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2024年04月15日

映画アカデミー作品賞「オッペンハイマー」を見に行く


日本の興業映画館の封切初日は毎週金曜日と決まっています。
アメリカのアカデミー賞の最有力候補作品と噂されていた、原爆開発をテーマにした「オッペンハイマー」が予想通りに最高の作品賞をとりましたが、賞決定の一週間前日前・3月11日まで、日本での劇場公開が決まっていませんでした。
普通、これまでのアカデのミー賞の有力作品はノミネートされた段階で、日本国内の映画館で上映されていたのですが、今回「オッペンハイマー」に限っては、異例で正式に国内の上映が決まったのは、受賞発表後でした。

これら日本での劇場公開について、CNNは以下のように報じています。

3月29日、日本の映画ファンにようやく「オッペンハイマー」を鑑賞する機会が訪れた。
原子爆弾の開発を主導した米科学者の伝記映画は8カ月前に世界各国で公開されたが、核兵器の恐怖を直接経験した唯一の国でどのように受け止められるのかを巡っては懸念が浮上してもいた。
英国系米国人のクリストファー・ノーラン監督が撮った本作は今年の米アカデミー賞で作品賞を含む最多7部門を受賞。
2023年公開の映画として最も成功した作品の一つとなり、同じ週末に封切られた「バービー」と掛け合わせた「バーベンハイマー」なる造語を生むなど、世界的に話題を集めた。
しかし昨年のそうした盛り上がり方を多くの日本人は快く思っていなかった。
それは痛みを伴う映画の内容についても同様だった。
作品は破壊的な威力を持つテクノロジーを中心に据え、J・ロバート・オッペンハイマーと彼の率いる科学者チームがそれを解き放つ過程を描く。
日本では、非公式の「バーベンハイマー」の語と共に本作が宣伝される状況を受け、1945年に行われた広島、長崎への原爆投下が軽視されていると感じる人々もいた。
配給元のユニバーサル・ピクチャーズは、昨年7月の世界公開に日本を含めない選択をした。

上映時間3時間に及ぶこの伝記映画は、昨年7月の公開以来米国では複数の記録を更新。
ユニバーサルによると、第2次世界大戦期を舞台にした映画としては史上最高の興行収入を叩き出したという。
日本では先月29日の公開後、最初の週末の興収ランキングで4位につけた。
興行通信社が明らかにした。公開から3日間の興収は3億7900万円だった。
宣伝活動の一環として、ユニバーサルは長崎の被爆者、朝長万左男氏に見解を求めた。
朝長氏は長崎県被爆者手帳友の会会長を務める。
作品の日本語公式ホームページに寄せたコメントで、同氏は映画後半の主人公の苦しみに言及した。
作中でオッペンハイマーは、戦後に起こった核兵器の開発競争に反対する活動を始める。

「これは核なき世界が遠のきつつある現在の世界の根本問題にもつながる。ここにノーラン監督の政治家の責任を追及する秘めたメッセージが感じられる」。そう朝長氏は語る。
一方、平岡敬元広島市長はオッペンハイマーを「矛盾に満ちた人間」と評する。
科学者の研究成果が、国家によって殺人兵器に利用された。
後にその科学者は核の脅威を秘匿する危険性を訴えたが、警告は同じ国家の機関によって無視された。
「その頃の空気は今の時代にも満ちている」「もう一度観て、核抑止力を信奉する国家とは何か、を考えたい」



これは、映画好きの私も懸念していました。

この映画の日本公開が決定していない随分前から、映画館での予告で公開日未定としながらもどんどんと映画館内限定で予告編ををやっていたのです。
3時間の長丁場の映画です。
いつもの、自宅から一番近く、足の便がいい、東海道線辻堂駅前のショッピングモール「テラスモール湘南」で9時45分入場、13時までの上映です。
私が見に行ったのは日本封切の一週間後の土曜日です。
いつものシネコン「109シネマ湘南」では、このオッペンハイマーは2つのスクリーンで演ってました。
【IMAXレーザー】シアター10 312席 料金追加600円
IMAXレジスタードマークレーザーは革新的な4Kレーザープロジェクターと12chサラウンドシステムを備え、これまでの限界を超えた映画のリアリティ、鮮明度、コントラスト、豊かな色彩、臨場感あふれるサウンドを実現。
もう一つは通常のスクリーン-3は229席 通常シニア料金1,300円です。

土曜日の9時45分から3時間の長丁場の映画です。

前日の朝、ネットで取った席はI-5二席の通路側です。
それもスクリーン入場口に近い階段のほう
最近、二時間の映画館で最後のいい場面まで、トイレが保ちません。最大でも1時間30分が限度ですから、この3時間のオッペンハイマーは、もしかすると二回トイレに立つことになりそうで絶対にも確実に通路側を選択しなくてはいけないのです。それもなるべく入口に近い席を。
座って観客席を見上げると観客の入りは3分程度、そして観客の世代、年齢層は思っていたよりも高いのです。
ほとんどの若い世代は見かけません、若い女性はゼロ、観客のほとんどは、シニア世代と推測される一人観客、男女半々ぐらい、そして60代以上の御夫婦の二人連れ、一般的な映画でよく見かける、シニア女性グループはいませんでした。

ストリーは戦後のオッペンハイマーへの尋問の回顧映像です。
戦後のアメリカはマッカーシー旋風が吹き荒れた時代でした。
マッカーシー旋風とは
1950年代のアメリカの共産主義あるいはその同調者に対する取り締まり運動。
1950年から共和党員マッカーシーによって推進され、「赤狩り」があらゆる社会で猛威をふるった。少しでも共産主義的発言をした人物、政治家、経済人、科学者そしてハリウッドの映画人の多くもこの時期に追放されたり、米国を去った、チャップリンもこの時に米国を去った。
この時、第二次大戦を終わらせた、原子爆弾製造の立役者オッペンハイマーも標的となった。
彼の弟や妻が戦前、労働運動に関わり、一時的に米国共産党員であったこともあったし、ニューメキシコの実験場に雇ったイギリス人科学者がソビエトから、協力資金を得ていたことなどが明らかにされていた。
オッペンハイマーへの非難・攻撃の黒幕はアメリカ政府内部にあった。
オッペンハイマーは世界を救った大英雄ともてはやされていたが、彼は、その後の水爆開発の中止を求めていた。
あまりも巨大な力を持った兵器であることを強調し、原爆を日本に使った事を自身を責めていた。

映画のなかで、象徴的なシーンがあった。
オッペンハイマーは原爆を作り、アメリカ人兵士のこれ以上の戦死・負傷を救ったと持て囃されているのを悔やむ発言を繰り返しており、大統領トルーマンの前で心の内を発露した。
しかし、トルーマンは云った「原爆を作れと命じたのは、アメリカ政府であり、それを日本に投下を命じたのは、アメリカ大統領の私だ」と。
オッペンハイマーがタイムズ紙の表紙を飾った本を彼に投げ返した。

エンディングも象徴的でした。

オッペンハイマーは公園で散歩中のドイツから逃亡してきた同じユダヤ人科学者「アインシュタイン」とすれ違い、短い言葉を交わす
アインシュタインは、この原爆製造「マンハッタン計画」には参加していなかった・・というより拒絶していた。
この時の会話は映画のなかでは、無言・・サイレントで表現されていた。
結局3時間の映画のなかで、私は二回トイレにたちました。
タイミングとしては、国の査問委員会でのオッペンハイマーへの質疑・応答の場面映像の時、抜けてトイレに行き、戻ってもさしたる変化のない映像でした。
一人で映画館に行き、自宅に戻るといつものかカミサンの質問が待っていました。
「どお、私でも見れる映画?」
「いいや、君はよしたほうがいい」でした。

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ