
越してきた当時55歳ですから、今のようなここが痛い、疲れやすい、坂道が気になるなんてことは全くありませんでした。
いくらでも、毎日自転車で新しく越してきた鎌倉の街を走っていました。
退職男性が全く新しい土地に溶け込むのに一番良いのは、スポーツクラブに入ることだというのは、知っていました。
最初にやり始めたのは、私が講師役であったシニア向けのパソコンクラブの仲間のテニス同好会でした。
2004年の春、windowsXP全盛期、私よりちょうど5歳年上の世代の男性が60歳で定年退職し、その当時の絶対的地位を誇っていたwiindowsPCやら、本格化し始めていたデジタルカメラや、画像処理ソフトを通じて少し上の高齢者予備群の人たちと知り合うことができました。
最初にメンバーと始めたのが、前々からやりたかった硬式テニスでした。

接触プレーが少なく、自分のペースで運動強度を調整できるため、ケガのリスクも少ないのが特徴です。
そして高齢者向けのテニススクールやイベントも多く開催されており、退職後に始める方も多くいます。
硬式テニスを高齢者におすすめする理由は
生涯スポーツ:年齢に関わらず、長く続けられるスポーツです。
身体への負担が少ない:接触プレーが少なく、運動強度を調整しやすいので、体力に合わせて楽しめます。
健康効果:筋力や持久力、バランス感覚を養い、心肺機能の向上にも繋がります。
認知症予防:集中力や思考力を養い、脳の活性化にも期待できます。
社会性:仲間とコミュニケーションを楽しみ、社会性を高めます。
しかし、問題は会場・コートの確保でした。
都会や大きな街には、民間のスポーツクラブがあり室内ニニス場も整備されており、専任の指導者もいますが、費用として最低でも一ヶ月一万円はかかります。
他に民間のテニスクラブもありますが、鎌倉の場合いわゆる「名門テニスクラブ」「社交場としてテニスクラブ的なもの」しかないのと、市営のテニスコート4面は山の上にあり、当然、毎月抽選です。
何とか参加したテニス同好会ではメンバー六人全員で同じ曜日・時間・コートを申し込んで確保を試みますが、ハズレもありました。
もうひとつ、横浜国大のテニスコートは平日のみ、鎌倉市民に開放していますか、駐車場もシャワー設備もなく、女性メンバー向きではありませんでした。
私の場合、最初の頃は車でいく女性メンバーに拾ってもらて毎週一回、通っていましたが申し訳ないのでその後、自転車を買って通うようになりました。
自宅からテニスコートのある、鎌倉のスポーツの森まで自転車で30分、最後は急坂を降りて登るようなでした。
硬式テニスは4年ほどやってました。
しかし、メンバー8名のうち男性4人は元々の硬式テニスプレイヤーですから、全くド素人の私やレベルの初心者女性では歯がたたないよりか、遊び相手にもならず次第に、遠ざかるようになりました。もっと真面目に練習して上手になり少なくとも簡単な試合相手にでもなれれば良かったのでしょうが、週に一度、鎌倉の山の上まで行って、桜散る,うぐいすの啼く森に包まれたテニスコートでプレーするリタイヤライフの自分の姿への自己満足だけだったのでしょう。
新しい、経験者のメンバーが増えて来るにつれ、参加する回数も減っていきました。
その当時、硬式テニスと一緒にはじめたのが、「バドミントン」でした。

今から20年前、当時のバトミントンは女性のスポーツでした。
しかし、徐々にシニア男性の参加も増えて行くに連れ、私が参加して「ハッピーバドクラブ」はそれまで女性メンバーしか募集していなかったのですが、高齢化がすすみメンバー不足で
男性も募集するようになっていた頃でした。
体育館は自宅から徒歩15分程度と近く、早速参加しました。当時女性会員7名、男性会員元経験者一名に全くの素人の私の9名で、辛うじてダブルス2コート出来るギリギリのメンバーでした。
日にちによっては2コネットート8名のメンバーも揃わない日もあり、先輩会員にたいして、私がホームページを造って募集しましょうと提案しました。
そんなお金もないし、以前鎌倉広報で募集したけど一名の応募もなかった・・・といわれましたを遥かが、時代は社会に入り始めて頃でした。
しっかりと造ったはドミントンクラブのHPは、あっというまに、ネット上で一番有名な素人バドミントンクラブに成長しました。
しかし、何年かするとホームページの「弊害」もでてきます。
私の場合、バドミンントンは週に一度2時間同じレベルの仲間とと楽しく時間を過ごせる場所なのですが、次第にメンバーを上手になり、市の大会に出て勝ち抜きたいというよなメンバーが次々に入会してきて、体育館のスペース、ダブルス4面 16人オーバーして30数名にもなってしまいました。
メンバーもどんどん若くなり、楽しむこと、体を動かすことだけでなく、勝つことへと変化していきました。
65歳になった時、バドミントンをやめました。
直接の原因は、私の試合の相手する経験者男性があきらかに、手加減をして私にシャトルを返すのがミエミエなのです。
スポーツでそんな「哀れみ・手抜き」をされるようようでは、もう男としてお終いですので、あっさり辞めました。
その後に始めたのがレジャ-テニス・ラケットテニスです。

いろいろこのスポーツの発祥について説があるようですが、鎌倉が一番このスポーツが盛んなようで、大きな大会も開かれるようになってきましたが、所詮は高齢者の
暇つぶしの運動です。私と同じようにリタイヤ男性は硬式テニスやらバドミントンを経験してきて、最後にたどり着いたのが、この「ラケットテニス」です。
私が参加した時は65歳を過ぎていたと思います。
メンバー12・3名のうち男性は数名、ほどんどは私より年上、後期高齢者も多いような状況でした。
週に一度、2時間体育館に集まり、汗を流し、おしゃべりをすれば十分楽しいと思えるような楽しいクラブでした。
ここでの私の失敗は、ここでも先輩女性からバドミントンでの経験から、会員募集のホームページの作成する依頼され造ったことでした。
テニスやバドミントンと違ってまだそれほど世の中に認識されていないスポーツのせいか、あっという間に東京周辺から問合せが殺到するようになり、会員はあっというまに
増えてしまいました。その中には当然。男性も、しかも硬式テニス経験者も含まれています。
やがて、バドミントンと同じ問題が起きてきました。
毎週・木曜日・二時間体育館で体を動かし、ちょつとおしゃべりをする時間だったのに。
女性会員のほとんどが後期高齢者から80代に入っていくのに、新規女性入会者は若いと50代からです。
しっかりと球技スポーツと捉えており、休憩時間の多さや、準備体操やら終わった後の整理体操の必要性を説きだしたり、新たに鎌倉市主催の大会運営に携わったりするようになっていきます。
ここまでは良いのですが、新たな入ってきた同じようなシニア男性が、会員の女性にコーチをするようになります。
この時点で、元からのクラブ設立時の女性代表がお辞めになり、新しい女性メンバーが代表になると、この団塊世代の女性も、このラケットテニスを高齢者スポーツの一つとして捉えており、この後から参加して「教えたがり」男性と一緒に、ろくに準備体操もストレッチもしないで、ゲームに参加する古い女性メンバーにたいして強く当たるようになりました。
引退のきっかけは、昨年の夏、暑い体育館での事。72歳

私も古いメンバーの一人なので、かなりお疲れの女性メンバーが試合を休み、床に座って水とお菓子で長いお休み・おしゃべりに入った時、かの新リーダーの女性と「教えたがり」男性がこのグループに対して、早く試合に戻れと命令したのです。
私は、ここは体力強化や、大会に出場目的・上手になる為のスポーツクラブではなく、週に一度お友達とボールゲーム、おしゃべりをして、終わったら一緒にランチに行く、シニアの社交場なのだから、そんなに頑張る必要はない・・といってもかれらは納得しませんでした。
この日を最後に私はこのラケットテニスクラブを辞めました。
ちょうど、右足膝に時々「違和感」を感じていた頃で、二時間ボールを追いかけていると、帰りの階段を降りる時に手すりにつかまって降りるよな状態になりだす
頃でした。
年末に時々、元の女性メンバーの街なかで立ち話をすると、私が辞めた後、いままでいた男性会員4名全員が辞めてしまい、現在男性会員のあの「教えたがりおじさん」
一人だけだそうです。
シニアの男性社会ではよくあるケースです。
退職したのちに入る地元社会、スポーツ、趣味のクラブでも、かならずこういう男性「マウントをとりたがる男性」はいるものです。
下手に相手にして気分を害するよりも、さっさと自ら身を引くのが、心の安泰を守る法と、男たちは解っているのです。
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