CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

2021年10月06日

映画MINAMATA(みなまた)を見に行く

土曜日のTV番組「王様のブランチ」でリリコが紹介していた

この手の独立系、環境保護啓発系の映画は大手シネコンでの上映は無理だろう、どこか都心のミニシアター、或いは意識の高い名画座系でしか上映していないだろうと、検索すると、なんといつも超商用映画系の109シネマ湘南でやってるではないですか?

どうやら、ベルリン国際映画祭・特別招待作品というよりは、ハリウッドのジョニーデップの監督・主演というのがマスコミ・配給会社と上映館の気をひいたようです。

先週の金曜日上映開始、でさっそく日曜日朝一、8:35上演に行ってきました。
一番小さなシアターかと思いきや、シアター4。176席の湘南としては中程のシアターです。
先月観にいった「キネマの神様」は84席のシアター9でした。
古い松竹映画の懐古的映画よりは、ジョニー・デップの環境ものの入りが多いと踏んだ、劇場側・・・決断は正しかったようで日曜日の朝イチ、8時35分開演なのに、土曜夜のネット画面では、私の好きな、一番上の端の席は埋まっていました。

客層は・・子供、年寄、おばさんグループはほぼゼロ、上から会場を見回してみると、コロナで使える席は半分なのですが、その半分以上は入っているなと、踏みました。都合50~60人程度、この手の内容としは意外に多いのか。

109シネマの入場客予測AIコンピューターはの実力を今回の「MINAMATA」と前回の「キネマの神様」で見せつけられました。
さして如何に自分は、生きてきた、見てきた、体験してきた経験で判断しているかと云うことを理解しました。
ベルリン楽祭特別招待・・・か、芸術的でも、娯楽的でもなく、興行的には難のある作品だけど、何か賞はあげなくてはいけないのでは、と云った作品なのでしょう。

上映作品概略
アメリカの写真週刊誌LIFEの廃刊最終号飾った、企業による環境汚染・公害告発の発端になった水俣病を扱ったものです。

ジョニー・デップが製作・主演を務め、水俣病の存在を世界に知らしめた写真家ユージン・スミスとアイリーン・美緒子・スミスの写真集「MINAMATA」を題材に描いた伝記ドラマ。
1971年、ニューヨーク。かつてアメリカを代表する写真家と称えられたユージン・スミスは、現在は酒に溺れる日々を送っていた。そんなある日、アイリーンと名乗る日系女性から、熊本県水俣市のチッソ工場が海に流す有害物質によって苦しんでいる人々を撮影してほしいと頼まれる。

そこで彼が見たのは、水銀に冒され歩くことも話すこともできない子どもたちの姿や、激化する抗議運動、そしてそれを力で押さえ込もうとする工場側という信じられない光景だった。
衝撃を受けながらも冷静にカメラを向け続けるユージンだったが、やがて自らも危険にさらされてしまう。
追い詰められた彼は水俣病と共に生きる人々に、あることを提案。
ユージンが撮影した写真は、彼自身の人生と世界を変えることになる。
アメリカの写真週刊誌LIFEの廃刊最終号飾り、世界各地で起こっている。経済優先の産業廃棄物による環境汚染告発のきつかけとなる。



映像の展開、狂言廻しは妻のアイリーン・美緒子・スミスさん(71)です。

米国人の父と日本人の母の間に東京で生まれ。
11歳で渡った米国では、物が壊れるたび「日本製だから」と言われた時代にアメリカで育った。ほぼ私達同じ世代です。
「公害で人が重い病気になったり、亡くなったりしているって?」。
水俣病の被害を日本の知人から聞いたのは1970年秋、米国でのことだった。
後に夫となる写真家、ユージン・スミス氏(78年に59歳で死去)とすぐに来日を決断。
こうして世界に衝撃を与えた夫婦共作の写真集「MINAMATA(ミナマタ)」が誕生した。
写真集を基にした映画が「MINAMATA」です。
水俣病の公式確認から65年を経た今、世代や国を越えて映画に関心が寄せられるよう、本作は脚色が施されている。
だから、水俣病についての知識がなくても十分、映画に没頭することができる。
一方で、合間に挟まれる記録映像や写真、患者たちの言葉は、水俣病事件が確かに起きた事実であることを絶えず観客に突きつける。

水俣病とはWikipedia引用

1931年(昭和6年)、熊本県水俣町(現・水俣市)にある日本窒素肥料株式会社(チッソの前身)水俣工場の技術者の橋本彦七らは、カーバイトからアセチレンを作り,これを水銀触媒を使ってアセトアルデヒドに変える一連の合成方法を発明し、特許原簿に登録した。
1932年(昭和7年)から同工場で操業開始。アセトアルデヒドを原料とするブタノール、酢酸、酢酸エチル、無水酢酸、酢酸繊維素、酢酸ビニールなどの製品化に成功した。1938年(昭和13年)、橋本は水俣工場長に就任。
1941年(昭和16年)、チッソは日本で初めてアセチレンから塩化ビニルへの合成に成功した。橋本は戦後、水俣市長を通算4期務めた。

チッソは、アセチレンの付加反応に金属水銀を用いており、目的の反応生成物を取り除いたあとの工業廃水を無処理で水俣湾に排出していた。
そのため、これに含まれていたメチル水銀が魚介類の食物連鎖によって生物濃縮し、これらの魚介類が汚染されていると知らずに摂取した不知火海沿岸の熊本県および鹿児島県の住民の一部に「メチル水銀中毒症」がみられ、これが水俣病と呼ばれることとなった。
環境汚染の食物連鎖で起きた人類史上最初の大規模有機水銀中毒でかつ世界中に知れ渡った公害病である。

有機水銀は自然界にごく普通に存在し、魚介類で有機水銀を含まないものはない。
人間は日常的に魚類から有機水銀を摂取している。
日常の食事などからの摂取が一定の範囲内であれば、適切に排出され問題はないが、大量に摂取した場合は排出しきれず蓄積され、激しい中毒症状を引き起こす場合がある。
後年わかるように、水俣病は昭和20年代後半から30年代前半に、触媒の変更によって、一時に爆発的大量の有機水銀が海中に放出され、それを摂取した魚類が適切に排出できずに高い濃度で蓄積し、さらにそれを食べた人間に激烈な中毒症状が発生したものである。
水俣病はいわば量的問題で起こったものであり、自然界における摂取と排出のバランスの崩壊で発生したものであった。
当初は原因が分からず「奇病」と呼ばれていたが、地名をとって「水俣病」と呼ばれるようになった。原因が解明されたあとは、同様の公害病の呼称にも用いられた。
水俣病、第二水俣病(新潟水俣病)、イタイイタイ病、四日市ぜんそくの4つは、四大公害病と呼ばれる。



あの頃の日本、そして私は

水俣病裁判でチッソが原因と正式製造側チッソの不法行為と賠償責任を確定したのは1973 年 3 月でした。私はこの頃、まだ南米で青春時代を過ごしており、70年代前半の日本の公害について無知でした。
帰国してからは、日本国内の公害問題を耳にすることが多くなり、作家「石牟礼道子」さんの「苦海浄土―わが水俣病」は読まなければと思っていましたが、タイトルのおどろおどろしさに身がすくみ、これまで読んだことありませんでした。

日本の企業体質、隠蔽体質、そして政界・官界・経済界との切って切れない結びつき、或いは癒着があるの理解していました。
しかし、それは70年代~80年代のことで、「公害」は、発展途上の、住民・国民を無視し、産業発展を優先する中国では当たり前に起きているけど、今の日本では過去の話と思っていましたが、2011東日本大震災の東京電力の体質、対応をみていると、違った形の公害ともみとれ如何に、一般市民の監視の目が必要であり、企業の情報公開が必須、義務であるかが問われますが、長年日本経済のセンター的位置に属していた自分たち団塊世代のこれまでにやってきた仕事を振り返ると、例え時代は違うとは云え、一種の犯罪行為に手を貸していたと云うことは消しようのない事実です。

バブル時代の建設業界は、設計通りの機能・仕様を守り、如何に現場の努力でコスト削減し、利益を上げていくかが、私達現場担当者に課された一番大きな仕事でした。外からは、或いは専門家以外は絶對にわからない方法でのコストダウンと云う名の手抜き、或いは設計段階から、過剰な設計、原価設定、見積もりはがまかり通っていたのです。
今考えれば、これも、一私企業が利益を優先し、一般大衆の得るべき利益を蝕んだ「公害」ではなかったのかと・・・映画を見終わって考えました。

すこし気になること・・・水俣と現皇室の関係
映画館から帰ってくるとカミサンはいつも同じ質問をします。
「どう、私達シニアおばさんグループでも見れる映画」
「どうかな・・社会意識の高いNPOボラのおばさんなら解るけど・・・ちょっとむずかしいな」
「でも何で?公害問題がテーマだよ」
「現皇后陛下、雅子サマの実家が、水俣チッソの社長って聞いたことがあって!、でも単純にそれだけ話!、私って難しい話は苦手だから」

ヤフー知恵袋 参照

ヤフー知恵袋に質問

水俣病を引き起こしたチッソと皇太子妃雅子様は、いったいどのような関係があるのでしょうか?詳しい方々、ぜひ教えてください。
公に口外は、はばかられる事なんでしょうか?


ベストアンサーは

別に口外して憚られる事ではないと思います。
調べれば分かる事だし多くの人は既に知っていること。
水俣病を引き起こしたチッソの社長、江頭豊氏は皇太子妃雅子さまの母方の祖父。
彼は水俣病被害者に対し「死んだ魚を食べる乞食がカネせびりに来たな」「腐った魚を食べるから汚い病気にかかる。伝染るから近づくな」(株主総会で一株株主の患者達に)と恫喝したり、暴力団を雇って患者や新聞記者を襲わせた。
この時、アメリカ人カメラマン、ユージン・スミス氏(水俣病の写真を世界に発信していたことで有名)が脊椎を損傷。片目を失明した。
このような人物の血縁者が皇室に入る事には当然当初から賛否両論あり、皇太子さまも婚約内定会見で「チッソの事もあり宮内庁から慎重論が出ていた。一時は断念せざるを得なかった」と仰っています。
皇居に怨旗が立つと言った者もいたようです。水俣病患者や遺族の方々にしてみれば、雅子さま自身には何の罪も無いにせよ国民と共にあるべき天下の皇室がチッソの親族を受け入れるというのは複雑な思いだったことでしょう。
そういう事もあって、東宮家が色々とうまくいっていないのは「水俣の呪い」だなんて言う人もいます。



ブログ管理人のホームページ
団塊世代の海外ロングステイと定年後の過ごし方

  
ブログ管理人のwebサイト
2011から2019年過去のブログ
posted by 西沢 at 07:58| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ