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2026年07月30日

タイの古着店 NHK72時間を見て思い出している。


ドキュメント72時間「南国タイ ニッポンの中古品 海を渡る

私たち夫婦、共通のお気に入りのTV番組のNO,1は
日曜昼の2時からの「ザ・ノンフクション」とNHKの「ドキュメント72時間」です。
フジテレビの「ザ・ノンフィクション」は、1995年から放送されている長寿ドキュメンタリー番組。
さまざまな事情を抱えて生きる一般の人々や、社会の片隅で懸命に生きる人々の姿に長期間密着し、人間ドラマや現代社会が抱える問題を深く掘り下げています。
番組の特徴と魅力は長期密着によるリアルな人間描写: 家族問題、貧困、特定の職業、夢を追う若者など、テーマは多岐にわたります。
数ヶ月から数年にわたる長期の密着取材を通して、被写体の葛藤やありのままの姿を映し出します。
NHK金曜日夜の「72時間」はファミレス、空港、居酒屋…。毎回、ひとつの現場にカメラを据え、そこで起きる様々な人間模様を72時間にわたって定点観測するドキュメンタリー番組。
偶然出会った人たちの話に耳を傾け、“今”という時代を切り取りとってます。

今回注目した72時間の舞台はバンコクの日本古着屋さん


大都市古着バンコクの中心からやや外れた郊外の街なかに、日本の家具や食器などあらゆる中古品が並ぶリユース店エリアがあり、現地の多様な人間模様が描かれました。
世界的な古着の集積地であるタイでは、ビンテージTシャツなどの買い付けも非常に盛んです。
日本で手放された衣類(防寒着など)や日用品がタイへ渡り、どのような思いで現地の人々に手に取られているのか、3日間密着した映像でした。

かつての東京よりも変化するスピードが早い都市。
タイ・バンコクは定年後の海外ロングステイ・・暮らすように旅する拠点の街として退職前から、何度も訪れていた街でした。
私たちが本格的に老後の住まい・生活を考えたのは、40代後半48歳と45歳の時でした。
私が当時担当していた大型ホテル建設物件で現場のゼネコン担当とソリが合わず、このままこんな仕事を続けているのが嫌になり、一時的に日本の建設業界社会から去ることにしました。
カミさんは一切反対せず、私も辞めるはともに辞表をだして、三ヶ月、中米コスタリカ・キューバ・パナマなどで、将来の日本人バックパッカー向けゲストハウス
建設・経営の夢を追いかけていました。
そして、帰国し退職金をもらいに出社すると私の退職届は受理されておらず、(理由は対外的な問題・評判のよう)、そのまま元の会社の同じ部署という訳にもいかず、私の「大喧嘩」の理由を知った別のスーパーゼネコンが出向という形で引き取ってくれ、その後正式退職までの七年間お世話になりました。
仕事内容は同じですか、純粋な現場管理・監督の立場、元会社での人事面や年間受注高・利益額などから解放された七年間でした。
この頃から、真剣に55歳退職後の「終の住まい」について検討・調査・見聞を始めていました。

昔、シルバーコロンビア計画という官製の退職老人の移住計画があった

1986年に旧通商産業省(現・経済産業省)が提唱した、日本の退職・リタイア層の高齢者が物価の安い海外で第二の人生(ロングステイ)を送ることを支援するプログラムです。
計画の背景と目的は
1980年代後半、日本は深刻な高齢化社会の到来を控えており、また当時のバブル経済による円高と国内の物価高騰が問題になっていました。
政府は、経済的なゆとりがある日本の高齢者が海外で生活することで、国内の住宅や介護などの社会的負担を軽減させることと、
滞在先の国々との国際親善や経済協力を両立させることを目的としてこの構想を打ち出しました。
「シルバーコロンビア計画“92”(1992年の実現を目指す)」と名付けられ、
「2千万円の退職金と月額20万円程度の年金があれば、海外でのんびりセカンドライフを送れる」というコンセプトが掲げられました。

当時のマスメディアや世間からは「高齢者の輸出」「姥捨て山」といった批判的な意見が強く寄せられ、また文化や言葉の壁、現地の治安や医療体制への不安などの課題も大きく、本格的な実行には至りませんでした。
計画自体は失敗に終わったと評価されていますが、のちの日本の富裕層による海外移住や、一般的な「海外ロングステイ」というライフスタイルの先駆けとなった出来事として知られています。
そして1992年の通産省の旗振りで海外ロングステイ財団が設立され、国民年金でも夫婦二人豊かな老後生活ができるとこの頃から、アジアを中心に多くの退職者がタイ・マレーシア・インドネシア・ハワイ・オーストラリアの各地に日本人シニアが老後をクラス、コミュニテイーが続々と誕生しました。
しかし、2026年3月その旗振り役となった通産省OBによるロングステイ財団も解散しました。

一番の大きな理由は・・・日本の通貨「円」の価値減少です。
私たち団塊世代が一番多く海外でロングステイをしていた頃、一番円高ドル安だった時ハワイに通っていました。
1ドル80円台の頃・・その後も長らく1ドル100円時代が続いていましが・・・
数年前から、海外ロングステイしていた人々は先ずは「健康上の都合」をあげ、次に日本からの年金に円安で今までの現地の生活が成り立たないと続々と帰国してきてます。

2003年正式に円満退職し55歳で向かったのはタイでした。
成田からノースアウストのバンコク最終便、日本への帰国は早朝便が最も安く、往復で5万もしない時代、空港は現在のスワンナプーム国際空港まだ完成しておらずドンムアン空港でした。
タイの予定していたロングステイ候補地は「バンコク」と「チェンマイ」でした。
バンコクはその当時かから日系企業が多く進出し、日本人駐在家族も多く都心から少し離れた交通の便の良いところに多くの日本人が形成されていました。
バンコク市内はBTS・MRTがありタイ語が分からなくとも動きやすい街で、行く度に街は変貌していきました。
タイの通貨バーツは私たち夫婦が頻繁に行っているころ簡単に1バーツ3円弱という感覚で、お昼のランチは大きなショピングセンターのフードコート、二人で1バーツ程度、勿論屋台でなら半分以下で食べれる時代でした。

そんな記憶が残るタイ・バンコクですが・・


今や、大勢の普通のタイ・バンコク市民が冬の0北海道に雪をみるためにくる時代となったのです。
現在2025年のバンコクの平均月収は、職種や雇用形態によって大きく異なりますが、タイ人労働者で約30,000〜45,000バーツ(約12万〜18万円)前後が一般的な目安です。
タイ人の現地相場:一般ワーカーや事務職:約15,000〜25,000バーツ(約6万〜10万円)
IT・専門職や管理職層:約30,000〜60,000バーツ(約12万〜24万円)
日本から新卒できて、バンコクの日系企業に就職する新卒学生も増えており、15万円ぐらいが相場のようです。
もちろん、最終的には「あの難しいタイ語」と「英語」は必須となるりますが・・・
もうとても、夫婦二人の年金だけで優雅に暮らせる国・都市ではなくなっているのです。

番組は売り手と買い手の両者を取材していました。

売り手側は・・・
毎月日本から届くコンテナの中身の仕訳から始まっています。
・ここ、タイ国内で売れるもの
・タイでは売れないが、近隣諸国、アフリカに向けて再仕訳輸出するもの
・ゴミとして処分するものに。
それでも、日本からのコンテナは世界一綺麗で儲かると話しています。
買う側の取材は・・・
バンコクで厳選して仕入れして、タイの地方のお店に下ろすそうです。
衣類は扱わず、主に日本製の家具を扱っていました。
日本の中古家具はタイや中国のものに比べ、しっかり作られているので、少し手をいれれば、タイ製の新品よりも売れるそうです。
家具だけではなく、日本の中古の電化製品や、陶器・食器も人気だそうです。

もう何年、タイ・バンコクに行ってないでしょうか!

旅の記録を紐解くと・・・私たち夫婦の最初のバンコクは昭和63年私40歳・妻37歳の時、住宅ローン返済を記念して、将来の終の棲家探しのアジア二週間旅行でタイのバンコクとチェンマイそして、インドルシア・バリ島の旅でした。
そして、最後のタイ旅行は2011年、バンコクが水浸しになった時でした。
この時、兼ねてから見たかったチエンマイのランタン挙げを見に行き、帰りにバンコクに寄ったら街中水に浸かっていました。
これが、私たち二人の最後のタイです。
もうあれから15年も経ったのですね。
日本は失われた30年、あの夜の女性で溢れていた街から、今や、雪を見るために観光でこれるうになったタイの人々が日本に観光来れるようになったとは。

ロングスステイホームページ内タイ滞在記

最後のタイ旅行、チェンマイのロイカートン動画



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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ