
おせち料理が「おせち」と呼ばれるようになり、一般家庭に広く普及し始めたのは第二次世界大戦後です。
戦前は「食積(くいつみ)」「蓬莱(ほうらい)」などと呼ばれ、庶民は手作りしていましたが、戦後、百貨店で重箱入りの「おせち」として販売が始まり、その名称とスタイルが定着・拡大したのが大きな転換点でした。
おせちのルーツは弥生時代にまで遡り、宮中行事「節会(せちえ)」で振る舞われた「御節供(おせちく)」が源流です。
江戸時代: 江戸時代には庶民の間でもお正月に食べる風習が根付きましたが、「おせち」という名前はまだ一般的ではありませんでした。
戦後(1945年以降):
デパートが「おせち」という名前で重箱入りの正月料理を売り出したことで、この呼び名が日本中に広まりました。
普及のきっかけ: 核家族化や共働き世帯の増加など生活様式の変化も手伝い、手作りする代わりに買うというスタイルが広まり、現代のような「おせち」が定着しました。
つまり、おせち料理自体は古くから存在しましたが、「おせち」という名前で、重箱に詰められた形で、多くの人が購入・消費するようになったのは戦後、特に高度経済成長期にかけて、百貨店やスーパーマーケットの登場と普及によって加速したと言えます。
はい少しでも手作りします派

私は団塊世代、昭和23年地方都市のアーケード商店街生まれ、育ちです。
カミさんは北関東の都市郊外の生まれ、育ち、お葬式は村のお寺まで葬儀の行列、土葬という土地柄、環境です。
私のお正月のご馳走・・・何なんだったろう・・とにかくお餅が腹いっぱい食べれることぐらいでした。後は・・鮭ぐらいでした。
カミさんの、私よりもかなり田舎ですが、それなりに古いしきたりがある場所で、独特の鮭料理が思い出に残っており、お正月と云えば、かまぼこ伊達巻、なますなどの思い出があるそうですが
いいえと答えた方は

私の子供の頃、父親は長期の結核診療所生活をしており、その上、県下一の繁華街・飲み屋街のなかで、その手の料理店・飲み屋相手の青果店を母一人で商いしていましたので、年末もかなり忙しそうに働いており、子供は四人、姉、一つ年下双子の兄二人、そして3つ下の私の四人兄弟。とてもお正月用のおせち料理どころではありませんでした。
確か、うろ覚えですが商店街には既にスーパーマーケットが存在しており、何かしらの普段とは違う「お正月のご馳走」があったのかも知れません。
はいと答えた方、どれくらい手作りしてます。
私は二十歳数カ月前に日本国を離れ、南米、その当時南半球で一番豊かな国アルゼンチンの首都、南米のパリと称される、大都会で生活することになっており、1960年代の比較的裕福な東京のお正月おせちとはどんなものなのか、全く知らない生活をしていました。三歳年下のカミさんも、都会に出て職場り寮的な生活をしており、自炊経験ゼロ、おせち料理とは全く縁遠い生活をしていました。
初めてお正月のおせち料理的経験・機会は、アルゼンチンを戻ることを中止し、日本での生活と決めた年、渋谷の井の頭線沿線の小綺麗な洒落たアパートに越してきた冬のでした。
井の頭線で二駅、下北沢の裏通りの魚屋さんは、大勢の山の手の主婦のお正月支度で賑わっていたのを思い出します。
ほぼ二十代後半の若い、地方出身の二人のお正月のおせちとは、「紅白の蒲鉾」「伊達巻」「黒豆」そしてなによりの特別のご馳走は、寒ぶりの半身のお刺身だったのを
覚えています。
全員が応えましたかける予算は
あの、下北沢のアパートに三年暮らした後、横浜横須賀線新駅駅前の第一号建設群のマンションを購入し、移り住み3年後には、住宅ローン返済の目処がたち、退職する年2003年までの20年間、お正月は全て海外の地で過ごしていた為、地方出身、実家を10代ででている二人は、全く日本のおせち料理とは縁遠い生活をしてきた為もありますが、料理大嫌い・音痴のカミさんが、手作りおせちなんて、全くあり得ません。そして、65歳で海外旅行を卒業した私たち二人はお正月は大人しく、自宅、鎌倉の地で過ごすことになり、一応お正月予算としてプラス一万円の予算計上していましたが昨今の物価高、とても、お正月らしい食品を取り揃えることさえ難しい状況になっています。
おせち料理で好きなものは

お正月おせち料理と聞いて、真っ先に思い出すのは、築地市場でのバイト先です。
南米の生活から六年ぶりに日本にもどってきたのは、4年後1978年、アルゼンチンで開催される、第11回サッカーワールドカップで、アルゼンチン国内TV放送がカラー化するの記述受けて、ビジネスチャンスを求めて、先ずは日本の電子技術専門学校で学ぼうとと帰国しました26歳でした。
夜間の学校で昼間のバイトとして早朝から午後早い時間に上がれる、東京築地市場、ナマの魚を扱うのは苦手なので、練り物・乾物を扱う商店にで働くことにしました。
そして知ったのは、練り物(蒲鉾やら竹輪など)卸で一番のピークが年末お正月前の一週間ということを知りました。
あの当時、築地市場の普段駐車場となっているスペースは、練り物を扱う卸問屋のテントが立ち並ぶ様は築地の年末の風物詩と云われていました。
特に、この時期だけ売れるものの代表が「伊達巻」でした。
データはありませんが、あの当時の感覚からいうと、おそらく「伊達巻」の売り上げの90%はこの12月末であろうと思われます。
それほど、伊達巻は、おせち限定の食べ物なのでしょうか。
おせち料理で嫌いものは

嫌いなものの田作り・・・名前は知っているけど
■田作りとは、
カタクチイワシの稚魚(ごまめ)を乾燥させて炒め、醤油・みりん・砂糖などで甘辛く味付けしたおせち料理。昔、イワシが田んぼの肥料として使われ豊作をもたらしたことから、「五穀豊穣を願う縁起物として食べられるようになり。おせちの「祝い肴三種」の一つで、子孫繁栄の願いも込められています料理
■酢蓮根とは
下茹でしたれんこんを甘酢に漬け込んだ酢の物です。
さっぱりとした酸味とシャキシャキとした食感が特徴で、日本の食卓における箸休めやおせち料理の定番として親しまれています
■なますとは・・「なます」とは、
元々は生肉や生魚を細かく刻んで調味料で和えた料理ですが、現在では大根と人参などを細切りにして甘酢(酢、砂糖、塩など)で和えたおせち料理(紅白なます)を指すのが一般的で、縁起物としてお祝いの席に並びます。
語源は「生肉(なましし)」からきており、中国から伝わって日本で独自に発展しました
このように、この朝日新聞のアンケート回答者の年齢層が分かりませんが、とうやら「酸っぱい系」が苦手なようです。
全員が応えました、おせち料理自体好きですか
この設問の回答を見ると特段、年に一度のお正月おせち料理で、あってもなくてもどうでもいい、季節、行事限定の料理だからと思われますでしょう。そして、日本全体が豊かになり、昭和に育った私たち子供の頃の甘い「栗きんとん」実は栗は本物だけど餡はさつまいも、一年に一度食べれるかとどうかの高級食材?「数の子」、「黒豆」って築地一年中健康食品とて宣伝されているし・・・
「筑前煮」がおせち料理なの?
筑前煮は、鶏肉や様々な根菜類を油で炒めてから、醤油や砂糖をベースにした甘辛い出汁で煮詰めた福岡県の郷土料理。
全国的に親しまれている日本の家庭料理の定番の一つで、特にお正月のおせち料理としてもよく食べられます。
主な特徴は「炒めてから煮る」具材を煮る前に油で炒めることです。これにより、食材の旨味が閉じ込められ、コクと照りが出ます。
多様な具材: 鶏肉(主に鶏もも肉)、れんこん、にんじん、ごぼう、しいたけ、こんにゃく、里芋、たけのこなどが一般的に使われます。
味付け: 砂糖、醤油、みりん、酒、だし汁(しいたけの戻し汁など)を合わせた甘辛い味付けが主流です。
私はこれが、平素の夜のオカズとて大好きですが、これがおせち料理として取り上げられているのを初めて知ります。
改めてこの季節、築地市場の寒空を思いだしている
私は結婚前、27歳、電子学校夜間の二年築地でバイトし、住まいも食事も無料の生活でかなり貯金も出来て、ブエノスアイレスに戻ろうと思っていたが・・・一つにこの築地市場内の練り物卸問屋を簡単に辞められぬ事情が発生していた・・・社長の家族内からの引き止めがあった。
もう一つ、この頃、現在のカミさんと出会っていた・・しかしこのまま南米ブエノスに戻るか・・・何処でどう暮らすか?
まだ二十代、後一年、この環境下でじっくり考えてみるか、迷っていたあの青春時代
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