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2021年06月24日

横須賀、百恵・竜童・米軍、どぶ板通り ヤンキーな香りの街へ

ちようど良いおでかけ日和り横須賀へ

齢を重ねるとしぜんに出かけるのが億劫になるのを、最近実感しています。
行った日は、昨日までの真夏日のような陽の強さでも、暑さでもなく、ほどよい雲も風があるようですので、出かけることにしました。
目的地は、横須賀しょうぶ園です。
サイト掲示板に、東海地方の菖蒲園の投稿画像が掲載されて、自宅周辺の花菖蒲畑を思い浮かべました。
自宅すぐ近くのフラワーセンターを行くとまだ3分咲き程度でした。
関東で有名な花菖蒲と云うと、東京「堀切菖蒲園」、千葉の「水郷佐原あやめパーク」埼玉県久喜市の「菖蒲城趾あやめ園」などがありますが、私の住まいの近くにも、有名な横須賀菖蒲園があるので、ネットで開花状況を調べ行くことにしました。

場所は横須賀です。
横須賀聞くと、「山口百恵」・「宇崎竜童」・「米軍基地」の町というのが団塊世代のイメージです。
何か廃退的・危険なイメージ、つっぱり、リーゼントが似合う街。
関東首都圏あるいは神奈川県に住んでいても、横須賀の正確な位置をご存じない方がかなりいます。横須賀を湘南と思っている方もいます。
鎌倉・藤沢・茅ヶ崎の海は相模湾であり、横須賀の海は三浦半島の東側の東京湾に面しているのです。電車は鎌倉を過ぎて次の駅「逗子」から左に曲がり、東京湾沿いに走り、南下して、京急線で三崎口へ、一方逗子から先の葉山へは電車は通っていません。

今日の予定は、自宅大船から⇒JR「衣笠」横須賀菖蒲園⇒JR「横須賀」のヴェルニー公園⇒京急「汐入」からどぶ板通り⇒京急「横須賀中央」から三笠公園の予定です。




横須賀は10数年前、鎌倉に越してきた年の大晦日に、JR「横須賀」前のヴェルニー公園でのカウントダウン花火に来ていらいです。
横須賀の中心部には、JR「横須賀」京急「汐入」京急「横須賀中央」と駅が3つあり、行き先目的に合わせて、上手に電車路線を選ばなくてはいけないのです。
一般的には東京・横浜方面からですと京急のほうが便利、安いでしょう。

10数年ぶりの横須賀菖蒲園です

最後に来たのは、当時所属していました写真クラブ「かまくらベアーズ」の月例撮影会でした。
まだカメラは駆け出しの頃で、諸先輩の大きな一眼レフカメラ・レンズ・三脚の値段を聞かされ、こまめに毎週、被写体を求めて歩き、動く姿を拝見して、鎌倉のシニアはお金持ちなんだと、早期退職直後、公的年金はまだまだ先の自分と比べていました。
時は、ちょうどリバーサルフィルムからデジタル一眼レフへの移行期の初め頃でした。
55才のAdobeFotoshopのエキスパートとして歓迎され、これを機会に鎌倉NPOなどで、講習会を開くようになり、リタイヤ後の全く新しい土地で暮らすベースが出来るきっかけとなったのが、この横須賀菖蒲園の撮影会だったのです。

シニアの写真クラブには元報新聞社勤務とか、過去に全国的写真展に入選した経歴を持つベテランなどの方が、講師を勤めています。
この時の講師の先生は元報道カメラマンで、素人カメラマンの撮る「花」と「富士山」を批判していました。
富士山も花も動かないのだから、綺麗に撮れて当たり前、花は如何に植物図鑑から抜け出すことが寛容と云っており、報道カメラマン出身らしく如何に人物を入れて、写真の物語を語らせるのが重要と云いました。
この言葉が後に、私をビデオカメラに移行させることになったのです。

横須賀軍港

JR衣笠駅から一駅戻ってJR横須賀駅へ
駅前はもう海でヴェルニー公園となっており、海上自衛隊の基地は目の前です。
名前の由来は公園の対岸にフランス人技師ヴェルニーが建設に貢献した横須賀製鉄所跡地が望めることで、現在はフランス式のバラの庭園としてパンフレットではうたわれていますが、観光客の大半の目的は、目の前に見える海上自衛艦・潜水艦の姿です。
戦前の日本や、現在の中国・ロシアでは考えられないような近さに、現役イージス艦が見えますし、対岸にかなり機密性があるでしょう真っ黒に塗られた潜水艦二隻が見え、乗務員の作業する姿まで見えるのです。
この風景を見ていると、日本が如何に安全な国なのかと思わされます。

どぶ板どおりへ

ヴェルニー公園まわりは、大きなショッピングモールと化しており、横須賀のショッピングエリアの一つです。
あちこちに「横須賀海軍カレー」のお店や、「横須賀ハンバーガー」のお店が立ち並び、若い観光客の行列が出来ていました。
「横須賀海軍カレー」のお店の看板をのぞくと、セット価格で1,200円、ビンボー、節約個人旅の私には高すぎるのと、そんなもので太りたくない、ましてや若者の多い店でコロナ感染したくないと思い、ショッピングエリアを離れて、京急「汐入」に向かいます。
京急「汐入」は横須賀米軍の最寄り駅です。
昔、東京駅に通勤していた時に、日本にまだ慣れていない、アメリカ軍人らしきグルーブに、横須賀線、京急線の電車、駅を聞かれことが多々ありました。
かれらが目指す「YOKOSUKA BASE」最寄りはJR横須賀ではなく、京急「汐入」なのです。
勿論、JR「横須賀」からでも歩いていけない距離ではないのですが・・・

お昼時となり、どこかで何かと考えた時、数人のアメリカ兵が「CoCo壱」に入るのを見て、久しぶりにココイチのカレーにしよう、ここは横須賀だしと思って入ると、お客は全員、外国人というよりも米軍関係者でしょう。
入り口のレジには入れ替わり、立ち代わり、ネットで注文したテイクアウトを受け取りにくる、若いアメリカ人ばかりで、お店の店員も上手に英語で対応していました。
「ひさしぶり食べねる、10年ぶりに食べる、CoCo壱のカレーは美味しかった」
いつも旅先ではカミさんと一緒なので、カミさん要望で極力ヘルシーなものになり、カレーやラーメンとなるのは何年ぶりでしょう。
お昼を食べて、どぶ板通りに向かいます。
どぶ板通りは、思っていたよりも垢抜けていました。
もっとディープな、危険な匂い、昭和の立川基地や横田基地、沖縄の普天間のような匂いや、雰囲気を期待していったのですが、「山口百恵」も「宇崎竜童」の世界は
もう過去のものとなっているのが、令和のどぶ板通りでした。

戦艦三笠記念公園

横須賀の中心は京急「横須賀中央」です。
今回初めて、「汐入」から「どぶ板通り」を通って京急「横須賀中央」にきました。大きなショッピングエリアです。
しかし、近年、この三浦半島の土地・不動産価格は、神奈川県のなかでも下落率が一番とされています。
ここ、横須賀はなんとか持ちこたえているのですが、この先の三浦市の下落率は顕著です。
何が原因かと云うと、三浦半島先端部にいくほど、地震に弱い構造帯、軟弱地盤帯と指摘されているからのようです。
そんなニュースの固定観念を持っていたので、横須賀中心部はシャッター通りなのかと思っていましたが、私の住む地域よりも何十倍も都会で賑わっていました。
ここから、今日の最終目的地、日露戦争のシンボルの戦艦三笠を展示している「三笠公園」です。
「三笠」は、明治35年(1902)にイギリスで建造された戦艦で、
日露戦争では東郷平八郎司令長官が乗艦する連合艦隊の旗艦として大活躍し、
明治38年(1905)の日本海海戦、ロシアのバルチック艦隊と戦い
大正12年(1923)に現役を退き、大正15年に記念艦として横須賀に保存されましたが、
第二次世界大戦後、占領軍の命令により大砲、マスト、艦橋などが撤去されました。そして昭和36年(1961)に現在の姿に復元された、本物の軍艦だそうです。

しかし、入場料は600円と高く、ただ東郷平八郎像と三笠のコラボ映像だけが欲しかった、貧乏シニアオジサンは、この一枚の写真で大満足でした。
ここから、素直にグーグルマップを見ながら、京急の駅3駅分歩いてJR横須賀に戻り、自宅には2時前にもどりました。
この日歩いたのは16,000歩 距離にして11km、運動して痩せたかと翌朝体重を測ると、300g太っていました。
なんで?、あの「CoCo壱」のプレーンポークカレーと、三笠公園のソフトクリームなのか

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posted by 西沢 at 07:30| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ