今回開催からなんと参加国は昔の16から24そして32カ国と年月を経て48カ国になり、開催地も三ケ国と共闘開催となった。そして、大会を主催するFIFAは益々巨大組織になり、莫大な金額が動く大イベントとなってくる。
しかし、テレビ画面に映るスタジアムの電子CMには、昔はあれほどあった日本企業の名前が一つもなく、今回チームとして参加していない中国企業とGAFA(世界経済とIT業界を牽引するアメリカの巨大テクノロジー企業5社の頭文字)と世界展開しているファストフード企業ばかりだ
テレビ画面に登場してくる日本人サポーターの取材では、会場のチケットの高騰、そして円安で二週間の滞在の全費用は軽く100万円を超えていると云う。
しかも宿泊先は試合の行われるスタジアムので都市から長距離バスで2時間の「AirB&B」を仲間といっしょに借り、食事はアメリカ本土の物価高、円安からほとんど全て米からインスタント食品で間に合わせて自炊の生活だと云う。
私たち団塊世代が経験してきた、本来のスポーツの祭典とはどんどんとちがった方向に進んでるとしか思えない。
この原稿を書いている時、ドイツもオランダも延長PKで敗退した。
どうしても、そういう戦い方になってしまうのだろうな・・・
私のW杯サッカーは1974西ドイツ大会から
私が実際にスタジアムでW杯をみたのはアルゼンチン・オランダ戦。当時参加国は16ケ国、私は当時アルゼンチン・ブエノスアイレスに住んでいた。
20歳でアルゼンチンに来て6年に経とうしている頃、私が週末を過ごしていたスポーツクラプのプロサッカーチームが主体となって、当時の西ドイツで行われるワールドカップに出場するので、一緒応援に行こうと誘われた、旅費・滞在費にかなりの援助が出る様子。
そして、次の1978年開催地がアルゼチンということで、政府は遅れていた国内のカラーテレビ化に動くということもあり、私もそろそろ、この先のことを考え、カラー化に伴う、何かしらのビジネスチャンスを求めて日本への一時帰国を考えていました。
勤め先を辞め、西ドイツで開催されるW杯をスポーツクラブのメンバーと見てから帰国しすることにしました。
実際にW杯の試合は、アルゼンチン国内リーグと大違いでした。
グループ予選を勝ち抜いて決勝トーナメンの最初の相手はクライフ率いるのオランダでした。
初めて見る、全員攻撃・全員守備のトータルフットボールにびっくりでした。
アルゼンチンはこの時負けて、やっとフットボールの国際化に気がついたのでした。
1978年W杯はアルゼンチン開催でした
私はこの決勝戦を軽井沢の星野高原教会の宿でみていました。決勝の相手は四年前にメタクソにやられて、あのトータル・フットボールのオランダでした。
まだ、南米の選手がそんなに多くヨーロッパで活躍していない時代、もちろんアジア系やアフリカ系の選手はほぼ皆無の時代でした。
アルゼチンと日本の時差はちょうど12時間、季節は真逆、あの頃からW杯決勝はやはり6月でした。私たちの結婚記念日はいつもサッカーW杯を見て思い出しています。
この頃をから南米からヨーロッパリーグに移籍する選手が増えていったのでしょう。
この頃から日本人も世界に出ていくようになりました。最初のプロサッカー選手は奥寺康彦です。
奥寺は1977年に日本人として初めてヨーロッパのプロクラブ(西ドイツ・ブンデスリーガの1.FCケルン)と契約を結びその後、1986年に日本へ帰国し、古河電工とプロ契約を結んだことで、日本国内における最初のプロサッカー選手となったのです。
次の関わり合いは、はるか時代はくだった日本
Jリーグの誕生は1993年です。そしてドーハの悲劇は其の年1998年10月のことでした。
今でも鮮明に覚えています、自宅のテレビ中継でみていました、
「ドーハの悲劇」とは、1993年10月28日にカタールのドーハで行われたサッカーのワールドカップ(W杯)アメリカ大会アジア地区最終予選の日本対イラク戦において、日本代表が試合終了間際の同点ゴールによりW杯初出場を逃した試合、およびその出来事の通称です。
日本は勝てばW杯初出場が決まるという状況でイラクと対戦しました。前半にカズ(三浦知良選手)のゴールで先制し、その後中山雅史選手のゴールで勝ち越すなど2-1でリードして後半アディショナルタイムを迎えました。
しかし、残り数十秒というところでイラクに劇的な同点ヘディングシュートを決められ、そのまま試合は2-2の引き分けで終了しました。
予選敗退の決定この引き分けにより、日本は勝ち点「5」の3位に後退しました(同日に行われた他会場の試合で韓国が勝利し、イラクが引き分けたため)。
これにより、日本は得失点差で韓国を下回ってしまい、グループ3位となりW杯本大会への出場権を逃す結果となりました。
日本サッカー界への影響当時、日本は1993年にJリーグが開幕したばかりで、悲願のW杯初出場に向けて熱狂の絶頂にありました。
その夢が手の届きながらも最後の最後で絶たれたショックは非常に大きく、当時の選手やファン、日本中に大きな衝撃を与え、この劇的な結末が「ドーハの悲劇」として語り継がれることになりました。
この時ピッチにいたのが、現在の日本チーム監督「森保一」です。
深夜病院のベット見ていた初出場の瞬間
ジョホールバルの歓喜「ジョホールバルの歓喜」とは、1997年11月16日にマレーシアのジョホールバルで行われたサッカーのワールドカップ(W杯)フランス大会・アジア第3代表決定戦(日本対イラン)で、日本代表が勝利しW杯初出場を決めた歴史的な一戦およびその瞬間の話です。
試合の経過と結末試合は極度のプレッシャーの中、歴史に残る激闘となりました。
前半に日本が先制点を挙げたものの、後半に立て続けに2点を奪われイランに逆転を許しました。
その後、城彰二と呂比須ワグナーの投入が的中し、日本が同点に追いつき試合は2-2で延長戦へ突入、延長戦はVゴール方式が採用され、延長後半の118分、中田英寿のミドルシュートを相手GKが弾き、そのこぼれ球に反応したFW岡野雅行が押し込み、日本代表を悲願のW杯初出場へ導く劇的な決勝ゴールを決めたお話
私はこのテレビ中継を大病院の会議室でみていました。
1997年の夏、一人中央アジアを旅して途中ウズベキスタンで大下痢をお越し、帰国してから調子が悪い日々が続き、真っ赤に尿と真っ白の便を見たカミさんは直ぐに友人が看護師長をしている病院に連絡すると、今直ぐ、救急車を呼んで病院に連れてきてとなり、そのまま緊急入院、急性肝炎です。
その後、C型肝炎も見つかり三か月の長期入院となり、その時、この日本が初めてのW杯出場決定のテレビ中継を、病院に頼んで一人で見ていた思い出があります。
2002年日韓W杯開催時、北朝鮮の平壌にいた
早期退職を翌年に控えていたあの頃。2002年、W杯として初めて二カ国日韓共同開催となったのは、FIFAの副会長を勤めていた韓国理事による影響とも云われていますか・・・
この日韓共同開催に大反対したのが北朝鮮で、参加を拒否してこの世界的イベントの時期、平壌でお得意の大マスゲームを開催することなりました。
私の友人の旅行会社役員の友人から「北朝鮮に行かない?」この時期、南のW杯開催に対抗して北では巨大スタジアムに何万人も動員してのマスゲーム「アリラン祭」をやるのうちの会社も乗っかっていくけど、どう一緒にいかな、4泊5日で30万をちょっと切る程度、書類など全部こっちで手配し、社員割引も
するけど・・と言う申し出であり「二つ返事」で行くと返事しました。
カミさんに云うと何かあっても助けにいかないからね、ひとりで黒竜江を渡って帰ってきて・・と言われました。
2002年のW杯の思い出はイコール北朝鮮のマスゲームや、貧しい北朝鮮の田舎の姿や、能面のような板門店の兵士の顔・姿でした。
あれから何年、いつの間にかあの少年は大スターになっていた
第二の故郷の英雄はマラドーナからメッシになっていた。あれからもう20年もの月日が流れます。
W杯となるといつも若きスターや、伝説の名プレーヤーの話になりますが、今2026年の伝説のプレイヤーと云えば今大会でも、アルゼチンの「メッシ」でしょうが世界的大スターメッシはアルゼチンの古い友人の間ではそんなに人気がありません。
その一番の理由は、メッシは一度も母国アルゼチンのリーグ・チームに所属しプレーした事がなからてらです。
幼少の頃その才能は目立っていましたが、幼い時から成長ホルモンの病気を疑われていました。しかし、スペインのチームに目が止まり、少年時代に13歳でバルセロナに下部組織からスタートして2004年いらいトッププレイヤーとして活躍していても、アルゼンチン国内ではそれほどもないのは、「マラドーナ」という、生粋のアルゼチン下層社会からのし上がって大スターにマラドーナの生い立ちをよくしってるからです。
1960年、ブエノス郊外のラヌースと云う私も知っているやや、貧困地域出身。
やがて、アルヘンティノス・ジュニアーズというクラブに入っている時、私が所属してスポーツクラブの友人から、かなり有望な若者がいてこれから本人を見に行くと聞かされ一緒に行ったことがあります。
私が会った時、彼は14歳の少年でした。
結局あの少年は私の友人のクラブに入らず、世界の超一流の名門クラブで出世してくことになるなんて思いもしませんでした。
次回2030年開催時、私は82歳
果たして、日本人シニアの平均寿命年齢に達したいるが・・・今大会は日本がブラジルに敗れた時に、ほとんどの日本人の間では、W杯2026は終わっているでしょう。
果たしてどのくらい人々が勝ち上がっていくチームのために、早朝から起きてテレビ観戦するでしょうか?
ドイツもオランダも敗れ、小さな島国のチームを応援するか、或いはアルゼンチンのメッシやフランスのエムパベのゴールシーンを見るかはたまたアフリカの新興国の試合を見るか・・・
後4年後2030大会、日本人の平均寿命に達している私たち団塊世帯の半分はもういないかもしれない・・・
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