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2021年08月09日

人生で初めて、どっぷりと東京五輪2020+1を楽しんだ

ほぼ2週間連続の猛暑のなかの、東京五輪2020が終わりました。
こんなに毎日、朝から競技放送予定を新聞・ネットでチェックし、マーカーで線引し、リビングのTVのソファーに座って見るのは、これまで生きて来た73年の人生のなかで初めてのことだと思います。
この2週間のすべての生活スケジュールは、五輪競技のスポーツ中継に合わせる毎日でした。

8月6日(金)は夕方から行われる、鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の「ぼんぼり祭り」に、運動不足解消を兼ねて、久しぶり撮影に行く予定でした。

8月6日(金)〜8日(日)までのお祭りですが、土曜・日曜は混み、コロナ三密をさけたいのと、土日祭日のため、素人カメラマンが多く、ほんらいマナーの為にフラッシュをたいたり、灯籠に灯を灯す巫女さんの邪魔になる位置にきたりしはいけないのですが、それを注意するのも嫌で、地元カメラマンは、初日・平日に撮影に出向くが常識なのですが、急遽、変更して、東京五輪閉会式の行われる日曜日にしました。
昼間は雨で、夕方にでかけました。

理由は、男子サッカー3位決定戦が2時間、前倒しになると云うニュースを朝知ったからです。
女子のサッカー決勝戦が午前中だったのが、あまりの暑さに夜となり、男子の三位決定戦とダブルので、場所も時間も変更になったのです。

コロナ感染リスク避ける為に金曜日夕方に行くか、五輪サッカー三位決定戦を生で見るか?
迷うことはありません、生で五輪サッカー三位決定戦、しかも1968年、メキシコ五輪いらい53年ぶりのメダルがかかる試合、それも相手は同じメキシコとなれば、迷うことはありません。
鎌倉ボンボン祭りは、来年もやっていますが、この五輪のメダルがかかるゲームは、おそらく、私の人生ではこれが最後でしよう。
1968年の、メキシコ五輪の釜本が活躍した試合を私は見ていません。私はブエノス・アイレスにいて見ててないのです。

日本の選手と外国人選手の違い
ぼんぼり祭りは毎年やるのだから、四年ごとのオリンピック、しかも何十年越しのサッカーファンの夢、メキシコに勝ってのメダルと思って見ていましたが、3-0となった時点でチャンネルを変えました。もう見ていられない。
それは、日本人選手の若さか、真正直すぎる日本人気質かもしれませんが、甘すぎる。
日本人選手、若者の熱意は分かりますが、中南米の若いサッカー選手は、意気込みが違います。
彼らはこれからの人生をかけて戦っているのです。
ファールを演出する、ズルをする、審判を騙す、なんて当たり前のことなんです。
かれらメキシコ選手はファールをもらうための転び方、演技の仕方を子供の頃から、叩き込まれてきているのです。
フェアーではない、と云う見方・考え方は全くないのです。

中国の卓球選手の活躍を見て、引退した福原愛ちゃんも同じことを云っていました。
彼らは、国内の一戦、一戦から人生がかかつている、例え練習試合でも負けたら、次はないと叩き込まれている。
ましてや、国際大会、オリンピックで日本を相手に負けたら、その人の卓球人生はおろか、これからの引退後の人生まで大きく変わってしまうのは間違いない、と語っていました。
混合ダブルスで負けた、中国女子のエース「劉詩雯」がテレビカメラの前で涙している姿は、衝撃的でした。

もしかして、これが私がみる最後の五輪になるかも
高校生の時の1964東京五輪でTVの前に釘付けとなって見ていた記憶は、「東洋TVの魔女」の女子バレーの対ソビエト決勝戦だけです。
高校2年生でした。ですから、当時日中行われていたマラソンも、陸上も初のメダルとなった重量挙げも、全ての記憶に残っている映像は、後の市川崑監督の記録映画の中の一場面なのてす。

今回、このコロナ禍のなかで行われたオリンピックには、かなり多数の開催反対の意見がありましたが、私はカミさんの前でも口にだして云いませんでしたが、やってもらいたかったのです。
理由は公に、声を大にしてはいえないもので、・・ひとえに、「暇だから」です。

NPO団体の理事・役員・リーダーの72歳定年制を主張してきた私は、誕生日を機会に、全てのNPOボランティアの仕事から卒業し、団体向けwebサポートも講座も閉鎖しました。
それ以降、コロナ禍の影響もあり、暇つぶしの一番の柱である旅行も表立って行けず、定年退職直後の男性が陥る、居場所探しの気持ちが、17年後、初めて良く分かり、共感することになったのです。

少なくとも東京五輪・パラリンピックが行われる一ヶ月は、暑さ・コロナ自粛もあり、人生で初めて、どっぷりとオリンピックを楽しもうと考えた次第です。
そしてこの五輪から何かを考え、何か改めて習得したか?

一番感じたのは、「世代交代」です。

それは、初日の女子重量挙げから感じ続けました。
マスコミ上で、メダルが期待されると云う、過去に実績のあった選手が次々に、予選であっけなく消えて行く姿。
重量挙げで親子メダル実績のある、女子選手、水泳競泳の過去の栄光・メダルを背負った男性選手、体操会の頂点に何年も君臨した選手、バドミントン界の絶対王者、陸上短距離でマスコミから持ち上げられていた短距離選手、金メダルと云われた男子サッカー、テニス、etc・・・・
負けを非難するでも、責任を問うでもありません。
敗因は、素直に年齢・体力・技術が勝った選手より劣っていたからです。
今回、新たな競技は東京五輪から追加され、日本選手が驚くべき活躍し、メダリストに名を連ねました。
サーフィン・スケートボード・BMXの年齢の若さとそのスポーツを楽しむ姿勢に驚きました。
ただ単純に若いからいいのでなく、過去の経験・名誉・技術に頼るのではなく、自分で切り開いていく姿勢が素晴らしい・・・
どんどんと新しい競技が増えていきます。
スポーツクライミングの3つの分野、そして採点法も興味が引かれました。
そのうち、きっと電子ゲームもオリンピックの種目に加えられる日もくるかもしれせん。

これらの若者をみていると、自分の年齢・容姿・体力を振り返ってしまいます。
高齢者は自分の年齢・容姿・体力を振り返り、却って老化を早めてしまう、と云う意見があります。それは、確かに自分にも云えますし「いい年して年甲斐もなく」という言葉が人を老化させると云います。

引用
「いい年して年甲斐もなく」この言葉を周りの人から言われるのではないかと、したいことをできずにいる人は多いのではないだろうか?
年相応に生きることを世間に強いられていると感じる人も多いだろう。しかしその言葉こそが人の可能性を封じ込めて、人を老けさせてしまっているように思う。
「いい年して」なんてまったく時代遅れな言葉ではないだろうか? その人のペースで生きればいいものを、勝手な世間の物差し(しかも日本の現代に限った常識)で「この年齢だからこういうことをしなくてはならない」なんて窮屈でしかない。世界を見てみれば年齢に関係なく60〜70歳で新しいことを始める人だって増えてきているし、「何歳だからこんなことをするなんておかしい」と考える方がおかしい。
「いい年して年甲斐もなく」という言葉は「こうしたい」「ああしたい」という人間の欲求を封じ込め、可能性を奪い、成長を妨げる「呪い」のような言葉ではないだろうか?



考えるまでもなく、世代交代は生物学上・歴史上・社会学上、誰に促されるわけでもなく進んでいくのです。
当然、交代させられる側、先頭を譲る側に抵抗、反発があって当たり前です。
今回の東京五輪2021+1でこれらの若者スポーツを見て、改めて、自分たちの世代は終わっていくのだなと感じた次第です。

老兵は消え去るのみ・・・という言葉がありますが
消え去っていった、破れたさった、元メダリストのように、簡単に引き下がりはしません。
世間から往生際が悪い爺さんと思われようが、少なくとも後2年、後期高齢者と呼ばれるまでは意地汚く、社会にしがみついていこうと思います。
物分りの良い、素直な老人にはまだ早い。

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posted by 西沢 at 07:33| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ