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2024年07月20日

山田洋次 夢をつくる 映画俳優「笠智衆」


朝日新聞土曜版で不定期掲載で、映画監督山田洋次のコラム「夢をつくる」が掲載されています。
団塊世代ど真ん中、昭和23年うまれの私・・・段々と和暦と西暦の変換ができなりつつあり、数年前から自分の記録は全て西暦で印し、覚えるように
なっています。一つには、ほぼ7年近い、青春時代の年月を日本以外の土地で暮らして、まともな社会人生活は帰国した日本という人生から、西暦何年
のほうが身についています。
このブログのはじめに、なんで西暦・和暦の話からはいるかと申しますと、今日のテーマは「松竹映画」の世界にかんする話題ですから。

昭和レトロ映画館相生座

平成の真ん中あたりから、私が生まれ育っ長野市の商店街にある松竹系の「相生座」が盛んに映画雑誌でとりあげられ、日本最古?のレトロ映画館として、日本中の映画ファンの聖地となっていると聞き、なんでと不思議でした。
私の生家の真ん前の映画館で、子供の頃からこの映画館の入口付近が遊び場だったのです。
でも、演っている映画は「成人女性系系」の映画で興味はありませんでした。
同じ町内に、東宝系の映画館でゴジラやってたり、同じ町内に東映系の「ヤクザ映画」「チャンバラ」をやってましたし、15分ほど駅方面に歩けば、「日活」系の映画館があり、「吉永小百合」「和泉雅子」「芦川いづみ」がいました。
申す少し大きくなると「成人映画専門館」同じ町内にできて、ドキドキして前を通るようになりました。
今、団塊世帯と呼ばれている年齢のオジサンたちは、よほどの田舎町育ちでも、町内に一つ映画館があった時代です。
そんな子供の頃から映画に親しんできて30前に結婚した時、二人で初めて映画館で見た映画を撮ったのが、今回のプログの主人公、山田洋次です。

映画監督 山田洋次 1931年生まれ 93歳
何度も私はブログでこの映画「幸せの黄色いハンカチ」をテーマにブログを書いています
し、映画も映画館でみたり、テレビ最放送のたびに一人、自分の部屋に籠もって見ています。
そして数年前、やっと念願がかない、ロケ地の一つ「夕張」に行くことも出来ました。
おの映画、あのヤクザ映画の「高倉健」が生まれ変わり、その後日本を代表する大俳優となった作品で。山田洋次のこれまでの「夢をつくる」のなかで度々登場してきました。
2022・5 夕張幸せの黄色いハンカチ広場へ

今回は話題は「俳優・笠智衆」さんのお話でした。
笠智衆 男はつらいよ 御前様役
私たち夫婦が早期退職した翌年2004年に現在の住まい越してきた時、我が家のの一つ手前にある一軒のお宅の「表札」に目がとまりました。
「笠」の一文字です。もしかして、ここは鎌倉・大船、松竹大船撮影所があった所、もしかするとあの俳優「笠智衆」のお宅なのかなと思いました。
住み始めて、この地に溶け込むために、趣味のクラブ、ボランティア、市行政に関わってくるようになり、写真クラブの会長さんが、元松竹撮影所でかなりの地位にいた方と知り、聞いてみました。
「うちの近所に”笠”の表札を見かけるが、あの俳優、笠智衆さんなのかな」と聞くと、そうだよ、静かで駅に近く良いところだよな。とわかりました。
笠智衆 1904生まれ、1993年死去 享年89歳。私がここに越してくる10年前になくなっており、現在はご家族がお住まいのようです。
今回の山田洋次監督のコラムの一部ほ紹介します。

引用
「私は女の笠智衆になりたい」と吉永小百合さんが云ったことがあった。
ひとかどの役者なら誰もが理解できる言葉なのです。
その昔。かの名優森重久弥さんが「寅さん」シリーズに出演してくれたことがあります。
ある日、彼と食事しながら話をしていた時、僕はシリーズではお寺の御前様としてレギュラーメンバーだった笠智衆さんの話題にふれると、森繁さんはふと、表情を改め手にしていた箸
を置き、「山田さん、わたしのようなつまらない役者の前で、笠さんのよ偉い人の話をしないで下さい」と云われてちょっと驚いた」攻略



笠智衆が世に出た「東京物語」の時、彼は40代だった。
笠智衆 東京物語
名作小津安二郎監督の「東京物語」1953年て70代りの父親役を演じたのは、彼が48歳の時。
笠さんはいかに自分を老いて見せるかの努力に終始した。
「演技などしていません。背中に綿をいれて猫背にしたり、少し微笑みを浮かべることでも顔にしわを作ったり、そんな老ける苦労ばかり、妻役の東山千栄子さんは60代、ご自分と同じ
齢ですからとても構いません」
山田洋次はこの小津安二郎の名作「東京物語」リメイク版「東京家族」を2013年に撮っている。
この時の父親役は「橋爪功」妻役は「吉行和子」だった1941年生まれ、この時72歳だった。
映画のなかでは実年齢とほぼ同じであり、この映画を見ていた私は65歳。
東京に暮らす実の息子夫婦の家を田舎から訪ねる老いた夫婦を演じる姿を、10年後の自分に当てはめてみていた記憶があります。
橋爪功演じる父親が和室の畳から立ち上がる時、手をつきゆっくりと体を起こし、何か捉まるところがないかと目で探して立ち上がる演技、見事と思ってみていました。
そして、今、自分は76歳、ほぼそれに近い姿勢で、畳の部屋から生活にならんとしています。


松竹大船撮影所はもあありません
大船撮影所
跡地は一時期、松竹の映画パークとなりましたが、二年で閉鎖し、跡地に鎌倉市の芸術館、鎌倉女子大、そしてショピングセンターとなっています。
山田洋次監督は今年93歳、私達が知ってる過去の大俳優の言葉通して、笠智衆を語っています。
誰もが知っている新劇の俳優、宇野重吉さんがこんな名言ら語っていた。

引用転載
ぼくが一緒に芝居したくないやつ、つまり絶対に食われてしまう相手が三通りある。
そのひとつが犬や猫、これは自然そのものだから敵わない
次に子供、いい芝居をしようなどと思わないから敵わない
三番目が笠智衆、絶対ら食われてしまう


無欲の人、日本人は昔から憧れるタイプだけど、今はあまり聞かなくなったような気がする
金、地位、権力、名声、贅沢、資本主義の世の中の手に入れたい価値、目指す価値とは全く無縁に過ごしてきた美しい人、それが笠智衆さんでした。
この、山田洋次監督の言葉、思い当たる節があります。
現在の笠智衆のお宅の表札は今はありません。
あの、映画界の名優のご自宅というと大豪邸を思い浮かべるかもしれません。
確かに、鎌倉著名人の大豪邸は沢山ありますが、笠智衆のお宅はごく普通・・というよりやや陽当り面では少ない、西向きのお宅で裏は崖です。
敷地も隣近所とおなじような広さで60壺程度で、普通に生きてきたご家族なのでしょう。
ただ、本名だけに名字が珍しく目立ってしまうこともあったでしょうが、この近くのマンションにお住まいの世代は「笠智衆」の名を聞いても解らないでしょうし、
あの「男はつらいよ」の柴又帝釈天の「御前様」役といっても、半分以上の方々は知らない時代に来ているのでしょう。

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ