後の1時半、このまま一度家に帰ってから再び出かけるのも億劫なので思案しながらモノレール駅に着くと、自宅方面は行ったばかり、江の島方面の電車が来たので、久しぶりに海の方面を散歩しながら、次の会議場所に向かうことにしました。

kama02.jpg久しぶり、1年ぶりに見る鎌倉・湘南の海です。
お天気も良く、海は穏やかで、光輝いていました。
11月だと云うのに、波際にはサーフボードを持った若者たちがいました。
江ノ電、海岸に沿って、市役所に向かい歩きました。
鎌倉高校踏切や、極楽寺駅には、映画・アニメの影響で多くのアジア系外国人の姿が見えます。
高徳寺の露座の大仏様まわりは、それ以上の国内からの団体客、修学旅行生が写真を撮っていました。ちょうど、お昼時で、海外沿いのレストランは行列の盛況ぶりでした。
私も、少しお腹がすいていたので、外のメニューを見て、やめました。全くの観光地価格、とんでもない値段だらけです。

この江の島から逗子に抜ける国道の山側に多くの、そして大規模な宅地開発を進められた経過があり、沢山の住んでいる人に人に言わせると高級自由宅街が広がっています。
この住宅街にお住まいのシニアを沢山知っています。

ここの暮らしは住み易いか?の問いに
現役時代は良かったが、退職し、歳を重ねて行くにつれ、住みにくくなっている。
海が見える生活をしたかったが、今はどうでも良い、塩害が気になる。
何処へ行くにも、車が必要、道路は年中混んでいるし、東京に行くのに、江ノ電の駅まで家族に送ってもらわねばならない。
近所には、住民自主協定でコンビニもお店もない。
子供たちは、誰もここに住もうとは言わない。
40年近く暮らしていても、ご近所付き合いはうわべだけ。
大船や横浜のマンションに越したいが、今の不動産価格状況では、かなりのマイナス出費となる。

確かに今、鎌倉では高級と云われる住宅街ほど、高齢化がすすんでおり、空き家がどんどん増えています。

定年後、退職後の理想の住まいとは?
私が2003年、退職と同時に「定年後の過ごし方」をメインテーマにした団塊世代向けのサイトを立ち上げた時
http://www.tt.em-net.ne.jp/~soy7686/life.html
副題として「青い鳥をさがして」と名付けました。
理想の住まいとは・・・、その時々、年齢や健康、家族構成とともに変わっていくものだと、退職16年が経過して分かってきています。
posted by 西沢 at 08:45| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年11月17日

前立腺PSA値がヤバイ、そろそろ年貢の納め時なのか

退職直後の15年前、55才の時に現役当時からのかかりつけ医が勝手に、前立腺腫瘍マーカー検査PSAをやって、その時の値が、標準値の4をオーバーした8でした。
かかりつけ医は、精密検査・・生体検査が必要と、自分の出身公立の医大の病院を紹介してくれましたが、そこは自宅から遠く、交通の便が悪い場所なので、拒否し、自宅から徒歩圏の徳洲会系病院への紹介状をお願いすると
「医師会に所属していない病院に紹介状は書けない」
「自分の大切な患者を、訳も解らない地方医大出身の医者に託したくない」
と云うので、この日以降、ここのかかりつけ医とは絶縁状態で、自宅から徒歩圏にある大病院の泌尿器科にお世話になっています。
自覚症状は、下のイラストどうり、全く、100%同じです



前立腺腫瘍マーカー検査は、もう、10年以上、1年に3回、4か月置きにやってます。
PSA値は徐々に上昇しています。原因の一つは、前立腺肥大によるものです。
それでも、一応、PSA値が大きく変化した時は、生体検査をしています。
これまでに都合3回やりました。いずれの回も悪性腫瘍は検出されず。
そして、最後の精密検査から6年経ちました。
今年の3月は15、7月は20、そして今月11月は24です。
これは、かなりヤバイ値と傾向です。

ドクターは「どうします、もうしばらく様子をみますか」と云います。
普通、泌尿器のドクターはPSA24と云えば、即、検査入院が常識なのですが、私と15年もの長い付き合いで、これまでのPSA値の推移を知っての発言です。
しかし、今回の推移はちょっとヤバイ。
と云うのも、私の活動拠点のNPOセンターの仲良しの守衛さん(81)も前立腺に問題を抱え、私と同じドクター担当しているのです。
この守衛さん、やはりこれまで数年間、PSA値が20台を推移していて、ドクターから生体検査を薦められても、拒否していたのですが先月、値が20から40に上昇し、組織採取した結果、がん細胞が見つかり、その後の検査で骨への転移が認められ、ステージ4と宣告されのを知っているからです。
PSA値がずっと高値安定・・・は前立腺肥大の影響と云う見方は、この数か月の値の上昇でアウトかもしれません。
これは、やるしかない。

10数年前の生体検査は日帰りでした。
数年前の3回目は一泊2日の検査入院でした。
そして今回4回目はなんと、2泊3日だというのです

検査は、肛門下部からエコーを照射し、肛門内に挿入した注射器で、組織を20か所ほど採取するものです。
この検査自体は、麻酔を使うのでそんなに痛くないのですが、その後、発熱とか感染症のリスクがあるのは確かですが、それ以上に嫌なのが、尿閉が発生し易いのと、施術後、私の場合、3週間ほどおしっこに血液が混じり、ニ三日はトイレが真っ赤に染まり、びっくりします。
人によっては数日で止まるようですが、私の場合毎回、三・四週間続きます

この日、朝、自宅を7時15分に出て、病院の7時半の受付開始に並んで、採血をして一旦家に戻り、ドクター問診予約時間11:00に間に合うように、再び10時半に自宅を出たののですが、ドクターの問診は11:45分、次回精密検査の日程を決めてからは、病院内を廻りました。

1,本日2回目の血液検査、採取
2,胸部・腹部レントゲン
3,心電図 ここまでは、検査入院前の病院側の都合です。検査・入院後の容態の変化に対応する為の保険、デター採取です。
4,日帰り入院センターで、看護師と問診、入院時の注意事項など。もう、この大病院に何度も入院・検査しているので、全て分かっています。
5,そして会計へ
支払いは70才で自己負担は2割、支払額は4,100円で、自宅に歩いて戻ったのは2時でした。



この日、もう一つの医療機関の予約が16時半に入っているのです。
2ケ月に一度のファミリー、ドクターの医院です。
psa02.jpgこの日、ABI検査と頸部動脈エコー検査があります。
ABI検査は、両手(上腕)両足(足首)の血圧を同時に測ることによって、動脈硬化を調べる検査です。
血管のつまり具合と血管の硬さを測定します。
結果は良好、血管年齢は年相応より若干若いと云う評価でした。

psa03.jpgもう一つは頸動脈超音波検査です。
頚動脈は首にある血管で、直径が10o前後の動脈です
頚動脈超音波検査では、血管壁の厚さや、プラークの状態、それらによる血管の詰まり具合を観察します。
加齢や動脈硬化により血管壁は厚くなり、詰まったり狭小化してきます。
プラークとは厚さ1oを超える限局性の壁の肥厚(隆起)をいい、このプラークが剥がれおちることにより、重要な血管をふさいでしまい脳塞栓を起こす可能性が出てきます。
この検査により、動脈硬化の確認や、進行度の評価、また心筋梗塞や脳梗塞などの動脈硬化性疾患の早期発見につながります。
私のファミリードクターは、高齢者の高血圧症の専門医なので、毎年、この検査を受けています。

この日の支払いは1,780円、そして処方箋薬局の支払いは2,160円
本日の朝7時半から夕方5時半までの医療機関通いの支払い合計は、8,040円で既に1か月の高額医療費限度額を超えています。
先週の歯医者代1,120、来週の眼科の視野検査、再来週の歯医者さんの歯石クリーニング、等全て1か月の限度額をオーバーしているので戻ってくる計算です。
これは、偶然ではなく、なるべく、定期的な医療検査は同じ月にまとめているからです。
低所得年金生活者の知恵です。

かと言って、限度額までの出費があるのですから、健康でいるのが一番の節約なのでしよう。
posted by 西沢 at 08:44| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年11月15日

天声人語コラムのなかで、安倍首相の「桜を見る会」にからんで、俳句を紹介していた。

毎年、公表しているようで・・・
5年前の首相就任時に詠んだのは「給料の上がりし春は八重桜」
おととしは「風雪に耐えて5年の八重桜」
今年の春は「平成を名残惜しむか八重桜」
朝日新聞のコラム記者は、この安倍首相の句風をすこぶる「平明」と評していました。

「平明」(ヘイメイ)と云う言葉を今まで使ったことのない私、ネットで調べてみました。
イメージとしては、「解りやい」・「明解」・「クリアー」など好適な意味も持つが、天声人語の筆者は「平明」の別の意味を含ませているのではないかと推測しています。?
「何の変哲もない」・「単純」・「分かり易い」など、面と向かって云えないことをこの「平明」と云う言葉で表しているのでしょう。

会場の新宿御苑は大ターミナルJR新宿駅南口から徒歩10分にある、都会のオアシスです。
一時期、新宿に現場事務所を置いていた時期、現場の花見会等で利用していました。
今年も都内の桜撮影で行った場所てすが、私には、もっと違った、大きな思い出があります。



1989年2月24日、この年1月7日に崩御した昭和天皇の大喪の礼が、小雨のなか東京の新宿御苑で挙行されたのです。寒い一日でした。
大喪には国内外から約9800人が参列しました。
参列した国は164を数え、会場には、就任まもないアメリカのジョージ・H・W・ブッシュ大統領、イギリスのエジンバラ公(エリザベス女王の夫君)ら元首クラス、また国連のデクエヤル事務総長など国際機関の代表が顔をそろえました。

新宿御苑には、このような大勢の賓客を一同に集めて催しが出来る建物はなく、仮設大型テント設置されました。
全て、外部での葬儀なので、大型温風の暖房は葬儀に支障をきたすので、スポット暖房と、床暖房となりました。
東京のゼネコン、サブコン(電気・空調・衛生)の主力会社に召集がかかり、正味三日間で整えなくてはなりませんでした。
特に、大変だったのが、トイレを担当いる衛生設備会社でした。
一般的な仮設トイレと云う訳にはいきません。
皇族方々、世界のトップが集う、日本の天皇の葬儀ですから、仮設とは言えそれなりのものを用意しなくてはなりません。給水・給湯・排水設備を斎場で目出させないように、それも、漫画程度の図面で、突貫でやらなくてはならないいのです。

私が属する職種の工事は、各テントの床に引き敷き詰められた、床暖房の温度コントロールでした。これは、そんなに大変な作業でもないのですが、式が始まる前から、終るまで張り付いていなくてはならないのです。
万が一、熱すぎたり、寒かったりするのを、常に監視し続けなくてはなりませんが、作業服姿の私たちは目立ってはいけないのです。
遠く離れた、目立たない所に、ずっと待機をしていました。

こういった、下支えする人間、業種があるから社会は成り立っているのです。
社会は誰かの仕事で成り立つている
安倍さん、自分の身内ばかり大切にしないで、こういう社会をささえる人達を大切する政治を心掛けなさい。

昨夜の令和天皇の大嘗祭にも、元会社の若手連中は、あの建物の裏手で、備えていたのでしょう、
と、あの寒い新宿御苑の日を思い出しながら見ていました。
posted by 西沢 at 08:02| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年11月13日

令和天皇 祝賀御列の儀 万歳と君が代に違和感

令和天皇と云うか、今上天皇というか、徳仁(なるひと)天皇というかはさておき、私は一般的な日本人とおなじ程度のシンパティーを、現在日本国の天皇制に対して持っています。
特に現天皇が生まれた日のことを今でも記憶しています。
1960年〈昭和35年〉2月23日、当時小学六年生の私は、地元「信濃毎日新聞」の配達をしていて、その日夕刊が皇太子誕生のニュース掲載で遅れたからです。

皇居前で万歳する人々
tenno00.jpg祝賀パレードのルートをみて、現役時代似通った皇居前からの朝の通勤路を思い出していました。
お天気も良く、心から祝福してTV画面を見ていました。
しかし、その後のニュース映像を見ていて、何かひっかかるもの、違和感を感じました。
その一つ、前夜行われた前夜祭の映像です。
何回も行われる「天皇陛下万歳」の映像。

思い起こされるのは、先の大戦の終戦の日の皇居前広場の映像です
tenno01.jpg沢山の一般市民が、皇居、二重橋前に土下座して泣き崩れるあの写真です。
この写真の裏には、南方の島で散って行った多くの若い兵士が最後に叫んだと云われている「天皇陛下万歳」があるのです。実際に、兵士の皆さんが本当に「天皇陛下万歳」と云って死んでいったとは思われません。
きっと「お母さん」とか、愛する人の名を叫んだにちがいないのでしょうが、当時の社会情勢では、「天皇陛下万歳」と云って死ぬのが、日本国民の義務、常識だったのでしよう。

あの何度も繰り返される「天皇陛下万歳」の三唱に、私が最初に思ったのは、それを目前にして佇む、徳仁天皇のお気持ちです。私とちょうど一廻り違う干支のねずみの今上天皇は、100%戦後うまれ、そして、美智子皇太后の元、一般家庭と同じく、両親の手元で育てられ、成長してきていますので、目の前に繰り返される、ご自身に対しての終ることのない「天皇陛下万歳」を目にして、反って困惑したのではないか・・・と勝手に推測して見ていました。

そして、赤坂御所にお帰りになって、御所の玄関で催された「君が代」の吹奏をお二人で、立ってお聞きになる姿をみて、日本国国歌、「君が代」をどう感じただろうと、且つてに想像していました。
日本国国家「君が代」に初めて感じた違和感
tenno02.jpg日教組や穏健左派の団体・組合が、学校の行事で「君が代」を歌う事、起立することを拒否する報道を春の卒業時期に目にして、歌詞の内容はどうあれ、一般的儀礼として、従うべきだと私は思っていました。
「日の丸」も「君が代」も日本国内いると、特に感情もなく、普通に受け入れらていますが、海外、特に厳しい環境の発展途上国や、白人オンリーの国で聞いたり、歌ったり、目ににすると、全く違います。

たった一人の異邦人として暮らしている時に目にする「日の丸」は美しく、日本人であることを意識させられ、力を与えてくれることもあります。これは、旅行先ではなく、厳しい環境での仕事先などでは強く感じます。
同じく、「君が代」もそうです。
他国の国歌のような、華々しい旋律、歌い上げ、鼓舞する、長い国家でなく、浪々と謳う、そして短い日本国国歌「君が代」は、時として涙が滲むこともありました。
しかし、今回、天皇陛下御夫妻を前にして、日本国の国歌公務員の吹奏隊が演奏すると、違った意味を持ちます。

問題は、歌詞の内容です
tenno03.jpg若し通り、「天皇陛下の世が、何代も、小石が大岩となり、苔がつくようになるまで、続きますように願います」となります。
確かに、戦後民主主義、主権在民、象徴天皇制のもとで、この歌詞の唄を国家とするのに、反対する勢力があって当然と
今回の祝賀御列の儀の最後で思いました。

現在の日本国国家「君が代」の歌詞の解釈は、次のようです。
君が代は = あなたたちの時代は
千代に八千代に = この日本国の長い歴史を受け継ぎながら
さざれ石の巌となりて = ひとり一人(個性)を大事ににしつつ、協力し
苔のむすまで = (この国が)末永く繁栄するよう

今回の記事を書くにあたって、初めてこのような解釈をしりました。
どこの誰が、このような解釈をしたのか知りませんが、古文の試験なら0点間違いないでしょう。
posted by 西沢 at 06:17| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年11月11日

富士山が美しく見える季節になってきました

毎年、11月になると、富士山と紅葉の便りが届きます。
先日の掲示板投稿では、富士山が綺麗に見れる、超定番の日本平から「日本平夢テラス」と云うタイトルの投稿がありました。
https://www.kikuya-rental.com/bbs/?owner_name=2438
数年前から、日本各地に○○テラスという、若い女性客をターゲットとした、風光明媚な山頂付近に、お洒落なレストラン・カフェが出来てきています。この○○テラスは、一次ブームが去った、野辺山高原の清里テラスが火付け役となったようで、私のユーチューブサイトは驚異的なアクセス数が伸びています。
https://youtu.be/Vr0lW6Tyno0

この投稿に「日本平夢テラス」刺激された訳でもないのですが、毎日の晴天続きと、TVニュースの河口湖紅葉祭りを見て富士山と紅葉の画像と動画撮影に行くことにしました。
河口湖紅葉祭りのバスツァーはこの季節、阪急・クラブツーリズム等各社が沢山、日帰り一万円以下で催行されていますが、富士山等の自然相手の旅行は、天候次第なので、天候・天気予報をみながらの、予約なしの個人旅行がベストです。

湘南藤沢北口からトイレ付高速路線バスがでてる
fuji00.jpgしかし、車の免許がない、湘南に住む私たちにとって、富士山ろくへのルートは、結構遠いのです。一般的には、東京・新宿に出て、JR・富士急で行くか、バスタ新宿から、高速バスで行くのが定番ですが、最低でも3時間ちょい、料金も片道4,500はします。ツァーなら一万円以下でランチや富士山以外数か所の名所へ行けるのは解っていても、自然相手の撮影が目的の旅行は、個人・自由旅行に限るのです。
そこで、ネツトで調べてみると、なんと、お隣の藤沢駅から、一日一便でけですが、河口湖への路線高速バスそれも、カミサンの希望するトイレ付バスがでているのが判明しました。

そして藤沢駅北口発、と云う事は、我が家の前のバス停から、河口湖駅まで、一歩も歩かずに到着してしまうのです。所要時間は2時間10分、これは行かなくては。
藤沢・河口湖の需要はそんなに多くはない、と思っているのですが、ネットでは原則、予約が必要とのこと。そこで、神奈中に問合せすると、出発地地点で空席がある場合に限り、予約不要との回答でした。
ここから、毎日、「河口湖 天気予報」、「河口湖 ライブカメラ」と検索する日々が始まり、11月の第2週の水曜日に出かけることにしました。

藤沢から河口湖までどうやって行けば、2時間でいけるのか不思議でした。
走ってみて分かったことは、湘南から最後の乗車できるバス停本厚木駅まで、車を運転しない私が知らないだけかも知れませんが、新しい「新湘南バイパス」、「圏央道」、「東名高速」と乗り継いでいくではありませんか、びっくり。
そして「厚木」から「河口湖」へは「圏央道」・「中央道」と繋がっていて、列車しか知らない私たち夫婦は再びびっくりです。

新倉山浅間神社へ
fuji01.jpg私たちは、最終ストップの川口の手前、高速下吉田で下車し、海外インパウンドの間で絶大な人気の、インスタ映えするスポット、新倉山浅間神社へ向かいました。
小高い山の中腹にあるこの神社へは数百段の石段を上るのですか、一番人気の桜の季節では、この階段の下から上まで外国人旅行者の行列が出来、一方通行の係員が出るほどの人気の地です。
真正面に富士山、右手に赤い五重塔、そして前景は春は桜、秋は紅葉ですから、人気になるのも納得です。
京都のインパウンド旅行者の多さに呆れていましたが、富士五湖周辺はそれ以上で、平日の木曜日の午前10時、ここにいる観光客の100人に98人は、外国人観光客でした。
そして、神社の配慮でしょうか、仮設テントのもスリム用礼拝所まであり、脱帽です。

富士急下吉田から河口湖駅へ
新倉山浅間神社から富士急下吉田駅へも、道路上に解りやすい絵でかかれた、標識が各所ありました。富士急下吉田駅の次は、「富士急ハイランド」なのですが、意外にもインパウンドの若者は下車しません。良くみるとこの日水曜日は閉園日なのです。彼は実に良く調べて来ているようです。

河口湖駅から周遊バスに乗る
ここでは、富士五湖(山中湖を除く)への周遊1日パスを使います。
主には、河口湖を中心としたレッドラインバス、は15分間隔でています。
西湖へはグリーンラインバス30分置き、
精進湖、本栖湖へはブルラインバスでこれも30置き。
これを上手にに使い分ければ、1日1,500円で何回も乗り降り出来ます。
感心したのは、このバスセンター、お土産物屋さんのスタッフの英語力です。
これだけインパウンドの旅行者が多いので、皆さん、達者な英語で旅行者をさばいていました。

河口湖周辺
fuji02.jpgこの時期、河口湖では紅葉祭りが開かれていました。
しかし、今年の紅葉は好天候続きで、かなり遅れており、ほんの一部が綺麗に紅葉しているのにとどまっていました。
午前中はお天気もよく、富士山には雲もかからず、前景の赤い紅葉との「絵葉書的」な写真は何処でも撮れましたが、途中で半分飽きてきます。
朝が早かったので、レッドラインの終着地の、河口湖半で一番が美しい、「河口湖自然観察館」まわりでランチにすることにしました。
ほとんどのレストランは山梨名物の「ほうとう」がメインです。
いわゆる、鍋煮込みうどんなのですが、この高いことにびっくりです。
多寡が、煮込みうどんなのに、最低1,100円、なかには牛肉入りで1,800円もします。
一般的に、都会の食堂、レストランの価格は、材料費の3倍が常識なのですが、ここ外国人観光客相手の商売は違います、サービスは悪い、出てくるのが遅い、そしてべらぼうに高い、不味い、熱くない、硬すぎ。都会の街なかでしたら、とっくに潰れるだろう、レストランばかりで、特に一番ひどかったのは、河口湖駅前の「ほうとう不動」という店でした。
この店の対応を見ていると、日本人として恥ずかしい想いがしました。
ランチの後、何処を見ても、綺麗な富士山の姿と、外国人観光客で、だいぶ飽きて、次を目指しました。

西湖いやしの里根場へ
fuji03.jpgレッドラインで一度、グリーン乗り継ぎバス停へもどり、興味あるバス停名に惹かれ、西湖を目指しました。
到着したのは、日本の古い古民家を移築した、テーマパークのような場所です。
13年前に開設された場所で、入場料は350円。
福島の大内宿、飛騨の白川郷を模したような場所ですが、各古民家と、春にはさぞかし美しいであろう、外国人観光客だけではなく、旅慣れた日本人観光客でも、ゆっくりと寛げる場所で、対応する、現地村人さんスタツフの対応もとても良く、今回の観光地のなかでも、春の季節に
もう一度、行ってみてもいいかな、と思われる唯一の場所でした。

17時、西の空は暗くなってきても、まだ富士山の姿がはっきり見えた、1日でした
juji05.jpg帰路は同じ、神奈中の路線高速バス17:30発、藤沢駅北口行です。
この一本しかないので、到着時に帰りの予約は入れておきました。
ここで乗ったのは、私たちを含めて5人だけ、途中のバス停で二人乗り、本厚木で4人降り、終着地の藤沢で下りたのは私たち二人だけでした。
これで、神奈中はやっていけるのか・・・人ごとながら、ちょっと心配です。
藤沢駅北口に少し遅れて、19:50分に着き、となりバス停には、我が家の前のバス停を通る、路線バスが待っていました。
JRで帰るよりは、バスは70円高いのですが、何よりも、私たちが住むマンションの目の前のバス停に停まるのです。
基本2泊3日の私たちの旅行ですが、久しぶりの日帰り旅行でした。
ここ、暫くは富士山に拘ることはないでしょう。
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2019年11月09日

ベルリンの壁崩壊から30年の新聞記事で、1989年の自分を思い出してます。

団塊世代の私は、70才を超えたあたりから、色々なニュースを聞くたびに、あの時の自分の年齢や、仕事柄何処の現場にいたか、何をしていたか、何処を旅していたかを思い出すことが多くなってきています。

1989.jpg1989年、ベルリンの壁崩壊のニュースは、南米ペルーの古都クスコのホテルのテレビで知りました。マチュピチュに向かう前全日の夜でした。
3000mを越す、アンデスの街に、平地のリマからいきなり飛行機で飛んできたので、軽い高山病状態で頭痛を感じながら、苦いコカ茶を飲み、「歴史的瞬間を見ている、これを機会に世界は、日本は変わる」と感じていました。この時、団塊世代、1948年生まれの私は、41才でした。

1989年は既にお正月明けから変わっていたのです。
昭和天皇の崩御で年号が平成に代りました。
この年、夏休みは八ヶ岳の会社の別荘で過ごす予定が、客先のお偉いさんに急きょ譲り、八ヶ岳ブリンスロッジに部屋をとった所、お隣の部屋に、新たに総理大臣となった海部俊樹ファミリーが避暑としてやってきて奥様が私たちのお部屋にご迷惑をおかけしますと、ご挨拶にお見えになったことを、覚えています。
退職して、年金生活の今の旅のスタイルと比較すると、あの頃、働き盛りバブルだったのでしょう。一部屋、食事なしで40,000円の部屋に、3泊していたのですから。

この1989年末の東証株価は、大納会で日経平均株価が史上最高値の38,957円44銭でした。
テレビではCMはリゲインの「24時間たたかえますか」が流れていました。
建設業界の働き盛りの41才の私は、横浜MM21での横浜万博のパビリオンを何棟も受け持ち、疲れも知らずに働いていました。
給与もボーナスも上がる一方で、この頃からスタートしていた「早期退職」「老後の海外ロングステイ」の為の老後資金造りも、順調に進んでいき、10年後50代初めの退職も可能、と夢見ていました。

ベルリンの壁の崩壊で東西冷戦は終わり、世界はデモクラシーの世になる、日本経済もこのまま、突き進んで何時かはアメリカを追い越す・・・確かにこの年、三菱地所はニューヨークのロックフェラーセンタービルを買収したのですから。

歳をとると、昔を振り返ることが多くなる
特別、あの時代に戻りたいとか、あの時、ああすれば良かったとは思いませんが、静かに、一人思い出す日々が増え、もっと昔の子供の頃のことまで思い出しています。
両親が亡くなって、もう何十年も経っています。
亡くなった頃は、特に悲しいとか、両親を思い出すこともなかったのに、70才を超えたあたりから、頻繁に思い出しています。
そう、今年は、父が亡くなった年齢71才なのですから。
posted by 西沢 at 09:38| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年11月08日

安物買いの銭失い ついつい、アマゾンの安物をポチしてしまうのですが

私のサイトの掲示板には、同じ世代、同じ趣味の方々が集っています。
http://www.tt.em-net.ne.jp/~soy7686/bbs.html

ここには、色々な「安物買いの銭失い」の体験談が寄せられています。
zeni01.jpg最近の投稿では、格安航空券に関わる「安物買いの銭失い」のお話がありました。
日本国内はおろか台湾辺りでも、キャンペーンで片道1,00ぽっきりというチケットが発売されることがあります。
ついつい、値段に釣られてパソコンでポチしてしまう。
チケット1000円は本当なのですが、しかし・・・。
空港は成田LCCターミナル、早朝・深夜便が多いのです。

早朝となると、自宅から間に合うかどうか、まず「乗換案内」で調べる作業が必要になります。
zeni02.jpg私の場合、ピーチの沖縄便成田08:00は何とかギリギリ間に合いますが、7時台だと、前泊が必要になりますし、成田空港じたい、湘南からは、往復5,000円もかかります。
「乗換案内」でギリキリ間に合うのも曲者で、落とし穴があります。
JR成田空港のプットホームから第三LCCターミナルまで、早足で駆けてもチェクインカウンターまで最低15分はかかり、慣れない自動チェックインマシンの前で手間取ると、間に合わず乗れない可能性は残るのです。

その他、空港税もかかり、国際線でと、燃料サーチャージも発生するので、結構なお値段になります。投稿であった「安物買いの銭失い」は、キャンペーンのLCCは、キャンセルが出来ないと云うものです。
その時、ついついポチとクリックして申し込んで超格安チケットを手に入れても、旅行が最初の目的ではなく、値段に惹かれて申し込んだ場所や、日にちが後から考えたら都合がつかなく、キャンセルしようにも出来なかったと云う報告がありました。

私の場合の「安物買いの銭失い」は傷は浅いです。
zeni03.jpg団塊世代の私たちは、現役時代のフィルム一眼から、デジ一眼、コンパクトデジカメと移行して今やスマホカメラは、一般的な日本人シニアの辿る道です。
しかし、私のスマホは「簡単・楽々・シニア」用なので、カメラ機能は最低レベルです。
最近の旅先には荷物を軽くする為、コンデジさえ持たないので、帰って来たから、スマホの画像を見ると、がっかりします。
スマホで遠くのものを大きくは写せます。しかし、それはデジタル拡大ですから、当然画像は荒れます。

望遠機能が欲しい、しかし金はかけたくない、出来れば100均でないかと、迷った挙句、アマゾンで衝動買い。ボチしました。
お金は自分の財布からではなく、クレジット口座からですから、痛みはない・・・これがいけない。しかし、届いたものは、安さ(590円)もあり期待はずれ。ものの30秒でお蔵入りです。
望遠はスマホケースを外さないと使えない、周辺がケラれる、これなら、デジタル望遠のほうがマシでした。

ダイソーで買った、遠隔リモコンシャッター(324円)
zeni04.jpgもうひとつは、ダイソーで買った、遠隔リモコンシャッター(324円)ですが、安物の京セラの簡単スマホは、このBluetoothが対応していませんでした。
この2つ、年末のビデオクラブの交換会、プレゼント会に出す予定ですが誰もいらないでしょう。
でも2つで1,000円しないのだからまあ、仕方ない、いいか。学習代にもならない金額ですから。


こうやって、反省しながら、また、アマゾンの画面でポチ、することになるでしよう。
アマゾン、日本国内取引なんだから、法人税を払えよ。
posted by 西沢 at 08:36| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ