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2021年10月14日

映画「ONODA1万の夜を越えて」と団塊世代との意外な繋がり

「ONODA1万の夜を越えて」

私は、映画好きで月に一度は、メディアで取り上げられような映画を見に行くのが楽しみです。

最近のコロナ禍で外出で少なくなり、まして、「72歳リーダー、決定権引退」を唱えて実践しているので、ますます暇になり、月一回ではなく、残り少ない人生(平均余命まで後8年)を思うと、見たい映画、行きたい場所は、時間もお金も惜しまずに行こうと思うようになりました。


先月の「MINAMATA」に続き、世界の音楽祭に出品されている日本映画、或いは日本を舞台として映画は見ることにしています。
今回の「ONODA1万の夜を越えて」は、カンヌ国際映画祭2021の「ある視点」部門のオープニング上映作品です。
受賞は逃しましたが、オープニング上映という、かなり話題を集めそうな、ユニークな作品であることは間違い有りません。
メディアで紹介され、私は直ぐに上映館を検索しました。
このようなカンヌ出品作品はなかなか、大手映画配給ルートに乗らず、都市部の大手シネコン上映されないことは分かつていました。
「MINAMATA」は特別でした。ハリウッド資本系列で、主演・監督がネームバリュウのあるジョニー・ディプなので、私の行きつけの大手シネコン、109シネマ
でやっていましたが、この「ONODA1万の夜を越えて」は、独立系制作会社や社会性のあるフィルムを率先して上映するミニシアター系、名画座系で上映されます。

私の自宅周辺でヒットした上映館、神奈川県では

TOHOシネマズ川崎、小田原、鴨居と、Kinocinema 横浜みなとみらいの4館のみです。
自宅から一番近いのは「Kinocinema 横浜みなとみらい」過去に何回も足を運んで、距離感もあります。
この館でみたのは「エルネスト もうひとりのゲバラ」です。
オダギリジョー主演のボリビアの日系青年がキューバ医学校で知り合った、キューバ革命の英雄、アルゼンチン人のゲバラと共に、ボリビアの革命に携わるお話・・・でした。
この時の上映館は、神奈川県ではここ、Kinocinema 横浜みなとみらいだけでした。

Kinocinemaとは

Kinocinemaは「Tutaya(蔦屋書店)が運営する、良質な映画、マイナーな、社会派映画、少数派映画を上映する、名画座系のミニシアターで、100席ほどのシアターが2つ、55席のシアターが1つのミニシネコンです。

一階は書店と喫茶が一緒になった今最先端のモダンな書店様式で、コーヒー・ケイキと一緒に購入した本をその場で読めるます、ちょっと聞いてみたいのはこの喫茶の場で、試し読みが出来るか、どうか、次に行った時に聞いてみようと思ってます。
最寄り駅は、JR横浜駅と元町・中華街を結ぶみなとみらい線のみなとみらい線ですが、初めての方は、横浜みなとみらい地区ってどんな所か、歩いていくことをお勧めてします。
桜木町から、ランドマーク内を通って横浜美術館方面へとあるくこと、10~12.3分です。


みなとみらい地区とは

ここは、一種の青春時代の思い出の地です。
1968年、ここ横浜から船でブエノスアイレスに向かいました。出発前に色々な手続きがあり、頻繁に桜木町駅にきています。
この当時、桜木町駅から旧三菱重工横浜造船所の広大なドックが広がっていたのを覚えています。
この跡地に1989年、バブル真っ盛りの頃、横浜市制100周年・横浜港開港130周年を記念して開催された万国博覧会が開催されました。
私は、この万博パビリオン建設の幾つかを担当していました。
私は40歳、なにも交通手段のない現場、横浜駅から毎日、歩いて道路もない広大な現場を駆けずり回っていました。
そして、同じように数年後、まだレインボーブリッジが開通する前の、お台場開発、それに伴う「ゆりかもめライン」全駅の無人化に伴うシステム造りに携わり、アクセス道路も泥だらけの現場を駆けずり回っていました。
ちょうど、「オウム」の地下鉄サリン事件に出くわした頃1995年・・・
ここ、みなとみらい地区にきて、立ち並ぶ大型ビルを見上げると、あの若さゆえに働きづめていた青春・壮年時代を思い出します。

映画「ONODA1万の夜を越えて」お話は

太平洋戦争終結後も任務解除の命令を受けられず、フィリピン・ルバング島で孤独な日々を過ごし、約30年後の1974年に51歳で日本に帰還した小野田寛郎旧陸軍少尉の物語を、フランスの新鋭アルチュール・アラリ監督が映画化。

終戦間近の1944年、陸軍中野学校二俣分校で秘密戦の特殊訓練を受けていた小野田寛郎は、劣勢のフィリピン・ルバング島で援軍部隊が戻るまでゲリラ戦を指揮するよう命じられる。出発前、教官からは「君たちには、死ぬ権利はない」と言い渡され、玉砕の許されない小野田たちは、何が起きても必ず生き延びなくてはならなかった。
ルバング島の過酷なジャングルの中で食糧も不足し、仲間たちは飢えや病気で次々と倒れていく。それでも小野田は、いつか必ず救援がくると信じて仲間を鼓舞し続けるが……

団塊世代の私達なら誰でもが知っているお話の映画です。

その二年前1972年に、グアム島でひとりの元日本兵(横井庄一さん)が発見されて、話題になりました。
私が南米から一時帰国したのは1975年ですから、この二人の元日本兵のニュースはブエノス・アイレスで知り、かなりセンセーショナルな、そして日本人の潜在的な戦士としての意識・考え方・生き方として報道されていました。
詳しい、潜伏生活、理由については日本に帰ってきてからのメディア報道で知りましたが、今回の映画でかなり深く知ることができました。

先ずグアム島の横井さん

私のカミサンが勤めていた当時の医療機関の院長は、元軍医で終戦当時グアム島にいた関係で、終戦後グアム戦友会の会長をしており、横井さん発見ニュースの後、戦友会を代表して直ぐにグアムに迎えに行ったそうで、何年か後に、お話を聞く機会がありました。

その時の元軍医の会長のお話は、ルパング島の小野田さんとの違いについて、かなり辛辣な意見を述べており、少し違和感・抵抗感を感じましたが、今回の映画「ONODA1万の夜を越えて」を見て、当時の将校クラスと一般兵との間にある、軍の組織の壁を感じました。

帰国した、ルパングの小野田さんに、グアムの横井さんとの対談のお話があった時に、小野田さんは拒否したと、後年伝えられいています。
自ら意思で残ったものと、恐怖と無知で隠れ続けたものと違い、全ての武器、天皇陛下からの預かりものを失い、銃剣を穴掘りの道具として使った者との会話を拒んだのではないかと、メディアから推測されたようです。
映画「ONODA1万の夜を越えて」のなかでは、食料は現地調達(現地住民からの略奪・・・)、発見された当時はかなりの銃弾を残していたようです。
そして小野田さんは、「発見された」のでもなく、自らの意思でもなく、投降でもなく、命令によって人々の前に姿を現した・・・

もうひとりの主人公、鈴木紀夫は団塊世代だった

この映画のオープニングはある日本青年(鈴木紀夫)のルパング島へ登場から始まります。
鈴木紀夫氏 1949年(昭和24年)4月 私達と同じ、団塊世代 法政大学経済学部二部中退
菅元総理と同じ時期です。総理は第一部法学部政治学科を1973年3月卒業です。
以下Wikipedia

1969年3月(21歳)
主にヒッチハイクでアジア各国を巡ったのち、中近東・ヨーロッパ・アフリカ大陸に至るバックパッカーの旅に出る。

1974年2月
小野田との接触に成功。
ルバング島には、日本語が話せる原住民が多く、日本語が話せるだけでは日本人と判断されなかったため、初対面の際には、小野田に銃を向けられて発砲される寸前だったが、毛の靴下にサンダル履きという原住民にはない珍妙なスタイルであったため、事なきを得る。
別れ際に小野田の顔写真をカメラに撮影、この接触により小野田の救出が現実味を帯び、3月に小野田は日本に帰国。
かつて「パンダ・小野田さん・雪男に会うのが夢だ」と語っており、最後に残った「雪男発見」に情熱を注ぐ
1975年7月
ヒマラヤ・ダウラギリ群の南東稜コーナボン側斜面の4200m付近に「5頭の類人物を望遠観察した」と主張。
1978年
結婚。喫茶店を夫婦で営んでいた。
1986年11月
ヒマラヤ・ダウラギリIV峰ベースキャンプ附近で遭難。
1987年10月7日
遺体発見。享年37。 


今回の映画を見てから彼の人生を初めて知りました。
同じ、団塊世代、21歳からのバツクパッカー人生、1978年結婚・・・全く私と同じ軌道を歩んで来ている、そして1986年、ヒマラヤで遭難、亡くなっている。
同じ年、私とカミサンは、新居ローン返済を記念してアジアへの旅にでていた。
そし帰路、そのヒマラヤ・ダウラギリ・K2をイスラマバード発の格安パキスタン航空の車窓から見ていた・・・

映画を見終わって外にでると、そこは、映画の世界と違った超近代的な町並み・・・
いつも見ている、辻堂の109シネマ湘南でも同じです。シアターを出ると、そこは巨大ショッピングモール、歩いているのはセンスの良い服をまとった湘南の若い、湘南の女性、家族連れ・・・しばらくは、映画の世界とのギャップに佇む自分がいます。
みなとみらい地区から桜木町へと歩いていくと、今年新たに開通した、「YOKOHAMA AIR CABIN」の姿が見えました。

YOKOHAMA AIR CABIN




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posted by 西沢 at 07:25| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ