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2021年03月08日

旧東海道五十三次 権田坂から戸塚宿まで歩いてみた

自宅の裏山でウグイスの初鳴きが聞こえた日、今日は退職時まで住んでいた、二駅横浜よりの東戸塚駅の歯医者さんに行く日です。
昨年の暮れ、部分入れ歯でお世話になってから三ヶ月ぶりの歯医者さんです。
特別、今スグに治療が必要な箇所ではないのですが、前歯が歯槽膿漏でぐらついていたのを、医療用接着剤でとめていたものが、すこし変形気味になりそうなのです。
食事にも見た目にも何ら影響はないのですが、この週、急遽、胆管の痛みで内科に駆け込んでの検査費用が、私、低所得者の一ヶ月の医療費限度額をオーバーをしましたので、今月分の医療費は全額戻って参ります。
多少、後ろめたい気持ちはありますが、これも医療制度の一つ、私達(?)低所得、高齢者の為のセーフティネットの一つとして使わせていただく為に、今月は歯まわりをしっかりと治療するつもりです。

お昼は回転ずしスシローで

急遽、歯医者へ行くことを決めたので、診療予約時間は10時15分と少し早い時間でした。
治療計画を決め、とりあえず今必要な処置が終わったのが10時40分、11時まで後20分もあります。
なんで11時かと云いますと、回転寿司「スシロー」の開店時間が11時なのです。
わが鎌倉・大船の街なかには、地方都市の国道沿いによく見かけるような、全国展開のファミリーレストランや、回転寿司や、ファストフードチェーンははなく、昔住んでいた頃にはなかった東戸塚の歯医者さんに行った時には、お昼を「スシロー」で食べることにしていたのです。
60代の頃は、久しぶりの一人で食べる回転寿司となると、カミサンの目を気にせずに、思い切り食べれたものが、古希を超すあたりから好きな光り物、青物魚をメインに5~6皿も食べれば、十分満足です。
カロリー的にも、お財布的にもリーズナブルです。

しかし、その為にスシローの開店を待つ、シニアおはちゃんと一緒に並ぶのは・・・
それに、この日はカミサンの誕生日で、午後あるいは夜には、二人のささやかな贅沢として、有名店のモンブランケーキがでてきそうで、なるべく昼のカロリーをセーブしておかないと・・・と考え、お天気も良いので、一駅分、戸塚まで歩くことにしました。

権田坂下から戸塚宿へ

歯医者さんのある東戸塚は、新駅・・と言っても30年以上まえですが、東海道五十三次でいえば、保土ヶ谷宿と戸塚宿の中間あたり、お正月の箱根駅伝の往路の難所、権田坂のある場所です。
今では、おしゃれな高層マンションの立ち並ぶ、山の手方面の観光果樹園あたりに旧東海道が残っており、今でも平日のお昼頃、ハイキング姿のシニアのみなさんが地図を片手に歩いている姿を見かけます。
平成から令和の現在では、権田坂も東海道も、国道一号線となり、東海道五十三次往時を見いだせるものは、碑ていどしか残っておらず、歩くにはそんなに楽しい、気持ちの良い道とは云えません。

この道を歩くのは35年ぶりです。

35歳の時に世田谷からこの横浜の地に新居購入して、引っ越しした直後、東戸塚の駅前は私達の入居した高層マンション以外、何もなく、原っぱでした。
引っ越ししてきてから、35歳と32歳の若夫婦は、ご近所探検と称して、休日の午後、この旧東海道沿線や、国道1号線を唯一大型スーパー「ダイエー」がある戸塚方面に歩きました。
東戸塚駅から権田坂方面に降りた、国道一号線沿線は、当時は大企業の工場街でした。
小糸製作所・ヤマザキ製パン・ポーラ化粧品・ブリジストン、現在でも残っていますが、ほとんどこの地では生産・稼働しておらず、煙のでないクリーンな工場としなっているようです。
昔、二人で歩き入った、焼肉屋さんも、ラーメンやさんも残っていました。
あの当時の35歳と32歳の若夫婦は、73歳と70歳のどう若く見えたとしても、立派な高齢者夫婦なのだろうと、足を早めて戸塚駅を目指しました。
何で足を早めたかと云うと、トイレです。
前立腺肥大でトイレが近いのですが、東戸塚・戸塚間4km、一時間なら十分保つのですが、この旧史跡の東海道ですが、観光客用の施設は全くなく公衆トイレも存在しないのです。

地方の観光地に行くとこれでもかとご丁寧に、トイレ地図があり、全く困らないのですが、鎌倉のような大観光地ですら、鎌倉駅から鶴岡八幡宮、江ノ電長谷駅から大仏のある高徳院まで、公共トイレは存在していません。
ましてや、この国道1号線、旧東海道周辺にはトイレはなく、今どきコロナ禍ではなかなか、コンビニも良い顔をしません。
で、少し、速歩きで戸塚に向かうのです。

国道1号線は途中、戸塚市街にはいる手前で右のバイパスへと右折します。
いわゆる俗称ワンマン道路です。

国道1号の不動坂交差点から大坂上までの道路は、通称ワンマン道路と呼ばれている。
昭和28年、当時の吉田首相が開かずの踏切といわれる戸塚駅前の大踏切を避けるため、このバイパス道路を建設した。
吉田首相が「ワンマン宰相」と呼ばれていたことからこのように呼ばれるようになった。


戸塚宿 吉田大橋
この不動坂を右折せずにまっすぐくると浮世絵に描かれた戸塚宿の橋を渡ります。

この浮世絵の橋のたもとの石碑には、「左かまくらみち」と書かれています。
現在の橋の名前は「吉田大橋」。下を流れるのは柏尾川で、このまま合流を重ね、名前を藤沢で「境川」と変えて江ノ島へ、湘南の海へとながれます。

この国道一号線は戸塚駅の、吉田首相や箱根駅伝で、一時間に57分閉まっている大踏切として有名でした。
しかし、平成27年、戸塚駅北側の戦後闇市マーケット的商店街再開発とともに、アンダーパス化して、名物の大踏切はなくなりました。
東戸塚駅から、裏道、国道一号を歩くと、4.4kmちょうど1時間の距離でした。
最後の駅にトイレに駆け込み、セーフ。
結局この日は、回転寿司は食べれず、戸塚でも大船でも外食時のカロリーとコロナ感染リスクを軽減し、コンビニの三角サンドイッチ一つとなりました。
カロリーも体重も気にせずに、食べれていたあの頃が懐かしい。

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posted by 西沢 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ