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2022年09月15日

日本の階層社会 本当のお金持ちとは

爺ちゃんの代からの貧乏家系と語る兼近

先週の日テレ「24時間テレビ45」のチャリティランナーを務めたお笑い芸人コンビ「EXIT兼近」のインタビューのなかで語っていた話が印象に残っていました。
「生まれ育った家庭は、爺ちゃんの代から、両親、そして自分の子供時代を通して、貧乏・底辺の家系だった」
「子供心に、社会には金持ちと普通の人と、貧乏人の階層が存在するものだと思った」
「そして、その階層にはその階層なりの生き方、暮らし方があり、無理に抜け出し、這い上がろうとすると、軋轢・トラブルが起きることを知った」
兼近は、お笑い芸人としてデビューする前に、いろいろとヤンチャをして警察のお世話になっていた。
デビューして、テレビ出演する機会が増えて、過去の経歴が取り沙汰されるようになっても、持ち前の明るさ、トーク、と素直に自分のヤンチャな経歴を認める態度で、おおごとにはならずに、現在に至っている。
現在はタワマンに住み、後輩芸人二人と同居し、十数人の後輩芸人たちが最小限のアルバイトで生活でき、芸に精進できるような環境づくりを応援しているととの番組内の報道であった。

貧乏な社会の底辺で育った子供たちは分かっている

これは、昭和の始めの時代の話ではなく、現代の平成・令和の子供たちも十分に感じている話だろう。
もしかすると、私たちが育った昭和30年代よりも、この社会階層格差は拡大し、どうしようもない厭世感があるかもしれない。

「親の経済格差⇒子の教育格差⇒連鎖する貧困」子供心にも、我が家はよその家と違った貧乏な家庭であるという事を理解していました。
昭和30年のはじめ頃、小学校の教師に云われた言葉を60年以上経った今でも覚えており、忘れられません。

小学生低学年の私は、ひざが破れたズボンの履いて登校していました。
担任の教師は「学校にくるのに、そんな破れたズボンでくるな、家でちゃんと縫ってもらえ」と云いました。
私だって小学三年生ですから、そんなひざが破れたズボンを履く、恥ずかしさは解っています。
でも、母は父親が結核療養所に長期入院し、四人の小学生を育て、家業の八百屋をやり、食べさせるたけで精一杯で、子供のズボンの繕いまで手がまわらないのは、子供心に解っていました。
私は、この時の教師を忘れません。教師として当然の注意だったのでしょう。が、あの当時、学校の教師は、担当するクラスの生徒の家庭環境、背景などを熟慮・観察するような教師教育などは受けていなかったのでしょうから。

それでも、我が四人兄弟は育ちました。
姉は何故か、小学生〜中学の六年間、成績は学年トップで生徒のリーダーとして育ち、こんな貧乏な家の子なのに、県下最高の県立女子校に進みました
姉は当初、家庭が貧乏なのを一番知っており、一日でも早く外に働きにで、家、母の手助けを考えていたと思います。
近くに住む親戚も、まだ父親が結核療養所に入っており、下には三人の小学生もいる家庭では一刻も早く、社会に出て働くべきと考えているのは、4つしたの末っ子の私にもわかりました。
学校・教師側は、この優秀な姉を断固、進学スべきと反対し、辛うじて奨学金の手続きをして、高校にすすみました。
母はその当時、親戚や当時の福祉事務所から非難されたと後から語っています。
成長したあとから、姉に話を聞くと、勿論、すぐに働きたかった。
自分はよその子供とは違うことは解っていたから・・・
そして、奨学金は無償ではなく、高校卒業から結婚するまで返済しつづけたと云います。
双子の兄は、姉ほどの成績ではなく、一人は定時制工業高、一人は県下で有名な製造企業の企業内学校に入学・就職となりました。
私が、高校を卒業する頃は、父親の長い結核療養所病棟から退院して、幾らか危機的なな貧困状態から抜け出していました。

子供ごころに貧困の格差を感じていた
それでも、中学・高校時代に、同級生の家に遊びに行くと、私の家・家族との違い、格差について思い知らされました。
商売をやっている我が家と違って玄関のある家、綺麗な畳の部屋、小さいながら庭のある家、何よりも部屋の中が綺麗に片付いていました。
普通のサラリーマンの家庭と、社会の底辺、県下一の繁華街、花柳界の裏通りの小さな八百屋との違いを感じました。

私が中学三年の時、姉は高校三年で市内での就職に挑んでいました。
これまでの成績を考えると、姉本人も望む会社、企業どこでも就職出来ると思っていたようですが、現実は違いました。
県下一の銀行がダメ、市内の信用金庫がダメ、農協県連がダメ、大手保険会社の長野支店がダメ、と連続して四社の就職試験に落ちました。
原因は想像できます。
当時の金融とか大手企業は、家庭内申書調査は当たり前でした。
我が家の場合、住んでいるのが、借家・店舗、場所は県下一の花柳街、父親は病弱の上、パチンコ通い、ろくな財産・資産もなく、生活保護寸前までいった過去歴が
あるのですから、当時とすれば、就職希望本人よりも、先ずは育った背景が重要です・・・
これは当時というよりも、現在の結婚話では取り沙汰されていることでしょう。
結局最後は、県下一才女の女子校のエリートながら、市内から電車で通う郊外の工業団地の大手メーカーの下請け会社に就職しました。
この経過を私はづっと見ており誓ったことはこの底辺の環境から、自分ひとりだけで抜け出すことでした。
早く、高校を卒業して、この生まれ育った土地から離れて、東京へ向かう。
上級教育機関は、早く海外に出るために語学系へ進む。
海外にでてしまえば、日本の親・家庭環境、財産などの詮索はないだろうから。
と15才の少年の私は決意したのです。

この決意、なぜ若干二十歳を前にして、なぜあの時代に、そう思ったのか

これまで、実の両親にも、きっかけとなった姉にも一言も話したことはありません。
話せませんでした。
そして、もう一つの理由の底辺には、団塊世代の「大きな塊」「競争社会」の人生から逃げたかったのです。
このまま、大学を卒業するときには、否応なく姉が経験した試練と同じ世代間の競争があり、それが一生ついてまわる日本社会が見越せました。
海外に出て、一人、自由に生きていこうと決めたのです。

六年後戻ってきた日本は高度成長の頂点
海外の生活から戻り専門学校で学び直し、就職したのは日本経済が高度成長へと進む建設業界でした。
大手エンジニアリング企業の現場工事部門の子会社です。
この時にはもう、なんら、生まれ育った家庭環境も関係なく、過去の職歴も問わず、今、すぐに貢献できる資格、技能、能力、そして何よりも若さを求められていたのです。
自分のこれまでの人生で一番充実した時期でした。
バブルへと進む、建設業界、担当するのは東京都内の超有名建築物件、仕事にも、報酬にも恵まれた25年間でした。
この25年間、社会格差、階層格差、教育格差は全く感じませんでした。
働く仲間は、現場の職人さんから、大手設計事務所のエリート、ゼネコン担当者、メーカー技術者など、学歴も千差万別ですが、共通しているのは、技術力といいものを作ろうと云う意識たけでした。

日本社会の階級社会構造にはじめて接するのはリタイヤ後

やがて、55才で予定していた老後資金に達した早期退職して鎌倉に移り住みました。
海外ロングステイをメインに据えて、その他の日本いる間は、地元コミュニティ、ボランティア、市民活動、NPOなどに携わるようになり、55才で初めて日本社会の持つ多様な社会階層を知りました。

NPOで知り合う多くの退職者の人々・・・
そのほとんどは、勤めていた元企業は、日本を代表するような超一流大企業、聞かずとも自然に漏れてくる大学名は、東京・一橋・慶応・早稲田・・・
年金の話で出てくる金額は、私達の年金の常識の二ヶ月に一度の金額ではなく、一ヶ月の金額と知り、びっくりです。

そして、NPO事務所にスタッフとして勤める女性にしても、高齢の女性から、働き盛りの女性に到るまで、全て大卒、それも超有名、お嬢様学校が多く生まれて初めて、白百合・フェリス・聖心卒業者にお会いしました。
ある年、スタッフ女性が三年間、夫の都合で転勤するの休職するというので転勤先を聞くと「ワシントン」と云います。
ご主人の勤務先「防衛省」で駐在武官としていかれるようで、これで三度目の駐在だそうです。
私がサポートしていた、NPOの会計担当者は「公認会計士」で、一橋で石原慎太郎と同級生だったと云います。
私のこれまでの人生では全く無縁な人々が、鎌倉という土地がらお住まいになっているです。

でも本当のお金持ちは、日本の各地の私達の側にいるのです。

カミさんは一週間に5日、女性だけのスポーツ倶楽部「カーブス」に行ってます。
大した運動をする訳でもなく、30分間マシンを使うだけです。
更衣室もシャワー室もなく、下駄箱的ロッカーだけの施設ですが、なぜか、高齢者女性の間で人気です。
その大きな理由は「きよういく」「きょうよう」です。
退職男性と同じく、子育てが終わり、亭主が退職して家にいる時間が長くなると、何か理由・目的をみつけて外出したくなるのです。
毎日、一日に一度、カーブスに行くと、話し相手、おしゃべり相手がいるのです。
そんな、仲間は自然に自分と同じ社会階層を敏感に嗅ぎ取っているようで、グループ化していくようです。

カミさんは現在2つのグループに所属しているようです。
一つは、モノづくり、手芸や手先の仕事の大好きなグループ。
もう一つは、旅行好きなグループです。
この旅行好きグループか今回のテーマの「本当のお金持ち」です。
カミさんの話に登場するのは「〇〇のママ」、「◇◇婦人」、「元バツバツ婦人」、「△△オーナー夫人」です。
私達夫婦も他人からみれば、頻繁に旅行に行っているようにみえますが、貧乏個人節約旅行ですが、ここに登場するのは皆さん、「エーそんな金額の大名旅行」というようなものを毎月行くような人々です。
そして共通しているのが、関東周辺に別荘をお持ちです。
「軽井沢」「河口湖」「那須塩原」「箱根」などなど・・・
これら御婦人に共通しているのが、ご主人が有名レストランのオーナー、ご主人が開業医、ご主人が商店街のビル持ち、自宅の敷地に駐車場10ケ持ち、全員のご主人が勤め人、サラリーマンではなく、町中の土地持ち、経営者なのです。

如何に前述の大企業のサラリーマン、会社員、勤め人であろうが、この町中の経営者おじさんの収入には敵わないのです。
一つには、経費の使い方にもあるのは確かで、ご婦人方のカーブスの月謝も、先週カミさんも誘われて参加して、北鎌倉に新規オープンした「鰻屋さん」の4,000ランチも、ほぼ経費として処理しているに間違いありません。
カミさんには、私達は夫婦は元大企業の年金に恵まれた世帯でもなく、土地持ちでも、家賃、駐車場収入がある訳でもなく、蓄えを削って細々と、寿命を生きているのを忘れないでね、と釘をさしています。


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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ