私達現役の頃と違って、毎月連休があるから何の三連休かとカレンダーを見ると、リビングのJAJの大きなカレンダーには書いてない、カミさんの鎌倉婦人のお友達から毎年いただいているJALカレンダーは、海外向けで日本の祭日が表示されていなのです。
11月4日月は、11月3日文化の日の振り替え、ハッピーマンデーというらしい。
今年2024年は、年末年始とゴールデンウイークを除いても9回の3連休がある。
あらかじめ3連休になるように設定された4回のハッピーマンデーに加えて、祝日が日曜日に当たるために月曜日が振替休日となるラッキーなめぐりあわせが多い。
昭和の団塊世代オジサンは直ぐに昔は・・・と思い出す。
昔は土曜半ドンさえなかった時代が長く続いた。
「土曜半ドン」と云っても、今の令和世代どころか、平成育ちの世代も分からないのたろう。
私の会社は、建設業界に属していたので、土曜日が休日となるのはかなり遅った。
ネットのAI解説によると
土曜日が休日になったのは、国や金融機関、学校など、機関によって異なります。
国は、1989年1月1日から、国の行政機関では第2土曜日と第4土曜日を閉庁する土曜閉庁法が施行されました。
金融機関は、1983年8月13日から、毎月第2土曜日は銀行や証券会社が休業となりました。
1986年には第3土曜日も休日に追加され、いわゆる「4週6休」に移行しました。
1989年2月以降、金融機関は完全週休二日制になりました。
学校は、1992年に全国の国公立の幼稚園、小・中・高校、養護・盲・ろう学校において、毎月第2土曜日を休業日とすることを決定し実施されました。
1995年4月からは第4土曜日も休みになり、土曜授業は月2回になりました。
2002年には小学校ですべての土曜日が休みになり、週5日制が定着した・
団塊世代の私は当時40歳、「24時間働けますかの時代」でした。
土曜日完全休日になっても、私が所属していた建設業界・特に施工担当する会社では、事務・経理・管理畑は休む人間は少しづつ増えていつたが、大半の工事関係部署は仕事量は変わらず、そして、建設・不動産バブルがやってくる頃、とても休めるような状況、人員体制ではなかった。
尚且つ、土曜出勤は会社としては「休日」にあたる為、休日出勤で残業扱いとしたため、かえって出勤する社員が増えた。
それでも、バブル景気で会社としては新卒や中途社員を増やしていた時期で、そんな残業手当目当ての人間がいても構わななかった。
時は1988年(昭和63年)、新東京都庁建設が着工し、私の会社もメインま都庁第一庁舎、後に世間から「バブルの塔」を受け持って竣工1991年(平成3年)竣工引き渡しした。
この三年間、退職してから二十数年いまでも、悪夢にでで来る毎日が戦いのような時代でした。
都庁を担当していた部署は私の担当範囲外ではあったが、これだけ世間から注目されている「案件」だと全車げてこの物件の注力せずにはいられず、かなりの社員・職人ある時には文書管理で、女性社員までが臨時で駆り出されていました。
あの頃、こんな働き方に何ら疑問を持っていませんでした。
35歳の年、都内の現場に近い世田谷の賃貸アパートから神奈川県横須賀線新駅駅前の大規模開発第一期の駅前マンションを購入・引っ越しました。
都内、新宿の現場へは例え応援とは云え、立場的には朝礼に参加しますのて、6時台半ばの電車で横須賀線・中央線を乗り継いで逝かなくてはなりませんでした。
この時間帯でも既に車内は座れないどころか、つり革ひとつ確保するのが精一杯でした。
まだ湘南新宿ラインは開通していませんでした。
湘南新宿ラインは、2001年12月1日に運転を開始しました。
池袋、新宿、渋谷を経由して、東北本線や高崎線、東海道本線や横須賀線を直通運転する運行ルートです。湘南新宿ラインのメリットは、山手線東側の主要駅である池袋駅や新宿駅、渋谷駅、恵比寿駅などに乗り換えなしで行けることです。
また、群馬県の前橋駅、栃木県の宇都宮駅、埼玉県の大宮駅、神奈川県の横浜駅にもつながっており、都内だけでなく関東他県の主要駅へのアクセスも良好です。
今のような残業時間への「縛り」は全くなく、あくまでも現場優先でした。
深夜帰宅は当然電車もないので、新宿近辺のカプセルホテル、時には、自宅のある横浜までタクシーなのですが、新宿から横浜・戸塚区まで東京のタクシーは行ってくれないのです。
こんな長距離の客、飲んだ酔っぱらいでもない上客まなのですが、横浜の先までの時間と帰りのカラの時間を考えると、まだ都内で稼げる時間帯なのです。
昔、銀座の街角で一万円札をかざしながら、タクシーを捕まえる映像がありましたが、あの時代でした。
タクシーは新宿から環八の第三京浜まで行くと、降ろされました。
そこには横浜のタクシーが待っていて、横浜方面につれて行ってくれるのです。
横浜のタクシーもこの時間、東京都心まで行って、帰りカラになるのを嫌がり、この環八・第三京浜で客待ちをしている時代でした。
そして深夜2時過ぎ、自宅に到着、タクシー代金は16,000円でした。そして5時に起きて、再び戦場の現場に向かう日々でした。
あれから36年経ちました。
三連休の中日、季節外れの台風の秋雨前線も通過し、お天気は良さそう、今年の猛暑と加齢による体力低下にも体が慣れてきた日曜日、兼ねてから撮影したかった東京都庁のプロジェクションマッピング の撮影に出かけることにしました。
都庁の工事に携わってから36年間、一度も都庁の側でこのバブルの塔を見上げたことはありません。
勿論、都庁の屋上展望台に行ったことも有りません。
行きたくなかったのです、行くと絶対にあの頃の苦労や、対外的な交渉、客先やら協力会社・職人さんとの折衝がフラッシュバックとして蘇ってくるのです。
同じような物件がもう一つあります。
都庁が終わってから4年後、これまた押し付けられた現場、横浜を代表する高層ホテルの現場、時はバブル弾けた直後、会社としてはどうしても担当出来るレベルの人間がおらず、立ち上がりの施工打ち合わせ、図面打ち合わせの期間のみ、自宅か横浜の私に振られてしまい、短期、立ち上がり時期だけという約束で、行きましたが、最悪の現場でした。
すでにバブルは弾け、予算面ではきつく、最初から赤字覚悟の客先の予算を提示され、この先発注されるホテル内部の受注で穴埋めするような内容でした。
この頃から、この仕事と自分の老後生き方について考えていました。
今でも覚えています。Windows95が発売された翌年です。私は既に自宅マンションのローンは完済済みで、カミさんと二人如何に早く、目標金額に達したら二人共早期退職して
海外に出ようと考えていました。
48歳、目標とする金額にまだ遥か及ばないけど、このままこの高層ホテルの現場を担当し続けると、いつかは爆発する。
爆発する前にやめようと思うと、カミさんに云うと、「私も辞める」と云います。
いつかこの件に関してブログで一部書いていまので割愛します。
結局カリブ海が三ヶ月、ゲストハウスの調査をして日本に戻った時、私はまだ使えると「業界の判断」で退社せず、否、退社出来ず大手ゼネコン出向で退職する55歳までこの業界にいる事になりました。が、私が途中で「放り投げた」現場、高層ホテルの前は何度も通りますが、中には入りません、入りたくなかったのです。
都庁のプロジェクションマッピングを見に来ても、設計図の段階から隅々まで知っていますし、設計事務所との細かいやり取りまで覚えています。
結局、あの柱をどなったのか、あの配管シャフトはあの位置にしたのか、・・・もう30数年前の出来事を走馬燈のように思い出して島しまいます。
久しぶり、何年ぶりかの新宿駅下車です。
この都庁撮影の日、プロジェクションマッピング の開始は18時30分からということで、少し早めに自宅をでて、一足先に新宿東口に出て、歌舞伎町を目指しました。
湘南新宿ラインを使うので新宿駅は良く利用しますが、滅多に降りたことは有りません。
新宿駅西口はまだ、淀橋浄水場の面影が残っている頃から知っています。
1967年、私が日本を離れる年、西口にその当時大流行となる「ボーリング場」が沢山あったのを覚えています。
そしてアルゼンチン時代を過ごして日本に戻ってきた時、ちょうど西口で超高層ビル建設ラッシュに入っていました。
やがて、建設バブル時代、客先の接待では新宿東口へはよくでかけました。
東口の歌舞伎町から二丁目方面まで、仕事関連でよくでかけました。
今回撮影目的は、新宿歌舞伎町再開発のシンボルです。
目的の場所旧新宿こま劇場の跡地に立てられた、新複合施設「新宿東宝ビル」、2015年、新宿・歌舞伎町にオープン。「新宿東宝ビル」の核をなすのが、都内最大級の映画館「TOHOシネマズ新宿」と、超高層ホテル「ホテルグレイスリー新宿」。
何より撮影したかったのは、TOHOシネマズ新宿、ビルの8階、初期の映画の設定と同じ大きさになるようにゴジラヘッドが設置されていて、
まるで新宿にゴジラが出現したかのような光景を見ることができる。
この週の前々日、日テレで「ゴジラ-1.0」を見ていて思い出し、この今回の都庁プロジェクションマッピング のついでにと思ってよることにしました。
歌舞伎町、「トーヨコ」と云えば話題の若い女の子、JKの集まる話題の場所、団塊オジサンとて興味があるが、へんな誤解を招きたくないので遠目から見て置こう
、ついでに嘗て知ったる大久保公演あたりも、カメラなしで歩いてみようかなと思っていましたが、やはりやめ時ました。
歌舞伎町から都庁広場へプロジェクションマッピングへ
秋の三連休中日の日曜日、前日までの雨は上がれリ、風は多少冷たい秋の風ですが、お天気はよく、プロジェクションマッピングが映し出される東京都庁第一庁舎前広場に行くと、都庁展望台に行く、東京見物の国内、海外からの観光客が大勢並んでいいました。
東京都庁の展望室は、南展望室と北展望室ともに無料で入場できます。予約も不要です。しかし、並びます。およそ3時間待ちと云います。
私が行った4時過ぎから並び始めると、ちょうどこの季節、夜の大都会の風景を眺められる、東京タワーとスカイツリーのライトアップ2つがも見れる、と人気の時間帯なのです。
展望台は北と南にあり北展望台は現在工事中で2025年春まで閉鎖されています。
プロジェクションマッピングはこの日、5時半からでした
季節ごと、月毎、日没時間に合わせて、上映時間は変化しますので、確行く必要があります。
都庁のプロジェクションマッピングとは、夜間の観光振興の活性化に向けて、東京の夜を彩る新たな観光資源を作るため、代表的なランドマークである都庁第一本庁舎をキャンバスに光と音で多彩なアートを表現するプロジェクションマッピングを通年で上映しています。
しかし、このイベントを請け負っているのが、「電通」であり、費用総額は年間10億円となり、かなり都民から税金無駄遣いの声がでているイベントです。
今回の撮影のメインは、都庁第一庁舎の全面に映し出されるプロジェクションマッピングです。
季節ごとに映し出されるものは違い、この日のものは、「ゴジラ」「日本情緒風景」「ゲームパックマン」でした
1作品5分、3本で15分、次の上映まで15分の休憩と、30分に一本の上映です。
皆さん、スマホやカメラで撮影していました。
私は、ビデオカメラでしたが・・・実際の感想は、いろいろ観光地(京都)でプロジェクションマッピング見てきましたが、もうイイヤ・沢山・つまらない
が本音でした。
それよりも、観光立国が本当に日本にとって正しい選択であったのか、考えさせられた一日でした
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