今月、シニア姉妹の中欧五カ国七歳の旅 by 旅好きおけいの個人手配旅行中のトラブルに刺激されて、私たち夫婦のこれまでの海外旅行のトラブルの幾つか、特に前回は、ロストバギジについてかきましたが、今回は第二弾、海外旅行、特に個人旅行では付き物の航空機トラブルについて、思い出しながら書いて見ます。
今回のトラブルは飛行機が飛ばない話
飛行機が遅れる・・ではなく飛ばない話
日本の国内線では、飛行機が天候により飛ばない、フライトキャンセルのニュースはかなり目にします。そんな時羽田の各航空会社窓口では、長蛇の列となり、キャンセル手続きや振り替えや、宿泊の為に色々混乱しているのをお見かけして、大変だろうなと思ってみていますが、これが個人手配の国際便それも、外国の航空会社だったらと思うとゾッとしますが・・・しかし、かなり確率で起きうることなのです。
■ 単純に遅れる場合
もう、これはどんな理由であれ、受け入れるしかなく、飛んでくれるだけ、ラッキー感謝するしかありません。
特にアジアの国内線の場合、もう飛んでいただけるなら幾らでも待つしかありません。
それも、都会の大きな空港なら待合室も多く、フライトボードもあるような所なまあ、ゆっくり待つしかないのですが、小さな地方都市の場合、ろくに英語も通じないような地方都市の場合は焦ります。
<例>カトマンズからのポカラ便
当初私達二人はのんびりと現地の高級観光客特急バス(ツーリスト)で行く予定でした。
しかし、実際にカトマンズの旅行社はいくら高級特急バス(ツーリストバス)といっても、日本のバスのような訳でもなく、時間も8時間かかる云いますし、山道で事故も多いので飛行機でいくように勧められました。
飛行機なら30分で行けるのですから、と極力空路を勧められました。
それは解っていたのですが、初めてのネパール、空の上からひとっ飛びよりも、バス旅の好きな私は色々な街を縫っていくバスを選んだのですが、最終的にはツーリストバスであってもトイレはついていない、トイレは途中の路上?とう話になり、かなりその点では、日本の女性として逞しいカミさんも、やっぱり飛行機にしようかと、直前にフライトに変更しました。
その時、カミさんには、ネパールの国内便の事故率の高いことは云いませんでしたが・・・
当日、カトマンズ、国内線ターミナルでチケット(ワラ半紙に手書き)を貰い、出発ゲートはどこか聞くと、そのうち、アナウンスがあるというのです。
フライトボードはと見ると何処にもありません。
すると、向こうで大きな声、とうやら英語らしいですが、良くアジアのバスターミナルで「何処とこ行きのバスがでるよ」とやっているあの呼び込みをやっているのです。
近寄ってこの手書きのチケットを見せると、まだだと云います。何時と聞くと、分からない、ポカラからの帰りの折り返し便だといいます。
途上国の国内線は似たりよったりで、飛んでくれるだけありがたいのです。
結局、フライトボードがないのでこの案内人の叫び声の聞こえる範囲で1時間待って、ようやく乗れました。
2004年の話です、今はどうなっているか知りません。
<例>パナマシティからサンブラス島便
中米パナマのカリブ海に浮かぶモラ刺繍で有名な島にセスナ機で飛びます。
まだ暗い時間パナマシテイ空港のローカル線乗り場に行くと、小さなセスナが停まっていて案内されました。
乗客は私達夫婦ふたりと、現地のクナ族らしきファミリーで合計8名で満席のようです。・・が乗る前に手荷物をすべて軽量するのはわかるのですが、一人づつ、体重計にのって計量し座席位置を指定されました。何度セスナにのるのは慣れていましたが、初めてでした。乗って理由が分かりました。
8席の座先の奥になんと生きた豚が乗っていたのです。
これはこのクナ族ファミリーの手荷物のようでした。
サンブラスのホテル一軒だけの小さな島3泊しての帰り、ホテルが帰りのフライトを手配してくれました。
何時のフライトかと聞くと、行って見ないと分からない、と云います。フライトスケジュールなんてなくて、客がいれば飛ぶ、空のタクシーのようなものでした。
小さな島の集まりのサンブラス諸島では、外国人が宿泊出来るホテルのある島は2つだけ、で島のホテルがすべて送迎手配をしてくれました。
翌朝、ボートで空港のある島に行き、ホテルの主人は時計を見て上空を見上げています。
空の彼方からセスナが近づいてきて、着陸せず上空を通過していきました。何で?と聞くと、満席で降りてこなかったのです。
後2時間は、パナマ方面に飛ぶフライトはないので、ホテルに帰って朝飯にしよう・・・、つくづく私はスペイン語が堪能で、パナマシティから長期滞在しているコスタリカ・サンホセのフライト予約をしてこなくて正解だったと思いました。
これには後日談があります。
刺繍や手芸の大好きなカミさんは、サンブラスの島で沢山のモラ刺繍を買ってきたので、パナマで最高級のパナマホテル内の専用ショップのオーナーオバサンの所に挨拶に行こうというので行きました。あいにくその日、オーナーの店主は不在で娘さんがいました。
サンブラス諸島へ行ってきた報告に来たというと、彼女はびっくり「私のママは世界一のモラ刺繍の専門家で、日本で紹介する本を出版している第一人者だけど・・・
サンブラス島には一度も行ったことはないのよ」と云います。「エー本当」「だってあのセスナ何度、パナマのジャグルに墜落したことがあるのか、私も絶対に乗らない」と云いました。
この話は1996年の話、今でもそう変わっているとは思えませんが・・・
<例>シンガポールからマダカスカルの首都アンタナナリボへのフライト
世界遺産やら、団体パックツアーでは行かないような、世界遺産の地に行くには、個人でいくか、その方面の専門旅行社を通すかしています。
ある年、お付き合いのあるアフリカ専門店から連絡があり、シンガポールからマダカスカルまでのフライトが開通したので行ってみないかと云うのて2つ返事でOKをだしました。
フライトは成田・シンガポール乗り換えシンガポール・マダカスカルです。
成田午後便でチャンギに夜ついて、マダガスカル航空に乗り換えようと空港職員に尋ねると、マダガスカル航空?」と不思議顔をします、何処かに連絡して聞いて
いるようで、理由はつい先週このチャンギに就航したので解らなかつたとようです。
乗り換えエリアのマダガスカルフロントに行くと、機材故障によるフライトキャセルの張り紙が一枚あるだけです。
真夜中、知らない空港に置き去りです。
なんとかアジアの模範空港チャンギですから、英語は通じるので、メインフロントに相談しました。
解ったのはマダカスカル航空の事務所はシンガポールにはなく、シンガポール航空の子会社がすべてここの代理業務をやっているそうで、連絡をとってくれました。
事務所は空港内にあったようですぐに来てくれて、フライトは明日の午前中に変更、今晩は市内にホテルを確保するのでそこに泊まって下さい。
今日・明日のタクシークーポンとホテルカードを渡してくれました。と、その前に手荷物の積替えの確認をした所、一応間違いないと思うけど、クレームタグを預かります
と云うので、明日、乗る時マダカスカルへのクレームタグを間違いなく私に下さいとお願いしました。
ホテルにはいったのはその深夜2時過ぎでした。
この翌朝のマダカスカル航空は、これまた最終のアンタナナリボ空港に4時間遅れで到着しました。
この時のマダカスカルは私の旅史上日最悪でした。
マダカスカル内の国内線は季節外れの台風で3日間飛ばす、ホテルに缶詰、8間の旅で観光したのは2日だけ、おまけに帰りのシンガポールへのフライトがこれまた、機材不良で4時間遅れ、かろうじて成田へのフライトギリギリという有り様でした。
この話2000年。現在マガかスカル航空は国際線は飛んでいないと思います。
エンジントラブルによる遅延・或いはキャンセル
すべてではありませんが、機材を沢山持っている航空会社は、ディレーや機材のトラブルがあっても、代替対応できるのですが、余裕の少ない、或いは全くない中小航空会社は場合、結構大変なことになります。
<例>成田・トロント・ブエノスアイレス便 2006
普通、今まで日本から南米、ペルー・ブラジル・アルゼンチンへ飛ぶ場合、JALまたはUAのLAX経由が一般的でした。
価格は高いですが一番アクセスが効率的で20時間台で目的地に到着できる利点がありました。
しかし、航空業界の競争と、ブラジルの大手バリグの倒産で様変わりしています。※2020年代は、中東・ヨーロッパ経由が一般的ですが・・
そんな時、成田からブエノスに行くルートして、カナダ航空が巷で注目されるようになり、なるべく安い料金と最短距離の北米ルートして利用者が増えている時期、初めて利用しました。
しかし・・・成田空港到着時、既にカナディアンは機材トラブルで3〜4時間遅れの状態でした。
このままでは、トロントからの南米ルート便に乗り遅れますので、相談すると直ぐバンクーバー便がでるのでそれに乗って、国内線線乗り換えトロントで行ってくれという訳で急遽、バンクーバー便に乗り込みました。
しかし、バンクーバーで成田からのチケットを見せて、トロント便を探すと、手荷物・スーツケースの積替えが出来ない恐れがあるので無理と、ブエノス便には間に合わないのが判明しました。
結局、次の次のトロント便に乗り、トロントで航空会社が手配したホテルに一泊となりました。
お陰でトロントタワーに登ることが出来ましたが。
入ったホテルでブエノスの空港に迎えに来る予定友人に国際電話をして、フライトが一日遅れになることを伝えました。
翌朝のチェックアウトの時に国際電話の請求をされました。航空会社のせいで泊まったけど、国際電話料金は会社に請求しろと云っても、やはり無駄で30ドル近く払うことになりました。
結構、個人旅行をしているとこんな事も多く、手荷物には最小限、着替え・洗面道具・必要な書類、メモは入れておかないと拙いことを改めて学びました。
<例>成田・ストックホルム・キルナ便 2002年
北欧、スゥェーデンの北極圏の街でオーロラを3晩みる阪急の格安パックツアーが込み込みで10万を切るのをみつけて、行くとこにしました。
予定では成田からストックホルムまでノンストップで行って、国内線に乗り換えて北極圏の街「キルナ」で先ず最初の夜を迎えて、オーロラを見る予定でした。
しかし、成田空港でスカンジナビア航空のエンジントラブルで数時間ディレーすると云います。
とういうことは、今日中にキルナにはいれず、ストックホルムで一泊しも翌日キルナに向かうことになります。
北極圏でオーロラを見る機会が3回から2回に減ることになります。
空港の阪急社員に問い詰める、今、この時点でツァー参加をやめることは可能で、全額返却しますと、云いました。
折角、今やっている現場を抜け出して、格安10万以下でオーロラをみてくると、宣言してでてきましたし・・・仕方なく、行くことにしました。
とりあえず、スカンジナビア航空に対して、2時間以上のディレーだから、成田空港での食事券を出すように要求しました。
航空会社によって違いますが、スカジナビアは20ドルのクーポン券をだしてくれました。
この2時間と制約を知っておいて下さい。でも多くはサンドイッチとカップコーヒーというほうが多かったです。
<例>成田・マニラ・バンコク・ムンバイ・イスラマバード、PIA航空
日本人若者バックパッカー御用達のPIAには、何度乗っていますが、まともに飛んだことは一度もありません。
このパキスタン航空の成田発、イスタンブール便は「アジア出稼ぎ便」と呼ばれていた、東アジアからヨーロッパに出稼ぎにいく人たちが多く利用する便として有名ですが、一度として定刻とおりに飛んだことありません。
イスラマバードから同じ機材でレバノン・トルコ経由パリまで飛ぶ、稀有なルートなのです。
現在もあるかどうか分かりません。
何度乗ったか?今でも鮮明に覚えているのはイスラマバードからバンコク経由成田に戻る飛行機がバンコク空港着陸時、翼から炎が上がるのを車窓からみえました。
でも、飛行機内はそうパニックにもならず、平然とゲートに着きました。
しかし、いくらなんでもこのまま、同じ機材で飛ぶとは思えません。
アナウンスでは、エンジントラブルの為、出発が遅れるという云います。するとマニラ方面に戻る出稼ぎフィリピン人は、まずは食事を要求してからバンコク空港内での居心地のよい場所、眠れそうな場所探しをして、なんと彼らは自前のブランケットを用意しているのです。
彼らに、そり毛布何処で手に入れたと聞くと、「いいや、これは自前、パキスタン航空を利用するには必需品だと云います」
結局私はこのバンコク空港に3日間足止めされました。その理由は「今、パキスタンから修理部品取り寄せている」という信じられない言葉でした。
3日間、フィリピン人と仲良くなって、聞かされたのはパキスタン航空「P I A」って「Pakistan International Airlines」だけど本当の意味知っていると?
Pは「perhaps」多分、Iはそのまま自分のI、Aは「arrival」到着
多分、自分は到着するだろう?だって、
パキスタン航空神話というものもありました。
PKは絶対に落ちない・・落ちる前に飛ばないから
ちなみに2024現在、PIAは日本路線はありません。
旅にトラブルは付き物です。
英語の「トラベル(Travel)」と「トラブル(Trouble)」は、同じ語源であるという説と、関係がないという説があります。
「トラベル」の語源は、ラテン語で「労苦を伴う努め」という意味の「トラベイル(travail)」という説があります。
現在のような交通網が発達しておらず、主たる移動手段が徒歩であった時代を考えると、この説も納得できます。
次回の旅のトラブルの話は
■ 時差と夏時間
■ タクシーとバス
■ ホテルトラブルについて 予定しています。
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