• もっと見る

2023年06月01日

終活は妻子、パートナーへの感謝・思いやり

高倉健1931年昭和6年生まれ、 2014年11月、83才でなくなった。
死後9年、知られていたなかったパートナーによって「最後の一年の季節(とき)」が文芸春秋に掲載されて読みました。
団塊世代の私は現在、この高倉健の写真(当時70才)の時よりも5年経っています。
高倉健最後の映画は『あなたへ』で、公開は2012年8月ですから、映画撮影時は80才であったでしょう。
映画公開後、2年ほどでなくなっています。
自分に置き換えてみると・・・
団塊世代の平均余命は令和3年のデータでは75才の平均余命は12.42才、令和5年にしてもさほど変わらぬでしょうから、私たち団塊世代が逝く年齢はだいだい、高倉健が亡くなった、82〜83と考えても良いでしょう。

高倉健さんの直接の死因は
パートナーの小田さんは書いています。
高倉健は日頃からクオリティー・オブ・ライフ(死の質)について考えていました。
そして、ちゃんと生き、ちゃんと死にました。
小田さんは私情を抑え、一人人間が死を迎えるまでの詳細を事実の積み重ねてで記録していました。
高倉健のちょっとした異変に気がついたのは2014年の元旦(82才)、二人で雑煮を食べている時のことだったと云う。
「いつもは残さず食べきっている高倉がこの日「残してもいい?」と云った。
戦中うまれ、食べ物のない時代を体験している高倉は食べ物を残すことは絶対にありません。
だから、あれ?いつもと違うなと思いました。
例え風邪であっても出されたものは全部たべきっていましたから。
2月に入り、痰の混じった咳が止まらず、体重が徐々に落ちてくる。4月に検査入院。そして医師から「悪性リンパ腫」であることを告知される。

引用 悪性リンパ腫とは

悪性リンパ腫は、
年間10万人あたり30人程度の発生と報告されており、日本の成人では最も頻度の高い血液腫瘍です。
一言で「悪性リンパ腫」と言っても様々な疾患単位が含まれており、頻度の高いタイプから非常にまれなタイプまで多岐にわたります。
悪性リンパ腫は、血液中の「リンパ球」ががん化した疾患であり、主にリンパ節、脾臓および扁桃腺などのリンパ組織に発生しますが、胃、腸管、甲状腺、肺、肝臓、皮膚、骨髄および脳など、リンパ組織以外の臓器にも発生します。
発生した部位により症状および診断の契機が異なります。正確な診断に基づき適切な治療を行うことで、少なくとも一部の病型は根治できる可能性があります


高倉は、病名を聞くなり間髪をいれずに「先生、何もしないとどうなるのでしょう」とまるで他人事のような冷静さで尋ねました。
医師は穏やかな表情を崩さず「死にます」とだけ告げたのです。

ここまで、読んで、まるで自分の最後をイメージしていました。
子供のいない二人だけの生活、カミサンも私も、ドクターの最終診断を告げられた時、高倉健とおなじ質問をすると思います。
そして、それを傍で聞いているカミサンも冷静でいるでしょう。
私として、この発病してから最後に至るまで一年間の病院での闘病生活の末に逝くのを理想としています。
寝たきりになり、介護の手を多く煩わせるような病では逝きたくないと常々考えています。

パートナーの小田さんの看取りは
11月10日午前3時、臨終を迎えるその時が近づいていた時、高倉はずっと何かを話していた。
でも、そのほとんどが聞き取れなかった。
最後に聞き取れた言葉は「慌てるな、あ・わ・て・る・な・・・」

今、75才の私と、72才のカミサン、子どもなしの家庭では、この言葉どおり「慌てるな、シミュレーターどおり」と云いたいと思っています。
かなり早い段階から、終活らしきものは普通のご夫婦よりも勤めてしてきました。
私の書斎の本棚はほぼからっぽ、写真アルバムは10年以上前にデジタル化し、ハードディスクのなか、撮りためた映像・ビデオは、クラウド、Webストレージに。
衣類に至ってはカミサンの分野なので、解りませんがほとんど日常着だけ、世界中旅して衝動買いしてきた、ガラクタもいつの間にかなくりました。
少なくとも、私が逝った後の残る物に関する整理、破棄には三日もあれば終えるでしょう。

一番の問題は、私が逝った後のカミサンの生活、特にお金に関してです。
高倉健さんのような莫大な財産なんてなくても、ハイパーインフレが起こらなかったら、少なくてもカミサンが95才まで普通に生活していける体制は整えていかねばなりません。
カミサンは、元医療関係者のわりにはキーボード入力が出来ない、パソコン音痴です。
私が逝った後の処理やら引き継ぎを出来るだけ、アナログレベルで対応できるようにしておかねばなりません。
そこで、この高倉健のレポートを読んで先ず最初に手をつけたのは
クレジット口座の整理・引き落とし口座の変更です。

私達夫婦は共に55才・52才で早期退職した時、お金に関して、夫婦共有財産と、各自個人財産の区別をはっきりさせました。
リタイヤライフスタート同時に、各々に向こう20年分、自由に使える、詮索しないお小遣い口座を造りました。
そして各々の実家からの仮に遺産収入があった場合は、そこにいれ、自由に使うよう取り決めしました。
カミサンも、私も上記の為のクレジット専用口座を持っています。
今回、考えたのは私のクレジット専用口座は20代の頃に東京都内に造った口座であり、あれから引っ越しを3回しています。
もし、このまま何もカミサンに説明もしなければ、私の逝った後、ほぼ一生現在の引き落としが続くのではと思案しています。

先ず問題を整理すると
この私のクレジット口座から引き落とされている、科目はなにか

■個人的なネット上での買い物
 ・・・これはいいとして
■毎月の二人のスマホ代
■ソフトバンク電気の電気代
■NHK放送受信料
■ネットサーバー利用料
■マイレージクラブの年会費
・・・まだ何かあったっけとネットの利用明細を調べました。
手元に銀行の通帳はありますが、月に一度の総額して印字されません。
少なくとも、私が逝った後、この銀行口座を閉鎖しなくてはなりません。
しかも、この口座のあるのは東京都世田谷区北沢です、下北沢はなく、北沢支店なんだ。
少なくとも、今できることは、消極的ですが私のクレジットからの引き落としを東京の下北沢ではなく、現在の住まいから徒歩圏そして、役所からの公金・補助金受け取り、或いは副業バイトの振り込まれ用の地元銀行にしようと動き出しました。
パソコン・ネットに慣れていれば、そんなに難しくもない作業ですが、アナログ的にやろうとすると、時間も手間もかかる世の中になっているのです。

今年中にやっておこうと考えているのは個人年金の早めの受け取りです。

私達夫婦の個人年金は、一般会社員ご夫婦から比べると、公的年金並みの比重があります。
早期退職でもあり、私の場合、若くして海外に飛び出していたので、日本の社会保険制度の元では23年しか働いておらず、幾ら現役時の給与が高いと云えやはり、総合的に低く夫婦二人の年間基本生活費が賄える程度で、ゆとり費やら旅行費・医療費などすべて個人年金の範疇です。
個人年金は生涯ではなく、全て年齢ごとに、60才から、65才から、70才から、78才と細かく何10本もの契約分けてきました。

理由は大きなものを一度に解約したり、受け取ると、掛けた年月や、受け取り差益額により確定申告が発生し、老後の生活の基本である、無税・非課税枠を超えてしまう危険性がるからです。
現在75から78才に受け取る予定の満期個人年金が、私とカミサンの分があります。
このままの状態でも良いのですが、もし私がこの三年間の間で逝った場合、カミサンは、この個人年金の請求にかなりの時間とストレスがかかることが予測されます。
先ず、一度に受け取っても課税対象にはならないと思われますが、万が一計算違いで、課税対象になると、国民健康保険料・介護保険の等級が急激にあがり、住民税も課税対象になる・・・あまり危険は出来ないません。
後3年間生き延びればいいのですが・・・

終活なんてエンドレスにあるはずです。
思いついた時に少しでもやっておけば良いのか。
ともかく、終活はパートナーに対する思いやりなのです。

ブログ管理人のホームページ団塊世代の海外ロングステイ 関連情報がメイン
  
ブログ管理人のwebサイト2011から2019年過去のブログ・アーカイブ

定年後の過ごし方サイト読者からの投稿・体験記事ページ

ブログ管理人の動画サイトユーチューブページ

ブログ管理人のつぶやきツイッター
posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ