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2025年10月12日

一生に一度は行ってみたい海外のスゴい世界遺産ベスト15

クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』の3時間スペシャル

特大企画「一生に一度は行ってみたい海外のスゴい世界遺産ベスト15から出題SP」を特集しました。
このランキングは、番組が独自に旅のプロや専門家にアンケート調査を行い作成された、非常に信頼性の高いものです。
誰もが知る絶景から、知られざる秘境まで、世界各地のロマン溢れる遺産がランクイン。今回は、そのベスト15だけでなく、
惜しくも圏外となった30位までの完全ランキングを一挙にしていました。
その中かで、私も行ったそして特別印象に残っている世界遺産の思い出を紹介します。
●は実際に夫婦二人で旅した世界遺産の地です。

1位 ●マチュ・ピチュ ペルー
旅行年月日 1989/12
マチュ・ピチュが世界遺産に登録されたのは、インカ帝国時代の高度な都市計画と建築技術が示す文化遺産であることと、
絶滅危惧種を含む貴重な動植物が生息する自然環境の価値を持つ自然遺産であることの、両方の要素を兼ね備えた「複合遺産」であるため。
特に、保存状態が良好な状態で残る遺跡の規模や、自然環境と調和した設計などが高く評価されており、色々な世界遺産にランキングでも常に
上位にランクされています。
今回の番組絵像を見て驚いたのは、私達夫婦が訪れた1998年から36年たった今のマチュピチュ村へのアクセスの変貌と、遺跡入場料の高さです。
変貌と云っても基本的ルートは変わっていませんでした。
クスコからバスで約2時間、オリャンタイタンボという町へ向かいます。
ここからは、ペルーレイルまたはインカレイルという列車に乗り、約1時間30分でマチュピチュ村(アグアスカリエンテス)へ到着します。
アグアスカリエンテスとはスペイン語熱い水、つまり温泉が出る場所です。
驚いたのはその村の大変貌でした。昔はバックパッカー向けの小さなゲストハウスはありましたが、欧米の団体客が泊まれる宿・ホテルは皆無でした。
オリャンタイタンボへのバスもそこからジーゼル列車もペルーローカル列車でした。
そして遺跡入場料です。2024年のデータでは入場には入場料が必要で、外国人観光客は2024年、155アメリカドルのようです。
これは入場券の価格に相当し、遺跡の保護のため、入場制限や事前予約も義務付けられています。
もう、ここまで来ると、南米インカの山奥の大遺跡という面影は薄れつつあるなという感じで、番組を見ていました。
どこでもそうですが、何処かまだ知られていない、不思議な、神秘性のある世界遺産を望ましいのですが
2位 ●サグラダ・ファミリア スペイン
3位 ●ピラミッド エジプト
4位  モン・サン=ミシェル フランス
5位  ヴェネツィア イタリア

6位 ●アブ・シンベル神殿 エジプト
旅行年月日1993/12
ギザのピラミッドと並んでエジプトが世界に誇る偉大な遺跡、「アブシンベル神殿」。今からおよそ3,300年前、古代エジプト新王国時代にラムセス2世が残した、
圧倒的なスケールを誇る岩窟神殿です。1960年代にアスワンハイダム建設の時に水没の危機にさらされましたが、
ユネスコの救済によって現在の高台へと移設してその難を免れました。
この出来事がのちに「世界遺産」という活動・概念そのものの誕生のきっかけになったことでも知られています。
私達がアスワンを訪ねた4年後、1997年11月、エジプト南部の観光地、ルクソールの王家の谷の近くにあるハトシェプスト女王葬祭殿で、
待ち伏せしていたイスラム原理主義過激派「イスラム集団」のテロリスト6人が、約200人の観光客らに銃を乱射。
日本人観光客10人を含む62人が死亡した。亡くなった日本人のほとんどが日本からのツアーに参加した新婚旅行客だった。
この事件後、エジプト観光客の数は極度に落ち込み、特にエジプト南部のアスワンやルクソールに行く観光手段は制限されており、エジプト観光が、カイロ近郊
のピラミッドと地中海アレキンサンドリアに限定されていた時代がありましたが、現在は南部へ空路とナイル川クルーズ船移動・宿泊となっており、
この世界遺産創生の原因となったアブ・シンベル神殿は一般的なエジプトツァーに組み込まれています。

7位  フィレンツェ  イタリア
8位 ●グランド・キャニオン アメリカ
9位  ドゥブロヴニク クロアチア
10位 ローマ歴史地区 イタリア
11位 ●ヴェルサイユ宮殿 フランス

12位 ●サマルカンド ウズベキスタン
旅行年月日1997/8
真夏の中央アジア、いつも何処へでも一緒に旅する「カミさん」はこの旅行をパスしました。
確かに、8月の中央アジアは内陸国、暑いのは解ったいましたが、私にはどうしても行きたい場所だったのです。
私達団塊世代のアイドル、3つ年上昭和20年生まれのスター「吉永小百合」が雑誌のインタビューで一番行きたい国・場所の質問の
答えの一つが「サマルカンド」だったのです。
ウズベキスタンの古くから宗教都市、青の都、「サマルカンド」、もう一つはイランの文明の十字路、世界の半分と言われていたイスファハーン」と聞いて
いつかは絶対に行こうと決めていた場所てす。
ウズベキスタンへの日本から直行便がない時代で、韓国ソウルから飛びました。ウズベキスタンは旧ソ連統治下に多くの朝鮮民族がウズベキスタンに強制移動されていた
歴史があり、朝鮮族の人が多く住んでするので、この当時韓国からのフライトがありました。
世界遺産・東西の文化をつないだ壮麗な「青の都」
古来、シルクロードの要衝として栄えながら、13世紀にモンゴル軍の侵攻によって廃墟と化したウズベキスタンの古都サマルカンド。
この地を甦えらせたのが、一代で大帝国を築き上げた英雄ティムールでした。
ティムールは世界のどこにもない美しい都市を目指し建設しようと、各地の遠征先から優れた技術者や芸術家たちを連れ帰りました。
建物を飾る「サマルカンド・ブルー」と呼ばれる鮮やかな青色タイルは、中国の陶磁器とペルシアの顔料が出合って誕生したもの。
まさに「文化交差路」のサマルカンドは2001年、世界遺産に登録されました。
ティムール朝のもとで、「青の都」と呼ばれ頂点を極めたサマルカンド。その政治・経済・文化の中心であったレギスタン広場は、
シルクロード主要路の交差点として東西の交易商人が行き交い、バザールが開かれ活気がみなぎっていました。
この旅で「A型肝炎」に感染し、旅から帰って来た1週間後、大病院に救急搬送され一ヶ月のベット安静、そして同時に子供の頃の輸血によるC型肝炎保菌者と認定され
プラス三ヶ月の治療入院となったきっかけの旅でした。
今思えば、この時ウズベキスタンでA型肝炎に罹患しなかったら、C型肝炎を知らずに、肝硬変から肝臓がんとなって今はこの世にいないだろうと、今でもカミさんと話しています。
13位  アルプス・ユングフラウ スイス
14位 ●ナスカの地上絵 ペルー
15位 ●ウルル=カタ・ジュタ国立公園 オーストラリア
16位 ●アンコール・ワット カンボジア
17位 ●イスタンブール トルコ
18位 ●万里の長城 中国
19位  プラハ チェコ
20位  アウシュヴィッツ強制収容所 ポーランド
21位  バチカン市国 バチカン市国

22位 ●イースター島 チリ
旅行年月日1995/5
私達の世界遺産の旅は振り返る1990年代に集中しています。
1990年の不動産バブル崩壊は、金融引き締め策で土地と株の価格が急落した出来事です。
これにより金融機関に不良債権が増加し、企業の経営が悪化して倒産が相次ぎ、日本経済は「失われた10年」と呼ばれる長期低迷期に突入しました。
私は42歳、働き盛り勤めていた建設業界は、不動産不況の波はまだ及んでいなく、大量の受注残を抱えており、当座のボーナスにも影響なく、
購入していたマンションのローンも早期返済し終わっており、仕事の大型現場監督をうまく調整すれば、最低限年に3回、遠方の世界遺産の旅に出かけられる
時間的・金銭的な余裕がありました。今、思えば、この時期が人生で一番世界遺産行脚の旅に適していたでしょう。
この頃、テレビ番組でクレーン重機メーカーが、南太平洋の孤島、チリ領イースター島で島中に倒れている、巨大な石像の復旧に力を貸して、孤島の活性化、そして
世界遺産登録に貢献したとの報道を見て、出かけることにしました。
なかなか、情報のない時代であり、旧知の旅行代理店に相談すると、南米を専門に扱っている旅行会社向けの旅行代理店を紹介してくれました。
日本の旅行会社とは言え、世界中にネットワークを持っている訳でなく、日本国内にも世界各国、僻地、遠隔地の専門旅行代理店があるのです。
幸い私は、スペイン語は堪能ですし、英語も旅行程度ならOKということで、成田・タソチ・イースター島のフライトと宿、ガイドを手配してもらいました。
まだインターネットはそれほど個人的に普及していない時代でした。
タヒチパペーテに前泊・後泊し、イースター島3泊4日間、二人で80万円ぐらいだったとおぼえています。
ガイドは元ランチレのCAと車はお土産物屋の車、私のスペイン語に驚いて、観光客とガイド・運転手の関係ではなく、アミーゴの関係となっていきました。
ここに来るまでに、南アメリカ本土の遺跡を沢山見てきていますので、間違いなく南米のインカ以前の文明とイースター島は繋がっていると感じました。

23位 ●アルハンブラ宮殿 スペイン
24位  アマルフィ海岸 イタリア
25位 ●パリのセーヌ河岸 フランス
26位 ●タージ・マハル インド
27位 ●イエローストーン国立公園 アメリカ
28位 ●ハワイ火山国立公園 アメリカ

29位 ●ペトラ遺跡 ヨルダン
旅行年月1996/12
ここへも、やはり1990年代半ばにやってきています。
21世紀のアラブ世界の火種となっている「シリア・ヨルダン」パックツアーです
超格安航空会社、ビーマン・バングラデシュ航空の南回り、イスタンブール行は、成田からは「マニラ」「バンコク」」「イスラマバード」「ムンバイ」
経由のアジア出稼ぎ便と呼ばれる航空会社便で、確かツァー料金10間で20万円代だった思います。
初めての本格的に古代中東の遺跡に心躍っていました。
シリア・ダマスカスではキリスト聖書の登場する「長い道」やら古い歴史教科書に登場する地名ばかり、今でも思い返すと心が踊ります。
その中で、一番行きたかったのが「ペトラ遺跡」です。
あのハリウッド映画「インディーズ最後の聖戦」の舞台、切り立った岩の峡谷を馬で駆け抜けた先に広がる赤い洞窟寺院
「エル・ハズネ(宝物殿)」が象徴的な古代都市です。この都市は、砂岩の断崖に彫られた壮大な建築群と、
かつてキャラバンが往来した秘境のような景観で知られています。
見上げるような外観、なかなか、この突然現れてくるこの風景は忘れられません。
遺跡はこの宝物殿を抜けた先にあります。
「バラ色の古代都市」と呼ばれる世界遺産で、ナバテア人が切り立った岩を削り、都市全体を建築した古代都市遺跡です
その壮大なスケールと美しい岩の色から、古代文明の要衝として栄えた歴史を持つ、ヨルダンを代表する観光スポットですが
ヨルダンには古代キリスト教生生誕の地でもあり、観光名所は盛り沢山でした。
30位 ムゼウムスインゼル ドイツ

世界遺産の旅を振り返ってみると
バブルが弾けた1990年前後から、私達夫婦の世界遺産行脚が始まっています。
そして、早期退職前の2000年のマダガスカルの自然遺産以後は、アジア、特にインドシナ半島のタイ・カンボジア・ラオス・ミャンマー・ベトナムの仏教遺跡と
アメリカハワイ列島の自然遺産の旅、つまり、近場、安全な場所、体力を必要としない場所へと変化していました。
そして2014年のハワイ・マウイ島のホエールウォッチングを最後して、私達夫婦の海外旅行は卒業しました。
今年、2025年早期退職して22年、まだまだ動けると思っていても、今年のような猛暑では時間も予算もあっても、心と身体がついていけなくなりつつあります。
早期退職シニアの先輩として言えることは・・・
今、行きたいと思った時が最高チャンス行って下さい、後悔しないように・・・、
私達二人は今、77歳、74歳全く世界遺産の旅に関して、後悔はしていません。


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posted by 西沢 at 07:11| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ