報道によると、排尿障害を訴えて検査したところ、判明したとの公式報道とのことですが、もっと前、現役時代からあったのであろうけど、現役大統領として公表できなかったのでしょう。
82歳、既に骨への転移という状況では、ほぼ外科的手術は困難、しないでしょう。
化学的療法で進行を抑え、身体的苦痛を和らげるしかないでしょう。
最終的に緩和治療となるのは明白です。
記事引用米国のバイデン前大統領(82)が、「骨への転移」もある前立腺がんだと診断された。
いったいどんな病気で、今後どのような治療がなされるのか。
■どんな病気・病状?
前立腺がんは、膀胱の下にある前立腺に発生する男性特有のがん。
米国ではがんによる死亡の中で肺がんに次いで2番目に多く、米国がん協会によると、前立腺がんの年間死者数は約3万5千人。
高脂肪といった欧米型の食事がリスクになると指摘されている。
米メディアによると、バイデン氏の事務所が診断結果を発表したのは5月18日。
がんの悪性度を示す「グリソンスコア」は5段階のうち最も悪い状態で、骨にも転移しているという。がんは「より攻撃的な形態」だとしつつ、ホルモン剤が効くため、「効果的な管理が可能だ」とした。
医師はこの状況をどうみるのか。
順天堂大医学部付属浦安病院の辻村晃教授(泌尿器科学)は、報道情報のみからの判断だと前置きしつつ、骨への転移は日本では一般的に「ステージ4」と解されると説明する。
一方で、骨への転移が何カ所なのか、骨だけでなく内臓にも転移しているのか、ホルモン剤がどの程度効くか――などによって、深刻度は変わるという
なんで私がそんなに前立腺がんについて詳しいのか?

現在、直近の値今年4月の検査の値は18と、基準値の0.4を大幅に上回る、グレーゾーンを遥かにオーバーしてる真っ黒のゾーンの値てなのですが・・・
これまでの私の前立腺とのお付き合いの歴史は長いのです。
退職直後の2004年、まだ鎌倉に越してきたばかりの時、掛かり付け医院は以前22年住んでいた、横浜の駅前大開発の大型マンションにいた頃からお付き合いの内科クリニックに通っていた、56才の時、そこに定期血液検査のついでにドクターが勝手に前立腺腫瘍マーカー検査「PSA」を調べていました。
その時の結果、基準値4を上回る7で、精密生体検査が必要と云われ、このドクターは自分の出身の横浜医大系列の横浜日赤への紹介状を書くというので、私は自宅鎌倉から不便場所の病院は拒否し、自宅から徒歩圏内にある徳洲会「湘南鎌倉総合病院」に行くというと、かのドクターは、「日本医師会に所属していない医療機関に自分の患者を紹介出来ない」、と云います。
加えて「あすこの医者は、ほぼ全員が地方の医大出身者だけ」と云いました。
この言葉で22年お付き合いしてきたクリニックに見切りをつけて、自宅から徒歩圏内にいける「大病院」とそのグループのクリニックに変えました。
この時いらい、四ヶ月置きにPSA検査をしてきています。
二年後にPSA値が10を上回り、再び生体検査の為に検査入院し、結果はがんは検出されませんでした。
PSAの値は、前立腺肥大でも上昇するのです。
2014年の定期PSA検査の値が15になり、3回目の検査入院、この時もがん細胞は検出されませんでした。
その後、4ヶ月置きのPSA検査は継続してきてPSA値は13〜15の高値安定で変化しませんでした。
一般的にPSA15と云う値はかなり高く、ヤバイ状況なのですが、前立腺肥大により値が高くなる例もあり、担当ドクターは 10数年来のお付き合いもあり、様子を見ましょうで経過してきました。
これまでの私の前立腺腫瘍マーカー検査の経緯の記録
2019年11月のPSAの値は再び上昇し24とこれまでの最高値となったので、四年ぶり、12月に第4回目の検査入院となりました。
今まで、一泊二日だったのが、この回からは二泊三日となりました。
病院側の説明では、「侵襲的手技」による患者の安全・感染の為と説明しています。
この日に、入院前のデータとり、胸部レントゲン・腹部エコー・心電図等
一日前
事前に提出する書類を書く
・検査同意書兼鎮静(麻酔使用)の同意書
・入院申込書
・転倒転落アセスメントシート
当日一日目
10時に日帰り手術センターで受け付け、歩いて手術室へ、笑気と静脈による麻酔であっという間に眠りました。
検査手術は15分で終了、気が付くと元の集中管理室のベッドの上でした。
おしっこをしたいのですが、2時間はベット安静の為、ベット上で尿瓶にするのですが、麻酔の影響で、排尿は困難です。
頑張ってした最初の尿にかなり大きい血のかたまりが見え、看護師に報告しました。
術後、2時に昼食、意外と美味しく食べれました。
4時に、歩いて14階の病室へ、3人部屋(トイレ・バス付)、富士山が見える南西の角部屋です。

30分置きに、強烈な尿意、トイレに入っても麻酔の影響でなかなかおしっこは出ません。
10分、便器の前で踏ん張って出てくるのは、最初は血液で、便器は真っ赤に染まります。
生検が初めての人でしたら、びっくりしてしまうでしょうが、4回目で慣れています、ドクターによると、血尿が停まらなかった 人はいないそうです。
20分かけて、何とか排尿、これが朝まで続くので、寝不足になるのは当たり前。
大きな3人部屋とは云え、ドクター・看護師とのやり取りは全て聞こえてくるのです、どうやら私だけのようで 他の二人は、スムーズにでるようで、
血尿はほとんどない様子で、何回もトイレに立つ気配が有りませんでした。
私の場合、前の3回も同様で、ちょっと他の二人とは違い、彼らには前立腺肥大の影響でのPSA値上昇ではないのかと考えました。
2日目
食事は昔の病院と比べて、朝・昼・晩、一般社会と同じ時間帯に、暖かい食事が出ます。
今回の私の場合、血圧が少し高めでなので低塩食1日5.9グラム塩分、1800kcalです。
普段から塩分控えめ、野菜多めの食事 ですから、人が云うほど味気ない食事でもなく、美味しく食べれましたが、入院前の体重が0.5キロ増えていましたので ご飯は半分残しました。
退院後自宅の体重計に乗ると、3日間の食事で600グラム痩せていていました。
前夜は尿意とトイレの立て籠もりでほとんど寝不足状態でした。
3日目退院の日
朝、やっと点滴のスタンドから解放されました。
同時に、腕首のネームバンドも切り離されました。
9時に病院は動き出しますので、9時半にはさっさと着替えを済ませ、会計からの連絡を待って退院です。
凡その入院費用は、入院前の説明書に記載されていました。
医療点数は15,820点 158,200円+六食の食事代3,916円 合計162,116円
医療費の158,200円の二割負担(70才以上)+食事代3,916円マイナス食事医療費補助3割
総合計=34,400の支払いです。
但し、非課税所帯の私の1か月の医療費限度額は8,000円ですから、2ケ月後に差額の26,400は戻ってきます。
4日目の自宅、まだ血尿は続いています。
一週間後、 検査結果を聞くに再び病院へ

12月14日にやった私にとって4回目の前立腺がん生検の結果発表を、10日後の(あまり関係ありませんがクリスマスイブ の)24日に聞きに総合病院の泌尿器科に行きました。
ふと前を見ると、同じ日に前立腺がん生検をやった80才の方の姿がありました。
生検の日当日、手術着に着替える部屋で一緒になり、お話を聞いたところ、初めて受ける前立腺がん生検だそうで、PSA検査も 初めてで、値は30と云ってました。
初めてのPSA検査で30は相当にヤバく、がんである確率は高いです。
今回の私のPSA値は24ですが、この方の初回30と10年以上PSA値を追いかけている私の24とは、かなり意味が違うのです。
11時半の予約時間ですが、私の番号が受付ボードモニターに表示されたのは12時半。
80才の方もまだ呼ばれていませんで、この方が呼ばれたのは、私の番号の前でした。
診察室へ入ったこの方はなかなか出てきません。
同伴していた奥様と思われる方一緒に、診察室から出てきたのは、20分後でした。
お二人の様子から、かなり深刻な状況であることが想像できました。
受付のスタツフとの会話が聞こえてきました。
年明け早々のMRI検査の日程についてお話しています。
と云う事は、がん細胞が検出され、転移がないかどうか調べるのでしょう。
私は、このような状況のイメージトレーニングを前の3回もしてきています。
4回目とは云え、PSA値24ですから、がん細胞の検出、それに続く、骨に転移していないかどうかのMRI検査、そしてどんな 治療、抗がん剤、手術なとの先々については理解しており、特に今回はある程度の心の準備は出来ていました。
そして、待つこと1時間半、私の受付番号がトップに表示され、診察室に呼ばれました。
ドクターは湘南鎌倉総合病院が、前の山崎にあった頃からのお付き合いのある30代後半の若いお医者さんです。
「先生、今回はいよいよ年貢の納め時ですか」
「いや、前々回とおなじ、擬陽性です、前立腺肥大からくるPSA値の高さだと考えています」
「では、このまま、ほっといて良いのですか?」
「一応、経過観察、4ヶ月に一度の検査は受けて下さい。」
「全くのセーフではなく、ギリギリセーフと云うところですか?」
「この擬陽性のまま、いく可能性は高いのですが、やはり、経過観察は必要です」
「今回の生検では、先生の患者さん3人いましたが、一緒の病室で過ごして、お二人とも全然夜中、 日中トイレに行かないので ちょっと私とは違うのではないかとは、思っていましたが」
たった5分で診察室を後にしました。
この日、会計は異常に混んでいて、一階のロビーで私の番号が表示するまでに30分も待たされました。 自動精算機に、自分のカードを差し込んで本日の医療費をみると、150円でした。
病院に着いたのが、11時15分、玄関を出たのは13時45分、2時間半もいたのです。
最悪のケース、ガン検出、骨に転移のステージ4まで覚悟のイメージトレーニングをし、エンディング詳細計画の準備をスタート する心づもりだったのに、病院の外にでると久しぶりの青空が広がり、ダウンジャケットがいらない陽気です。
太陽の光、青空が如何に、人の心に希望を与えるのか・・・なんて考えてしまいました。
帰宅すると、予定よりもかなり遅く帰ってきたのにも関わらず、明るい声で「どうだった」と聞くので、私は、玄関で 大きく手を広げて「セーフ」と答えました。
すると、カミサンは「では、来月は旅行に行けるね、何処へ行こうか」でした。
2025年4月、湘南鎌倉の泌尿器科の担当ドクターが代わりました。
30代後半の若手です。この日のPSA値は前回、四ヶ月前より低い「19.4」です。
普通この数字は「真っ黒」なのですが、私の場合、最後の生体精密検査の時から、づっとこのくらいの数値をいったりきたりしていた、6年間は変わっていないのです。
前の泌尿器担当医は10数年この私の前立腺の様子をみていたので、何も驚かず、これまでやってきました。
しかし、今回の若手の担当医からすると「放おっておけない数値」なのです。

そして、最後の生検が「疑陽性」だったこともあり、もし次の回も同じような値なら、5回目の生検を考えておいてく下さい。と云われました。
今までPSA検査は四ヶ月に一度年に3回でしたが、この新しい若手ドクターは6ヶ月に一度でいいと云います。
次の検診は10月です。
このドクターにもし、陽性でしたらどうしますと聞きました。
彼の答えは先ず、最初に転移があるかどうか調べます。
ないなら、年齢を考えて化学的治療と云います。
あっても昔は、痛み緩和に特化したホスピス治療となってきているけど、今はいろいろな選択肢があると云います。
私は歳だし「生活の質(QOL)の維持」を一番に考えたいと云うと、団塊世代77歳の残存余命は11年ありますから、積極的、前向きの治療に向かうべきだといいました。
次のPSA検査は今年の10月、20前後なら今までどおり、「放っておきます」
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