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2021年04月05日

埼玉の桜紀行 さきたま古墳群と熊谷桜堤

関東首都圏の桜のピークを迎えた、先週3月末日、今年の一つの目標であった伊豆の桜は、意外にも遅いのであきらめて、埼玉最北部の桜の名所に出かけました。
今年ほど、関東各地の桜の咲く時期とお天気を毎日ネットで検索し続けた日はありませんでした。
いつもの年の3月なら、すでに4月から数ヶ月先の国内旅行の予定が決まっているのですが、このロコナ禍の世の中、自粛せずにはいられませんし、昨年のGotoトラベルの価格・料金を体験してしまうと、今までの普通料金設定では全て、割高に感じてしまい、次の旅行はGoto再開を待ってから、という自然の流れになつてしまうのは、致し方ないでしょう。

この桜の季節を後何回愛でることができるだろうか?
今年、73歳という年齢を迎えて、しみじみ思いました。
73歳と云う年齢は、立派どころか、十二分に年寄りの年齢です。
団塊世代は若い・・・なんて粋がっているのは私達だけで周りから見ると、年寄りそのものなんです。
私は、70歳、古稀を迎えた春からいつも思うのは、この生命が芽吹く桜の季節を、後何回体験できるだろうかということです。
もしかすると、後数年かも知れないと思うと、まだ見たことのない桜の絶景をできるだけ見たいと云う、意思、欲望、願望が湧き上がってきました。
資金と体力とそして時間があれば・・・と思うのですが、今年はっきりと自覚したのは、春の桜は多少のズレはあつても全国いっきに咲く・・・当たり前のことですが
気力・体力・好奇心と多少の余裕のお金があっても、ひとシーズンに愛でられる「春の桜」はせいぜい3~4ケ所しかないのです。
もう来年はない、という覚悟で、「桜行脚リスト」を作り、可能な限り出かけることを決意しました。

今年の桜目的地は3つ
1,伊豆の桜名所 数カ所を二泊三日でまわる。
参考サイト 静岡県で花見を楽しむ
2,埼玉の桜名所15選
参考サイト 「ここは人におススメしたい!」と感じた埼玉県の桜の名所

3,そして長年の羨望の地 高遠城址の桜でした。

意欲満々、準備満タンの今年の春ですが、今年の桜は歴史的な早さ、そしてスピードで全国を駆け巡っています。
順番としては、温暖だから早かろうと予想していた「伊豆」⇒「埼玉」⇒「高遠」の順に周る予定でしたが、伊豆はなんと毎日見ていても桜は蕾のままで、東京はどんどんと咲いていき、一週間後には、北関東まで満開です。
参考サイト 全国の桜開花マップ

ついには、伊豆・静岡は、近いし、日帰りも十分可能なので先ずは、北関東さいたまの名所2箇所
行田「さきたま古墳群」の桜と、超有名名所「熊谷桜堤」を攻め終えてから、信州・伊那谷の「高遠の桜」と決めました。

お天気予報と桜開花情報でベストな日として選んだのが3月31日でした。
まずは、大目的地、行田市の「さきたま古墳群」です。



自宅から一本、2時間で最寄り駅「行田」に到着します。
退職した18年前まで通勤で使っていた電車の車窓には沢山の桜の木が見えています。
神奈川県内の車窓に見える桜はほぼ満開の様子なのですが、電車が多摩川越して都内にはいると、昔、毎日見ていた都内の公園の桜も、大きな事業所の桜並木も車窓から見てる限りでは、かなり散りはじめていました。
電車は東京・上野を過ぎ、赤羽手前の桜の名所「飛鳥山」を通り過ぎる時、見る散って緑の葉が目立ちはじめていました。
しかし、上野東京ラインが埼玉県内に入り、北上し始める、再び桜は勢いを増すようにピンクの色合いが目立ったきます。
東京の桜は、温暖化、都市熱、で隣の神奈川・千葉・埼玉より一週間は早い。これは喜ばしいことではなく、危険サインだ。
現役時代、何十年も通勤で見慣れた、春の桜をこんなふうに見ることになるとは・・・

目的地の行田に近づき、路線図を見て思い出しました
行田の手前の「吹上」の駅、昔、東京都内を担当していた時、守備範囲外の埼玉県、それもはじめて名前を聞く「吹上」と云う駅近く、新しく建てる工場の設計を依頼(押し付けられ)されたことを。ああの時の町だ、あの工場どうなったのだろう・・・当時横須賀線沿線に住んでおり
朝の打ち合わせには始発電車に乗って行ったのを思い出していました。
そして最寄り駅「行田」に降り立ち、観光案内書に立ち寄って初めて知ることばかりでした。
これから向かう「さきたま古墳群」は現在の埼玉県の県名の由来となった古代の遺跡「さきたま」の地であり、世界文化遺産登録を目指しているとのこと、そして行田はあの映画「のぼうの城」「忍城」の地である事を知りました。
ストーリーは

周囲を湖に囲まれ、浮城とも呼ばれる忍城(おしじょう)。
領主・成田氏一門の成田長親は、領民から「でくのぼう」を略して「のぼう様」と呼ばれ、親しまれる人物であった。
天下統一目前の豊臣秀吉は、関東最大の勢力北条氏の小田原城を攻略せんとしていた(小田原征伐)。豊臣側に抵抗するべく、北条氏政は関東各地の支城の城主に籠城に参加するよう通達した。支城の一つであった忍城主の氏長は、北条氏に従うように見せかけ、手勢の半数を引き連れて小田原籠城作戦に赴きつつも、裏では豊臣側への降伏を内通していた。
「武州・忍城を討ち、武功を立てよ」秀吉にそう命じられ、石田三成は大軍勢を率いて忍城に迫る。軍使として遣わされた長束正家は、成田氏が既に降伏を決めていることを知りながら、戦を仕掛けるためにあえて傲慢な振る舞いをし、まんまと策略にはまった総大将・長親は「戦」を選択した。当主・氏長より降伏を知らされていた重臣たちは、初め混乱するが覚悟を決め、かくして忍城籠城戦は幕を開けた。


ここが、石田三成が水攻めでも攻め落とせなかった、小田原北条方で唯一残った城「忍城」なのか・・・
神奈川に住んでおり、近所に北条方の歴史が残るお寺が多数あるのに、忍城があるところを知らなかった、とは。
行田駅前から「さきたま古墳群」に向かう市内循環バスは、この「忍城」跡の水城公園前を通っていきます。





私は、古墳好きで、退職後海外旅行を卒業してからというものの、国内旅行で行く先々で古墳があると寄るようにしています。
こんなに規模が大きく、そして美しい古墳公園は初めてです。
バス停を降りて古墳公園にはいるとすぐに、小高い塚に立派な桜が数本見えました。
塚のてもとにはお地蔵さんが三体祀られていました。
これが、本来の日本の塚の風景なのでしょう。

大きな、そして美しい古墳公園です。

いくつある前方後円墳のなかで、ひときわ円錐形の綺麗な古墳の上に桜の木が植えられ、この古墳の頂上まで木造の階段が作られており誰でもが登れる、という桜とともに楽しめる偉大な歴史遺産なのです。
絶対お勧めの古墳と桜の名所です。



埼玉の定番桜名所 熊谷桜堤

関東の暑い夏のなかでも特別の猛暑として知られる、関東平野の内陸、荒川に沿った堤は桜と菜の花の共演と知られている埼玉を代表する桜の名所です。
熊谷は、埼玉の田舎と思っていましたが、大違いでした。
新幹線の停車する立派な駅舎に驚かされ、エキナカには「日高屋」も「CoCo壱番屋」もある大都会の駅の様相です。
この埼玉を代表する桜の名所は、駅から徒歩5分と、足の便も抜群です。
この日は平日ですが、お天気はピーカン、外国人留学生、実習生らしき若い女性が目立ちました。


駅からの一本道で案内板はいっさいなくても、誰でもが簡単にこれる桜名所とあって、例年は桜まつりの提灯と屋台が埋め尽くす画像・ニュースがなれている場所
で、なんとはなしにこれまで敬遠してきました。
桜と菜の花のコントラストは、同じ埼玉では「幸手権現堂」が有名で一度行ってますので、ニュースを見てて、あの混雑と猥雑さはパスと思っていましたが、桜と菜の花と青空の規模、展開、コントラスは、「幸手権現堂」を大きく上回ると、私は思いました。

そして、「幸手権現堂」との違いは、誰でもが菜の花畑のなかに荒らさない、踏みつけない限り自由に入って、一緒に写真を撮れることです。
荒川河川敷・桜並木・菜の花の写真は数枚撮れば、誰も同じ写真・画像構成になりますが、人物が入ると全くちがった、個性のあるオリジナル写真になりこのネット時代、映える、バズる写真を目指して、若い女の子がカメラを方に菜の花畑で撮影していました。

今週は、この春最後の桜、高遠城址公園だ!

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ